練習艦隊 神戸寄港(潜水艦就役&体験航海編) |
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第4突堤での練習艦隊入港歓迎式典終了後、中突堤に向かいました。ここは第4突堤と並ぶ神戸港の代表的な埠頭である一方、「鉄塔の貴婦人」との異名を持つ神戸ポートタワーや高級ホテル、博物館などが立地する神戸を代表する観光スポットでもあります。 中突堤の西側には、複合商業施設「神戸モザイク」があります。ここは元々は三菱グループの倉庫があった場所で、1980年代後半から90年代初頭にかけて隣接する貨物駅跡地や工場跡地とともに「神戸ハーバーランド」として一体的に再開発されました。 華やかな雰囲気の商業施設や観覧車が立ち並ぶ「神戸モザイク」ですが、その南側には巨大なクレーンと工場の建物が林立しています。そう、「神戸モザイク」の南側に広がる広大な工場群こそが、これから私が遊覧船に乗って撮影しようとしているターゲットなのです。その工場の名は川崎重工神戸工場と三菱重工神戸造船所、日本で唯一(唯二?)潜水艦を建造している造船所です。言い換えれば、海自の潜水艦はすべて神戸に所在するこの二つの造船所の生まれであり、潜水艦は神戸の“特産品”なのです。 |
遊覧船が出港して僅か3分後、整備中の潜水艦の姿が目に飛び込んできました。船体に艦番号も艦名も表記されていないので艦名は分かりませんが、「おやしお」型潜水艦のようです。この場所は川崎重工の整備用岸壁で、先ほど紹介した「神戸モザイク」とは目と鼻の先ほどの距離しかありません。「神戸モザイク」は元々は倉庫や工場があった場所に建っているからではありますが、華やかな商業施設と武骨な造船所が隣接している光景はなかなか面白いというか、シュールさすら感じます。 海自の潜水艦は年次検査や定期検査で神戸の両造船所(川重・三菱)に定期的に入渠します。その間、乗組員は工場内にあるドッグハウスに宿泊し、そこから整備中の艦に通勤することになります。定期検査ともなると半年以上もの長期間入渠するケースもあるため、家族持ちの乗組員の中にはドックハウスに奥さんや子供を招いて一時的な神戸転居をする人もいるとのこと。一方、独身の乗組員は神戸での生活中に地元女性と知り合い結婚するケースも。潜水艦乗組員の奥さんに神戸出身者が多いのはこのためです。 |
おぉ、珍しいお客さんがいるぞ…。去年3月に就役した潜水艦救難艦「ちよだ」です。「ちよだ」は三井造船玉野事業所で建造されましたが、遭難潜水艦の乗組員を救助するための深海救難艇(DSRV)はここ川崎重工神戸工場での建造です。恐らく、DSRVの点検・整備のために来航していると思われます。「ちよだ」は入れ替わりで退役した潜水艦救難母艦「ちよだ」の後継艦で、救難能力は飛躍的に向上しましたが、潜水艦への燃料・水・糧食・魚雷の補給能力、潜水艦乗組員用の休養施設は廃止されました。先代「ちよだ」が救難機能も併せ持つ潜水母艦だったのに対し、現「ちよだ」は潜水艦救難に特化した救難専用艦となったのです。 それにしても、「ちよだ」の後継艦が「ちよだ」という艦名になったのは、まるで海上保安庁の船のような命名で納得がいきません。命名元である城の名前がネタ切れだったのかもしれませんが、ならば潜水艦救難艦の名門艦名である「ふしみ」にすべきだったと私は考えます。どうも「しらせ」以降、「むろと」「ちよだ」と合点がいかない命名が続いていることにある種の危惧を覚えます。 |
「ちよだ」を前方から撮影。先ほどの後ろ姿といい、この前方からの佇まいといい前型式の「ちはや」(2000年3月就役)とそっくりです。 パッと見で違いが分かるのはマストがラティス構造から筒型になったのと、「ちはや」では艦橋上部にあった救難指揮所(RIC)が艦内に移ったために艦橋構造物上部がスッキリした点ぐらいでしょうか。全長128.0m、最大幅20.0m、深さ9.0mという船体サイズも「ちはや」と寸分違わず同じで、「ちよだ」とは準姉妹艦、あるいは年が離れた姉妹と言ってもよさそうです。 とはいえ、「ちはや」とは20年近い歳月を経て建造されただけに随所に改良が施されており、特に大規模災害時の医療支援を想定して手術室や病床等の医療施設が新たに設けられました。また搭載するDSRVも「ちはや」搭載艇よりも推進性能や耐水圧性能、救助者収容人数が大きく向上していて、現時点においては世界最高峰の潜水艦救難艦となっています。 |
今回、私が遊覧船に乗って撮影を敢行した最大の目的がこれ!本日、川崎重工から海自に引き渡され海自艦として就役する潜水艦「しょうりゅう」です。午前11時から引渡式と自衛艦旗授与式が行われていて、残念ながら今回も式典に招待されなかった私は遊覧船に乗って海上から式典と引き渡された直後の「しょうりゅう」を撮影することを目論んだのです。 私の目論見は見事に当たり、↑のような式典中の「しょうりゅう」を撮影することに成功しました。既に自衛艦旗が掲揚されていて、甲板上に乗組員が整列していることから、海幕長が乗艦して艦長以下の乗組員に対して訓示を行う前のようです。 「しょうりゅう」は「そうりゅう」型潜水艦の10番艦で、「そうりゅう」型の最大の特徴であるスターリング発電機による非大気依存推進システム(AIP機関)を搭載する潜水艦は本艦が最後です。「そうりゅう」型の建造は「しょうりゅう」のあとも2隻が計画されていますが、純粋な「そうりゅう」型は、10番艦という節目の艦である「しょうりゅう」が最終艦となります。 |
川崎重工の南側に隣接するかたちで三菱重工神戸造船所があります。海自は神戸に所在する川重・三菱の両造船所に毎年交互に潜水艦を発注しています。そのため進水式と自衛艦旗授与式も、両造船所において毎年交互に実施されることになります。言い換えれば、毎年川重か三菱のどちらかで潜水艦が進水し、就役しているのです。まさに潜水艦マニアの聖地です。 三菱の浮きドッグには「そうりゅう」型潜水艦が入渠して整備を受けています。船殻の厚さと並んで潜水艦の機密中の機密であるスクリューの形状が視認できないよう、後部には厳重な目隠しが施されています。また、船体の側面側にも目隠しが設置されています。 こうして見ると、潜水艦は喫水より下の部分の面積が大きく、私たちが普段目にする潜水艦の姿は全体の3分の1程度でしかないことが分かります。また船体の吸音タイルは、喫水線の下の部分も含めた船体全体に張り付けられていることが分かります。 |
三菱重工内にもう一隻、潜水艦の姿を発見。点検・整備中の「そうりゅう」型かと思ったのですが、よく見ると船体後部に艦名が表記されています。こ、これは…来年度に就役する改「そうりゅう」型ではないですか!!(驚愕) この艦は来年3月に就役予定の「そうりゅう」型11番艦「おうりゅう」です。「そうりゅう」型ではありますが10番艦「しょうりゅう」までが搭載しているスターリング発電機によるAIP機関は搭載せず、代わりにリチウムイオン二次電池を搭載した改「そうりゅう」型と呼ぶべき艦です。「おうりゅう」は漢字表記では「凰龍」で、「知的で賢く、かつ縁起の良い龍」という意味です。 川崎重工と三菱で建造される海自潜水艦ですが、同じ設計図を使って同型艦を建造しても艦内の細かい設備や仕様は別型式の艦と思えるほどの違いがあります。また艦長経験者の話では、川重製と三菱製は操艦時の艦の乗り味に違いがあるとのこと。ごく僅かな感覚的な差だそうですが、三菱製は剛性感が高いカッチリとした動きをするのに対し、川重製は軽快で素直な動きをするそうです。 |
造船所ゾーンを通過した遊覧船は神戸空港手前でUターンし北上、途中進路を東に変えて神戸大橋方向へと航行します。 遊覧船乗船の第二の目的は、第4突堤に接岸中の練習艦隊を海上から撮影することです。遊覧船はすべての便が神戸大橋へ向かう訳ではありません。そのため私は乗り場で各便のルートを確認して、神戸大橋方面に向かう便に乗った次第です。鮮やかな赤色に塗られた神戸大橋が近づくと、その下から「かしま」と「いなづま」の姿が見えてきました。おぉ、これは心が躍りますねぇ♪ 神戸大橋は神戸市街地(第4突堤)とポートアイランドを結ぶ橋で1970(昭和45)年に完成。全長は322mで、上部が市街地方面、下部がポートアイランド方面への一方通行になった二階建ての橋です。この橋の建設に伴って第4突堤は200m延伸され、私たちが撮影で利用するポートターミナルもこの時に建設されました。実は第4突堤は神戸大橋の橋脚の役割も果たしているのです。 |
第4突堤に並んで停泊する「かしま」と「いなづま」をほぼ正面から撮影。こうしてみると両艦の乾舷の高さの違いや艦首部の船体ライン流れが明瞭に分かります。「かしま」は乾舷が高いだけでなく船体の横幅が広く、また艦橋構造物も幅広の直線的な形状になっていて実習幹部の教育や実習が行いやすいよう配慮された設計であることが分かります。 「かしま」「いなづま」の背後には、来年3月就役予定の新型イージスDDG「まや」の命名元となった摩耶山が見えます。「まや」就役後、いつかこの第4突堤で摩耶山を背景にして「まや」を撮影してみたいものです。就役後すぐの”お国入り”はあるのでしょうか? |
「いなづま」を左舷前方から。カメラレンズの広角効果もあって「むらさめ」型DDの鋭く尖った艦首と、美しい船体ラインが明瞭に見てとれます。この鋭く尖った艦首形状は航走雑音の低減を狙ったものですが、加えて優れた凌波性・砕波性をもたらすことになりました。 この位置からは分かりにくいのですが、船体後部のヘリ甲板はなだらかに傾斜する「ミニ・オランダ坂」構造になっています。 「艦これ」屈指の人気キャラ「電ちゃん」の影響もあって古参マニアにとっては鬱陶しいほどの謎人気を誇る「いなづま」ですが、この艦名は帝国海軍時代を含めると本艦で4代目という、海自屈指の伝統ある艦名でもあります。そしてどの代においても姉妹艦に「雷(いかづち)」がいるのも特筆すべき特徴です。「艦これ」で「雷」と「電」が仲の良い姉妹設定であるのもある意味納得です。 |
こちらは「やまゆき」。林立するビル群や高架道路という都会的な構造物を背景して艦艇を撮影できるのは神戸の最大の魅力です。山並みの中腹に神戸市の市章と錨マークがあるのに注目!昼間はあまり目立ちませんが、夜間は電飾が行われその形を山服に美しく浮かび上がらせます。この山麓電飾は日没から23時まで行われ、夜の神戸のシンボルとなっています。 調べてみると、この山麓電飾は歴史が意外に古いので驚きました。電飾が始まったのは戦前の昭和8年で、以来、太平洋戦争中と終戦直後の一時期を除いて灯され続けています。阪神大震災発生時の夜も灯され、被災した神戸市民を大いに勇気づけました。 こうして改めて「やまゆき」を見ると、34年もの艦齢を重ねた渋みというか、得も言われぬ雰囲気を持っています。その雰囲気はここ数年以内に就役した新鋭艦では決して醸し出すことができない、いわば“年輪”ともいうべき雰囲気です。こういう事を書くと、ここ数年内に海自ファンになった新参者がムキになって「『かが』や「あきづき」型、「あさひ」型の方が素敵だ」とか言って絡んできますが、それはこの数年しか艦を見ていないからであり、「そういう反論は30年近く艦を見続けてから言え!」と言いたくなります。 |
約1時間のクルーズを終えて遊覧船が中突堤に戻ってきました。赤い美しい塔が「鉄塔の貴婦人」と呼ばれる神戸ポートタワー、そして白い特徴的な形をした建物は低層階(1~2階)が中突堤旅客ターミナル、3階以上が「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」という名称のホテルになっています。中突堤は大型クルーズ客船の発着地で、「にっぽん丸」(商船三井)や「ぱしふぃっくびいなす」(日本クルーズ客船)、「飛鳥Ⅱ」(郵船クルーズ)といった人気客船もこの中突堤を使用します。 ポートタワーを含めたこの一帯は、1968(昭和43)年に地球侵略を目論むペダン星人が送り込んだロボット(キングジョー)が大暴れしたことで壊滅的な被害を受けましたが、今ではその被害の痕跡をまったく見ることができないほど復興しています。(50歳以上の方々はこの記述の意味がお分かりになると思います) 一方で、ポートタワーの東側には「神戸港震災メモリアルパーク」があり、阪神淡路大震災で被災して海中に水没したメリケン波止場の一部(60m)が保存・公開され、震災のすさまじさを今に伝えています。 |
中突堤で遊覧船を降りた私は、「しょうりゅう」の出航シーンを撮影すべく川崎重工と三菱重工に挟まれた場所に位置する埠頭へ向かいました。実はこの埠頭、中突堤からやや距離があり、道順もよく分からないのでどうしたものかと困っていたのですが、遊覧船上で知り合ったマニアさんに昼食をご馳走することを条件に、半ば強引に車で連れて行ってもらいました。ありがとうございました!! ちなみにこのマニアさん、地元・由良に来航する潜水艦の姿を捉えた素敵な画像をTwitterに投稿している方で、実は私も随分前からフォーローしていて、しかも何度も「いいね!」ボタンを押していました。世の中って意外に狭いものですねぇ…。 午後2時40分、海自に引き渡された「しょうりゅう」が曳船に付き添われながら川崎重工の工場内から出てきました。私が立っている埠頭には平日にも関わらず100人近くの人がカメラを手に待ち構えていて、「しょうりゅう」が姿を現すと一斉にカメラのシャッター音が埠頭に響き渡りました。それはまるで「しょうりゅう」の就役を祝い、今後の活躍を祈念する拍手のようにも思えました。 |
「しょうりゅう」の甲板上には乗組員が整列し、セイル上部には艦長と操艦にあたっている航海長らの姿が見えます。あと、セイル中央部に備え付けられた舵の上にも乗組員がいます。見張り要員でしょうか?セイル側面に記された艦番号「510」は母港到着後間もなく消されます。艦番号を纏った潜水艦の姿は約20年に及ぶであろう艦歴において、公試時と就役直後にしか見られない貴重な姿です。 同じ川崎重工内にいる潜水艦救難艦「ちよだ」の甲板上や艦橋露天部には乗組員が集まり、「しょうりゅう」の出航を見送っています。艦橋上部には「潜水艦しょうりゅう 頑張れ」と記された横断幕が…「しょうりゅう」の乗組員もさぞ嬉しく、元気付けられたことでしょう。潜水艦救難艦は水上艦ではありますが潜水艦隊の所属で、艦長と副長は潜水艦艦長経験者です。それだけに、「ちよだ」では艦長以下乗組員全員が新たに就役した潜水艦に頑張って欲しいとの思いを強く抱いていることが、この横断幕から伝わってきます。 |
「しょうりゅう」は大きく面舵をとって変針、己を生み育ててくれた神戸の街に別れを告げます。点検・整備でちょくちょく戻ってきますが…。 背後に見える赤い橋は先ほど紹介した神戸大橋で、橋のたもとには「かしま」と「いなづま」の艦首がチラ見しています。このカット、練習艦隊と最新鋭潜水艦が同じ一枚の画像に収まるという、なんとも贅沢な構図になりました。 「しょうりゅう」を含めこれまでに海自が建造した潜水艦は54隻、そのいずれの艦もこの「しょうりゅう」のように神戸に別れを告げて母港となる配備先の港(横須賀・呉)に旅立っていったのでしょう。その意味では、神戸は海自潜水艦の故郷・母なる地であり、潜水艦の就役と出航は春の神戸で繰り広げられる巣立ちの光景といえるでしょう。春には江田島で幹部候補生が、そして神戸では潜水艦が巣立っていくのです。幸運なことに私はこの春、江田島と神戸においてその両方の巣立ちを見ることができました。 |
「しょうりゅう」の甲板上では乗組員が「ありがとう神戸」と記した横断幕を掲げて、神戸への感謝の気持ちを示しています。 横断幕は出航直後は川崎重工に謝意を示すために左舷側を向いていましたが、変針して神戸港外へ向かう進路をとると、私や関西の艦船ファンが立つ埠頭に向けてアピールするかのように右舷側に向きを変えました。お蔭で↑のような素敵な画像が撮影できたのですが、SNSをはじめとするネット全盛の時代だけに我々のようなファンに対してもアピールを欠かさない姿勢はお見事です。 左端の乗組員は「しょうりゅう」の艦マークが描かれた旗を振っています。「しょうりゅう」は漢字で記すと「翔龍」だけに、天に向かって翔ける龍の姿が描かれているようです。ちなみに「そうりゅう」型の5番艦の名は「ずいりゅう」(瑞龍)で、本日の「しょうりゅう」(翔龍)の就役によって、帝国海軍の「瑞鶴」「翔鶴」を彷彿とさせる「瑞龍」「翔龍」姉妹が誕生したことになります。今回は10人姉妹ですが…。 |
「しょうりゅう」はゆっくりとした速力で神戸港外へ向かいます。晴れて就役の日を迎えることができて、艦長以下乗組員はどのような気持ちなのでしょうか?「よし、頑張るぞ!」「『しょうりゅう』を精強な艦にするぞ!」「やっと自宅に帰ることができる」など、様々な想いや決意が胸に去来していることでしょう。しばらくは就役訓練等で多忙な日々が続きますが、乗組員の皆様には「しょうりゅう」を一日も早く戦力化させるべく頑張っていただきたいと思います。いざ出陣!頑張れ!しょうりゅう!! 「しょうりゅう」の配備先ですが、「横須賀の第6潜水隊では?」という大方の予想を裏切り、呉の第1潜水隊に配備されます。これにより第1潜水隊は「しょうりゅう」「じんりゅう」「まきしお」「いそしお」の4隻体制となります。「しょうりゅう」とはこれから呉で頻繁にお会いすることになりそうです。そして、ぜひカレーのレシピを提供して、呉海自カレーのラインナップに加わって欲しいと切に思います。 |
「しょうりゅう」就役の翌々日、私は三たび練習艦隊が停泊している第4突堤に足を運びました。実は練習艦隊は糧食等の補給のために本日午前8時に第4突堤を出港し、阪神基地隊に回航します。そして私は回航する「やまゆき」に乗艦し、1時間程度ではありますが第4突堤から阪神基地隊までの神戸港クルーズを体験するのです。ちなみに実習幹部は研修に出ていて艦隊にはいないようです。 朝日に照らされて輝く「やまゆき」が私を出迎えてくれています。旧式ながら堂々とした威厳に満ちた佇まいがとても素敵です♫ この雰囲気こそ、年輪を重ねた艦だけが醸し出すことができる‟いぶし銀の輝き”なのです。特に「やまゆき」は今日まで私と共に年齢を重ねてきた‟友人”であるだけに、その姿に自分の人生を重ね合わせてしまいます。その意味では、いま私の目の前にいる「やまゆき」は、50歳を超えてしまった私の姿そのものなのかもしれません。こんな風な威厳はありませんけど…。 |
午前7時55分、先陣を切って「いなづま」が出港します。 「いなづま」と「かしま」を結んでいた最後の舫が放たれると同時に、艦尾の旗竿に自衛艦旗が掲揚されました。このように自衛艦が艦旗掲揚時刻である午前8時より前に出港する際は、最後の舫が解かれた瞬間に自衛艦旗を揚げます。その際、ラッパによる「君が代」の吹奏はありません。逆に言えば、自衛艦は何時であろうと航行中は自衛艦旗を掲げていなければならないという事になります。 逆に自衛艦が午前8時よりも前に接岸する際は、舫で艦と岸壁が結ばれたら自衛艦旗を降ろし、午前8時になったら「君が代」のラッパ吹奏を伴った通常どおりの艦旗掲揚を行います。1日で最も神聖な儀式である艦旗掲揚ですが、実は様々なパターンがあるのです。 |
いったん後進した「いなづま」は曳船の力を借りて向きを変え、港外へ向かう航路に就きます。かなりの逆光ではありますが、「むらさめ」型DDの美しい船体ラインがよく分かる一枚になりました。「いなづま」は「むらさめ」型DDの5番艦で、就役は2000年3月なので既に艦齢が19年にも達しています。新鋭艦のイメージがあったのですが、実は“熟女”と呼ばれてもいいほどの艦齢に差し掛かっています。 今年2月に「しらぬい」が就役したことによって、護衛隊群所属のDDが全艦「むらさめ」型以降の第二世代艦となったのですが、1番艦「むらさめ」は艦齢が23年にも達しており、そろそろ代艦を検討しなければならない時期に差し掛かっています。代艦として「あさひ」型を引き続き建造するのか、それとも新艦種FFMで代用するのか、今後の動向が大いに注目されます。 |
午前8時ジャスト、自衛艦旗掲揚の時刻です。午前8時過ぎに出港する「かしま」は「君が代」のラッパ吹奏に合わせて通常通りの艦旗掲揚を行います。艦旗掲揚時、手あきの乗組員は自衛艦旗、もしくは自衛艦旗を掲揚する艦尾方向に向かって正対し敬礼を行わなければなりません。岸壁上では出港作業の支援に来ている阪神基地隊の隊員も、「かしま」の自衛艦旗に対して敬礼しています。 いま自衛艦旗が掲揚されている「かしま」の後部甲板は、昨夜艦上レセプションが開催された場所ですが、まるでレセプションなど無かったかのように何の痕跡も残さず片づけられています。私は「かしま」を撮影しながら、美味しいカレーを食べ、多くの実習幹部たちと楽しいひとときを過ごしたレセプションは、実は「春の夜の夢」だったのではないかという錯覚に襲われました。 |
「やまゆき」艦上でも自衛艦旗が掲揚されています。私は「いなづま」と「かしま」の出港シーンを撮影するために艦首に近い場所にいたのですが、傍にいたイケメンの海士くんも自衛艦旗がある艦尾に向かって敬礼を行っています。ビシッとした凛々しい姿です♪ 出港までこの海士くんと色々と話したのですが、彼は広島市安佐南区出身で、自宅の場所や通った学校がかつて私が研究室の実習で通った場所と近く、広島ネタで大いに会話が弾みました。この海士くんも私と同様、この「やまゆき」に大変な愛着を持っていて、「やまゆき」の退役が寂しくて仕方がないとのことでした。一方で、「退役の日まで『やまゆき』が立派に務めを果たせるよう頑張ります」とも語ってくれました。なんて素晴らしい心構えでしょう!海士くん、退役の日まで「やまゆき」を頼んだぞ!! |
パカパパ~ パカパパ~ パカパッパ パッパパ~♪ 威勢の良い出港ラッパの吹奏とともに「かしま」が動き出しました。 こうして近くで見ると「かしま」の高い乾舷による視覚効果なのか、排水量が4000t足らずの艦とは思えないほどの威風堂々とした印象を受けます。高い乾舷とは対照的に艦橋構造物は低く抑えられており、それによって均整のとれたプロポーションを実現しています。 また、上甲板が後部甲板の手前でなだらかに傾斜したオランダ坂構造も明瞭に分かります。「かしま」が企画・設計された時期はステルス性が叫ばれる前だったため、煙突の形状は丸みを帯びており、それが却って優雅さを醸し出しています。 「かしま」では様々なウエポンを使っての訓練を行えますが、外観を見回しても速射砲と短魚雷発射管しか見当たりません。「かしま」ではアスロックやハープーン、シースパロー等の訓練はシュミレーターによって実施するため実物は搭載していないのです。 |
「やまゆき」の出港時刻が近づいたので艦橋に上がってみました。そこでは艦長と航海長が航路上にいる船舶を確認し、先行する「いなづま」と「かしま」がどのように他の船舶を避けながら航行しているかを確認しています。恐らく、これから航行する際の参考にするのだと思われます。普段、私たちは自衛艦の出港風景を何気なく見ていますが、実は出港前には艦長や航海長らが事故防止に向けた入念な確認と打ち合わせを行っているのです。出港時刻になったので何も考えずに沖合に出ている訳ではないのです。 袖に三本の金線が入っている人が艦長の鳥羽2佐です。細身で笑顔がとても素敵な、優しそうな艦長さんです。後ろでジャイロコンパスを覗き込んでいるのが航海長(2尉)、背中を向けている女性幹部は3佐の階級章を付けているので、恐らく副長だと思われます。 |
パカパパ~ パカパパ~ パカパッパ パッパパ~♪ 出港ラッパの音と共に「やまゆき」も出港、ゆっくりと第4突堤を離れていきます。 出入港時は艦長操艦が基本なので鳥羽艦長がジャイロコンパスの前に立っていましたが、程なく操艦を航海長に渡しました。操艦を受け取った航海長は2尉の若い幹部ですが、操舵員に手際よく指示を出して船舶ひしめく港内を悠々と航行していきます。艦長もよほど航海長を信頼しているのか、艦長席で余裕の表情。鳥羽艦長は部下の幹部たちと厚い信頼関係を築いていることが窺えます。 白い天井に伝声管、クラシカルな機器など、古き良き護衛艦の姿が私の目の前に広がっています。何だろう、この懐かしい感じは…。 |
「やまゆき」は一路、阪神基地隊へ向けて航行します。といっても、かなりの微速航行ですが…。実は「やまゆき」においては阪神基地隊への回航を利用して募集対象者や関係者向けの体験航海を実施しているのです。ですから私以外には、兵庫地本が招待した中・高生や乗組員の家族・知人が乗艦しています。「やまゆき」が微速航行しているのはそれが理由なのです。 未曾有の募集難の時代、加えて海自は長期間に渡る航海が敬遠されて三自衛隊の中でも最も人員確保に苦戦しています。一方で、募集広報に力を入れたくても、任務増大と艦艇不足によってかつてのように夏の体験航海を実施できない状況となっています。そこで数年前から各地で実施されるようになったのが造船所や基地等へ回航する艦を使っての体験航海、しかも募集対象者のみを乗せるもの。最近各地で頻繁に小規模な体験航海が実施されている背景には、このような切実な現状があるのです。 |
「やまゆき」のヘリ格納庫に真っ赤なTシャツが飾られています。カープファンの乗組員が片づけるのを忘れているのかと思いきや、胸には「RisingCarp」、背中には「yamayuki」の文字が…「やまゆき」オリジナル「ライジングカープTシャツ」です。 最近とみに有名になりましたが、過去に「やまゆき」の艦長を務めた人の中に熱烈なカープファンがいて、カープ愛が強すぎたあまり「やまゆき」のコールネームを「ライジング・カープ」に変更してしまったそうです。加えて、部隊マークを鯉のぼりをモチーフにしたデザインに変え、科員食堂には錦鯉の絵を飾るなど、まさに「やまゆき」をカープ一色の艦にしてしまいました。今では「やまゆき」=カープ推しの艦ということで海自内にも知れ渡っています。ちなみに私も大のカープファン、その点でも「やまゆき」に親しみを感じます。 ちなみに、「ライジングカープTシャツ」は現在在庫切れとのことでした。あぁ、購入したかった…。 |
ヘリ格納庫の中にはプレハブ造りの実習員講堂があります。護衛艦から種別変更された練習艦は艦内に実習員行動を有しないことから、ヘリ格納庫にプレハブの実習員講堂を仮設します。もちろん仮設なので撤去は簡単、「あさぎり」と「やまぎり」が練習艦から護衛艦へ再種別変更された際には跡形なく撤去されました。さて、「やまゆき」退役後に練習艦に種別変更されるのはDDG「はたかぜ」ですが、この艦にはヘリ格納庫がありません。実習員講堂は何処に設置するのでしょうか?もしやヘリ甲板上に露天で設置かも…。 |
実習員講堂の内部です。外から見た時はプレハブ造りの、いかにも仮設といった雰囲気が満載でしたが、内部はご覧のようなしっかりとした造り。とてもプレハブの仮設講堂には見えません。3人掛けのテーブルが12個あり、最大で36人を収容することができます。 設備が整い、同期の多くが乗艦している「かしま」での実習もいいですが、この「やまゆき」において少人数で和気あいあいと実習というのも良さそうです。まぁ、実際は和気あいあいなどとは言ってられない状況かもしれませんが…。 |
阪神基地隊到着までまだかなり時間があるので艦内を探索します。第1甲板の通路には数多くの記念盾や賞状が飾られていて、「やまゆき」の30年以上に及ぶ艦としての人生の厚みを否応なしに感じさせられます。 記念盾は諸外国海軍の艦艇と共同訓練等を実施した記念に交換するもので、「やまゆき」に飾られている記念盾は数えることすら不可能に思えるほどの多さです。また盾は空母「キティホーク」など既に退役した懐かしい艦の物が多く、ある意味お宝だらけです。 一方、賞状は「やまゆき」が収めた優秀な術科成績に対して贈られたもので、栄えある年度優秀艦の賞状からサンレッド投てき第1位といった変わり種まで様々な賞状があります。中には紙が黄色く変色したのものもあって、艦歴の長さを実感させられます。 |
機関操縦室を覗いてみました。二人の機関科員が機関制御盤の前に座って主機を制御しています。機関制御盤に注目!新鋭艦で採用されている液晶画面がひとつも無く、数多くのアナログメーターが並んでいます。このアナログな雰囲気、最高です! 「やまゆき」をはじめ12隻が建造された「はつゆき」型DDは、海自で初めてオール・ガスタービン推進を採用したエポックメイキングな艦です。可変ピッチプロペラによる素早い反応と速度切り替えは、就役当時大きな驚きをもって迎えられました。DD「はつゆき」の艦長経験がある元海将補の渡邉直氏は著書「艦長を命ず」の中で、「ゆき」型DDの艦長となった喜びを次のように記しています。 「すごい艦だ!この素晴らしい艦をお預かりした以上、俺はこの艦を十分に使いこなしてみせるぞ…」。 |
乗組員のオアシス・科員食堂です。少し前までは一般公開で普通に立ち入ることができた科員食堂ですが、最近は滅多に公開されなくなり、今回のような体験航海でしか立ち入ることができなくなりました。真夏の一般公開時に科員食堂でいただく麦茶がとても美味しかったのですが…。久しぶりに訪れる「ゆき」型DDの科員食堂、“軍艦内の食堂”といった雰囲気満載で心が躍ります♪ 椅子の色はカープを彷彿とさせる鮮やかな赤、さすが「ライジング・カープ」を別名に持つ艦だけのことはあります。さらに右側の壁面に注目!鯉が滝を駆け上る様を描いた絵画が飾られています。ここもカープ推しの艦の面目躍如といったところでしょうか。 |
科員食堂に隣接する調理室です。この場所で幹部を含む約160人の食事を毎日作っています。艦の食事といえば帝国海軍から脈々と受け継がれたカレーが殊に有名ですが、きょうは水曜日なので昼食はカレーではありません。掲示されているホワイトボードを見ると、昼のメニューはヒレカツ、夜は親子丼のようです。画像には写っていませんが、腕の良さそうな女性の給養員が黙々と調理の下準備をしていました。ヒレカツも親子丼もきっと美味しいのだろうな…食べてみたい…。 特に長い航海中は食事が唯一かつ最大の楽しみなので、艦艇の食事は非常に美味しいと言われています。私も過去に何度か艦艇で食事をご馳走になり、お品もカレーだけでなくチキン南蛮やトンカツなどをいただきましたが、どの艦でも絶品のお味でした。ちなみに1人1食あたりの予算は444円、ただし潜水艦はその特殊性から100円高い544円となっています。 |
科員食堂では入隊希望者と若手乗組員による面談会が開催されています。乗組員側は入隊してから数年以内のまさに新進気鋭の隊員たち。曹士だけでなく幹部も参加していました。一方、入隊希望者はから若手乗組員から仕事の内容や勤務形態、待遇などについて盛んに質問していました。ダメ元で仕切り役の幹部(女性・2尉)に「私、50歳ですけど入隊希望です…」と伝えたところ、「あ~残念ですねぇ。18年遅かったですね」と一蹴されました(笑) ※自衛隊の入隊可能年齢は32歳までです。 海自は未曽有の募集難に見舞われていますが、ぜひ32歳までの若者たちは海上自衛隊の門を叩いて欲しいと切に思います。確かに長い航海は大変かもしれません。潜水艦に乗ろうものならスマホの電波すら通じません。しかしどんな仕事に就いても不満や苦労はつきもので、同じ苦労をするのなら国のために苦労するほうが断然いいです。また苦労を補って余りあるほどの貴重な経験や知見を得ることができます。民間企業に30年近く勤めている私が言うので間違いありません。若者たちよ、国防の志を抱け!! |
約1時間半に及ぶ回航=体験航海もフィナーレ、阪神基地隊に到着しました。隊の東側の岸壁には既に「かしま」と「いなづま」が接岸を終えています。第4突堤の出港は「いなづま」が先でしたが、基地隊には旗艦たる「かしま」が先に入港しているので、回航中に追い抜いたことが分かります。その追い抜きシーン、撮影したかった…。阪神基地隊はサマーフェスタや年末の餅つき大会でここ数年高い頻度で足を運んでいる基地ですが、対岸に長距離フェリーターミナルがあったり、東側には美しい斜張橋である東神戸大橋があったりと、楽しみながら撮影できる場所でもあります。「かしま」「いなづま」の前方に見える橋が東神戸大橋です。 天気は春の到来を感じさせるような暖かくて穏やかな晴天なのですが、春霞で山並みが霞んでしまっているのが残念。とはいえ穏やかな海面と相まって「水ぬるむ春」を凝縮したような光景です。夏のギラギラ日光ではなく早春の柔らかい日差しの下の艦もいいです。 |
「やまゆき」は「いなづま」の横に目刺しで停泊すると思ったのですが、どうやら単艦で南側の岸壁に接岸するようです。入港の舫作業支援のため、基地隊の隊員が岸壁に集まっています。皆さん、ご苦労様です!入港作業、よろしくお願いします! 「かしま」と「いなづま」の後部甲板には乗組員が集合しています。恐らく、これから何かしらの作業を実施するものと思われます。 「かしま」の後部甲板に集合している乗組員ですが、従来の上下青一色の作業着と2013年頃に登場した洋上迷彩の作業着が混在しています。実は現在、作業着を切り替える過渡期にあって、将来的には洋上迷彩の作業服に統一され、青一色の作業着は廃止される予定です。ただ従来の作業着は幹部(濃い青=紺)と曹士(青)で色の違いがありますが、洋上迷彩作業着は幹部・曹士で差異がないことから、幹部と曹士を見分けるのが困難になるとの懸念の声も挙がっているそうです。 |
「やまゆき」が接岸作業を終えたので、そろそろ艦を降りようと考えていたところ、驚くべき「アナウンス」が聞こえてきました。 「『すずつき』が入港する。左、横付け用意!」。 えっ、「すずつき」が阪神基地隊に入港するの!? 驚き、半信半疑ながらも沖合にレンズを向ける私、すると程なく、春霞を引き裂くように「すずつき」の特徴的な姿が現れました。 「すずつき」は飛行幹部を乗せて東南アジア方面への45日間の外洋練習航海に出ているのですが、いきなり外洋に出るのではなく、ウォーミングアップを兼ねて江田島から阪神基地隊まで航海してきたものと思われます。これは嬉しい想定外だ! |
「やまゆき」を降り、基地隊の岸壁で「すずつき」を待ち構えます。海上は春霞で霧がかかったような状況ですが、岸壁の至近距離まで近づけば霞の影響はなく、その特徴的かつ優美な姿を捉えることができました。かなりの逆光ではありますが…。 甲板上には舫作業を見学するためか、かなりの数の飛行幹部がいますが、皆さんスコードロンマークを張り付けたジャンパーを着用していて、実習幹部であると同時にパイロット(または戦術航空士)であることを実感させられました。45日間という短い期間ではありますが、その間は若き荒鷲たちはいったん翼をしまい込んで、荒波に揉まれる海の男として頑張って欲しいと思います。 |
「かしま」が接岸している岸壁には大量の糧食が積まれています。一見したところ野菜を中心にした生鮮食料品のようで、これから積み込みが行われるようです。先ほど後部甲板に乗組員が集合していたのは、これら糧食の積み込み作業のためだったのですね。 練習艦隊の航海は「近海」と「遠洋」を合わせると7ヵ月にも及ぶ長期となるため、寄港先の港で随時糧食を補給します。国内なら必要な糧食は問題なく手に入りますが、諸外国の港では調達できない糧食もあり、その際はわざわざ日本から空輸するそうです。実習幹部を鍛える練習艦隊の航海は、糧食の調達をはじめとする後方支援の役割も非常に重要なのです。 これにて江田島から神戸へと渡り歩き、幹候校の卒業式と練習艦隊の神戸寄港を取材した5泊6日の遠征は終了です。 練習艦隊はこれから国内各地を巡航し、5月下旬に160日間に及ぶ遠洋練習航海に旅立ちます。T君をはじめとする実習幹部たちの奮闘と成長を切に願いながら3回に渡ったレポートを終了させていただきます。頑張れ!負けるな!実習幹部!! ※江田島から神戸に至る一連の取材に際して、阪神基地隊に多大なるご協力とご配慮をしていただきました。基地隊司令・深谷1佐、 並びに大堀1尉、野間1尉に対して、この場を借りて心から御礼申し上げます。ありがとうございました。 |