佐世保シーサイドフェスティバル2012 |
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夏の遠征第5弾は佐世保にやって来ました。毎年、8月一週目の週末はヨコスカサマーフェスタか佐世保シーサイドフェスティバルかで迷うのですが、今年も去年に引き続き佐世保を選択しました。午前9時前に佐世保基地倉島岸壁の対面にある岸壁に到着、ここで体験航海を実施する護衛艦の出港風景を撮影するのです。この岸壁ですが、去年撮影を行った岸壁から700~800mほど佐世保湾寄りに位置します。遠方に護衛艦と掃海艇が泊まっているのが見えますが、その場所が海自倉島岸壁です。 それにしても暑い!まだ午前9時だというのにこの暑さは何なんでしょう。絶好の撮影日和ではありますが、気を付けないと熱射病で倒れる恐れがあるほどの灼熱状態です。 |
午前9時30分、体験航海が始まりました。軽やかな出港ラッパの音とともに倉島岸壁を出港したのはDD「はるゆき」です。 去年はこの「はるゆき」と「いそゆき」が体験航海を実施しましたが、今年は「はるゆき」のみ。「いそゆき」は倉島岸壁でお留守番です。予算的な問題?それとも人員的な問題でしょうか? 「はるゆき」ですが、この夏は佐世保以外に姫路や宿毛など各地で精力的に一般公開や体験航海を実施していて、「いせ」「しらゆき」と並ぶ「2012年夏の広報MVP艦」といえそうです。さらに、姉妹艦の「みねゆき」「さわゆき」「いそゆき」「やまゆき」も各地の艦艇イベントに参加。ベテラン艦たちが頑張っている姿は嬉しいと同時に元気づけられますね! |
「はるゆき」は撮影する私の前を通り過ぎ佐世保湾内へ。佐世保湾の出口辺りまで行くようです。 甲板上にいる乗艦者の数が少ないように思えますが、あまりの暑さゆえに、皆さん艦内に入っているのでしょうね。灼熱の甲板上で「丸焼け」になるのも体験航海の醍醐味ではあるのですが…(笑) 今年の夏は各地で広報に頑張っている「ゆき」型の各艦ですが、私自身も5月末の「さわゆき」、7月末の「みねゆき」、そしてこの「はるゆき」と「ゆき」型の撮影が多くなっています。「ゆき」型は今後数年間で退役が進んでいくのですが、退役後に「あの時撮影しておけばよかった…」などと後悔しないためにも、今のうちに可能な限りその雄姿を写真に収めておこうと思っています。 |
「はるゆき」が体験航海を実施している間に倉島岸壁に移動、今度はここから入港シーンを撮影するのです。 岸壁では「ありあけ」が一般公開を実施していました。「ありあけ」といえば、一昨年の別府港でのイベント以来とても親しみのある艦であり、DDH「いせ」と並ぶ私の推し艦でもあります。 これから「ありあけ」に乗艦するのですが、見学が目的ではありません。「ありあけ」は一昨年の別府、そして去年の下関と既に存分に見学・撮影しています。今回の乗艦の目的は、「ありあけ」の甲板上から入港してくる「はるゆき」を撮影するためです。つまり「ありあけ」を撮影台代わりに使ってしまおうという訳です。「ありあけ」さん、ごめんなさい!! ちなみにこの日の「ありあけ」は、上甲板のみの公開でした。 |
夏の陽射しが猛烈に降り注ぐ「ありあけ」の甲板上で「はるゆき」を待っていたら、湾内を爆走する船の姿が…。おぉ!瀬川汽船が擁する佐世保湾の超特急便・「せがわ号」ではありませんか。 私が3月に乗船した際にはミサイル艇顔負けの爆走ぶりで度肝を抜かれた「せがわ号」ですが、相変わらず白波を蹴立てて爆走しています(笑) 私は二階部分にあるテラスで就役直後の「あきづき」を撮影しようとしたものの、あまりにも揺れが激しいために海に転落しそうになりました。今日はテラスで勇猛果敢に撮影に挑むマニアはいないようです(笑) その爆走ぶりとマニアに対する配慮の無さが魅力の瀬川汽船。マニアの皆様、佐世保にお越しの際にはぜひご乗船を! |
「せがわ号」が駆け抜けって行った余韻も冷めやらぬ数分後、「はるゆき」が戻ってきました。「せがわ号」の爆走を目の当たりにした直後だけに、「はるゆき」の航行がとてもゆるく見えます(笑) 「はるゆき」は「ゆき」型DD7番艦で、同6番艦の「いそゆき」、11番艦の「あさゆき」、それに「あぶくま」型DE4番艦の「せんだい」とともに第13護衛隊を編成しています。10番代護衛隊は地域配備部隊で、かつての地方隊傘下の護衛隊時代同様、その警備区域の哨戒を主任務としています。特に佐世保を本拠地とする13護隊は、海洋進出を目論む中国と睨み合う海域を担当するだけに、5つある地域配備護衛隊の中で最も重要な役割を担っていると言っても過言ではありません。 |
時には我が領海近くを航行する中国艦船と対峙することもある「はるゆき」ですが、体験航海で大勢の市民を乗せて航行する姿は、休日に我が子と遊ぶ企業戦士(艦は女の子だからキャリアウーマンか?)のように見えます(笑) 一方で、倉島岸壁に姿が見えない「あさゆき」と「じんつう」は哨戒任務のため出港していると思われます。一見、平穏に見える我が国の周辺海域ですが、10番代護衛隊所属艦の地道な活動によって平穏が保たれていることを忘れてはいけないと思います。 その戦略的重要性により、佐世保には2つの10番代護衛隊が置かれていましたが、2010年度末に1個隊に削減されました。中国海軍の海洋進出が目覚ましい昨今の情勢を考えると、時代に逆行する措置だったと言わざるを得ません。 |
2隻の曳船の力を借りて「はるゆき」は180度回頭し接岸します。 曳船はYT74とYT78です。曳船が小さな体で大きな護衛艦を懸命に押す姿は迫力満点、見ていると何だか元気が湧いてきます。 「はるゆき」は1985年3月に就役、第1護衛隊群第43護衛隊に配備されました。12年間横須賀を母港としていましたが、1997年に第4護衛隊群に編成替えとなったことから呉に転籍、さらに2000年3月に佐世保地方隊に編成替えとなり佐世保に転籍しました。 特筆すべきは歴代艦長で、1992年8月から約1年半、杉本前海上幕僚長が艦長を務めています。「ゆき」型と「あぶくま」型は、のちに海幕長や司令官・総監といった要職に就く幹部が2佐時代に艦長を務めることが多いのも特徴です。 |
「はるゆき」は曳船に押されながらゆっくりと「いそゆき」に近づき接舷します。「はるゆき」の甲板で入港作業にあたっている隊員が白の第三種夏服なのに対し、「いそゆき」艦上の隊員は休日(当直)体制ということもあり青い作業服なのにご注目。 ↑の画像、私には「はるゆき」が「お姉ちゃん、ただいまぁ~!」と言っているように見えます(笑) 「いそゆき」ですが、就役は「はるゆき」より2か月早い1985年1月で、部隊所属歴は「はるゆき」と全く同じです。つまり両艦は就役以来27年あまりずっと一緒なのです。何と仲の良いことでしょう! 私が将来の海幕長候補と考えている前7護隊司令(現海幕補任課長)の伊藤1佐も、かつてこの艦の艦長を務めています。 |
「はるゆき」の撮影終了後、「ありあけ」を下艦。続いて私が向かったのは、同じ倉島岸壁にある支援船桟橋です。港内をクルーシングする曳船から佐世保在泊艦艇を撮影するのです。佐世保警備隊が実施する曳船クルーシングと水中処分隊によるゴムボートの体験乗船は、佐世保シーフェスの名物とも言えるもので、受付には乗船を申し込む長蛇の列ができていました。 港内クルージングを担当する曳船はYT74です。おや?さきほど「はるゆき」の出入港を支援していた曳船ではありませんか。出入港支援にクルージング、YT74は働き者だなぁ。YT74は各基地で頻繁に見かける260t型の1隻です。佐世保には260t型がこのYT74のほかに、YT58(1番船)・YT69・YT70・YT78・YT84の計6隻が配備されています。 |
支援船桟橋を出港後、最初に目に入って来たのは掃海艇です。「ひらしま」「やくしま」「たかしま」の「ひらしま」型全3隻で、この3隻で掃海隊群第2掃海隊を編成しています。「ひらしま」型は海自創設以来長らく続いた木造掃海艇最後の型式で、次型式の「えのしま」型からは船体がFRP(繊維強化プラステチック)製となりました。 次型式が登場したとはいえ、「えのしま」型は基本設計や搭載している掃海具は「ひらしま」型と同じで、「ひらしま」型のFRP版というべき艇なので、この3隻は実質的には最新鋭の掃海艇と言えます。FRPの採用により、掃海艇の耐用年数は従来の1.5倍に相当する約30年に延びました。FRPの採用は時代の流れなのでしょうけど、個人的には温かみを感じる木造掃海艇の方が好きですね…。 |
続いて見えて来たのは「はるゆき」と「いそゆき」です。 数十分前に体験航海から戻ってきた「はるゆき」ですが、もうすっかり乗艦者の姿は消え、休日の骨休み状態となっています。 護衛艦8隻+ヘリ8機という「八八艦隊構想」を担う艦として建造が進められた「ゆき」型ですが、この「はるゆき」が1985年3月に就役したことによって初めて八八艦隊が実現しました。初の八八艦隊となったのは第1護衛隊群で、直轄艦「しらね」+第61護衛隊(「あまつかぜ」「あさかぜ」)+第41護衛隊(「はつゆき」「しらゆき」「さわゆき」)+第43護衛隊(「いそゆき」「はるゆき」)という陣容でした。この八八艦隊の誕生により、当時は「海自はアジア№1の海軍になった」などと言われたものです。 |
1護群が八八艦隊になった翌年(1986年)、第2護衛隊群に「やまゆき」と「まつゆき」が配備され、2護群も「ゆき」型4隻を擁する八八艦隊に近い編成となりました。陣容は直轄艦「くらま」+第62護衛隊(「たちかぜ」「さわかぜ」)+第42護衛隊(「みねゆき」「はまゆき」)+第44護衛隊(「やまゆき」「まつゆき」)という7隻で、正確には七七艦隊というべき編成です。 この時点では「ゆき」型は9隻が就役していましたが、1群と2群の八八艦隊化を優先した結果、3群と4群には「ゆき」型が1隻もなく、両者に大きな戦力差ができてしまいました。よって、当時は1群と2群がシーレーン防衛にあたる外航グループ、3群と4群が本土沿岸周辺の防衛にあたる内航グループに分けられていました。 |
曳船は「ありあけ」の前方へ。夏らしい空と茶色の壁面が美しい海自倉島庁舎を背景に「ありあけ」を撮影しようとしたところ、突然爆走するゴムボートがファインダー内に入り込んできました。一瞬、「瀬川汽船か?」と思いましたが、それにしては船体が小さ過ぎます。実は佐世保水中処分隊の隊員が操るゴムボートでした(苦笑) 「ありあけ」は、就役以来の9年間で3度も年度優秀艦に選ばれており、特に2009年度と2010年度は2年連続で年度優秀艦の栄誉に輝きました。まさに精強な護衛艦の代名詞のような艦です。私が少年時代に初めて作った艦船模型(WLシリーズ)が駆逐艦有明だったことから、「ありあけ」には強烈な愛着を感じます。ちなみに、私は自室に「ありあけ」と「いせ」のポスターを飾っています♪ |
曳船は佐世保所属の大型艦が接岸する立神桟橋へ近づきます。立神桟橋は2群旗艦の「くらま」やイージス艦、大型DD、補給艦等が接岸する海自佐世保基地のメイン施設ですが、米海軍基地内に完全な間借り状態となっています。よって、撮影しようにも近づけないのが実情で、私が九州に住んでいながら佐世保を訪れる回数が少ないのはこのことに起因しています。 米海軍基地内だけに、海自護衛艦と米海軍艦艇が至近距離で並んで停泊していることもしばしばです。↑はイージス艦「ちょうかい」(左)と米海軍の強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」です。両艦とも一般公開が実施されていますが、私は米海軍艦艇には全く興味がないので公開には行きませんでした。移動も面倒くさかったし…。 |
「あけぼの」「あきづき」「しまかぜ」の3隻が並んで停泊しています。この後ろ姿を見ても、いかに「あきづき」が特異な艦容をしているかがお分かりになると思います。ホント、変な形です(笑) ミサイル護衛艦(DDG)といえば、かつてはDDHと並んで大型護衛艦の代名詞でしたが、汎用護衛艦(DD)の大型化によってDDGがそれほど大きな艦に感じなくなりました。←の画像でも、「しまかぜ」よりも「あきづき」と「あけぼの」の方が大きく見えます。 2007年から佐世保を母港としている「しまかぜ」ですが、佐世保にいる姿を見ることができるのもあと僅かとなりそうです。というのは、今年度中に横須賀に転籍することになっているのです。就役後に舞鶴に配備された「しまかぜ」ですが、舞鶴→佐世保→横須賀と母港が日本列島を半周することになります。 |
立神桟橋に停泊中の艦の最後は補給艦「はまな」です。「とわだ」型補給艦の最終艦(3番艦)で、1990年2月に就役しました。いま現在、私と最も相性が悪い艦で、ギャラリーにある画像は僅か5枚、これまでなかなか撮影の機会に恵まれませんでした。 後方からのアングルとはいえ、やっと巡ってきた撮影チャンスです。ここぞとばかりシャッターを切っていたら、またしても水中処分隊のゴムボートがフレームインしてきました…。こらぁー!邪魔しないでぇぇぇぇ!!(怒) 補給艦はイベントに参加する機会が少ないですし、しかも「はまな」は佐世保の所属艦…。今後も「はまな」を撮影する機会にあまり恵まれそうにない気がします(涙) 来月実施される観艦式に参加してくれたら嬉しいのですが…。 |
佐世保水中処分隊の隊員が乗ったゴムボートですが、曳船が出港して以来、ずっと後方を航行しています。時には豪快なスピードで曳船の周囲を爆走したり、時にはカメラのファインダーに飛び込んで撮影の邪魔をしたりと縦横無尽、やりたい放題です(笑) 水中処分隊の方々ですが、ヒマなのでイベントを盛り上げるためにゴムボートで爆走するパフォーマンスを演じているのかと思ったのですが、よくよく考えてみると、曳船から乗船者が海に転落した際に救助を行うために後ろから付いて来ていたのですね。失礼しました…。それにしても、水しぶきを上げながら海面を滑るように航行するゴムボートはとても楽しそうだなぁ♪ 隊員さんも監視・救助という任務を忘れて楽しんでいるように見えます。乗ってみたい! |
ということで、曳船による港内クルージングが終了後、ゴムボートの体験乗船に参加しました。 曳船の周囲を爆走していた水中処分隊が実施するイベントですが、ゴムボートは先ほど見た物よりかなり小さめです。これに乗れば海面を爆走するスリルを味わうだけではなく、水面すれすれの低い位置から艦艇の迫力ある姿を撮影できそうです。このゴムボート体験、曳船のクルージング以上に人気を集めていて、受付から乗船まで30分近く待ちました。 ボートは4人乗りですが、私と一緒にボートに乗ったのはどう見ても海自や艦艇に興味を持っているように見えないカップル。カップルがデートで艦艇イベントに来るようになったことに、時代の変化を感じます。カップルにしたらコアなマニアとの乗船は嫌だったでしょうけど…。 |
ゴムボートは、まずは「ひらしま」型掃海艇のそばを通過します。おぉっ!水面すれすれの位置から見る艦艇は大迫力。小さな掃海艇がまるで戦艦のような迫力で迫ってきます。私の後ろに座っている
カップルも大はしゃぎです(苦笑) この艇は1番艇の「ひらしま」ですが、船体を近くで見ると綺麗な木目がよく分かります。やっぱり掃海艇はFRP製ではなく、船体に美しい木目が現れる木造の方が味わいがあります。 掃海艇の材質が木からFRPに変わったのは、耐用年数の長期化による調達コストの削減が最大の理由と考えられますが、木材を加工してこれだけ大きな船を作る職人技が途絶えてしまうのは、とても残念というか、一抹の寂しさを感じます。 |
ゴムボートは3隻の掃海艇の前方へ。いつもは小さくて可愛く感じる掃海艇ですが、水面から見上げるとなかなかシャープで精悍な佇まいです。こんな水面近くからの位置から撮影できるなんて、ゴムボート体験乗船のお蔭です。通常ならこんなアングルは、カメラを持ったまま海に転落しなければ実現しませんからね(笑) 「ひらしま」型は基準排水量570t、全長57m、全幅9.8mと、掃海艇にしては随分と立派な体格です。船体の大きさだけでなく、掃海具も国産の新型掃海具S-10を搭載していて、1991年のペルシャ湾掃海派遣から20年あまりの時を経て、海自掃海艇はこの「ひらしま」型で完成形に達したと言えるでしょう。 |
続いて目の前には「はるゆき」の艦尾が…。「ゆき」型の複雑な船体後部の形状が、水面すれすれの位置から見ると言葉にできないくらいカッコいい!!風にはためく自衛艦旗と相まって、まさに「軍艦」といった雰囲気です。こうして見ると、船体が艦首から艦尾にかけて微妙な曲線を描いていることが良く分かります。 海自最初の八八艦隊が実現するきっかけとなった「はるゆき」ですが、現在建造中の「あきづき」型3番艦・4番艦が就役するのに伴って、来年度末に退役する予定です。つまり、「はるゆき」の姿を見ることができるのも、あと1年半程度ということになります。 「ゆき」型前期艦の退役が進む一方で、後期艦には艦齢延長工事が施され、なおしばらくの間現役にとどまります。 |
続いては「ありあけ」を後方から。↑の画像と比較すると、「むらさめ」型DDの艦尾形状がいかにスッキリしているかがお分かりになると思います。逆にスッキリし過ぎていて、このアングルからだと断然「ゆき」型の艦尾の方が迫力と軍艦らしさを感じます。 「ありあけ」は漢字で書くと「有明」。「有明」とは夜明けのことで、東京都江東区の有明でも九州の有明海でもありません。 同系列の名前を付けるのが原則のDDにおいて、途中で名前のネタが尽きてしまった「むらさめ」型ですが、雨ネタが尽きたあと何故8番艦に「あけぼの」、9番艦に「ありあけ」という、共に「夜明け」を意味する名前を付けたのでしょう?「雨が降った後に夜が明けた」という解釈でしょうか?かなり強引な解釈ですが…(苦笑) |
「ありあけ」の艦首部分。まるでそそり立つ巨大な壁のようです。 ゴムボートを操船する水中処分隊の隊員さんも、「普段はこんな角度から護衛艦を見れないでしょ」と少し得意気に話しながら、艦の至近距離まで近づいてくれました。「109」という艦番号は、まるで渋谷にあるファッションビルみたいです(笑) 「ありあけ」という艦名ですが、「夜明け」を意味する言葉で縁起がいいとあって、帝国海軍・海自双方で好まれている艦名です。海自では2代目、海軍時代も含めると4代目になります。先代の「ありあけ」は、1959年に米海軍から貸与された駆逐艦「ヘイウッド・L・エドワーズ」で、約15年間「ありあけ」として我が国の海上防衛の第一線に立ちました。 |
ゴムボートは「ありあけ」の艦首をかすめるように通り過ぎたあと、三浦埠頭にやって来ました。ここには海上保安庁の巡視船「ちくご」が接岸し、一般公開を行っています。三浦埠頭は海自の施設ではなく民間の埠頭で、近くには離島行きのフェリーや瀬川汽船が発着するフェリーターミナルがあります。また、JR佐世保駅も歩いて数分の距離にあります。背後に見える高架は西九州道です。 埠頭に大勢の人の姿が見えますが、実は佐世保シーサイドフェスティバルのメイン会場はこの三浦埠頭で、様々なイベントが開催されているほか、たくさんの露店が出展していて大賑わいです。 去年、ミサイル艇「しらたか」と掃海艇「やくしま」を見学・撮影したのもこの埠頭です。 |
ゴムボートは三浦埠頭で折り返し、海自倉島岸壁に向かいます。途中、再び「ありあけ」の前方を横切る形で通過したのですが、あまりに近過ぎて艦がフレームに収まりません…。何とかして「ありあけ」の全身を入れた一枚が↑ですが、岸壁も水面も斜めに写った変な構図になっていまいました…(汗) ゴムボートは、実は水面を高速で航行しているため猛烈に揺れていて、ボートに付いている取っ手につかまっていないと海面に落ちそうなほどです。それでも私は取っ手から手を離し果敢に撮影に挑みましたが、案の定、ボートから海面に落ちそうになり水中処分隊の隊員さんに助けてもらいました。瀬川汽船の場合といい、どうやら私は佐世保の海と相性が悪いようです。 |
続いて、「いそゆき」「はるゆき」の前方に。低い位置から見る前方からのアングルもとても力強くて素敵です。 普段とは異なるポジジョンから「ゆき」型DDを見て、改めてその造形美を再認識しました。1980年代、性能面において諸外国海軍の駆逐艦に追い付いたと言われた「ゆき」型ですが、造形面においても他国海軍の駆逐艦を凌駕した艦であることを実感しました。 「ゆき」型後期艦が艦齢延長工事を施されて、しばらく現役にとどまるのはマニアとしては嬉しい事ですが、ただ日進月歩で技術が進歩する現代において、艦齢が30年近い多数の艦が海上防衛の第一線に立たなければならないというのは少々不安を感じます。やはり、きちんと艦艇建造費を確保し、新型艦と入れ替えることをしないと、護衛艦隊の戦力は低下するのではないでしょうか。 |
ゴムボートが支援船桟橋に戻りましたが、桟橋前にはゴムボートと曳船の乗船を希望する人たちの長い列が出来ていました。相変わらず、すごい人気だなぁ…。 中国の海洋進出や竹島・尖閣諸島をめぐる問題で、我が国の海上防衛は俄かに緊迫の度合いを高めています。来場者の殆どはレジャー感覚でこのイベントに来ているとは思いますが、これを機に少しでも海上防衛に関心を持っていただきたいものです。 「はるゆき」の出入港シーンに加え、曳船とゴムボートから佐世保の艦艇を撮影できて大満足!天気も良かったし言う事なしです♪ 大戦果に満足したのと、炎天下での移動が面倒くさかったこと、そして何よりも米海軍艦艇に興味がないことから立神桟橋の見学には行かずに帰宅しました。瀬川汽船も今回は遠慮しました(笑) |