阪神基地隊サマフェス&司令交代行事 |
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梅雨特有の蒸し暑さの中、阪神基地隊に遠征しました。ここを訪れるのは昨年末の年末行事(餅つき大会)以来7ヵ月ぶりですが、本日は基地隊最大のイベントであるサマーフェスタが開催されているのです。昨年はDD「さざなみ」と潜水艦救難艦「ちはや」、3年前には補給艦「ときわ」が来航するなど、任務多忙により各地で公開艦の招聘が困難になっている昨今においても中々の“大物”がやって来るマニア垂涎の夏イベントでもあります。さて、今年はどんな艦が来航しているのでしょうか?既に少し見えていますが…。 艦艇不足により各地で夏のイベントが縮小傾向にある中で、阪神基地隊は以前と変わらぬスケールと内容でイベントを実施していて、その広報に積極的な姿勢はマニアの間では「聖地」と崇められているほどです。そのような隊の姿勢は、約25年前に阪神・淡路大震災を経験して地域や市民とコミュニケーションを図る事の重要性を学んだためと言われていますが、それに加えて海自の人材不足・募集難という事態をどの部隊よりも深刻に受け止めているからではないかと私は考えます。 |
今年のサマーフェスタには潜水艦1隻と護衛艦1隻が来航しています。こちらがその潜水艦、栄えある伝統の艦名を引き継いでいる「くろしお」です。「おやしお」型潜水艦の7番艦で、呉の第3潜水隊に所属しています。去年の8月から10月にかけて南シナ海でDDH「かが」、DD「いなづま」「すずつき」と共同で中国を睨んだ対潜訓練を実施したことで大きな注目を浴びました。 黒光りする船体がまるで「巨大な鉄のクジラ」のようです。「そうりゅう」型のように船体には吸音タイルが貼付されていませんが、それによって剥き出しになった鋼鉄の船体が潜水艦としての武骨さや力強さを醸し出していてマニア心をくすぐります。 「くろしお」が接岸している岸壁にはものすごい数の人がいて、「くろしお」を近くで撮影をしようと思っても近づくだけでも一苦労という有様。開門からまだ30分程度しか経っていないのですが、既に3000人を超える来場者が押し寄せていたことを後で知りました。 |
「くろしお」ですが、さすがに艦内は公開されていないものの、来場者を甲板上にあげて全開にされたハッチから直下の艦内を覗くという形の公開が行われています。ほんの一部分とはいえ潜水艦の内部を見学する貴重な機会ですので甲板上は来場者で大賑わい、「くろしお」に近づくこともままらならいほどの人だかりは、この甲板上からの見学を希望する人の順番待ちの列だったのです。 ありがたいことに、私はこれまでに「おやしお」型潜水艦の艦内に5回ほど立ち入った経験があるのですが、前型式の「はるしお」型や「ゆうしお」型よりも船体が大型化したこと、さらには最新型式の「そうりゅう」型のようにAIP機関を搭載していないことから艦内のスペースに余裕があり、私見ではありますが、歴代の海自潜水艦の中で最も使い勝手と居住性がいい潜水艦だと思います。 |
護衛艦の方は横須賀の第21護衛隊所属の「やまぎり」が来航しています。6月に横浜・大さん橋で撮影を行った「ゆうぎり」のすぐ上の姉で、1989年1月に就役。意外と知られていませんが、実は時代が「昭和」から「平成」に代わって最初に就役した海自艦です。 林立する2本のマストとステルス性を一切考慮していないそそり立つ格納庫の壁面が特徴的な艦で、運用面の不便や不利は論じず純粋に艦としての魅力度を考えると、運用中の全ての海自艦艇の中で一、二を争う味わい深い艦ではないでしょうか。 海自艦にしては珍しく船体に赤錆が浮いています。海自には「自分が乗る艦に恥をかかせるな!」という諺があり、母港に停泊中やイベントへの参加など艦が一般国民の目に触れることが多い状況下においては、極力錆びや汚れがない状態に整備しています。にも関わらず今回「やまぎり」の船体に赤錆が浮いているということは、決して乗組員が整備を怠っている訳ではなく、警戒監視等の任務を終えてそのまま阪神基地隊に寄港したためと考えられます。恐らく尖閣諸島周辺や東シナ海で任務に就いていたのでしょう。 |
その「やまゆき」ですが、ご覧のような乗艦待ちの列が延々と続いています。しかも乗艦しても甲板上は大渋滞、艦を巡ろうにも牛歩の如く僅かな距離しか前に進めない状況です。皆さん、この艦は将来空母に改装予定のDDHではなく、最新型のイージス艦でもなく、艦齢が30年を超えた旧式のDDですよ…にも関わらず延々と続く乗艦待ちの列、いったいこの凄まじい人気は何なのでしょうか? 関西地方は私が住む九州とは異なり、かつては自衛隊に対する住民感情が非常に悪く、大震災で自衛隊が獅子奮迅の支援を行ったにも関わらず、つい数年前までDDHがこの阪神基地隊に寄港しようとしたら革新系の市民団体が猛抗議に来たような土地柄です。ゴリゴリのイデオロギーで固まった団体メンバーほどではないにしろ、一般住民も自衛隊にあまり良い感情を抱いていなかったようですが、今や艦艇が公開されるとなるとご覧のような状況に。「時代は大きく変わったなぁ…」と改めて実感させられました。 |
乗艦待ちの列は「やまゆき」艦首近くの岸壁の端で折り返し、そのまま基地隊の敷地内にまで延びています。現在の待ち時間は約2時間というから驚きです。ちなみに先ほどの「くろしお」でも1時間半程度の待ち時間となっていました。少々曇っているとはいえ強烈な蒸し暑さの中で1~2時間も列に並んでいたら熱中症で倒れてしまいそうです。現在並んでいる皆様、こまめな水分補給をお忘れなく!私はというと、長時間も列に並ぶ元気も意欲もないので両艦への乗艦は“勇気ある撤退”を決断しました(笑) 大げさではなくリアルに命が危機に晒される長時間の乗艦待ちですが、当HPの閲覧者様の中にも過酷な条件をもろともせず無事に乗艦した人が多くいたようで、掲示板に見学時に撮影した画像を投稿していただきました。本当にご苦労様でした。 |
「くろしお」と「やまぎり」の乗艦については‟勇気ある撤退”を決断しましたが、海上からの撮影には果敢に挑みます。幸運なことに今年も港内クルーズの乗船券を入手できたので、基地隊に所在・来航している艦艇たちを海側から撮影したいと思います。乗船するのはYF1034、支援船にしては珍しく同型船がないことから、ここ阪神基地隊でしか見ることができないレアな交通船です。 交通船はその名の通り、艦艇乗組員や隊員を海上輸送するための支援船で、五大基地のほか各地の基地隊や基地分遣隊に配備されています。阪神基地隊は京阪神地区の警備を担当する重要部隊だからでしょうか、YF1034はかなり大型の交通船です。 このYF1034、実はこの25日後にある重要な任務で運用されている光景を目にすることになります。 |
出港直後に目に飛び込んできたのが阪神基地隊を拠点とする第42掃海隊の2隻。掃海艇「つのしま」(左)と「なおしま」(右)です。 この2隻は阪神基地隊の指揮下にある唯一の水上艦艇で、本業の大阪湾とその周辺における機雷処分のほかに災害支援等の様々な任務に就いています。「つのしま」は2014年に横須賀から、「なおしま」も同じく2014年に佐世保から転籍してきました。 この2隻には任務や訓練等で基地隊司令が座乗することがあるのですが、潜水艦幹部である深谷司令は艦橋に天井があって強烈な海風に晒されずに指揮できることにとても感動したそうです。確かに潜水艦のセイルの上は吹き晒しですからねぇ…。 |
今年の港内クルーズは、基地隊を出港後に東へ向けて航行、南芦屋浜の沖合で反転して阪神基地隊に戻るというコースでした。 南芦屋浜の沖から戻って桟橋に接岸する直前にYF1034は「くろしお」の後方を通過、‟鉄のクジラ”を斜め後方という魅力的なアングルで撮影することができました。相変わらず甲板上は艦内を“のぞき見”する来場者で賑わっています。う~ん、すごい人気だ…。 私が岸壁から「くろしお」を撮影していた時、艦長の堀内2佐も岸壁にいて、艦長自ら見学希望者の案内をしていました。実は私、堀内艦長のお顔を何処かで見たような気がしてずっと気になっていたのですが、後日、雑誌「J-Ships」2003年Vol10号に目を通していたところ、遠洋練習航海の模様を紹介する特集において、実習幹部だった堀内艦長(当時3尉)が紹介されていました。何となく見覚えがあったのはそのためか…。16年が経過したとはいえ、あの時の実習幹部が今や艦長になっていることに驚きを禁じえません。 |
YF1034は「やまぎり」の前方へ出て反転、絶好のシャッターチャンスの到来です!鋭く尖った艦首、船体に入ったナックルライン、低く抑えられた艦橋構造物、そして林立する2本のマスト…「きり」型DDの魅力がギュッと凝縮された一枚を撮ることができました。 艦の生涯はしばしば人生にたとえられますが、現在運用中の海自艦の中でこの「やまぎり」ほど激動の人生を歩んできた艦はないでしょう。建造中に2番煙突の設計が急きょ変更されたのを皮切りに、艦齢15年で「きり」型DDとして初めて練習艦に種別変更され、その7年後には護衛艦へと異例の再種別変更を経験するなど、まさにドタバタの人生。でもその分、他の「きり」型DDよりもキャラが立っているというか、人生の年輪を重ねたベテラン艦の雰囲気を感じます。まさに“護衛艦隊のいぶし銀”といえる存在です。 |
「やまぎり」の艦尾をかすめて桟橋へと向かいます。「やまぎり」の甲板上にも相変わらず多くの見学者がいます。残念ながら、公開範囲は上甲板とヘリ格納庫のみのようで、艦橋や艦内は公開されていません。これだけ多くの見学者が殺到しているので、安全対策の観点からも艦橋や艦内が非公開なのはやむを得ないですねぇ。灼熱の上甲板を見学したあとに、艦内の科員食堂で冷えた麦茶をご馳走になるのが夏イベントの楽しみのひとつだったのですが、今やそのような牧歌的な光景は過去のものとなってしまいました…(涙) 「きり」型の艦尾は大きな窓が開いた構造なのが特徴ですが、個人的にはなかなかスタイリッシュでカッコいいと思います。同じ構造の艦尾は練習艦「かしま」や「あぶくま」型DEといいった1980年代後半から90年代初頭にかけて設計された艦で採用されています。 |
YF1034を下船して基地隊の敷地内に戻ると、今や阪神基地隊のイベントには不可欠な存在となったご当地アイドル・コウベリーズのライブが行われていました。うだるような蒸し暑さもなんのその、コウベリーズのお嬢さんたちは元気に歌い踊りながら素敵な笑顔を振りまいています。お嬢さんたちの年齢は18~22歳くらいでしょうか、まだ若いのに見事なプロ意識だと感心せざるを得ません。 さすがは神戸を代表するアイドルだけに座席は満席、座席の後方には大勢の立ち見が出るほどの人気ぶり。最前列に座っている方々は艦艇よりもこのコウベリーズをお目当てに来場しているのではないかと思われます。それはそれで結構ですが…。 |
コウベリーズのステージが終わるや否や、最前列に座っていた人物がマイクを持って立ち上がりました。その人物はある意味、コウベリーズをどのファンよりも愛し、応援し、暖かく見守っている人物です…そう、その人物とは阪神基地隊司令・深谷1佐です。深谷司令は控え用のテントに戻ったコウベリーズのお嬢さんたちに向かって「まだ、〇〇〇〇(曲名)を歌っていないよね!」と呼びかけてアンコールを要望、詰めかけたファンたちも拍手でそれに呼応します。深谷司令、コウベリーズ愛が凄すぎます…(笑) ステージ周りの熱気が最高潮に達したところで、深谷司令はこう切り出しました。「私事ではありますが、今月31日を持って退官します。皆さん、大変お世話になりました」。司令の突然の退官報告に小さなどよめきが湧き起こりました。多くの人にとって自衛隊の指揮官は遠い存在であって、退官すると聞いても「あぁ、そうですか。ご苦労様でした」くらいの気持ちしか抱かないでしょう。 しかし、深谷司令の退官報告には驚きと残念な思いを抱いた来場者が多く、その思いがどよめきとなって顕れたのではないでしょうか。この神戸において、深谷司令は「我が街の名物司令」として親しまれ、愛されていたのだと実感しました。 |
ということで、サマーフェスタから25日後の7月31日、司令交代行事と深谷司令の退官行事に臨席するために再び阪神基地隊を訪れました。退官に際して深谷司令は本日付けで海将補に昇任、そのため庁舎前の旗竿には二つ星の海将補旗が掲揚されています。 先々代まで阪神基地隊司令は海将補の幹部が務めていたため旗竿には常時海将補旗が翻っていましたが、将官定数の都合によって先代の山崎司令から1佐職に変更されたため、私がこの場所で海将補旗を見るのは随分と久しぶりになります。本日、この庁舎に海上自衛官として最後の出勤をした深谷司令はこの旗をどのような想いで眺めたのでしょうか? |
深谷司令は夏服の正装である第1種夏服を着用して応接室に現れました。映画の主人公のような純白のスマートな制服、肩にはベタ金の階級章…あぁ、なんて眩しいお姿でしょう!幹部候補生学校の卒業席次から自らを「将官にギリギリで上がれないグループのトップランナー」と例えたことのある深谷司令ですが、ところがどっこい、見事に海将補に昇任しました。本当におめでとうございます。 深谷司令は1986年3月に広島大学文学部を卒業して幹部候補生学校に入校、幹候校卒業後は潜水艦幹部として勤務しました。潜水艦において士配置→水雷長→船務長→機関長→副長兼航海長というステップを着実に昇り、潜水艦「さちしお」で艦長を務めました。その後は海幕勤務のほか米太平洋艦隊司令部連絡官、米中央軍司令部連絡官、第1潜水隊司令、鹿児島地方協力本部長、舞鶴教育隊司令などの要職を歴任し、一昨年8月から阪神基地隊司令に就いていました。本流である防大卒の幹部を凌駕する経歴を大学の後輩として誇りに思うとともに、33年余りに渡る海上自衛官としての活躍に心から敬意を表したいと思います。 |
基地隊の主要幹部も次々と深谷司令に挨拶にやって来ます。程なく司令交代行事が挙行されることから、皆さん既に第1種夏服を着用しています。この2佐の階級章を付けた幹部は仮屋磁気測定所の江口所長です。このあとも続々と基地隊の各科長が挨拶に訪れたほか、江口所長のような阪神基地隊隷下部隊の指揮官=第42掃海隊司令と各艇長、由良基地分遣隊長も訪れていました。 それにしても純白の第1種夏服は素敵だなぁ…。この形状は諸外国海軍の夏服とほぼ共通ですが、帝国海軍の夏服である第二種軍装にもよく似ているので心が躍ります♪ 私も幹部自衛官になってこの制服を着てみたかったです…。 |
基地隊の外部からも深谷司令への挨拶に駆け付けた方がいらっしゃいます。こちらの気品漂うご婦人は関西防衛を支える会の役員で、退官の記念品として志摩隆画伯が描いた素敵な絵画を深谷司令に贈りました。司令は潜水艦幹部だけに、とても嬉しそうです。 描かれている潜水艦は「そうりゅう」型4番艦の「けんりゅう」で、公試時に由良基地分遣隊に寄港した際の姿とのこと。「けんりゅう」のディテールはもとより、分遣隊の庁舎や設備、分遣隊の背後に広がる山々が精緻に描き込まれています。また、志摩画伯の特徴である優しいタッチと色遣いによって、潜水艦と自衛隊基地という武骨な題材を描いているにも関わらず、ほのぼのとした雰囲気が漂う素敵な作品となっています。私もこの絵に一目惚れしてしまい、このご婦人にお願いして購入の申し込みをしました。 |
コウベリーズのお嬢さんたちも駆け付けました。リーダー格の森島さんは諸事情でお休みとのことで、メンバー4人がサマフェス等でお世話になったことへのお礼を述べました。お嬢さんたちはベタ金の階級章(肩章)を見るのが初めてなのか、その輝きに驚きの声を挙げていました。また肩章に二つの星が付いていることから、「二階級上がったのですか?」と尋ねる一幕も。実際には1佐から一階級の昇任なのですが、海将補は諸外国海軍の上級少将(ツースター)に相当するため星(=桜)が二つあるのです。 素直で可愛らしいお嬢さんたちの来訪に、深谷司令も満面の笑顔で応えます。司令とお嬢さんが握手を交わす手が不思議な形になっていますが、これは握手をしながら退官記念のチャレンジコインを手渡しているためです。世界中の海軍では出会った記念やお別れの記念にチャレンジコインを贈る風習があるのですが、このように握手をしながら最後に手のひらを水平にしてコインを渡します。 |
こちらが深谷司令が贈っていたチャレンジコイン。海将補を表わす二つの桜星と海自のマークである桜と錨がデザインされています。 また、反対側の面には摩耶・六甲の山並みを背景にして2隻の掃海艇と基地隊の庁舎が描かれています。そして両方の面に漢字と英語で阪神基地隊司令(COMMANDER HANSHIN BASE)と記されています。 私も司令と握手を交わして1枚いただきましたが、とても素敵なデザインのコインなので、部屋にある棚のよく見える場所に飾っています♪ 元々は先々代の司令(海将補)が配布用に大量に作ったものらしいのですが、先代から基地隊司令が1佐の幹部に変更されたことから、この海将補仕様の基地隊コインは、退官前など司令が海将補に昇任した僅かな期間にしか配布されない(=配布することができない)非常にレアなコインとなってしまいました。貴重なアイテムなので、失くさないよう大切にしなければ…。 |
午前10時30分から庁舎前で司令交代行事が行われ、深谷司令が基地隊と隷下部隊の隊員に対し退任・退官の挨拶を述べました。 「この阪神基地隊で皆さんと充実した勤務を送ることができ嬉しく思います。OBとなったら皆さんの前からキレイに姿を消すことが望ましいのですが、再就職先で隊員の援護業務に携わるので、引き続き海上自衛隊のために頑張りたいと思います。皆さん、ありがとう!」 基地隊司令として、さらには海上自衛官として最後の挨拶にも関わらず、深谷司令の挨拶は明瞭簡潔、しかも短い! これが陸自ならこうはいきません。退任・退官する指揮官の挨拶の前に上級司令部の指揮官が延々とご本人の紹介と功績を褒めちぎり、続いてご本人がかなりの長さの挨拶を述べます(例外もあり)。この違いは戦闘の違いに起因していると考えられ、海上戦闘では一瞬で戦闘の趨勢や勝敗が決まることから、帝国海軍は何事にも機敏さとスマートさを求め、挨拶も簡潔で短いのが良いとされていました。末裔たる海自もその伝統をしっかりと受け継いでいることが深谷司令の挨拶から窺えます。 |
深谷司令の挨拶が終わるとすぐ、新司令の寺田1佐が阪神基地隊に到着。隊員が整列して出迎える中、寺田新司令は敬礼で出迎えに応えます。第1種夏服を着用した隊員が整列し、それに指揮官が答礼する姿は本当に映画の1シーンのよう、絵になる光景です。 寺田新司令は深谷司令と同じ潜水艦幹部で、潜水艦「なるしお」艦長や第3潜水隊司令を務めたほか、防衛大の安全保障研究科(大学院)や英国統合指揮幕僚大学を修了、英国防衛駐在官も経験し、前配置は幹部学校防衛戦略研究部長という国際派&学究派の幹部です。深谷司令の経歴に勝るとも劣らない素晴らしい経歴です。阪神基地隊は関西・京阪神地区の警備を一手に担う部隊だけに、今回の人事でその指揮官たる基地隊司令には素晴らしい幹部が充てられることを改めて認識させられました。 |
寺田新司令は私が撮影している場所にも立ち寄ってくださいました。深谷司令から私や隣にいる防衛モニターさんを紹介されると、先ほどの引き締まった表情から一転、人懐っこい笑顔とともに敬礼をしてくれました。華麗な経歴を誇る幹部にも関わらず少しも偉ぶった雰囲気がありません。真に偉い人・優秀な人は物腰が柔らかく、偉そうな態度をとらないと再認識。私も見習わなければ…。 海将補の前司令と1佐の新司令が並ぶ構図となりましたが、こうして見ると、普段は4本線の金線が眩しく感じる1佐の階級章ですが、海将補のベタ金の前ではその輝きも霞んでしまうほどです。深谷司令の制帽は桜葉模様も段違いに多く、いかに将官が華やかな存在であるかが分かります。諸外国では将官は星に例えられますが、光り輝く眩しい存在であるが故に「星」に例えられるのでしょう。 |
新旧司令はいったん庁舎内の司令室に入り、事務の引き継ぎを行います。そして約30分後、深谷司令は儀仗隊が整列する庁舎前広場に再び姿を現し、栄誉礼を受けます。ラッパ吹奏に合わせて行われる敬礼と捧げ銃に対し、深谷司令は端正な敬礼で答礼します。 時間にして僅か数分間の栄誉礼ですが、基地隊司令としての2年間、そして海上自衛官としての33年間に対する敬意と労いが込められた儀式に、端から見ている私もジーンと感動してしまいました。やっぱり自衛隊の退任・退官の儀式は感動的だわ…。 深谷司令は明日から民間人=海自OBとなります。海将補であるのは本日1日のみですが、「1日だけの海将補」と言うこと勿れ。同期(防大30期相当)でも将官に昇任したのは深谷司令を含めて11人(海将4人、海将補7人)しかいないのです。恐らく同期は150~200人程度いたでしょうから、同期の上位5~8%以内の席次(ハンモックナンバー)に入っていなければ昇任できなかったのです。そう考えると、将官に昇任するのがいかに大変で難しいかがお分かりいただけると思います。私は深谷司令の大学の後輩ではありますが、仮に当初の目標どおり海自幹部になっていたとしても、将官にまで上がれたかどうかははなはだ疑問です(笑) |
栄誉礼に続いて花束の贈呈が行われます、プレゼンターはコウベリーズのお嬢さんたちです(笑) 4人のメンバーを代表して小形優莉さんが深谷司令に花束を手渡しました。先ほど応接室で深谷司令のベタ金の階級章や純白の制服を見てはしゃいでいたお嬢さんたちも、事がここに及んで深谷司令とのお別れを実感したようで、皆さん今にも泣きそうな表情に…。実際、小形さんは花束を渡した後に涙がこぼれ出し、頬を伝う涙を拭いながら懸命に深谷司令にお礼を述べていました。 なんて健気でいい子なのでしょう…。私、一気にコウベリーズのファンになってしまいました♡ 単に歌って踊れるご当地アイドルというだけでなく、このように素直で真っすぐな面を持ち合わせているお嬢さんたちだからこそ、先代の山崎司令と深谷司令が基地隊のイベントに起用し続けたのでしょうね。深谷司令とのお別れに涙する彼女たちを見て、その理由が分かりました。本日着任した寺田新司令も山崎・深谷両司令と同様、コウベリーズを隊のイベントや広報活動に起用して続けて欲しいと切に思います。 |
続いて防衛モニターの代表が花束を贈呈、深谷司令は満面の笑みでそれに応えます。それにしても深谷司令、素敵な笑顔です。私は過去に何度も自衛官の退官行事に臨席しましたが、今回の深谷司令ほど素敵な笑顔を見せる人はいませんでした。 退官に際して寂しさはあるのでしょうけど、それ以上に33年間の海上自衛官人生が充実したものであり、悔いなく全力を出し切ったと思えるからこそ、あのような笑顔になれるのだと私は考えます。数年後、私がいま勤める会社を定年退職しても、これほどの笑顔にはなれないでしょう。むしろ不貞腐った表情すらしているのではないかと思います。男が30年以上に渡って国防のために働くと、退官時にこれほどの充実感を味わえるのか…自衛官という職業の素晴らしさが改めて身に沁みました。若者よ、ぜひ自衛官の道へ! |
いよいよ深谷司令が阪神基地隊を去る時が来てしまいました。基地隊の幹部・曹士・事務官が花道を飾るかのように一列に整列している前を、深谷司令が敬礼をしながら歩いていきます。深谷司令が近くに来ると隊員は敬礼を行い、司令の動きに合わせて身体の向きを微調整して敬礼を続けます。一方、深谷司令は一人一人に「ありがとう」と語り掛けるような表情でゆっくりと歩みを進めます。 私も司令の姿を撮影しながら、心の中で「司令、お世話になりました。ありがとうございました」とお礼を述べさせていただきました。 このような場合、BGMとしては「蛍の光」が流れるのが一般的なパターンだと思いますが、いま基地内に流れている曲はコウベリーズの「ありがとう for you」。式典を仕切る隊員の配慮だと思われますが、最後の最後まで深谷司令らしさが満開です。 |
司令は撮影する私の前を通り過ぎ、幹部の列の中ほどまで進みました。今年3月に基地隊の研修という形で江田島・幹候校卒業式とそれに続く神戸での艦上レセプションに私を招待し、レポートの取材ができるようご尽力・ご配慮していただいた大堀1尉と野間1尉も、深谷司令に敬礼し見送っています。二人の1尉は普段はとても気さくな方々ですが、この見送りにおいてはこれまで私には見せたことがないキリリと引き締まった精悍な表情で敬礼していて、さすがは海上自衛隊の幹部だと妙な感心をしてしまいました。 画像には写っていませんが、岸壁に接岸している掃海艇「つのしま」「なおしま」の舷門に立つ当直員も、退任・退官行事が行われている間は第1種夏服を着用して立直しています。このように阪神基地隊は隊をあげて深谷司令の退任と退官を見送っているのです。 |
途中で深谷司令は歩みを止め、一人の隊員と握手を交わしました。その相手は基地隊先任伍長・寺腰海曹長です。先任伍長は曹士の最上級者で、隊内の曹士をまとめ副長とともに深谷司令を支えてきました。去年7月のサマーフェスタで深谷司令とともにパネルディスカッションのパネラーとなり、海上自衛官生活の裏表を“暴露”して聴衆を沸かせたのも記憶に新しいところです。深谷司令がわざわざ立ち止まって握手を求めるくらいだから、よほど信頼されていたのでしょう。指揮官と先任伍長の握手、感動的ないい光景です。 こうして見ると、全身白づくめの夏服でも幹部は靴まで白であるのに対し、曹士の靴は冬服と同じ黒であることが分かります。また目印を置いていないのに、全員が凹凸なく綺麗に並んでいることに驚きます。アスファルトの端に踵を置くようにしているのでしょうか? |
深谷司令は車に乗って基地隊を離れるのかと思いきや、交通船に乗って基地隊をあとにします。岸壁には寺田新司令をはじめとする隊員たちが整列し、帽振れで深谷司令を見送ります。いかにも‟海軍”らしい離任の光景です。 使用されている交通船はYF1034、そう、25日前のサマーフェスタにおいて港内クルーズで乗船したあの交通船です。あの時に基地隊周辺を約40分かけて遊覧航行し、多くの家族連れらを楽しませたYF1034ですが、今は海将補旗を掲げ、船首と船尾にバウメン(見張り員)が立つ立派な将官艇となっています。阪神基地隊を離任する司令は、毎回このように交通船で隊を離れていったのでしょうね。 |
交通船上から見送りに応える深谷司令、相変わらず満面の笑顔です。同じように交通船や内火艇に乗って離任した人の中には、式典の最中は別に何も感じなかったものの、船上で見送りを受けた際に寂しさや重責から解放された安堵感から涙がこぼれたという人が多くいます。深谷司令も間違いなく寂しさや安堵感を感じているはずですが、にも関わらずこの笑顔。やはり海上自衛官人生を全力で全うしたこと、やり残しがなく悔いもない33年間だったことがこの笑顔を生み出しているのだと思います。私も定年退職時にこれほどの笑顔になれるよう、残りの社会人生活を全力で頑張らなければと思いました。 深谷司令が首から下げている双眼鏡が黄色いストラップの将官用仕様であることにご注目。離任用の短時間の航行にも関わらず、ちゃんと将官用の双眼鏡を用意するという細かい気配りに、自衛隊という組織の素晴らしさを垣間見た気がしました。 |
岸壁を通り過ぎた交通船は徐々に速力を上げ、司令を乗せる車が待機している神戸港内の岸壁へと向かいます。深谷司令の海上自衛官の制服姿もこれで見納めです。あぁ、寂しいなぁ…。とはいえ、無事に退官を迎えたことに心から敬意を表し、これまでの数々のご配慮に感謝申し上げます。そして、退官後の人生がこれまでと同様に充実したものとなるよう心から願っております。 なんと、深谷司令はさっそく明日から再就職先に勤務します。将官の再就職先といえば防衛産業に関わるメーカーや大手保険会社の役員・顧問という事例が多いのですが、深谷司令の再就職先は財団法人 自衛隊援護協会広島支部。退官後に中四国地方で再就職を希望する隊員の就職先の斡旋などを行う組織です。再就職先が営利企業ではないという点も深谷司令らしさが滲んでいます。 勤務地は広島市内ですが、住居は呉市内の実家に戻るとのこと。呉遠征の際に深谷司令にお会いできるのが今から楽しみです♪ 深谷司令、もとい深谷さん、これからもよろしくお願いします!! |
岸壁では寺田新司令以下、隊員が交通船を見送っています。交通船を使った離任の場合、離任者が船内に入って船上から姿を消すのが「もうお見送りは結構ですよ」という合図だそうですが、深谷司令が船内に入ってもしばらくの間は寺田新司令と隊員の皆さんは岸壁上にとどまり、段々と小さくなっていく交通船を見送っていました。新司令の横に立っているのは司令の秘書にあたる副官ですが、副官の寂し気な表情から、深谷司令が仕えていた副官からも慕われていたことが窺えます。 さて、この司令交代行事をもって阪神基地隊の指揮権は寺田新司令に移行しました。京阪神・関西地区の唯一の海上自衛隊部隊として阪神基地隊の役割は非常に大きいものがありますが、新司令には歴代司令が築いた伝統を継承して隊をより精強にしていただきたいと思います。一方で、「マニアの聖地」と呼ばれるほどの広報への積極的な姿勢も継承して、海自ファン・マニアに対しても優しく親しみやすい部隊であって欲しいと思います。寺田新司令のご活躍とご奮闘を心からお祈りいたします。 |