2018年11月 呉遠征

11月3~5日の日程で今年6回目の呉遠征を敢行しました。ついに海自カレーを全店制覇です!

4月の遠征からスタートした呉海自カレーのシールラリー、これまで5回の遠征で全29店舗中24店舗を制覇しました。残るは5店舗…ということでシールラリー全店制覇を達成すべく、また引き続き観光で呉の復興を応援するために今年6回目の呉遠征に出ます。
4月の開始時には全店制覇など目指していなかったのですが、カレーの美味しさとシールが集まる嬉しさにハマってしまいました。

残っているのは「かしま」「みちしお」「しもきた」「いそしお」「うんりゅう」のカレーですが、数日前に呉海自カレーの事務局から、「いそしお」カレーを提供している店舗が7月の豪雨で被災して営業休止が長期化しているため、営業再開まで「いそしお」のシールなしでも全店制覇とする特例措置を発表しました。ということで、今回の遠征で訪ねるのは4店舗です。間違いなく達成できるでしょう!

今回はフェリーを使わず、高速道路を4時間走って呉へ。到着後、さっそく今回の遠征最初の海自カレーを食べに行きます♪
宿泊先からお店に向かう途中で、歴史を感じさせる雰囲気の橋を見つけました。この橋の名は堺橋、1932(昭和7)年に架けられ、戦災をくぐり抜けて現在も幹線道路の橋として頑張っています。

この橋、どこかで見覚えがありませんか?映画「この世界の片隅に」の中で、街に出たものの水兵さんが多くて映画鑑賞を諦めた周作さんとすずさんが橋の上で語り合うシーン、橋で語り合う二人の背後に描かれていた市電が走る橋がこの堺橋です。映画では橋の形状のみならず側面の装飾まで寸分違わず描かれています。
二人が語り合った橋(小春橋)はこの橋の上流側すぐの場所にありますが、架け替えられて当時とは全く異なる形状になっています。

私が向かったのは中通2丁目にある焼肉店「叙寿苑」、ここでいただくのは輸送艦「しもきた」のカレーです。呉でも人気の焼肉店、しかも土曜の夜ということでカレー目当てのお一人様は敬遠されないかと少々心配だったのですが、とても気持ちよく迎え入れていただきました。カレーを待っている間にも私のようなカレー目的のお客さんが立て続けに来店、海自カレー人気を改めて実感しました。

スパイスがほど良く効き、牛肉の旨味がよく出たカレーの王道・保守本流というべきお味。さすがに高級焼肉店だけあって、サイコロ状に切られた牛肉がとても美味しい!加えて、福神漬がこれまで回ったお店の中で一番美味しいです
(笑) 姉妹艦「おおすみ」のカレーも海自カレーの王道的な味で、とても美味しかった記憶があります。輸送艦のカレーは最高だ!!※個人的な感想です。

翌朝、宿泊先から徒歩でアレイからすこじまへ向かいます。普段はバスかタクシーを使っているのですが、今回徒歩で向かったのは途中でJMU呉事業所のドックに入渠している艦を撮影したかったからです。普段の運動不足が祟ってヘロヘロになりながら坂道を登り(呉は坂の街なのです)、20分後にドックを見渡せる場所に着きました。練習艦「しまゆき」DE「あぶくま」が同時に入渠しています。

言うまでもなく、JMU呉事業所は呉海軍工廠を戦後に引き継いだ会社で、自衛艦の新規建造は行われていませんが、呉所属艦の修理・点検が行われる「現代の海軍工廠」というべき存在です。この第4ドック(旧呉海軍工廠第四船渠)は深さがあることから、自衛艦の修理・点検に使われており(自衛艦専用ではない)、やや浅い他のドックが民間船の建造・組み立てに使用されています。

第4ドックの南側にある大きな屋根付きの作業場が、戦艦「大和」を建造した呉海軍工廠造船船渠の跡です。明治44年に完成し、長さ270m、幅35mというスペックは当時は東洋一の規模を誇りました。
今は「大和のふるさと」として非常に有名な場所ですが、他には戦艦「長門」「扶桑」、空母「赤城」「蒼龍」「葛城」、重巡「愛宕」「最上」などの大型艦・有名艦がこのドックから生まれました。

戦後も多くの大型民間船を建造してきましたが、ブロック工法の発達・普及によりドックよりも平地の方が作業効率が上がることから、1992年に埋め立てられてしまいました。私が大学生だった80年代後半にはまだドックが残っており、大屋根も手前の白い部分のみでした。また南側に赤錆びた巨大なガントリークレーンも残っていて、海軍工廠時代の雰囲気が色濃く残っていました

アレイからすこじまに到着。さっそく在泊艦艇をチェックします。
水上艦も潜水艦も大多数が出払っていて、港内は少々寂しい雰囲気です。実は、7月の阪神基地隊行事で知り合った潜水艦救難艦「ちはや」の幹部に、事前に「呉に行くので一緒に飲まない?」と連絡したのですが、あいにく「ちはや」は神戸で修理中とのことでした。

主な在泊艦は訓練支援艦「くろべ」練習艦「やまゆき」「せとゆき」、あとDD「さみだれ」DE「とね」輸送艦「くにさき」の姿が見えます。「くろべ」の前方に停泊している潜水艦は「まきしお」です。カメラのフレーム内に「まきしお」「くろべ」「やまゆき」「せとゆき」の姿を収めた瞬間、4隻のカレーの味が代わるがわる口内に甦りました。艦を見ると条件反射的にカレーの味を思い出す体質になってしまったようです
(笑) この症状を抱える人、結構多いのでは…?

今回の遠征は艦艇公開を事前に申し込んでいます。正門の前で受付を済ませてFバースの前に集合、見学者は30人程度です。
案内役の総監部広報係の海曹に対し、70歳代の男性見学者が唐突に「潜水艦を見学させろ!」とわめき出しました。
爺さんアホか!

ただ、海曹もこの手の無理難題には慣れているのか、流れるような口調で「潜水艦は極めて機密の高い任務に就いておりまして…(途中省略)…見学には潜水艦隊司令官への事前許可が必要になりますが、許可申請しますか?」と畳みかけます。爺さんも「機密」「潜水艦隊司令官」といった言葉に圧倒されたのか口をつぐんでしまいました。やれやれ…。だいたいこの爺さんの世代は若い頃に散々自衛隊を馬鹿にしていた世代です。流行りに乗る形で今になって自衛隊に興味を持つ「手のひら返し」が許せません

本日の公開艦はDD「さみだれ」です。Fバース前から「さみだれ」が停泊しているEバースに向かって移動。途中、Eバースに停泊しているDE「とね」をいいアングルで撮影できました。凛々しく精悍な佇まいではありませんか!「あぶくま」と「うみぎり」がJMUに入渠しているため、現時点で第12護衛隊はこの「とね」が唯一の稼働艦です。

今やすっかり呉の風景の一部となっている「とね」ですが、呉には7年前の春(2011年3月)に転籍して来ました。就役から18年間は佐世保に在籍しており、私は佐世保・倉島岸壁に停泊中の「とね」を何度も撮影した経験があるためか、依然として「とね」は佐世保の艦のイメージが拭えず呉に停泊する姿には違和感を覚えます。一方、「あぶくま」は「とね」より1年早く舞鶴から転籍。不思議なことに、「あぶくま」が呉にいる姿には違和感を感じません。

同じくEバースには、数日前に遠洋練習航海から帰港したばかりの練習艦「かしま」が停泊しています。船体の所々に赤錆が浮いており、遠洋練習航海が長く過酷なものであったことを窺わせます。今年度の遠洋練習航海は世界一周コースで、5月21日に横須賀を出航、10月30日に横須賀に戻るまでの163日間で、訪問国は10ヵ国(寄港地は12ヵ所)、総航程は5万8000㎞にも達しました。

母港に戻って一息ついている「かしま」ですが、12月に入るとすぐに練習艦隊司令官の交代艦長の交代が立て続けにあり、さらにドック入りしての点検・修理と、再び忙しい日々が始まります。入渠後は訓練で乗組員の練度を上げ、来年度の練習航海に備えます。幹候校に入校中のT君は、来年春にこの「かしま」に乗って遠洋練習航海に出ます。T君がこの艦で出航する日が今から楽しみです。

日の公開艦はDD「さみだれ」です。呉では珍しく出船の向きで停泊しています。Aバースを使用する2隻の音響測定艦は出船で泊まりますが、それ以外の艦、とりわけEバースに泊まっているDDが出船なのは極めて珍しい光景です。なぜ「さみだれ」は出船で泊まっているのでしょう?遠航から帰港した「かしま」を出迎えるため?

「さみだれ」という艦名は帝国海軍の駆逐艦「五月雨」に続いて2代目ですが、「さみだれ」は「むらさめ」型DDの6番艦、「五月雨」は白露型駆逐艦の6番艦で、両艦は6番艦という点が共通しています。私が推察するに、本来なら5番艦「いなづま」の次(6番艦)は「いかづち」とすべきところを、6番艦繋がりによって「さみだれ」を6番艦とし、「いかづち」はその次の7番艦にしたと考えられます。ちなみに、8番艦と9番艦が雨とは関係のない艦名になった理由は謎です。

「さみだれ」に乗艦、残念ながら公開は上甲板のみ。3~4年前まで呉の日曜艦艇公開はかなりの高確率で艦橋に上がることができたので、現在の上甲板のみの公開は何とも寂しい限りです…前々回の遠征時(8月)にはJMUに入渠していた「さみだれ」ですが、ドックから出てまだ日が浅いためか、船体はとても美しく、また様々な箇所において整備が行き届いている印象を受けました。

「さみだれ」の主砲は76ミリ単装速射砲です。イタリアのオート・メラーラ社製で、海自のみならず世界各国の海軍艦艇で採用されているベストセラー砲です。砲盾は鋼鉄ではなくガラス繊維強化プラスチック製で、砲の防御というよりも風雨除けとしての性格が強いものです。見学者の中には「主砲がプラスチックで大丈夫か?」と言う人がいますが、あくまで風雨除けなので問題ないのです。

「さみだれ」艦上から航行中の遊覧船が見えます。午前10時出港の第1便です。早い時間の便だというのに、2階席には船体が転覆しそうなほどたくさんのお客さんが乗っています。まさにトップヘビー。豪雨から間もない8月上旬には10人に満たない乗船客しかいませんでしたが、今日の溢れんばかりの乗船客を見るに、観光面において呉は完全に日常を取り戻したと言えそうです。良かった!

背後のJMUエリアにある建造中の貨物船にご注目!埠頭上には船首部分が置かれ、海上には船体部分が浮いています。現代の造船の主流であるブロック工法がよく分かります。実は、ブロック工法は呉海軍工廠が戦艦「大和」を建造するに際して編み出した工法です。それが戦後に世界に広がり、造船の主流工法となったのです。その意味では、まさに呉は造船の先進地なのです。

「さみだれ」を降りたあと呉中央桟橋へ直行、私も遊覧船に乗って海上から呉の艦艇たちを撮影します。出港後、最初に目に飛び込んで来たのはJMUで修理中のDD「うみぎり」の姿、9月下旬に入渠して以来1ヶ月以上をかけて点検・修理を実施しています。
「うみぎり」左舷後方にある建物が、5枚目で紹介した「大和」を建造したドックを埋め立てた作業場です。ちなみに4枚目(第4ドック)と5枚目(「大和」建造ドック跡)の画像を撮影した場所が、矢印で示している歩道橋の上です。海上から見ると結構高い場所ですね…。

「うみぎり」の艦首直前にシーカヤックを漕いでいる人がいます。あんな所をカヤックで航行していいの?たまたま紛れ込んだだけ?それとも艦艇ファンのカヤック愛好家なの?JMUや呉総監部に叱られそうなので早く離脱した方がいいと思いますけど…。

Sバースに停泊している「そうりゅう」型潜水艦です。艦名は不明ですが、「うんりゅう」「けんりゅう」「せきりゅう」のいずれの艦だと思われます。1番艦「そうりゅう」が呉に配備された数日後、遊覧船からこの角度で「そうりゅう」を見て斬新なX舵に衝撃を受けた事を今も鮮明に覚えていますが、あれから9年も経つのですねぇ…。呉配備の「そうりゅう」型も「そうりゅう」「うんりゅう」「はくりゅう」「けんりゅう」「じんりゅう」「せきりゅう」の6隻を数えるまでになりました。

セイル上の旗竿に司令旗が揚がっています。水上艦とは異なり、潜水隊司令が座乗する潜水艦は哨戒等の任務には就いておらず、訓練・練成期間中の艦です。練度が上がって任務に就く際には司令は他艦に移ります。潜水艦は潜水艦隊司令官が直接指揮するため司令は指揮官ではなく教育・訓練の統制官の役割を担います。

練習艦「やまゆき」「せとゆき」と仲良く並んで停泊しています。
乗客が多く2階がすし詰め状態のため、今回私は1階の後部デッキ部分で撮影を行っています。立ち位置が水面に近いために至近距離の艦は見上げる形になり、2階席での撮影よりも艦が遥かに力強く、迫力ある姿に写りました。1階に陣取って大正解でした♪

「やまゆき」は青春時代を共に過ごした思い出深い艦です。あれから30年…、眩いばかりの最新鋭艦は4桁の番号を背負う練習艦となり、末は社長か大臣かと将来を嘱望された若者(私)はディープな艦船マニアオヤジになってしまいました。「お互い歳をとりましたね」。「やまゆき」が私にそう語りかけてくるのが聞こえました。「若い者にはまだまだ負けないぞ。熟練の技を見せてやる!」
そう心の中で答えた私に、「やまゆき」も頷いているようでした。

さきほど見学で乗艦していた「さみだれ」です。鋭く尖った艦首が素敵です♫ 前回の遠征時にも「さみだれ」はEバースの全く同じ場所に泊まっていましたが、呉のスタンダード・入船での停泊だったので艦尾からの姿しか撮れませんでした。今回は出船であることが幸いして、前方から迫力ある姿を写真に収めることができました。

おや?「さみだれ」は機動船(RHIB)を搭載しているではないですか…。ということは、次のソマリア沖海賊対処に派遣される艦は「さみだれ」の可能性があります。「さみだれ」は第1回目の海賊対処行動の派遣艦で、もし次回(32次隊)に派遣されれば、2013年の17次隊派遣以来、5年ぶり4回目のソマリア行きとなります。
※本稿を執筆中の11月16日に統合幕僚監部から、「さみだれ」のソマリア派遣が発表されました。出港は12月2日です。ご安航を!

遊覧船を降りたら既にお昼前、海自カレーを食べに行きます♪
訪れたのは海自カレー提供店に2ヵ所あるゴルフ場のひとつ、郷原カントリークラブです。呉のみならず広島市からも近いということで、この日も駐車場がほぼ満車になるほど多くのプレイヤーが訪れています。前回(9月)の遠征時に「まきしお」カレーを食べに呉カントリークラブへ行った経験から、今回は立派なクラブハウスに怖気づくことなくレストランへ向かうことができました
(笑)

安浦の呉カントリークラブほどではありませんが、この郷原カントリークラブも呉市中心部からかなり離れているので、到達難易度はやや高めといえます。ただ、東広島呉道路の郷原ICの目の前に所在することから、車を使えばそれほど苦労することなく辿り着くことができます。呉市中心部からの所要時間は20分程度です。

正午を少し過ぎた頃とあって、レストランは午前中のプレイを終えた人たちで大賑わい。そんな状況でも、郷原CCは海自カレーを食べに来た“お一人様の艦船マニア”を快く受け入れてくれました。ここで食べるのは、練習潜水艦「みちしお」のカレーです。「みちしお」は「おやしお」型の2番艦で、呉に初めて配備された「おやしお」型でしたが、去年2月に練習潜水艦に種別変更されています。

「くろべ」や「せとゆき」と同様、じっくり煮込んだ系のカレーで、7種類の香辛料が織り成すスパイシーな味と香りが特徴です。牛肉・ジャガイモ・ニンジンといった具が大きめなのもGood!特にジャガイモは大きさだけでなく煮え具合も絶妙で、カレーの風味をより一層引き立てています。私以外のお客さんは休日ゴルファーですが、その方々の中にもこのカレーを食べている人が多かったです。

レストランの一角にはカレーの認定書と認定式の写真「みちしお」の部隊帽や記念盾が飾られています。さらに壁面には海自艦艇のポスターがぎっしりと貼られています。「駅膳くれ」や「ハイカラ食堂」のように海自を強力にプッシュしてPRブース化した飲食店はありますが、風格や格調高さが求められるゴルフ場でこれほどまで海自を推すのは並々ならぬ事だと思います。間違いなくここは、日本一海上自衛隊を応援するゴルフ場と言えるでしょう。

郷原CCは呉市中心部から最も近いゴルフ場なので、海上自衛官や関係者・関係団体の利用も多いのかもしれません。私はこのテーブルで「みちしお」カレーを食べたかったのですが、残念ながらコースを回っている団体客用にリザーブされていました。郷原CCに行った際には、ぜひこのテーブルでカレーをご賞味ください。

カレーでお腹を満たした後は、恒例の戦跡めぐりです。今回は倉橋島に所在する特殊潜航艇にまつわる2ヵ所の基地跡を訪ねます。最初に訪れたのは大浦崎にあるP基地跡です。P基地の正式名称は呉海軍工廠大浦崎分工場で、「甲標的」「海龍」「蛟龍」「回天」といった特殊潜航艇の開発・生産拠点でした。同時に搭乗員の養成と訓練もこのP基地が一手に担っていました。

昭和18年3月に稼働を始め、特に戦争末期の昭和20年には「蛟龍」と「回天」を用いての本土決戦に備えるべく、多くの若者がこの基地で訓練に励みました。幸か不幸か、本土決戦は生起せず終戦、このP基地は即座に廃止されました。P基地という謎めいた名称なのは、高い機密性・秘匿性が求められる特殊潜航艇を取り扱う施設だけに、その存在を隠すためだったと考えられます。

当時P基地だった場所は、今は広島県水産試験場大浦崎公園に姿を変えています。中でも特殊潜航艇の生産・整備施設があったエリアは広島県水産試験場の敷地になっていて、一般人は立ち入ることはできません。水産試験場となったことで大半の遺構は取り壊されましたが、それでも僅かに当時の岸壁の一部(矢印黄)と艇を海に投入するクレーンの支柱基部(矢印緑)が残っています。

特殊潜航艇といえば特攻兵器「回天」のイメージが強いのですが、元々は帰還を前提とした超小型の潜水艦で、開戦劈頭のハワイ作戦を皮切りにシドニー港やディエゴ・スアレス港といった敵軍泊地への攻撃に投入されました。戦局の悪化により特殊潜航艇は特攻兵器へと変貌し、本土決戦の切り札とされてしまったのです。P基地で教育を受けた搭乗員は約2600人、うち439人が戦死しています。

水産試験場の裏手に綺麗に残っている当時の建物がありました!こんなに保存状態がいい戦跡に遭遇するのは初めてです。周囲の雑草が刈り取られているので、誰かが定期的に清掃してくれているようです。帰宅後に調べたところ、この建物は発電機室だったようです。外観からは分かりませんが、実はレンガ造りの建物です。

この建物のすぐ近くの水産試験場敷地内にもレンガ造りの倉庫が残っており、こちらは試験場の倉庫として今も使われているようでした。一帯には建物の塀や壁、防空壕の跡なども残っているのですが、どれも保存状態は悪く、荒れるに任せるがままといった状況です。ある意味、戦跡の宿命ともいえるのですが、P基地は特殊潜航艇を扱っていた基地だけに、戦後は意図的にその存在を忘れさせるよう仕向けられたような気がします。
※個人の見解です。

P基地から海岸沿いの狭隘な道路を車で走ること約50分、倉橋町大迫地区の海岸にあるQ基地の跡に着きました。ここは大浦崎のP基地の対岸にあたる場所で、昭和19年4月に水陸両用内火艇(=水陸両用戦車)の訓練基地として開設されました。約1000人の士官・水兵が集まり当初は特二式内火艇、特三式内火艇の訓練を行っていましたが、のちに特四式内火艇の訓練も行うようになりました。

水陸両用戦車隊は全てここQ基地から外地に出撃して行ったのですが、水陸両用戦車が各地に分散配置されたことから、Q基地は昭和19年内に一旦幕を下ろします。Q基地があった場所は現在静かな砂浜と農地に姿を変えていて、主な戦跡は桟橋の基礎部分が僅かに残る程度です。桟橋は1970年代まではほぼ原型を保っていたそうですが、風雨や波浪によって現在はご覧のような有様です。

Q基地が再び活気づいたのは昭和20年3月、特殊潜航艇「蛟龍」搭乗員の大量養成に迫られたものの、大浦崎のP基地だけでは訓練生の収容施設が不足したため、このQ基地が大浦突撃隊大迫支隊と名を改め、訓練生の収容先となったのです。約2000人の若者がこのQ基地で寝起きし、桟橋から機動艇に乗って対岸のP基地へと通い、「蛟龍」に乗るための教育と訓練を受けました。

桟橋跡が残る海岸を見渡す場所に記念碑が建っています。建立したのは当時Q基地に寄宿した元海軍軍人たちと思われ、碑文は第14代呉地方総監の香取頴男海将が揮毫しています。香取海将は海兵70期生(昭和16年卒業)で、指揮官か訓練生として当時のQ基地にいたのかもしれません。歴史に埋もれつつあるQ基地において、辛うじてこの碑が基地の存在を後世に伝えています

当時、海岸の後背地には宿舎烹炊所、浴室、作業場など多くの施設があったようですが、今はそれらは殆どが存在せず、代わりにミカン栽培のビニールハウスが兵舎のように立ち並んでいます。農地の中に水槽など当時の施設が僅かに残っているそうですが、農家に迷惑をかけたくないので、農地に入ることは控えました

前方の山を越えた先には砲弾の試射場で、戦艦「大和」の46センチ砲を試射したことでも有名な亀ヶ首射撃実験場の跡があり、このQ基地の沖合いの海域は、未成空母「阿蘇」が陸軍の特攻兵器「さくら弾」の試験標的になり、浸水・着底した場所でもあります。
このように今はのどかで美しい海が広がる倉橋島東部は、戦前・戦中の時期に海軍の様々な施設が置かれ、悪化する戦局の中でも海軍軍人らが懸命に教育と訓練・実験に励んだ場所なのです。

1時間少々かけて呉市中心部へと戻りました。時間的には少し早いのですが、夕食に海自カレーを食べます。向かったのは、以前に「かが」と「とわだ」のカレーを食べたクレイトンベイホテル。このホテル三つ目の海自カレーは練習艦「かしま」のカレーです。
価格は呉海自カレー最高の1994円、ただカレーだけではなく、前菜と食後のデザートもあるカレーのコース料理です。添え物の漬物が福神漬だけではなく4種類も出てくるのも何気に贅沢です。

「かしま牛舌カレー」と名付けられているように、牛タンがふんだんに使われている贅沢なカレーで、お味は上品の一言。さすがは遠洋練習航海で世界を巡り、国際親善の任を担っている艦のカレーだけのことはあります。価格が最高値であることも十分納得できるレベル。このカレー、「かしま」の貴賓室で味わってみたいものです。

「かしま」カレーの喫食によって、全店制覇まで残るは呉市役所の食堂が提供する潜水艦「うんりゅう」のカレーのみとなりました。
ということで、翌日のお昼に呉市役所9階(最上階)にある食堂へと向かいました。広島での記者時代から26年ぶりに訪れた呉市役所は、建て替えられてとても立派な庁舎になっていました
すごい…。

庁舎は2015年に完成しましたが、巨額の建設費をかけて立派な庁舎を建設したことに市民が怒ったのか、建て替えを推進した当時の市長は次の選挙で落選してしまいました。また、昨年から立て続けに窓ガラス(強化ガラス)が突然割れる事案が発生、調査の結果ガラス製造会社が不良品を納入していたことが判明し、997枚ものガラスを今後交換していくことになりました。威風堂々とした呉市役所ですが、実はトラブル続きの“可哀想な子”なのです。

シールラリーのラスト、潜水艦「うんりゅう」のカレーです。食堂のおばちゃんがとんでもない場所に福神漬を盛ってくれました(笑)
呉市役所の食堂は入口で食券を購入する方式ですが、食堂オリジナルのカレーもあるので注意!購入機の前で慌てて「カレー」と記されたボタンを押さず、「海自カレー」のボタンを押しましょう

ご覧のようにゴロゴロとした大きな肉と野菜が入った具だくさんなカレースパイシーで辛さがストレートに伝わってくるシンプルな味です。大きな具材とシンプルな味…まさに田舎の親戚の家で出てくるカレーという表現がぴったりなお味です(褒め言葉ですよ!)。
呉市役所は中心部にあるため到達は容易ですが、営業が平日のみ、しかも営業時間が11時から14時までに限られているため、私を含め休日に遠征する人にとっては利用が困難なお店です。

「うんりゅう」カレーに舌鼓を打ちながら台紙にシールを貼付、これで「いそしお」を除く28店舗のシールが揃いました。先に述べた特例措置により、これで全店達成=コンプリートとなりました。休業中の「乙女椿」(「いそしお」カレー提供店)の再開を待って真のコンプリートとしたいところですが、恐らく今回が今シーズン最後の呉遠征となる見通しなので、そこは妥協したいと思います。

4月遠征で食べた「そうりゅう」を皮切りに28店舗(28種類)の海自カレーを食べ歩いたのですが、カレーの美味しさもさることながら呉市内の様々な飲食店を知り、普段あまり行かない場所(倉橋島の最南端や大崎下島、ゴルフ場等)に行ったことは探検気分で楽しかったし、何より呉市を再発見する契機になりました。シールラリーは来年3月31日までなので、ぜひ多くの人に挑戦して欲しいです。

全店達成の記念品は呉駅近くの「くれ観光情報プラザ」で受け取りました。記念品はピンバッジとバッジを飾るボードですが、グループ達成の記念品も一緒に受領したので、かなり盛りだくさんなお品をいただきました
ボードに刻まれたシリアル番号は「036」、つまり私はのべ36人目の全店舗達成者ということになります。達成者が意外に少ないという印象…今年は西日本豪雨の影響もあり、現時点ではまだ達成者が少ないのかもしれません。

4月から5回に渡ってお届けした呉遠征企画は今回で一旦終了です。艦艇だけでなくカレーと戦跡にも焦点を当てた今年の呉遠征は本当に楽しく充実したもので、呉の新たな楽しみ方を知りました。レポートをお読みになった方々に「呉に行きたい!」と思ってもらえたなら、これ以上の喜びはありません。皆様、ぜひ呉へ!

艦艇だけでなく海自カレーと海軍の遺構にも焦点を当てた今年の呉遠征、呉の魅力の再発見に繋がりました