2012自衛隊観艦式 受閲部隊・観閲展示編〜


大回頭を終えた受閲部隊は美しき一本のラインとなって相模湾を東へ向け航行します。
正午、旗艦「あきづき」を先頭にして観閲部隊と反航、観艦式本番の幕が上がりました。

回頭を終えた我が「はたかぜ」は、観閲部隊と反航すべく、相模湾を東に向けて航行しています。
時を同じくして、甲板上では観閲を受ける準備が始まります。午前11時45分、観閲時に登舷礼を実施する乗組員が整列、号令ひとつで素早く登舷礼を形成するスタンバイ状態に入りました。

「はたかぜ」では87人の海曹士が登舷礼を形成します。そしてこの87人を率いるのが先任伍長(前列左側の方)です。
整列している海士の面々は、登舷礼という大役を控えているからか、それとも海曹士の“親分”である先任伍長が近くにいるからか、皆一様に緊張した表情です。
セーラー服姿の海士が整列する光景は、まさに「海軍」といった雰囲気満載で心が躍ります♪皆さん、凛々しくてカッコいいです。
午前11時53分、艦内マイクからの「登れ!」の号令一下、87人の乗組員が勢い良く駆け出します。
乗組員は、整列していた右舷側から予め定められた左舷側の自分の立ち位置へ向けてまっしぐらに走ります。

乗組員は2回の事前公開、事前公開前に行われる部隊訓練の合計3回、登舷礼の練習を重ねていますが、この日は雨によって甲板上が滑りやすくなっているだけに、無事に定位置に就けるだろうかと心配になりました。皆さん、足元にご注意を!

登舷礼は字の如く、って実施する式ということで、実施するための号令も「登れ!」なんですねぇ。面白い…。
私の心配は杞憂に終わり、87人の海曹士は無事にそれぞれの立ち位置にたどり着きました。
甲板を駆け抜けて寸分違わず自分の立ち位置にピタリと止まり右向け右をするだけで美しい登舷礼が出来上がりました。

立ち止まった後に身体の前後を揃えたり、隣との間隔を調整する人は誰もいません。この正確で無駄のない動作も乗組員の練度の高さを表していると言えるでしょう。
事前公開前に見学者を乗せずに実施する部隊訓練で、受閲部隊の艦では、登舷礼を作る練習が繰り返し行われます。立ち位置や前後左右の間隔も、その時に先輩乗組員から徹底的に指導されます。こうした猛訓練・努力の賜物が、この美しい登舷礼なのです。世界中を見ても、海自ほど美しい登舷礼を行う海軍はありません。
正午ちょうど、観閲部隊と反航します。6日前の事前公開とは真逆の位置から、観閲部隊の各艦を眺める形になりました。

最初に現れしは先導艦「ゆうだち」です。今日の観艦式本番でも、観閲実施海域まで無事に観閲艦「くらま」を導いてきました。見慣れているはずの「ゆうだち」ですが、この時ばかりは先導艦であるがゆえに放つ強烈なオーラをひしひしと感じました。
観艦式本番ということで、大勢のVIP各国の駐在武官らが乗艦していることでしょう。また、ヘリ格納庫の上にはテレビ局・制作会社の映像カメラマンや、新聞・雑誌のスチールカメラマンの姿が見えます。できることなら、私もあの場所で撮影したかった…
このレポートをご覧になっている海幕関係者様、3年後の次回観艦式ではご配慮をお願いします!(笑)
続いて、観閲艦「くらま」の登場です。「はたかぜ」の艦橋露天部にいる航海科員が敬礼ラッパを吹奏します。
「パァ〜♪パァ〜♪パッパカパッパッパァ〜〜♪」
ラッパの音に合わせて、艦橋露天部に立つ第1群指揮官・北川海将補、艦橋ウイング部に立つ「はたかぜ」艦長・関川一佐らは、「くらま」艦上の観閲官に対し挙手の敬礼を行います。一方、甲板上で登舷礼を形成している乗組員は挙手ではなく、「くらま」艦上の観閲官に注目する形の敬礼を行います。

この「はたかぜ」からの敬礼に対し、観閲官は答礼を行います。
「パッパカパッパッパァ〜〜♪」
「くらま」から、答礼実施の合図であるラッパの音が聞こえてきました。観閲官は文民なので、挙手による答礼は行いません。
では、どうやって答礼するかというと、右手に持ったシルクハットを胸の位置にかざす動作で答礼を行います。
「くらま」の艦橋露天部では、観閲官である野田佳彦・内閣総理大臣(矢印)が、今まさにシルクハットを手に答礼を行っています。その右隣には森本防衛大臣、さらに河野海幕長自衛艦隊司令官・松下海将統合幕僚長・岩崎空将の姿も見えます。

ファインダー越しに観閲官である野田首相の姿を目にしたその時、私の脳裏に稲妻の如くある想いが去来しました。
「雨の原因はこの男だ。野田首相が強烈な雨男に違いない!」
晴天だった2回の事前公開と雨模様となった式本番の相違点…それはまさに、観閲官である野田首相の存在の有無に他なりません。どう考えても野田首相が雨を呼んだとしか思えないのです。
よくよく考えてみると、3年前の前回観艦式も今日と似たような雨模様でした。海上には霞がかかり、鉛色の空と海によって艦艇がシケた色合いにしか写らず、悔し涙を流したことを昨日の事のように鮮明に覚えています。
前回の観閲官は当時副首相だった菅直人…そうか、民主党の政治家が観閲官を務めると雨の観艦式になるのか…(極論)

戦前、海軍が政治不介入の姿勢を貫いたことに倣って、私もこのHP上では政治に関する発言を控えてきましたが、実は私、民主党が大嫌いなのです。稚拙な政治主導無定見な施策・外交によって、この3年半で我が国が失った国益は計り知れません。雨の原因が民主党と野田首相のせいだと分かって(勝手な思い込みですが…)、私の胸中にはふつふつと怒りが湧き上がってきました
頭からマグマが噴き出すほどの怒りを感じている間にも、「ひゅうが」「ちょうかい」…続々と観閲部隊の艦が反航して行きます。
私は激しい怒りで体じゅうが打ち震えているのですが、目の前を通り過ぎる艦艇を何の問題もなかったかのように撮影できているのは、我ながら流石だと思います(笑)

撮影しつつも、なおも私は考えを巡らせます。
6年前の前々回の観艦式、この時はもちろん自民党政権下で、観閲官は当時の安倍首相でした。出港時は明け方からの大雨の影響で曇天だったものの、正午の観閲までに天候が回復して晴天下の観艦式だったはず…。やっぱり、野田首相(=民主党)がこの雨の原因じゃねーか!(笑)
観閲部隊の殿(しんがり)、「あたご」がやって来ました。
6日前の事前公開1で乗艦した艦です。6日前同様、いや、それ以上に甲板上は見学者で溢れかえっています。撮影に没頭するあまり、今日も乗組員の注意・指示を守らない乗艦者がいるのではないかと思わず心配してしまいました。

6日前は「あたご」に乗艦していたので、「あたご」が航行する姿を見ることができなかったのですが、今ここに、苦難を乗り越え晴れて観艦式に参加している姿を目の当たりにして、思わず目頭が熱くなってしまいました…。おめでとう、「あたご」!
今回の観艦式、私は禊(みそぎ)を終えた「あたご」を改めて国民の前に披露する場でもあると考えています。
観閲部隊の艦艇がすべて通り過ぎました。「はたがぜ」の後方を見ると、受閲部隊の列とそれを挟むように航行する観閲部隊・観閲付属部隊の隊列によって、相模湾上に艦艇による三本のラインが描かれているではありませんか!嗚呼、絶景かな絶景かな…

くどいようですが、野田首相のせいで雨模様なので、せっかくの絶景も台無しです…(涙) お望み通りの光景が目の前にあるのに…。
有名(?)な諺(ことわざ)に「富士山と海軍は遠くから眺めるのがいい」というものがありますが、まさにこの諺を具現化したような光景です。ちなみに、この諺の意味ですが、「美しい富士山も実際に登ると非常に険しい山である。海軍も入隊してみれば大変な事だらけで、一般人として艦艇を眺めているのが一番楽しい」というものです。何だか私の事を言っているようです(笑)
観閲を終えた「はたかぜ」は訓練展示の準備に取り掛かります。
訓練展示の幕開けを告げる第1幕で5インチ砲による祝砲射撃を実施するため、砲の周囲は立ち入り禁止となり、乗艦者は安全な場所に退避するよう指示がありました。後部ヘリ甲板にいた乗艦者の皆さんは、←のように甲板後方に寄せられました。
その後「はたかぜ」は180度回頭し、射撃用の進路に入りました。

観閲時、私はヘリ甲板の左舷最後部に陣取って撮影をしていましたが、退避の指示を受けて左舷中央部に陣地転換しました。
右舷側ではこれから観閲を受ける艦艇が続々と航行しているのですが、移動規制によって私はその光景を見ることも撮影することもできません。それでも敢えてこの位置に移ったのは、このあと左舷側で繰り広げられる光景を撮影したかったからです。
撮影したかった光景とは…観閲を終えて180度回頭した観閲部隊と観閲付属部隊が合流して二列の隊列を形成するシーンです。
回頭後、「あきづき」を加えた観閲部隊6隻が直進するのに対し、観閲付属部隊の6隻は観閲部隊に交わるように斜めに航行します。そして各艦の距離が300ヤードになった時点で観閲付属部隊の艦が転舵して観閲部隊の艦と並走、二列の隊列を作ります。

←は観閲部隊に突き刺さるように航行してきた観閲付属部隊が、これから合流を始めようとしているシーン。付属部隊1番艦「いかづち」が、先導艦「ゆうだち」と並走すべく転舵を始めています。観閲付属部隊のこのダイナミックな動きを、私は6日前に「あたご」艦上から確認していました。なので、観艦式本番ではこのシーンを何としても撮影したいと思っていたのです。
「いなづま」は転舵を終えて「ゆうだち」と並走状態に入りました。「むらさめ」型DD3番艦と5番艦による美しくも力強い競演です。

就役以来12年余り呉を母港としてきた「いなづま」ですが、今年度末に佐世保に転籍することが決まっています。この美しき共演は、佐世保を母港とする「ゆうだち」への挨拶代りの共同作業のように思えてなりません。
私は大学生時代に広島市に住み、暇さえあれば艦艇を眺めに呉に通っていたことから、今でも呉を母港とする艦艇には特別な愛着を感じます。「いなづま」は退役する訳ではないのですが、呉を離れてしまうことに寂しさを感じずにはいられません。一方、去る艦あれば来る艦ありで、「いなづま」が佐世保に去ったあとには、いま私が乗艦している「はたかぜ」が呉に移ってきます
観閲付属部隊2番艦の「あすか」は、観閲部隊2番艦で観閲艦である「くらま」と並走します。同じく付属部隊3番艦の「ちはや」は、観閲部隊3番艦の「いせ」と並走します。
このように観閲部隊・観閲付属部隊の各艦が合流し並走する様子は、訓練展示に匹敵する見事な艦隊運動ではありませんか!

「観閲部隊・出港編」のレポートで、私は観閲部隊と観閲付属部隊を“観客席”と例えましたが、実は訓練展示に引けをとらない高い練度が求められる艦隊運動を繰り広げていたのです。この運動は受閲部隊側の艦からでなければ見ることができないので、その意味でも「はたかぜ」に乗って良かったと改めて感じました。
「はたかぜ」が反航して来る観閲艦「くらま」に対し60度の角度に達した時、祝砲の初弾が発射されました。
陸自の155ミリりゅう弾砲20門以上の一斉射撃を至近距離で体感したことがある私は、5インチ砲の射撃音くらいは全然平気なのですが、この時は反航する観閲部隊と観閲付属部隊の撮影に夢中だったため、不意に射撃音に襲われてかなりびっくりしました…(苦笑) 耳栓を挿れておけばよかった…。

←は52番砲による2発目の祝砲射撃のシーン、私のいる場所からは構造物の陰になって51番砲・52番砲とも砲身が見えず、煙だけしか写っていません(汗) できることなら、甲板の最後部から「しらね」の祝砲射撃の瞬間を撮影したかった…。観閲部隊と観閲付属部隊の合流シーンの撮影を優先したため仕方がありません。
二列になった観閲部隊と観閲付属部隊の各艦が、続々と私の目の前を通り過ぎて行きます。
12隻もの艦艇が二列になって航行する光景は壮観の一言、私は「おおっ、おおっ」と感嘆の声を上げながらカメラが壊れんばかりにシャッターを切りまくります。さらにそこに祝砲射撃の轟音と白煙が押し寄せます。まさに混沌カオス状態です(笑)

このようなHPを運営しているくらいですから、私は訓練展示の撮影をかなりの数こなしているのですが、この時は目まぐるしく繰り広げられる迫力シーンの連続に冷静さを忘れてしまい、撮った画像がことごとくブレていたり構図が変だったりと、完全にカオスに溺れてしまいました…。まだまだ未熟者だなぁ。
あれっ、「はたかぜ」の祝砲射撃、何だか数が少ないような…?
祝砲射撃を終えた「はたかぜ」は、観閲部隊・観閲付属部隊と並走すべく本日3度目の180度回頭を実施します。
その際、左舷後方に3隻の艦影が見えました。展示第2幕・艦隊運動を披露している「たかなみ」「おおなみ」「はるさめ」です。
「観閲部隊・展示編」で「地味」とか「順序良く航行しているだけにしか見えない」と酷評しましたが、この位置から見ると3隻が揃って進路を変えている様子が分かります。酷評してごめんなさい…。

このあと「はたかぜ」は観閲部隊と観閲付属部隊に並走しながら、訓練展示を見守ります。事前公開とは異なるポジションから見る展示を楽しみに心を躍らせていたその時、私を絶望の淵に叩き落とす非情の艦内アナウンスが流れました。
「本艦は不発弾を投棄するため隊列を離れます」。
えっ、不発弾? そういえば祝砲射撃の際、「はたかぜ」の射撃数が少ないと感じたのは不発弾があったからなのか…。
本来なら51番砲(前部主砲)が3発、52番砲(後部主砲)が2発の射撃を行うはずだったのですが、51番砲は1発目を撃ったまま沈黙してしまったのです。51番砲の2発目(全体で3発目)が不発弾となってしまったようです。よりによって式本番で不発弾とは…

不発弾自体は爆発する危険性はないとのことですが、安全確保のため隊列から離れた海中に投棄するようです。「はたかぜ」は隊列から離れるために変針、本来なら「はたかぜ」の後方を航行するはずの「しらね」が遠ざかっていきます(涙)
式本番で祝砲が不発になってしまうなんて、「はたかぜ」の関川艦長は艦橋での居心地がさぞかし悪かったでしょうね
私はずっと甲板上にいたためこの時の艦橋の様子は分からないのですが、関川艦長は第1群指揮官の北川将補から大目玉を喰らったのでしょうか?というのも、観艦式終了後に「『はたかぜ』艦長 叱られる」というキーワードを検索して当HPを訪れる人が相次いだのです。一説には、「あきづき」に座乗する受閲部隊指揮官・池田海将が、ものすごく怖い顔をしていたとのことです。

「しらね」だけでなく、「たかなみ」「おおなみ」「はるさめ」も遠ざかっていきます。「はたかぜ」は一体どこまで隊列を離れるのでしょう。絶望的な気持ちが私の中で増殖していきます。
隊列から離れながら主砲員が装薬を投棄したようですが、依然移動規制中のため、投棄の様子を見ることはできませんでした。
「はたかぜ」は投棄を終えたのですが、隊列から離れたままいっこうに追い付く気配がありません。増速する気配さえありません。
観艦式本番という3年に1度の大舞台において、祝砲の不発という“大失敗”をやらかしたので今さら隊列には加われない…そんな雰囲気さえ漂っています。

この間にも潜水艦の急浮上ミサイル艇の爆走といった展示が繰り広げられているのですが、隊列から遠く離れてしまっているこの位置からはまったくと言っていいほど見えません
私は絶望と悔しさのあまり、まるで腰が砕けたように甲板上に座り込んでしまいました。対潜爆弾の投下やIRフレア、飛行艇の着水といった航空機による展示はかろうじて見えましたが、あまりに距離があるため撮影する気すら起きませんでした…
甲板上に座り込んでいるうちに訓練展示がすべて終了、引き続き観閲官である野田首相の訓示が行われます。
野田首相:「我が国をめぐる安全保障環境は、かつてなく厳しさを増していることは、改めて申し上げるまでもありません。(中略)領土や主権を巡る様々な出来事も生起しています」。

浅はかな見識と大甘な観測で尖閣諸島を国有化したために、領土や主権を巡る様々な出来事を勃発させた張本人は、野田首相あなたですよ! この訓示を聞いた海自隊員の皆様も、私と同じように心の中でツッコミを入れたに違いありません。
訓示が始まると同時に、それまで止んでいた雨が再び降り出しました。野田首相ってどんだけ雨男なんでしょうか…。日ごろの行い(=政治)が悪い報いとしか思えません。
野田首相が訓示を述べている間にも雨脚は強まり猛烈な風も吹いてきました。これはもう、神様が野田首相に対してブーイングをかましているとしか考えられません。航行する艦艇が完全に霞んでしまうほど視界不良になりました。

そんな事には気づかず、調子に乗りまくって演説する野田首相。ついには「五省」に言及するに至りました。
野田首相:「最後に、海軍の伝統を伝える『五省』を改めて諸君に問いかけます。至誠にもとるなかりしか。言行に恥づるなかりしか。気力に欠くるなかりしか。努力に憾みなかりしか。不精に亘るなかりしか」「諸君なら、この『五省』の問いかけを胸に、国を守るという崇高な使命を必ずや果たしてくれると信じます。常に国民に寄り添って、優しき勇者であり続けてくれると信じます」。
我が国の首相に対し失礼ではありますが、言わせていただきます。お前が言うんじゃねえよ!!(怒)

マニフェストに一言も記されていない消費増税に踏み切るという、至誠にもとり、言行に恥づるような行いをしている人が何を言っているのでしょうか。
野党に閣僚の不手際を追及され、解散に追い込まれるのを恐れて今日時点(10月14日)においても臨時国会を召集しないという、気力に欠け、不精に亘っている人が何を言っているのでしょうか。厚顔無恥にもほどがあるとしか言いようのない訓示です。もしかして野田首相は、ツッコミを期待して内容を決めたのでしょうか?
訓示終了後、艦上で拍手をする人は誰もいません。6日前、松下海将の挨拶の後に盛大な拍手が沸き起こったのとは対照的です。
ツッコミどころ満載の野田首相の訓示も終わり、艦隊は帰路に就きます。「はたかぜ」は、とうとう最後まで隊列に復帰することができませんでした。敢えて復帰しなかったのかもしれませんが…。

艦隊は帰投用の隊列を整えるのですが、雨によって艦艇は見事に霞み、猛烈な風によって甲板上に立っているのがやっとです。隊列形成という絶好の撮影チャンスなのですが、またしても雨と風がそれを阻みます。「あきづき」が撮影には格好の位置に来たのですが、ご覧のようなシケた画像になってしまいました…(涙)
まさか観艦式本番がこんな荒天になるとは…。3年前の前回と似たような天候ですが、視界の悪さは今回の方が上です。私は6日前の事前公開で晴天の観艦式を体験していますが、本番のみに参加する方々はさぞ残念な思いに駆られていることでしょう
帰路で「はたかぜ」に後続する「しらね」「くにさき」が後方に現れました。DDHと大型輸送艦という、普段はあまり見ることができない貴重な2ショットなのですが、これも雨によって台無しです(涙)

それにしても、この視界の効かない具合は最悪です。昭和18年のキスカ島撤退作戦を彷彿とさせる光景です。
この雨は寒冷前線の通過に伴うものなのでしょうか?雨と風に加え、猛烈な寒さも襲ってきました。雨と風と寒さ…海上において生命を危険にさらす三つの条件がすべて揃っています。私が乗っている船が護衛艦(軍艦)ではなく小型のボートだったら、遭難は確実な状況です。とりわけ風の強さは猛烈で、帽子があごヒモを付けていても飛ばされるほどでした。
「はたかぜ」が“難民船”と化すのも時間の問題のようです。
風雨に負けじと懸命に撮影をしている間に、甲板上にいた乗艦者は皆、艦内に避難してしまいました。ふと気づけば、甲板上で撮影しているのは私ひとりだけです。
これだけの雨と風と寒さです。甲板上で撮影している私の方が異常です。案内兼監視の乗組員から「本当に艦がお好きなんですねぇ」「海に落ちないように注意してくださいね」と、半ば呆れたように声を掛けられました(苦笑)

乗艦者が艦内に避難した直後は、甲板上には毛布が散乱していました。乗組員は雨に濡れながらも、散らばった毛布を一枚一枚畳みながら回収していきました。また、甲板上に置いていた私の荷物には、雨で濡れないよう毛布が被せられていました。このような乗組員の素晴らしい対応も含めて観艦式なのだと感じました。
トイレに行こうと艦内に入ったところ、そこには予想通り“難民船の光景”が広がっていました。風雨と寒さから逃れた乗艦者が通路にまで溢れかえっています。通行するには通路に座っている人を蹴飛ばさないよう、細心の注意が必要です。

長時間の航海の疲れもあるのか、皆さん一様にぐったりとしています。そんな乗艦者に配慮して、「はたかぜ」では士官室先任海曹室、さらには乗組員の居住区までも開放して、乗艦者の避難・休息スペースに充てました。
3年前の前回観艦式でもそうでしたが、荒天下の観艦式であってもお客さん(乗艦者)にいい思い出を残してもらおうとする乗組員の努力と配慮には頭が下がります。高い技量だけでなく、優しい心も持ち合わせているのが海自隊員なのです。
私は再び上甲板に戻りました。「最悪な観艦式本番になったぁ」と考えながら進行方向の海面を眺めていたら、直前を航行している「ひゅうが」が変針している姿が目に入ってきました。
強風の影響からか海上にはうねりが発生していて、「ひゅうが」はその巨体を傾けながら懸命に航行しているように見えます。

「ひゅうが」だけではなく、式本番に参加した艦は最悪な気象条件の下で、乗艦者を無事に港へ帰すべく懸命の航行を続けているのです。そして艦内では、乗組員が自分たちの休憩スペースさえ乗艦者に提供して長時間の航海を少しでも楽んでもらおうと努力している…。撮影には最悪な条件ばかりですが、乗艦者のために懸命に頑張る海自の姿を見ることができて、これはこれでいい観艦式なのではないかという気がしてきました。
私も最後の気力を振り絞って撮影再開です。幾分雨は弱まったものの、風は相変わらず猛烈です。
後方には「しらね」、さらに「くにさき」「あきづき」「せとぎり」と続いています。天候が天候なので一面鉛色のパッとしない絵ですが、なかなかいい雰囲気だと思います。こういう絵が撮れたりするから、雨だからといって艦内に避難できないんですよねぇ。

最後方を航行している「せとぎり」ですが、完全に霞んでいるにも関わらず、林立する2本のマストによって一目で「せとぎり」と分かります。「きり」型DD恐るべし!
逆に「あきづき」ですが、遠くから見るとずんぐりした変な形をしていますね。ヘリ格納庫上の巨大な構造物が、遠くから見た際に変な形に見える要因になっているようです。
午後4時過ぎ、観艦式終了から2時間半以上の航海を経て、艦隊はようやく横須賀に戻ってきました
我が「はたかぜ」は船越岸壁に向かうので、吉倉桟橋に戻る「しらね」とはここでお別れです。出港してから約8時間、ずっと「はたかぜ」の真後ろを航行していた「しらね」とのお別れは、一抹の寂しさを感じすにはいられません。次回の観艦式を待たずに退役する「しらね」ですが、来シーズンに母港・舞鶴または地方隊展示訓練でお会いできるのを切に願っています。

横須賀港の入口に米海軍の原子力潜水艦が停泊していました。我が国の潜水艦と比べて船体が格段に長いです。
海自の顔として就役から29年もの間横須賀を母港にしていた「しらね」と米海軍原潜の2ショット、とても横須賀チックな光景です。
午後4時25分、「はたかぜ」は船越岸壁に戻ってきました
既に「あさゆき」が入港を済ませ、「ぶんご」が曳船によって今まさに接岸しようとしています。「はたかぜ」は出港前と同様、「あさゆき」の横に目刺しで接岸します。考えてみれば出港から8時間半乗艦から9時間以上も「はたかぜ」の艦上にいるのですぇ。

振り返ると色んな事があった9時間でした…。
出港時には心を躍らせ、航海中は雨に撮影を阻まれ、受閲部隊の大回頭に大はしゃぎし、祝砲射撃時のカオスに溺れ、訓練展示が見えないのに愕然とし、野田首相の訓示にツッコミを入れ、風と寒さに震え、乗組員の乗艦者への配慮に感銘を受け…。ある意味、とても思い出深い観艦式本番となりました(笑)
「はたかぜ」の入港作業中、珍しい艦が船越に戻ってきました。
海洋観測艦「すま」です。
なぜこの時間に船越に戻ってきたかというと、実はこの「すま」も観艦式に参加していたのです。ただそれは、観閲部隊でも観閲付属部隊でも受閲部隊でもなく、支援部隊という形での参加でした。

支援部隊は横須賀を母港とする艦艇9隻で構成され、観艦式実施部隊や観艦式実施海域に他の船舶が接近しないよう警戒・監視を行いました。2回の事前公開と観艦式本番が、他の船舶との事故もなく無事に終わることができたのは、支援部隊のような“縁の下の力持ち”的な艦がいたからなのです。
「すま」をはじめとする支援部隊の9隻にも、心から敬意を表したいと思います。ご苦労様でした!
「すま」に続いて「やまぎり」も入港してきました。この「やまぎり」も支援部隊の1隻として観艦式の成功を陰から支えました。

練習艦から異例の再種別変更で護衛艦に復帰した「やまぎり」、艦番号が「3515」から「152」に戻り、母港も呉から横須賀に変わり、第11護衛隊の中核として頑張っています。
練習艦時代の名残で女性乗組員用の居住区を有していることから、同じく練習艦から護衛艦に復帰した「あさぎり」と共に、女性自衛官が勤務可能な護衛艦となっています。

今回の観艦式に「きり」型DDとして唯一参加している「せとぎり」は、今年度末に母港を横須賀に移し、第11護衛隊の一員として、この「やまぎり」と一緒に東日本沿岸の警備にあたります。
「はたかぜ」の入港作業が終了、下艦の順番を待っている間に日没となりました。自衛艦旗の降下を眺めながら、事前公開も含めた2012自衛隊観艦式が終了することを肌で感じました。

降ろされる自衛艦旗を前に、私はある強い決意を抱きました。
我が国の国益をこれ以上損ねないためにも、そして3年後の次回観艦式を晴天にするためにも、近く実施されるであろう総選挙では民主党政権を叩き潰さなければ…(笑)
次回の観艦式が自民党政権のもと、天候に恵まれることを心から願わずにはいられません。

観艦式本番の乗艦にあたっては、大阪在住のイコアン様から格段のご配慮をいただきました。ここに御礼申し上げます。

予報が外れて式本番はまさかの雨。野田首相は国民のみならず神様からも支持されていないようです。