2012自衛隊観艦式 〜展示・帰投編〜


艦艇部隊への観閲終了後、航空部隊への観閲そして訓練展示が行われました。
秋晴れの相模湾上で艦艇が躍動し、航空機が空を駆けた模様をご堪能ください。

航空部隊への観閲が始まりました。
今回の観艦式では、海自から哨戒機P-3C対潜ヘリSH-60Jなど21機が参加するほか、陸自からは輸送ヘリCH-47Jが3機、空自からは戦闘機F-15JF-2が3機づつ参加します。

私は“艦艇一本槍のマニア”なので航空機には全く興味がありません。前回の観艦式では航空部隊への観閲シーンは1枚も撮影しなかったほどです。というか、撮影しようにも空を飛ぶ航空機を撮影する技術がありませんでした…(苦笑)
それから3年が経ち、私も今では航空機を撮影する技術を多少なりとも身に付けたので、ここに数枚の画像とともに航空部隊の観閲シーンをご紹介いたします。
相模湾上に轟いたエンジン音・ローター音を感じてください!
受閲航空部隊指揮官である航空集団司令官・畑中海将が搭乗したUP-3Cに続いて、対潜ヘリSH-60J救難ヘリUH-60Jによる5機編隊が飛来しました。

SH-60Jは、マニアには説明不要なほどお馴染みの機体ですね。SH-60Kの登場で一世代前の機体となりましたが、まだまだ対潜作戦の第一線で頑張っています。
赤い塗装が目を引くUH-60Jは、洋上救難等で活躍する“海の男たちの命綱”とも言える存在です。
両機ともに米・シコルスキー社が開発、自衛隊が日本向けに改良、三菱重工でライセンス生産しています。UH-60Jは空自でも導入されていますが、海自仕様の方が重量が100kg重くなっています。
こちらは掃海・輸送ヘリMH-53Eの3機編隊です。
機雷掃海と輸送用の大型ヘリコプターで、小型艦艇を曳航することができるほどの強力な馬力を誇ります。米・シコルスキー社製で、三菱重工がメンテナンスを請け負っています。

1989年に導入が開始され、現在の保有機数は7機。全機が航空集団直轄第111航空隊(岩国)に所属し運用されていますが、耐用年数が近づいていることから英伊共同開発のMCH-101が後継機に選定され、2006年から今春までに5機が調達されています。
そのMCH-101ですが、MH-53Eの直前に3機編隊で飛来しました。大柄なMH-53Eとは対照的に、随分とスマートな印象を受ける機体でした。(観艦式画像集を参照!)
海自航空部隊を代表する機体がこれ。もはや説明不要なくらいの存在であるP-3Cです。かつては「対潜哨戒機」と呼ばれていましたが、対潜作戦だけでなく不審船対策等の幅広い警戒監視を担うことになったため、現在は単に「哨戒機」と呼ばれています。

海自はピーク時(1997年)に101機を保有し、米国(200機)に次ぐ“P-3C王国”となっています。現在は20機ほど削減され78機となっていますが、依然として“王国”の地位を保っています。
その優れた汎用性・拡張性により、任務から外れた20機はOP-3C(画像情報収集機)やEP-3(電子戦機)、UP-3C(装備試験機)、UP-3D(電子戦訓練支援機)に改造されました。
老朽化により2009年から退役機が出始めており、後継機には国産機・XP-1が決定、現在試験飛行が行われています。
航空部隊への観閲が終了、引き続き受閲部隊の艦艇により訓練展示が実施されるのですが、展示実施艦の準備が整うまで観閲部隊・観閲付属部隊各艦は、そのままの隊列で航行を続けます。
「あたご」の後方を最新鋭DD「あきづき」が航行しています。「あきづき」は受閲部隊の艦ながら訓練展示を行わないので、観閲部隊殿艦の「あたご」に後続、以降、観閲部隊と行動を共にします。

16年ぶりのDDのフルモデルチェンジということで大きな注目を集めている「あきづき」ですが、猫をあしらった可愛らしい部隊マークも大きな反響を呼んでいます。“潜水艦とミサイルを捕獲する艦隊の猫”たらんとする「あきづき」ですが、航行している姿が獲物を追いかける猫に見えてくるから不思議です(笑)
午後12時25分、観閲部隊と観閲付属部隊の各艦が順次180度回頭し訓練展示用の隊列を形成します。
←は回頭する観閲付属部隊の艦、「あすか」「てんりゅう」「やまゆき」です。またしてもモロに逆光です…(涙)○| ̄|_

我が「あたご」が所属する観閲部隊も先導艦「きりさめ」を皮切りに順次回頭、これまでとは逆方向(東向き)へ航行しながら訓練展示実施艦とすれ違います。
訓練展示実施艦は観閲部隊の左舷側を航行します。という事は、訓練展示は順光で撮影できるのです!(^o^)
今回の観艦式では、展示実施艦は観閲部隊と観閲付属部隊の間を航行せず、観閲部隊と観閲付属部隊が二列になって航行する左舷側を通過しながら展示を実施します。
私が乗る「あたご」も変針点に到達、船体を傾けながら左回頭し180度向きを変えます。
後続する猫ちゃん 「あきづき」も左回頭を実施したのですが、その際素晴らしいハプニング、というか奇跡が起こりました。
回頭する「あきづき」の背後に富士山が現れたのです!


名峰・富士山と波しぶきを上げながら荒れた海を航行する最新鋭護衛艦の組み合わせ…あまりにも素晴らしい構図なので感動で手が震えました。まさか海上から富士山が見えるとは…。
神様が私たちマニアに与えてくれたプレゼントですね!あるいは、富士山も海自を応援しようと、周囲の雲を払いのけて顔を覗かせたのかもしれません。
訓練展示の第一幕は祝砲発射です。
「はたかぜ」「しらね」が航行しながら祝砲を発射、「パァーン」という射撃音とともに5インチ砲の砲身から白煙があがります。
祝砲が発射されるたびに、「あたご」艦上では「おぉ〜」というどよめきカメラのシャッター音がこだまします。

観艦式の祝砲発射は、かつては4隻もの艦を使って実施していましたが、近年深刻化している艦艇不足や5インチ砲搭載艦の減少により、3年前の前回から2隻での実施となりました。
残念なことに、祝砲用の砲弾は5インチ砲用の物しかないことから、5インチ砲搭載艦が年々減少している状況においては、祝砲の発射自体が近い将来無くなってしまう可能性があります。
「はたかぜ」に後続する「しらね」も祝砲を発射します。
祝砲発射ですが、先頭を航行する「はたかぜ」が観閲艦「くらま」の艦橋露天部に立つ観閲官から60度の角度に達した時に初弾を発射します。その後、40秒間隔で合計5発を射撃します。

祝砲はほんの僅かなズレもない見事な同時射撃。艦艇が正確な位置で、寸分違わぬタイミングで同時に主砲を撃つことは至難の業で、それを見事にやってのけた「はたかぜ」と「しらね」に技量の高さを感じました。日ごろの猛訓練の賜物と言えるでしょう。
当HPの閲覧者で今年の春に海自に入隊したもびうすさんが、教育隊修了後「しらね」に配属されており、主砲員としてこの祝砲発射を担当しました。もびうすさん、見事な祝砲でしたよ!
ボフォース搭載艦の全隻退役により、ボフォース対潜弾の発射に代わって新たに導入された展示が第二幕。「たかなみ」「おおなみ」「はるさめ」による戦術運動です。
3艦が航行しながら同時に進行方向を変えるという内容なのですが… ものすごく地味な展示だ…(汗)
恐らく、観閲艦「くらま」からよく見える位置で進行方向を変えたのだと思いますが、観閲部隊最後尾に位置する「あたご」からは単に3隻が順序良く航行しているだけにしか見えません…(苦笑)

けたたましく轟音と煙を発し、弾着時に激しく水柱が上がっていたボフォースの発射展示と比較するとかなりのスケールダウン。色々と問題や障害があるとは思いますが、アスロックの発射を展示してみても良かったのではないでしょうか?それも地味かなぁ…。
第三幕は、潜水艦によるドルフィン運動(潜航浮上)です。
「けんりゅう」「いそしお」「わかしお」の順に9ノットで航行しながら展示を行うのですが、「けんりゅう」は浮上したままの航行(セイルパス)のみで、実際にドルフィン運動を行ったのは「いそしお」「わかしお」の2隻です。

「けんりゅう」(「そうりゅう」型)はコンピュータ制御の最新鋭艦であるため、急速な潜航と浮上で艦に負荷をかけると艦内のハイテク機器がぶっ壊れてしまうことを憂慮してドルフィン運動をせず、セイルパスのみになったと考えられます。
一方、「いそしお」(「おやしお」型)も艦内の機器に悪影響を及ぼすとしてドルフィン運動は控えられていましたが、一世代前の艦となったためか、今回ついにドルフィン運動が解禁となりました。
「わかしお」(「はるしお」型」)は、「そうりゅう」型や「おやしお」型ほどのハイテク艦ではないので、過去の観艦式では、空を飛ぶのではないかと思わせるほどのド派手なドルフィン運動を展示してきました。ただ、この「はるしお」型は退役が進んでいて、現役でいるのは3隻のみ。“絶滅”も時間の問題となっています。
「はるしお」型の派手なドルフィン運動も、数年後には見ることができなくなる恐れがあります。

「いそしお」と「わかしお」ですが、恐らく観閲艦「くらま」の前で浮上したのか、我が「あたご」と反航する時には完全にセイルパスになっていました。過去の観艦式では潜航と浮上が3回繰り返され、隊列の後方にいる艦からでも潜ったり浮上する様子がよく見えたのですが…。安全性の観点から回数を減らしたのでしょうか?
訓練展示第四幕はヘリコプターの発艦です。対潜ヘリSH-60K「いせ」から2機「あさゆき」から1機発艦しました。
「いせ」と「あさゆき」は、当初は単縦陣で観閲部隊の左舷側500ヤードの位置を反航していましたが、ヘリ発艦時は艦首を風に向ける必要があることから右に大きく転舵、観閲部隊に艦尾を向ける態勢でヘリを発艦させました。

もし仮に、風が観閲部隊がいる方向から吹いている場合、艦首が観閲部隊側に向くよう転舵しようものならたちまち衝突の恐れがあることから、この場合は発艦の展示は中止となります。
発艦したのは館山基地所属の機体で、発艦後は観閲部隊の左舷上空を90ノットの速力でフライパスして行きました。
続いて第五幕、補給艦による洋上給油です。
展示を行ったのは海自最大の補給艦「ましゅう」「はるゆき」「せとぎり」の3隻。「ましゅう」が「はるゆき」と「せとぎり」の両方に給油するのかと思ったのですが、給油を受けるのは「はるゆき」のみで、「せとぎり」はその後方で護衛・警戒にあたる役でした。

2002年から8年間に渡って実施されたインド洋での補給活動で、海自補給艦は数多くの他国海軍の艦艇に洋上給油を行いました。その際、海自補給艦の技量の高さは各国海軍を驚かせ、賞賛を浴びました。この「ましゅう」はインド洋への派遣は4回でした。
ちなみに、「とわだ」型補給艦の3隻(「とわだ」「ときわ」「はまな」)は、派遣回数が実に7回にも達しました
第六幕はLCACの高速航行です。輸送艦「くにさき」から発進したLCAC2隻が、40ノットの高速で駆け抜けて行きました。
海自は現在6隻のLCACを保有しており、今回の観艦式に参加したのは、2000年度に調達された5号艇(LCAC-2105)と6号艇(LCAC-2106)です。
かつては「おおすみ」型各艦の搭載艇という扱いでしたが、2004年に自衛艦に昇格、6隻による第1エアクッション艇隊が新編されました。これにより各艇の練度管理がスムーズになったほか、高練度の艇が適宜「おおすみ」型各艦に派遣されるようになりました。

LCACの最高速力は40ノットですが、これは物資満載時の場合で、何も積んでいない状態では50ノットまで出すことができます。実はミサイル艇よりも速いのです。ホバークラフト、恐るべし!
第六幕は、観艦式ではもはや不可欠な展示とさえ言えるミサイル艇の爆走です。担当するのは「くまたか」「しらたか」です。
3年前の観艦式本番ほどではありませんが、この日も波が高いので、ミサイル艇も船体を上下左右に揺らしながら激しく水しぶきをあげて爆走します。

2隻は先導艦「ゆうだち」の左舷前方45度、距離1000ヤードの位置でIRデコイを発射。そのあと観閲部隊の左舷側を駆け抜けたのですが、「あたご」は観閲部隊の最後尾なので、残念ながらIRデコイの発射シーンは見えませんでした。
昨年7月にあった舞鶴地方隊展示訓練のように、高速で航行しながら何度もIRデコイを発射してくれたらよかったのですが…。
2隻のミサイル艇は観閲部隊の左舷側を通り過ぎたあと180度反転、今度は観閲部隊と観閲付属部隊の隊列の間を爆走します。まさにやりたい放題、大暴れです(笑)
この日は風も強かったので、ミサイル艇が巻き上げた水しぶきが激しく飛び散っている様子にご注目!

前型式の「ミサイル艇1号」型は水中翼船タイプで、荒れた海での運用には不向きでしたが、この「はやぶさ」型は半滑走型船体を採用し、高速性と堪航性を考慮して艦首水線下の構造を工夫するなどして、荒れた海でも十分行動できる艇になっています。
ただ、どんなに工夫しても揺れは解消できず、艦内のすべてのイスにシートベルトが付いているほか、艦橋と居住区は揺れが多少軽減される船体中央寄りに配置されています。
ミサイル艇が走り去ったあと、突如、観閲部隊の左舷後方に激しい水柱が立ちました。これが展示第七幕、P-3Cによる150kg対潜爆弾の投下です。
2機のP-3Cが飛来し、高度200フィートから500ヤード間隔で各機4発の爆弾を投下しました。「爆弾を投下中のP-3Cの画像は撮ってないの?」などとは、口が裂けても言わないでください(笑)

対潜爆弾は、言うまでもなく潜水艦攻撃用ですが、1999年の能登半島沖不審船事案では警告用に使用されました。確かに、これだけの水柱が上がれば警告・脅しには効果がありそうです。
爆発の衝撃と水圧は凄まじく、約1000ヤード離れている「あたご」の船体にも、「スコーン」という音とともに衝撃が伝わってきました。
いよいよ訓練展示のクライマックス、P-3CによるIRフレアの発射です。P-3Cの機体下部から発射されたIRフレアは鮮やかなオレンジ色の光を発しながら落下、抜けるような秋空をキャンパスにして幻想的で美しい放物線が描かれました

IRフレアは、機体が赤外線誘導ミサイルに追尾されている際に命中を回避するための欺瞞兵器で、見た目の美しさとはうらはらに非常に切羽詰った場面で使用される物です。
3年前、IRフレアの発射シーンをものの見事にハズした私ですが、その後の練習の甲斐あって、今回は見事に発射の瞬間を捉えることができました♪ 右側の翼からは今まさにフレアが発射されようとしていますが、こうして見るとエンジンが被弾して炎上しているみたいです…(苦笑)
訓練展示のラストは救難機US-2による離着水です。
プログラムによるとUS-2とUS-1Aが飛来するはずなのですが、事前公開(予行練習)のためか、やって来たのはUS-2のみ。しかも残念ながら波浪のため着水は中止され、低空飛行でフライパスしたのみでした。う〜ん、残念…○| ̄|_

今回の観艦式に参加しているUS-2は5号機で、今年納入されたばかりのおNewな機体です。
US-2は低視認性を考慮した濃緑色の洋上迷彩が採用されていて、その色と形は帝国海軍の二式大艇を彷彿とさせます。製造しているのが二式大艇を造った会社の後身(新明和工業)ですから、間違いなくUS-2は二式大艇の血を引いていると言えます。航空機に興味のない私ですが、このUS-2だけは萌えを感じます(笑)
午後1時15分、訓練展示が終了。艦艇は観閲部隊・観閲付属部隊・受閲部隊(一部)という三列の陣形で、しばらくの間航行します。

観艦式本番ならば、ここで観閲官である内閣総理大臣の訓示が行われますが、事前公開ということで訓示はなく、代わりに自衛艦隊司令官・松下海将の挨拶がありました。
松下海将は、事前公開への来場を歓迎する言葉を述べたあと、ソマリア沖アデン湾での海賊対処や日本周辺の海域で、隊員が海上防衛のために日夜訓練や任務に励んでいることを紹介、乗艦者に対し海上自衛隊への理解と支援を呼びかけました。

艦隊を率いる司令官による真摯な言葉が「あたご」乗艦者の心を打ったのか、挨拶終了後には盛大な拍手が湧き起こりました
「あたご」艦上で湧き上がった拍手は、この観艦式(事前公開)を通じて、乗艦者の海自への理解がより一層深まったことの表れではないでしょうか。さらに、竹島問題や尖閣問題によって国民の海上防衛の意識が高まっていて、海自への期待感が拍手となって表れたとも考えられます。
観艦式の最大の目的である「国民の海上防衛に対する理解の醸成」という点においては、今回は大成功だったと私は考えます。

さて、艦隊は帰路に付きます。全艦が浦賀水道に向けて変針したあと、入港する順番に従って隊列を組み直します。
隊列を組み直すシーンも絶好の撮影のチャンスであり、その意味では、港を出港して帰投するまでが観艦式と言えるでしょう。
私が乗ってる「あたご」の直後には「はるさめ」が航行しています。「あたご」の2隻前を航行していた「ひゅうが」は減速、「あたご」と「はるさめ」を先に行かせて「はるさめ」の後ろに占位します。
さらに「ひゅうが」の後ろには、「はたかぜ」「しらね」「くにさき」「はるゆき」「あきづき」「せとぎり」と続きます。

直後を航行する「はるさめ」ですが、横須賀の艦であるとはいえ、何故か西日本・九州方面に来航する機会がなく、私にとっても撮影機会に恵まれない艦のひとつだっただけに、航行シーンを撮影できるのは本当に嬉しいものがあります♪
一方、「ひゅうが」ですが、「妹(いせ)ばかりに熱を入れないで、私も撮影してよ!」と言わんばかりに、この日はやたらと私の近くを航行してくれました(笑)
「あたご」の前方は←な感じで艦が航行しています。直前は「ぶんご」が航行しているのですが、画像には写っていません。
「ぶんご」の前には「おおなみ」、さらにその前には「いせ」「あさゆき」がいます。浦賀水道航路は一列になって航行しなければならないため、「あさゆき」の前には貨物船が紛れ込んでいます

帰りの隊列ですが、駐在武官やVIPを乗せた先導艦「ゆうだち」が先頭に立ち、続いて観閲艦「くらま」が続きます。つまり、偉い人たちを早く帰してあげようという訳です。続いて遠距離の木更津港に戻る艦、そのあとは横浜・横須賀・横須賀新港行きの艦が、桟橋・岸壁から近い位置に停泊する順に航行します。
我が「あたご」は、横須賀・吉倉桟橋Y-2バースの最も外側に停泊するので、隊列のかなり後ろの位置にいるのです。
艦隊は帰りの浦賀水道航路を抜けました。ここからは帰投する港に応じて、艦艇が順次隊列を離れていきます
まずは浦賀水道航路を抜けた直後、横浜・大桟橋に戻る「ひゅうが」が右に変針して隊列を離れました。この日、私に撮影してもらおうと(?)「あたご」の近くを頻繁に航行した「ひゅうが」ですが、それでもまだ足りないと思ったのか、14日の観艦式本番でも私の近くを頻繁に航行することになります(笑)

この後しばらくして横須賀新港に戻る「はるさめ」「おおなみ」が左に変針して隊列を離れ、さらに横須賀直前では船越岸壁に戻る「ぶんご」「はたかぜ」が離脱しました。
皆さん、6日後の観艦式本番でまたお会いしましょうね!
日も暮れ始めた午後4時15分、「あたご」が横須賀・吉倉桟橋に入港しました。この時には既に「ゆうだち」「いなづま」「くらま」、そして「いせ」が入港を済ませていました。

観艦式初参加となる「いせ」ですが、観閲時には広大なヘリ甲板を一糸乱れぬ美しい登舷礼で飾り、訓練展示時には対潜ヘリをスムーズに発艦させるなど、初の晴れ舞台を見事にこなしました。吉倉桟橋に停泊する姿は、大役をまずは問題なく務めあげた安ど感が漂っているように見えます。
惜しむらくは、艦を指揮する艦長が星山一佐ではなかったこと(8月1日付で異動)。「いせ」に心血を注いで素晴らしい艦に仕上げた星山一佐に、艦長として観艦式に参加して欲しかったです。
「あたご」は曳船に押されて180度向きを変え、後進しながら「いなづま」の左舷側に目刺しで停泊します。
「あたご」が180度向きを変えた時、吉倉桟橋のY-3バースに接岸している観閲艦「くらま」が目に飛び込んできました。海自艦艇の頂点に立つ観閲艦「くらま」が、夕日に照らされながら佇んでいる姿はとても神々しく、近寄りがたいほどの威厳を感じました。

この威厳は長らく海上防衛の第一線に立ち続け、幾多の試練と困難をくぐり抜けたベテラン艦であるが故に醸し出せるものではないかと、私はこの時感じました。
「あたご」型や「ひゅうが」型など新鋭の大型艦が就役しても、「くらま」が観閲艦を務め続ける理由が何となく分かった気がします。
恐らく、3年後の次回も「くらま」が観閲艦ではないでしょうか。
「あたご」は「いなづま」の左舷側に接舷しましたが、下艦用ハシゴの設置といった作業があるためすぐには艦を降りることはできず、しばらくの間は甲板上で作業が終わるのを待ちます。その間にも、「あたご」に後続していた艦たちが続々と入港して来ます。

午後4時半前、「あたご」に続いて入港して来たのは「しらね」です。こちらもベテラン艦の貫録と言うのでしょうか、夕日に照らされて入港する姿は威風堂々。「祝砲は上手く撃てたぜぇ。本番でもキメるぜぇ」と言っているようです(笑)
さらにこの15分後には「あきづき」が入港、30分後には「せとぎり」が入港して来ました。ここまでくるともうお分かりですね。朝の出港時とは逆の順序で艦が港に戻って来るのです。
「あたご」から降りるための準備が整いました。とはいえ、700人も乗っているのですから下艦用のハシゴの前には長蛇の列、並んでまで早く降りても仕方がないので、私は甲板上から続々と入港してくる艦たちを撮影しました。

午後5時10分、殆どの乗艦者が艦を降りてしまったので、さすがにこれ以上残っていては艦に迷惑がかかると思い艦を降りました。
下艦用のハシゴの横には艦長の山脇一佐(奥にいる金線4本の幹部)がいるではありませんか!山脇艦長は700人もの乗艦者ひとりひとりに「ご乗艦ありがとうございました」と声をかけています。
私は艦長に「素晴らしい観艦式をありがとうございました」とお礼を述べて艦を降りました。その言葉は艦長のみならず、困難を乗り越え晴れて観艦式に参加した「あたご」への感謝の気持ちでした。
私が吉倉桟橋に降り立ったちょうどその時、日没となりました。
ラッパ譜「君が代」が吹奏されるなか、自衛艦旗が降ろされます。
私はこの光景を数枚撮影したあと艦旗に向かって姿勢を正し「海自隊員の皆様、本日は本当にご苦労様でした」と心の中でつぶやきました。
この日は事前公開ということで、実施側の海自にとっては上手くいかない点があったり本番に向けての課題が浮かび上がったりしたのでしょうけど、全体的には非常に完成度が高く、かつ、例年以上に乗組員の気合が伝わってくる観艦式でした。この精強さが風雲急を告げる対中関係の抑止力となることを確信しました。

今回の乗艦にあたっては、山梨県在住のウェーバー大佐様から格段のご配慮をいただきました。ここに御礼申し上げます。

事前公開から技量の高さを見せつけた“我が海軍”。中国の指導者様、これを見ても日本と事を構えますか?