舞鶴地方隊展示訓練2013 ~「まきなみ」編

舞鶴地方隊展示訓練の2日目は、北吸桟橋を出港するDD「まきなみ」に乗艦しました。

初日は猛暑モヤ突然の雷雨に悩まされた舞鶴地方隊の展示訓練ですが、二日目は気象条件に恵まれて美しい写真をたくさん撮りたいものです。そんな願いを胸に、本日の乗艦場所である海自・北吸桟橋にやって来ました。
本日私が乗艦するのはDD「まきなみ」。昨日乗艦した「すずなみ」のお姉さんで、ともに第3護衛隊に所属しています。

「まきなみ」は就役間もない2007年の夏に、私の地元・大分港大在埠頭で実施された体験航海で乗艦。当時の艦長・豊住二佐(現「きりしま」艦長・一佐)と記念撮影をした思い出の艦です。6年の時を経て再び乗艦することになるとは、この艦も私とは縁のある艦と言えそうです。2007年夏の乗艦時は佐世保の艦でしたが、おととし3月に大湊に転籍しています。

「まきなみ」に向かって桟橋を歩いている途中、潜水艦が出港していくのが見えました。今回の展示訓練に呉から参加している「けんりゅう」(「そうりゅう」型4番艦)です。潜水艦は隠密行動を基本とし、しばしば“忍者”に例えられますが、出港の際もあの勇ましい出港ラッパは吹奏されず、まさに忍者の如く静かにひっそりと岸壁を離れます

船体の艦番号と艦名が消され、一見しただけでは艦名が分からない潜水艦ですが、建造を担当する二つの造船所(三菱重工神戸・川崎重工神戸)の特徴が「ある部分」の形状に現れており、ある程度まで艦名を推測することができます。この画像でも「ある部分」を見ると、艦が川崎重工製の「うんりゅう」もしくは「けんりゅう」であることが分かります。

「まきなみ」乗艦後、撮影場所を確保して出港時間を待っていると、一足早く桟橋を離れて行く艦が見えました。昨日、放水というゆる~い展示を披露してくれた「ひうち」です。

この愛嬌たっぷりの可愛らしい艦は多用途支援艦という艦種で、艦艇の訓練支援のほか航路警戒や救難など、文字通り多用途な支援任務にあたるマルチプレイヤーです。「ひうち」をはじめとする全5隻が全国の基地に分散配置されていますが、横須賀の「えんしゅう」(5番艦)は、退役した試験艦「くりはま」に代わって、小型艦艇用装備品の実用試験も担当しています。身体は小さいけれど存在感は絶大…「ひうち」型は海自の活動を陰から支える“縁の下の力持ち”なのです。

午前8時ちょうど、ラッパ譜「君が代」が吹奏される中、厳かに自衛艦旗が掲揚されます。自衛官ではない私でも、自衛艦旗掲揚時には心と身体が引き締まります。私は自衛官ではなく単なるマニアではありますが、国民として自衛艦旗に敬意を表しないのは失礼であると考えています。掲揚時には素早く撮影を終え、必ず最後の数秒間は自衛艦旗に向かって姿勢を正すようにしています

自衛艦旗の掲揚方法も艦が所属する母港によって微妙な違いがあります。↑は「みょうこう」なのですが、舞鶴を母港とする艦は掲揚前に艦旗を丁寧に三角形に折り畳んだ状態で待機し、掲揚の号令とともにパッと広げます。他の母港の艦では、艦旗は丸くくるまれた状態で掲揚を待ちます。ぜひご注目を!

午前9時、「まきなみ」は桟橋を離れました。
「まきなみ」を送り出した曳船YTは、続いてに出港する「みょうこう」に曳索を渡すべく接近しようとしています。2隻のイージス艦が桟橋に並ぶ壮観な光景です。今回の展示訓練ではこういう絵が撮りたかったんですよね♪ 昨日の舞鶴西港と違って、今日は出港時から撮影全開です。こうして見ると、マストや主砲、格納庫の有無など、タイプが異なる2隻のイージス艦の違いがよく分かります。

それにしても天気が良くないなぁ…。雨雲のような雲が立ち込めていてすっきりしない空模様です。これで海上が昨日のようにモヤっていたら、一面真っ白の写真になってしまいます…不安だ…。

「みょうこう」の艦橋露天部には3護群司令部の面々が陣取っていて、各艦の出港の様子を見守って(監視して)います。
一番左にいる黄色い双眼鏡ストラップを下げている方が群司令の中畑将補、赤いストラップを下げている人が首席幕僚の中村一佐、その左にいるのが群先任伍長の吉田海曹長です。私は11年ほど前の体験航海で、「せとゆき」艦長だった中畑将補(当時・二佐)と一緒に記念撮影をしたことがあるのですが、とてもスマートで気さくな方でした。

群司令部は艦固有の乗組員ではなく、状況に応じて座乗艦を変える“お客さん”であるため出入港時の配置はないのですが、かといって艦内にいるのはご法度で、艦橋露天部やウイング部で出入港作業を見守らなければなりません

私が乗る「まきなみ」は一路、若狭湾の展示訓練実施海域へ向かいます。出港後も空には一面雲が立ち込めていて、私の心の中に絶望的な気持ちが沸々と湧いてきました…。

「まきなみ」は舞鶴湾から若狭湾に通じる狭水道部分を通過します。舫作業は既に終わっているのですが、狭水道を通過するにあたっての航海保安部署が発令されているため、後方の見張り要員の乗組員が甲板上に残っています。
黒いウエットスーツを着た隊員の姿も見えますが、彼は乗艦者が海に転落した際に素早く海に飛び込んで救助にあたります。観艦式や体験航海の際には、各地の水中処分隊から派遣された隊員が艦尾付近に待機し、万が一の場合に備えています。

北吸桟橋を出港してから50分後、「みょうこう」が「まきなみ」を追い抜いて行きました。速力は15ノット(強速)が出ているようです。
絶好の撮影チャンス!でも、モロに逆光です…(涙)

「みょうこう」は「こんごう」型DDGの3番艦で、1996年3月に就役しました。「しらね」と並ぶ3護群を代表する艦で、今回のように「しらね」がドック入りしている際には、群司令部が座乗する旗艦の大役を担います。現在の艦長は松井一佐。15年以上前、「おおよど」副長時代(当時・三佐)に取材で大変お世話になった方です。松井一佐はこれまで「うみぎり」「さみだれ」の艦長を務めており、なかでも「さみだれ」艦長時代は、ソマリア沖・アデン湾海賊対処行動の第一陣という大役を無事に果たしました。

「まきなみ」の後方には、舞鶴西港を出港した「すずなみ」が続いています。そう、昨日私が乗っていた艦です。
観閲までの約2時間にわたって「すずなみ」が後続していたため、暇つぶし撮影の格好の標的に。帰宅後に数えてみたら、観閲までの2時間で約600枚も「すずなみ」を撮影していました…(苦笑)

去年7月に島根県浜田港での一般公開で乗艦した際に、ソマリア派遣用の装備が施されており「派遣は近いな」と感じたのですが、実際にその5か月後の12月に14次部隊としてソマリアへ。現地での任務を無事に終え、1ヶ月半前の6月10日に帰国したばかりです。
すーちゃん、本当にお疲れ様でした!帰国して間もないにも関わらず展示訓練に参加していただいて、本当にありがとうございます。

午前11時45分、掃海艇3隻と補給艦「ましゅう」から成る部隊が、「みょうこう」「まきなみ」「すずなみ」から成る本隊に合流します。
↑は、3隻の掃海艇と「ましゅう」が同時に向きを変え、「すずなみ」に後続すべく合流しようとしているシーンです。

展示訓練実施海域は目前というのに上空は雲に覆われています。さらに、昨日同様に海面近くにはモヤが立ち込め、景色は一面真っ白…。最悪の撮影条件です…(涙)
部隊の合流という絶好の撮影チャンスなのですが、上空の雲とモヤが艦を霞ませて、せっかくの絶景が台無しです…(激涙)
他の乗艦者もカメラのモニターで撮影した画像を見て、「何これ~!?」とか「うわぁ~真っ白ぉ~!」と、口々に嘆いていました。

午前11時55分、「登舷礼、登り方用意」「登れ!」の号令で、乗組員が左舷側に等間隔で整列します。私がいる艦後方部分は「まきなみ」の乗組員ではなく、実習のために乗艦している防大生(3学年)が整列しています。

彼らは海上要員とはいえ、まだ海上自衛官ではありません。そのため、整列後の姿勢や動作からは海軍的なビシッとした雰囲気を感じません。卒業後に江田島に送り込まれて、徐々に海軍的な所作を身に付けていくのでしょうね。
防大は、いわゆる“陸海空三自衛隊統合士官学校”なのですが、真っ白の夏服は、海自の第三種夏服に良く似ています。なので、乗組員に混じって登舷礼を形成しても違和感がありません。

正午、舞鶴地方総監・井上海将による観閲が始まりました。反航する観閲艦「あしがら」、昨日にも増して真っ白です…(涙)
「あしがら」ですが、昨年は訓練の関係で夏の艦艇イベントには殆ど参加しませんでしたが、今年は東北地方での一般公開や今回の舞鶴地方隊展示訓練、さらには9月の八戸マリンフェスタなど各地で大活躍。まさに、“2013年夏の広報MVP艦”です。

最新型のイージス護衛艦でありながら弾道ミサイル防衛には非対応だった「あたご」と「あしがら」ですが、今年度以降、迎撃ミサイルを運用可能とするための改装が順次実施されます。“世界最強のイージス艦”となる日も間もなくです。

「まきなみ」艦上で登舷礼を形成している防大生の目の前を、観閲艦「あしがら」が通過していきます。
彼らの目に「あしがら」はどのように映っているのでしょうか?もし私が防大生だったら、きっと、「いつかあんな大きな艦の艦長になってやる!」「マストに将旗を掲げる将官になってやる!」と思うことでしょう。あ~、時計の針を戻したい…(笑)

防大生たちですが、任官後の事よりも3学年次後半と4学年次に待ち受けている試験や訓練の事で頭がいっぱいかも知れませんね…。私が大学3年生の頃に授業そっちのけでバイトに明け暮れ恋愛に没頭していた事と比べると、目の前にいる防大生たちは充実した素晴らしい青春時代を送っていると思います。彼らを見ていたら、防大に進まなかった後悔が沸々と湧いてきました…。

観閲終了後、7隻の艦艇は180度変針を行います。回頭中の「まきなみ」から見た後続艦です。前から順に「すずなみ」「ひうち」「すがしま」「のとじま」「ましゅう」です。繰り返しになりますが…分厚い雲に覆われた空と海面上に立ち込めたモヤですべてが台無しです…(涙) 映画「八甲田山」で北大路欣也が演じた神田大尉のセリフが頭をよぎりました。 「天は我々を見放したか…」

当HPの「写真特集」>「舞鶴地方隊展示訓練2011~出港編」の一番最後の画像と見比べてください。今回の天候の悪さが一目瞭然です。2年前の前回訓練は、今思うと最高の天候・撮影条件だったんですねぇ…。嗚呼、美しい夏の日本海は何処に…。

訓練展示が始まりました。最初は航空機による展示ですが、救難飛行艇US-2が、昨日とはうって変わって艦の至近距離をパスして行きました。おぉっ、大迫力!!辛坊氏を救助した3号機を至近距離で撮影できるとは…嬉しい♪

この至近距離でのパスは、昨日の反省を踏まえたものでしょう。恐らく、航空畑の高級幹部からパイロットに、「もう少し艦隊の近くを飛んで欲しい」という要望(命令?)があったと考えられます。
航空機にはあまり興味がない私ですが、このUS-2には“激しい萌え”を感じます。形そして濃緑色の塗装…本当に素敵です♪
旧海軍の名機・二式大艇を彷彿とさせるルックスも萌えを感じさせる要因となっています。他の航空機と異なり、飛行速度が極めて遅いために撮影が容易な点もいいですね。

続いてUS-1Aが着水。こちらも昨日よりも遥かに近い海面上に着水してくれました。改善していただき有難うございます!

1975年の初号機納入以来、長らく洋上救難の第一線に立って来たUS-1ですが、2005年に納入された20号機をもって生産は終了となりました。常時7機体制を維持してきましたが、後継機であるUS-2の配備により、年々その数を減らしています。
昨年時点でUS-2は5号機までが配備されていますので、救難飛行艇7機体制が変更されていなければ、US-1Aで現役にあるのは2機ということになります。救難飛行艇の寿命は約15年なので、数は僅かになるものの、20号機が退役する2020年頃までUS-1Aの姿を見ることができそうです。

飛行展示に続いて水中処分員の海面降下潜水艦の浮上ミサイル艇の爆走「ひうち」による放水展示が行われました。内容は昨日と同じなので詳細は省きますが、ミサイル艇の爆走時にIRデコイ発射シーンの撮影に再挑戦しました。

結果はご覧のように、またしても失敗…
“IRデコイの火花が降り注ぐ中を高速で駆け抜けるミサイル艇”という趣旨にふさわしい画なのですが、残念ながらIRデコイが炸裂している箇所が画角の外になってしまい写っていません…(涙) この機に乗じて事前申告しておくと、私は9月の八戸マリンフェスタでもIRデコイ発射シーンの撮影に失敗しています。誰か、上手な撮影方法を教えてくれませんか…。

午後1時、すべての訓練展示を終えて艦は帰路につきます。
この頃になって空が晴れ、海面上のモヤも少なくなってきました。とことん舞鶴の神様に嫌われているようです(苦笑)

気温もうなぎのぼりで上昇。猛烈な暑さに加えて、空から降ってくる太陽の光が強烈です。これは注意しないと、熱中症で倒れる恐れがあります。しっかり帽子を被り、水分をこまめに補給しながら撮影続行です。といっても、帰路「まきなみ」は隊列の最後尾。最後尾ということは、そう、何も撮る物がないのです。昨日同様、海自主催の“「まきなみ」艦上ガマン大会”の幕開けです。長年、炎天下の艦上で取材と撮影を行ってきた私。ガマン大会の優勝候補の筆頭といったところでしょうか…。

「ガマン大会」開始30分後、格納庫近くの甲板では体験航海恒例のアトラクション・制服ファッションショーが始まりました。
幹部・曹士合わせて約20人が、各種夏服・作業服・防火服・潜水服などを着用して登場、見学者の大きな拍手を浴びていました。特に人気が高かったのは第一種夏服。海の男の精悍さを際立たせ、女心を鷲掴みにする“魔法の制服”です(笑)

ショーの最後には特別出演として、登舷礼に参加していた3人の防大生が登場。氏名・出身地などが司会者から紹介されると、見学者からは盛大な拍手とともに「頑張れ!」との声援が送られました。私が防大を目指していた約30年前は、防大生を「若者の恥」「日陰者」などと言う人も多々いましたが、この光景を見て本当にいい方向に時代は変わったと感じました。

灼熱のガマン大会を耐え抜いた私、15時40分、無事に北吸桟橋に降り立ちました。展示終了後に気温が急上昇した「まきなみ」艦上は、入港直前に熱射病で倒れる乗艦者が続出。私の目の前でも、下艦の列に並んでいたおじさんが突然倒れました

また、看護長が手当てをしていた乗艦者は意識が朦朧とし、呼びかけにも反応しない危険な状態に。艦長が駆け付けて救護の陣頭指揮を執るほどの大事となっていました。この乗艦者は帽子も被らず、服装は半袖・半ズボンで肌をモロに露出、おまけに履物はサンダルでした。そんな服装では熱射病になるのは自業自得です。富士登山と同じで、人気が高まるにつれ知識のない軽装者が乗艦して熱射病で艦に迷惑をかける…レジャー感覚で艦に乗るのはやめて欲しいと切に思います。

「まきなみ」下艦後、北吸桟橋でこの遠征の最大のミッションを遂行します。標的艦仕様となった「はまゆき」の撮影です。
去年3月に退役となった「ゆき」型DD5番艦の「はまゆき」ですが、解体されてスクラップになるのかと思いきや、今年5月下旬にご覧のような塗装が施され実物大の的=標的艦となりました。当HPの掲示板に閲覧者の方々が数多くの画像を貼ってくれていたので、どんな状況になっているかは知っていましたが、実物を見るとその異様な雰囲気に圧倒されました…

ここで不思議な偶然が…。この画像を撮影した直後、ふと左側を見ると案内役のとても凛々しい海士くんが立っているではありませんか。名札を見ると…何と!当HP代表として海自で頑張っているもびうすさんだったのです!!

もびうすさんは今日は非番だったのですが、舞鶴基地がお祭り状態で一人でも多くの隊員を必要としているため、休日返上で桟橋での案内役を務めていたということです。若いのになんて仕事熱心なんでしょう。素晴らしいです!!

もびうすさんは、非番の日には時々遊覧船ガイドのボランティアを務めていて、今日も午後5時の最終便でガイドをするというので、北吸桟橋から歩いて10分ほどの所にある赤レンガ博物館裏の遊覧船乗り場にやって来ました。
舞鶴遠征時には必ず乗船し楽しませてもらっている「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」ですが、今回は現役隊員であるもびうすさんのガイドも聞けるとあって、出港がとても楽しみです♪ ちなみにこの遊覧船、料金は大人1000円です。

遊覧船に乗って出港を待っていると、北吸桟橋から出港ラッパが聞こえました。大湊に戻る「まきなみ」が出港したようです。
舞鶴に在泊するすべての艦が帽振れで見送ります。←に写っている「ひうち」のほか、遊覧船のそばに停泊している第44掃海隊の2隻(「すがしま」「のとじま」)からも、乗組員が甲板上に出て帽子を振って見送っていました。なかなか感動的な光景です。

出港前からもびうすさんのガイドは始まっていて、「まきなみ」の出港に合わせて、「まきなみ」の紹介マストに掲げられた信号旗の意味などについて説明がありました。細かなデータに加えて、専門用語を平易な言葉で解説。とても聞きやすくて分かりやすい!! これは、出港後がますます楽しみになってきましたぞ~♪

午後5時、遊覧船が出港。時を同じくして「みょうこう」が北吸桟橋を出港しました。幸運にも舞鶴湾の出口近くに至るまで約10分間、遊覧船は「みょうこう」と並走する形になりました。嗚呼、何という幸運でしょう!! あれほど撮影したかった「みょうこう」が、手が届きそうな至近距離で並走しているのです。無我夢中でシャッターを切ったのは言うまでもありません。

余りに距離が近いために、カメラレンズの広角側の効果によって、画像は見た目以上に遠くを航行しているように写っていますが、実際は本当に手が届きそうなくらいの超至近距離です。遊覧船の上甲板は水面近くなので、並走する「みょうこう」を見上げるような形となりました。大型のイージス艦を見上げながらの並走は迫力満点、マニアとして最高に幸せなひとときです。

舞鶴湾の出口近くで遊覧船は左に変針、「みょうこう」とはここでお別れです。道中、お気をつけて!!
ふと思ったのですが、大湊の「まきなみ」が母港に戻るために出港したのは分かりますが、舞鶴が母港の「みょうこう」がなぜこんな時刻に舞鶴を出港したのでしょうか?

後で知ったのですが、この時「みょうこう」は、一昨年の大震災で被災した東北地方のある町で開催される艦艇イベントに参加するために舞鶴を出港したのでした。震災発生時、「みょうこう」も被災地支援に駆け付けたのですが、支援が縁で東北の自治体といい関係ができたとの事。今年の夏も住民を励ますためならと、タイトなスケジュールを強行してまでも東北地方の町を訪れるのです。
なんか感動的な話だ…。

遊覧船は“海軍工廠エリア”に入りました。旧舞鶴海軍工廠を引き継いだ造船所は、今はJMU舞鶴事業所となっています。
その岸壁に一角に、3護群の実質的な旗艦である「しらね」が停泊していました。「しらね」は5月下旬からブルネイで実施された国際災害派遣訓練に参加、7月1日に帰国したのち、年次検査のため約2か月間の予定でドッグ入りしています。

もびうすさんが勤務している艦がこの「しらね」です。もびうすさんは「しらね」の第1分隊(砲雷科)に所属、52番砲の弾薬の装填を行う射撃員を務めています。艦がドック入りしている間、乗組員は艦から引き揚げている訳ではありません。毎日、造船所内の艦まで出勤して整備作業等にあたるほか、夜間は当直体制が敷かれます。

「しらね」の後方には「あさぎり」が停泊しています。護衛艦の不足によって去年3月に練習艦から護衛艦への異例の再種別変更を受け、母港も呉から舞鶴に変わりました。展示訓練に艦番号が「3516」から「151」に変わった「あさぎり」の参加を期待していたのですが、ドック入りにより残念ながら参加はありませんでした。しかし、遠征の最後に遊覧船から「151」を纏った「あさぎり」を撮影できたことは、非常に幸運でした♪「みょうこう」「あさぎり」…今回の遊覧船は幸運続きですねぇ。

出港以来ずっと、もびうすさんのガイドは続いています。まるで本職のガイドさんのような聞きやすくて分かりやすい解説。もびうすさんは、どうしてこんなに喋りが上手なのでしょうか…?

標的艦仕様の「はまゆき」です。直近で標的艦となったのはDDG「たちかぜ」(2007年退役)ですが、「たちかぜ」よりも標的としての塗装が詳細化しています。オレンジ色が塗り分けられた船体は、ミサイルの命中箇所を判別しやすくするため、艦橋や煙突などに入ったオレンジ色のラインは艦の傾斜を把握しやすくための塗装です。

死装束を纏った「はまゆき」は、近いうちに自らの命と引き換えに実戦データを提供するという最後の任務に就きます。標的艦仕様となって岸壁に係留されているその姿は、白装束に身を包んで座敷で切腹の使者を待つ武士のようでもあります。
「死ニ方用意!」 「はまゆき」に命の終わりを宣告する号令がかかる日が、間もなく訪れます。

遊覧船には私のようなマニア以外にもたくさんの観光客が乗っています。私が撮影しているすぐ横には若い女性4人組の姿が。

舞鶴観光のついでに遊覧船に乗った観光客なのかなと思っていたのですが、目の前に現れる艦艇を見ては大はしゃぎ。甲板上の乗組員に手を振るわ、交通艇に乗ってすれ違う隊員さんに「カッコいいー!」と黄色い歓声を浴びせるわで、とっても海自の事が好きみたいです。海自と艦を愛する女子=艦女(ふねじょ)と呼ばせていただきます(笑)
私は小学生の頃に祖父から「海軍の軍人は街でよくモテた」「制服姿を見た女学生が歓声を上げていた」と聞いたことがあるのですが、艦女ちゃんたちを見ていたら、時代が一回りして海軍が憧れの対象になる時代が再来したのかなと感じました。

約30分の行程を終えて遊覧船は帰港しました。
ガイドを務めたもびうすさん、海士の制服を着ていることもあり、帰港後は観光客からの記念撮影攻めに遭っていました(笑)

もびうすさんは長野県出身で、横須賀教育隊修業後に舞鶴勤務を願い出て、去年8月に「しらね」に着任しました。長身かつスマートで、海士のセーラー服がよく似合います。観光客に接する物腰は柔らかく、まさに絵に描いたような“水兵さん”です。
もびうすさんの遊覧船ガイドは、舞鶴の観光資源と言っても過言ではありません。ただ、ガイドを担当するのは非番の日のみで、普段のガイド時には制服は着用していませんのでご了承を。

展示訓練は悪天候に悩まされたものの、“カッコいい海士くん”のお陰で遊覧船にて赫々たる大戦果!