「いせ」「いなづま」大分寄港&晴海埠頭体験航海 |
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海自艦艇を追いかけて各地に遠征している私ですが、今回撮影を行うのはホームグラウンドの大分港大在埠頭です。 そして今年の夏、大在埠頭にやって来るのはDDH「いせ」です。「いせ」と言えば、私にとっては去年3月の自衛艦旗授与式に招待されて以来、我が子のように可愛い艦です。 自衛艦旗授与式が実施されたIHI横浜工場、そして就役後は呉・大阪・神戸と、「いせ」の姿を求めて遠征しましたが、今回は「いせ」が私の住んでいる地元に寄港してくれるのです♪ 期待に胸を膨らませて大在埠頭に駆け付けたのですが、入港当日(20日)の天候は雨。入港予定時刻の午前9時頃には猛烈な雨が降ってきました。沖合いに現れた「いせ」の姿も見事に霞んでしまっています。せっかくの機会なのに…(涙) |
幸運なことに、「いせ」が港内に入って来た頃から雨脚が弱まりました。去年9月の大阪、今年2月の神戸遠征の時もそうでしたが、私が「いせ」を撮影する時にはなぜか奇跡が起こります。これも「いせ」との相性の良さでしょうか? 徐々に岸壁に近づいて来る「いせ」ですが、「いつも遠くまで会いに来てくれるから、今回は私の方が会いに来ましたよ!」と私に語りかけているようでした(笑) そんな「いせ」ですが、この前週は香川県坂出港で、さらに大分の翌週は鹿児島港で一般公開を実施するなど、今年の夏は各地の艦艇イベントで大活躍でした。今年は秋に観艦式が実施される関係で展示訓練等の大きなイベントがないのですが、そんな中で「いせ」が各地のイベントに参加してくれるのは嬉しいです♪ |
「いせ」は岸壁に正面を向けた状態で停止しました。「ひゅうが」型は右舷側でしか接岸できない構造になっているため、埠頭に接岸するには180度の回頭をする必要があります。ところが、回頭を行う海域に一隻の漁船が現れて海に網を投げ入れ始めたのです…。 軍艦が入港しようとしているのにわざわざ航路の近くで漁を行う漁師さんもいかがなものかと思いますが、「いせ」も漁船と衝突事故を起こすわけにもいかないので、しばらくの間停止して漁船の動向を見守ります。「いせ」は1万4000tもの巨体です。ちょっとでも漁船に触れようものなら漁船は木端微塵です。操艦にあたる星山艦長の「勘弁してよ~」という声が聞こえてきそうでした。 |
しばらくたっても漁船が去る気配がないので、星山艦長は当初の計画よりも岸壁から離れた位置での回頭を決断、「いせ」はゆっくりと左回頭を始めました。もう少し岸壁から近い位置での回頭だったら、もっと迫力ある姿が撮れるのに…。この手で漁船を沈めてしまいたい衝動に駆られました(笑) 大在埠頭の岸壁は水深が14mあり、大型船が問題なく接岸できる岸壁なのですが、港内の大型船用の航路は意外に狭く、下手な場所を航行したり回頭すると、たちまち座礁の危険に見舞われます。「いせ」のような大型艦が地方港に入港する際には大変な苦労が伴うのです。さらに今回は漁船まで現れているのですから、星山艦長のご苦労は推して知るべしです。 |
「いせ」は後進しながら徐々に岸壁に近づいてきます。こんな巨艦を後ろ向きに進ませながら接岸させるなんて、星山艦長の操艦の腕前はどんだけすごいんだと感心しました。私なんか愛車をバックで車庫に入れるのさえ上手くいかないのに…。 「いせ」の大分寄港ですが、私は去年3月の就役直後から星山艦長にお願いしておりました。その意味では願いが叶ったわけですが、実は当初は、帝国海軍以来の艦隊保養地・別府に入港する予定でした。しかし、別府港の水深が10mしかないため、別府温泉はおろか大分市街地からも遠く離れた大在埠頭に入港することになってしまいました。星山艦長や乗組員にしてみれば、別府温泉で疲れを癒したかったのではないでしょうか。 |
艦橋ウイング部では星山艦長(右端)が操艦の指揮を執っています。同じウイング部には第4護衛隊司令の池田一佐(左から4人目)と第4護衛隊群司令の大津海将補(左端)もいます。 これまで群司令と隊司令は別の艦に座乗していましたが、「いせ」「ひゅうが」の就役で同じ艦に乗るようになりました。これは「ひゅうが」型DDHが優れた指揮・通信能力と充実した司令部用施設を有しているためです。大津群司令にうかがったところ、群司令が「いせ」から各地に展開している4護群所属艦8隻の指揮を執り、池田司令が「いせ」と「いなづま」の指揮・運用にあたっているということです。「『ひゅうが』型DDHの登場により群の指揮の在り方も変わりつつある」と大津群司令は話してくれました。 |
今回大分港に寄港したのは「いせ」だけではありません。DD「いなづま」も一緒です。「いせ」「いなづま」の両艦は、直前まで四国沖の海域で共に訓練を実施していたものと思われます。 最新鋭DDHである「いせ」と汎用護衛艦の中核を担う「いなづま」。この2隻が一緒に寄港してイベントを実施するなんて、この夏に各地で開催される艦艇イベントの中でも最も豪華な顔ぶれと言えるのではないでしょうか? 毎年7月第3週目の週末に行われる大分の艦艇イベントですが、大分地本が海自と太いパイプを持っていることから、例年豪華な顔ぶれです。DDHやイージス艦、汎用護衛艦のほか、司令官が座乗した護衛艦隊旗艦(「たちかぜ」)が来たこともありました。 |
翌21日は朝から晴れ渡り、夏らしい陽射しと暑さになりました。夏の艦艇イベントはこうでなくてはいけません! イベントは7月21・22日の2日間実施され、「いせ」は一般公開、「いなづま」は体験航海と一般公開を担当します。多くの大分県民にとって今回が「いせ」を見る初めての機会だったようで、皆さん一様に「いせ」の大きさに驚いていました。「いせ」は私の所有物ではないのですが、「へっ、どんなもんだい」と誇らしげな気持ちになりました(笑) 「いせ」の見学を機に、多くの大分県民が海上自衛隊への興味や理解を深めたり、中・高生が将来の進路に自衛隊を選ぶことを願わずにはいられません。 |
午前9時半、軽やかな出港ラッパの音とともに「いなづま」が出港します。抽選で選ばれた600人を乗せての体験航海です。 「いなづま」は約2時間かけて別府湾をクルージングするのですが、それにしても600人も乗せるとはすごい!毎年多数の応募が殺到するので、大分地本も乗艦者を詰め込めるだけ詰め込んだといった感じでしょうか? 抽選は非常に高倍率になったにも関わらず結構ドタキャンも出たようで、乗艦券を持っていない人も午前9時15分までに岸壁に来ていれば乗艦できていました。近年各地で高い倍率となっている体験航海ですが、抽選に外れて乗艦券を持っていなくてもダメ元で岸壁に行ってみるのもいいかもしれませんね。 |
「いなづま」は曳船によって180度向きを変えて別府湾内へ。さすがに600人も乗せているとあって甲板上は乗艦者で溢れかえっています。晴天で波も穏やかなので、乗艦者は風光明媚な別府湾のクルージングを存分に楽しめることでしょうね。 大分地本の体験航海は、かつては2隻で実施されていて、高速航行による追い抜きや並走など迫力満点でした。ところが予算の削減や艦艇の不足により、一昨年から体験航海は1隻のみとなってしまいました。去年なんて寄港した艦自体が1隻でしたし…。 今年も体験航海は「いなづま」1隻のみですが、これは「いせ」の出入港作業が非常に時間と手間がかかることや、艦内への人員収容の問題等が要因と考えられます。 |
「いなづま」が体験航海に出ている間、「いせ」の艦内を見学します。まずは格納庫ですが、過去に何度もレポートしているので詳細は省きますが、この「百戦練磨」と記された大きなノボリに目を奪われました。「高練度の艦になるぞ!」という「いせ」乗組員の心意気が伝わってくるようです。「いせ」は就役してからまだ1年半でまだ「百戦」とまではいっていませんが、今後様々な訓練や任務を通して百戦練磨の艦になって欲しいものです。 格納庫にはグッズの売り場もありました。大分でも「いせ」グッズは大人気でしたが、私も9歳にして「海上自衛隊に入りたい♪」と言っている可愛い甥っ子のために、バッジや下敷き、パズルを買いました。合計3600円のお買い物でした。結構買っちゃったなぁ… |
エレベーターで飛行甲板へ。「いせ」の広々とした甲板はいつ来ても気持ちがいいものです。ただ、夏の日差しが降り注ぐ気象条件の下では、甲板が広いだけに照り返しも強烈です。「豚の丸焼き」になってしまいそうなくらい暑かった(熱かった)です。 大分での一般公開でも艦橋は公開されていません。当HPにも「なぜ『ひゅうが』『いせ』の艦橋は公開されないのか?」という質問が寄せられたことがありますが、非公開なのは艦橋構造物内のラッタルと通路が異様に狭いためです。 昇りの人と下りの人が擦れ違うことは不可能、ラッタルもほぼ垂直に立っていて、女性や子供は怖くて通行できないかもしれません。こういった事情をご理解いただければと思います。 |
午前11時20分、「いなづま」が別府湾クルージングから戻って来ました。微速航行する「いなづま」を「いせ」の甲板上から撮影しました。「いせ」の飛行甲板は海上からの高さがあるので、低空飛行の航空機から撮影したような素敵な絵になりました♪ 2000年3月の就役以来呉を母港としてきた「いなづま」ですが、実は今年度中に佐世保に転籍することになっています。これは、護衛隊内各艦の母港を集約するために昨年から実施されている是正措置の一環で、「いなづま」は横須賀から呉に転籍する「はたかぜ」に押し出される形で佐世保に移ります。「はたかぜ」が去った横須賀には佐世保から「しまかぜ」が転籍します。「いなづま」が佐世保に移ることで、第8護衛隊は将来的には司令部の移転も含めて佐世保に集約される見通しです。 |
「いせ」の見学終了後、星山艦長を尋ねました。星山艦長にお会いするのは去年10月の呉基地以来9か月ぶりです。 艤装員長そして艦長として「いせ」を素晴らしい艦に作り上げた星山艦長ですが、残念ながら8月1日付けで呉海上訓練指導隊司令に異動することになりました。今回の面会では、個人として、さらにはマニア代表として星山艦長にお礼を申し上げてきました。 就役から1年半で「いせ」の幹部は大半が入れ替わったということです。舷門に飾られている顔写真を見ても副長や船務長、航海長、機関長が去年10月に見た時とは替わっています。女性航海長だった羽田野三佐も既に異動してしまったようです…(涙) 私個人と思いとしては、星山艦長には56歳の定年退官まで「いせ」の艦長を務めて欲しかったです。 |
今回の寄港では、前回見ることができなかった「いせ」の新たな施設を見させていただきました。まずは発着作業員・整備員待機室です。ヘリコプターを整備する乗組員と発着艦を誘導する乗組員の部屋で、艦橋構造物後方の1階部分(飛行甲板と同レベル)にあります。最前列中央には部署の責任者である整備長の席があります。整備員はここでミーティングをしたり、作業の合間に休憩を取ったりします。壁には様々なモニターが設置されているほか、作業時の注意事項や伝達事項を記した紙が多数貼られています。 待機室は従来のDDHにも設けられていますが、「ひゅうが」型では誘導員・作業員ともに人数が大幅に増えているため、待機室も広く充実したものとなりました。 |
医療区画の中にある手術室です。ご覧のように、一見総合病院の手術室かと見間違えるほど充実した設備を備えています。 通常、「いせ」には医官は乗っておらず、衛生員が数名乗っているだけですが、有事や大災害の際には医官が乗り込み、ここで手術等の高度な医療措置を施します。実際、東日本大震災の際には、病院や歯科医が壊滅状態となった被災地で「ひゅうが」の医療施設が臨時病院となり、被災者の治療や健康維持に寄与しました。 手術室に隣接して集中治療室、入院室、診断室、歯科治療室が設けられていて、まさに病院船といった趣です。我が国には米海軍のMERCY型のような病院船はありませんが、「ひゅうが」型DDHや「ましゅう」型補給艦、「おおすみ」型輸送艦、特務艇「はしだて」等がその役割を担っています。 |
入院患者用のベッドです。科員居住区とよく似た雰囲気ですが、ベッドの脇には種々の医療機器が置かれていて、ここが医療区画であることを物語っています。ベッドは6床あり、最大6人が入院することが可能です。これら充実した医療施設は、航空関連施設や司令部用施設と並ぶ「ひゅうが」型DDH最大の特徴と言えます。その「空母的な外観」によりマニア人気も高く、メディアでも脚光を浴びる「いせ」「ひゅうが」ですが、このような充実した医療施設を有していることをもっと多くの人に知って欲しいと思います。 このような国民を救うための施設を有した艦であるにも関わらず、「いせ」「ひゅうが」の入港を反対する市民団体がいることには、驚きと失笑を禁じえません。今どき海自艦艇を戦争兵器という感覚自体がナンセンスです。 |
艦橋構造物の1階、飛行甲板から入ってのすぐ近くの場所に気になる区画を見つけました。 入口の上には「第1洗身区画(更衣区画)」の表示があります。艦艇で洗身区画といえばお風呂のことなので、「お風呂や更衣室がある区画かなぁ」と思ったのですが、それにしては場所が変です。なぜ艦橋構造物の1階、それも飛行甲板の近くにあるのかと思ったら、この区画は敵の核攻撃を受けて甲板上で放射能を浴びてしまった乗組員が除染を行う区画なのだそうです。こういう施設を目の当たりにすると、「いせ」が“軍艦”であることを実感します。 本来の洗身区画であるお風呂(浴室)ですが、科員居住区や食堂などがある第5甲板(格納庫から1つ下の階)にあります。 |
大在埠頭は長大な岸壁なので、このように「いせ」「いなづま」が縦列に接岸することが可能です。「いせ」が艦の構造上右舷側で接岸しているのに対し、「いなづま」は左舷側で接岸しているのが興味深いですね。まさに背中合わせです。 入港時の大雨から一転、イベント初日は夏の青空が広がり、猛烈な日焼けを負いながらも「いせ」と「いなづま」の撮影を楽しむことができました。この両艦とは10月の観艦式で再会することでしょう。 大勢の見学者で賑わう大在埠頭をあとに、私は次なる遠征先に向かいます。せっかく地元に「いせ」が寄港しているので、もっと埠頭で「いせ」を眺めていたかったのですが、私はこの週末別の場所で撮影を実施するのです。前々週の水俣・浜田遠征に続く艦艇イベントのハシゴとなります。 |
翌22日に私がやって来たのは東京・晴海埠頭です。ここでこの日実施される体験航海で出入港する艦艇を撮影するのです。 埠頭にある客船ターミナルのデッキからは、出入港する艦船がとてもいいカンジで撮影できます。客船マニアの方々にとっては聖地のような場所ですが、テレビCMやミュージシャンのPV撮影でもよく利用されている場所でもあるので、マニアならずとも何かしらの形で目にする機会の多い場所です。そんな晴海埠頭ですが、「都心の孤島」などと揶揄されるように近くに鉄道駅がなく、訪れるには有楽町や銀座から都バスに乗らなければなりません。 前日の大分は夏らしい晴天でしたが、この日の東京はどんよりとした曇り空。時折小雨もぱらつくようなすっきりしない天気でした。 |
体験航海に参加するのはDD「たかなみ」と「おおなみ」です。 この2隻は横須賀に停泊中の姿を何度も撮影しているのですが、これまで航行シーンを撮影する機会には恵まれませんでした。今回の体験航海は両艦の航行シーンを撮影する絶好の機会なので、地元・大分で「いせ」を撮影した後に東京に飛んだのです。 この体験航海の主催は東京地方協力本部と埼玉地方協力本部です。二つの地本の共同開催というのは珍しいのですが、東京地本と埼玉地本それぞれが開催する体験航海が、同じ日の同じ時間に同じ埠頭で実施されていると考えると分かりやすいでしょう。 出港は午前9時半なのですが、7時半頃から晴海埠頭に到着する都バスは乗艦者で超満員の状態。ここでも海自人気・体験航海人気をまざまざと見せ付けられました。 |
午前9時30分、まずは「たかなみ」が出港します。「たかなみ」型DDのネームシップで、2003年3月に就役しました。今年3月に「あきづき」が就役するまで最新鋭形式のDDの「なみ」型ですが、1番艦はもう艦齢が9年に達しているのですねぇ。 一見、「むらさめ」型とそっくりな艦容ですが、VLS等兵装の配置や艦内の構造など見えない部分で多くの変更が施されています。また外観も細部をよく見ると、様々な変更が目につきます。 変更が最も良く分かる部分が主砲で、「むらさめ」型の76mm単装速射砲から127mm単装速射砲に変更されました。 主砲の変更により迫力が増した艦容となりましたが、マニアの中には「むらさめ」型の美しいバランスが崩れたと言う人もいます。 |
約10分後、「おおなみ」が出港します。「なみ」型DD2番艦で、「たかなみ」と同じ2003年3月に就役、「たかなみ」と共に横須賀に配備され、両艦で第5護衛隊を編成しました。2009年3月の護衛艦隊の大改編で所属はが第6護衛隊に変わりましたが、そこでも「たかなみ」と一緒です。とても仲が良い「たかなみ」と「おおなみ」、私は「横須賀の仲良し姉妹」と勝手に呼んでいます。 ちなみに当HPですが、訪問者の検索ワードで「たかなみ 画像」とか「たかなみ プロフィール」といった文言が目立ちます。「『たかなみ』人気だなぁ」と思っていたのですが、AKBファンが「たかみな」を検索する際に誤って「たかなみ」と入力していることが判明しました(苦笑) ちなみに「たかみな」とはリーダーの高橋みなみの事です。 |
「おおなみ」は客船ターミナルの前を通り過ぎて東京湾へ。目の前には東京タワーと並ぶ首都・東京のランドマークであるレインボーブリッジが迫ります。撮影地としての晴海埠頭の魅力のひとつは、レインボーブリッジや高速道路、高層ビル、フジテレビ局舎など都会の風景を背景にして艦艇の撮影ができることです。これら都会の風景をバックに写る艦艇たちは、都会のオフィス街を闊歩する凛々しいビジネスマン(艦は女の子だからOLか?)のように見えます。 「おおなみ」の甲板上にも大勢の乗艦者がいます。何人くらい乗せているのでしょう?600人なんてことはないと思いますが(笑) 体験航海でよく目にするのが、出港から入港までずっと科員食堂に座っている人。何のために体験航海に来たのか疑問を感じますねぇ。 |
約1時間30分後、艦が戻ってきました。最初に戻ってきたのは「おおなみ」でした。「たかなみ」の後に出港したのですが、岸壁に付ける順番の関係で先に戻ってきたのです。「1」が三つならんだ艦番号111がとても素敵です。「なみ」型ですが、1番艦「たかなみ」の110、3番艦「まきなみ」の112、4番艦「さざなみ」の113は、すべて各艦の先代と同じ艦番号となっています。 「たかなみ」と「おおなみ」は東京に近い横須賀が母港とあって、頻繁にメディアに登場しています。その意味では海自の広告塔のような両艦です。艦船雑誌やテレビのニュース番組や情報番組、果ては人気深夜番組「タモリ倶楽部」など、幅広く登場しています。 「タモリ倶楽部」に出演したのは、確か「たかなみ」でしたよね。 |
ちなみに、先に述べた検索ワードの件ですが、「たかなみ」同様に「はるな 画像」「はるな プロフィール」も多いです。AKBに詳しい方はお分かりですね。小嶋陽菜(こじまはるな)を検索するファンが、当HPに誤って流れ込んで来ているのです(笑) 当HPのアクセス数向上は、このようなAKBファンに支えられているのかもしれません。 |
「たかなみ」と「おおなみ」は、客船ターミナルの前を通過した後、豊洲大橋の手前で180度回頭し埠頭に接岸します。 埠頭の前に広がる海は、実は海ではなく晴海運河という運河です。隅田川から分岐して東京湾に注ぐ運河で、かつてはこの運河の少し上流にIHI東京工場があったことから、公試中の艦艇や検査に向かう艦艇が頻繁に往来していました。 晴海大橋と豊洲大橋(←艦の前方に写っている橋)の建設により艦艇の航行が不可能となったため、IHI東京工場は2002年に閉鎖、その機能は横浜工場に移りました。海自艦艇史にその名を刻む名造船所で、「ひえい」「しらね」「くらま」「ちょうかい」等の艦を生み出しました。ちなみに最後に建造した艦はDD「あけぼの」でした。 |
正午前、「たかなみ」「おおなみ」の仲良し姉妹は無事晴海埠頭に接岸しました。天気は今ひとつでしたが、乗艦者の皆さんは東京湾クルーズを楽しんだことでしょう。私も「たかなみ」と「おおなみ」の航行シーンの撮影を存分に楽しませていただきました♪ この週末(7月21~22日)は大分と晴海の2か所で護衛艦隊の中核を担う4隻の見学と撮影を楽しむことができました。秋に観艦式が実施される関係で展示訓練等の大規模なイベントが無いことから、今ひとつ欲求不満な今年の夏ですが、この週末は大きな“戦果”が挙がって大満足です♪♪ この戦果に気を良くした私は、この夜、東京の繁華街に出撃したのは言うまでもありません(笑) |