DDH「いせ」 初一般公開 |
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GW中の5月3日以来、約半年ぶりに呉基地にやって来ました。 大雨が降っているにも関わらず呉に訪れたのは、この日の日曜艦艇公開でDDH「いせ」が初めて一般公開されるためです。 当初、「いせ」は呉初入港直後の4月上旬に一般公開される予定でしたが、東日本大震災の発生で呉総監部が被災地支援に忙殺されたため公開が中止された経緯があります。約7ヶ月遅れの初一般公開、あの星山艦長が手塩にかけて作り上げた「いせ」をじっくりと見学したいと思います。事前に星山艦長に一般公開に駆け付ける旨を連絡したところ、「艦でお待ちしております」とのお返事が…。3月の自衛艦旗授与式以来の星山艦長との再会も非常に楽しみです♪ |
「いせ」は呉基地のEバースに接岸していました。「いせ」はその巨体ゆえに桟橋や岸壁に着けさせてもらえず、初入港後数日間Eバースに接岸していたほかはすべて沖停めでした。よって今回が2回目の接岸となります。 とはいえ、就役後7ヶ月間に「いせ」が呉にいたのは僅かな日数で、大半は九州西方海域で習熟訓練に励んでいました。今回の呉帰還は、対空・対潜訓練や消火活動・応急工作といった実弾発射を伴わない基礎的な訓練が終了したためです。訓練中、「いせ」が佐世保に入港するのが頻繁に目撃されていますが、これは「いせ」の訓練指導を佐世保海上訓練指導隊が担当しているためです。 |
船体右舷中央部にあるサイドランプから「いせ」艦内へ。目の前にヘリコプター格納庫の広大な空間が広がります。 入港中のため、搭載している3機のヘリコプターは航空基地に帰還しています。ヘリが留置されていない分、余計に格納庫が広く感じます。エレベーターより奥が整備用の区画、手前が留置用の区画です。 画像は艦尾方向を望んだカットで、光が差し込んでいる場所が後部エレベーターです。今回はこの後部エレベーターのみで見学者を飛行甲板に上げています。格納庫を見学していて気になったのが天井の構造。手前と奥で構造が大きく異なります。この違いは何に起因するのでしょう?あとで星山艦長にお尋ねしなければ…。 |
後部エレベーターに乗って飛行甲板へ。 「ひゅうが」を見学した時もそうでしたが、エレベーターが上がっている時は戦争映画の一場面のようで心が躍ります♪心が躍るのは私のようなマニアだけではなく、「いせ」が何なのか理解していないであろうチビッ子たちも大喜びでした。 それにしてもたくさんの見学者がいます。私は午前10時からの1回目の公開に行ったのですが、土砂降りにも関わらず300人近い見学者がいました。見学者名簿に名前を書く際に他の人の住所を見たら、はるばる千葉県や愛知県から訪れている人がいるではありませんか。「いせ」の注目度が非常に高いことを実感しました。 |
飛行甲板です。とにかく広い!!何度も言っていますが、この日は朝から土砂降りなので飛行甲板も水浸しです。公開艦が「いせ」でなければ公開自体が中止されてもおかしくないほどの雨脚です。 私は何度も雨の中の撮影を経験しているので雨対策は万全でしたが、あまりに雨が強いために雨粒がレンズに付着して苦労しました…。ちなみに、父から海軍式の教育を受けた私は、撮影時はおろか日常生活でも極力傘をささないようにしています(笑) 考えてみれば、おととし7月の「ひゅうが」お国入り公開(宮崎県日向細島港)も凄まじいほどの大雨でした。私が「ひゅうが」型に乗艦する時は大雨ばかりです(苦笑) なぜ?Why? |
空母の艦橋構造物はアイランドと呼ばれますが、「いせ」の艦橋も小島(アイランド)と呼ぶにふさわしいこじんまりとした佇まいです。 今回公開されているのは飛行甲板と格納庫のみで、艦橋内は公開されていません。公開しようにも艦橋スペースや通路が狭いために公開できないのかもしれません。 艦橋上部壁面にあるFCS-3用のフェーズド・アレイ・アンテナが、私には額に貼った絆創膏のように見えてしまいます(笑) FCS-3は複数の対空・対水上目標を同時に捜索・追尾し、ミサイルを誘導する戦闘システムです。試験艦「あすか」での実用化試験を経て2000年に制式化、「ひゅうが」型が初の装備艦です。右側の大きいアンテナが捜索用、左側がミサイル誘導用です。 |
ヘリ格納庫と飛行甲板の見学終了後、星山艦長を尋ねました。艦長は士官室で私を出迎えてくれました。力強く達筆な「いせ」の揮毫の前で記念撮影。右が星山艦長、左が私です。(私の素顔はご勘弁を…) それにしても見事な揮毫ですが、実はこの揮毫は伊勢神宮の鷹司尚武大宮司の手によるもので、額縁は遷宮時の御用材を拝領して製作しています。しかも、滅多に使用されることのない伊勢神宮の朱印まで押されています。海自艦艇はおろか国内屈指の価値ある揮毫であることは間違いないでしょう。 鷹司大宮司は旧五摂家のひとつである鷹司家の28代当主で、母親は昭和天皇の第三皇女、今上天皇の叔父にあたります。 |
「いせ」の士官室は落ち着いた高級感のある雰囲気です。「こんごう」型・「むらさめ」型以降の護衛艦は士官室のグレードが上がっていますが、この「いせ」の士官室は従来の艦では感じたことがない高級感と雰囲気の良さを感じます。 壁面に施されたブラウンの木目と、イスと絨毯の色であるディープブルーが品の良い高級感を醸し出しています。海自艦艇の士官室もようやく欧米の艦艇並みになったと感じました。 護衛艦の士官室は戦闘時には戦時治療室になる場所ですが、この場所が軍艦の一室であることを忘れてしまうほどの素敵な雰囲気です♪♪星山艦長以下36人の幹部が、ここで会議、デスクワーク、食事、休憩などを行います。 |
照明や絵画といった装飾品も雰囲気の良さに一役買っています。壁面に備え付けられた間接照明灯がムーディーさと美しさを演出、加えて絵画が高級感と知的な雰囲気を添えています。 絵画が飾られている壁面は、元々はホワイトボードを備え付ける場所でした。艤装時に「ふたつも大きなボードは必要ない」と判断した星山艦長、この場所を絵画を飾る場所に変更しました。艦艇の士官室等に飾られている絵画は、造船所からの贈り物である事が多いのですが、この絵画は星山艦長自らが探してきた物です。艦長お気に入りのイギリス人作家の絵で、帆船時代の海戦が描かれています。さらに二つの絵の間には、トラファルガー海戦でネルソン提督が発した信号文書(ロイズ社所有物のコピー)が飾られています。 |
士官室には応接スペースが2ヶ所あります。そのうちのひとつは大画面液晶テレビのすぐそばにあり、来客の応接や幹部の休憩にとても使い勝手が良さそうです。 ソファーの色はイスと同じディープブルーで、座り心地は非常に良好です。絵画といった装飾品だけでなく、このソファーやイス、絨毯のグレードや色などは初代艦長(=艤装員長)の裁量で決めることができます。言い換えれば、初代艦長の好みやセンスが如実に顕れるのです。この士官室を見る限り、星山艦長の艤装センスは素晴らしいと言うほかありません。 液晶テレビはシャープのAQUOSで、伊勢国(三重県)の亀山工場で生産された物です、こんな所にも艦長のこだわりが…。 |
初代艦長は艦を作り上げる大変な職務ですが、艦を自分でデザインできる非常に魅力ある仕事でもあります。 それを象徴するのが「いせ」のマーク。士官室の絨毯にもプリントされています。少しアメリカチックで特徴的なこのマークは、星山艦長がデザインしました。艤装員長時代にMacを使ってデザインしたとの事。艦長の多才ぶりには驚かざるを得ません。 マークの意味ですが、花菱は伊勢神宮の紋章で、花菱から下に延びるラインは伊勢神宮の参道と神宮創建から現代までの時の流れを表現しています。艦影はもちろん「いせ」であり、中央の獅子は「いせ」の精強さを表しています。三つの英単語はそれぞれ「即応」「高練度」「誠実」という意味で、「いせ」が目指す方向性を示しています。 |
士官室での歓談のあと、星山艦長の案内で「いせ」艦内を見学しました。艦長自ら案内していただけるなんて…マニアとしてこれ以上の幸せはありません!! 星山艦長ですが、この「いせ」で5回目のDDH勤務となります。「はるな」の最後の艦長だったことはつとに有名ですが、それ以外にも「ひえい」と「くらま」での勤務経験があり、特に「くらま」には2度勤務しました。現在の海自においては並ぶ者がいないDDH運用のプロフェッショナルなのです。卓越したDDHの運用経験が評価されて「いせ」初代艦長(艤装員長)に充てられた訳ですが、星山艦長を高く評価する上層部は、「はるな」艦長時代のかなり早い時期に18DDH(「いせ」)の艤装員長とすることを決めていました。 |
士官室を出て通路を歩いていると、乗組員の名前が刻まれたプレートが目に入りました。プレートに刻まれているのは、就役時(今年3月16日)に「いせ」に在籍していた全乗組員の氏名で、苦労しながらも一致団結して「いせ」を作り上げた証として飾られています。 艦長をはじめとする幹部は数年で入れ替わり、曹士もいつかは大半が「いせ」から転出するのでしょうけど、艦を作った功労者として艦内に名前がずっと残るというのはとても素敵なことだと思います。 ちなみにこのプレート、のちの艦長が勝手に撤去しないよう、星山艦長の指示で壁面に厳重に溶接されています(笑) |
最初に案内されたのは非常に珍しい場所でした。ここは飛行甲板に覆われて外からは見ることができない鎖甲板です。 「ひゅうが」型は全通式の飛行甲板を有しているため、従来の護衛艦とは異なり鎖甲板はクローズドされた空間となっています。画像は艦首方向を向いています。 主錨に繋がる巨大な鎖のほか、数多くのボラードや舫を巻き取る大きなウインチが所狭しと設置されています。閉ざされた空間なので錨の投入作業や舫作業が行いにくいのではと思ったのですが、星山艦長によると、天井があることで天候に左右されず、却って作業がしやすいとの事でした。右舷側の壁面には、舫を艦外に出す小窓がいくつも設けられています。他の艦艇にはない、「ひゅうが」型特有の特殊な空間と言えます。 |
鎖甲板にあるいくつかのボラードには、ご覧のような絵が描かれています。このボラードには日本列島が描かれていますが、他にも世界地図や南極大陸が描かれている物もありました。また、柱や装置の平面部分などにも「いせ」のマークや自衛艦旗・日の丸が描かれていて、鎖甲板内はまるで現代アートの美術館のような趣となっています。 これは、鎖甲板がクローズドされて外から見えないことを逆手にとって、ちょっとした遊び心を盛り込んでいるのです。もちろんこれも星山艦長の発案で、鎖作業と舫作業の責任者である掌帆長(海曹長)が実際にペイントを担当しました。「いせ」の外から見えない部分には、このような秘密が隠されていたのです(笑) |
「ひゅうが」型を特徴付ける施設のひとつが多目的区画です。作戦会議やブリーフィング、災害派遣時における自治体の災害対策本部など、文字通り多目的に使われる部屋です。 区画内には100インチの大型スクリーンが3基並んでいるほか、パソコンなど各種の通信情報機器が多数備えられています。また机やイスは、目的に応じて自由にレイアウトすることができるようになっています。 格納庫を除いた艦内の区画では最も広いスペースで、災害時に自治体職員など外部の人が大勢乗艦してきても十分に対応できる広さです。さらに驚くべきことに、戦時には区画の一部を医務室・治療室として使えるようにも設計されています。 |
星山艦長の居室である艦長室です。最新鋭DDHの艦長室に入ることができるなんて…これまたマニアとしては最高の幸せです♪♪ 「いせ」は護衛艦としては破格の大きさを誇る艦ですが、艦長室はそんなに広くありません。むしろ、執務机と応接セットだけでいっぱいいっぱいといった感じです。ただ、「あめ」「なみ」型や「こんごう」型といった近年建造された比較的大型の艦も同じような広さなので、コンパクトな艦長室は現代海自艦艇のトレンドなのかもしれません。 右の扉の向こうが艦長私室で、寝室や専用のバス・トイレがあります。司令・群司令用の個室も艦長室と同じ造りとなっています。 |
執務机の向かい側には応接セットがあります。 すごく高級そうなソファーで、座り心地もとても良さそうです。床には士官室と同様に青い絨毯が敷かれており、ソファーの黒と相まって上品な高級感を醸し出しています。ここでも星山艦長の見事な艤装センスが遺憾なく発揮されています。 壁に架けられている絵にはDDH「いせ」と戦艦伊勢が描かれています。戦艦伊勢は1917(大正6)年に就役した伊勢型戦艦の1番艦で、ミッドウェー海戦後の空母不足を補うために航空戦艦に改造されました。航空艤装を施した戦闘艦艇、呉が母港という点で「いせ」と伊勢は共通点があります。ちなみに、絵のコピー(ポスター)をお土産にいただきました♪ |
艦橋です。「いせ」がいくら巨体でも艦橋構造物は小島(アイランド)なので、小型護衛艦並みのスペースしかありません。 しかし、そこは最新の技術を惜しみなく投入した最新鋭艦とあって最新の航海機器が並んでいます。また、試験艦「あすか」で効果が実証された脚の疲れを軽減する床面が採用されています。 従来の艦と比べて多くのディスプレイが設置されています。航海用機器のディスプレイのほか、艦長席と司令席の頭上にも多数のディスプレーが設置されていて、艦長と司令が席上から様々な情報を入手できるようになっています。「ひゅうが」型DDHは従来の艦と比して情報化・デジタル化が飛躍的に向上したことも大きな特徴です。 |
ジャイロコンパスの前に立つと、艦長または航海長として己の号令一下、「いせ」を自在に操りたいという願望に駆られました。 「いせ」は従来艦とは全く異なる空母艦型をしているため、操艦にも特有の難しさがあります。そんな「いせ」の艦長や航海長はある意味、海自から操艦の名手との認定を受けた幹部と言えるのではないでしょうか。 奥の赤いイスが艦長席です。星山艦長が「どうぞお座りください」とおっしゃるので僭越ながら座らせていただきました。艦長の目の前で艦長席に座るなんて…なんと畏れ多いことでしょう…(笑) ちなみに艦長席のシートはかなり硬め。星山艦長によると、艦長が居眠りをしないよう硬めにしているのだとか(笑) |
艦橋構造物内の通路はご覧のような感じ。海自屈指の大型艦といえども、アイランド内は通路・ラッタルともに非常に狭くなっています。この狭さが一般公開で艦橋が公開されない原因でもあります。船体内の通路が余裕のある広さになっているのとは対照的です。 右側の壁面は外壁で、ステルス対策のため●度傾いています。(傾斜の角度は機密事項のため記すことができません。ご了承を) 通路は人ひとりが通るのがやっとで、対向する人とすれ違うことはかなり難しいです。一人で歩いていても注意していなければ、壁面にある突起物に肩や脚をぶつけてしまいそうでした。 |
艦橋構造物内には様々な航空関連施設があります。 この部屋はヘリコプター搭乗員待機所です。ヘリ搭乗員はここで出発前のブリーフィングを受けます。 「いせ」の通常時の搭載機は従来のDDHと同じ3機ですが、有事や災害派遣時には多数のヘリコプターを搭載することが考えられます。そのため待機所のスペースは広く、搭乗員用の座席も多く備えるなど、たくさんの搭乗員が乗艦しても対応できるようになっています。「いせ」は呉の艦なので3月に退役した「ひえい」同様、搭載するヘリコプターとその搭乗員は、長崎県大村航空基地に所在する第22航空群第22航空隊の所属です。母港に停泊中なので搭載機と搭乗員は大村に戻っています。 |
艦橋構造物後部にある航空管制室です。飛行長、発着艦管制官、甲板作業管制官、支援管制官の4人がヘリコプターの誘導・管制・作業の指示にあたります。飛行長、発着艦・甲板作業管制官がウイングマークを持つヘリパイロット経験者、支援管制官は航空管制資格を持つ管制官が担当します。 飛行作業全般を統括・指揮するのが飛行長で、「いせ」には航空隊では副長クラスにあたる二佐の幹部が配置されています。 飛行長の英語呼称は「Air Boss」で、米空母の飛行管制責任者と同じ呼び方となっています。飛行長のイスはデンマーク製で、とても座り心地の良いものでした。艦長席より格段に心地よかったです…。 |
再びヘリ格納庫にやって来ました。この時間帯は一般公開が行われていないため、まさに無人の格納庫です。 天井の構造が異なる点ですが、星山艦長に尋ねたところ、上階にCICやFIC(司令部作戦室)がある部分の天井には、防火のため耐熱材を張っているということです。↑の画像では奥の天井がそれにあたります。 格納庫内には、空母用消防車である艦載救難作業車(左奥の白い車両)などの航空作業用の車両が並んでいます。ちなみに、艦載救難作業車の1台あたりの価格ですが、フェラーリが買えるほどの金額ということです。 右前方に黄色のフォークリフトがありますが、これは2008年に退役した初代「しらせ」で使われていた車両を再利用しています。 |
格納庫で目を引いた車両がコレ。清掃用作業車です。 自走しながらフロント部についた回転式のホウキで格納庫内のゴミを集めて吸い取ります。いわば自走式の大型掃除機です。 実はこの作業車は1番艦の「ひゅうが」にはありません。「いせ」固有の装備品です。「ひゅうが」には非自走式の小型掃除機が備えられていますが、広大な格納庫に対して作業効率が悪いことから、「いせ」にはこの作業車が導入されました。 欧州製(スゥェーデンだったかな…)で、1台あたりの価格は最高級の国産車が買えるほどの金額です。なんとも愛嬌のある、可愛らしい佇まいではありませんか♪ 「いせ」見学の際は要チェックですよ! |
充実した医療設備を完備している点も「いせ」「ひゅうが」の大きな特徴です。本格的な手術を実施できる手術室や集中治療室、病室を備えているほか、従来の護衛艦になかった歯科治療室もあります。災害派遣も主要な用途である「ひゅうが」型ですが、東日本大震災の際には、街の歯科医院が被災した状況において、「ひゅうが」の歯科治療室が被災者の歯の治療に大いに役立ちました。 医療処置にあたる医官(医師・歯科医師)ですが、これは他の艦艇と同様に、通常は「いせ」「ひゅうが」に乗り組んでおらず、任務での必要に応じて派遣されてきます。ただし、応急処置を施すことができる |
機関・電力・応急の中央指揮所である機関操縦室です。母港に停泊中とはいえ機関の監視や電力の供給を行っているため、数人の機関科員が詰めていました。画像は機関(主機)操縦盤(左)と応急制御監視盤(右)ですが、さすがに「「いせ」は巨大な艦だけに、浸水箇所や火災箇所を表示する応急制御監視盤の大きさが際立っています。機関操縦盤よりも大きいです。 逆に機関の制御盤は従来艦に比べてコンパクト。計器・スイッチ類が少なく、タッチパネル式のモニターを備えている点から、試験艦「あすか」の機関操縦盤の実用化品と言えそうです。 「いせ」「ひゅうが」は2万5000馬力を出力するガスタービンエンジンを4基搭載(合計10万馬力)、最高速力30ノットを誇ります。 |
艦内のオアシス・科員食堂です。 星山艦長は乗組員がリラックスできるような空間にしたいとの考えから、イスの色にライトグリーンを選びました。 見学に訪れた時は昼食の後片付けの時間帯で、調理室では女性の給養員が片づけをしていました。海自艦艇の食事が美味しいのは今や広く知られるところですが、星山艦長によると、この「いせ」も例外ではなく、食事はとても美味しいとのことです。その証拠に、艦長は就役後7ヶ月間で体重が5kg増えたらしいです(笑) 去年、「ひゅうが」で食べたカレーは超美味でしたが、「いせ」の食事もぜひ一度味わってみたいものです♪ |
「いせ」にはもう一種類のオアシスがあります。このスペースは酒保室です。酒保と言えば乗組員用の売店ですが、「いせ」では酒保を廃止して乗組員が一息つける休憩用スペースとしました。そこにあるのは4台の自動販売機のみでテーブルやイスはありませんが、訓練や課業の合間、休憩時間等に乗組員がちょとした談笑ができるような区画になっています。 酒保を廃止した理由ですが、コンビニ等のお店が増えて乗艦前に必要な物資は購入できることや、艦内で現金を扱うと何かと煩雑な作業が増えるからだそうです。「いせ」では艦の前部と後部2ヶ所に酒保を改造した休憩スペースがあります。ちなみに自販機の飲料の価格は、市価より幾分お安くなっています。 |
「いせ」には17人の女性隊員(幹部含む)が乗り組んでいます。 このドアはその女性隊員の居住区の入口です。この入口のすぐ近くには女性幹部用の私室もあります。 訓練や緊急時、巡検時以外には男性隊員は通行厳禁。艦の主である艦長でさえもやすやすとは入れない区画です。もちろん私も入れる訳もなく、このドアの前で艦長から説明を受けました。その時、近くで作業をしていた女性隊員が「あ、艦長!中を見学しますか?」と、冗談とも本気ともつかない口調で言うので、艦長も私も少々焦ってしまいました…。 「いせ」の居住区は2段ベッドですが、女性隊員の区画は将来の女性隊員増加に対応するため3段ベッドとなっています。 |
1年間の習熟訓練終了後、来年度初頭に「いせ」は護衛艦隊の戦列に加わり、第4護衛隊群旗艦の任に就きます。 従来のDDH(「はるな」型・「しらね」型)と同様、「いせ」にも護衛隊群司令部用の専用施設があります。↑は司令部公室で、群司令をはじめとする司令部幹部用士官室です。このほか群司令室、幕僚事務室、幕僚用私室、司令部作戦室(FIC)など群旗艦に必要な部屋が完備されています。 司令部の幹部は「いせ」よりも人数が少ないので、司令部公室も士官室の半分くらいの広さです。ただ、同じ幹部用の公室でも士官室と比べてかなり地味な雰囲気…。司令部要員は艦にとっては「よそ者」なので、艤装に手を抜いた訳ではないでしょうけど…(笑) |
長テーブルの上座の席が群司令席です。群司令から向かって右側の席が首席幕僚の席です。 護衛隊群司令部は27人の陣容です(群によって若干の増減あり)。内訳は幹部が群司令、首席幕僚、訓練幕僚、航空幕僚A・B、後方幕僚、監理幕僚、通信幕僚、運用幕僚、情報幕僚、気象幕僚、水雷幕僚、航海主任、船務主任の14人。 海曹が群先任伍長、通信班長、衛生班長、庶務班長、群電A・B、群暗、群補給、群水雷、群船務、群気象、群庶務A・Bの13人となっています。 首席幕僚以下の幹部がいわゆる幕僚=参謀で、海曹が各分野で幕僚を補佐するその道を極めたプロフェショナルです。 |
舷門から艦内に入ってすぐの場所に「いせ」の表札や各級指揮官の顔写真が飾られています。 顔写真は左から第4護衛隊司令、第4護衛隊群首席幕僚、第4護衛隊群司令、第4護衛隊群先任伍長です。おやっ?群先任伍長は去年9月に下関で「ひえい」を見学した際、格納庫で「本艦に実在する隊員」として“顔写真と経歴を晒されていた”荻野海曹長ではありませんか!!(ここを参照!) 「ひえい」旗艦時代は、4護隊司令は旗艦とは別の4護隊所属艦に座乗していましたが、「いせ」には群司令と隊司令が一緒に座乗し、隊司令は副群司令的な役割も担います。そのために4護隊は4月に所在地を大湊から呉に変更しています。既に1護群司令と1護隊司令は共に「ひゅうが」に乗って指揮を執っています。 |
星山艦長の写真がないなぁと思っていたら、「いせ」主要幹部の写真は舷門のすぐ近くに飾られていました。 その展示台の見事なこと!!お洒落でカッコイイ展示台、加えて脇には船の象徴である浮輪と操舵輪を模したモニュメントが…。言うまでもなく、これも星山艦長がデザインしました。この展示台、航海時は群司令らの写真の下に掲示されます。 写真は一番上段に星山艦長、二段目に栗山副長と山本先任伍長、三段目に各科長が並んでいます。そこには、就役以来いつかはお会いしたいと思っている女性航海長の写真も…。お名前は羽田野由佳三佐。美人で凛々しいとても素敵な方です。ぜひ「いせ」艦上でお会いしたいものです♪♪ |
艦の見学を終えて、官舎へ戻る星山艦長と共に「いせ」をあとにしました。何と!艦長は私のためにわざわざ艦に帰艦(出勤)してくれていたのです。艦長、本当にありがとうございました!! 「ひゅうが」型DDH2番艦として今年3月に就役した「いせ」ですが、「ひゅうが」の運用実績と星山艦長の類稀なる艤装センスによって、「ひゅうが」より使いやすく、あらゆる面で洗練された艦となっています。また、艦長が乗組員と接する様子は規律の中にも和気あいあいとしており、星山艦長がハード面だけではなく艦の雰囲気も素晴らしいものを作り上げたと感じました。 「いせ」はこのあと、ミサイルや魚雷等の実弾発射を伴う最終の習熟訓練に入ります。艦長以下乗組員の皆様が、事故なく素晴らしい成果を挙げることをお祈りしています。 |