佐伯湾 第1護衛隊群入港 |
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目の前に広がる朝焼けが美しい穏やかな海は、大分県南部にある佐伯湾です。ここは宿毛湾と並ぶ帝国海軍の艦隊作業地として有名だった場所で、真珠湾攻撃を実施した空母「赤城」をはじめとする機動部隊もいったんはこの佐伯湾に集結、その後最終集合地点の単冠湾に向かいました。 現在も海上自衛隊の作業地となっており、湾内に停泊する艦艇の補給や支援を行うための佐伯基地分遣隊が所在しています。 時刻は午前7時。なぜ私が早朝からこの場所にいるかというと、知り合いの海自隊員から訓練の事前準備のため第1護衛隊群全8隻が佐伯に入港、うち半数の4隻が岸壁に接岸するという情報がもたらされたためです。「本当かなぁ~」と半信半疑で眠い目をこすりながら愛車を飛ばしてやって来たのです。 |
海自は四国沖に訓練海域を設けていて、海演や群集合訓練などの大規模な訓練は四国沖で実施することが多いようです。訓練前の集合・準備・補給、さらには訓練終了後の休養のために艦艇はこの佐伯湾に入港、その数は年間約300隻にも達します。四国沖の訓練海域を舞台に例えるなら、この佐伯湾は楽屋・控室のような場所なのです。 さっそくカメラ(α77&α77Ⅱ)をセットアップして試写を実施。おぉ、朝焼けの中の入港シーンがいい感じで撮れそうです♪ 佐伯湾周辺には多数の工場があり、さらに漁港や離島・四国航路のフェリー乗り場もあるため、湾内は大小さまざまな船舶が行き交います。事前に各方面に注意喚起は行われますが、作業地とはいっても海自が我が物顔で使える訳ではありません。 |
到着後すぐ、高いマストを持つ護衛艦とおぼしき米粒のような艦影が水平線上にあったのですが、15分後にはその艦影ははっきりと護衛艦の形になり、数も1隻2隻3隻と増えていきました。間違いない!やっぱり1群は入港するんだ!!わーい♪♪ 艦影がはっきりしてきたので、艦を識別できるようになりました。先頭は…意外にも「しまかぜ」のようです。次いで「こんごう」、さらに「むらさめ」型DDが続いています。今回の群集合訓練では護衛艦隊司令官が統裁官を務めるので、司令官が座乗した「ひゅうが」が真っ先に入港してくると予想していたのですが…。そういえば、「ひゅうが」の特徴ある箱型の艦影は見えません。さらに、水平線上の艦影も7隻から増えません。おや?この艦隊に「ひゅうが」は同行していないのかな? |
水平線の艦影が明確になってきたと同時に、佐伯基地分遣隊の桟橋から曳船が2隻出港して行きます。佐伯基地分遣隊の支援船は水船YWと交通船YFしかないので、今回の入港のために呉からYT73とYT76が出張してきています。 2日前に2隻のYTと防舷材が分遣隊に到着しているのを見て、佐伯市民の中には多数の艦艇が入港することを察知した人もいたようです。当HP掲示板の常連さん「水の子灯台さん」もそんな一人です。 佐伯は九州ではありますが、呉から外洋へと向かう艦艇が通過する豊後水道に面しているため呉地方総監部の警備区で、佐伯基地分遣隊も呉警備隊の隷下部隊です。逆に、下関基地隊は本州にありますが、佐世保警備区の関門海峡に面しているため佐世保地方隊の隷下部隊となっています。 |
艦影はカメラの望遠レンズではっきりとその姿を確認できる距離まで近づいてきました。艦番号は「172」、先頭の艦は間違いなく
私もプレイしているゲーム「艦これ」の中で、しまかぜちゃん(島風)は己の足が速いのをいいことに(駆逐艦島風が40ノットの高速を誇ったことに由来)、仲間の艦娘を「遅い!」とけなし、物資を補給してあげればプレイヤーにも「補給が遅い!」と文句を言う超せっかちキャラなのですが、7隻の先頭を切って入港する「しまかぜ」の姿は、“仲間の艦娘をほったらかしにして我先にと進む島風ちゃん”に重なって見え、シャッターを切りながら思わずニンマリしていまいました(笑) |
「しまかぜ」は、私が立つ防波堤のすぐ近くを航行します。 就役は1988年なので今年で艦齢は26年、防空艦ですがイージスシステムより前のターターシステムを搭載、艦のデザインもステルス的な配慮は皆無という典型的な旧式艦です。しかし、非ステルスのデザインや艦首に対空ミサイル発射台とブルワークを持つ特徴的な艦容が逆にマニアの心を捉え、コアなマニアほどその魅力にはまる“玄人受けする艦”でもあります。 さらに「艦これ」における島風ちゃん人気で、艦艇マニアはもとよりゲームマニア、二次元美少女萌えの皆様にまで注目される艦となってしまいました。もしかしたら、いま海自で最も多くの国民にその存在を知られている艦かもしれません。 形はどうであれ、国民の目が海自や艦艇に向くのはいい事だと思いますよ…。 |
「しまかぜ」は湾の奥へ入り、佐伯港の女島埠頭に接岸します。佐伯基地分遣隊には多用途支援艦「げんかい」と水船YW・交通船YFが接岸するだけの小さな桟橋しかないために、艦艇が沖留めではなく接岸する場合は、分遣隊から直線距離で200mほど離れた女島埠頭を利用します。 マストには三ツ星の海将旗が翻っています。護衛艦隊司令官は「しまかぜ」に座乗しているようです。 「しまかぜ」を含む「はたかぜ」型DDGは臨時の群旗艦が務まるように司令部施設を備えているのですが、司令官と幕僚長を筆頭とする数十人規模の幕僚が乗るには少々手狭ではないでしょうか。訓練本番では「ひゅうが」に座乗するのかもしれませんね。 ちなみに、司令官の河村海将は地元・大分県出身です。 |
「しまかぜ」に続いて「こんごう」が入港して来ました。金剛デース!今さらの説明が不要なほど有名な艦で、“イージス艦の代名詞”とも言える存在ですが、先ほどの「しまかぜ」の次に建造されたDDGで、その間隔は5年しかありません。そう考えると、搭載する対空システムが異なるとこんなにも艦容が変わってしまうのかと改めて驚かざるを得ません。 「しまかぜ」から5年後の就役ということは今年で艦齢21年。新鋭艦のイメージすらある本艦も、実はベテラン艦の域に達しています。26中期防では「はたかぜ」「しまかぜ」の代艦となる7700t級DDG(イージス艦)が計画されていますが、次期中期防(31中期防)では「こんごう」をはじめとする「こんごう」型の後継艦が計画されることになりそうです。果たしてどんな艦になるのでしょう。 |
水平線上に目を移すと、佐伯港を目指して航行する1群所属艦の艦影が続々と続いています。すげぇー!感激!! 「むらさめ」型DD4隻の艦影がはっきりと確認できます。そして最後尾には非常に特徴的な艦影が小さく見えます。あのネコがコタツで丸まっているような艦影は見覚えが…そう、おととしの観艦式の時に見たぞ…「あきづき」だ! 「むらさめ」型の4隻は「むらさめ」「いかづち」「あけぼの」「ありあけ」だと考えられます。それら“あめ姉妹”に加えて |
「こんごう」のマストには二つ星の海将補旗が掲げられています。群司令は「こんごう」に座乗しているようです。 海自においては、護衛隊群と護衛隊のトップはともに「司令」ですが、単に「司令」と言った場合は護衛隊司令を意味します。護衛隊群司令の呼称は「群司令」です。護衛隊群司令と護衛隊司令が同じ場所にいる場合、護衛隊群司令に用事があっても、「司令!」と呼びかければほぼ100%護衛隊司令が振り向きますのでご注意を。勇気のある方は試してみてください(笑) 甲板上で舫作業をしている乗組員の服装にご注目。一般公開・体験航海での来航時に見る制服姿ではなく、青い作業服を着用しています。この事は、今回の入港が広報行事ではなく作戦行動の一環であることをうかがわせます。 |
「こんごう」は司令官が座乗する「しまかぜ」に横付けします。 各々のマストに海将旗と海将補を掲げた二隻の艦が並ぶ様子は、なかなか見ることができない貴重な光景です。 司令官や群司令、さらには自衛艦隊司令官や海幕長が座乗しても大丈夫なように、各艦には将旗がひとととおり揃えられています。しかし、信号旗のように日常的に頻繁に使う旗ではなく、また指揮官の旗が汚れていると艦隊全体の威容を汚すことから、使用しない時はマスト基部にある旗箱ではなく、航海科の倉庫に大切にしまわれています。ちなみに、群司令や司令が艦に座乗することを「旗を揚げる」と言います。例えば、司令:「艦を変更します。明日1600に『ゆうだち』に旗を揚げます」というふうに使います。 |
続いて入港してきたのは「むらさめ」型DDのネームシップ・「むらさめ」です。この艦と会うのも随分久しぶりです。 艦名の由来となった『村雨』とは強く降ってすぐに止む雨の事で、簡単に言えば“にわか雨”です。帝国海軍・海自ともこの艦名がよほど好きなようで、この「むらさめ」は4代目にあたります。 実は私、「むらさめ」という艦名を聞くとつい試験艦と思ってしまいます。「試験艦は『あすか』だろ!」とツッコミが入りそうですが、私が高校生で海自を目指していた頃、先代(3代目)の「むらさめ」が護衛艦の任を解かれ、試験艦として第二の人生を送っていました。試験艦という珍しい役割の艦だったので、その名は当時の私の脳裏に強烈に焼き付きました。その意味では、私にとっても非常に馴染み深い艦名なのです。 |
「むらさめ」は曳船YTによって180度方向変換、先に接岸した「しまかぜ」「こんごう」とは逆に湾の方向に艦首を向けた「出船」の状態で接岸しました。 なぜ「むらさめ」が「出船」で接岸したのは分かりませんが、もしかしたら、「むらさめ」型DDは過去に女島埠頭に「入船」で接岸した事はあっても「出船」で接岸した経験はなかったため、実績作り・データ収集のために「出船」にしたのかもしれません。海自艦艇はこのように過去に経験のない接岸方法を試し、今後入港する同型艦のために港のデーターを収集することがあります。 これは岸壁だけでなく橋も同様で、DDH「いせ」の初代艦長・星山一佐は、就役後半年の間に国内の有名な長大橋の下を片っ端から航行し、無事に通過するためのデータを集めました。 |
続いて「むらさめ」型DDの末娘(9番艦)「ありあけ」が入港して来ました。2010年夏に別府港に寄港した際に、当時の第7護衛隊司令・伊藤一佐にお会いした思い出の艦です。その事もあり、私にとっては数ある海自艦の中でも“推し艦”と言える存在です。 艦名の「ありあけ」とは夜明けの事で、「有明海」ではありません。 伊藤一佐はその後海将補に昇進し、今は防衛大学校の学生訓練の責任者である訓練部長を務められています。入港してくる「ありあけ」を撮影しながら、「伊藤将補はお元気だろうか?」「またお会いして色々とお話をうかがいたいなぁ」などと考えました。 当HP掲示板の常連である「函館の少年」ことT君が、今春めでたく防衛大に入校しましたが、伊藤将補とその部下の訓練教官たちによって訓練でみっちりと鍛えられていることでしょう。 |
「ありあけ」も180度方向変換して「むらさめ」に横付けするかと思いきや、予想に反して真っ直ぐに岸壁へと突き進みます。そして「しまかぜ」「こんごう」と「むらさめ」の間に接岸しました。 「むらさめ」がこっちを向いて接岸しているのは、従来からある女島埠頭、「しまかぜ」「こんごう」が接岸した奥の岸壁は、今年3月に完成した女島新埠頭です。先ほど佐伯湾に入る艦艇は年間300隻にも及ぶと述べましたが、そのほとんどは沖合い停泊です。水深が深く広さも広い新埠頭の完成で、接岸する艦艇が増えて欲しいと個人的には期待しています。 新埠頭は完成直後の4月に「こんごう」が接岸、一般公開を行いました。いま思うと、その時「こんごう」は「出船」でした。ということは、データ収集をしたのは「しまかぜ」と「こんごう」の方か…。 |
当初、接岸するのは4隻と聞いていたので、「ありあけ」で終わりかと思っていたその時、ふと沖合いに目をやると、もう一隻こちらに向かってやって来る艦がいるではありませんか!その特徴的なシルエットはみるみるうちに大きくなり、はっきりと艦名が分かるまでに近づいてきました。「うわー、『あきづき』が来た!」。 「あきづき」は沖合い停泊と聞いて残念に思っていたのですが、どうよら接岸に変更となったようです。当初の予定が変わって「ひゅうが」が来ないのは残念ですが、それを穴埋めして余りある幸運。こんな変更なら大歓迎です! 第二煙突の後ろにある構造物にご注目。その部分だけ濃いネズミ色で塗られています。新型塗装の試験なのか、何か意図があるのかは分かりませんが、非常に珍しい姿です。 |
埠頭に接近した「あきづき」に曳船YTが取りつき、接岸を支援します。「あきづき」も方向転換はせず埠頭にそのまま直進、「ありあけ」に横付けしました。 「あきづき」のマストには司令旗が翻っています。第5護衛隊司令・豊住一佐が座乗しているようです。大分港大在埠頭での体験航海で、当時「まきなみ」艦長だった豊住一佐(当時は二佐)にお会いしたのはもう7年も前になります。ああ、光陰矢の如し…。 その後、豊住一佐は護衛艦隊幕僚・第2護衛隊群首席幕僚・「きりしま」艦長・余市防備隊司令を経て今年8月に第5護衛隊司令に着任しました。この位置からは司令の姿は確認できませんが、心の中で「司令ぇ~!」と叫びながら「あきづき」に向かって手を振りました。気付いていただけたでしょうかねぇ(笑) |
「あきづき」に後続する艦はありません。接岸は5隻のようです。 そして、湾内に目を転じると、「いかづち」と「あけぼの」の2隻が停泊しています。この2隻は沖合い停泊するようです。船があれば海上からとってもいい画が撮れそうです。船が欲しいなぁ…。艦これプレイヤー(提督)にとっては思わずニンマリしてしまう組み合わせですね。そう、「ダメ提督製造機」と「クソ提督製造機」です(笑) また艦これネタで申し訳ありません…。 佐伯湾では年間を通じてかなりの頻度で、このように艦艇が湾内に停泊する姿を見ることができます。艦艇撮影の隠れた名所と言えますね。ただ、呉や佐世保といった基地と違って艦艇が常時いる訳ではなく、意気込んで訪れても空振りする可能性も大です。艦がいない時は単なる波穏やかな湾ですのでご注意を! |
午前11時から「しまかぜ」「こんごう」の2隻が公開されます。 広報目的の寄港ではないため、当初公開は予定されていませんでしたが、わざわざ艦を見に来てくれた人をむげに追い返す訳にはいかないという司令官のご配慮で急きょ公開が決まったとのこと。私も現地で公開の実施を知ったくらいです。 「しまかぜ」「こんごう」が接岸している女島新埠頭は、従来の埠頭が水深10mしかないことから、船舶の大型化に対応するために整備され、その水深は14mあります。 一方、佐伯と同様に海自艦が寄港する機会が多い別府港も数年前に新たな埠頭を整備しましたが、水深が10mしかない埠頭を作ってしまったために、海自艦は相変わらず従来の埠頭を使うことになり、市の思惑が外れるという事態が起きています。 |
公開が始まりましたが、事前告知なしの公開ですので見学者の姿はまばらです。20年前の艦艇公開を思い出して懐かしさすら感じます。これはゆっくりと見学できていいや~♪公開されたとはいえ、急な公開決定、しかも艦隊は訓練行動中ということで見学範囲は上甲板のみです。まあ、行動中に艦に乗せてもらえただけでも感謝しなければいけません。 「しまかぜ」の主砲と艦橋構造物を撮ってみました。今となってはレトロな雰囲気すら漂う「はたかぜ」型DDGですが、私が高校生だった時に就役した際には新型かつ大型のDDGとして大きな注目を集めました。「スーパーデストロイヤー」と題して特集した雑誌「丸」(1986年4月号)を、私は今も大切に保管しています。 |
「こんごう」の舷門近くには齋藤群司令と清水艦長がいらっしゃいます。見学者を出迎えているのかと思いきや、「こんごう」で開催されるお食事会に出席する河村司令官と佐伯市長を出迎るためでした。画像には写っていませんが、「しまかぜ」側には酒井幕僚長と数人の幕僚が、司令官を見送るために立っています。このように各級指揮官が艦を訪れる際には、訪問を受ける側の艦長や司令・群司令(座乗の場合)が出迎えるのが帝国海軍以来の慣習となっています。 それにしても、普段の一般公開とは雰囲気がまるで違います。紺色の作業服を着た引き締まった表情の幹部が、書類やカバンを持って足早に甲板上を行き交う光景は、この艦隊が今まさに行動中・訓練中であることを実感させます。 |
「こんごう」では1群司令部と各艦による打ち合わせが行われているようで、1群所属艦の艦長・砲雷長・船務長・飛行長・航海長らが甲板上を行き交っています。接岸中の艦の幹部は埠頭を歩いて艦に戻っていますが、沖合い停泊の「あけぼの」「いかづち」両艦の幹部は、「こんごう」の右舷側に横付けした内火艇で艦に戻ります。 ←は「あけぼの」の内火艇で、中央に座っている幹部は艦長の大日方二佐です。艦長の前面にある波よけで姿が見えませんが、艦長の左前と右前には砲雷長ら艦の幹部が座っています。内火艇を操船するのは3人の曹士で、中央で舵輪を握っているのが艇長(チャージ)、艇首に立っているのが見張り役の艇員(バウメン)、艇尾に立つのが艇員(機関長)です。 |
「こんごう」を離れた内火艇は、湾内に停泊している「あけぼの」と「いかづち」に向かって真っ直ぐに航行します。これぞまさしく“海軍”と言うべき光景、心が躍ると同時に感動すら覚えました。艦を覆うピリピリとした雰囲気にやや圧倒されたものの、訓練中であるからこそこのような場面に遭遇できたのです。私を含めてきょうの見学者は本当に幸運であると言えます。 海自艦に搭載されている標準的な内火艇はFRP(繊維強化プラスチック)製で、長さは7.9m、最高速力7ノット、定員は艇員を含めて25名で、通常1隻の艦に2艇が搭載されています。輸送・連絡・作業等で欠かせない存在であることから、毎朝丹念に整備が行われます。つい数年前に知ったのですが、内火艇を造っている会社は大分県内、しかも私の実家の近くにあります。 |
「こんごう」を離れた内火艇は、湾内に停泊している「あけぼの」と「いかづち」に向かって真っ直ぐに航行します。これぞまさしく“海軍”と言うべき光景、心が躍ると同時に感動すら覚えました。艦を覆うピリピリとした雰囲気にやや圧倒されたものの、訓練中であるからこそこのような場面に遭遇できたのです。私を含めてきょうの見学者は本当に幸運であると言えます。 海自艦に搭載されている標準的な内火艇はFRP(繊維強化プラスチック)製で、長さは7.9m、最高速力7ノット、定員は艇員を含めて25名で、通常1隻の艦に2艇が搭載されています。輸送・連絡・作業等で欠かせない存在であることから、毎朝丹念に整備が行われます。つい数年前に知ったのですが、内火艇を造っている会社は大分県内、しかも私の実家の近くにあります。 |
女島埠頭での撮影を終え、対岸の鶴谷岸壁から5隻の護衛艦が接岸している様子を撮影します。 とても地方の港とは思えない見事かつ壮観な光景で、各艦が縦列駐車のごとく接岸している様は、まるで舞鶴の北吸岸壁のようです。手前に漁船が写っていますが、のどかな雰囲気の漁船と黒がねの艦隊との落差がすごいです(笑) 帝国海軍以来の艦隊作業地である佐伯は、時おり今回のようなとんでもない規模の入港がある事が魅力です。地方港といってあなどってはいけない港なのです。大阪湾での呉地方隊展示訓練が台風で中止となり、何となく不完全燃焼の今シーズンですが、神様がまるで大阪湾の展示訓練中止を埋め合わせしたかのような心躍る撮影でした。 |