2012年7月 八代・浜田遠征


7月7日に熊本県八代港、翌8日には島根県浜田港へ遠征しました。
八代港の「うみぎり」、浜田港の「すずなみ」…七夕遠征の模様です。

7月に入りましたぁ!!いよいよこれから2か月間、週末には各地で艦艇イベントが開かれます。まさに夏の艦艇シーズンに突入です。私も8月末まで、すべての週末は艦艇を追っかけて各地に遠征する予定です。
夏の遠征第一弾は熊本県八代市です。熊本県内の遠征は5月の水俣に続いて今年2回目。九州新幹線のお陰で大分からの遠征が本当に楽になりました。

水俣同様、八代も当HPの面白キャラM.Hさんの地元です。新八代駅から八代港まではかなり距離があるので移動をどうしようかと悩んでいたら、M.Hさんが車を出してくれることに…(喜)午前9時30分、M.Hさんの車に乗って八代港へ出発です。M.Hさんはアイドル好きなので、車内にはずっとモモクロの曲が流れていました(笑)
午前10時、八代港に到着。今回のターゲットDD「うみぎり」が、既に入港を済ませて岸壁に係留されていました。
この日の一般公開は午後1時から。そこから逆算して入港は午前10時〜11時と予想して、「うみぎり」の入港シーンを撮影するつもりでした。ところが、「うみぎり」は私の予想に反して午前9時には入港してしまっていました。「うみぎり」は呉所属艦の中で「しもきた」と並んで私と相性の悪い艦なのですが、ここでも相性の悪さが見事に発揮されてしまいました…(涙)

「うみぎり」は「きり」型DDの8番艦(最終艦)で、1991年に就役。以来、1護群に所属し横須賀を母港としていましたが、2003年に4護群に編成替えとなり、呉に転籍しています。
午後1時の公開開始まで時間があるので、八代港内のとある場所に向かいました。そこでは船の解体作業が行われていました。ネズミ色の船体、甲板上の砲塔…そう、解体中のこの船は元自衛艦で、何と!おととし退役したDE「ゆうべつ」なのです。
実は今回八代に遠征したのは、M.Hさんから「八代で『ゆうべつ』が解体されている」との情報を得ていたため、最後のお別れをすべく駆け付けたのです。

上部構造物は跡形もなく解体されて往時の姿は見る影もありませんが、特徴的な艦首形状は紛れもなく「ゆうべつ」です。3年前の秋、観艦式前の一般公開で初めて乗艦し、親切な先任伍長さんに艦内を案内してもらった思い出深い艦です。あまりに変わり果てた姿に思わず涙が頬を流れ落ちました…(泣)
さらなる衝撃が私とM.Hさんを襲います。
「ゆうべつ」の変わり果てた姿にショックを受けつつ港内を車で移動していたら、フロントガラス越しにとんでもない物が目に飛び込んできたのです。
「うわぁ!何だコレ!!」。車中は驚きと興奮の坩堝と化しました。その物体は明らかに「ゆうばり」型DEの形をしています。なぜこんな物がこんな所に…。M.Hさんは約1週間前に解体中の「ゆうべつ」の姿を確認するためにこの場所を通っているのですが、その時には何もなかったとのこと。解体中の「ゆうべつ」が亡霊となって私たちの目の前に現れたと本気で思いました。

言うまでもなく、私たちの乗った車は、その「亡霊」の方に吸い寄せられるように近づいていきました。
私たちが亡霊と思ったその物体は「ゆうばり」でした。どうやらここ数日中に八代に到着したようです。
岸壁には作業員がいますが、さらに数人の潜水士が「ゆうばり」の艦底に潜っていて何かの作業をしています。解体に向けた準備作業でしょうか?おそらく「ゆうべつ」の解体作業終了後に、この「ゆうばり」も解体されるものと思われます。

艦番号は消され、装備品は取り外されていますが、現役時代の雰囲気を色濃くとどめています。艦橋前のボフォースは、搭載艦がなくなったためか撤去されずに残されたままです。現役時代そのままの雰囲気の「ゆうばり」を見ていたら、3年前の一般公開を思い出して再び涙が頬をつたいました…(泣)
後方から見た「ゆうばり」です。艦尾の艦名は消されていますが、近くでよく見ると、かすかに「ゆうばり」の文字が確認できました。
私は岸壁に佇みながら、「3年前の艦艇公開であの甲板に立ち、あの扉から艦内に入り、あのラッタルを昇ったんだなぁ」などと、思い出に浸ってしまいました。できることなら、時計の針を3年前に戻したいと切に思いました。

それにしても大湊で退役した「ゆうばり」と「ゆうべつ」が、遥か遠く離れた九州・八代まで回航されていることに驚きました。震災の影響で、東北の業者では解体作業ができないのかもしれません。理由はどうであれ、解体前の最後の姿に会えたことは本当に嬉しいですし、「神様が最後にお別れの場を与えてくれた」とさえ感じました。まさに今生の別れです。さようなら、「ゆうばり」「ゆうべつ」。
淋しい気持ちを抱えたまま、「うみぎり」がいる岸壁に戻りました。
「ゆうばり」「ゆうべつ」の退役・解体は淋しい限りですが、いま私の目の前には現役艦がいるのですから、ここは気持ちを切り替えて撮影開始です。未明から降り続いていた大雨はこの頃にはすっかりあがり、上空には晴れ間も見えています。まさに撮影日和です♪

私が「隠れきり型ファン」であることは何度も当HPで述べていますので、皆さんご存知かと思います。尖った艦首、林立する2本のマスト、全体的に低く抑えられたシルエット…いやぁ〜素敵です♪♪
「きり」型は「あさぎり」「やまぎり」の異例とも言える練習艦からの再種別変更で、全8隻が護衛艦隊に所属しています。配備先は横須賀1隻、呉1隻、佐世保2隻、舞鶴1隻、大湊3隻となっています。
午後1時の公開開始直後に乗艦、今回の公開にも多数の市民らが見学に訪れています。
まずはヘリ甲板へ。対潜ヘリSH‐60Kが搭載されています。この機は小松島基地の所属機です。呉の艦は大村基地に所在する第22航空隊の所属機を搭載することが多いのですが、2008年の航空集団改編後は、第22航空隊と同じ第22航空群の隷下部隊となった小松島基地(第24航空隊)の所属機も搭載するようになりました。

ヘリコプター、特にコクピットはあからさまなカッコよさがありますので、見学者の皆さんは「うみぎり」そっちのけでSH‐60Kを見学、機体の周りにはたくさんの人の輪ができていました。
皆さん、「うみぎり」もしっかり見学してくださいね!(苦笑)
「うみぎり」の艦橋です。見学者の皆さんはSH‐60Kの見学に夢中なので、私が艦橋到着一番乗りとなりました。人がいないのは絶好の撮影チャンスです。他の見学者が来るまでのわずかな時間、夢中でシャッターを切り続けました。

「きり」型の艦橋構造物は高さがない代わりに横幅があるので、艦橋は十分な広さがあります。「ひゅうが」型DDHやイージス艦の艦橋と比べると、遥かに広々としています。実際はどうかは分かりませんが、感覚的には、「きり」型の艦橋スペースは護衛艦の中では最も広いような気がします。
「うみぎり」は就役から21年が経過した古い部類の艦なのですが、海自艦艇の例に漏れず、艦橋内は美しく磨き上げられています
天井から延びる伝声管が味わい深い雰囲気を醸し出しています。「伝声管がある艦橋こそ軍艦の艦橋」だと私は考えます(笑)
護衛艦で伝声管があるのは「きり」型が最後で、次形式の「あめ」型では伝声管は姿を消します。「うみぎり」は「きり」型最終艦なので、伝声管を装備した最後の護衛艦ということになります。

近年の護衛艦では見られなくなった伝声管ですが、掃海艇においては割と最近(「すがしま」型)まで装備されています。ただ、掃海艇の伝声管は護衛艦とは逆で、艦橋から下へ延びています
伝声管の存在よってクラシックな雰囲気ではありますが、「きり」型の最終艦ということもあって、あまり古さを感じません。古さを感じさせないほど、天井も床も機器も美しく磨き上げられているということかもしれません。
艦橋の窓越しにみた艦首です。
「きり」型DDに乗艦するたびに思うことではありますが、改めて艦橋の低さを思い知らされました。この艦橋の高さの無さが、「視界が効かない」「波浪時に艦橋ウイング部で作業ができない」といった「きり」型の評価を下げる要因の一つとなっています。

おまけにアスロック発射機までもが視界を遮っています。ジャイロコンパスの前に立って操艦にあたる艦長や航海長、当直士官はさぞご苦労なさっていることでしょう…。
艦橋構造物はわずかに2層。ややトップヘビー気味だった「ゆき」型の反省を踏まえているとはいえ、この低さは異様です。艦橋構造物の低さは外から見るにはカッコいいのですけどねぇ…。
↑とは逆に艦首から艦橋構造物を見たところ。艦橋の窓の下には、ソマリア沖アデン湾に派遣された際の防弾板が残っています。
「うみぎり」は派遣海賊対処行動水上部隊の9次隊として、「さみだれ」と共に去年6月20日から12月3日までの間、ソマリア沖アデン湾に派遣されていました。その間、34回の護衛を実施しました。

派遣時の模様は今年2月に発売された雑誌「J-Ships」に特集レポートが掲載されており、「うみぎり」は初の海外実任務にも関わらず、乗組員は高い士気のもと一致団結して困難な任務に取り組んだということです。現在は12次隊として「いかづち」「さわぎり」が派遣され、護衛任務にあたっています。完全なる任務達成と無事の帰国を願わずにはいられません。頑張れ!!
アトラクションとして主砲とアスロック発射機の操法展示が行われました。←はアスロック発射機の展示の様子。「ウィーン、ウィーン」と音を立てながらメカニカルな動きを見せる発射機を、見学者の皆さんは珍しそうに眺めていました。
見学していた子供が「ミサイル発射しないのぉ〜?」と質問、説明役の乗組員を困らせていた様子が微笑ましかったです(笑)

対潜兵器と言えば、過去の観艦式ではボフォースが実弾発射の展示を行ってきましたが、「ゆうべつ」「ゆうばり」の退役で姿を消した今、展示はどうなるのでしょうか?もしかしたらアスロックを発射するのでしょうか?ボフォースのように勢い良く水柱があがったりはしないので、かなり地味な展示になりそうですが…
甲板上では艦長の平田二佐(左側の幹部)が、自ら案内役を務め、見学者に主砲やアスロックについて説明をしていました。
ご覧のように長身でスマート、しかも若い。年齢を尋ねたところ38歳とのこと。私よりも5歳も若い…なんか複雑な気分だ…。
今年3月
に「うみぎり」艦長を拝命、前配置は統幕運用課でした。左胸の防衛記念章には統幕勤務を示す25号に加え、海幕勤務を示す26号も…間違いなく将来は将官となる方です。眩しい…。

この平田二佐、「さわゆき」艦長の渡邊二佐、そして一昨年別府港でお会いした前7護隊司令の伊藤一佐…エリート幹部の方々は、共通して長身でスマート、そして爽やか。その話ぶりからは高い知性を感じさせます。まさに真の日本男子です。私とはあまりに違い過ぎます…落ち込むなぁ…。
この日は7月7日、そう「七夕の日」です。
艦中央部には七夕飾りが飾りつけられていました。ネズミ色一色の護衛艦上に色とりどりの装飾が施された七夕飾りがある光景はとてもいい雰囲気です。
いい雰囲気なので何枚も写真を撮っていたら、平田艦長が嬉しそうに私が撮影する様子を眺めておられました。もしかしたら、この七夕飾りは艦長の発案だったのかもしれません。

飾り付けられている短冊を見たところ、子供の字で「自衛隊に入れますように」との願いが。これを書いた子供はどんな子でしょうねぇ?その気持ちを高校生になっても持ち続けていて欲しいです。ちなみに私が願いを短冊に書くとしたら…「防衛予算が増額されて護衛艦の数が増えますように」といったところでしょうか(笑)
「うみぎり」の見学・撮影終了後、新幹線に乗って一路山口市へ。
新山口駅前のホテルに宿泊後、翌朝午前6時前の山口線普通列車に乗って次の遠征先へ向かいます。次なる遠征先は35駅先、所要時間にして3時間45分もかかる島根県浜田市です。

浜田港には、去年の夏に舞鶴から大湊へ転籍したDD「すずなみ」が寄港しているのです。遠く大湊へ嫁いでしまい当分は会えないものと覚悟していた「すずなみ」が西日本の港に寄港しているのですから、遠征しない訳にはいきません。
とはいえ、約4時間にも達する鈍行列車各駅停車の旅はまさに地獄でした…。浜田駅に着く頃には、あまりの退屈さゆえに意識不明となっていました(苦笑) あ〜しんど。
「すずなみ」は浜田港長浜埠頭に寄港していました。
←の画像は対岸の防波堤の上から撮影しました。流れるような船体のラインがとても美しいです。う〜ん、べっぴんさんです♪
「すずなみ」は「なみ」型DDの最終艦(5番艦)で、2006年2月に就役しました。就役後5年半の間は舞鶴を母港としていましたが、去年8月に大湊に転籍しました。転籍と同時に所属部隊も変更となり、現在は第3護衛隊群第3護衛隊に所属しています。

「すずなみ」の美しさを際立たせているのが浜田の自然です。海も空も、さらには森の木々もとても美しい!冬には大雪が降り波も荒れ狂う日本海ですが、夏はまるで絵葉書のような穏やかで美しい風景を現出してくれます。舞鶴もそうですが、春・夏の日本海側は艦船撮影には最高のロケーションです。
「すずなみ」は長浜岸壁の先端に係留されているので、残念ながら前方から全身を写すことができません…(涙)
「すずなみ」の艦番号は114、これは今年3月に就役した新型DD「あきづき」(艦番号115)の1つ前にあたります。この艦番号の並びが示すように、「すずなみ」は2006年の就役から6年間ものあいだ最も新しい汎用護衛艦だったのです。考えてみれば6年間もDDの建造が止まっていたというのは、いくら国家財政が危機に瀕しているとはいえ異常ではないでしょうか?

「すずなみ」の艦名は澄んだ青い波を意味する「涼波」が由来です。まさにこの日の浜田港・日本海そのものです。詩的に表現すれば、「涼波が寄せる浜田港に『すずなみ』が佇みけり」といった感じでしょうか。
「すずなみ」の艦名は海自では初の採用、帝国海軍時代も含めると二代目となります。
初代「涼波」は1943年7月に就役した夕雲型駆逐艦の11番艦で、就役から僅か3か月後にラバウル湾内で米海軍機の攻撃を受けて沈没しました。薄幸で悲劇的な艦名なので、武勲艦や幸運艦の名前を引き継ぐ傾向が強い海自艦艇に採用されるのはかなり異例と言えます。私は大好きですけどね。

ちなみに、かのM.Hさんは「すずなみ」を「すーちゃん」と呼びます。 「すーちゃん」とは、どうやら彼が大好きなアイドルの愛称のようです(笑) 一方、この日見学に来ていた小さな女の子は、船体に記された艦名を見て「すずちゃん!」と叫んでいました。これらを鑑みると、「すずなみ」はとても親しみやすい艦名なのかもしれません。
乗艦後、ヘリ甲板へ。偶然でしょうか、この「すずなみ」も乗艦→ヘリ甲板・格納庫→艦橋→前甲板・主砲→退艦という見学コースで、前日の「うみぎり」と全く同じです。そういえば両艦とも型式の最終艦という点も同じですね。

搭載している対潜ヘリSH-60Kですが、大湊航空基地(第25航空隊)所属機かと思いきや、舞鶴航空基地(第23航空隊)所属機でした。おや?大湊の所属艦となったのに何故舞鶴のヘリを搭載しているのでしょうか?それはさておき、ここでもヘリコプターは大人気。特に子供はコクピットに収まって記念撮影をするなど大喜びでした。飛行機系には全く興味のない私でも、計器やモニターが並んだコクピットを見ると「カッコええわぁ〜」と思ってしまいます。
「すずなみ」の艦橋です。
「なみ」型最終艦で、就役から6年半しか経っていないこともあり、まるで今年の春に就役したかのような綺麗さです。まさに最新鋭艦の艦橋といった雰囲気です。

艦橋の窓に注目!本来の窓の内側に防弾ガラスが備え付けられています。6月に実施された年次検査の際に取り付けられました。いよいよ「すずなみ」もソマリア沖アデン湾に派遣されることが決まったようです。
既に二巡目の派遣艦艇も現れている中、意外にも「すずなみ」はまだ一度もソマリア沖に派遣されていません。昨年の春から夏にかけて大規模な検査(=定期検査)を実施したことが、未だに派遣されていない要因だと考えられます。
様々なモニター幾つもの表示灯が並ぶ「すずなみ」の艦橋は、まさに最新鋭艦の艦橋といった雰囲気が満載です。もちろん、伝声管なんて何処にもありません
12枚上↑の「うみぎり」の艦橋の画像とほぼ同じアングルから撮影しているのですが、双方を見比べると、航海用機器の進化をはじめとする艦艇テクノロジーの進歩が一目瞭然です。

浜田もたくさんの見学者が来艦していましたが、特に子供さんが多かったです。子供たちは艦橋のカッコ良さに心が躍ったのか、操舵輪を回したり、レーダーや電子海図のスイッチをイジリまくったりとやりたい放題でした…(苦笑) 機器が壊れるのではないかと本気で心配になりました。他人のお子さんではありますが、思い切り蹴飛ばしたい衝動に駆られました
艦橋構造物の最下層(上甲板レベル)には、艦の表札艦歴・歴代艦長を記したプレート、そして艦三役の顔写真が掲示されています。米海軍の影響で海自艦艇でも掲示されるようになった艦三役の顔写真ですが、今ではほとんどの艦で掲示されており、すっかりお馴染みになりました

この「すずなみ」の場合は、艦長・副長・先任伍長に加え、3護群司令3護隊司令の顔写真もあります。
ただ、本場の米海軍に比べ海自の顔写真掲示はかなり控えめ。派手派手しく顔写真を出さないところは日本人らしい奥ゆかしさを感じます。例外的に、星山艦長がデザインしたDDH「いせ」の顔写真掲示板は、かなり米海軍的な雰囲気があります。
艦橋を見学した後、前甲板へ。艦橋の窓の下側には防弾板が備え付けられています。現在ソマリア沖に派遣されている「いかづち」「さわぎり」(12次隊)に代わって、「すずなみ」と同じ大湊所属の「まきなみ」「ゆうぎり」が13次隊として派遣されることが先日発表されました。「すずなみ」は、その次の14次隊として派遣される可能性が濃厚です。時期的には12月頃出港でしょうか?

前甲板にいた幹部の方に「ソマリア派遣の順番が来そうですね」と尋ねたところ、「インド洋に派遣されたことがあるので、その経験を生かして粛々と任務にあたるだけです」と微笑みながら答えてくれました。海自艦艇の護衛のお陰で日本の商船やタンカーがソマリア沖を安全に通過し、国民が豊かな生活を享受できていることを忘れてはいけないと思います。
アトラクションとして主砲の操法展示が行われました。見学コースだけでなく、アトラクションも「すずなみ」と「うみぎり」は同じです。

「なみ」型の主砲はイタリア・OTOメラーラ社製の54口径127mm単装速射砲です。海自ではイージス艦「こんごう」型にも採用されています。対空・対水上両用で、1分間に最大45発の弾を発射することができます。堂々とした体躯の砲ですが、砲塔を強化プラスティック製とすることで軽量化(重量:40.6t)を図っています。

この大きさの砲にしては軽いためか、動きはとても機敏。「シュィーン」という音と共に素早く旋回します。砲身を上げ下げしながらくるくる回る主砲を目の当たりにして、見学者は皆さん大喜びでした。
「すずなみ」の後方には曳船が2隻係留されていました。舞鶴警備隊所属のYT92YT94です。
「すずなみ」の出入港のためにわざわざ舞鶴から出張してきたんですねぇ。地元・浜田には曳船を所有する業者がないのかもしれません。同じ日本海側とはいえ、舞鶴から浜田まで何時間かかるのでしょう?本当にご苦労様です!

YT92とYT94は260t型(別名YT58号型)に属する曳船です。その名が示す通り基準排水量は260t最大速力11ノットで、海自の曳船の中では最大の型式です。現在同型船22隻が5大基地に配備されています。このタイプは操舵室の下に居住区が設けられているのが特徴で、そのお陰で今回のような地方港での出入港作業に出張することが可能となっています。
何と!この曳船のうちYT94が一般公開されていました。曳船の公開って珍しいですね。私も初めての経験です。「わざわざ舞鶴から遠征して来たんだから公開しちゃえ!」って感じでしょうか?

←は操舵室です。第三種夏服姿の一尉の方(港務隊長?)が色々と説明してくれました。見たところ、船には欠かせない操舵輪がどこにもありません。実はこの型式には操舵輪はなく、操作盤中央部にあるジョイスティックを使って操船するのです。曳船は出入港作業時には細かい動き微妙な操船を要求されますので、ジョイスティックの方が操作性がいいのかもしれません。
この操舵室の屋根には放水銃が装備されており、港内で火災が発生した際には消防船としての役割も担います。
去年8月に大湊へ転籍した「すずなみ」ですが、幹部を除く乗組員の入れ替えはスムーズに進み、今では曹士のほぼ全員が大湊の隊員ということです。同じく佐世保から大湊に転籍したものの乗組員の入れ替えが間に合わず、しばらくの間は佐世保の隊員が大半を占めていた「まきなみ」とは対照的です。

舞鶴から遠く大湊へ嫁いでしまい、当分は会えないと覚悟していた「すずなみ」ですが、浜田の美しい自然の中で再会し、その「お嬢様ぶり」が今なお健在であることに嬉しさを感じました。
大湊という冬の自然条件が厳しい中での北方警備や、近く来るであろうソマリア沖への派遣で、「すずなみ」が大きな成果を挙げることを願わずにはいられません。頑張れ!すーちゃん!!

「きり」型最終艦と「なみ」型最終艦のハシゴとなった八代・浜田遠征。夏到来を告げる青空の下で輝く二隻でした。