別府港「ありあけ」「きりさめ」来航

7月23~25日の間、別府に護衛艦「ありあけ」と「きりさめ」が入港。一般公開と体験航海が行われ大盛況でした。

大分地方協力本部が主催する夏の艦艇イベントは、毎年大物の艦艇が来航するため九州一円からマニアが集結する名物イベントとなっていますが、今年は「ありあけ」「きりさめ」がやって来ました。去年、おととしと2年連続でイージス艦(こんごう)が来ていたので、今年もイージス艦を期待していた人が多かったようですが、「ありあけ」「きりさめ」という顔ぶれも非常に豪華ではありませんか♪

23日の0740ごろ「ありあけ」が入港して来ました。実はこの「ありあけ」、これまで撮影機会に恵まれなかった艦なので、今回の別府入港は絶好の撮影チャンスです。その意味でも「ありあけ」「きりさめ」という2隻は私にとっては好都合なのです。

0750、「ありあけ」が岸壁に接岸してきました。岸壁で大分地本の隊員が艦から投げられた舫を受け取ります。
その大半が陸自の隊員で、歴戦の普通科(歩兵)レンジャーや戦車乗り、通信員など演習場の原野を駆け回るのが本職の方々が海自に引けを取らない見事な舫作業を行います

私が小学生の頃に一番最初に製作した艦船模型は、「ありあけ」の先代にあたる帝国海軍の駆逐艦「有明」でした。
こういった事もあって「ありあけ」にはぜひ乗艦してみたいと思っていたのですが、そんな「ありあけ」が今回の別府寄港で私に大きなプレゼントをくれるとは、この時は思ってもみませんでした。

「ありあけ」の艦橋露天部には第7護衛隊司令の伊藤一佐が立ち、作業を見守っています。(赤い双眼鏡ストラップを下げている方です)
伊藤一佐は45歳、何と!私と3歳しか違いません。もちろん現在在職している中では最年少の護衛隊司令です。年齢もさることながら、すごいのがその経歴。2年間の米国留学米中央軍連絡官勤務を経験した国際派で、さらには海幕防衛課補任課といった海自の中枢部署での勤務経験も豊富です。

3週間あまり前の7月1日付で、統幕防衛課防衛交流班長から異動してきたばかりです。実は私、12~13年後の海上幕僚長はこの伊藤一佐だと考えています。

「ありあけ」の接岸がほぼ終わった頃、「きりさめ」が入港して「ありあけ」への横付けを開始しました。
伊藤司令は艦橋露天部の左舷側に移動し、「きりさめ」の横付けを見守って(監視して)います。横付けは一歩間違うと大切な艦を損傷させかねない作業なので、司令が見ているなかで操艦を行う艦長は物凄いプレッシャーを感じているのではないでしょうか。

私はかつて取材で乗艦した掃海艇が、掃海隊群司令が見守るなか、掃海母艦への横付けに失敗して船体をぶつけてしまった事があります。大事には至らなかったのですが、艦橋では艇長が隊司令から大目玉を喰らっていました(苦笑)

「きりさめ」は船体をぶつけるなどという事はなく、迅速かつスムーズに「ありあけ」に横付けしました。つくづく護衛艦艦長の操艦技術の高さに脱帽させられました。

入港作業終了後、別府市長やミス別府、観光・自衛隊関係者らが参加しての歓迎式典が行われました。
さらに式典終了後には特別公開が行われました。特別公開とは艦にとってのVIPである防衛協会役員艦長自ら艦を案内し、士官室でカレーをご馳走する文字通り特別な公開です。しかしながら、この方々は大抵は防衛に関してはずぶの素人(本人たちは専門家と思っているから余計にたちが悪い)で、司令や艦長に摩訶不思議な質問や要求を突きつけるのが常です。

一般への艦艇公開は翌24日から2日間実施されました。公開は0900からですが、私はいつものように0800前には岸壁に到着し自衛艦旗掲揚を撮影です。

私は自衛艦旗掲揚の際に吹奏されるラッパ譜「君が代」を聞くと、体中から力が漲るとともにとても幸せな気分になります。
祖父から受け継ぐ私の中の海軍DNAが疼く瞬間です。なので、テンションを上げたい時は、自宅のパソコンでYouTubeに投稿されている自衛艦旗掲揚の動画を見ています。掲揚時に当直士官が発する号令、「吹けぇ!」「揚げっ!」「かかれぇ!」にも痺れます。

この日は朝から抜けるような美しい夏空が広がる絶好の艦艇イベント日和です。―青い空と蒼い海に映える美しい護衛艦―私が最も夏を感じる一瞬です。海自艦艇が民間の港に入港してイベントを行うと、妙な団体がシュプレヒコールをかます関西や中部地方とは異なり、我が地元では艦艇公開に老若男女を問わず数多くの見学者が訪れます。

前日に地元民放局が『海自護衛艦が別府入港』とニュースで報じて一般公開を告知した事もあってか、朝から本当に多くの人が見学に来ていました。大分地方協力本部は地元民放局と良好な関係を築いているようですね。これも地方協力本部の大切な任務です。

「ありあけ」の艦内を見学。まずは艦橋です。基本的には「むらさめ」型の他の艦と同じ構造で、同じ装備があるのですが、最終艦(9番艦)ということで、「むらさめ」や「はるさめ」など初期の艦と比べて「新車の空気」が残っている感じがします(笑)

細かな部品をよく見ると、初期艦と同じ物でも最新のバージョンになっていたりして、このような細かな進化が「新車の空気」を感じさせる要因かもしれません。同型艦でも建造された造船所が異なると微妙に装備品が異なります。因みに「ありあけ」は三菱重工長崎造船所の生まれです。

こちらは艦橋左舷側にある司令席。第7護衛隊司令の伊藤一佐の席です。第7護衛隊は建制上は舞鶴の部隊で、司令と隊付以下数人のスタッフは舞鶴に住み、隊の事務所も舞鶴にあります。

しかしながら4隻の所属艦のうち舞鶴の艦は「みょうこう」のみで、「ありあけ」「きりさめ」「ゆうだち」は佐世保の艦です。司令は「みょうこう」ばかりに乗っている訳にはいきませんので、舞鶴と佐世保の間を行ったり来たりすることを余儀なくされているとのことです。おととし春の護衛艦隊の大改編で最も負担がのしかかているのは護衛隊司令なのかもしれません。

艦橋構造物内にある艦長室です。ドアに「艦長室」と記された立派な表札がありますが、一緒に別府に入港している「きりさめ」には表札はありません。この辺の違いは、艤装時の艤装員長(=初代艦長)の趣味やセンスに負うところが大きいようです。

この艦長室ですが、ドアを開けて中に入ると向かって左側に艦長の執務机、右側に応接セットがあります。執務机の奥には艦長の居住スペースがありベッドや専用の浴室があります。
艦長室は雑誌等で『艦内唯一の個室』と表現されることがありますが、艦長室の反対舷側にはもうひとつの個室である司令室があります。司令室は艦長室と全く同じ構造で、艦に司令が座乗している際に使用されます。

「ありあけ」は昨年度の護衛艦隊年度優秀艦です。艦内の通路にあるプレート用掲示板に「平成21年度優秀艦」のプレートが燦然と輝いておりました(拍手!)。年度優秀艦とは、一年間に教育訓練をはじめ業務・船体整備・乗員の服務等の分野で最も優秀な成績を収めた艦です。護衛艦隊司令官から表彰を受け、艦長には記念メダルが贈られます。

年度優秀艦は艦や乗組員にとっては大変な名誉で、艦によっては就役中一度も選ばれなかったり、隊員も在職中に一度も経験しないということも。「ありあけ」は平成16年度にも年度優秀艦に選ばれています。就役7年間で2度の年度優秀艦、非常に優秀な艦です。

乗組員、さらにはマニアにとっても憩いの場である科員食堂。この日は朝から猛烈に暑かったので、多くの見学者が科員食堂で休憩していました。体験航海ではせっかく艦が航海しているのにずっと科員食堂で座っている人がいますよね…(苦笑)私もここでしばしの間休憩したのですが、いただいた麦茶がよく冷えていてとても美味しかったです♪

ここでは「ありあけ」グッズの販売が行われていましたが、シンボルマーク入りの部隊帽が飛ぶように売れていました。「ありあけ」の艦名は、「日が昇る直前の明け方」を意味する有明から命名されたのですが、艦のシンボルマークは有明海に生息するムツゴロウをあしらったものとなっています。

食堂の一角に各級指揮官の指導方針が掲示されています。
この指導方針は各指揮官の個性がよく顕れているので、私は艦に乗ったり部隊を訪問した際には必ず見るようにしています。高田艦長の指導方針は「誠実」、伊藤司令は「伝統の継承」「変化への挑戦」です。確かにお人柄と個性が滲んでいます。

少し不思議系なのが3護群の佐伯群司令の「守破離」さすが東大卒、これまで見たことがない画期的な指導方針です。
「守破離」とは世阿弥の名言に由来する言葉で、:規則命令に忠実に従い、:経験を重ねて実態に応じた対応をとり、:制度と実態の乖離を知ったうえで新たな道を切り拓くことのようです。う~ん、深いっ!!

科員食堂に高田艦長が降りて来て、見学者の方々と談笑していました。どうやらお知り合いの方々が見学に訪れていたようです。
高田艦長は「誠実」という指導方針のもと、「ありあけ」を年度優秀艦に選ばれるほどの精強な艦に鍛え上げた名艦長です。さらに高田艦長は、「ありあけ」建造時に艤装員の一員として「ありあけ」の艤装に尽力したまさに「ありあけ」の申し子ミスター「ありあけ」と言うべき幹部でもあります。

艦長としての指導力の高さと豊富な艤装員経験が評価され、このあと高田艦長は最新鋭DD「あきづき」の艤装員長に任じられました。艤装員長そして初代艦長として「あきづき」をどのような艦に仕上げてくれるのか、大いに期待したいと思います。

艦後部のヘリ甲板では対潜ヘリ・SH60Kが展示されています。「ありあけ」「きりさめ」ともに、作戦行動や訓練のたびごとに長崎県大村市に所在する第22航空群所属のヘリコプターが搭載され、艦の指揮下に入ります。
ヘリと搭乗員は航空群の所属ですが、飛行長とヘリ整備員は艦固有の乗組員で、飛行科(第5分隊)を構成しています。

護衛艦にはあまり興味がなさそうな子供たちもヘリコプターには大喜びで、嬉々としてお父さんやお母さんに記念写真を撮って貰っていました。これをきっかけに海自ヘリパイロットを志してくれるといいのですが…。

「ありあけ」の一般公開と並行して「きりさめ」による体験航海も実施されました。大分地本の夏の艦艇イベントは、2隻の護衛艦による並走&追い抜きが目玉でしたが、今年は予算の削減により体験航海を行うのは1隻のみ。当然ですが、並走も追い抜きもない単なる別府湾クルーズとなってしまいました。

体験航海が1隻のみとなったため乗艦券の競争率も激化。大分地本も「きりさめ」に通常より2~3割増しの人を乗せる事で対応しましたが、それでも乗艦券が手に入らない人が続出しました。よっぽど券が欲しかったのか、私のもとに会ったこともない閲覧者から乗艦券の入手を依頼されるメールまで届きました(苦笑)民主党政権、許さん!!

イベント2日目の25日に体験航海に乗艦することができました。↑の画像は出港前の「きりさめ」の艦橋。出港約1時間前の様子ですが、既に航海長以下航海科の乗組員が配置に就いています。右舷側にある艦長席には水谷艦長もいます。

私は出港前の艦橋の慌しく張り詰めた雰囲気が大好きで、体験航海の際には出港の1時間以上前から艦橋にいて雰囲気を楽しんでいます。出港時刻が近づくにつれ「出港15分前!」「航海当番配置に就け!」「艦内警戒閉鎖!」「機関・人員異常なし!」などなど、様々な号令や報告が飛び交うのには痺れます。ここでも私の中の海軍DNAが疼いてしまうのです(笑)

0930、「きりさめ」が出港します。水谷艦長の「出港用意!」の号令のもと、航海科の海士くんが出港ラッパを吹奏します

この時艦橋内は見学者ですし詰めの状態、大勢の見学者の視線を浴びるとあって海士くんはとても緊張していました。そんな中でも、力強くかつ軽快なテンポの見事な出港ラッパを奏でたのですが、あまりの音の大きさに泣き出す赤ちゃんが続出。艦橋内は海士くんへの拍手と爆笑と赤ちゃんの鳴き声に包まれました(笑) とても微笑ましい体験航海のひとコマですね♪

水谷艦長は、出港後しばらくの間は艦橋中央部にあるジャイロコンパスの前に立って自ら操艦していました。艦の出入港は艦を傷付ける恐れがある危険な時間帯なので、このように艦の責任者である艦長が自ら操艦を行います

この出入港時の艦長操艦も帝国海軍時代からの伝統です。私が尊敬する井上成美中将は大佐時代に戦艦「比叡」の艦長(当時は練習艦)を務めましたが、海軍省勤務が長かったにも関わらず卓越した操艦技術で、どんな港にでも巨大な「比叡」をスムーズに出入港させたという逸話があります。
しばらくして水谷艦長は、「航海長操艦!赤黒なし!!」との号令を発し、航海長と操艦を交代しました。

艦が沖合いに出たところで、私も艦橋を出て艦内を回ってみました。ところが、艦橋と同様、どこに行っても人・人・人。艦の至る場所が乗艦者で溢れかえっています。何じゃ、こりゃ。

体験航海を実施する艦が1隻のみになったということで、大分地本は「きりさめ」にありったけの人を乗せたようです。このクラスの艦だと大体200人くらいが標準的な乗艦者数ですが、今回「きりさめ」には少なくとも300人、私の感覚では400人近く乗艦しているように感じました。応募が少なければこんなに乗せることもないのでしょうが、何と言っても我が地元は自衛隊に好意的な住民が多いのです。

「きりさめ」艦上から見た別府湾の風景です。穏やかな海面、美しい山並み、そして麓に広がる別府の市街地。とても美しい風景です。

言うまでもなく、別府は熱海と並ぶ日本最大の温泉地。一方、別府湾は巨大な入り江のような構造で湾内は非常に穏やかです。
こういったことから、別府は帝国海軍時代には艦隊の休養地・保養地として重要な役割を担いました。
現在でも時折、海自艦艇が乗組員の休養のため入港します。ほとんどの場合が沖止めですが、海沿いの国道を車で走っている際にふと湾内を見ると艦艇が停泊していて驚くことがあります。

艦上の至る所に海自とは異なる形の白い制服を着た若者がいました。防大4年生の海上要員です。海自では防大の学生が夏季休暇(=夏休み)に入る前のこの時期に、海上要員の4年生を護衛艦に乗せて実際に航海や訓練を体験させています。

中でも目立っていたのが女子学生の姿。「きりさめ」では乗艦している防大生の3分の1は女子でした(左手前にいるのも女子学生です)。数人の女子学生に「なぜ海自を選んだの?」と聞いてみたのですが、最も多かった答えは「制服がカッコイイ」でした(笑) そのほか「フネが好きだから」「国際貢献をしたい」「やっぱ日本の防衛は海でしょ」といった答えがありました。
未来の海自を担う彼女たちの奮闘を願わずにはいられません。

約1時間30分の別府湾クルーズを終えて「きりさめ」は別府国際観光港に戻ってきました。
「きりさめ」下艦後、思いも寄らぬ出来事が私を待っていました。それは私の30年以上に及ぶマニア人生で最高の体験で、一生忘れることのない素敵な思い出となりました。その出来事について、ここで内容や経緯を詳しく記す訳にはいかないのですが、伊藤司令のお計らいで「ありあけ」で超VIP待遇を受けたとだけ書いておきます。

そこで私は伊藤司令の指揮官として、さらには人間としての素晴らしさに触れ、このような素晴らしい人がいる海自を人生を賭けて応援すると心に誓ったのでした。

我が地元の夏の艦艇イベントは、毎年印象深い思い出が残るのですが、今年はこれ以上ない素晴らしい思い出となりました。
今、あの出来事を振り返ると、長年海自を応援した苦労が報われたと思う一方で、身に余る光栄で今後の運を使い果たしたのではないかと思ってしまいます。

私が初めて作った艦船模型が駆逐艦「有明」で、今回素晴らしい体験の舞台となった艦が護衛艦「ありあけ」。私のマニア人生の大きな節目に「ありあけ(有明)」が関与しているのも不思議な縁と運命を感じます
これは神様が私に「死ぬまで海自を応援せよ」と言っているのかもしれません…(笑) ありがとう!「ありあけ」!!

運命の艦「ありあけ」がもたらした素晴らしい出会いと最高の思い出。別府湾で我が人生の使命を悟りました。