呉基地 補給艦「とわだ」一般公開 |
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今年最初の呉遠征です。気候もだいぶ暖かくなってきたので、艦艇マニアにとっては撮影シーズン到来といったところです。 ちなみにこの日の天気予報は雨。今シーズンも雨男ぶりを遺憾なく発揮かと思っていたら、雨は朝までに止んでとても爽やかな快晴に。今シーズンは雨男返上といきたいところです(笑) 呉基地では毎週日曜日に艦艇が一隻公開されるのですが、私が遠征をこの日に選んだのは珍しい艦が公開担当艦だったからです。 |
その珍しい艦とは…補給艦「とわだ」です。私が知る限り、呉基地の艦艇公開で補給艦が公開されるのは初めてではないでしょうか?夏のイベントシーズンでも補給艦の一般公開なんて聞いたことがありません。とにかく貴重な機会です。 「とわだ」は「とわだ」型補給艦の1番艦で、1987年3月24日に就役。同型艦に「ときわ」(横須賀)、「はまな」(佐世保)があります。 全長167m、基準排水量8100t、乗組員は137人です。「とわだ」型は、護衛艦への洋上補給を目的に建造され、ペルシャ湾掃海派遣(ときわ)を皮切りに海外任務部隊への補給や、インド洋での補給活動に従事した経歴を持ちます。 |
乗艦して見学する前に厚生センターの前で氏名・住所の記入と見学上の注意事項について説明を受けます。 この日の第1回目(午前10時開始分)の見学者は40人ぐらい。しかし、これまでとは見学者の雰囲気が随分違います。一眼レフを手にしたいかにもマニアと思われる方々が大勢いるのです。 さらに驚くべきことに、その中に佐世保のASA-P氏がいるではありませんか!氏とは去年7月の「ひゅうが」公開以来のご対面なのですが、「とわだ」を見学したくて駆け付けたとのこと。マニアの考えることは皆同じですな…(笑) |
「とわだ」をお目当てに詰め掛けたマニアの方々をさらに大喜びさせたのがこの艦。何と、潜水艦救難母艦「ちよだ」が寄港していたのです。第2潜水隊群の所属で母港は横須賀ですが、修理中の「ちはや」の代役なのか、呉に来ていました。 この「ちよだ」、私とは猛烈に相性の悪い艦で、横須賀で撮影しようとしても不在だったり、後ろ姿しか撮れなかったりと散々だったのですが、ここで会ったが百年目、そのユニークな姿を存分に撮影させていただきました。 他のマニアの方々も、「ちよだ」にカメラの集中砲火を浴びせていました(笑) |
いよいよ「とわだ」に乗艦するのですが、「とわだ」の外観でひと際目立っていたのがこのマーク。 6ヶ所ある補給ステーションの側面にそれぞれ記号が描かれています。この補給ステーションは液体物資用ですので、この二つのマークは燃料と真水を表していると考えられます。 「とわだ」型には片舷3ヶ所、計6ヶ所の補給ステーションがあり、前部の1・2番と後部の5・6番が液体物資用、中部の3・4番がドライカーゴ用となっています。搭載する補給物資は、船舶燃料、航空燃料、弾薬、修理部品、糧食、真水など多岐にわたっています。 |
「とわだ」型は船体後部に巨大な箱型の艦橋構造物があります。船体の内部は大部分が燃料タンクや物資の倉庫に充てられているため、艦長室や士官室、士官私室だけではなく、護衛艦では船体内にある先任海曹室や科員居住区も艦橋構造物内にあります。 ちなみに補給艦の艦名は湖の名前が付けられていますが、これは海に淡水(真水)を流し続けている湖の姿が、艦艇に真水を補給する補給艦の姿と重なることから補給艦=湖の名前となったとのことです。なかなかナイスな命名基準ですね! |
乗艦後、まずは艦後方のヘリ甲板へ。かなり広いです。護衛艦のヘリ甲板よりもはるかに広いです。小規模ではありますが、ヘリ離発着の際に指示を出す管制室も設けられています。長い航海の際には、この広いヘリ甲板は絶好の艦上体育の場にもなりそうです。 補給艦なので当然ながらヘリコプターの搭載はないのですが、大型のMH-53Eの運用もスムーズに行えるように余裕のある広さにしているそうです。ちなみにMH-53Eは一般には掃海用ヘリとして知られていますが、輸送ヘリとしての能力も有しています。 |
「とわだ」のヘリ甲板から「ちよだ」の後ろ姿を撮影することができました。この角度から見ると「ちはや」とそっくりですね! 「ちよだ」は1985年3月に就役、初めて深海救難艇(DSRV)を搭載した救難艦です。 「ちはや」が救難と治療に特化した艦であるのに対し、「ちはや」は救難に加え潜水母艦機能を有しているのが特徴です。弾薬や燃料・糧食等の補給能力のほか、潜水艦1隻分の乗組員(約80人)に対する宿泊施設を備えています。2005年8月にはカムチャッカ沖で発生したロシア海軍の潜水艇遭難で、海自初の国際救難任務として出動しました。 |
ヘリ甲板から艦橋横の通路を通って艦前方の甲板へ。「とわだ」型は艦橋構造物の幅が船体の幅いっぱいにとられているので、通路はご覧のようにトンネルみたいになっており、その幅もとても狭くなっています。 艦前部の甲板は補給用の施設があるスペースです。雑誌や自分が撮影した画像などから色々な装置があることは分かっていましたが、実際にはどんな風になっているのでしょうか。胸を躍らせながら通路を通り抜けたのですが…。 通路を抜けて私の目に飛び込んできた光景、それは今までどの艦でも見たことのない驚くべき風景でした…。 |
前甲板に足を踏み入れてビックリ! そこには補給用の様々な装置が所狭しと並んでいました。まるでコンビナートに迷い込んだような雰囲気です。 あまりの凄まじい光景に、その場でしばらくの間呆然と立ちつくしてしまいました。我に返って撮影をしようとするのですが、あまりにもたくさんの装置があるので何をどのように撮ればいいのか分からず、かなり戸惑ってしまいました…(汗) こんなことなら、事前に予習しておくべきでした…。 |
そんな補給用装置のひとつ。メーターやバルブがたくさん付いていますが、何の装置なのかは分かりません。置かれている位置が液体物資用デリックポストのすぐそばなので、燃料もしくは真水を補給するための装置ではないかと思われます。 ちなみに「とわだ」型は、片舷あたり1分間に11klの燃料を補給する能力を持っています。雑誌やニュースで、両舷に護衛艦が並走しながら給油しているシーンをよく目にしますが、13ノットもの速度で航行しながら2隻同時に補給することができる技量を持っているのは、世界中の海軍でも海自だけです。 |
↑の装置を別の角度から見たところ。ボンベのような筒がたくさん並んでいます。この装置をはじめとして、補給用の装置はすべて右舷と左舷に同じものがあります。これにより、右舷と左舷で同時に別々の艦に補給することが可能になっているのです。 艦橋構造物のトップに並んでいる窓は、艦長らが指揮を執る通常の艦橋です。その下に窓が6つ並んでいる場所は補給管制室で、補給長や運用長らが補給作業の指揮を執る場所です。補給管制室は、護衛艦のCICにあたる補給艦の頭脳部とも言える場所です。 |
頭上はるか高くデリックポストがそびえ立っています。「とわだ」型には3基のデリックポストがありますが、前部と後部にある最上部がY字型になっているものが液体物資(燃料・真水)補給用で、艦中央の1基がドライカーゴ(物資)運搬用です。 画像のデッリクポストは艦橋構造物の直前にあるもので、燃料や真水を送るためのホースが備えられています。補給作業時にはこのホースが艦艇の給油口や給水口まで伸びていくのです。上部で横に伸びている部分は視界の妨げになるということで、次代の「ましゅう」型では姿を消しました。雲ひとつなく晴れ渡った空がとても美しいですね♪ |
これだけは何の装置かすぐ分かりました。クレーンですね(笑) ドライカーゴ用デリックポストのそばにあり、このクレーンとデリックポストで食糧や弾薬など物資の補給作業を行うのでしょうね。 ご覧のように、クレーンにはインド洋での補給活動の様子を収めた写真が掲示されていました。 補給艦は隊員の士気の源とも言える食糧も補給してくれるのですが、その中には自家製のパンもあり、これがとても美味しいとのこと。これとは逆に、インド洋で給油を行った米艦船から、補給のお礼に自家製(自艦製)のクッキーを贈られたこともあるそうです。 |
艦首に近い位置から艦橋方向を眺めたところ。デリックポストと補給用装置が立ち並んだ様子はまさにコンビナート、と言うかジャングルです。このような場所でインド洋の炎天下のもと、何ヶ月ものあいだ補給活動を行ったのかと思うと、乗組員の大変さは想像を絶するものがあります。 8年間に及ぶインド洋での補給活動は2月で終了しましたが、ここで改めて任務に参加した隊員さんに敬意を表したいと思います。 インド洋補給任務に従事した隊員の皆様、本当にご苦労様でした! |
呉基地の艦艇公開は、見学者は上甲板までしか入れないことが多いのですが、今回の「とわだ」は幸運なことに艦橋を見学することができました。やっぱりマニアは艦橋に足を踏み入れると心が躍りますね(笑) 艦橋構造物が幅広の船体いっぱいに幅があることから、艦橋内部も護衛艦と比べてはるかに広々としています。艦長もかなり大声を出さないと指示が行き渡らなさそうです。ただ補給艦だからといって特別な装備があるわけではありません。航海用の機器やレーダーは、80年代後半に就役した艦艇の標準的なものとなっています。 |
艦長席です。赤青二色のシートカバーが掛かっていることから、現在の「とわだ」艦長は二佐であることが分かります。 「とわだ」をはじめとする補給艦の艦長職は一佐の配置ですが、最近では古参の二佐が就くことも多いようです。現時点(2010年3月)では、「とわだ」型の艦長は全員二佐です。 海外派遣をはじめとして長期に渡る航海が多いことや、洋上給油の際には高い操艦技術が必要とされることなどから、補給艦の艦長には護衛艦等の艦長を2回ないし3回経験した熟練の幹部が配置されるのが慣例です。 |
艦橋から前甲板を見下ろすとこんな感じ。 上から見ても補給用装置の密林ぶりが一目瞭然です。さらに3基もデリックポストが立ち並んでいるので視界が遮られています。この視界で航海したり出入港するのは大変でしょうね…。高い技量を持つ人が艦長に就くのも頷けます。 補給艦の船体は商船用タンカーと同じ構造となっているので横幅があり、そのためか艦橋から前甲板を眺めると排水量以上の大きさを感じます。こんな大きな艦を己の号令で動かしてみたいと思った私。「出港用意!」と叫びたくなる衝動に駆られました(笑) |
艦橋での見学を終え退艦する途中に艦内を撮影しました。↑の画像は艦橋構造物の3階にあたる部分で、士官室や艦長室、士官私室がある区画です。士官室は来客の応接室でもあるため、護衛艦では1階(上甲板レベル)にあることが多いのですが、「とわだ」は3階にあります。ちなみに1階には医務室などがあります。また4階には先任海曹室などがあり、護衛艦では上甲板より下のレベルにある部屋が艦橋構造物内にあるのが補給艦の特徴です。 艦が大型であることから艦内の通路や梯子は護衛艦よりも幅が広く、全体的にゆったりとした造りになっています。 |
艦内にはインド洋での補給活動で給油を行った外国艦から贈られた盾が飾られています。まさに「とわだ」の勲章です。「とわだ」は2001年11月にインド洋給油活動の第一陣として派遣された補給艦であり、今年2月の活動終了までにインド洋に7回派遣されました。 他の補給艦の派遣状況は、同型艦の「ときわ」「はまな」が各7回、「ましゅう」が4回、「おうみ」が3回となっています。 このほか「とわだ」は、1992年の陸自のカンボジア派遣の際にも陸自隊員を乗せた輸送艦に随伴して給油にあたりました。 |
見学時間は1時間だったので、名残惜しかったのですが「とわだ」を後にしました。とても興味深い艦だったので、もっとじっくりと見学したかったです…。補給艦は国際貢献の名のもとに海外に派遣されることが多い艦であり、ある意味、海自さらには日本国の国際的プレゼンスの役割を一身に背負っている艦でもあります。 一般公開される機会がほとんどないので国民にあまり知られていない面もありますが、このレポートをきっかけに補給艦に興味を持っていただけたら嬉しいです。私も今回の見学を機に、今後の補給艦の活動をより一層応援することができそうです。 |