2015自衛隊観艦式 ~本番日・式典 帰投編

隊列を整えた「あたご」以下27隻の受閲部隊は相模湾を東へ、安倍首相による観閲に臨みます。

間もなく正午、自衛隊最高指揮官である内閣総理大臣による観閲が始まります。隊列を制形し終えた受閲艦艇部隊全27隻は、観閲部隊・同付属部隊と反航すべく、旗艦「あたご」を先頭にして美しい単縦陣で東に向かって航行しています。
各艦の左舷側上甲板では、乗組員が一糸乱れぬ見事な登舷礼を作っています。観閲を受ける準備はすべて整いました。いざ!

横須賀出港時の曇天が嘘のような晴天となりました。過去2回続いた観艦式本番日は悪天候というジンクスは、今回見事に途切れました。3年前の観艦式レポの最後に、「本番日の悪天候は民主党出身の総理大臣のせいであり、晴天の観艦式を実現させるために民主党政権を打倒する」と誓った私ですが、この見事な晴天を見るにつけ、民主党政権が倒れて本当に良かったと思います(笑)

正午、観閲が始まります。「あたご」の艦内スピーカーから号令。
「観閲官に敬礼する。左、気をつけぇー!!」。間髪入れずに、勇壮かつ荘厳な敬礼ラッパが吹奏されます。
パァ~♪パァ~♪パッパカパッパッパァ~~♪

「あたご」が「くらま」に乗艦する観閲官(内閣総理大臣)に敬礼しました。この時、「あたご」甲板上は厳粛な空気に包まれます。

「あたご」からの敬礼に対し、「くらま」(観閲官)が答礼します。 パッパカパッパッパァ~~♪
少し間を置いたのち、「くらま」から「かかれ!」のラッパ。 パァパパァ~~♪
これを受けて「あたご」でも「かかれ!」のラッパが吹奏され、敬礼が終了します。今観艦式では、この敬礼が27回繰り返されます

「あたご」への観閲が終わり、「くらま」は後方へ去って行きます。観閲官は引き続いて後続する「しまかぜ」に対して観閲を行います。間もなく、「しまかぜ」の甲板上に敬礼ラッパが鳴り響くことでしょう。

観閲官である内閣総理大臣防衛大臣等のVIPが多数乗艦する観閲艦は、定められた通りの航行や安全な航海に加え、これらVIPへの接遇も重要な任務であり、艦長をはじめとする全乗組員は、途絶えることのない緊張に耐えつつ、四方八方への気配りをしながらの航海が続きます。観閲艦は艦隊一の栄誉ある役目ではありますが、乗組員にかかるプレッシャーも艦隊一なのです。
現艦長の水田一佐は3ヶ月前の7月に着任、雑誌のインタビューに対し「観閲艦となる艦の艦長拝命は、ものすごいプレッシャーを感じつつも大変光栄に思った」と答えています。 

受閲を終えて進む「あたご」に対し、観閲部隊の艦が次々と反航。「くらま」の後には、随伴艦の「うらが」「てんりゅう」が続きます。
本日「うらが」(大臣・海幕長招待者用の艦)には、私の「あたご」乗艦実現のために多大なるご配慮をしていただいたI元将補が乗艦し、観艦式を見学しています。退官して10年近くになるI元将補の目には、今回の観艦式はどのように映っているのでしょうか?

I元将補は第5護衛隊司令時代、2000年観艦式先導艦指揮官として参加。先導艦「あまぎり」(第5護衛隊所属)に乗艦し、観艦式の“扇の要”の役割を果たして式を成功に導きました。先導艦は観艦式における全ての艦隊運動の基準・起点となる重要な艦ですが、52隻もの艦艇が参加した大規模観艦式の先導艦指揮官の苦労と緊張は並大抵ではなかったと思われます。

I元将補は40歳代前半に護衛艦隊旗艦「むらくも」の艦長を務めています。当HPのコラム『出港用意 Vol32』に旗艦「むらくも」が登場しますが、実はこの時の「むらくも」艦長がI元将補(当時二佐)だったのです。つまり、私とI元将補は22年前の1993年に呉基地でニアミスしていたことになります。まさに“人の縁とは奇なるもの”です。
当時の私(25歳)に、旗艦の艦長さんのお蔭で22年後の観艦式に参加できるようになることを教えてあげたいです(笑)

私が乗る「あたご」は、観閲部隊の殿艦「ちょうかい」と反航後に「ちょうかい」に後続すべく左回頭・反転します。その回頭の最中、「しまかぜ」以下後続する受閲部隊の隊列が目に飛び込んできました。水平線の彼方にまで一直線に艦艇が続いています
嗚呼…何という絶景でしょう。我よくぞ日本男子に生まれけり!

反転を終え、「あたご」は「ちょうかい」の500ヤード後方を航行します。この時、「あたご」は受閲部隊旗艦であると同時に、事実上、観閲部隊の殿艦となりました。その「あたご」の左舷側を受閲部隊の各艦が反航して行きますが、これは紛れもなく観閲部隊所属艦の眺め・視点です。このように受閲部隊旗艦は、受閲艦艇部隊の視点と観閲部隊の視点両方を楽しめるのが大きな利点です。

そういえば、オカマのおっさんが静かです。さすがに疲れてスマホ配信を止めたのか思いつつ横を見ると、何と!オカマのおっさんは、「武運長久」と大書した日の丸を両手で拡げ、反航する各艦に見せ付けています。いったい何なの?このオカマ…??
武運長久を祈るのは悪くはありませんが、観艦式でこの行動は不似合いです。もちろん、私を含めて周囲の乗艦者はドン引きです。

「しまかぜ」に続いて「おおなみ」も反航して行きます。甲板上で登舷礼をしている乗組員たちは、旗艦の艦尾付近で「武運長久」と記された日の丸を持つオカマを、どんな気持ちで見ているのでしょうか?見た目はおっさんなので、オカマとは分からないか…(苦笑)
このオカマ、「武運長久」の意味を知っているのでしょうか?もし知っていて、自分でこの日の丸を作ったとなると、単なる好奇心で乗艦している訳ではなく、かなりの軍事オタクという事になります。軍オタとオカマを兼ねた中年…新しいトレンドが生まれたようです…。

ちなみに「武運長久」とは、「武人としての幸運や戦いにおける幸運が長く続くこと」です。現代ではあまり使われる言葉ではありませんが、艦艇が就役して建造された造船所を旅立つ際に、造船所の職員が「武運長久」を願う横断幕を掲げて見送ることがあります。

オカマのおっさんに気を取られている間に、「きりさめ」「さみだれ」も過ぎ去って行きます。「しまかぜ」は祝砲射撃、「おおなみ」「きりさめ」「さみだれ」は戦術運動の展示をこのあと実施するので、「あたご」のように観閲部隊に後続することはありません。4隻はしばらく直進したのちに展示を実施するための進路に入りますが、↑では「しまかぜ」が祝砲射撃用の進路に入るために変針しています。

受閲部隊の艦は観閲終了後の行動として観閲・同付属部隊に合流訓練展示を実施海域を離脱という三つの行動パターンがあり、観閲を受けた後は自艦の行動パターンに応じて進路をとります。海域離脱というのは少し寂しいですが、今観艦式では、掃海艇や海外艦が観閲後に海域を離脱します。ただ、“お客さん”である海外艦は即帰港しますが、掃海艇はある地点で待機となります。

受閲第4群の先頭艦・潜水艦「ずいりゅう」がやって来ました。セイル上のマストには、自衛艦旗と滅多に見ることのない一つ星の代将旗が翻っています。潜水隊群司令は観艦式以外では潜水艦に乗艦することはないので、その意味でも貴重な光景です。
潜水隊群司令は、同じ群司令でも護衛隊群司令とは異なり、隷下の潜水艦を作戦指揮する権限はありません。潜水艦は基本的に潜水艦隊司令官が直接指揮しており、その中での群司令の役割は、教育・練度管理・後方支援ということになります。

遠方に「いずも」の姿が見えますが、「いずも」は観閲を受けたのちに観閲付属部隊の隊列に加わるべく、現在右回頭を行っている最中です。3隻の潜水艦の後に続く掃海母艦「ぶんご」も付属部隊の隊列に加わることから、観閲後は「いずも」と同じ進路をとります。

受閲第6群の輸送艦「おおすみ」です。後方から見ると、艦尾のLCAC搭載口の特徴的な形状がよく分かります。
甲板上には多数の陸自車両が留置されていますが、高機動車や輸送用トラックのほか、軽装甲機動車や指揮通信車・給水車・クレーン車などがあるのが見えます。「おおすみ」型輸送艦1隻で、陸自隊員330人車両65台を輸送することができます。また第4甲板に搭載する車両数を減らせば、戦車を輸送することも可能です。

「おおすみ」型輸送艦は、離島防衛作戦でも大きな役割を担うことから、陸自が導入予定の水陸両用車(AAV-7)を搭載するための改装が現在進行中です。姉妹の中で唯一、一部改装が施された「おおすみ」では、第4甲板にAAV駐車用レーンが新設されたほか、艦尾搭載口もAAV運用に適するよう改良されています。

受閲第7群は3隻のミサイル艇です。海上を40ノット超の高速で駆け抜ける韋駄天ですが、低速で航行するのはちょっと苦手という雰囲気が伝わってきて、何だか笑ってしまいます。現在「おおたか」は登舷礼を実施中ですが、乗組員の数が少ないことに加え、乾舷が低くて上甲板に立つのは危険なことから、艦橋ウイング部に司令・艇長ほか数人の幹部が立っているのみです。

観閲終了後すぐに高速航行展示の態勢に入るためか、既に上甲板の金属製の手摺は撤去されています。手摺が撤去されている事も、上甲板で登舷礼を形成しない一因だと考えられます。基本的に長期航海を考慮していないフネだけに、観艦式のために長期間母港を離れるような場合は、乗組員は様々な不便に耐えなければなりません。特に食事には苦労するということです。

我が「あたご」が祝賀航行部隊(海外艦)と反航している時に、航空機への観閲が始まりました。轟音をとどろかせて次々と飛来する航空機の編隊は迫力満点、特に本日は2回の事前公開とは異なり、編隊を正面から見る位置にいるので、その迫力もひとしおです。
←はP-3Cの3機編隊が「あたご」上空に迫っているシーンで、かなり見にくいのですが、後方にはP-1の2機編隊が続いています。

各編隊(群)は30秒間隔で飛来しますが、受閲航空部隊は群を構成する機体によって、高度と速度が異なります。いま飛来しているP-3Cは、高度約700フィートを200ノットで飛行しています。速度が違うのに30秒間隔で飛来するのは、遅い機体は早めに、速い機体は遅めに飛行コースに入ることで、観閲艦の上空でちょうど30秒間隔になるように調整しているのです。まさに神業!!

「あたご」は飛行コースのほぼ直下を航行しているので、私の直上を編隊が通過します。新型哨戒機のP-1も、ご覧のように直上を通過して行きました。カメラの連射性能のお蔭で、P-1が直上を飛行する姿を捉えることができました。パッと見では、旅客機みたいです。

観閲を受ける航空機の数と高度は、天候によって変化します。本日は晴天なので、高高度において全ての群が参加する第1法で観閲が行われています。雲底高度が2500フィート未満になると第2法、さらに2000フィート未満になると第3法で観閲が行われ、参加する群と編隊を構成する機体の数が減少します。過去に悪天候で空自機の飛行が中止になったことがありますが、これは観閲が第2法か第3法で実施されたためです。ちなみに雲底高度が1000フィート未満となると、飛行はオールキャンセルになってしまいます。

米海兵隊のMV-22オスプレイが飛来して来ました。事前公開1では横から見て「変な形だなぁ」と思ったのですが、正面から見ると変な形具合がより一層際立って見えます (笑) 何とも言えない形だ….一時、“左側の人々”や“プロ市民の皆様”によって沖縄で猛烈な配備反対運動が繰り広げられましたが、航空機史上これほどまでに人々から憎悪を向けられた機体は後にも先にもないでしょうねぇ。

右手後方を海外艦による祝賀部隊が航行していますが、海自艦とは異なり各艦の間隔がまちまちなのはご愛嬌といったところでしょうか…。訓練を積んで技量を高めていないと普通はこうなります。言い換えれば、あれだけの美しい隊列を形成して航行する海自艦は、恐ろしく高い技量を有しているということになります。海外艦の乗組員も、海自艦の技量の高さにさぞ驚いていることでしょう。

午後12時31分、航空部隊への観閲が終了し、艦隊は180度反転します。「あたご」も左に変針、後続する補給艦「ましゅう」も続きます。
おぉ、巨大補給艦の180度反転シーンを見れるぞ!
満載排水量が2万5000tにも達する巨大艦が反転する光景は迫力満点、変針で傾く艦上で足を踏ん張ってシャッターを切りまくります。

佐世保で同型艦の「おうみ」を見学した際に、艦長さんが「とても眺めがいい」と絶賛した「ましゅう」型の艦橋ですが、いま各艦が反転している光景を「ましゅう」の艦橋から眺めたらさぞかし素晴らしい眺めでしょうね…。「ましゅう」の乗艦者がとても羨ましいです。
今観艦式は洋上補給の展示がなくてとても残念なのですが、「ましゅう」が観閲を受けた後に帰途に就かず、こうして隊列に加わって観艦式実施海域に残ってくれているのがせめてもの救いです。

ちょうど反転が終わったタイミングで、前方から祝砲射撃を展示した「しまかぜ」が反航してきました。この時には8発の祝砲を全て撃ち終えており、砲身が火と煙を吹くシーンは撮影できませんでした。まぁ、乗っているのが受閲部隊の艦ですから…仕方ありません。

祝砲は、現状では5インチ砲用にしか弾がありません。その理由は、現在主流となっている無人砲塔(5インチ砲以外)では次発装填ができないからです。今回「しまかぜ」は祝砲を8発撃ちましたが、これは射撃員が弾を装填する有人砲塔だから可能なのです。
では、5インチ砲搭載艦が全て退役した際、祝砲はどうするのか?現在検討されているのが“長篠の合戦方式”。織田信長が単発しか撃てない火縄銃を三段構えにして連続射撃したように、1艦1射撃を連続させることで、ある程度の数の祝砲を披露するのです。

遠ざかる「しまかぜ」から、ふと艦の中央部に目を移すと、何と!「きりさめ」が突っ込んでくるではありませんか!(驚)
このままでは衝突確実な進路と位置関係です。「どうした!『きりさめ』。何があった!」と焦ったのも束の間、「きりさめ」は急激に右に転舵して「あたご」の左舷側を駆け抜けて行きました。これは「おおなみ」「きりさめ」「さみだれ」による戦術運動の展示でした。

これまで「地味だ」「艦上からだと何をしているか分からない」などと酷評していた戦術運動ですが、至近距離で見ると3隻が一直線に隊列に突っ込んできて、「衝突する!?」と思わせる距離で転舵して駆け抜けていく姿は迫力満点!水雷戦隊の駆逐艦が射点に就くために急接近し、魚雷発射後に急変針して離脱する姿を彷彿とさせます。この戦術運動に帝国海軍水雷戦隊の魂を感じました。

「あたご」は「事前公開1」で乗艦した「ぶんご」と同じ位置を航行(二列の隊列で「ぶんご」と並走)しているため、展示の見え方は「ぶんご」の時とほぼ同じです。つまり、あまり良く見えないということです…。
P-1によるIRフレアの展示も、残念ながらフレアの発射シーンは見えませんでした。機体自体はいい感じで撮れたのですが…。
P-1は2機飛来、1機は高度500フィートで観閲艦「くらま」の真横に達した時にフレアを発射しました。もう1機は高度600フィートで飛来し、我が「あたご」の前の前を航行する「ちはや」の真横でフレアを放ちました。そう、「あたご」からはまったく見えないのです…。

快晴の空を飛行する新型機・P-1、いいですね~♪ P-3Cの灰色とは異なる、青味がかった塗装が素敵です。この色を見て九州新幹線用N700系を連想したのは私だけでしょうか?

展示が終了、参加艦艇はしばらくの間二列で航行し、この艦に観閲官(内閣総理大臣)による訓示が行われます。
安倍首相の訓示(一部):「日本を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増しています。望むと望まざるとに関わらず、脅威は容易に国境を越えてくる。もはや、どの国も一国のみでは対応できない時代です。そうした時代にあっても、国民の命と平和な暮らしは断固として守り抜く。そのための法的基盤が平和安全法制であります。私たちの子どもたち、そして、そのまた子どもたちへと、『戦争のない平和な日本』を引き渡すため、諸君にはさらなる任務を果たしてもらいたい。私は、諸君と共に、その先頭に立って全力を尽くす覚悟であります」

かなり長く、力が入りまくった訓示ですが、いい内容の訓示だと思いました。思わず終了時に拍手をしたのですが…。あれ?

「あたご」甲板上で拍手をしたのは私のみ。他の乗艦者は訓示を聞いていたのか聞いていないのか、しらっとした雰囲気です。オカマのおっさんはといえば、案内役の若い幹部(二尉)をつかまえて、「イケメンな隊員さんがいるわ♡ ちょっと話を聞いてみま~す」とか言いながらインタビューを始めました。死ね!

先に述べたように、今観艦式は米第3艦隊司令官や空母「R・レーガン」の参加により、海洋覇権を狙う“中華な大国”に対して強烈な警告を発する、抑止力効果の高い式となりました。これは安保法制成立の成果であり、首相の訓示もこの事を踏まえつつ平和を守る決意を述べています。にも関わらずこの雰囲気。観艦式に押し寄せた大半の人は一時のブームで海自に注目しているだけで、安全保障や海上防衛には理解も関心もないと感じざるを得ません。

観閲前と同様に沈鬱な気分になった私、その間にも艦隊は、二列の隊列から帰投用の隊列を制形すべく散開します。帰路も撮影チャンスが続くので落ち込んでいる場合ではないのですが…。

乗艦券を手配してくださったI元将補にお会いした際、ここ数年の海自人気についてお尋ねしたのですが、「得体の知れない気持ち悪さを感じる」と前置きしたうえで、「一過性のブームであり、大半の人はブームに乗っているだけ」との認識をお持ちでした。
そして、こう続けました。「その中から安全保障や海上防衛を理解し、海自を愛する“真のファン”が現れて欲しい」「海自の帝国海軍以来続く伝統や慣習を学び、それを人生に生かすような人が増えて欲しい」。海自への理解促進を主眼に置いてきた当HPですが、「選別」・「教育」に運営方針を改める時期が来たと感じます。

左舷前方、隊列から離れた海域に「くらま」の姿が見えます。こんな場所にいるのは、内閣総理大臣が乗る輸送ヘリを発艦させるためで、ヘリ甲板では今ちょうどMCH-101が飛び立とうとしています。
例年ならこのまま官邸に直行なのですが、今年は違います。安倍首相は、このあと観艦式に“飛び入り参加”した空母「R・レーガン」を訪問します。これも安保法制成立による日米同盟深化の象徴的な行事と言えますが、どちらかというと、安倍首相の個人的な趣味という気がしないでもありません(笑) ちなみに、アメリカ以外の国のトップが米空母を訪問するのは、安倍首相が初めてとなります。

望遠レンズで撮影しているので、「くらま」が陸地のすぐ近くを航行しているように見えますが、実際はかなり沖合いにいます。断崖の上の風力発電施設が特徴的ですが、どの辺りなのでしょうか?

帰投しながら隊列の制形は続きます。右舷後方では、「てんりゅう」「ぶんご」「とね」が帰投用の隊列の位置に向かっています。
強烈な逆光により3艦ともシルエットになっていますが、華やかな式典が終わり帰路に就く艦隊というイメージにぴったりの光景です。ここで問題です。この3隻の共通点は何?答えは呉が母港という点です。護衛艦(DE)に訓練支援艦に掃海母艦…呉所属艦がバラエティに富んでいることを象徴するような顔ぶれです。

今回の観艦式には呉からは10隻の艦艇が参加しています(海面警戒部隊を除く)。ちなみに、横須賀からは12隻、佐世保からは9隻、舞鶴からは2隻、大湊からは1隻が参加しています。個人的には普段接する機会が限られている舞鶴と大湊の艦にもっと参加して欲しかったです。大湊の「なみ」姉妹はお元気でしょうか…?

間もなく浦賀水道航路に入ります。艦隊はここで入港順に一列となります。右舷を並走していた「きりさめ」が変針して、我が「あたご」に近づいてきました。これは戦術運動の展示ではありません。これから「あたご」の直後に後続するのです。
1番が就役して20年近くが経つ「むらさめ」型DDですが、年月が経過し、さらに新型の「あきづき」型が就役しても、そのデザインにまったく古さを感じさせません。今なお最新鋭艦の精悍さがあります。

「あきづき」型といえば、「てるづき」が空母「R・レーガン」の先導役でイレギュラー参加していますが、正規の参加が1隻もないのが残念でなりません。海賊対処でソマリアに行っている「あきづき」は仕方がないにしても、「すずつき」「ふゆづき」の2隻は参加できなかったものでしょうか。“坊ノ岬帰還コンビ”の雄姿を撮影したかった…。

「きりさめ」が我が「あたご」の直後を後続、その後ろを「はちじょう」「てんりゅう」「ぶんご」「おおなみ」と続きます。ただ、ここ浦賀水道航路では自衛艦・民間船舶問わず一列になって航行しなければならないので、随所に貨物船が混ざり込んでいます。「事前公開1」の時と同じく、“シーレーン防衛的な光景”が現れました。

朝からずっと立ちっぱなしで撮影しているので、ここらで座って休憩をと考えたのですが、オカマのおっさんが騒がしくて休憩どころではありません。「見て!後ろにイージス艦(「きりさめ」のこと)がいるわ♪」「○○ちゃん、メッセージありがとう。お礼の気持ちを込めて敬礼!」などと疲れ知らずの馬鹿騒ぎ。さすがに周囲の乗艦者から「あいつ一体何なんだ!」「いつまで喋り続ける気だ!」などと不満の声が上がり、甲板上は少し険悪な空気に包まれたのでした…。

「きりさめ」の後方をオレンジ色の船体が鮮やかな民間船が航行しています。船体には「近海郵船」と記されています。調べたところ、近海郵船は日本郵船の子会社で、RO-RO船(貨物専用フェリー)を主力とした海運会社です。かつては旅客輸送も行っていましたが1999年に廃止され、現在は貨物専業となっています。
写っているRO-RO船は「とかち」という船名で、王子製紙の巻取紙運搬専用船として、東京―苫小牧間を運航しています。

浦賀水道航路では、このような貨物船やフェリー・コンテナ船・LNG運搬船など多彩な種類の船舶を至近距離で見ることができるのも魅力です。運航を担当する者にとっては冷や汗が出るほどの難所なのですが、船舶ファンにとっては堪らなく楽しいワンダーランドと言えます。ただ、私は民間船には殆ど関心がありません(笑)

浦賀水道航路を抜けた午後3時53分、後続していた「きりさめ」が増速して隊列を離れます。今回の観艦式で拠点としている横須賀新港へ戻るのです。戦術運動を含めて、今日は「きりさめ」の雄姿をたくさん撮影することができました。「きりさめ」さん、お疲れ様でした!

陸地の大地の上に立つ建物は防衛大学校です。現在、幹部自衛官を目指して学んでいる本科生は59期から63期までの1959人で、このうちタイやフィリピンなどからの留学生が115人います。
私も高校時代にこの防衛大学校への進学を考えていましたが、当時の担任教諭に騙されて受験を断念した経緯があります。
もし入校していれば35期生でしたが、35期生は現在、海幕の課長職や護衛隊司令・イージス艦等の大型艦艦長といった要職で活躍している人も多く、来年度には初の海将補が誕生する見通しです。

午後4時10分、横須賀・吉倉に戻りました。桟橋には既に観閲艦「くらま」が接岸しており、VIPをはじめとする乗艦者の下艦が始まっているようです。観閲艦という大役を無事に終えた「くらま」、照り付ける夕陽とも相まって神々しいほどの威厳を感じさせます。
1981年観艦式以来、「しらね」「くらま」という「しらね」型DDHが務めてきた観閲艦は今回で見納めとなります。この「くらま」は次回2018年観艦式を待たずして退役するのです(2017年3月退役予定)。

そうなると、気になるのは「しらね」型亡きあとの観閲艦は誰が務めるかということです。雑誌では同じDDHの「ひゅうが」型や「いずも」型という予想が挙がりそうですが、私は「うらが」型掃海母艦と予想します。艦内容積が大きく、何よりも観閲台を設置する艦橋露天部に十分な広さがあります。さて、3年後の観閲艦はどの艦でしょう?

「あたご」が接岸する桟橋には、一足早く「きりしま」「むらさめ」が接岸しています。朝の出港時も同じような景色を見ましたが、まさに出港時とは逆の順序で艦が入港・接岸するのです。
先導艦という大役を無事に終えた「むらさめ」、「くらま」とは対照的に大役を務めあげた安堵感に包まれているように見えます。

時刻は午後4時17分、6日前の「ぶんご」では猿島の手前、3日前の「とね」ではまだ観音崎辺りを航行している頃です。一方、「あたご」は間もなく接岸を完了します。もうすぐ下艦できるなんて、“観艦式カースト”の上位に位置する艦はいいなぁと感じました(笑)
例のオカマは、艦を降りるまで配信を続けるつもりなのか、下艦準備をする私の横で喋り続けています。「帰り道で海に落ちるかドブにハマりますように…」と念じつつ、ヘリ甲板をあとにしました。

吉倉桟橋・逸見岸壁を望むことができるヴェルニー公園に目を向けると、黒山の人だかりができているではありませんか。ざっと見るところ300人程度はいるようです。ひえ~!!
大半の人は手にカメラやスマホを持ち、観艦式を終えて吉倉に戻って来る艦を撮影しています。この人数からすると、たまたま公園にいた人だけでなく、入港シーンの撮影を目的に多くの人が集まっていることは間違いなさそうです。

この人だかりは、乗艦券の倍率が跳ね上がり、艦に乗りたくても乗ることができない人が大勢いることの顕れと言うこともできます。艦に乗れないならせめて出入港を撮影したいという切なる想いに駆られて公園に来たのでしょう。その気持ち、痛いほど分かります…。3年後はブームが収まり、乗艦券の倍率も下がって欲しいものです。

吉倉桟橋で「あたご」を降り、横須賀地方総監部正門の手前に立つ観艦式歓迎門まで戻ってきました。約11時間前に開門待ちをした場所ですが、この場所で開門を待ったことが随分前の出来事のように思えます。それだけ、きょうの観艦式本番日も様々な事があった充実した1日だったということなのでしょう。オカマのおっさんもいたし…

約1週間に渡るFleetWeekと私の観艦式遠征はこれで終わります。かつてない海自人気の中で行われた2015年観艦式は、人気による様々な弊害や問題点を突きつけられた観艦式となりました。参加艦艇の雄姿に心を躍らせ、撮影も存分に楽しめたのですが、その満足感も突きつけられた問題点で霞み、沈鬱な気分のまま遠征を終えようとしています。ブームに踊る人の中からいかにして真の海自ファンを育てるのか。新たな課題に向き合う時が来たようです。

日米同盟の深化が具現化された今観艦式、単なる式典ではなく平和と安定を保つ抑止力たることを理解せよ!