水俣港 「さわゆき」体験航海&一般公開


5月26日に熊本県水俣港でDD「さわゆき」の体験航海と一般公開が実施されました。
九州地区で同日に様々な艦艇イベントが実施される中、私が水俣へ遠征した訳とは?

今回の遠征先は熊本県水俣港。日豊線の特急ソニックと九州新幹線を乗り継いで水俣市にやって来ました。
←の画像は九州新幹線の新水俣駅です。現代アートのようなとてもユニークな造形の駅舎です。

九州新幹線は去年3月12日に全線が開通しましたが、お陰で大分から熊本・鹿児島方面の遠征がとても楽になりました。以前は豊肥線を走る気動車特急に乗って熊本まで3時間半、鹿児島は5時間半もの移動を強いられていましたが、新幹線開通後は熊本まで2時間10分鹿児島まで3時間半程度で行けるようになりました。
さらに、山陽新幹線に直通する「さくら」「みずほ」(N700系)は車内がとても豪華で素敵!皆さんもぜひご乗車を。
「さわゆき」の水俣入港は午前8時の予定です。
海自艦艇は入港時間の20分前早い場合は30分前に港内に姿を現し、接岸作業を始めます。そこで私は余裕を持って午前7時に水俣港の岸壁に到着しました。
「ふっふっふっ…今回も一番乗りだぜぇ。まさに海自マニアのお手本だぜぇ」などと自己満足に浸っていたのですが、岸壁をよく見ると、部隊帽を被り一眼レフを手にした「いかにもマニア風な人」がいるではありませんか!!げっ、何者?

その人は何と、当HPの面白キャラ、M.Hさんでした。聞けば午前6時から岸壁にいるとのこと。どうしてそんなに早くから…?
ちなみにM.Hさんは、水俣市の北側に位置する芦北町に在住しています。水俣はまさにM.Hさんの地元なのです。
「さわゆき」ですが、水俣港周辺で開催される「みなまた港フェスティバル」のメインゲストとして寄港します。2日間にわたって体験航海と一般公開が実施されるのですが、体験航海は今どき珍しい先着順です。まるで20年前の艦艇イベントみたいです(笑)

九州内ではこの日、下関でDDH「ひゅうが」門司でミサイル艇「おおたか」博多で訓練支援艦「くろべ」の一般公開が実施されます。しかし、私はそれらには目もくれず水俣に遠征しました。
正直言うと、「ゆき」型DDが1隻が寄港する程度のイベントならわざわざ水俣まで遠征したりしないのですが、その艦が「さわゆき」となると話は別です。なぜなら、「さわゆき」は私が海自マニアとなるきっかけとなった艦だからです。
午前7時40分、「さわゆき」が曳船を伴って水俣港の沖に姿を現しました。上空は雨雲が立ち込めているため空も海も灰色で、「さわゆき」を綺麗に撮れないのがとても残念…。

「さわゆき」は1984年2月に就役したのですが、その2ヵ月後に発売された軍事雑誌「丸」の巻頭カラーページに、「海自最新鋭艦」と銘打って「さわゆき」の航行シーンが掲載されました。
当時私は高校一年生でしたが、「丸」に掲載された「さわゆき」の姿に「なんて美しくカッコイイ艦だろう!」と衝撃を受けました。それまで私が海自艦艇に抱いていたイメージは「小さい、弱そう、カッコ悪い」。「さわゆき」の姿はそんな私のイメージを一蹴したのです。それどころか、私の胸中にある思いを抱かせました。「防衛大に進学して『さわゆき』の艦長になりたい…」。
「さわゆき」はゆっくりと岸壁に近づいてきます。
「ゆき」型DDは、1970年代後期に企画・設計された古い艦ではありますが、こうして見ると、その力強さと機能美はいささかも色褪せていないと感じました。

「さわゆき」は就役後に横須賀に配備され、「はつゆき」「しらゆき」と共に第41護衛隊を編成して、最新鋭艦が揃う第1護衛隊群の中核として活躍しました。1991年に4護群に配置換えとなり大湊に転籍、97年には3護群に所属を換え、2001年に横須賀地方隊第21護衛隊所属となったことから再び横須賀が母港となりました。

母港が横須賀と大湊だったことから、九州にはあまり姿を見せず、イベントで「さわゆき」に会うのは意外にも今回が初めてです。
「さわゆき」の接岸作業が始まりました。
舫作業を担当するのは第1分隊(砲雷科)の乗組員たち、掛け声や笛の音を合図に舫が岸壁に渡される光景はとても勇壮で心が躍ります♪また、海自隊員が海の男・船乗りであることを実感する一場面でもあります。

岸壁側で作業にあたるのは熊本地方協力本部の隊員たちです。他地区同様ほぼ全員が陸自隊員ですが、あまり舫作業に慣れていないのか、「さわゆき」の乗組員から指導を受けながらの作業でした。ちなみに、私の地元・大分地方協力本部の陸自隊員は、海自隊員顔負けの見事な舫作業を実施します。
舫作業の途中で午前8時となりました。「さわゆき」は午前8時少し前にいったん自衛艦旗を降ろし、午前8時ちょうどにラッパ譜「君が代」に合わせて再び旗を掲揚します。

自衛艦は午前8時前に出港する場合は、出港前に自衛艦旗を掲揚し、航海中に午前8時になっても掲揚の儀式は行いません。しかし、今回の「さわゆき」の場合は、午前8時前に数本の舫が岸壁と繋がっていたため、艦は航海中ではなく停泊中という扱いになるため、いったん旗を降ろして再び掲揚を行うのです。
ただ、「さわゆき」は舫作業の真っ最中であることから、作業中の乗組員は自衛艦旗への敬礼は免除されます。←の画像でも敬礼しているのは当直と手空きの乗組員で、その横では舫作業が慌しく続けられています。ある意味、とても珍しい光景です。
入港作業終了後、岸壁では「さわゆき」の体験航海に花を添える1日艦長の委嘱式が行われました。「さわゆき」艦長の渡邊二佐から1日艦長に委嘱状と部隊帽が手渡されました。

1日艦長を務めるのは水俣市内の高校に通う女子生徒です。知的な顔立ちで、女性幹部用の第三種夏服が良く似合っています。共に委嘱式の模様を見学していたM.Hさんは、「うぉ〜!JK(女子高生)じゃ〜!!」と叫びながら思いっきり萌えまくっていました(笑) 私はJKマニアではないのですが、彼女があまりにも海自の夏服が似合っていたので恥ずかしながら萌えました…(笑)

ところで、なぜ彼女が1日艦長に選ばれたのでしょう?海自を志望しているからでしょうか?それとも生徒会長さんなのかな?
委嘱が終わるといよいよ1日艦長の登壇です。
「かしらぁー、なかっ!」の号令とともに乗組員はJK艦長に敬礼、これに対しJK艦長が答礼を返します。1日艦長の女子高生ですが、ちゃんと肘をたたんだ海軍式の敬礼をしています。その姿がとても様になっているので、彼女には「海軍の素質」(?)を感じました。ぜひ将来の進路に海上自衛隊を選択してもらいたいものです。

私は高校時代は海自を志したものの、今は民間人なので護衛艦の艦長にはなれませんが、せめて一生のうち一度はイベントで1日艦長になって艦長気分を味わいたいものです。このHPをご覧の海自関係者、部隊責任者の方々、ぜひとも私に1日艦長のオファーをお願いします!!40歳を過ぎた男じゃ無理かなぁ…
午前9時から体験航海参加者の乗艦が始まりました。出港は午前10時です。今回の体験航海は先着順で乗艦できるのですが、私が岸壁に着いた午前7時を過ぎたあたりから乗艦券を求める人たちが列を作っていたほどの人気ぶりでした。
ちなみに、私は「さわゆき」の出入港シーンや航行シーンを撮影するために体験航海には参加しません。一方、M.Hさんは体験航海に参加します。マニア魂をくすぐられたのか、嬉々として「さわゆき」に乗り込んでいきました。艦内でJK艦長の追っかけをするのではないかと心配です…(笑)

「さわゆき」を前に小さな男の子が「うわぁ〜!でっかいフネ!!」と叫んでいました。この子は「いせ」や「ましゅう」を見たらきっと卒倒するでしょう(笑)
体験航海参加者が次々と乗り込み、並行して「さわゆき」の方でも出港準備が進みます。9時25分頃には「艦内警戒閉鎖」、そして9時35分頃には「航海当番配置に就け」がかかり、出港は間近という状態になりました。

ところが、「さわゆき」はなかなか出港しません。「航海当番配置に就け」の号令によって舫を手にした海士くん、岸壁でカメラを構える私…そのままの状態で30分近く待たされました。その原因はというと、乗艦者が10時直前まで次から次へとやって来るのです。
一般の方々は、出港時間の10分前か5分前に岸壁に行けばいいと思う人が多いのでしょうね。自衛艦の出港時間とは舫が全て解けて艦が岸壁を離れる時間です。体験航海に参加する際には遅くても出港時間の20分前には乗艦を済ませてください
JK艦長の「出港よぉ〜い♪」の号令の下、「さわゆき」は予定より5分遅れて出港しました。
午前10時ぎりぎりに乗艦しようとした人の中には、ペットの犬を連れて来たため乗艦を断られた人もいました。自衛艦の体験航海ではペットの乗艦はご遠慮願います(苦笑)

「ゆき」型DDですが、レポート等で何度か述べていますが、段々畑のような後部の造形がとても魅力的です♪ 自衛艦旗がある最後尾の甲板が低くなっているのは重量軽減のためです。また、シースパロー発射機がヘリコプターの発着艦の障害にならないよう、飛行甲板は一段高くなっています。「ゆき」型の段々畑のような後部構造はこのような設計上の苦労の顕れとも言えるのです。
「さわゆき」は曳船と共にゆっくりと後進しながら沖合いへと出て行きます。空には雨雲が立ち込めているため「さわゆき」をキレイな色で撮れないのが残念なのですが、この画像を見ると、曇天でも曳船の色はちゃんと出ています。つまり、自衛艦が身に纏っている軍艦色が、いかにその時の空や海の色に溶け込んでいるかがお分かりになると思います。

洋の東西を問わず、海軍の艦艇色はネズミ色ですが、ただその濃さは多少の差があります。我が海自は帝国海軍以来の濃いネズミ色なのに対し、イギリス海軍や韓国海軍などはかなり明るめ=灰色に近い色です。一説には、軍艦の色はその国の水平線に近い海面の色と言われています。
曳船によって「さわゆき」は180度向きを変えて、水俣湾のさらに沖合いへと航行します。
こうして見ると、煙突が他の構造物に比べてかなり大きく、かつ高さも高いことが分かります。もちろんこれにも理由があって、高速用・巡航用各2基のガスタービン機関の排気筒計4本を1本の煙突にまとめたために大きさが巨大化し、排煙がヘリコプターの発着艦に悪影響を及ぼさないよう高さをつけたためです。

艦後方部の造形もそうですが、「ゆき」型DDは僅か3000トンの船体に重武装を詰め込んだために、随所に設計上の苦労の跡が顕れている艦なのです。しかし、マニアにとってはそれが力強さ造形美に映り、今なお高い人気を誇る艦となっているのです。
「さわゆき」が出港してしまったので、イベントの会場内を散策です。岸壁では、陸自の装備品の展示が行われていました。
手前の砲は陸自特科部隊の主力砲である155ミリりゅう弾砲(FH70)、奥の車両は中隊指揮用の指揮通信車で、いずれも北熊本駐屯地に所在する第8特科連隊の装備品です。

FH70は独・英・伊の欧州3カ国が共同開発したりゅう弾砲で、日本では日本製鋼所がライセンス生産を行っています。欧州製に比べて日本製は何故か砲撃音が大きいのです。私がかつて特科大隊の射撃訓練を取材した際には、20門以上の一斉射撃を至近距離で見たのですが、それはもう凄まじい砲撃音で、濡れ雑巾で頭をぶん殴られたような衝撃を受けました。
約1時間30分後、「さわゆき」が戻って来ました。水俣港の岸壁の一部は階段状になっていて水面近くまで降りられるので、その場所からややローアングルで「さわゆき」を狙ってみました。おぉ、いい感じで撮れました♪♪

さて、今回私が「ひゅうが」や「くろべ」に目もくれず水俣に遠征し、「さわゆき」を懸命に撮影するのには、もうひとつ理由があります。その理由とは、「さわゆき」は今年度末に退役するからです
「あきづき」型DDの2番艦「てるづき」の就役に伴って「さわゆき」は退役、「さわゆき」が抜けた第11護衛隊には大湊から「せとぎり」が転籍する予定です。
私が海自マニアとなるきっかけとなった思い出の艦を、退役前に存分に撮影し、その姿を画像に残しておこうと考えた訳です。
今年3月、「あきづき」の就役に伴って「はまゆき」が退役しました。一気に5番艦である「はまゆき」が退役したことに驚きましたが、実は「はまゆき」は5番艦であっても3番艦「みねゆき」、4番艦「さわゆき」よりも、数ヶ月ですが就役が早かったのです。ですから、ある意味順当な退役だったのですが、今年度末は「みねゆき」ではなく「さわゆき」というのは、舞鶴から2年連続退役艦を出さないという人事政策上の理由があるのではないでしょうか。

で、「さわゆき」が抜けた第11護衛隊に第7護衛隊所属の「せとぎり」が転籍することを考慮すると、「あきづき」型2番艦「てるづき」第3護衛隊群第7護衛隊所属となる可能性が高いです。そうなると配備先は舞鶴ではないかと私は考えます。
「さわゆき」が接岸したあと乗艦者の下艦が始まりましたが、艦橋ウイング部では本物の「さわゆき」艦長・渡邊二佐が艦から降りる乗艦者を見送っていました。自分の艦の体験航海に大勢の人が詰め掛けるのは、艦長として最高に嬉しいのではないでしょうか。

渡邊二佐は細身で長身、スマートを形にしたような海自幹部です。年齢は恐らく30代後半、にも関わらず左胸の防衛記念章には統幕勤務を示す第25号海幕勤務を示す第26号記念章が輝いています。恐らく、次の異動で海幕勤務に戻り、次に海上勤務に就くのは一佐となった後の護衛隊司令だと思われます。
ちなみにJK艦長ですが、M.Hさんは体験航海中にヘリ甲板上で声を掛けて写真を撮らせてもらっていましたさすがです(笑) 
ちなみに私、プリントアウトしたJK艦長の写真をいただきました♪
午後2時から一般公開が始まりました。こちらも乗艦開始前から乗艦待ちの列ができるほどの人気ぶり。ここ数年の海自の人気は本当に凄いですねぇ。嬉しさを通り越して戸惑いすら感じます

艦橋は見学者で溢れかえっているので、まずは上甲板から見学します。主砲は62口径76mm単装速射砲です。イタリアのオート・メラーラ社製で、「ゆき」型のほか「きり」型、「むらさめ」型、「あぶくま」型にも採用されている海自で最もポピュラーな艦砲です。また、砲塔のステルス性を高めたタイプが「はやぶさ」型ミサイル艇に採用されています。小型軽量なのと発射速度が速いのが特徴で、対水上戦闘だけでなく対空戦闘にも使用できます。陸自のFH70と同様、日本製鋼所がライセンス生産しています。
対潜兵装はアスロック8連装発射機です。展示用に左舷側に向いていて、さらに二つのセルが発射の様子を再現しています。
「たかつき」型から採用され、かつては対潜艦の象徴のような装備でしたが、VLS(垂直発射装置)の登場と採用により、DDでの採用は「ゆき」型の次形式・「きり」型が最後となりました。元々はアメリカ海軍が開発した装備で、アメリカのほか世界中の海軍で採用されている「ベストセラー機」です。

「ゆき」型の他の対潜装備としては、両舷に設置されているHOS-302三連装短魚雷発射管があります。さらに、搭載している対潜ヘリコプターの短魚雷もあり、遠距離の潜水艦には対潜ヘリの短魚雷、中距離はアスロック、近距離は自艦の短魚雷という使い分けがなされています。
対空ミサイル、シースパローの発射機です。画像は後ろから見た姿で、右内側のセルには展示用のダミーが装填されています。
シースパローは対艦ミサイルや航空機を迎撃する個艦防衛用の対空ミサイルで、アメリカで開発されました。シースパロー自体は最新の護衛艦でも採用されていますが、上記のアスロック発射機同様、VLS(垂直発射装置)の出現によって、この発射機もDDでは「きり」型を最後に採用されなくなりました。

発射機に掲げられている説明板には、「最高速度:まあまあ早い(特定防衛機密)、最大射程:そこそこ飛ぶ(特定防衛機密)の文字が…。あれっ、私は当HP等で「射程2万6000m、最高速度マッハ4」と言ってしまってますが…(汗)
ヘリ格納庫です。今回、「さわゆき」は館山の第21航空群所属のSH60-Kを1機搭載していました。
「ゆき」型DDですが、地方隊隷下の護衛隊所属だった頃にはヘリコプターを搭載することは殆どありませんでしたが、3年前の護衛艦隊大改編で護衛艦隊所属となってからは、しばしば対潜ヘリコプターを搭載して訓練を行うようになりました。

こうして格納庫を見ると、3000tの船体に詰め込んだためか非常に窮屈な格納庫です。ただこれは、「むらさめ」型などのヘリ2機を搭載可能な格納庫を知っているからこそ感じるのであって、「ゆき」型が最新鋭艦だった頃は、DDが狭いながらも格納庫を備え、ヘリを搭載していること自体が奇跡のように思えたものです。
見学者の数も落ち着いてきたので艦橋に上がりました。とはいえ、艦橋は人気の見学ポイントなので依然多くの人がいました。待つこと約10分、エアポケットにハマったかのようにほんの数分間、艦橋から人影が途絶えました。この機を逃さず撮影を敢行、「さわゆき」の艦橋を画像に収めることができました。

旧式の操舵装置と速力指示器、航海用レーダー、そして極めつけは天井から延びる伝声管、80年代艦のレトロな雰囲気が満載です。最新の機器やモニターが並ぶ新鋭艦の艦橋も素敵ですが、このレトロな雰囲気には「昔ながらの軍艦の艦橋」といった趣があります。当HPをご覧のマニアの皆様は、どちらの雰囲気がお好きですか?私は歳をとったせいか、最近はこのレトロな雰囲気の艦橋に心が惹かれます。
私は艦橋を見学した際は、必ず艦長席を撮影するのですが、この「さわゆき」の艦長席は、他の艦にはない特別な想いを抱きながらの撮影となりました。
先に述べたとおり、雑誌「丸」に掲載された「さわゆき」の姿に衝撃を受けた私は、「さわゆき」の艦長になりたいとの想いを胸に防衛大進学を志望したほか、それまで関心の薄かった海上自衛隊に興味を抱くようになりました。

これらの経緯から、「さわゆき」の艦長席は海自マニアとしての私の原点だと感じたのです。この椅子の主である艦長に憧れなかったら、私は今のようなマニアではなかったでしょうし、このHPも存在しなかったかもしれません。退役した際には、この艦長席を引き取りたいと切に思いました。椅子が無理ならせめてカバーか座布団を…。
雑誌「丸」に掲載された「さわゆき」の姿に衝撃を受けてから28年。艦長に憧れた高校生は43歳のおじさんとなり、最新鋭艦は老朽化して間もなく退役の時を迎えようとしています。岸壁に佇む「さわゆき」は、「お互い歳をとったね」と私に微笑みかけているように見えました。

来年3月まで9ヶ月ありますが、イベントで「さわゆき」に乗艦するのは最後かもしれません。少し早いのですが「さわゆき」にお礼を…。
「さわゆき」様、28年前に君に出会わなかったら今の海自マニア人生は送っていなかったと思います。私に素敵な人生の楽しみと生き甲斐を与えてくれて本当にありがとう。護衛艦としての残りの期間、訓練や任務で大きな成果を挙げて有終の美を飾ることを心から願っております。

「ゆき」型DD4番艦「さわゆき」。就役中の最大の「戦果」は、一人の少年をコアなマニアにした事かもしれません。