2011GW遠征 〜呉・遊覧船編〜


呉基地内での艦艇見学に続いて、呉湾を巡る観光遊覧船に乗船しました。船上で私が見たものとは…。

「アレイからすこじま」で一休みしたあと私が向かったのが呉海事歴史科学館、通称「大和ミュージアム」です。
戦艦大和呉の優れた造船技術を中心にした展示物を擁するこの博物館は、2005年4月に開館しました。

隣接する海自呉史料館(通称・鉄のくじら館)とともに、今や呉で最も人気がある観光スポットとなっています。
休日には艦艇マニアや海軍・海自ファンのみならず、多くの観光客が詰め掛けます。この施設がオープンして以降、呉基地の日曜艦艇公開に多くの見学者が押し寄せるようになりました
呉は戦前は日本海軍、戦後は海自と共存共栄してきた街ですが、「大和ミュージアム」と「鉄のくじら館」はそれを象徴する施設と言えるでしょう。
大和ミュージアム入口のすぐ横に遊覧船の乗船受付がありました。私がここに来た目的は呉湾を巡る遊覧船に乗るためです。
呉湾ではGWが始まる4月下旬から10月下旬頃までの間、観光遊覧船が運航されています。看板を見ると、広島市南区にあるバンカー・サプライという会社が運航しているようです。以前乗った遊覧船とは別の会社のようです。

看板でルートを確認していると、受付のおばさんが「お兄さん、沖にいる『いせ』を撮影できますよ!」と声を掛けてきました。私の顔に「『いせ』が撮りたい!」と出ていたのでしょうか?
「『いせ』は遊覧船のルートの近くにいるの?」と尋ねると、おばさん曰く、「遊覧船が『いせ』に近づきます」
しかも、おばさんは海上から撮影した「いせ」の見事な写真を手にしています。「こんなに『いせ』に近づくんかぁ!?」。速攻で乗船を申し込みました。運賃は大人1500円子供750円です。

遊覧船は大和ミュージアム隣の呉中央桟橋から出発します。
結構大きな遊覧船で、50〜60人は乗れそうです。船室には窓ガラスがあるので一見撮影には不向きのように見えますが、後甲板に窓がないスペースがあるのと、艦艇に近づいて微速航行をしている時には屋根上の展望スペースに上がることができます。

船長と説明を担当する乗組員は海自の常装第2種夏服に良く似た制服を着ていますが、皆さん海自OBだということです。
遊覧船はクレイトンベイホテルの乗船場に立ち寄ったあと、呉湾の沖合いにいる「いせ」に向かってまっしぐらに突き進みます

約20ノットは出ているようです。遊覧船は激しく揺れ、窓のない後甲板にいた私は大量の波しぶきを浴びるはめになりました。望遠で「いせ」を撮影しようにも揺れて狙いが定まらないし、船から身を乗り出すと海に転落する危険さえあります。この遊覧船は、艦艇の近くに着くまでは大人しくしておいた方が良さそうです…。

それにしても最新鋭艦に向かって猛スピードで突き進むなんて…もし相手が「いせ」ではなく米海軍の空母や巡洋艦だったら、自爆テロ船と間違われて撃沈されるでしょうねぇ(苦笑)
沖合いに停泊しているDDH「いせ」の至近距離まで近づくことができました!受付のおばさんの言っていた事は本当でした(笑)
遊覧船は「いせ」に近づくと微速航行に変わりました。さっそく展望スペースに上がって撮影開始です。

3月16日にIHI・MU横浜工場で行われた自衛艦旗授与式以来の再会です。「いせ」は私に「余震と計画停電で大変な時に式に出席してくれてありがとう♪」と語りかけてくれているようでした。
震災直後で首都圏が大混乱している時に実施された「いせ」の自衛艦旗授与式でしたが、そのような中で出会った艦だけに、私の「いせ」に対する思い入れはひとかたならぬものがあります。当HPは「いせ」を強力に応援していきます!!
「これからゆっくりと艦を一周しま〜す」という案内とともに、遊覧船は「いせ」の周囲を回りはじめました。ただ余りに近すぎて「いせ」がうまくフレーム内に収まりきれません。できればもう少し離れて欲しいのですが…。

左舷後方からのアングルですが、この角度からも「いせ」の空母艦型をした特徴的な船体が良く分かります。キャットウォークやCIWSを設置したスポンソンがマニア心をくすぐります
艦尾には内火艇がつけられて乗組員が何か作業をしていました。ちなみに、内火艇を造っている工場は私の地元・大分にあり、しかも私の実家のすぐ近くにあります。長年海自マニアをしていますが、つい数年前までそのことを全く知りませんでした…。
遊覧船は右舷へ。こちらからは特徴的な艦橋構造物と煙突ヘリコプター管制施設の詳細が分かります。

3月の自衛艦旗授与式は右舷側で実施されたので、このアングルで「いせ」を見ると、感動し、なおかつ楽しかった式典を思い出します。式典後、IHI・MU横浜工場から旅立つのを見送った「いせ」が、いま再び目の前にいるのは何だか不思議な気分です。

「いせ」は自衛艦旗授与式終了後、IHI・MUを出港。横須賀に入港し、約一週間にわたり就役に必要な物資の補給を受けました。この様子を見た方が被災地支援の準備だと勘違いしたようで、一時ネット上で「いせ」が被災地へ向かうとの情報が流れました。
あまりに近いので艦橋に向かって「星山かんちょーぉぉぉ!!」と叫んでみようかとも考えましたが、祝日なので上陸している可能性も高いので思いとどまりました(笑)

沖合い停泊でも岸壁接岸時と同様、舷門からはラッタルが降ろされ、舷門には当直員が立っています。
遊覧船のお客さんが手を振ると、当直員の方々も手を振り返してくれましたが、沖合い停泊の艦艇に超至近距離まで近づいてくる遊覧船を、乗組員の方々はどのように感じているのでしょうかねぇ?それはともかく、遊覧船のお客さんたちは大喜びでした。
お客さんの大半は海自をよく知らないのでしょうけど、これを機に海自に興味を持ってもらえたらいいなと思います
遊覧船はいよいよ艦前方へ…「絶好の撮影チャンス!」と思っていたら、なぜか遊覧船は「いせ」から離れ始めました。
あ”ー!!
「さっき『いせ』を一周するって言ってたのに…」(涙)

なぜ遊覧船が「いせ」を一周せずに離れてしまったかは分かりませんが、操船を担当する船長さんのその時の気分で一周したりしなかったりする可能性が高いです。実際、この数日後に乗船したはるな氏のブログキャプテン・ファンファン氏のブログには正面からの画像が掲載されていますので、その時の船長さんの気分と潮流による「いせ」の向きが、正面からの撮影が出来るか否かの分かれ目となるようです。
少々へこんだ気分の私を乗せて、遊覧船は音戸の瀬戸へやって来ました。この遊覧船は海自艦艇だけではなく、呉随一の景勝地である音戸の瀬戸を楽しむことができるのも特徴です。

音戸の瀬戸は、本州(呉市)と倉橋島(音戸町)の間にある幅わずか90mの海峡で、1日に700隻もの船舶が往来する海上交通の要衝です。地元では、12世紀(平安時代)に平清盛が日宋貿易のために開削したと伝えられています。

赤いアーチ橋が本州と倉橋島を結ぶ音戸大橋。その北側では、音戸大橋の渋滞緩和を目的に第2音戸大橋(仮称)が建設中です。音戸大橋は広島在住時によく通りました。懐かしいな…。
遊覧船は音戸の瀬戸で折り返して呉基地へ。そこにはへこんだ気分が吹き飛ぶほどのパラダイスが待ち受けていました♪

この遊覧船、まるで海自艦艇かのように基地内の奥に入っていきます。以前乗った遊覧船は、基地内を遠慮気味に少し入るだけでしたが、今回は奥へ奥へと…。おかげで潜水艦や艦艇を至近距離で撮影することができます。

この潜水艦は「あらしお」(右)と3月に退役した「はやしお」です。
この「はるしお」型潜水艦は退役と練習艦への種別変更により、潜水艦籍にあるのはこの「あらしお」と横須賀の「わかしお」の2隻のみとなってしまいました。
潜水艦救難艦「ちはや」です。
排水量が5000tを超える大型水上艦艇ですが、潜水艦隊第1潜水隊群の直轄艦なので、通常は潜水艦桟橋に停泊しています。
潜水艦乗組員の救難が任務の艦
なので、艦長(一佐)と副長(二佐)はともに潜水艦艦長経験者が務めるという特殊な水上艦です。また就役時から女性隊員が乗組んでいるのも特徴です。

横須賀の第2潜水隊群には潜水艦救難母艦「ちよだ」がいます。「ちよだ」が救難に加え潜水艦への補給機能を有しているのに対して、この「ちはや」は救難に特化した艦となっています。
私の学生時代(約20年前)、この場所には「ふしみ」という小さくて可愛らしい救難艦が停泊していたのを思い出します。
「ふゆしお」です。3月に種別変更され練習潜水艦になりました。
「はるしお」型潜水艦は、1990年から7年間に7隻が建造されましたが、1番艦「はるしお」がおととし3月に退役したのを皮切りに、「なつしお」「はやしお」の計3隻が退役しています。

実は、私が一番好きな潜水艦はこの「はるしお」型なのです。
学生時代、広島湾を航行する姿を初めて見た時は「何て美しくてスマートな潜水艦だろう…」と感銘を受けました。「そうりゅう」型の就役により二世代古い旧式艦となってしまいましたが、私は涙滴型の美しい船体を持つ「はるしお」型が大好きです
新防衛大綱で潜水艦の増強が打ち出されたので、退役のスピードが遅くなってくれればと期待しています。
海自の潜水艦で異彩を放つ存在が、この「あさしお」です。
「はるしお」型最終艦として1997年に就役したこの艦は、就役からわずか3年後の2000年3月に練習潜水艦に種別変更されました。最新鋭艦の種別変更という異例の措置は、AIP機関の実用試験艦となるためでした。
この「あさしお」でAIP機関の有益性が実証されたことが、「そうりゅう」型での採用に繋がりました。

AIP機関を搭載するための改造工事で艦尾が9m延長され、全長は87mに達します。これは海自潜水艦の中で最長です。ちなみに「おやしお」型は82m、「そうりゅう」型は84mです。
涙滴型のスマートな船体が90m近い長さがあると、米海軍の原潜にも似た雰囲気を感じます。
こちらは最新鋭潜水艦「そうりゅう」型の3番艦「はくりゅう」です。
3月14日に就役し、配備先である呉には4月5日に入港したばかりのまさに最新鋭艦です。
「はくりゅう」の就役で、第5潜水隊は「そうりゅう」「うんりゅう」「はくりゅう」によるオール「そうりゅう」型による編成となりました。

「そうりゅう」型はAIP機関(非大気依存推進システム)X舵という新機軸を採用した海自潜水艦史上画期的な艦で、新世代艦としての期待を込めて艦名も「〜りゅう」へ変わりました
「そうりゅう」「うんりゅう」と続いたので次はいよいよ「ひりゅう」かと期待していたのですが、結果は「はくりゅう」。何だか関取のような名前ですなぁ(笑)
「はくりゅう」のセイルの側面をよく見ると、艦番号503が消された痕跡が残っています。
1番艦の「そうりゅう」はGW明けまで艦番号と艦名が記されたままでしたが、この「はくりゅう」は呉入港後にさっさと消してしまったようです。

なぜこの艦が「はくりゅう」だと分かったかというと、遊覧船の案内役の乗組員さんが説明してくれたからです。
さすが元海自隊員
ということで、艦番号も艦名表記もない潜水艦を見事に見分けます。説明もマニアも納得できるほどの内容ですが、こんなに詳しく潜水艦の説明をされると、機密も何もあったもんじゃないと思えるほどです(笑)
水上艦艇も堪能しました。まずはDE「とね」です。「せんだい」と同様、3月に佐世保から転籍してきました。
この3週間前に横須賀で見かけました。被災地支援に出ていたと考えられますが、任務が終了したのか戻って来ています。

かつては佐世保地方隊の顔であり、佐世保地方総監部のイベントで頻繁に乗艦した「とね」ですが、今は呉の艦という事がとても不思議です。
おととしまで「あぶくま」型DEが1隻もいなかった呉ですが、去年「あぶくま」が舞鶴からやって来て、今年は「じんつう」「とね」の2隻が佐世保から移って来たため、大湊と並んで3隻もの「あぶくま」型DEが在籍します。その一方で、佐世保と舞鶴は在籍がゼロとなりました。(横須賀は元々在籍なし)
「せとゆき」は満艦飾を実施していません。緊急事態に対処する指定艦なのかもしれません。

かつては「ゆき」型三姉妹で編成されていた第12護衛隊ですが、今では「ゆき」型は「せとゆき」のみとなりました。編成も「あぶくま」型三姉妹に「せとゆき」が加わるという形になっています。何だか「せとゆき」が寂しそうに見えるのは私だけでしょうか?

長年一緒にいた「まつゆき」は去年舞鶴へ、「やまゆき」は3月に横須賀へ移ってしまいましたが、代わりに「しらゆき」が練習艦として転籍してきました。なので、呉の「ゆき」型は「せとゆき」「しまゆき」「しらゆき」という新たな三姉妹となりました。
補給艦「とわだ」です。補給艦も大震災発生後にいち早く被災地に入り、救援物資の輸送に奮闘しています。
この3日後に横須賀に遠征したのですが、吉倉桟橋には「とわだ」がまるで私を追いかけて来たかのように停泊していました(笑)
燃料の補給や物資の積み込みを行っていたので、その後被災地に向かったものと思われます。

生活物資を満載した補給艦が沖合いに現れると、被災者の方々はさぞ心強く思うのではないでしょうかね。
縮小傾向にありますが被災地支援は今後も続きますので、補給艦のみならず参加艦艇の乗組員の方々は、体調に十分留意して頑張って欲しいと思います。
DD「さみだれ」です。おととしソマリア沖・アデン湾の海賊対処の第1陣として、「さざなみ」と共に派遣されたのは記憶に新しいところです。その「さざなみ」は3月15日に、「いなづま」と共に再びソマリア沖に派遣されました。海賊対処任務もいよいよ2巡目に入った模様です。

2巡目に入ったとはいえ、「こんごう」や「あたご」をはじめとするイージス艦「はたかぜ」型は派遣されていませんよね。やはり海外での長期間に及ぶ護衛任務では、「なみ」型・「あめ」型・「きり」型といった汎用護衛艦の方が使い勝手がいいからなのでしょうか?だとすれば、艦も限られるので結構早く2巡目が回ってくることになります。乗組員の方々も大変だなぁ…。
DE「せんだい」です。名前の響きだけを聞くと、震度6強の大震災で被害を受けた都市(仙台)のようですが、この「せんだい」の漢字表記は「川内」で、鹿児島県を流れる川内川(せんだいがわ)からの命名です。川内川は九州では筑後川に次ぐ2番目の長さを誇る一級河川です。

「せんだい」は帝国海軍の軽巡洋艦でも使用されていた武勲ある名前です。軽巡「川内」は5500t型の最終型・川内型の1番艦で、昭和16年の開戦時には第3水雷戦隊の旗艦を務めていました。

この「せんだい」をはじめとして「あぶくま」型DEの6隻は、全艦が帝国海軍の武勲巡洋艦の名を受け継いでいる点が魅力です。
輸送艦「くにさき」です。この角度から見ると、「ひゅうが」型同様に船体が空母艦型をしていることがよく分かります。
ただ「空母に似た形」をしていても、「ひゅうが」型がヘリ空母と呼ばれてもおかしくない設備を有しているのに対し、この「おおすみ」型はどう見ても空母みたいな形をした輸送艦です。

「おおすみ」就役時に「海自が空母建造!」と大騒ぎし、アジアの周辺諸国に「軍国主義復活への懸念」を表明させた一部新聞には、今さらながら呆れます(苦笑)

艦尾の半開きになっている扉はLCACの収容口で、艦内に収容されているLCACがほんの少しですが見えています。
遊覧船最後の見所は、戦艦大和を生み出した呉海軍工廠、現在のIHI・MU呉工場です。「大和のふるさと」という看板が出ている建物のある場所が大和を建造したドックの跡です。
残念ながら大和を建造したドックは、1993年に埋め立てられてしまって現在は残っていません。

今回乗船した呉湾観光遊覧船は、沖に停泊している「いせ」を撮影できただけではなく、呉基地内の艦艇を間近に見れたり、音戸の瀬戸の景勝を楽しめたりと、とても楽しかったです。
沖に「いせ」がいるかどうかは運次第ですが、呉に艦艇見学に訪れたら是非この遊覧船にも乗ってみてください。

お問い合わせは、泣oンカー・サプライ 082-251-4354 まで。

「いせ」や呉基地の艦艇を間近に見れる呉湾観光遊覧船。運賃1500円でマニアを夢の世界へ導きます。