2009自衛隊観艦式 〜一般公開編〜


観艦式前日の10月24日に横須賀(吉倉・船越・新港)、横浜、木更津の3ヶ所で艦艇公開が行われました。

私が駆けつけたのは、「こんごう」「ひゅうが」がいる横浜でもなく、「あしがら」がいる吉倉でもありません。私のマニア心をくすぐったのは船越にいる艦たちです。

いったい何が公開されていたかというと…。
←の看板をご覧ください!

「ゆうべつ」「ゆうばり」「ちはや」
。どぉーです。マニア心をくすぐりまくるこのフネたち。
イージス艦や話題のヘリ空母よりも、北方沿岸警備用の小型DEと潜水艦救難艦に魅力を感じてしまう私。我ながらかなりディープなマニアだと感じずにはいられません(笑)
「ゆうばり」(227)と「ゆうべつ」(228)が、仲の良い姉妹のように並んで岸壁に係留されていました。

実はこの両艦、何としても撮影したかった艦なのです。
というのも、「ゆうばり」型はこの2隻のみ、しかも北方沿岸警備用DEという特性から母港は共に大湊です。つまり、九州在住の私にとってはお目にかかることは至難の業だった姉妹なのです。
今回の観艦式、この「ゆうばり」「ゆうべつ」を撮影するために参加したと言っても過言ではありません

艦名、行動海域、船体構造、搭載装備どれをとってもオタク心をくすぐられるマニア垂涎の艦なのです。
まずは「ゆうばり」からご紹介。

住友重機浦賀工場で建造され、1983(昭和58)年3月18日に就役しました。北海道を流れる夕張川からの命名で、この名を負う艦としては帝国海軍を含めると二代目となります。

ちなみに初代の「夕張」は、艦船マニアならその名を知らぬ者はいない平賀譲技術中将(当時は大佐)が設計を手がけた軽巡洋艦で、3000トンに満たない小さな船体に5500トン型巡洋艦と同じ兵装を装備し、日本の高い造艦技術を世界中に知らしめた傑作艦でした。
続いては「ゆうべつ」です。

日立造船舞鶴工場で建造され、1984(昭和59)年2月14日に就役しました。オホーツク海に注ぐ湧別川からの命名で、帝国海軍を含めて初めての艦名です。
海自艦艇のうち帝国海軍の同名艦がない艦はごく僅かで、「ゆうべつ」の他には「やまぎり」「きりさめ」など数隻があるのみです。

「ゆうばり」「ゆうべつ」よりひと回り小さい準同型艦で、両艦の設計の基になった「いしかり」という艦もあったのですが、こちらは残念ながら2007年10月に退役しています。
「ゆうべつ」に乗艦。真っ先に艦橋へ登りました。

小型のDEだけに艦橋もコンパクト、というか、かなり狭いです。「ゆき」型をふた回りほど狭くした雰囲気、掃海艦「やえやま」型と同じくらいの広さといったところでしょうか。

中央のジャイロコンパスの前に立つと、すぐ横が艦長席といった距離感です。艦長や当直士官の操艦指示が隅々にまでよく伝わりそうです。
この狭さと古い設備が、最新鋭艦には無い味わい深い雰囲気を醸し出していました。さらに艦長席の前とジャイロコンパスの横に後付けされたパソコンのアンバランス加減も素敵でした(笑)
艦橋の後方部から前方を望んだアングルです。

天井から伸びた伝声管、操舵輪、速度指示器、対水上レーダー、どれもレトロとさえ言える古色蒼然とした佇まいがとても素敵です。まさにこれぞ軍艦といった雰囲気です。

この雰囲気に痺れまくった勢いで、近くにいた案内役の隊員さん(海曹)に「古い艦は味わいがあっていいですねぇ〜」と話しかけたのですが、その隊員さん曰く「古い艦って色々大変なんです。新しい艦が羨ましいっす…」
実際に勤務するとなると、マニアには分からないご苦労も多々あるようですね。
艦橋ウイング部から艦首方向を眺めたところ。
ボフォースがあるためか、これまでに乗艦した艦では見たことがない独特な眺めです。

そのボフォースの周りにはマニアの方々が集まり、盛んに撮影をしていました。この方々、この時間にこの場所にいるということは…私と同様、かなりコアなマニアの方々です(笑)

皆さん、絶滅危惧種であるボフォースに大いに魅せられているようです。その背中からは、艦艇大好きオーラが強烈に放たれているのを感じました。私も端から見るとこんな感じなのかも…?
上甲板から見るボフォースです。「訓練展示編」でも説明しましたが、ボフォースの正式な名称は「ボフォース製375mm対潜ロケットランチャー」で、簡単に言うと現代版の爆雷です。

敵潜水艦が潜んでいる海面に撃ちこみ、直撃もしくは至近弾による水圧で被害を与える対潜兵器です。現在の主力対潜兵器のアスロックとは異なり無線誘導はありません。まさに敵に弾を当てにいくという昔ながらの兵器です。

四つの発射管で一基を形成していますが、こうして見ると発射管の直径が意外に大きいのに驚かされます。
艦首付近の上甲板から艦尾方向を眺めたところ。
こうして見ると、「ゆうばり」型が特徴的な船体をしているのにお気づきでしょうか?

ボフォースがある場所は、上甲板より一段高くなっています。つまり上甲板のさらに上、まるで段々畑のようにもう一枚甲板があるのです。横から見るとちょうど凸形の船体をしています。

このような形式の船体は中央船楼型と呼ばれ、海自では「ゆうばり」型のみが採用しています。小型艦でも艦内容積を広く確保することができるというメリットがあります。ただ上甲板での通行に難があったためか、以後の艦艇には採用されていません。
上甲板から艦尾に向かってまっすぐ歩くと、途中から艦内となります。船楼と呼ばれる部分の内部です。

本来なら上甲板にあたる部分なのに、そこは艦内。曹士の居住区や機関操縦室、倉庫などがあります。このように中央船楼型の船体は艦内スペースを格段に増やすことができるのです。
艦橋構造物の内部に入った訳ではなく、また梯子を下った訳でもないのにそこはもう艦内。とても不思議な感覚でした。

この廊下を真っ直ぐ抜けると艦尾の上甲板に出ます。
船楼部分の一角にある機関操縦室です。

現在の海自艦艇の殆どの艦が採用しているガスタービン機関ですが、最初に採用したのは「ゆうばり」型の準同型艦「いしかり」でした。(「ゆうばり」型は「いしかり」より全長が6m長いだけの違いです)
「いしかり」と「ゆうばり」型は、小型のDEながら船体構造や機関に新機軸を盛り込んだ、極めて意欲的な設計の艦と言えます。

ガスタービン艦の出現によって蒸気タービン艦は徐々にその数を減らし、今では「ひえい」「しらね」「くらま」「さわかぜ」の4隻を残すのみとなっています。
船楼部分の通路を進むと艦尾の上甲板にたどり着きます。
艦尾付近から艦首方向を望んだこのアングルからも、中央船楼型の特殊な船体構造がよく分かります。

この場所で撮影をしていたら、乗組員から「このフネがお好きなんですか?」と尋ねられました。その方の胸元には金色に輝く識別章が…「ゆうべつ」の先任伍長さんでした。
「『ゆうばり』と『ゆうべつ』を見に大分から来ました!」と話すと先任伍長さんは大喜び。このあと先任伍長直々に艦を案内してくださいました。その際、乗組員に「この人、大分から『ゆうべつ』を見に来たんよ」と紹介してくださるので、私は艦のあちこちで敬礼を受けてしまいました(笑)
こちらは「ゆうばり」の艦橋
5枚目の「ゆうべつ」の艦橋の画像と見比べて欲しいのですが、艦長席前のテーブルや足置き、後付けされたパソコンなど細かな部分でかなりの違いがあります
同型艦でも長い間使われているうちに、様々な部分で違いが現れてくるのですね。これもベテラン艦の面白さ・味わい深さではないでしょうか。

ちなみに「ゆうばり」は3年前、財政破綻した夕張市に同じ名前のよしみということで、乗組員から募った30万円を寄付しました。
「ゆうべつ」の先任伍長さんといい、この「ゆうばり」といい、大湊の隊員さんは情に厚い人が多いようです。
「ゆうばり」には第15護衛隊司令が座乗しているため、左舷側の席には赤いカバーが掛けられています。
第15護衛隊司令は由岐中一佐。マニアの間ではイージス護衛艦「あしがら」の初代艦長として有名な方です。

第15護衛隊は「ゆうばり」「ゆうべつ」のほか「ちくま」「じんつう」の4隻で編成されています。「ゆうばり」型と「あぶくま」型による異艦種混合編成です。
「いしかり」が現役だった頃は、「いしかり」「ゆうばり」「ゆうべつ」の3隻で護衛隊を編成しており、独特な外観を有する三姉妹でつくられた護衛隊は、海自水上艦部隊の中でもひときわ異彩を放っていました
「ゆうばり」の艦尾部分。ハープーン対艦ミサイルが2基並んでいます。実はこのハープーンも準同型艦の「いしかり」で初めて搭載された兵装です。

沿岸警備用のDEにも関わらずハープーンを初採用した背景には、1980年代初頭において北方海域の脅威であったソ連海軍に対抗するため、強力な水上打撃力が必要とされたためです。「ゆうばり」型は、当時のDEのみならずDDをもしのぐ打撃力を有して誕生した艦だったのです。
ちなみに搭載しているのは連装2基の4門ですが、これは暫定的な姿で、本来の定数は8門となっています。暫定的な姿のまま退役を迎えそうですが…。
艦を降りて「ゆうばり」「ゆうべつ」を後ろから眺めたところ。

艦尾にハープーンが並んでいるため、非常に物々しい雰囲気があります。小型のDEにも関わらず数々の新機軸を盛り込んだ意欲的な設計の艦、言い換えれば、1980年代初頭の北方防衛はそれだけの艦が必要なほど差し迫った状況にあったのです。「ゆうばり」型は、当時の北方防衛の考え方が艦型に如実に現れていると言えます。

船体が小さい故に、今だに未装備または定数以下の装備があり、用兵側の性能要求も満たすことができなかった艦ですが、海自艦艇史に名を刻む艦であることは間違いないでしょう。
続いて乗艦したのは潜水艦救難艦「ちはや」です。
第1潜水隊群に所属し、母港は呉です。呉に遠征した際には頻繁にその姿を見かけるのですが、艦内に入るのは初めて。とても楽しみです♪

「ちはや」は、沈没または遭難した潜水艦から乗組員を救出するのが任務の艦です。2000年3月に就役、翌年2月に「えひめ丸」沈没事故が発生した際には、ハワイ沖で捜索にあたりました。

2潜群に所属する「ちよだ」(母港:横須賀)が救難と潜水艦への補給を任務としているのに対し、「ちはや」は救難と治療に特化した艦となっています。
乗艦してまず目に飛び込んできたのがコレ!
深海救難艇DSRVです。
「ちはや」から海中に降ろされたあと、海底に挌座した潜水艦にドッキングして乗組員を救出します。1回のミッションで12人を収容することができます。

丸みを帯びた可愛らしい形をしていますが、全長12.4m最大幅は3.2mもあり、小型潜水艦と言えるほどの大きさです。
丸くなった最前部に正副二人の操縦士が乗り込む操縦室がありますが窓はなく、船外の様子をモニターカメラからの映像で把握して船体をコントロールします。
DSRVの後方部分です。
中心部にあるのは推進用のスクリュー、その周囲にある円形の環はシュラウド・リングと呼ばれる舵です。この環を様々な角度に傾けることで、DSRVは海中で自由自在な三次元潜航が可能となっています。
DSRVが置かれている位置はセンターウェルという投入口で、艦底の蓋が開いたのち甲板が昇降することで、DSRVを海中に降ろしたり、逆に海中から引き上げることができます。

センターウェルの前方には艦橋構造物と一体化した格納庫があり、ミッションを行う時以外はDSRVは格納庫に収容されて整備が行われます。
「ちはや」の艦橋です。
横幅がある艦なので、艦橋自体もご覧のように広大です。直前に「ゆうばり」「ゆうべつ」に乗っているだけに、余計に広く感じてしまいます(笑)
右舷前方に見える艦長席は赤一色。「ちはや」の艦長には潜水艦の艦長を経験した一佐が配置されます。同じく副長(二佐)も潜水艦艦長経験者の配置で、現在の副長は約8年前に私が潜水艦「はるしお」に乗艦取材した際に艦長だった方です。

このほか主だった幹部も潜水艦乗りが配置されており、排水量が5000tを超える大型水上艦にも関わらず潜水艦乗りが指揮して動かすという、とてもユニークな艦でもあります。
艦橋の前方から後方を眺めたところ。この角度から見ても、護衛艦などよりも遥かに広い艦橋であることが分かります。

案内役の隊員は女性の方でした。艦に乗りたくて海自に入ったと話してくれました。「ちはや」の艦内を歩いていると女性隊員の姿が目立ちました。曹士のみならず幹部の方もいました。
「ちはや」では就役時から女性隊員が配置されており、艦内には女性専用の居住区も設けられています。

この艦橋の上には潜水艦の救難作戦を指揮するRIC(救難情報センター)があり見学もできたのですが、残念ながら撮影は不可でした。
艦内の見学を終え、岸壁から艦首を撮影しました。

「ちはや」は翌日の式本番で観閲付属部隊の一員として、私が乗艦する「うらが」の後方を航行していたのですが、大型の艦橋構造物とDSRV関連装備を多数積んでいるためか、大型艦なのに可哀想なくらい揺れまくっていました

潜水艦救難という特殊な任務を背負い、装備もDSRVをはじめとして特殊なものばかり。乗艦できてとてもいい勉強にもなりました。
海自にはこれまで「ちはや」(先代)「ふしみ」「ちよだ」「ちはや」の4隻の潜水艦救難艦が誕生していますが、幸いなことに救難が必要な潜水艦事故は1件も発生していません
「ちはや」の撮影を終えて出口に向かっていた際、開発隊群の建物の前にオブジェがあるのに気付きました。
説明板を見ると、おととし3月に退役し、この船越に長らく係留されたのち標的艦として生涯を閉じた「たちかぜ」の主錨でした。

己の命と引き換えに貴重なデータを提供して太平洋の藻屑となった「たちかぜ」ですが、このオブジェがその功績を長く称えてくれることでしょう。
同じく標的艦として日本海に沈んだ「あまつかぜ」の主錨も舞鶴基地でオブジェとなっています。

船越での艦艇公開は、楽しく、密度の濃い有意義なものでした。

真の艦艇マニアは「ひゅうが」「こんごう」よりも「ゆうばり」「ゆうべつ」、そして「ちはや」(笑)