2009自衛隊観艦式 〜帰投編〜


訓練展示終了後、観艦式艦隊は進路を東にとって横須賀・横浜・木更津の各港へ帰投します。
訓練展示終了後、観閲官(菅副総理)による訓示がありました。
「グローバル化が進み海自の活動の場が海外に広がっている。我が国が平和と繁栄を享受できるよう使命を深く認識し任務に精励を」といった内容でした。(各艦でもスピーカーで訓示が流れました)

誠に結構な訓示ですが、海自を生かすも殺すもあなたたち民主党次第ですよ!事業仕分けとやらで防衛予算を大幅に削減したりしないようくれぐれもお願いします。

などと心配していたら、鳩山首相が「友愛ボート」なる珍案を打ち上げました。民主党に国防を任せて大丈夫なのでしょうか…?
訓示が終わり、観艦式のすべての予定が終了しました。
すると、それまで隊列を組んで整然と航行していた各艦が四方に散開し、一部の艦は猛烈な速度で私が乗る「うらが」を追い越し始めました。
これは各港へ帰る隊列を整えるためで、木更津や横浜という遠方に戻る艦が列の前方に行きます。続いて観閲官や駐在武官などお偉い人を乗せた艦、さらに横須賀(吉倉・船越・新港)へ帰る艦、最後にお客さんを乗せていない艦と続きます。

←の画像は木更津へ戻る「あすか」と「あぶくま」が、猛スピードで隊列の前方に出ようとしているところ。痺れました!
横浜に戻る「こんごう」も列の前方に出るために増速中です。
「あすか」はこの「こんごう」の前に出なければならないため、高波をもろともせず猛烈な速度で「こんごう」を追い抜きます。

試験艦がイージス艦をブッちぎる。とても素敵な光景です(笑)

試験艦とはいえ、「あすか」は最大速力27ノットを誇ります。鋭く突き出した艦首は、艦底に大型のバウソナーを備えているためですが、波浪で試験業務に影響が出ないよう砕波性を考慮した設計にもなっています。
まるで荒れた海をナイフで切り裂きながら進んでいるようです。
出港以来、ずっと我が「うらが」の前後を航行していた「ちはや」ともここでお別れ。増速して「うらが」を追い越して行きました。

さらに遠方には、隊列を整えるために回頭している「あしがら」「おおすみ」「さざなみ」の姿が見えます。式典終了後に行われた一斉大回頭に負けず劣らずの一大絵巻。帰路にも思わぬ見せ場がありました。

この後には「てんりゅう」も「うらが」を追い越し、一緒に観閲付属部隊を形成していた艦のほとんどが去っていきました。
大時化の海で共に苦しんだだけに、「あすか」「ちはや」「てんりゅう」が去って行くのは妙に寂しかったです…
帰りの隊列も整ったので、「うらが」の艦内を探検してみました。実は出港前からこの時まで、ずっと艦橋のウイング部や露天部にいたのです。夢中になってトイレにも行っていませんでした…(苦笑)

「うらが」型の特筆すべき点は艦橋に通じる梯子。ご覧の通り、昇りと降りが分離された複線となっています。このように複線化された梯子は他の艦では見たことがありません。
何故このようになっているかと言うと、「うらが」型は災害派遣だけではなく、海外での邦人救出も視野に入れて設計されているためです。ですから艦内の通路も多少広くなっており、全体的に余裕のある作りとなっています。
士官室です。
ドアには「ご自由にお入りください」の文字が。「へぇ〜士官室を公開しているんだぁ〜♪」と喜びながら入室したら、そこには人・人・人。通勤ラッシュの電車も顔負けのすし詰め状態寒さと船酔いに苦しむお客がなだれ込んでいたのです
ぐったりとしているお父さんとお母さん、その横で子供が泣き・わめき・騒ぐ。さらには床に倒れ込んでいる人も…。
何なんだ、この地獄絵図は…

逃げるように士官室を出た私。用を足そうと近くのトイレに入ったらそこは嘔吐物の海。ひえっ〜!!
ずっと艦橋にいた間に艦内は大変な事態に至っていたようです。
科員食堂に向かいました。
識別帽などの「うらが」グッズの販売を期待したのですが…予想通りここもすし詰め状態。士官室よりは幾分ましですが、やはり皆さん船酔い気味でぐったりしています。撮影していたら年配の方から「何してんだコノヤロー」みたいな視線で睨まれました…(汗)

お客さんの中には特に海自に興味がある訳でもなく、券が手に入ったので乗艦したという人も多かったと思います。そういう人にはこの時化と寒さはさぞこたえたでしょうね。
私なんてどんなに寒かろうが、艦が揺れようが全然平気です。マニアパワー、恐るべし!
科員食堂に隣接して酒保があります。平たく言うと売店です。
常時営業している訳ではなく、航海中の夜間に1〜2時間だけ営業しています。航海期間中の乗組員のためのお店で、シャンプーや洗剤などの生活用品やお菓子、下着などが販売されています。

売店を酒保と呼ぶのは帝国海軍時代からの伝統で、当時はその名の通りお酒も販売していました。大きな戦闘を控えた前夜には「酒保ヒラケ」の号令がかかり、酒保にある酒や饅頭が食べ放題という景気づけの催しも行われていました。
ちなみに海自艦艇内では酒の販売はおろか飲酒は厳禁です。

酒保が面する通路には毛布にくるまって横たわる人が多数いました。まるで死体が転がっているようでした…(汗)
赤い絨毯が敷かれた奥の部屋は、掃海隊群司令の公室です。隣には幕僚の事務室があります。まさに掃海隊群の中枢部です。

艦内に船酔い者が溢れようとも、さすがにこの部屋がお客さんに開放されることはありませんでした。
ただ、船酔い者が通路に溢れかえると、「うらが」の乗組員は開放できる部屋を探しに懸命に駆けずり回っていました。士官室以外にも、先任伍長室や先任海曹室も開放されたようでした。

艦内を歩いていると、ある先任海曹が乗組員に指示する声が聞こえてきました。「お客さんに観艦式をいい思い出にしてもらうために努力しろ!」。「うらが」には素晴らしい隊員がいます。
上甲板に出てみました。
そこは艦内以上に凄惨な状況で、ヘリ格納庫には寒さに震えるお客がぎっしりと座り込み、格納庫に入りきれない人は強風にさらされながらヘリ甲板でうずくまっています。その周りには毛布にくるまった船酔い者が多数転がっており、まさに難民船の様相を呈しています。
出港前ののどかな風景はいずこへ…(涙)

そんな状況を打開(?)しようと、乗艦していた大湊音楽隊が音楽演奏でお客を楽しませていました。
※船酔い者が転がっている様子も撮影したのですが、本当に死体のようで生々し過ぎるので自主規制させていただきました…。
ヘリ甲板から後続する「さざなみ」の雄姿を撮影しました。

訓練展示で「さざなみ」は「ひゅうが」とともにヘリコプターの発艦を行いました。(殆どの人が「ひゅうが」を見ていましたが…)
ですから、ヘリ甲板にはSH-60Kが停まっているほか、飛行中のヘリもどういう訳か盛んに「さざなみ」の周囲を飛んでいました。

「うらが」のヘリ甲板上は暴風のような風が吹いていて立っているのがやっと。風で身体が揺さぶられてシャッターが押せないほどでした。被っていた「あたご」の識別帽も風に飛ばされて、危うく海に落ちるところでした。
悲惨な状況の上甲板をあとにして艦橋露天部に戻りました。
ふと進行方向に目をやると、艦隊が美しく一列になって航行しているではありませんか。
前方から「いなづま」「あすか」「てんりゅう」「こんごう」「ちはや」「あぶくま」、貨物船を挟んで「くらま」の順で続いています。

浦賀水道は狭水道なので、船舶はこのように一列になって所定の場所(浦賀水道航路)を航行しなければならないのです。当然、自衛艦以外の船舶の往来もありますので、画像のように艦隊の中に一般の貨物船が紛れ込んだりもするのです。
艦内に閉じこもっていてはこんな素晴らしい光景は見ることができません。寒いけど露天部に戻って良かった!
後方を振り返れば、後続艦も一列になっていました。
「さざなみ」「はたかぜ」「さわかぜ」「おおすみ」「あしがら」「ゆうばり」「ゆうべつ」「まきなみ」「ぶんご」と続いています。

これだけの大艦隊が一列になって航行する光景はマニアにはたまりません!強風による寒さを忘れて酔いしれ、長時間立ちつくしていました。
寒さのため露天部にはほとんど人がいないこともあり、まるで艦隊を自分ひとりで独占しているような気分になりました。そう、気持ちは艦隊司令官。連合艦隊を率いた山本五十六大将もこんな気分だったんでしょうね…(笑)
浦賀水道を抜けて横須賀が近づいてきました。
ずっと「うらが」の後ろを航行していた「さざなみ」が横須賀新港に向かうため、隊列から離脱しました。
「さようなら!さざなみ。また呉で会いましょうね!」

続いて、同じく新港に向かう「さわかぜ」が、そして船越に向かう「はたかぜ」も隊列を離れて行きました。観閲付属部隊の艦が去った時と同様に妙な寂しさを感じました。出港以来約7時間も大時化の海に揺られ、相模湾の真ん中で素晴らしい感動を与えてくれた艦たちにひとしおの愛着が湧いてしまったようです
今後、当HPは観艦式に参加した29隻を全力で応援します!(笑)
1540、いよいよ横須賀(吉倉桟橋)に入港します。「うらが」でも高らかに入港用意のラッパが鳴り響きました。

一足先に観閲艦「くらま」が入港していました。曳船による接岸と舫作業も終了しており、これから防衛大臣や海幕長らが退艦するところのようです。
前回に続いて観閲艦という大役を見事に務めあげた「くらま」。
接岸しているその姿は、威厳と貫禄に満ち溢れているようでした。名実ともに海自艦艇の頂点に君臨している瞬間です。

この約50時間後、関門海峡で艦首がへし折れた無残な姿になるとは、この時は思いもしませんでした…(涙)
こちらも先導艦という大役を務め終えた「いなづま」
接岸しているその姿からは、「いやぁ、緊張したよ〜。無事に終わってよかった〜」という声が聞こえて来るようでした(笑)

「いなづま」は帰りの隊列の最前列を航行し、一番最初に吉倉桟橋に接岸しました。つまり観閲艦の「くらま」よりも早く入港したのです。
防衛大臣や海幕長よりも駐日大使や駐在武官、報道関係者を早く艦から降ろしてあげたかったということです。ホント、海自って細かいことに気を遣う組織ですね。
我が「うらが」も桟橋に接岸します。
出港時同様、艦橋ウイング部で中沢艦長が指揮を執る一方で、椙本幕僚長と幕僚らが入港作業を見守っています。

艦艇の出入港時には出入港部署という配置が発令され、すべての乗組員が出入港に必要な作業の配置に就きます。とりわけ第一分隊(砲雷科)の乗組員は、艦首や艦尾での舫作業を担当します
指揮官や幕僚は艦固有の乗組員ではないので出入港時の配置はありませんが、かといって艦内にいるのはご法度で、艦橋ウイング部や露天部で作業を見守るきまりになっています
「うらが」の入港作業が終わりに近づいた頃、受閲艦艇部隊旗艦の「あしがら」も入港してきました。

関東のマニアにとっては珍しい存在で、出港前には盛んにカメラのフラッシュを浴びていた「あしがら」ですが、接岸後に「あしがら」から降りて来たお客の中には艦内で買った識別帽を被っている人が多くいました。皆さん「あしがら」に乗艦できて大満足といった様子でした。

乗艦したお客さんのみならず、今回の観艦式で「あしがら」は大人気でした。つくづく姉の「あたご」とは対照的な人生です(笑)
「あしがら」が大人気の観艦式で「あたご」の識別帽を被っている私って…。
大時化の相模湾で観閲付属部隊を先導した「まきなみ」も戻ってきました。沖合いには、次に入港する「ぶんご」の姿も見えます。

ちなみに、この「まきなみ」は2年前の大在埠頭での体験航海で乗艦したフネで、熊本艦隊氏と一緒に艦長さんと記念撮影をするなどしたとても思い出深い艦です。

このほか「あしがら」や「くらま」「こんごう」「おおすみ」など、今回の観艦式には地元・九州でのイベントで楽しい思い出が詰まった艦が集まっていました。長年マニアをやっていると、何度も顔を合わせる縁がある艦と、逆になかなか会えない艦の二種類に分かれてきます。不思議ですね。
1630、「うらが」から退艦しました
観艦式、そして今シーズンの撮影が終了しました。

午前7時過ぎに乗艦して以来9時間以上も乗っていたことになります。私を相模湾上の観艦式会場に連れて行ってくれ、そして無事に横須賀に帰してくれた「うらが」とその乗組員に心から感謝いたします。本当にありがとうございました。

猛烈な時化と風雨という最悪な条件の下でも、高い技量を見せつけてくれた海自艦艇たち。その姿は紛れもなく世界一の実力を持つ海軍の姿でした。
海自の素晴らしさを伝えるべく、これからもHPの運営を頑張るぞと心誓いながら帰路に着きました。

悪天候の中、日ごろ培った高い技量を遺憾なく発揮した艦艇たち。海自は「世界一の海軍」です。