伊勢湾マリンフェスタ‘10〜名古屋港編


伊勢湾マリンフェスタの前日、2代目南極観測船(砕氷艦)「ふじ」が保存展示されている名古屋港に行ってみました。

私にとって2010年最大の遠征が伊勢湾マリンフェスタです。
開催日前日の8月20日に名古屋入りしたのですが、せっかくの機会なので砕氷艦「ふじ」が保存展示されている名古屋港に出かけました。

地下鉄名港線の終点・名古屋港駅で下車すると目の前はもう名古屋港ガーデン埠頭です。その名の通りたくさんの緑の木々で覆われた美しい埠頭です。倉庫やフェンスが立ち並ぶ一般的な埠頭とは全く趣が異なります。

木々の合間からオレンジ色の船体が見えます。
あれが砕氷艦「ふじ」かぁ?さすが砕氷艦、かなりの大きさです。心を躍らせながら近づいてみると…。
何と!そこにいたのは現役の砕氷艦「しらせ」でした(汗)
隣には「うらが」、後ろには「こんごう」もいます。あれれ…。

実は、名古屋港は伊勢湾フェスタに参加する艦艇のうち「こんごう」「うらが」「しらゆき」の出港地点だったのです。「しらせ」は体験航海には参加しませんが、この場所で一般公開を行います。
甲板上では乗組員が作業を行っているので、20〜30分前に入港したばかりのようです。

考えてみれば、「しらせ」「こんごう」「うらが」は以前から私とは縁が深い艦たちです。名古屋でばったり出くわすなんてやっぱり人と艦の相性ってあるんですねぇ…。
で、お目当ての「ふじ」は何処にいるのかな…?

キョロキョロと周辺を見回しながら「しらせ」から約90度左に身体を向けた時、埠頭の奥まった場所にオレンジ色の小さな船が係留されているのが目に入りました。
もしかしてあれが「ふじ」?小さぁ!!

「しらせ」を見た直後だからそう感じるのかもしれませんが、それにしても小さい!予想をはるかに超える驚きの小ささです
南極の厚い氷をぶち割る砕氷艦です。そんなに小さいはずがありません。本当に「ふじ」なの?
半信半疑でこのオレンジ色の小さな船のもとに駆け寄りました。
その小さな船は紛れもなく砕氷艦「ふじ」でした。
私の第一印象、「よくこんな小さな艦で南極に行ったなあ…」

「ふじ」は1962(昭和37)年から中断していた南極観測を再開するために建造された海自初の砕氷艦で、1965(昭和40)年に就役しました。基準排水量5250t全長100m最大幅22mで、就役当時は最大の自衛艦であり、先代の南極観測船「宗谷」から2倍の大きさとなりました。

観測再開のため緊急に建造された艦で、驚くべきことに起工からわずか1年あまりで就役しました。当時「ふじ」に対する国民の期待は大きく、進水式の支綱切断は美智子皇太子妃(現皇后さま)が行いました。
「ふじ」は就役からわずか4ヵ月後の昭和40年11月に第7次観測隊を乗せて南極への処女航海に出ます。以後18年間、南極への観測隊員と物資の輸送任務に携わり、第24次観測隊を日本に帰国させた昭和59年4月に退役します。

名古屋港には翌年の昭和60年8月に係留され、今日まで博物館として過酷な自然の中で続けられてきた南極観測の歴史を伝える任務に就いています。

入場料は大人300円小中学生200円で、営業時間は午前9時半から午後5時までとなっています。
乗船口から艦内に入るとそこは科員食堂です。
「ふじ」は博物館化されるにあたって、科員食堂の右舷側の壁をぶち抜いて乗船口(=入口)を設けています。

「ふじ」の巨大な模型が展示してあったり、職員の事務室があったりと幾分手が加えられているものの、現役当時の科員食堂の雰囲気がそのまま残っています
科員食堂は幹部とCPOを除く「ふじ」乗組員と観測隊員の食堂です。また南極で迎えるお正月には、獅子舞などの新年祝いの行事もここで行われていました。

奥の配膳口に白い作業着を来た人影が見えます。誰かいるのかなと近づいて覗き込んだら…。
人影に見えたのは精巧にできた給養員の蝋人形でした(汗)
この人形が恐ろしくリアルにできていて、不気味な雰囲気をも醸し出しています。
配膳口をのぞき込んだ瞬間、この人形と目が合ってしまい、驚きとあまりの不気味さに卒倒してしまいました(苦笑)

「ふじ」に乗船したほとんどの人が、私のように配膳口を覗き込むのですが、途端に人形と目が合い、「うわっ!」とか「げっ!」とか「気持ちわるっ!」という散々なリアクションでした。

「ふじ」見学の最初にして最大のヤマ場と言えます(笑)
皆さんもぜひご体験を!
艦内は大部分が現役当時のままの状態で保存されており、一部が当時の状況を正確に再現する形で公開されています。
←は士官私室です。中にいる幹部はもちろんリアル蝋人形です。

「ふじ」には艦長を除いて幹部が33人配置されていて、2人で1部屋の私室を使用していました。「ふじ」には予備も含めて17の士官私室があり、画像は第13士官私室です。

今にも動き出しそうなリアルな蝋人形に加え、雑誌や筆記用具、洗剤など室内の小物も退役直前の昭和58年頃のものを置いており、この博物館がストイックなまでにリアルさを追及していることが感じられました。
観測隊員の私室(第12観測隊員室)です。
洗濯物が干してあったり、手袋やスリッパが散らばっていたりと、こちらもリアル感満載です。

「ふじ」には観測隊長以下35人の観測隊員を収容することができますが、隊長以外は2人で1部屋を使用していました。
折りたたみ式の机や2段ベッド、ソファーなど部屋の備品とその配置は現在の「しらせ」とほぼ同じです。

現在の観測隊員は、空路でオーストラリアのフリーマントルに渡り、そこから「しらせ」に乗船しますが、「ふじ」が現役の頃は出港地である晴海ふ頭から乗船し、乗組員と共に長く過酷な航海に耐えていました。
こちらは医務室

診察を行う医官と患者の乗組員の人形に加え、室内には診察用の機器や薬品などが多数置かれ、現役の自衛艦の医務室のような雰囲気です。
リアルさの追求もここまで来るとお見事と言うしかありません。

南極への航海は5ヶ月以上の長期間に及ぶため、医務室には高度な手術にも対応できる機器が置かれていたほか、レントゲン室入院用のベッドも備えられていました。
航海中、急性の盲腸炎になる乗組員がたまにいて、艦が猛烈に揺れまくる中で盲腸の手術が行われたこともあったそうです。
艦の頭脳かつ心臓部である艦橋です。
「ふじ」の敵は南極の分厚い氷と、航海の途中で遭遇する猛烈な時化の海ですから、艦橋は艦長をはじめとする乗組員がそれらの敵と直接対峙する場と言えます。
荒れ狂う海の中で懸命に操艦する艦長や乗組員の姿が瞼に浮かんできました…。

45年前に建造された艦なので、艦橋にある航海用の機器もレトロな物ばかり。古色蒼然とした雰囲気に時代を感じました。
また、現役の「しらせ」とは比べ物にならないほど狭く、見学に訪れていた「しらせ」の幹部がその狭さに驚いていました。
「しらせ」の異様に広い艦橋で勤務していたら、この「ふじ」の艦橋がさぞ狭く感じたことでしょうね。
この豪華な内装の部屋は士官室です。
現在は「ふじライブラリー」として、南極に関するビデオの上映を行っているほか、南極に関連する書籍が置かれています。
私が訪れた時には、おととし退役した先代「しらせ」の最後の任務・航海を撮影したビデオが上映されていました。

この士官室も現役当時の雰囲気がそのまま残っていますが、実は置かれている椅子は「ふじ」の物ではなく、先代「しらせ」の士官室にあった椅子です。

部屋の手入れが良く行き届いていて、現役の自衛艦の士官室と見間違うほどの綺麗さです。
今ではテレビの報道番組が南極観測を報じることは殆どありませんが、私が小・中学生の頃はNHKニュース等で盛んに報じられていました
「ふじ」も南極に向けて航行する様子が度々ニュース映像で紹介されていたので、私にとっては南極観測船(砕氷艦)=「ふじ」と言えるくらいの馴染み深い艦なのです。

今でもはっきりと覚えているのが、「ふじ」が南極のぶ厚い氷に行く手を阻まれて動けなくなったというニュース。それがほぼ毎年のように報じられていた記憶があります。
調べてみたら、「ふじ」は18回の航海のうち昭和基地に接岸できたのは僅か6回のみ。3分の2にあたる12回は途中で動けなくなり、そこから人員と物資を空輸せざるを得なかったのです。
初代砕氷艦「ふじ」(左)3代目砕氷艦「しらせ」(右)の新旧砕氷艦が一枚に収まった歴史的な画像です(笑)

生涯でわずか6回しか目的地(昭和基地)に辿り着けなかった「ふじ」は、南極の厚い氷との悪戦苦闘を余儀なくされた苦難の人生だったと言えるでしょう。
南極への航海は船体にかかる負担が大きいとはいえ、僅か18年で生涯を終えざるを得なかったのは、急造艦ゆえに砕氷能力が十分でなかったのが主因と考えられます。ある意味、「ふじ」は悲劇の艦・不運の艦とも言えます。
しかしながら、「ふじ」の運用で得た教訓は後継の砕氷艦に生かされており、その意味では「ふじ」は南極への輸送任務を大きく進歩させる礎となった名艦と言えるのではないでしょうか。
ここで少し名古屋港をご紹介!
訪れているのは、美しい緑の木々に囲まれたガーデン埠頭という場所ですが、そこには樹木だけでなく様々な施設があります。

←に見える建物は名古屋港水族館です。
イルカのパフォーマンスがつとに有名ですが、ウミガメやペンギンの繁殖・研究・保護で大きな成果を残している国内屈指の研究機関でもあります。
背後に見える観覧車は名古屋港シートレインランドという遊園地です。ほかにもレストランやショップが入居した商業施設があり、一帯は港と言うよりはウォーターフロントのレジャー施設・観光地といった雰囲気です。
名古屋港ガーデン埠頭のシンボル、名古屋港ポートビルです。
1984(昭和59)年に開館した高さ63mの高層ビルで、その独特な形は海に浮かぶ白い帆船をイメージしたものです。

1階には休憩所や案内所、2階にはレストランや会議室があるほか、3階と4階部分は名古屋海洋博物館となっています。
海洋博物館は名古屋港の歴史港湾を支える技術コンテナや物流の重要性などを説明する展示を中心としたとてもユニークな博物館です。

地上から53mの位置にある7階部分は展望室となっており、名古屋港一帯や名古屋市街地を一望することができます。
ポートビルの7階展望室に昇ってみました。(入場料300円)
名古屋港や名古屋市街地を一望できる眺望は素晴らしいのですが、私にとっては埠頭に接岸している艦艇を見下ろすアングルで撮影できるのが最高です♪

「しらせ」「うらが」がビルのすぐそばに接岸しているので、ご覧のように空撮したかのような魅力的な姿を撮影できました。
それにしても「しらせ」の船体幅の広いこと!!
「うらが」もかなり幅広の船体なのですが、「しらせ」の隣だと巡洋艦のようなスマートな船体に見えてしまいます(笑)
「しらせ」の船体はこのくらい巨大でなければ、南極の氷は割れないのですねぇ。小さな船体の「ふじ」が苦労したのも頷けます。
こちらは「しらせ」の後方に接岸している「こんごう」
まるで模型のジオラマを見ているかのような素敵な一枚です♪

「こんごう」は佐世保籍の艦であるにも関わらず、横須賀地方総監部のお祭りである伊勢湾フェスタで観閲艦を務めます。マストには横須賀地方総監・高嶋海将の将旗が翻っています。

本来ならこの役は「きりしま」が担当するのでしょうが、この頃「きりしま」はBMD能力を付与するための改装工事に入っていたため、「こんごう」にお鉢が回って来たものと思われます。
「こんごう」は去年、おととしと地元の体験航海で乗艦しており、3年連続で夏のイベントでご対面したことになります。去年落語ばりの名調子で艦内を案内してくれた水雷長さん、まだいるかなぁ?
「こんごう」が接岸している埠頭は、ご覧のような美しい庭園が広がっています。ガーデン埠頭という名称の由来となったガーデン埠頭臨港緑園です。

樹木や芝生が広がる美しい緑地で、噴水や子供向けの遊具もある市民の憩いの場です。この日も公園内を散歩する人が多くいたほか、元気に遊ぶ子供たちの歓声が園内に響いていました。

護衛艦が接岸するような埠頭は、殺風景なコンクリートが一面に広がっていたり、倉庫が林立していたり、SOLAS条約によるフェンスで囲まれていたりするのが普通なので、名古屋港のこの美しさは撮影する手を休めて見入ってしまったほどです。
「しらせ」や「こんごう」が接岸している場所から少し離れた埠頭に「しらゆき」が接岸しています。

私はこの20日前に東京・晴海埠頭で、埼玉地方協力本部が主催する体験航海に参加している「しらゆき」を撮影したばかりです。僅か20日で再会するなんて、「しらせ」「うらが」「こんごう」と同様に私とは縁がある艦なのですね

「しらゆき」が所属する第11護衛隊は、「はつゆき」が退役し、さらに「さわゆき」が遠洋練習航海に随伴しているとあって、「しらゆき」は7月から8月にかけてほぼ毎週何処かでイベントに参加していました。さらに横須賀在泊中はテレビ番組の取材も受けるなど、まさに2010年夏のMVP艦です。
夢中で撮影しているうちに、いつしか日が傾いていました。
午後1時過ぎにガーデン埠頭に着いてから、炎天下にも関わらず5時間近くも撮影していました。我ながら己のフネ好きには驚かざるを得ません(苦笑)
明日は伊勢湾マリンフェスタの体験航海、あさっては艦艇の一般公開が行われます。果たしてどのような艦との出会いがあるのか、そしてどんな素敵な画像を撮影することができるのか。期待に胸を膨らませながら名古屋港を後にしました。

ちなみに私の体験航海の乗艦場所は四日市港です。
明日の朝は午前6時前に名古屋市内のホテルを出発するため、夜の遠征は控えました(笑)

美しい緑に彩られた名古屋港ガーデン埠頭。砕氷艦「ふじ」が南極観測の栄光と苦難を静かに語ります。