阪神基地隊サマーフェスタ2018

7月21日に阪神基地隊で開催されたサマーフェスタの模様をレポートします。
基地隊司令が自ら企画した催しなどマニア心をくすぐる仕掛けが満載でした。


朝から突き刺さるような日差しが降り注ぐ阪神基地隊にいます。隊舎の上空は雲ひとつない快晴の夏空!まさに夏真っ盛りです♪
本日、ここ阪神基地隊では恒例のサマーフェスタが開催されます。私が阪神基地隊を訪れるのは去年12月のウインターフェスタ以来ですが、サマーフェスタへの参加は一昨年以来2年ぶりとなります。

きょうは舞鶴でもサマーフェスタが開催されていて、マニアの皆様の中には神戸か舞鶴かで迷った人も多かったと思いますが、私は迷わず阪神基地隊を選択しました。神戸の方が舞鶴よりも近くて交通費が安く済むことに加え、事前に深谷司令から「自ら企画・立案した催しがあるのでぜひ見に来て欲しい」とのご連絡をいただいていたためです。その催しについて司令は「私の自衛官人生の集大成」と言うではありませんか。どんな催しかとても楽しみです♫

まずは会場内をぐるりと一周。サマーフェスタのために2隻の艦が呉から駆け付けています。こちらはDD「さざなみ」、3月の別府寄港以来の再会です。2005年の就役直後に呉で撮影して以来、各地で撮影と見学の機会に恵まれてきた“大親友”と呼ぶべき艦です。
母港である呉で姿を見るだけでなく、横須賀や佐世保に遠征した際にはまるで私を追いかけて来たかのように停泊していることも多々あり、どの海自艦よりも可愛くて仕方がない艦でもあります。

「たかなみ」型DDの4番艦ですが、3人の姉が「高波」「大波」「巻波」と実際に起これば災害や事故に繋がりかねない勇ましい艦名なのに対して、「さざなみ(漣)」はどこか穏やかで牧歌的な名前である点もGoodです。ちなみに妹(5番艦)の「すずなみ(涼波)」の意味は分かりません。涼しい波ってどんな波なのでしょう…?

もう1隻は潜水艦救難艦「ちはや」です。この子も2000年の就役直後の初公開で乗艦して以来、頻繁に乗艦・撮影してきた‟親友”です。今年の春には妹(同型艦)ではありませんが、外観も機能もそっくりな「ちよだ」(二代目)が就役、横須賀に配備されています。

今春就役した「ちよだ」(二代目)は今春退役した潜水艦救難母艦「ちよだ」の後継艦で、潜水母艦機能を縮小して「ちはや」と同じ潜水艦救難艦となりました。個人的には「ちよだ」の後継艦の名が「ちよだ」というのは今ひとつ面白くありません。素敵な名前の城はたくさんあるにも関わらず何故でしょうか?せめて「ちはや」の先代にあたる「ふしみ」にすべきだったと思います。砕氷艦「しらせ」の後継が「しらせ」となって以降、「むろと」「ちよだ」と後継艦に先代と同じ名前を付ける傾向には眉をひそめざるを得ません

会場内には陸自の車両空自のPAC3も展示されています。
↑に写っているのは87式偵察警戒車偵察用オートバイです。最寄りの偵察部隊である第3師団第3偵察隊(千僧駐屯地)から派遣されています。来場者の中には陸自ファンも結構多いようで、偵察警戒車を撮影したり、オートバイに跨って記念撮影する人で賑わっています。私は割と珍しい「海一本鎗のマニア」なので、陸や空の装備品にはほとんど興味がないのですが…
(笑)

偵察警戒車はその名の通り、偵察と警戒用の車両ですが、威力偵察を行うために25ミリ機関砲を装備しています。その形から、陸自に詳しくない人から見れば戦車に見えるかもしれません。私もかつては戦車と偵察警戒車・自走榴弾砲の区別がつきませんでした。一般の人がDDHと空母の区別がつかないのと同じですね。

開場して間もないというのに、テントに覆われた休憩スペースは既に満員状態。あまりの暑さと刺さるような日差しのため、皆さん艦と装備品の見学を早々に切り上げ、日陰がある休憩スペースに避難しているようです。立っているだけで目眩がするほどの暑さなので私も避難したかったのですが、空席がありませんでした…(涙)

休憩スペースの周囲にある露天は大賑わい。冷たい飲料やかき氷が飛ぶように売れていました。これほど暑ければ冷たい物が売れるのは当然ですが、基地隊の周囲には飲食店がまったく無いこともあり、出店したお店はかなりの売上げがあがるようです。したがって、基地隊が出店業者を募集すると、毎年多くの業者から申し込みがあるとのこと。ただ、一昨年のように大雨だと売上げは悲惨なことに…。その意味ではこの天気と暑さは良かったといえます。

深谷司令が企画・立案した催しは午前11時から体育館で開催されます。その企画とは、基地隊幹部とご当地アイドルによるパネルディスカッションです。パネラーは司令・深谷1佐総務科長・石川2佐先任伍長・寺越海曹長の3人、コウベリーズからは森島みなみさん黒谷真琴さんが進行役兼質問者として参加します。

ディスカッションは、「海上防衛とは?」「海上自衛隊の役割と現状」「海上自衛官はどのような生活を送っているのか?」という三つのテーマについて、海自に関する知識がほぼ無い森島さんと黒谷さんに3人のパネラーが分かりやすく教えるという形で進められます。会場には30席程度の椅子が用意されていましたが、ほぼ全席が埋まっており、来場者の関心の高さが窺えます。ちなみに最前列は私以外はコウベリーズのファンの方々でした
(笑)

深谷司令は、多くの人たち、なかでも若者に海上防衛と海自についての理解を深めて欲しいと考え、このディスカッションを企画したとのこと。コウベリーズの子を進行役に充てたのも、「若年層」と「初心者への分かりやすい説明」を意識したからなのでしょう。
司令が動いた背景には、近年の海自人気が必ずしも海上防衛への理解に繋がっていないことや、潜水艦部隊を中心に隊員の確保が厳しい状況であることへの危機感があると思われます。

実際にディスカッションでは、海自誕生の経緯から活動、役割、現在抱える問題点について、森島さんと黒谷さんに対し、まるで先生が生徒に教えるように丁寧かつ噛み砕いた説明をしてくれました。
一方で、現在の年収を包み隠さず公開したり、黒谷さんに海自への入隊を勧めて笑いをとるなど、常に会場を沸かせていました。

石川科長も艦艇や司令部勤務の経験を基に、海上防衛の重要性を説明したほか、幹部の宿命として頻繁に転勤があることなどを話してくれました。黒縁のメガネをかけた知的な雰囲気の石川科長ですが、一般大(慶応大)出身で、中東を管轄する米海軍第5艦隊に連絡官として勤務した経験を持つなど、深谷司令と共通する経歴をお持ちです。ちなみに奥様はイギリス人で、コウベリーズの2人から「どこで出会ったのですか?」と突っ込まれていました(笑)

一方、寺越先任伍長は典型的な「海の男」で、1993年の入隊以来数々の艦艇・部隊で勤務、遠洋練習航海は10回参加し、艦艇勤務時に寄港した国は50ヶ国にも達する百戦錬磨の船乗りです。その経験に基づいて、艦艇勤務の楽しさや苦労した事、さらには「亭主元気で留守がいい」を地でいく家族についても話してくれました。

司会兼質問役のコウベリーズの二人、森島みなみさん(右)黒谷真琴さん(左)です。森島さんが司会・進行を担当し、黒谷さんが初心者代表として3人のパネリストに質問する役を担当しました。
このディスカッションが優れていたのは、堅苦しい防衛論を繰り広げるのではなく、アイドルの二人が興味を持つ内容と平易な説明に徹することで、聴衆も最後まで楽しく飽きることなくディスカッションを聞くことができた点です。その意味では、海上防衛と海自への理解を広めたいという深谷司令の狙い通りであり、このディスカッションこそが今年のサマフェスの目玉だったと私は思っています。

森島さんは現在大学生で、アナウンサーを目指しているとのこと。数年後、どこかの放送局で活躍しているかもしれませんね。一方、司令から入隊を強く勧められた黒谷さん、進路が注目されます
(笑)
パネルディスカッションが行われた体育館では、他の催しも行われています。こちらは海図を材料にしてのトートバック製作教室。海図でトートバックを作るなんて、なかなか珍しいではないですか!材料の海図は艦艇で使用されている本物の海図です。発行からかなりの年月が経過し、最新の情報が記されていないといった理由で廃棄処分する予定だった海図を活用していると思われます。

様子を覗いてみると、基地隊の隊員から指導を受けながら子供やその親御さんらが楽しそうにバッグ作りに挑戦していました。
海図に記された港湾や海岸線がそのままバッグの模様になるのですが、見本を見るとなかなかお洒落なトートバッグです。ちなみに見本は左が下関市右が長崎市の海図です。時間があれば教室に参加して、このバッグを手に入れたかったです…。

同じく体育館の一角では、鉛筆艦船画家・菅野泰紀氏の作品展が開催されています。菅野氏は鉛筆のみで艦船の絵を描く画家で、色を使わず鉛筆の濃淡だけで艦を表現しているにも関わらず、その絵は表情豊かで細かなディテールまでもが伝わってきます。色がないからこそ見る者の頭の中で想像が働き、描かれている艦艇が生き生きと見えるのかもしれません。それにしても白黒写真かと見紛うほどの精緻かつ圧倒的迫力に満ちた作品の数々です。

菅野氏ですが、プロフィールを調べたら広島大学文学部のご出身。何と!深谷司令と私の後輩ではないですかぁ!しかも、卒論のテーマからすると、私と同じ研究室にいた可能性すらあります。阪神基地隊のサマーフェスタで作品展を開いているのは、私と同様、深谷司令と大学の先輩・後輩という縁なのかもしれません。

菅野氏の作品に描かれているのは現在活躍中の海自艦のほか、旧日本海軍の艦艇や哨戒機等の航空機など多岐に渡ります。
↑の作品は、右から順にDDG「はたかぜ」DD「ふゆづき」DD「たかなみ」です。色がないにも関わらず、何という迫力でしょうか!鉛筆一本で描いたことが信じられないほどの見事な表現力です。

菅野氏は画家として作品を制作しているだけでなく、絵を旧海軍艦艇の艦内神社の分霊元へ奉納する活動にも取り組んでいます。
海軍艦艇は大半が沈没して海の底で眠っていますが、艦と共に海に没した艦内神社と分霊元を繋ぐ絆として作品を奉納しているとのこと。なんて素晴らしい活動でしょうか!菅野氏の活動を応援するためにも、そして艦艇マニアとして、さらには大学の先輩として、近いうちに氏の作品を一枚購入したいと考えています。

体育館を出て大急ぎで岸壁に向かいます。実は私、幸運にも交通船による港内クルーズの乗船券を入手することができたため、正午過ぎの便に乗船するのです。受付を済ませていざ乗船、クルーズを担当するのは基地隊に配備されている交通船・YF1034です。
YF1034は艦艇や基地間の人員輸送を担当する支援船で、YFの中でも大型の船です。支援船にしては珍しく同型船がありません

基準排水量は12tで、船体の長さは15m、幅は4.2m、船体の材質ははFRP(繊維強化プラスティック)です。阪神基地隊には2010年に配備され、先に述べたように同型船がいないことから、阪神基地隊でないと見ることができないレアな存在でもあります。私以外の乗船者ですが、子供とその親御さんが大半です。将来の“金の卵”である子供たちに優先的に乗船券が配布されているようです。

午後12時20分、YF1034はゆっくりと航行を開始。そしていきなり絶好の撮影チャンスが到来したのです!「さざなみ」を至近距離から絶好の角度で撮影、艦首が鋭く尖った力強い「さざなみ」の姿を写真に収めることができました♪ やや逆光ではありますが…。
レンズの広角効果によって船体の細長さが強調されていますが、実際に「たかなみ」型と準同型の「むらさめ」型は航行雑音の低減を目的に船体が細長く設計されています。両型が排水量の割に大きく見えるのも、この細長い船体による視覚効果なのです。

余談ですが、「たかなみ」型の艦名と艦番号は「あやなみ」型と同じと言われますが、一致しているのは3番艦の「まきなみ」までです。「あやなみ」型は「まきなみ」で建造が終了したことから、「さざなみ」と「すずなみ」は「あやなみ」型には無かった艦名が付きました。

ちはや」を艦尾側から撮影、艦の後半部分は広大なヘリコプター用甲板に充てられている様子がよく分かります。天気は快晴に近い晴天ですが少し強めの風が吹いているので、自衛艦旗がいい具合に揺らめいています。私も後ほど乗艦するのですが、この天気だと甲板上は凄まじいほどの灼熱地獄でしょうねぇ…。甲板上にいる見学者の方々、くれぐれも熱中症にはご注意願います!

「さざなみ」と「ちはや」ですが、2週間前に発生した西日本豪雨の直後から、断水で不便な生活を強いられた呉市民に対して入浴支援を実施しました。そのためサマフェスへの不参加も心配されましたが、他艦に支援を引き継いで駆け付けてくれました。サマフェスへの来航に感謝するととともに、入浴支援に対して心から労いの言葉を贈りたいと思います。乗組員の皆さん、ご苦労様でした!

阪神基地隊の対岸に六甲アイランドフェリーターミナルがあります。そこには船体に鮮やかな太陽の意匠を施したフェリーが…。そう、当HPでも度々登場してお馴染みのフェリーさんふらわぁです。
ただ、このフェリーさんふらわぁは別府港に行く路線ではなく、大分港へ行く路線です。別府行きは大阪南港ATCから出ています。

私も仕事や私用で何度も利用していますが、午後7時頃に出港して翌朝の7時頃に到着するので、とても使い勝手がいい路線です。また船内レストランの食事が充実していて、陸地に灯る明かりを眺めながら楽しむ食事はとても美味しいです。一時は高速道路に利用客を奪われて苦境に立たされましたが、長距離トラックドライバーの働き方改革により、業績も急回復とのこと。関西在住の皆様、九州へお越しの際はぜひフェリーさんふらわぁをご利用願います。

港内クルーズというので基地隊の周囲の海域を巡るだけかと思いきや、私を乗せた交通船は阪神高速湾岸線の東神戸大橋の下を抜けてサンシャインワーフ神戸(東灘区青木)の近くまで航行しました。海上から眺める神戸の山並みと街並みがとても美しいです。

サンシャインワーフ神戸は郊外型のショッピングセンターですが、よく見ると船舶が接岸できそうな岸壁老朽化したフェリー用の可動橋
(矢印)もあります。帰宅後に気になって調べたところ、ここは元々は東神戸フェリーセンターというフェリーの発着場だった場所で、私が見た岸壁と可動橋はその痕跡だったのです。1999年3月に廃止されるまで四国や九州方面のフェリーが発着しており、先ほど紹介した大分行きのフェリーさんふらわぁもここから出ていました。意外な場所に意外な歴史があるものですね…。

こちらは神戸市魚崎地区のランドマークともいえる東神戸大橋です。阪神基地隊からもよく見える、あの優美な形をした橋です。
橋の構造は塔から斜めに張ったケーブルで橋桁を支える斜張橋で、ケーブルと橋桁が織りなす三角形が優美な雰囲気を醸し出しています。全長は885mで1994年4月に完成。優れた技術と美しさが評価され、国内の建築物に贈られる最高賞である土木学会田中賞を受賞しています。阪神高速湾岸線の一部で、二層構造の上部が神戸行きの下り線、下部が大阪行きの上り線となっています。

阪神基地隊に停泊する艦艇を撮影する絶好のポイントなのですが、残念ながら都市高速道路の一部なので車を停めての撮影や橋への徒歩での立ち入りはできません。敢えて撮ろうとするなら、車の助手席から一瞬のチャンスを狙うしかありません。

約30分間の港内クルーズが終了、交通船YFを降りた私は潜水艦救難艦「ちはや」へと向かうのですが、その途中、会場のメインステージではコウベリーズのライブが行われていました。先ほどのディスカッションでいい味を出していた森島さん黒谷さんもマイクを手にパフォーマンスを披露しています。そして、深谷司令も最前列に座って彼女らに声援を送っています(矢印)。深谷司令、完全にコウベリーズのファンの方々と同化しているように見えます(笑)

かつてこれほどまでにアイドルと良好な関係を築き、広報行事にアイドルを活用した部隊指揮官が海自にいたでしょうか?
司令はアイドルの活用を通して、彼女らを応援するファン(若い男子)に海自に興味を持ってもらおうというお考えなのでしょう。この先進的で柔軟な発想は一般大出身の指揮官ならではだと思います。

深谷司令と一緒にコウベリーズに声援を送りたかったのですが、実は私、午後1時頃に「ちはや」の野田艦長を訪問する約束があったので後ろ髪を引かれながら「ちはや」へと乗艦しました。野田艦長ですが、深谷司令が第1潜水隊司令だった時の「みちしお」艦長で、その縁で知り合いになることができました。潜水艦救難母艦「ちよだ」副長などを経て今年3月に「ちはや」艦長に就任しました。

野田艦長、とてもユニークな経歴をお持ちです。学生時代にアルバイトで働いたコンビニで、その優秀な働きぶりが評価されて僅か18歳で店長に抜擢。そのコンビニチェーンの店長最年少記録は未だに破られていないこと。そして一般企業勤務を経て海自入隊、幹部候補生学校を卒業して海自幹部となりました。日本広しといえど店長と艦長の両方を経験した人は野田艦長だけでしょう。

「ちはや」の士官室です。艦橋構造物が大きいためスペース的にも余裕があるのか、かなり広いです。私の感覚ですが「むらさめ」や「たかなみ」といったDDは言うに及ばす、「こんごう」や「あたご」といった大型艦よりも広いように思えます。護衛艦では士官室は戦闘時には戦時治療室になるため、天井に手術用の照明があるのですが、「ちはや」は戦闘艦ではないため手術用照明はありません。

幹部は士官室で食事をしますが、その席は艦長以下全員分が決まっています。最も上座(最上席)が艦長で、艦長の右側に副長、以下幹部名簿の序列に従って左右交互に座ります。食事の際には序列が下位の者から席に着き、副長が着席したら士官室係の海士が艦長を呼びに行きます。艦長が着席して箸を取ったら食事がスタート、間違っても艦長より先に食べ始めてはいけません

艦長室に案内していただきました。「ひゅうが」や「いずも」といったDDHの艦長室よりも広いのではないでしょうか(あくまで私の感覚ですが…)。↑に写っているのは応接スペースで、私が立っている背後に執務用の机があります。艦内に個室が用意されることや艦橋の艦長席、さらには食事時の艦長ファーストのしきたり等々、つくづく海軍(海自)は艦長を大切にする組織だと感じます。

「ちはや」は水上艦ですが、潜水艦救難という任務の性格から艦長は潜水艦乗りの幹部(潜水艦艦長経験者)が務めます。ただ潜水艦と救難艦では大きさが段違いで操艦の感覚が異なることから、救難艦艦長候補者はまずは副長に配置されて習熟に励みます。野田艦長も「ちよだ」で副長を務めましたし、現「ちはや」副長の岡崎2佐はかつて潜水艦「はくりゅう」の艦長を務めています。

艦長室を辞し、「ちはや」の艦内を見学します。まずは艦橋です。
何度見てもこの広大な艦橋には驚かされます。現在就役している海自艦で最も広い艦橋と言っても間違いないでしょう。
奥に見えるのは艦長席で、野田艦長は2佐なので赤青二色のカバーが掛けられています。「ちはや」艦長は1佐職ですが、古参の2佐が充てられることが多々あります。野田艦長が在任中に1佐に昇任すれば、艦長席は赤一色のカバーに掛け代えられます。

「ちはや」には女性用の居住区があるので、女性隊員もかなりの人数が乗り組んでいます。幹部の中では船務士(2尉)が女性で、この日は艦内アナウンス役として、艦橋から艦内放送を通じて乗艦者に見学時の注意事項を知らせていました。彼女も約20年後には艦長になっているかも…。そうなるように頑張って欲しいです。

「ちはや」の船体中央部には深海救難艇(DSRV)が搭載されています。海中で遭難もしくは沈没した潜水艦から乗組員を救助するための潜水艇です。DSRVが置かれている場所の下部はセンターウェルという投入口になっており、艦底の閉鎖板を開けばDSRVをここから直接海中に投入することができます。

「ちはや」搭載のDSRVは排水量40t、長さ12.4mで、操縦員は2人12人の救助者を乗せることができます。「ちはや」は三井造船玉野事業所で建造されましたが、このDSRVは神戸市に所在する川崎重工神戸造船所で建造されています。つまり、サマフェスへの来航はDSRVにとっては生まれ故郷への里帰りということになります。
DSRVは高度な深海作業能力を有することから、潜水艦救難だけでなく潜水調査や捜索、船の引き揚げなど多岐に活用されています。

この蟹のような機械は無人潜水装置(ROV)です。水深2000mまでの潜水が可能で、海底調査やサンプル採取、遺失物の捜索・回収等を行う装置です。銀色の腕のような装置が水中作業を行うためのアーム=マニュピュレータで、アームの間にはTVカメラや照明、採取・回収した物を収容するバスケットが備えられています。また赤い筐体の前面部分にはソーナーが格納されています。このROVは艦橋直上にある救難指揮所(RIC)から遠隔操作されます。

この装置は海自艦では「ちはや」で初めて搭載されました。したがって、「ちよだ」には無い装置でしたが、その有益性が評価されて今春就役した「ちよだ」(二代目)にも搭載されました。ROVは民間では水中ドローンとも呼ばれ、海洋調査や資源探査、海底探索、沈没船調査、レスキュー等の分野で幅広く利用されています

サマーフェスタの終了時刻=午後3時が近づき、そろそろ帰宅の途に就くことを考えていたら、深谷司令から「陸奥湾へ行く『なおしま』を一緒に見送りませんか?」とのお誘いが…。実は今月18日から13日間の日程で、陸奥湾において機雷戦訓練掃海特別訓練が実施されていて、「なおしま」は当訓練に参加するためこれから阪神基地隊を出港、単艦で陸奥湾を目指すというのです。

第42掃海隊の相棒「つのしま」は、既に訓練に参加していますが「なおしま」はサマーフェスタ支援のために基地隊に残っていたのです。フェスタが終了した午後3時5分、出港ラッパを響かせながら、「なおしま」は基地隊の岸壁を離れていきました。「司令、行ってきます!」と掃海隊司令が敬礼したのに対し、深谷司令が「お気を付けて!」と答礼。指揮官同士の敬礼は感動的ですらありました。

岸壁ではコウベリーズのメンバーたちも「なおしま」を見送っています。手を振りながら時折、声を合わせて「がんばってぇ~♪」と大合唱、掃海隊司令と艇長が大きく手を振ってそれに応えていました。訓練に向かう出港で若い女子たちの声援を受けるのは、「なおしま」乗組員にとっては初めての経験ではないでしょうか(笑)

コウベリーズの子たちはというと、初めて見る海自艦艇の出港シーンに大興奮!「すごい迫力!」「カッコいい!」などと口々に感想を述べていましたが、私が「大型艦の出港はもっと迫力があってカッコいいですよ」と教えると、「もっと出港を見たい~!!」とボルテージはダダ上がり。よし、アイドルの子たちを海自ファンに引き込んだぞ
(笑) 今日を契機にこの子たちが海自や海上防衛に興味を持ち、さらには将来の進路に海自を選んでくれないかなぁ…

「なおしま」の姿が大阪湾の水平線上に消えた頃、いつしか岸壁にいるのは私と深谷司令、コウベリーズの子たちだけになっていました。ほとんどの来場者は帰宅の途に就き、基地隊の敷地内や「さざなみ」「ちはや」の甲板上は、数十分前までの賑わいが嘘のように静まり返っています。まさに「兵どもが夢の跡」状態です…。

15日前に発生した西日本豪雨で開催が危ぶまれた今年の阪神基地隊サマーフェスタですが、深谷司令をはじめとする基地隊隊員と「さざなみ」「ちはや」両艦の乗組員のご尽力によって予定通り開催されました。海自ファンを代表して心から御礼申し上げます
快晴の夏空の下、楽しく有意義な時間を過ごすことができました。コウベリーズをはじめ多くの人が、今日のフェスを機に海自への理解を深めたことでしょう。舞鶴ではなく神戸を選んで大正解でした!

西日本豪雨を乗り越えて開催された今年のサマーフェスタ、阪神基地隊の広報への執念をも感じました。