別府港 「さざなみ」「いなづま」来航&公開

3月17・18日に地元・別府港にDD「さざなみ」と「いなづま」が来航し、一般公開も行われました。
縮小傾向にあるここ数年の艦艇公開の流れに抗うような充実した広報の様子をお伝えします。


特徴的な形状をした山(高崎山)と穏やかな海…当HPの愛読者様ならすぐにお分かりでしょう。別府港です。
春めいてきたもののまだ風が冷たい3月17日午前7時、私はこのあと午前8時過ぎに入港予定の護衛艦を撮影すべく、ひとり別府港第3埠頭にいます。空は雲ひとつない快晴、絶好の撮影日和になりそうです♪

埠頭では船体の損傷を防止する防舷材の設置作業が行われています。艦艇の入港・接岸に欠かせない防舷材ですが、地方港に備え付けの物はなく、この防舷材は業者がわざわざ呉基地から運んできたものです。もちろん、運搬と設置には費用がかかります。
また、地方港には曳船YTがいるわけではないので、曳船作業も民間業者に発注しなければなりません。このように、地方港に艦艇が寄港するにはかなりの額の費用がかかるのです。

午前7時35分、業者さんが防舷材の設置作業を行っている目の前をフェリーが通り過ぎて行きます。燃えさかる太陽を船体にデザインしたこの特徴的なフェリーは、別府港と大阪南港を結ぶ「フェリーさんふらわぁ」です。別府・大阪を午後7時頃に出港し、約12時間をかけて目的地に到着します。夜に乗船して、寝ている間に早朝の大阪に着くのでとても便利で、私も仕事や私用で年に数回利用します。

特徴的な船体デザインであるが故に、多くの大分県民にとってフェリーと言えばこの「さんふらわぁ」を真っ先に思い浮かべます
朝に別府に入港する艦艇は、この「さんふらわぁ」入港の邪魔にならないように、沖合で一旦待機して「さんふらわぁ」を先行させます。そして、「さんふらわぁ」の接岸が完了したら海自艦が入港してきます。さあ、間もなく2018年最初の撮影が始まります。合戦準備!

午前8時入港予定でしたが、埠頭の防舷材の設置作業が予定より遅れたためか、午前8時半を過ぎた頃にようやく艦が姿を現しました。入港してきたのは艦番号「113」、DD「さざなみ」です。民間の曳船2隻も「さざなみ」に寄り添うように航行しています。先頭の曳船「速吸(はやすい)」は、艦艇が別府に寄港する際には必ずと言っていいほど姿を見せるお馴染みの曳船です。ちなみに「速吸」とは、豊予海峡の別名でもある「速吸の瀬戸」のことです。

「さざなみ」は5隻が建造された「なみ」型DDの4番艦で、2005年に就役しました。他の姉妹がすべて東日本(大湊2隻・横須賀2隻)に配備されているため、「なみ」姉妹のうち西日本に配備されているのはこの「さざなみ」のみという、「レア艦」ともいえる存在となっています。私とは去年1月に横須賀で会って以来の再会です。

「さざなみ」が埠頭に近づいて来ました!レンズの焦点距離的にも艦が最も美しくバランス良く撮れる距離です。
埠頭には私以外にも数人の熱心な艦艇ファンがいて「さざなみ」を撮影していたのですが、ベストアングルとも言えるこの距離になると皆が力の限りシャッターを押し続け、埠頭はシャッター音が機関銃の銃声音さながらに響き渡っていました。

新型DD「あさひ」の就役により2世代前のDDとなった「なみ」型ですが、そのデザインやバランスがとれた兵装配置は1番艦が就役15年を迎えた今でもいささかの古さも感じさせません。むしろ「あさひ」や「あきづき」型がかなりクセの強い艦容であるが故に、「なみ」型の精悍な艦容は再評価されている感があります。私も「なみ」型は最も好きなDDで、特に呉所属艦である「さざなみ」は特別です。

「さざなみ」は埠頭の接岸位置で両舷停止し、曳船が船体を埠頭へと押し込みます。前甲板では舫作業を担当する砲雷科員が埠頭に向かって舫を引き込むためのロープを投げています。私は艦が接岸する直前の活気に満ちた舫作業の雰囲気が大好きです。特に甲板上での乗組員同士の掛け声や、舫を押し引きするタイミングを知らせる笛の音を聞くとテンションが爆上がりします♪

埠頭では迷彩服や作業服を纏った大分地本の隊員・事務官が懸命に舫を引き寄せ、「さざなみ」の入港を支援します。もう何年も前になりますが、埠頭で少人数の地本隊員が懸命に舫を引く姿に同情したのか、民間人のオジさんが舫を引っ張り始めたことがありました。当然、艦の乗組員と地本隊員両方に叱られましたが、いくら大変そうだからといって民間人が舫に触れるのは厳禁です。

「さざなみ」の艦橋露天部には、ひと際目立つ黄色い双眼鏡ストラップを首から下げた幹部が立っています。黄色いストラップは将官の証ですが、「さざなみ」に乗っている将官といえば…そう、第4護衛隊群司令・福田海将補です。そして、その横にいる緑色のストラップを下げている幹部は4護群の幕僚たちです。群司令と幕僚たちは、通常は4護群の実質的な旗艦であるDDH「かが」に乗っていますが、現在「かが」は個艦で修理明けの練度回復訓練に出ているため、群司令部は「さざなみ」に座乗しています。

群司令の福田将補とは去年12月の阪神基地隊年末行事以来の再会となります。一昨年、大湊フェスタの会場で姿を拝見して以来、防衛省、阪神基地隊、そして別府と立て続けにお会いする縁に恵まれています。私にとっては最もご縁のある海自将官と言えます。

今回、別府に寄港するのは「さざなみ」一隻ではありません!
4護隊の仲間であるDD「いなづま」も入港してきました。5~6年前までなら珍しくありませんでしたが、任務の多様化によって艦艇不足が深刻な現在の海自において、主力艦が2隻も地方港に寄港するなんて大変な事です!久しぶりに私の心が“阿波踊”り状態に…。

「いなづま」のマストには司令旗が翻っています。第4護衛隊司令・黒田1佐が座乗しているようです。寄港する2隻の艦それぞれに指揮官が座乗しているなんて、なかなかに豪華ではありませんか!
今回、両艦の別府寄港を企画した大分地本の募集課長は群司令・隊司令と防大の同期とのこと。案外、「別府で同期会をしよう!」なんて感じで意気投合したのかも知れません
(笑) 年月を経て役職や階級に違いが出ても、同期が集うのは楽しいのでしょうね。

いなづま」は「さざなみ」に目刺しで接舷します。ドンピシャのタイミングで両舷停止したあと、曳船が慎重に「いなづま」を「さざなみ」に近づけます。艦はブレーキですぐに止まる自動車とは異なり、スクリューを止めても船体はすぐには止まりません。なので、「いなづま」が寸分の狂いもなく「さざなみ」の真横に停止した際には、心の中で「お見事!」と称賛の声を挙げずにはいられませんでした。艦長の操艦の腕前たるやお見事です。

この頃になると私のような艦船ファン以外にも、埠頭のすぐ近くに位置する国道を通行中に艦の入港に気付いた市民らが集まり、埠頭は大賑わいとなりました。まさに「インスタ映え」(私はこの言葉が大嫌い)する護衛艦の入港シーンとあって、ほとんどの人がスマホを片手に「さざなみ」と「いなづま」を撮影していました。

接岸終了後、午前10時から入港歓迎式典が開催されました。
埠頭には群司令・護隊司令・両艦艦長のほか乗組員の代表が整列します。整列した乗組員らに対して、別府市議会の代表が歓迎の言葉を述べます。艦艇が入港するとかなりの高頻度で式典に出席する別府市長ですが、きょうは欠席のようです。

福田将補の後ろにいる一佐の幹部が護隊司令・黒田1佐です。国際政治を研究している大学教授のような知的な雰囲気をお持ちですが、それもそのはず、去年4月までの約3年間、韓国で防衛駐在官を務めていました。制服の左胸には防衛記念章に混じって韓国大統領府から授与された勲章の略綬が輝いています。私がそれに言及すると、「この勲章、あの朴槿恵(前大統領)から貰ったんだよ…」とユーモアたっぷりに説明してくれました。


乗組員を代表して福田将補が挨拶。「温泉で訓練の疲れを癒すとともに、海上自衛隊を知ってもらうために様々な趣向を凝らして皆様を楽しませたいと思っています」。歓迎式典で指揮官がこのような言葉を述べるのは初めてです。これは明日の一般公開が期待できそう♪ちなみに福田将補、埠頭で私の姿を見つけ「わざわざ別府まで遠征してきたのか…」と思ったそうです。地元なんですけど(笑)

福田将補は去年12月の阪神基地隊フェスタで披露した「しまかぜ」艦長(当時)との絶妙な掛け合い漫談Youtubeにアップされて大反響を呼んだことから、すっかり「面白い群司令」のイメージができあがっていますが、実は俊英揃いの防大34期生の一選抜(首席)であり、留学した米海軍大学も首席で卒業した超エリートなのです。優秀な頭脳とユーモアを持ち合わせる福田将補は、私にとって男としての目標でもあります。1歳しか違いませんが…。

翌日18日に一般公開が実施されました。午前9時の公開開始前から列ができるほどの人気ぶりで、混雑を前に艦橋を撮影しようと急いだのですが、「さざなみ」の艦橋に辿り着いた時には時既に遅く、ご覧のような混雑ぶりでした(涙) 私が着いた時には、何と艦長の小林二佐が艦長席の横に立ち、見学者に「座って記念撮影しませんか!」と呼びかけておられました。私も声を掛けられたのですが、艦長の目の前では畏れ多くて席に座れませんでした…。

艦橋の混雑は流入する人の多さに加え、見学を終えて下の階へ降りるのを待つ人たちが艦橋内に溢れているのも要因です。あの狭くて急なラッタルに、女性や子供は恐怖を感じるようです。逆に私のような艦に乗り慣れた者は、油断して滑り落ちたり頭をぶつけたりすることが多々あります。ラッタルの昇降時は十分ご注意を!

一瞬、人並みが途絶えたタイミングで撮影を試みたものの、無人状態のカットは不可能でした…。これだけの人の多さです、諦めるしかありません。艦長席には制帽を被った小さな男の子が座って大喜びしています。いつしか案内役が艦長から航海長に代わっていますが、長身でカッコいい航海長が男の子を艦長席に座らせ、自分の制帽を被せてあげる様子はとても微笑ましい光景でした。

この男の子はお母さんに引率されて「さざなみ」を訪れたのですが、ではお母さんはどのような動機で息子を「さざなみ」に連れてきたのでしょうか?息子を将来海自に入隊させたいから?それとも自分自身が艦に興味があったから?恐らく後者の方だと思われますが、男の子が今日の経験をこの先ずっと覚えていて、将来の進路選択の際に海自を志望して欲しいと切に思います。

艦橋の窓から外を見ると、隣に係留されている「いなづま」の前甲板に人だかりができています。主砲の操法展示を行っているようです。「いなづま」は艦内を公開していない代わりに、甲板上で様々な展示や体験会が実施されているようです。「さざなみ」を撮影し終えたら「いなづま」へ急がねばなりませんぞ…。

外見上はそっくりな「さざなみ」(なみ型)と「いなづま」(あめ型)ですが、大きな違いはこの主砲です。「いなづま」が76ミリ単装速射砲を装備しているのに対して、「さざなみ」には127ミリ単装速射砲が備えられています。76ミリ単装速射砲はオート・メラーラ社製の世界的ベストセラーで、海自でも「ゆき」型や「きり」型、訓練支援艦など多くの艦で採用されています。この砲は砲身・砲塔ともに超俊敏に旋回するのですが、そのスピードに皆さん驚いているようでした。


しばらく待ってみても艦橋の人波は途切れそうにないので、艦橋を降りることにしました。階を一段降りた時に驚きの場所が公開されているのに気付きました。なんと、艦長室が公開されているではありませんか!司令が乗艦していない艦で空室の司令室(艦長室とほぼ同じ構造)が公開される例はありますが、艦長室が公開されているのは初めての経験です。

去年の1月に「たかなみ」艦長(当時)を表敬訪問した際に同艦の艦長室に案内されましたが、同型艦でも「たかなみ」と「さざなみ」の艦長室は随分印象が異なります。「さざなみ」の艦長室は壁面に木目が施されているためシックな雰囲気が漂っています。このように同じ設計の同型艦でも、装飾等の基本設計以外の部分は艤装員長(=初代艦長)の好み・趣向で仕立てることができるのです。

さらなる驚きが私を襲います。士官室も公開されているのです。
艦が地方に寄港した際には地元有力者の訪問があったり、乗組員への面会等があるので士官室が応接室の役割を担うのですが、にも関わらず、士官室を潔く公開してしまうとは、群の広報に対する並々ならぬ熱意が伝わってくるようです。艦長室・士官室を明け渡したとすると、艦長や艦の幹部は何処へ行ってしまったのでしょう?


士官室は「たかなみ」とほぼ同じ、強いて違いを言えばイスの色が異なるのと、艦の模型が飾られていない点ぐらいでしょうか…。士官室は艦長をはじめとする幹部の事務室会議室休憩室食堂なのですが、来客時には応接室の役割も果たし、訓練時や実戦時には戦時治療室にもなります。幹部の居室なので「幹部室」でよさそうですが、帝国海軍時代と同じ「士官室」の名称を使っています。

士官室の一角にソファーを備えたスペースがあります。来客時の応接、または幹部の休憩用スペースとして使われますが、司令部用施設のない「さざなみ」に今回のように群司令部が乗り込んできた場合は、幕僚の事務用スペースとして使われることがあります。ライトグリーンのソファーがなかなかいい雰囲気を醸し出しています。

護衛艦は軍艦=戦う船ですから艦内は機能本位で殺風景なのですが、この士官室だけは多少の贅を尽くした造りとなっています。
とはいえ、米海軍艦艇の士官室に比べれば海自艦の士官室は質素なもので、かつて取材で乗艦した「スプルーアンス」級駆逐艦第7艦隊旗艦「ブルーリッジ」の士官室は、これが軍艦の中かと思うほど豪華な部屋で、まるで銀座の高級クラブにいるような錯覚すら覚えました。
銀座の高級クラブに行ったことはありませんが…。

士官室を出て艦尾方向に向かって通路を歩いていると、途中に赤い夜間照明=赤色灯に切り替えられている区画がありました。
海自艦では日没後に艦内通路が蛍光灯から赤色灯に切り替えられますが、これは夜間の緊急事態に備えて目を暗闇に慣れさせておくためです。蛍光灯のままだと、いきなり暗闇に出た際にしばらくの間は何も見えず事態に対処できないのです。

赤色灯には乗組員に夜間であることを知らせる役目もあります。基本的に艦内には窓がなく時間の経過が実感しづらいので、赤色灯によって日が落ちて夜になったことを視覚的に示すのです。
想像以上に暗い…。画像はカメラが頑張って明るく写していますが、実際は赤色灯の周囲だけが赤く照らされているだけであとは真っ暗。確かに目が闇に慣れるし、夜間であることも実感できます。

艦のオアシス・科員食堂です。赤色灯の通路に目が慣れていただけに蛍光灯が灯された食堂が異常に眩しく感じます(苦笑)
かつての一般公開では、見学者の休憩所も兼ねて科員食堂がごく普通に公開されていたのですが、今ではそれすら珍しくなりました。科員食堂でキンキンに冷えた麦茶をいただきながら休憩するのが、夏の艦艇公開の楽しみのひとつだったのですが…。

「さざなみ」の科員食堂は時期が時期だけに麦茶は用意されていませんが、子供たちがモールス信号を体験したり、艦のパンフレットに記念スタンプを押したりと大賑わいです。「たかなみ」の食堂とは椅子の色が異なります。呉(広島県)を母港にする艦らしく、椅子の色は
広島カープのチームカラー・赤。艤装員長(=初代艦長)はカープファンだったに違いありません。ちなみに私もカープファン♪

科員食堂からさらに艦尾方向に進んだ場所に先任海曹室があります。各科の先任海曹(CPO)たちの執務室兼食堂兼居住区です。
この部屋の主は先任伍長ですが、先任伍長はこの部屋とは別に個室も持っています。どの艦も先任海曹室の入り口には士官室よりも立派な看板が掛けられています。若い海士にとっては士官室よりも入室が緊張する部屋ですが、私もこの部屋の前を通る時には何故か緊張します。立派な看板のせいでしょうか…?

以前、「たかなみ」の先任海曹室を紹介した際に、「なぜ先任海曹室は科員食堂の近くにあるのか?」と疑問を述べたのですが、のちの取材でその理由が判明しました。艦で不慮の事態が発生した際に、士官(幹部)と先任海曹の両方に人的被害が出ないよう士官室と先任海曹室は位置を離して配置しているのだそうです。

艦内の見学・撮影を終え上甲板へ。ラッタルを昇って出た場所が後部のヘリ甲板だったのですが、そこには大勢の人が…。とりわけ子供とその親御さんの姿が目立ちます。一般公開時のヘリ甲板といえば哨戒ヘリが展示公開されているのが常ですが、「さざなみ」はヘリを格納庫にしまい込み、甲板上はイベント広場になっています。

海自イベントではお馴染みの結索教室消防用耐火服の試着心臓マッサージ指導医療用備品の展示など多種多彩なプログラムが用意されていて、子供と一緒に親御さんも楽しんでいるのが印象的でした。私が海自ファンなのは元海軍軍人だった祖父とその息子である父から様々な面で海軍式教育を受けたためで、ここにいる子供たちも年少時に海軍文化に触れることで、海自や海上防衛に興味を持つ大人になってくれるのではないでしょうか。

こちらは艦内で火災が発生した際に勇猛果敢に消火にあたるOBA班が着用する防火服の試着体験コーナーです。ただでさえ着用が難しい防火服に加え、ヘルメットと酸素ボンベまで装着するとなると一般人が単独で着用するのは至難の業、若い幹部と2人の海曹が親切かつ丁寧に着用を支援していました。

防火服は乗組員でも慣れていないとまともに着用できないのですが、緊急を要する火災発生時に着用に時間を費やすことは許されません。なのでOBA班に所属する乗組員(主に機関科員)は日ごろから素早く着用する訓練を重ねており、概ね1分30秒程度で着用を完了させることができるようになっています。フル装備の防火服で消火作業にあたるのは体力的な負担が大きいため、ほとんどの艦でOBA班に所属するのは3曹と海士という若い乗組員です。

私の心に突き刺さったのが医療用備品の展示コーナー。数え切れないくらいの艦艇公開に参加してきましたが、この種の展示を見るのは初めてです。画像に写っているのはガーゼと包帯なのですが、袋と箱ひとつひとつに桜錨マークが入っているのに感動しました。

これらの備品、なかなかの優れモノです。私は最初、「こんな小さな箱や袋に包帯とかガーゼが入っているの?」と思ったのですが、狭い艦内で保管スペースを節約するために圧縮して固形状になっているのです。封を開けて固形状の包帯・ガーゼを取り出し、それを折り曲げて揉みほぐすとあら不思議、救急箱の中でよく見る包帯とガーゼになったではありませんか。魔法を見ているようです。
実は私、約1年前に艦内で額を壁にぶつけて出血したのですが、その時治療に使われたガーゼは、実はこれだったのでしょうね…。

「いなづま」甲板上で防火服を着用した乗組員がいるので近づいてみると、消防用ホースを使った放水体験を行っていました。ホースから水を放つだけと侮るなかれ、ホースからは猛烈な水圧で水が放たれるために一般人が一人で姿勢を保持するのはまず不可能。乗組員が体験者の身体を懸命に支えています。ホースを支えている海士くんの笑顔が素敵なこと!この海士くんだけでなく、案内役の乗組員全員がこの一般公開を楽しんでいるように見えます。

「いなづま」ではこの放水体験以外にも、制服ファッションショーをはじめラッパ吹奏栄誉礼手旗信号CIWS操法展示など、一日を通して展示や体験教室が目白押し。中には艦橋窓拭き作業展示というユニークなものまであるではありませんか!あの手この手で見学者を楽しませようとするサービス精神に脱帽です

「いなづま」の甲板上に艦長の増田2佐のお姿が…。艦長自ら案内役を務めるとともに、積極的に見学者に話しかけておられました。実は案内役を務めているのは艦長だけではありません。福田将補や黒田一佐も甲板上にいるほか、船務長・砲雷長・飛行長といった各科の科長、士(サムライ)配置の若手幹部まで、両艦の幹部の大半が甲板上または艦内で案内役を務めているのです。

これまで数え切れないほどの艦艇公開を見てきましたが、これほど多くの幹部が案内役を務めているのを初めて見ました。4群の広報に対する並々ならぬ熱意が伝わってきます。先ほど「さざなみ」の艦長室や士官室が公開されているのに際し、「艦長や幹部は何処に行ったのか?」との疑問を述べましたが、実は群司令・艦長・幹部は皆、案内役として甲板上や艦内に散開していたのです。

「いなづま」の後部甲板には哨戒ヘリ・SH‐60Kが展示されています。これには子供たちも大喜び♪ ヘリや飛行機はあからさまなカッコ良さがありますからね…。ちなみに大村基地に所在する第22航空群に所属する機体です。実は「さざなみ」「いなづま」は訓練を終えて呉に帰投する途中に寄港しているので、本来ならヘリを大村に帰しているはずですが、今回の公開用に艦にとどまってもらっていると思われます。搭乗員の皆様、ありがとうございます。

今回の一般公開は「さざなみ」「いなづま」両艦で趣向を凝らした広報が展開されていますが、群司令によると、艦内を公開してる「さざなみ」を見学ゾーン甲板上で多彩な展示・体験会を行っている「いなづま」を体験ゾーンとし、2隻で「艦艇のテーマパーク」になるように計画したとのこと。もはや4群は「広報の4群」です!

見学と撮影を終えて艦を降りると、埠頭では1日司令1日艦長の委嘱式が行われていました。委嘱されるのはミス別府のお嬢さん3。上下真っ白の幹部常装第1種夏服に身を包んだミス別府のお嬢さんたちは、福田将補から委嘱状を手渡され、やや緊張した表情。おゃ、お嬢さんたちの敬礼は脇が開いていて完全に陸軍式ですねぇ…。式典前に海軍式の敬礼を教えてあげればいいのに…。それに対して福田将補の敬礼のなんと美しいことでしょう!

1日司令の制服には1佐の階級章、1日艦長には2佐の階級章を装着させる念の入れようですが、靴の色が黒なのが残念…。夏服の幹部が履く靴の色は白なのです。海自に入隊し損ねて司令にも艦長にもなれない私ですが、せめてイベント時の1日艦長になってみたいのですが…。50歳目前のオジさんではそれも無理か(涙)

福田将補に「この趣向に富んだ一般公開は群司令のアイデアですか?」とお尋ねしたところ、「各艦の乗組員から色んなアイデアが出てきたので、私はそれを許可しただけです」との回答が。加えてこうも話されました。「実は『しまかぜ』が実施する広報がとても評判が良く、群の他艦でも『しまかぜ』の広報手法を取り入れました」。
今回の充実した一般公開は、群司令の広報に対する積極的な姿勢と各艦の創意工夫・熱意によって実現したものだったのです。

安全保障環境の変化で艦艇が不足し、加えて乗組員の休養日確保も相まって艦艇公開は規模縮小の傾向にあります。しかし、今回の4群の広報を見て、指揮官と乗組員の姿勢次第で充実した広報ができることを実感しました。任務と休養が最優先ではありますが、ファンとしては今回のような艦艇公開が増えることを期待します。


指揮官・乗組員の熱意が溢れる一般公開、「広報の護衛隊群」の称号は今や1群から4群へと変わりました。