横須賀地方総監部訪問&オータムフェスタ

前回のレポートで予告した横須賀地方総監への表敬訪問が10月20日に実現しました。
翌21日に開催されたオータムフェスタ(横須賀基地開放)の様子も併せてお伝えします。

この場所で横須賀地方総監の着任行事を撮影したのは夏の終わりでした。その時に着任した第50代横須賀地方総監・伊藤海将から表敬訪問のお時間をいただいたことから、約2ヶ月ぶりに横須賀を訪れました。これから総監部庁舎2階の総監公室へ向かいます。

地方総監に着任した伊藤海将を訪問するのは舞鶴・呉に続いて3ヶ所目ですが、海自で5人いる地方総監の中でも横須賀総監は「筆頭格」だけに、どのようなお話が聞けるのかとても楽しみです。因みに、横須賀地方総監が「筆頭格」である指標のひとつに国家公務員指定職ランクがあります。横須賀総監は指定職5号(省庁の主要局長と同等)ですが、呉は指定職4号舞鶴と大湊は指定職3号となっています。佐世保は横須賀と同じ指定職5号ではありますが、5号となったのは実は最近で、2017年までは指定職4号でした。このように、指定職ランクひとつを見ても、横須賀総監が他の地方総監より格上に位置付けられていることが分かります。


「お久しぶりです。お元気でしたか?」。多忙な業務の合間を縫って面会していただいたにも関わらず、伊藤総監は笑顔で私を迎えてくれました。伊藤総監にお会いするのは3月下旬に挙行された呉教育隊の終了式以来約7ヶ月ぶり、その間の8月29日に伊藤総監は呉から横須賀へとご栄転。着任当日、私はたまたま在京していたため、着任の様子をヴェルニー公園から撮影しました。さすがに着任当日や直後は訪問を控えましたが、着任から約2ヶ月が経過したことを勘案して、本日の訪問・面会をお願いした次第です。

横須賀の総監として約2ヶ月間職務にあたってきた伊藤総監ですが、アメリカ海軍との様々な「お付き合い」がある点が舞鶴・呉の総監とは大きく異なるとのこと。加えて、呉に匹敵する数の艦艇の後方支援、首都圏に所在するが故に格段に多い外部応対など、直接的な言及はありませんでしたが、横須賀地方総監の激務ぶりが言葉の端々から伝わってきました。本当にご苦労様です…。
総監のもとには報告や決裁のためにひっきりなしに総監部勤務の隊員が訪れます。私が伊藤総監に面会している間にも、総監室近くの待機スペースでは書類を抱えた3佐が面会が終わるのを待っていました。地方総監の多忙さを垣間見た気がしました。


幕僚長の國見将補を交えて記念撮影。國見幕僚長も伊藤総監と同じ8月29日に着任、前職は統幕報道官でした。制服の左胸にウイングマーク(航空徽章)が輝くように特技は回転翼(ヘリコプター)操縦士で、過去に第22航空群司令第21航空隊司令といったヘリコプター部隊の指揮官を歴任しています。横須賀総監部幕僚長は「海将5分前」のポストであることから(例外もあり)、國見将補は次の異動で海将に昇任する可能性も。その際のポストは航空集団司令官または教育航空集団司令官といったところでしょうか。

國見幕僚長は防大35期生私が高校の担任教諭に騙されずに防衛大学校に入校していたら同期だったであろう人です。騙された経緯も含めてその事を國見幕僚長に話したら、笑いながら「同期ですね」と言ってくださいました(感激!) そういえば、伊藤総監が舞鶴総監時代の幕僚長・吉岡将補も防大35期生でした。防大の期で3期違いというのは(伊藤総監は32期)、ちょうど総監と幕僚長の関係になる年次の開きのようです。ということは、私も海自幹部になっていたら伊藤総監の幕僚長になっていた可能性も…(妄想炸裂)

伊藤総監は表敬訪問の記念としてチャレンジコイン(=記念メダル)を毎回手渡してくれます。今回の訪問でも横須賀地方総監のチャレンジコイン(画像中央)をいただきました。両端の2枚は過去の訪問でいただいたもので、左が舞鶴地方総監右が呉地方総監のチャレンジコインです。こうして並べると、呉地方総監のコインが異様に大きいことが分かります。なぜこんなに大きいのでしょう?

表面のデザインは日本列島+自衛艦旗+桜錨+〇〇総監(日本語or英語)という点は共通していますが、描いている日本列島が舞鶴と呉は担当警備区域のみの描写であるのに対し、横須賀は列島全体を描いています。私の推測ですが、首都圏に所在する「筆頭総監部」として、警備区域(東日本)だけでなく日本全体を護るという意気込みを表現しているのではないでしょうか?


伊藤総監との面会を終えた私は吉倉桟橋Y-4に停泊しているDD「むらさめ」へ。実は今回の横須賀遠征は伊藤総監への表敬訪問だけでなく「むらさめ」を訪問することも目的でした。「むらさめ」はドッグ入りから戻ったばかりで、船体はサビひとつない美しさです。

護衛艦隊の中核を成す「むらさめ」型DDのネームシップ(1番艦)で、1996年3月に就役しました。就役時の強烈なインパクトが今なお忘れられないためか、「新鋭艦」のイメージが強いのですが、就役から27年もの歳月が経過しています。つまり艦齢は27年で、平成初期~中期の頃ならば退役してもおかしくない‟お婆さん”です。ところが、この「むらさめ」においては退役どころか代替艦の話題すら出ていません。言い換えれば、護衛艦として高品質かつ高性能で、歳月が経過しても陳腐化していないということでしょうか。

「むらさめ」の艦長は下岸2佐です。今回の「むらさめ」訪問は下岸艦長に面会することが目的でした。実は、下岸艦長は当HPの愛読者で、前々職の第2ミサイル艇隊司令時代に、公式発表がなく把握が難しい2佐以下の指揮官交代の情報などを度々ご連絡いただきました。「近いうちにご挨拶を…」と伝えていたのですが、コロナ禍で延び延びとなり、今回ようやく訪問&ご挨拶が実現しました。

下岸艦長は6月30日付で第2術科学校の外語教官室長から「むらさめ」艦長に就任しました。艦艇長としては「はやぶさ」型ミサイル艇の艇長を務めた経験はありますが、護衛艦の艦長はこの「むらさめ」が初めてとのことです。HPを通じて現職の海自隊員と知り合い、こうしてご挨拶や面会に行くことができると、苦労しつつもHPの運営を続けていて良かったと無上の喜びを感じます♪


下岸艦長にお会いした艦長室は、執務机の前方に応接セットがあります。応接セットは私のような来客者の応対のほか、副長ら艦の幹部との打ち合わせ等に使用されます。一方、執務机の背後には生活用スペース(私室)があり、艦長室全体では細長い形状の部屋となっています。この艦長室の構造は次型式の「たかなみ」型・「あきづき」型・「しらぬい」型でも踏襲されています。

細長い形状であるため広さは感じませんが、戦闘艦の内部にこれだけのスペースを有する個室持つのは、まさに艦長の特権といえるでしょう。艦長室は艦橋構造物の2階部分(01甲板)右舷側にありますが、左舷側には全く同じ形状の司令室があります。


下岸艦長の案内で艦内を見学させていただきました。まずは艦橋です。先ほどの艦長室同様に、航海用機器の配置を含めた艦橋内の基本的デザインは次型式以降の汎用護衛艦で踏襲されており、そのため艦齢が27年に達しているにも関わらずレトロ感はありません。私の記憶では、黒い天井を採用した護衛艦はこの「むらさめ」が最初だったと思います(それまでの天井は白色)。

27年間も現役で稼働しているにも関わらず、横須賀を母港としている「むらさめ」は、九州在住の私にとって9隻ある姉妹の中で最も縁が薄かった艦です。過去に実施された数々の艦艇公開で遭遇したことは一度も無く、唯一乗艦・見学することができた2009年のヨコスカサマーフェスタでは見学者のあまりの多さ故に写真もほとんど撮ることができず、早々に艦を降りざるを得ませんでした。その意味では、今回の下岸艦長の訪問は「むらさめ」との疎遠な関係を解消できたという点においても大きな意義があったといえます。


艦橋右舷側には艦長席があります。2佐の艦長を意味する赤青カバーが掛かった艦長席は、マニア歴が長い私でも見るたびに心が躍ります♪艦長席のカバーの色は階級に連動しているので、仮に下岸艦長が在任中に1佐に昇任したとすると、昇任発令日にカバーが1佐の艦長を意味する赤一色のカバーに交換されます。余談ですが、元海将補の渡邉直氏の著書「艦長を命ず」の中で、主人公の「ゆき」型DD艦長が1佐に昇任し、昇任当日の朝に艦橋に上がると席が赤一色に替わっていて感激する一場面があります。

左舷側の席には、何と!将官用の黄色カバーが掛かっています。「むらさめ」に乗艦する将官と言えば…第1護衛隊群司令です。つまり、現時点において「むらさめ」は第1護衛隊群の旗艦なのです。下岸艦長によると、横須賀所在の第1護衛隊の他艦は海外派遣や弾道ミサイル防衛といった長期に渡る任務で出払っているため、唯一横須賀在泊の「むらさめ」に群司令部が乗艦しているそうです。


艦橋から艦内に降りて第2甲板にある科員食堂へ。繰り返しになりますが、艦長室・艦橋と同様に、この科員食堂も形状広さ船体内における設置位置等が次型式以降のDDで踏襲されています。このように「むらさめ」型で確立され次型式に継承されている事象は多く、その意味では「むらさめ」型は汎用護衛艦の完成型艤装面におけるひとつの到達点といえるでしょう。

とはいえ、細かな部分では変更や改良も発生しています。本艦の科員食堂は中央列のテーブルにはソファー状の固定イスが設置されていますが、少なくとも4番艦以降は両端のテーブルと同じ可動イスに改められています(2・3番艦の食堂には行ったことがないため不明)。また天井の照明カバーは、経費削減のために5番艦以降は金属製からプラスチック製に変更されています。


科員食堂の艦首方向隣側には機関操縦室があります。室内では数人の機関科員が集まっていますが、実は私が訪問した日、「むらさめ」は停泊訓練を実施しており、機関科員は訓練での反省点や改善点などを話し合っていたようです。突然の艦長の出現に機関科員は少し驚いた様子でしたが、下岸艦長の「そのまま、続けて」の言葉で、真剣かつ熱の籠った話し合いが再開されました。

室内に設置されている制御盤ですが、画像左側がガスタービンエンジン用、右側がダメージダメージコントロール用です。各制御盤おいてモニターが増え、代わってスイッチ類やメーター類が少なくなったのも「むらさめ」型からのトレンドです。


戦時治療所」と記された部屋、何処だか分かりますか?意外に思うかもしれませんが、ここは士官室です。艦の戦闘時、士官室は戦時治療所となり、戦闘で負傷した隊員が運び込まれるのです。先に述べたように「むらさめ」は戦闘時を想定した停泊訓練中なので、士官室は戦時治療所となっているのです。士官室の応接スペースにはパソコンや資料などが雑然と置かれており、訓練の慌ただしさがひしひしと伝わってきます。また透明ケースに入れられた大量の医薬品も置かれており、戦時治療所の空気を醸しています。

もちろん、訓練が終われば入口の表記は撤去、医薬品も片づけられて、士官室は普段の幹部用食堂兼会議室兼休憩室に戻ります。もし護衛艦の士官室を訪問する機会があったなら、天井の照明機器に注目を。通常の照明に混じって病院の手術室にあるような特殊な照明が据え付けられているはずです。格調高い雰囲気の士官室で血まみれの負傷者の手術…あまり想像したくない光景です。


艦内の見学を終え、「むらさめ」を降りる前に記念撮影。下岸艦長、停泊訓練中の貴重な休憩時間にご対応いただきありがとうございました。「むらさめ」は今後しばらくは練度回復のための訓練が続き、練度回復後は海外派遣を含めた各種任務に従事することになります。護衛艦隊の中核艦として多忙かつ緊張した日々を送ることになると思いますが、下岸艦長率いる「むらさめ」のご安航とご活躍を心からお祈りいたします。何処かの港で艦艇公開や体験航海を実施する際には、ぜひ声をお掛け願います(笑)

思い返せば2017年の年明け直後、DD「たかなみ」の艦長に就任した坂井2佐(現1佐)を訪問し、今日と同じように挨拶のあと艦内を見学しました。その時から早や6年余りが経過したものの、今なお鮮明に記憶に残る良き思い出となっています。今日の「むらさめ」訪問も、末永く私の脳裏に残り続けることは間違いない― そのような思いを抱きながら「むらさめ」を後にしました。

翌日は横須賀地方総監部主催のオータムフェスタの開催日です。このイベントはヨコスカサマーフェスタという名称で毎年8月上旬に開催されていましたが、いつの頃からか開催時期が10月(=秋)に変更され、名称もオータムフェスタになりました。当イベントに私が最後に行ったのは2010年で、その時のあまりの暑さと人の多さに辟易して翌年以降は足が遠のいていました。そんな私ですが、たまたま伊藤総監と下岸艦長に面会のため横須賀に滞在していたので、13年ぶりに会場に足を踏み入れてみることにしました。

ヴェルニー公園近くのホテルに滞在していたので、午前6時50分頃には総監部(会場)近くにまで行くことができたのですが、何と!既に入場待ちの列ができているではありませんか!横須賀、恐るべし!!私は近くのホテルから徒歩数分で辿り着いたのですが、既に並んでいる方々はいったい何時に家を出たのでしょう?この現実を受け入れて私も列の一員に加わりましたが、このあとJR横須賀駅に列車が着くたびに大勢の人が押し寄せてきて、待機列も遥か彼方へと伸びていきました。いったい何なの、この人気は?

待機列の私の前には200人ほどが並んでいました。皆さん、朝早くからご苦労様です…。読書をしながら待つこと2時間余り、午前9時過ぎに無事入場することができました。まだ200人程度しか入場していないので逸見岸壁はスカスカ、周囲を気にすることなく撮影することができます。まさに「早起きは三文の徳」です。尋常ではない人混みで岸壁がカオスな状態になるのも時間の問題でしょうけど…。

逸見岸壁に停泊しているのはDD「まきなみ」FFM「くまの」です。オータムフェスタでの公開艦は「くまの」で、「まきなみ」はたまたま大湊から来航しているだけです。よって「まきなみ」の艦内公開はありませんが、大湊からの珍しいお客さんを見ることができるのはかなりの幸運ではないでしょうか?「まきなみ」は2011年までは佐世保籍の艦だったので、九州在住の私には身近な艦でした。2007年に実施された大分港での体験航海で乗艦し、約2時間に渡って別府湾クルージングを楽しんだ思い出深い艦です。

「まきなみ」と並ぶと小さく見えた「くまの」ですが、近くで見ると印象は一変、かなりの大きさを感じます。基準排水量は3900tあり、「あさぎり」型DDを400tも上回るのですから、それなりの大きさを有する艦なのですが、壁のようにそそり立つ船体が排水量以上の大きさを感じさせます。「くまの」には申し訳ないのですが、昭和の頃から海自艦艇を見続けてきた50代半ばのオジさんマニアには、この艦容には心が躍りません巨大な箱にしか見えません。やはり艦艇は様々な兵装が見えていないと…と考えるのは私だけでしょうか?

とはいえ、若者やライトなマニアにとっては近未来的なデザインの「くまの」は心躍る存在なのでしょう。「兵装が見えていないと…」などと言う私なんぞ「ただの老害」「頭の固いオヤジ」として一笑に付されてしまうかもしれません。これも時代の変化でしょうか…。
プラモデル好きでもある私は艦を見ると「この艦は見栄えの良いキットになるなぁ」などと考えてしまうのですが、「くまの」は作るのが簡単な艦といった印象。兵装がほとんど見えないのですから、船体を組み上げて塔型のマストを付ければ完成してしまいそうです。


さっそくですがゴムボートの体験搭乗に参加します。逸見岸壁の一角で乗船券を配布していたのですが、まだ入場者が少ないこともあって難なく乗船券を手に入れることができました。これも「早起きは三文の徳」ですね。しかし、落とし穴が隠れていました

乗船券は処分船と機動船の2種類を配布していたのですが、停泊艦の周囲をゆるゆると航行する処分船に乗るつもりが、誤って機動船の乗船券を受け取ってしまいました。よって、横須賀軍港の沖合までミサイル艇も真っ青の猛スピードを体験するはめに…。艦を撮影しようにもボートから振り落とされそうな凄まじい揺れ容赦なく降りかかる波しぶきで撮影どころではありませんでした
(涙)

それでも機動船が桟橋に接岸する直前にはスピードを落としての航行となったので、前日に訪問した「むらさめ」を水面近くのアングルから撮影することができました。なかなか精悍で魅力的な姿を捉えることができましたが、ロービジ塗装による締まりのない艦容は如何ともしがたいものがあります。「むらさめ」の自衛艦旗ですが、昨日の訪問時は停泊訓練中=戦闘中だったのでマストに揚がっていましたが、本日は土曜日で訓練を実施していないため、通常どおり艦尾の旗竿に掲揚されています

艦齢は27年に達しているのに全く古さを感じさせない艦容です。先に「むらさめ」型は「汎用護衛艦の完成形」と述べましたが、この洗練された艦容をとってみても完成形であることが実感できます。次々型の「あきづき」型以降のDDは艦容が少々アンバランスとなっているように思えることから、個人的には「むらさめ」型の艦容は完成形であると同時にデザインの頂点であると考えています。

私が本来乗りたかった処分船がゆる~く航行しています。間違っても沖合まで爆走することはなさそうです(笑)ただ、機動船の凄まじい揺れとスピードを体験できたのはそれはそれで貴重な経験だったと思えるので、結果オーライということにしておきます。

停泊する艦艇群と来場者を乗せて航行する処分船…この光景を目にしてコロナ禍によって途絶えていた艦艇イベントが帰って来たとの感慨を抱きました。私が今回オータムフェスタに足を運んだのは、悪夢のようなコロナ禍を乗り越えてイベントが再び賑わう光景を見たかったからかもしれません。コロナ禍前のように、今後各地で艦艇イベントが開催されることを大いに期待しています。


ここで、私が最後に足を運んだ13年前のヨコスカサマーフェスタ(現オータムフェスタ)を振り返ります。
逸見岸壁での公開艦はDDG「きりしま」で、加えて当時横須賀に前方配備されていた米海軍の駆逐艦「フィッツジェラルド」も公開を行いました
(画像左上) 日米のイージス艦の競演…いま考えるとかなり豪華な艦艇公開ではないでしょうか。

潜水艦の公開は当時最新型の「おやしお」が担当
(画像右上)現在主流の誰もが上甲板に上がる形式ではなく、事前抽選の当選者が艦内まで見学する公開でした。「おやしお」は2015年に練習潜水艦に種別変更され呉に転籍、2023年3月に退役となりました

前年に就役したばかりの砕氷艦「しらせ」も吉倉桟橋に停泊していました
(画像左下)ただこの時は公開は行われておらず、その威容を桟橋から眺めるだけだったような記憶があります。この画像を撮影している最中に突然背後から「大分から来たマニアの人ですか?」と声を掛けられました。その声の主は現在海自幹部(2尉)として艦隊勤務に邁進しているT君(当時13歳)でした。

当時は来場者の多さに圧倒されたのですが、いま改めて画像を見ると近年の殺人的な混雑ぶりとに比べると多少は余裕があるように思えます(画像右下) この時の人の多さが13年間も足を遠のかせる原因となったのですが、その13年間に混雑ぶりにさらなる拍車が掛かったということになります。来場者のいで立ちを観察すると、当時の会場には軍事オタク・艦艇マニアはいても二次元オタクや美少女キャラマニアはいなかったことが窺えます。つまり近年のカオスぶりの原因は某オンラインゲームですね(個人的な見解です)

今回のオータムフェスタに足を運んだのは、ある艦艇の貴重な出入港シーンを撮影できると考えたからです。その艦艇とは…特務艇「はしだて」です。特務艇という何やらよく分からない艦種ですが、分かりやすく言えば迎賓艇兼小型病院船です。私にとってこの「はしだて」は、「とわだ」型補給艦と同様に高度にマニアック化してしまったオタク心をくすぐる存在なのです。「はしだて」は今回のフェスタにおいて事前応募の当選者を乗せて計3回の体験航海を実施します。まさに出入港シーンを撮影できる絶好のチャンスです。

午前10時、「はしだて」が第1回目の体験航海へ出航します。艦橋上部の露天甲板やプロムナードデッキには大勢の乗艦者がいます。私は応募しませんでしたが、この体験航海には多数の応募があったのは間違いなく、乗船者の皆様は高倍率の抽選を見事に引き当てた幸運な方々です。どうか体験航海を楽しんできてくださいね♪ ところで、「はしだて」は2本の煙突を備えていますが、右舷側からしか排煙が出ていない事にご注目を。左舷側の煙突は艦容を優雅に見せるためのダミーなのです。


「はしだて」は速力を上げて一路沖合へ。体験航海ということでどの辺りまで行くのでしょうか?猿島の辺りまで行くのかもしれません
「はしだて」は1999年に就役、名前は日本三景のひとつ「天橋立」から命名されています。国内外の賓客や諸外国海軍の将官らを招いて会議や会食・懇親会を催す迎賓艇であると同時に、大規模災害時には大型艦が入港不可能な離島や僻地、水深が浅い港において小型病院船の役割を担います。したがって、本艇には折り畳み式の簡易ベッドと医療機器・医薬品が常時備蓄されています。

迎賓艇としては初代「ゆうちどり」二代目「はやぶさ」、三代目「ひよどり」に続く四代目ですが、三代目までは老朽化により第一線を退いた他艦種(掃海艇・駆潜艇)からの改装だったのに対し、「はしだて」は迎賓艇として初の専用設計艇となりました。できることならば、本艇の運用は迎賓艇だけであって欲しい、病院船として運用される日が来ないで欲しいと切に望みます。


「はしだて」の出港シーン、実はDD「ゆうぎり」の艦首部分から撮影していました。乗艦時には見学者はまばらだったのですが、「はしだて」の出港を撮り終えて振り返ると、夥しい数の見学者が押し寄せているではありませんか。早くも乗艦待ちの列もできているようです。残念ながら公開は上甲板のみですが、2層しかない低い艦橋構造物や巨大な箱型格納庫、林立する2本のマストなど、他型式では見られない特徴ある艦容を有する艦なので、見学者の方々はそれなりに楽しめるのではないでしょうか。

高さを抑えた(=低い)艦橋構造物は、トップヘビー気味だった「ゆき」型の反省を踏まえて重量軽減と低重心化を意図したものです。しかしながら低さ故に視界が効かず波浪時には波をもろに被ってしまうなどの弊害も発生して、「きり」型の評価を下げてしまう一因になってしまいました。とはいえ、マニア的な視点では身を低く構えたような「きり」型のシルエットは心躍るものがあります。


桟橋に降りて「ゆうぎり」を撮影します。「きり」型DDの特徴である鋭く尖ったクリッパー型艦首が素敵です♪「ゆうぎり」は8隻建造された「きり」型姉妹の3番艦で、1989年2月に就役しました。就役から12年間は横須賀が母港でしたが、2001年に大湊に転籍。その後の新型艦の就役に伴って地域配備の10番台護衛隊に配置換えとなり、2013年に横須賀に戻ってきました。いわゆる「出戻り艦」です。
隣に停泊している艦番号154「あまぎり」も「出戻り艦」ですが、こちらはスケールが大きく、2002年に横須賀から舞鶴に転籍したのを皮切りに、2012年に佐世保、さらに2018年に横須賀に転籍するという、日本列島を反時計回りに一周して横須賀に戻った強者です。


昨年(2022年)に策定された防衛力整備計画において、2027年度末までに「きり」型DDを3隻程度退役させることが決まっており、3番艦である「ゆうぎり」は退役の対象となる可能性があります。今のうちにたくさんの画像を残しておきたいと考えていただけに、今日はその絶好のチャンスとなりました。全国の「きり」型ファンの皆様、「きり」型の初期艦を撮影するなら今のうちですよ!

「ゆうぎり」が停泊している桟橋では、「ゆうぎり」乗組員である3人の海士くんが記念撮影の担当係を務めています。

彼らはインスタの画面を模した記念撮影用ボードを抱えながら、「記念撮影、いかがっすかー!」「インスタ映え、いかがっすかー!」と叫びながら、撮影参加者を募っていました。その勧誘の様子や撮影時のポージングがとても愉快で、撮影希望者のみならず「ゆうぎり」艦上の見学者からも声援が送られていました。彼らの働きで「ゆうぎり」周辺はコミカルな空気が漂い、多くの来場者の笑顔を誘っていました。今年のオータムフェスタのMVPは間違いなく「ゆうぎり」の海士くんです。伊藤総監、彼らを褒めてあげてください
(笑)

そうこうしているうちに「はしだて」が戻ってきました。あれ?出港してからまだ30分しか経っていませんけど…。己の経験から体験航海と聞いてかなり遠方まで行くのかと思ったのですが、実際は消磁施設の辺りまで行って反転したようです。もしかしたら時間的な制約があるのかもしれません。それにしても「はしだて」が航行する姿はとても優雅、さすがは「浮かぶ迎賓館」です

2010年夏に開催された伊勢湾マリンフェスタで「はしだて」の艦内を見学したのですが、少人数で艇を動かすために統合艦橋システム(IBS)が導入されていて、艦橋には従来の海自艦艇とは大きく異なるコクピット風の航海装置が並んでいました。近年相次いで就役している「もがみ」型FFMも省人化を目的にIBSを導入しており、その意味では「はしだて」はFFMのプロトタイプと言えるでしょう。


こちらが「はしだて」の艦橋です。従来の自衛艦艇とは全く異なるコクピットのような航海機器が導入されていますが、これらが少人数での運航を可能にする統合艦橋システム(IBS)です。左から機関員席操舵員席レーダー員席となっています。
私はまだ「もがみ」型FFMに乗艦したことがないのですが、「はしだて」と同様に省人化を目的にIBSを導入しているので、艦橋には「はしだて」のものをさらに進化・発展させた航海機器が並び、艦橋全体も似たような雰囲気になっているものと思われます。


「はしだて」は一旦吉倉桟橋の前方を通り過ぎて第2潜水隊群の潜水艦が停泊している付近まで航行(画像左上)、その後反転して(画像右上)吉倉桟橋Y1をめがけて近づいてきます(画像下)。ヴェルニー公園でも多くの人が「はしだて」の反転シーンを撮影しています。
3枚目の画像(下段の画像)は体験航海中の「はしだて」の後方に一般公開中の潜水艦が写り込む、まさに今回のオータムフェスタを象徴する一枚となりました。撮影しながら「こんな平和なイベント風景がいつまでも続いて欲しい」と願わずにいられませんでした。


「はしだて」の艇長が左舷側のジャイロコンパスの前で操艦の指揮にあたっています。実は出港前の撮影時に「見覚えのある人だな…」と気になっていたのですが、帰宅して名前を調べたところ、2018年7月に津久見港で輸送艇1号を見学した際に、艦内を案内していただいた当時の艇長でした。あれから5年余り、遠くからではありましたが、お元気な姿を見ることができて嬉しかったです。

「はしだて」の撮影を終えて逸見岸壁へと向かいます。途中、「くまの」と「まきなみ」を後方から撮影することができました。
後方から見ると、FFM(くまの)が汎用護衛艦(まきなみ)とは全く異なるコンセプト・運用思想で設計されていることが良く分かります。2隻の並びを前方から見た時には、「くまの」は「まきなみ」よりかなり小さく見えましたが、後方から見ると「くまの」は「まきなみ」に負けず劣らずの大きさのように感じます。加えて、「くまの」は船体の幅の割には上部構造物が低く抑えられていることが分かります。

「くまの」の最大船体幅は「まきなみ」よりも約1m短いだけですが、全長は18m短くなっています。つまり「くまの」=「もがみ」型FFMは、かなりずんぐりむっくりなプロポーションをしていると言えます。そのようなプロポーションを有する艦は速力の低下が懸念されますが、「もがみ」型では汎用護衛艦を遥かに凌ぐ高出力(70,000ps)で、30ノット以上の速力を実現しています。

逸見岸壁は大変な事になっていました!「くまの」の乗艦待ちで並ぶ人・人・人…岸壁の突端近くまで列が伸びているではありませんか!この時点で乗艦待ち時間は120分、つまり2時間待ちです。凄まじいほどの「くまの」の人気ぶりに度肝を抜かれました。因みに、画像は上から16枚目の画像とほぼ同じ位置・同じアングルで撮影しています。16枚目の約1時間40分後の状況がこの画像です。

この「くまの」人気を目の当たりにして、最初は某オンラインゲームの影響か?と考えたのですが、並んでいる人たちを観察するに、2015年頃をピークに各地の艦艇イベントに出現した二次元美少女オタクはあまりいないような印象を受けました。近未来的な新型艦「くまの」に純粋に関心を抱いていると思われる方々が大半のようです。もしかしたら、ニュース等で中華な大国が南シナ海や尖閣周辺で野心剥き出しの行動をしている事を知り、多くの人々が海上防衛に関心を抱いたのかもしれません。だといいのですが…

乗艦待ちの列を「くまの」の前方から眺めるとこんな状況です。この長く伸びる列を見て、私は即座に「『くまの』には乗艦しない」との決断をくだしました(笑) 10月下旬とはいえ、かなりの陽射しが降り注ぐ岸壁で2時間も並ぶのは健康面で悪影響があるのでは?皆さん、熱中症や脱水症状に十分注意して欲しいものです。特に帽子を被っていない人、直射日光を甘く見てはいけませんよ!

従来にはなかった全く新しいコンセプトで設計された「もがみ」型FFMですが、省人化をとことん突き詰めた点でも画期的な艦です。
省人化に関わる主な変更点は…

①「きり」型DDよりも大きな艦を、「きり」型の半分以下の乗組員(90人)で動かす
②艦の運航に関する一切の業務は統合艦橋システムを使って4人のみで実施する
③機関操縦室は設けず、機関の監視はCICで行う。艦橋でも速力の変更が可能
④幹部の食事は士官室ではなく、海曹士と同様に科員食堂で喫食する

などなど、従来型護衛艦の概念を覆すような省人化策を採用、「そこまでするか!?」との思いすら抱いてしまいます。隊員不足という未曽有の危機に何とか対処しようとする悲壮感すら感じます。言い換えれば、このような省人化を採用しないといけないほど隊員不足が深刻化しているということでしょう。私が「もがみ」型FFMに対して今ひとつ心が躍らないのは、のっぺりした単調な艦容だけでなく、隊員不足に対処するため省人化を突き詰めるというコンセプトにある種の後ろ向きさを感じてしまうことも理由です。


オータムフェスタの目玉のひとつ、潜水艦の公開は「なるしお」が担当しています。13年前のサマーフェスタの潜水艦公開と同じ「おやしお」型ですが、13年前が1番艦「おやしお」だったのに対し、この「なるしお」は6番艦です。就役は2003年なので艦齢は20年潜水艦としてはかなりの高齢です。「おやしお」型は長女の「おやしお」が退役、2番艦と4番艦が練習潜水艦に種別変更されているので、この「なるしお」も今後数年以内に第一線を退く可能性があります。ちなみに「なるしお」は渦潮の別名である鳴潮から命名されています。第2潜水隊群には「うずしお」(3番艦)も在籍していることから、横須賀には渦潮に因んだ潜水艦が揃っている事になります。

「たいげい」の就役によって「おやしお」型は2世代前の潜水艦となってしまいましたが、「おやしお」が就役した際(1998年)には、それまでの涙滴型船体とは異なる葉巻型船体を採用したスタイルに「新時代の潜水艦キター!」と衝撃を受けたことを覚えています。


「なるしお」の公開は、艦尾側のラッタルで岸壁から上甲板に渡る→上甲板を歩く→途中、ハッチから艦内を覗き込む→艦中央部のラッタルで岸壁に戻るという、現在の潜水艦公開で主流の方式。私はこの方式を勝手に「クジラの背渡り方式」と呼んでいます。
こちらも「くまの」に匹敵するほどの長蛇の列ができており、撮影時の待ち時間は約100分!案内の看板を見ると、一時は待ち時間が120分に達していた模様です。こちらは見学方式の特性上、列が進むのは速そうですが…。もちろん、私は並びません。

折しも人気漫画を原作とした映画「沈黙の艦隊」が各地の映画館で上映中であり、海自も撮影に協力したためか、乗艦用ラッタルの脇には映画「沈黙の艦隊」をPRするポップが置かれていました。この公開と映画で一人でも多くの若者に潜水艦を希望してもらえれば…海自のそんな願いをひしひしと感じます。ただいくら希望しても潜水艦適性がないと乗組めないのが痛し痒しですねぇ。

逸見岸壁には艦艇イベントの定番・募集コーナーが設けられていますが、神奈川地方協力本部のブースの隣に横須賀教育隊もブースを出展しています。このイベントに賭ける海自の並々ならぬ意欲が伝わってきます。伊藤総監は就任時に人材確保に向けた積極的な取り組みを重点項目のひとつに挙げていましたが、教育隊のブース出展は総監の意向が各部隊にしっかりと伝わっている顕れだと感じました。教官・教員が教育内容を説明したり、入隊間もない海士が教育隊での生活や感想を話していました。

因みに、伊藤総監はこのブース付近でスカジャンを着用して来場者に海自をPRしたとのこと。誠に残念ながら、私はその場面に遭遇することはできませんでしたが、総監がそこまでするのですから隷下部隊も頑張る訳です。まさに指揮官率先ですね!
↓【伊藤総監のスカジャンPRはコチラの記事をどうぞ】↓

護衛艦や潜水艦、海自艦艇に興味津々 横須賀基地で開放行事 動画 | カナロコ by 神奈川新聞 (kanaloco.jp)

伊藤総監の人材確保に賭ける並々ならぬ意欲に触発されたのか、開発隊群がブースを出展していました。開発隊群のブースなんて初めて見るなぁと思って隊員に訪ねたところ、群としてこのようなイベントにPRブースを出すのは初めてとのことでした。
開発隊群はその名称が示す通り、海自の新型装備品の運用に向けた研究開発装備品の実用試験装備品の性能調査などを主な任務とする部隊で、横須賀に司令部を置いています。マニアにお馴染みの試験艦「あすか」は、この開発隊群の隷下部隊である技術評価開発隊の所属になります。他には海上システム評価隊航空プログラム開発隊が隷下部隊に連なります。

私が訪ねた際には、説明役の幹部が小学生と思しき少年に訓練支援艦が搭載している標的機について説明していました。それなりに専門的な内容ではありましたが、少年は目を輝かせて説明を聞いるではありませんか。彼にはぜひとも将来技術幹部になって欲しいものです。少年期のイベントが入隊の契機になったという隊員も多いので、この少年は本当に技術幹部になるかもしれませんね。


岸壁の一角には名物オブジェ「ちびしま」が置かれています。「ちびしま」は私が横須賀のイベントに遠征を始めた2000年代初頭には既にフェスタの名物となっていました。2000年代初頭、もしくはそれ以前の1990年代後半から稼働しているのかもしれません。モデルは横須賀在籍のイージス艦「きりしま」ですが、「ちびしま」も「きりしま」と同様に長らく「横須賀の顔」として頑張っています。私が「ちびしま」を見るのも13年ぶりですが、その間に船体はロービジ塗装に変更されています。定期的にドッグ入りしているようです(笑)

驚くべきことに、私が知らぬ間に新たなオブジェが誕生しているではありませんか!その名は「こいずも」。言うまでもなくDDH「いずも」がモデルですが、横須賀出身の小泉純一郎
首相(もしくは小泉進次郎環境相)の名前と掛けていると思ってしまうのは考えすぎでしょうか?そんな「こいずも」ですが、実艦に先駆けてF-35戦闘機の運用が始まっているようです(笑)

今回の横須賀遠征は伊藤総監への表敬訪問「むらさめ」下岸艦長へのご挨拶、そしてオータムフェスタと盛りだくさんの内容となりました。オータムフェスタの賑わいからコロナ禍前の艦艇イベントが戻ってきたと感じるとともに、多くの人たちがそれを待ち望んでいたことも実感しました。一方で、未曽有の人材難に対処すべく伊藤総監を筆頭に横須賀地方隊が並々ならぬ意欲でイベントを開催し、人材確保を図ろうとする姿勢も伝わってきました。願わくば、オータムフェスタに来場した人々の中から一人でも多くの入隊希望者が出で欲しいものです。伊藤総監、下岸艦長、そしてオータムフェスタに関わった隊員の皆様、大変お世話になりました。

総監・艦長を訪問した後はオータムフェスタを楽しむ…私のマニア活動もコロナ禍前の状態に戻りました。