2012GW 呉遠征 |
今年のGWも呉にやって来ました! ここ数年、GWは呉と舞鶴を隔年で訪れていたのですがそのパターンが崩れ、2年連続のGW呉訪問となりました。ただ、昨年と違って天気は良好。昨年は曇天と黄砂でGWの爽やかさが微塵も感じられない最悪の撮影条件でした。今年は青空と新緑を背景に艦艇ちゃんたちを撮影できそうです♪ アレイからすこじまから見る艦艇群、GWなので数多くの潜水艦と水上艦が停泊しています。「いせ」の姿も見えます。 この場所からは大学生だった25年前から艦艇をウオッチしていますが、接岸している艦艇の顔ぶれは大きく変貌しました。当時は小型艦と老朽艦ばかり。「いせ」のような形と大きさの艦なんて想像だにできませんでした。 |
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からずこじま埠頭(Aバース)には、「とね」と「あぶくま」が接岸しています。数年前までは佐世保の艦だった「とね」と舞鶴の艦だった「あぶくま」ですが、呉に停泊している姿も違和感がなくなりました。 両艦は「せんだい」と共に第12護衛隊を編成しています。12護隊ですが、今年3月に「せとゆき」が練習艦に種別変更され第1練習隊に移ったことから、「ゆき」型と「あぶくま」型の混合編成から「あぶくま」型のみによる編成となりました。 現在、「あぶくま」型のみで編成される護衛隊は、呉の12護隊だけです。かつては佐世保の第26護衛隊(「おおよど」「せんだい」「とね」)や舞鶴の第31護衛隊(あぶくま」「じんつう」)が、「あぶくま」型のみによる護衛隊でした。 |
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「とね」「あぶくま」に艦首を突き合わせる形で音響測定艦「はりま」が停泊しています。 からずこじま埠頭(Aバース)は、実質的に「ひびき」型音響測定艦2隻の専用埠頭となっています。「ひびき」「はりま」が2隻とも、もしくはどちらか1隻が出港している際に、空いた岸壁を他の呉所属艦が利用しています。今回は「ひびき」が不在なので「とね」と「あぶくま」が接岸しているのですが、仮に、いま「ひびき」が戻って来たら、「とね」と「あぶくま」は岸壁を明け渡して他のバースに移らなければなりません。 この音響測定艦は機密の塊のような艦で、艦の詳細や任務等の一切が機密事項です。一般に公開される事はなく、艦を視察しようとした呉地方総監が乗艦を断られたという逸話さえあります。 |
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潜水艦もこの日は7隻が戻っていました。3月に4番艦「けんりゅう」が就役して呉に配備されたことから、「そうりゅう」型も一大勢力となりました。また、「けんりゅう」の就役によって第5潜水隊だけではなく第3潜水隊にも「そうりゅう」型が所属することになりました。 潜航時間、そして運動能力では最新鋭潜水艦らしいずば抜けた性能を誇る「そうりゅう」型ですが、発令所や居住区等を中心に艦内スペースは「おやしお」型と比べてやや窮屈なようです。 「そうりゅう」型の実験艦である練習潜水艦「あさしお」が、従来のディーゼル機関+スターリング機関を搭載した結果、全長が87mに達したのに対し、「そうりゅう」型は全長を84mに抑えています。この全長を抑えた分が艦内スペースを圧迫しているのではないかと私は考えます。早く乗艦して確かめなければ…。 |
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呉基地の入口には入場を待つ見学者の列ができていました。さらに横を走る県道も見学者の車で大渋滞、「営業妨害だ!邪魔だぁ!」と騒ぐタクシー運転手もいて、一帯は混沌とした妙な空気となっていました。午前9時40分の開門までまだ20分以上もあるのにこの状態…いったい何なんでしょう?海自のこの人気は? 多くの国民が海自に関心を持ち、基地に見学に来るのは誠に喜ばしいことではありますが、呉基地では見学者が多くなったことに伴って基地内の移動範囲や見学時間に著しい制約があります。舞鶴のように一度入場したら何時間でも撮影し放題、移動し放題ではないのが少々残念です。呉も昔(20年前)は撮影も移動も自由だったのですが…。 |
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基地内に入って最初に目に入って来たのはDバースに接岸している掃海母艦「ぶんご」です。「おおすみ」型輸送艦が停泊していることが多いDバースに「ぶんご」が接岸しているのは珍しいです。 「ぶんご」は漢字で書くと「豊後」。一見すると「いせ」や「ひゅうが」のように旧国名からの命名のように思えますが、掃海母艦の命名基準に沿って、九州と四国の間の豊後水道から名付けられています。豊後水道は私の地元の海だけに、この艦も私にとっては非常に親しみを感じる艦です。 呉基地でも最も長大かつ広大なDバースですが、ここが呉基地の設備となったのは1998年と割と最近で、戦後から98年までは呉市が所管する昭和公共埠頭でした。艦艇のブイ係留を減らすことを目的に呉市から防衛庁(当時)に移管されました。 |
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Eバースには数多くの艦艇が接岸していますが、小さくてカワイイ輸送艦が目に留まりました。「ゆら」です。 離島や沿岸僻地への物資輸送を目的に建造された小型輸送艦ですが、本来の輸送任務に加え、大型艦が地方の港に入港する際には防舷材の輸送にもあたるなど大忙しの艦です。 しかし就役が1981年で、艦齢が31年にも達する老朽艦であることから、今年4月に双子の妹である「のと」が退役、「ゆら」も今年度中の退役が予定されています。 「ゆら」「のと」の退役に伴う代艦の建造はありません。予算がないので代艦の建造が認められないのでしょうけど、ビーチングが可能な小型輸送艦は海自には絶対必要だと思うのですが… |
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「ゆら」の後方には「いせ」がいます。最小の自衛艦「ゆら」と最大の自衛艦「いせ」、大きさの落差がすごいです(笑) 去年3月の就役以来、習熟訓練と各種試験に励んだ「いせ」ですが、今年のGWはゆっくりと骨休みしているように見えます。 IHI横浜工場での自衛艦旗引渡式に参列して以来、この「いせ」とはよく出会います。私とは本当に相性のいい艦です。逆に相性の悪い艦は乗艦や見学の機会どころか、私が基地を訪れるタイミングで出港して姿さえ見ることができません。呉所属艦で言えば、「うみぎり」や「しもきた」がそれに該当します。 「いせ」との相性の良さは、ついには「いせ」が7月に私の地元(大分港大在埠頭)に寄港するという事態に至りました。星山艦長、寄港をお待ちしております! |
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この日の広報担当艦は「いなづま」です。「むらさめ」型DD5番艦で、6番艦「さみだれ」と共に2000年3月に就役し、以来ずっと呉を母港にしています。この「いなづま」と「さみだれ」が呉に配備された直後に呉基地の見学に訪れ、ピッカピカの「いなづま」と「さみだれ」を前に呉にも最新鋭艦が配備されたことを嬉しく思ったのですが、あれからもう12年も経つのですねぇ…。 「むらさめ」型ですが、近年のDDでは珍しく同型艦の艦名が統一されていない形式です。それでも、4番艦までは何とか雨の名前でしのいできましたが、この5番艦でついに雨そのものではなく、雨に伴う現象名となりました。そして8番艦「あけぼの」、9番艦「ありあけ」に至っては、雨とは無関係な名前となってしまいました。ネタが尽きたんでしょうねぇ(笑) |
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「いなづま」に乗艦しましたが、見学は上甲板のみでした。艦橋や艦内は見学不可。見学者が多いので艦内に入れるのは難しかったのかもしれませんが、せっかくGWに、しかもはるばる遠方から来ている人も多いので、艦橋ぐらいは公開して欲しかったです。ある意味、これが見学者が激増したことの弊害なのかもしれません。 「いなづま」の艦橋の窓に注目。海将補の座乗を示す「二つ星」のプレートが掲げられています。つまり、今は「いなづま」が第4護衛隊群の旗艦なのです。「いせ」が就役したとはいえ、習熟訓練や各種試験に追われるため、「ひえい」退役以降、4護群の旗艦はこの「いなづま」や「さざなみ」等が担ってきました。ただDDは司令部用の施設や居住区を備えていないので、スペース的な面で苦労が多いのではないでしょうか? |
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「いなづま」のヘリ甲板を見学していたら、呉湾を潜水艦救難艦「ちはや」が航行しているのが見えました。よく見ると、たくさんの見学者を乗せています。実は今日、広島地方協力本部が主催する体験航海が行われており、「ちはや」はその担当艦なのです。 もちろん乗艦には乗艦券が必要で、券は事前申し込みしたうえで抽選で当たらなければ入手できません。私は応募はしていないので、当然ながら乗艦券を持っていません。応募したとしても物凄い高倍率だったとのことです。 当初は「体験航海乗艦場所の川原石埠頭で『ちはや』の出入港シーンでも撮影しようかなぁ」と考えていたのですが、今回の遠征でも神様が私に思わぬ幸運をもたらしてくれました。 |
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「ちはや」に乗艦できることになりました♪ なぜ乗艦券を持っていないのに乗艦できるのかというと、呉基地を見学している際に偶然出会ったイコアンさんが「2名様乗艦券」を持っていて、一緒に乗らないかと誘ってくれたのです。 イコアンさんは大阪在住の自衛隊マニアで、関西地区の自衛隊イベントに訪れては、その模様をブログで報告しています。 私とは去年9月に大阪湾で実施された呉地方隊の展示訓練でお会いしたのが最初で、2月の神戸遠征の際にもお会いしました。 「ちはや」ですが、海中で遭難した潜水艦の乗組員を救助を任務とする艦で、2000年3月に就役しました。大型の水上艦ですが、潜水艦隊第1潜水隊群に所属しています。 |
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出港前に艦内を探検。まずは艦橋です。 「ちはや」は船体の幅が広く、艦橋構造物も船体の幅いっぱいに広がっているため、ご覧のように艦橋はとても広大です。出港までまだ1時間以上あるのですが、既に航海長が配置に就いています。 「ちはや」は大型の水上艦ではありますが、潜水艦の救難という任務を遂行するには潜水艦の知識や運用経験が必要なことから、艦長と副長は潜水艦の艦長経験者が務めています。また幹部の半数は潜水艦乗りであり、曹士も救難の部署を中心に潜水艦乗りが数多く配置されています。また、就役当初から女性隊員が乗り組んでおり、今ではあまり珍しくなくなった女性隊員の艦艇勤務の先駆けとなった艦でもあります。 |
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救難に使用されるのが深海救難艇(DSRV)です。2名の操縦員で操作し、救助者を12人まで乗せることができます。「ちはや」のほか、第2潜水隊群所属の「ちよだ」にも搭載されており、いずれも川崎重工製です。 画像は格納庫の上部から見た様子で、DSRVが置かれている場所は海中への揚降口(センターウェル)で、手前のスペースが格納庫です。この格納庫は艦橋構造物と一体化しています。 DSRVの海中投入と収容は、センターウェルで行われますが、画像にも写っている格子状の蓋と艦底閉鎖装置(簡単に言えば艦底にある蓋)が開いて作業が行われます。 |
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艦内には「ちはや」が実施した救難作業の実績表が掲示されています。2001年11月に漁業実習船「えひめ丸」と米海軍潜水艦の衝突事故で、「ちはや」が沈没した「えひめ丸」の捜索を行ったのは記憶に新しいところです。また、今年4月に起きた「まつゆき」と対潜ヘリの接触・墜落事故でも、「ちはや」の無人潜水装置(ROV)が搭乗員の捜索にあたりました。 実績表には1966(昭和41)年からの救難作業が記されています。「ちはや」は2000年就役なので、表は「ちよだ」や「ちはや」と入れ替わりで退役した「ふしみ」、さらには先代の「ちはや」が実施した作業も記されているようです。 作業の実績をみると、幸運にも潜水艦の遭難による救難は1件もなく、航空機の墜落に伴う航空救難が大半を占めています。 |
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救難作業の実績表のすぐ横には数々の賞状や感謝状が掲示されていますが、そのうちの1枚に目が留まりました。 これは2008年5月から6月にかけて「ちはや」が豊後水道で実施した救難作業訓練で、飽和潜水による水深450mでの救難作業に成功したことを表彰する賞状です。水深450mの飽和潜水は日本最深記録、世界でも第2位の記録です。この作業成功により、海自の潜水艦救難能力は飛躍的に向上しました。 飽和潜水とは潜水病を防ぐ潜水方法です。人間の体は水中に潜ると水圧によって窒素などの不活性ガスを体内に取り込むことで潜水病となりますが、ある一定の深度まで達すると体が不活性ガスを取り込まなくなる飽和状態になります。ダイバーの体を人為的に飽和状態として深海で作業を行うのが飽和潜水なのです。 |
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艦橋構造物内の一角に居住区があります。 画像右側の扉は第2士官室で、左側には曹士用の部屋があります。これは「ちはや」の乗組員用の居住区ではなく、遭難した潜水艦から救助された乗組員用の居住区なのです。潜水艦1隻分の人数(約80人)を収容することができます。 「ちよだ」にも同様の居住区がありますが、「ちよだ」が潜水艦乗組員の休養を目的とした居住区なのに対し、「ちはや」はあくまでも救助された潜水艦乗組員の一時的な収容の場です。 「ちはや」は「ちよだ」の母艦的な能力は縮小し、代わりに救難能力と医療能力を向上させた艦です。災害派遣時には「ちはや」は病院船の役割を担うことになっていて、その際この居住区は被災民用の病室となります。 |
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DSRVと並ぶ「ちはや」の主要装備がこの減圧室(DDC)です。 潜水作業にあたるダイバーの体を長時間潜水作業が可能な状態にしたり、逆に潜水作業後のダイバーの体を陸上生活可能な状態に戻すための装置です。ダイバーはこの減圧室での処置を省いて水深の深い場所で作業を行うと潜水病にかかり、最悪の場合死亡します。減圧処置は短い場合で数時間、長い場合は1ヶ月近くかかる場合もあります。 ダイバーだけでなく、遭難した潜水艦から救助された乗組員も必要に応じて減圧室に収容され、体を慣らしてから治療を受けます。 この減圧室ですが、潜水艦救難を任務とする「ちはや」と「ちよだ」のほか、機雷処分を行うダイバーが乗り組んでいる掃海母艦「うらが」「ぶんご」にも搭載されています。 |
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減圧室の内部です。 収容者は長い場合は数週間から1ヶ月近くを過ごすので、ベッドやトイレ、食事や物資を搬入するハッチ等が備え付けられています。このような狭い場所で長期間過ごすのは本当に大変そうです。 ちなみに上記の豊後水道における水深450mの飽和潜水では、ダイバーは潜水前に減圧室で5日間かけて体を慣らし、作業終了後は25日間かけて体を元に戻しました。ダイバーは己の体を危険な状態にしてまで救難作業にあたっているのですね…。 水深450mで作業した後に減圧室に25日間もいたダイバーの精神力・気力は素晴らしいですが、減圧作業を成功に導いた乗組員の能力・支援体制もお見事です。このような高い能力を持つ救難艦がいるからこそ、潜水艦が安心して任務にあたれるのです。 |
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午後1時30分に「ちはや」は川原石埠頭を出港しました。 出港してすぐ呉湾に停泊している3隻の艦艇の姿が見えました。おぉ!「おおすみ」型輸送艦3隻が仲良く停泊しているではありませんか!!←の画像は、「しもきた」(左)と「くにさき」です。「しもきた」のさらに左方に「おおすみ」がいます。 艦艇の所属隻数が五大基地中最も多い呉ですが、加えて「いせ」や「おおすみ」型輸送艦といった大型艦が多いことから、DバースとEバースが増設されて五大基地中最大の係留能力を持つとはいえ、沖合い停泊が解消されている訳ではありません。 呉湾には艦艇係留用のブイが10基あり、約123ヘクタールの水域が呉基地の「敷地」となっています。 |
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最初に近づいたのは3番艦「くにさき」です。 名付け元は私の実家がある国東半島。まるで地元の友人のような親しみを感じる艦です。2003年3月に就役しましたが、私を含めて3番艦の名前の大方の予想が「しれとこ」だっただけに、艦名は「くにさき」と聞いた時には腰が抜けるほど驚きました。 この「くにさき」、最近では4月の北朝鮮による弾道ミサイル打ち上げの際には、迎撃システム・PAC3と空自隊員を石垣島へ輸送しました。形は違いますが、イージス艦と同様、弾道ミサイル防衛に貢献した艦なのです。また、「おおすみ」型輸送艦は陸自の機動演習等で隊員の輸送も担っていることから、ある意味、自衛隊の統合運用を象徴する存在と言えるでしょう。 |
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2番艦「しもきた」は3艦の中で最も遠い位置に停泊しています。「ちはや」はこの「しもきた」の手前でUターンして折り返したので、「しもきた」を近くから撮影することはできませんでした。先ほど、呉所属艦の中でも私との相性が悪い艦として紹介した「しもきた」ですが、ここでも相性の悪さが見事に発揮されてしまいました(苦笑) 就役は2002年3月で、1番艦「おおすみ」とは4年の開きがあります。艦船モデラーの間では、模型(WLシリーズ・タミヤ製)の方が、実艦の就役よりもかなり早く発売されるという珍しい現象が起きた艦として有名(?)です。 「おおすみ」型輸送艦は、揚陸に使用するLCACの整備施設の関係から、3艦すべてが呉に集中配備されているのが特徴です。 |
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「おおすみ」型輸送艦のネームシップ・「おおすみ」です。就役は1998年3月で、早いもので就役から14年も経ちました。 空母艦型をしたスタイルが就役当時大きな物議を醸しましたが、今思うと、中国などのアジア諸国が「軍国主義復活の懸念を抱いている」と書き立てたA新聞など左翼系マスコミのあの大騒ぎは一体何だったのかという気がします。 当時の記者に言いたい。「おおすみ」が就役して10年以上経ちましたが、日本に軍国主義が復活していますか? 「おおすみ」を撮影していたら、自爆テロ船のような猛烈な勢いで艦に接近する小型船がいます。去年乗船した呉湾観光遊覧船です。おぉ、あれに乗れば超至近距離で撮影ができるぞ! |
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ということで、「ちはや」を降りたあと遊覧船に乗って「おおすみ」を撮影です。呉湾観光遊覧船は去年のGWに続いて2年連続の乗船ですが、沖合いに出るまでの爆走ぶりは今年も健在でした(笑) 先ほど遊覧船は艦前方から「おおすみ」に接近していましたが、潮流によって艦の向きが変わったためか、今回は艦の後方から接近します。「いせ」「ひゅうが」の就役により、「おおすみ」型は今や驚くような大きではないのですが、水面すれすれの位置で至近距離まで近づくと見事なまでの大迫力を感じます。 「おおすみ」型の艦尾はLCAC発進・収容のために開閉式になっています(スターン・ゲート)。LCACはかつては艦固有の装備でしたが、現在は第1エアクッション艇隊に所属しており、高練度の艇が艦に派遣される形となっています。 |
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「いせ」や「ひゅうが」が就役して、その大きさに圧倒されていますが、「おおすみ」が就役した直後も、その大きさと乾舷の高さに驚かされたものです。 左翼系マスコミは別としても、雑誌等での注目されぶりは「いせ」「ひゅうが」よりも過熱していたような気がします。中には「おおすみ型空母改造計画」と題して、「おおすみ」を軽空母に改造するためのシュミレーションをした仰天記事もありました(笑) 私は形が似ているというだけで「いせ」や「おおすみ」を空母と言うことに抵抗があるのですが、←の画像は確かに空母に似た造形と迫力を感じます。雑誌「J-Ships」はやたらと空母と「ひゅうが」型を絡めた特集を組みますが、艦船マニアは「空母」というと食いつきがいいのでしょうか? |
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遊覧船は「おおすみ」の前方に出ました。水面近くの低い位置から見上げる「おおすみ」は大迫力! あまりに近すぎて「おおすみ」の全身をフレームに収めることが難しかったのですが、何とかフレームに収まった姿はレンズの広角側の効果によって艦首が鋭く尖ったシャープな姿になりました。 東日本大震災では、「おおすみ」型3隻は発生直後から被災地支援に入り、その能力を遺憾なく発揮して有効性を証明しました。被災民の方々にとっては、さぞ心強い存在だったでしょうね。 登場直後はその艦容から物議を醸しましたが、大規模災害での支援や国際緊急協力を視野に「おおすみ」型を整備した海自には先見の明があったと言えるのではないでしょうか。 |
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遊覧船は「おおすみ」の艦首をかすめるように通過していきます。艦首部では乗組員が遊覧船に手を振ってくれています。GWにも関わらず勤務ご苦労様です! 「おおすみ」型の上甲板は空母式の全通甲板となっていますが、艦首部分だけは一段低くなっています。これは揚錨機の配置の関係と作業効率を高めるための措置です。 この位置から見ると、船体の艦首に近い部分はかなりの傾斜がついていることや、船体が凸凹が非常に少ない構造であることが分かります。マストもラティス構造ではなく、いち早く平面型を採用するなど、「おおすみ」型は戦闘艦ではないにも関わらず、ステルス対策にかなりの力を入れている艦なのです。 |
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遊覧船は「おおすみの」前方を横切ったあと、スピードを上げて「おおすみ」から離れていきます。 「おおすみ」の後方には「くにさき」の姿も見えます。呉湾内に空母艦型をした大型艦が3隻も停泊している様子はなかなか壮観で、柱島泊地やトラック島に停泊する帝国海軍空母部隊もこのような眺めだったのかと想いを馳せました。 ちょうど1年前、この場所に停泊する「いせ」を撮影しましたが、何故かその時と同じようなどんよりとした空模様となりました。午前中はあんなに晴れていたのに…。去年10月の「いせ」公開の時は土砂降りだったように、私が呉を訪れる時はかなりの高確率で曇天もしくは雨となります。もしかすると、呉そのものとの相性が悪いのかもしれません…(涙) |
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遊覧船は今年の大河ドラマでお馴染み、平清盛が掘削した音戸の瀬戸を通過して再び呉基地に戻ります。ここから先はほぼ去年と同じなので省略します(笑) せっかくの絶景なのに天気が最悪です…。私は歴史好きで大河ドラマも大好きなのですが、「平清盛」は松山ケンイチの清盛がイメージに合わなくて殆ど見ていません。もしかして、遊覧船に乗った途端に天気が悪化したのは平清盛の祟りかもしれません。 今年のGWは2年続けての呉遠征でしたが、艦艇見学、体験航海、そして遊覧船というお腹いっぱいの内容でした。このあと、広島市内で大好物の広島風お好み焼きでお腹をいっぱいにして帰路につきました。大好きな艦艇とお好み焼きがある広島って最高です! |