GW舞鶴遠征〜北吸岸壁編〜


舞鶴遠征記の第2回目は、舞鶴艦隊が停泊する海自北吸岸壁での見学の模様をお送りします。

舞鶴所属艦艇が停泊しているのが北吸岸壁です。地元では自衛隊桟橋と呼ばれています。(実際は桟橋ではなく岸壁ですが)
舞鶴の観光名所である赤レンガ博物館や遊覧船乗り場のある場所からは徒歩で5分くらいの場所にあります。

土・日・祝日の午前9時から午後4時まで、艦艇の一般公開が行われますが、その時間内は岸壁内を見学し放題です。
時間を制限され、さらには動き回ると広報の隊員から文句を言われる呉とは大違いです。時間を気にすることなく思う存分撮影できるのも舞鶴基地の魅力なのです。

北吸岸壁と国道を挟んだ反対側に舞鶴地方総監部があります。
門をくぐり見学の受付場所に行くとご覧のような長蛇の列ができていました。GWに艦艇を見学に来る物好きがこんなにたくさんいるとは…(笑)
列に並んで受付けを済ませるまで10分近くかかりました。
私より先に受付けをした人の住所を見ると、はるばる東京仙台から訪れている人もいました。皆さん、お好きですねぇ〜。

こういう光景を見ると「海自が国民に認知され、関心を持ってもらえるようになったのだなぁ」と実感します。
ちなみに20年ほど前のGWに行った呉の艦艇公開では、見学者は私を含め十数人でした。(現在とは雲泥の差ですな…)
舞鶴は他の海自基地とは異なり、海に突き出した桟橋がありません。艦艇の係留施設は1本の岸壁のみですが、その岸壁は全長895mにも達する長大なものです。(とにかく一直線、端から端へ行くのも一苦労です)
ですから岸壁の端から全体を見渡すと、艦艇が一直線に並んで停泊している勇壮な光景を見ることができます。
この長大な岸壁に艦艇は右舷側から(なぜかミサイル艇のみ左舷側から)接岸します。

この岸壁も海軍時代の遺産ですが、元々の長さは465mでした。
しかし大型の補給艦やイージス艦を係留するには短過ぎるため、1997年から数年かけて延長工事を実施し現在の姿になりました。
岸壁の先端部に係留されているのは補給艦「ましゅう」です。
遊覧船で海上から見てもその巨大さに驚きましたが、岸壁から見るとその巨大さに圧倒されます
撮影するにも巨大すぎて全身を写真に収めることができません。

北吸岸壁が現在の長さに延長されたのも、この「ましゅう」を係留するのが最大の目的でした。

補給艦の艦名は湖の名前から命名され、「ましゅう」は北海道弟子屈町にある摩周湖からの命名です。
摩周湖は河川が流れ込んでいない湖として有名ですが、河川が流れ込んでいないため法律上は国土交通省が管轄する「湖」ではなく、巨大な水たまりという位置づけなのです。
イージス護衛艦「あたご」です。
ついに近くから撮影することができました!2年前は衝突事故の直後で近づくことさえできなかったので嬉しさもひとしおです。
「はるな」が退役した今、私の推し艦はこの「あたご」なのです

帝国海軍ファンから海自ファンとなった私にとっては、この艦ほど艦名と艦のスタイルが合致しているフネはありません
「あたご」は日米開戦時に第2艦隊旗艦だった重巡洋艦「愛宕」にそっくりではありませんか!
城郭を思わせる巨大な艦橋、流れるような船体のライン、艦中央部に立つ2本の煙突…まさに「あたご」は21世紀の重巡「愛宕」なのです。
岸壁にいる艦艇の中でも「あたご」は一番人気でした。
一般の方々は、海自の事はあまり知らなくともイージス艦は知っているようで、そのイージス艦である「あたご」は注目の的でした。たくさんの人が写真を撮ったり、「あたご」をバックに記念撮影をしていました。

で、そのような方々の様子を観察してみると、「あたご」の「過去」を知っている人が半分、「過去」は知らずに単に大きなイージス艦を見て喜んでいる人が半分といった感じでした。

問題なのは「過去」を知っている方々で、ある若い女性は携帯で「あたご」を撮りながら、「ブログに載せちゃお〜」とはしゃいでいました。ブログに何と書くおつもりですか?(怒)
さらに、年配のオッサンが「あたご」の乗組員に「このフネ、漁船とぶつかって沈めたフネでしょ?」と、見事なまでに配慮のない質問をしていました。
私は思わずそのオッサンを岸壁から海へ蹴落としそうになりましたが、何とか思いとどまりました。

「あたご」の乗組員はこの先ずっと「漁船を沈めた艦」と言われ続けるのでしょうねぇ…なんだか不憫です。

それはさておき、「あたご」を岸壁から存分に撮影したのですが、そうなると次は乗艦したいという欲望が沸いてきます…。ただ、「あたご」はもはや一般公開など不可能と思っていたのですが…。
なんと!「あたご」に乗艦することができました!!

私は5月2日と3日の2回、北吸岸壁の見学に行ったのですが、このうち5月3日は「あたご」と目刺し係留されている「あまぎり」が公開艦でした。つまり「あまぎり」に行くには「あたご」を通らねばならず、期せずして乗艦が実現してしまったのです。

船体後部のヘリ甲板を通って「あまぎり」へ行くのですが、私は「あまぎり」そっちのけで「あたご」のヘリ甲板で撮影に没頭しました。
ちなみに5月3日は憲法記念日で、海自が定める満艦飾を実施する日にあたるため、カラフルな信号旗が艦を彩りました。
「あたご」のヘリ格納庫です。
「あたご」型では将来の艦隊再編で8艦8機体制が崩れた場合に備えて、ヘリが搭載できるよう格納庫が設けられました。

格納庫内はご覧のようないびつな形をしており、無理やり格納庫のスペースを捻り出したといった雰囲気です。
また広さもあまりなく、実際にヘリコプターが格納されたらかなり手狭で整備作業も大変なのではないかと思われます。

現在はヘリの運用は行っておらず、格納庫内は洗濯物干しがあったり資材が置かれたりと物置のような状態となっています。
「あまぎり」側から「あたご」を撮影。「あまぎり」はそっちのけです…。

城郭を思わせる巨大な艦橋が超素敵!!
帝国海軍に詳しい方はご存知とは思いますが、重巡「愛宕」「高雄」の第二次改装後の艦橋構造物は「あたご」型や「こんごう」型の艦橋とそっくりなのです。
そのためか、約20年前に「こんごう」が建造中でまだ艦名が決まってない時、世界的権威を持つイギリスの艦艇図鑑・ジェーン年鑑は艦名を「あたご」として掲載していました。

GW時「あたご」は3護群の旗艦でしたので、艦橋の窓には海将補の座乗を示す二つ桜のプレートが掲示されています。
「あまぎり」のヘリ甲板から見た「あたご」のヘリ格納庫周辺。
格納庫の壁面をはじめ煙突、マストなどいたる所がステルス対策のため鋭く尖っているのがお分かりになると思います。

17年前、「こんごう」を初めて見た時も「えらく尖ったフネだなぁ〜」と感じたのですが、「あたご」型と比べると「こんごう」型でさえも曲面が多いデザインだと感じてしまいます。

「あたご」型は艦の後部にヘリ格納があるため、艦橋構造物の後部にあるフェイズド・アレイレーダーが「こんごう」型より高い位置に備え付けられています。この画像からもそれがよく分かります。
「あたご」を撮影する私の手は止まりません…(苦笑)
重大な事故を起こしてしまったので、一般公開はおろか至近距離に近づいて撮影することさえ永遠に不可能ではないかと心配していただけに、やっと訪れた絶好の撮影チャンスを逃すことはできません。

ちなみに「あたご」はこの数日後にリムパック(環太平洋合同演習)参加のため舞鶴を出港、横須賀で「あけぼの」と合流してハワイに向かいました。
8月上旬まで訓練に参加するとともに、カナダ海軍創立100周年記念観艦式にも参加します。
無事の航海を心からお祈りいたします。漁船には特にご注意を…。
「あたご」の後ろには舞鶴のお嬢様・「すずなみ」がいました。
いやぁ〜、べっぴんさんです。流れるような美しい船体のラインに痺れてしまいます♪

「すずなみ」は5月3日の満艦飾の日も、だだ一隻ノーマルな状態でした。出港する予定でもあったのでしょうか?

護衛艦隊の大改編で、「すずなみ」は舞鶴の艦の中ではただ一隻、第1護衛隊群(第5護衛隊)に所属しています。
そのため群集合訓練のみならず護衛隊単位の訓練でさえも、僚艦と合流するために舞鶴を離れなければなりません。他艦よりも舞鶴を不在にする期間が長い艦となっています。
「みねゆき」「はまゆき」、仲の良い「ゆき」姉妹。

昔から舞鶴にいるこの2隻が仲良く並んで停泊しているのに、3月に呉から転籍して来た「まつゆき」が少し離れた位置に停泊している様子は、お互い人見知りをして距離を置いているように見えて何だか微笑ましい気持ちになりました(笑)

横須賀でも呉でも佐世保でも、「ゆき」姉妹は並んで停泊していることが多いですよね。本当に仲の良い姉妹のように見えますし、「ゆき」型は並んだ姿がとても綺麗です。
一刻も早く「みねゆき」「はまゆき」と「まつゆき」が仲良くなりますように…(笑)
「みねゆき」「はまゆき」のとても魅力的なお尻です(笑)

私は「ゆき」型のごちゃごちゃした雰囲気の船体後部の構造が大好きなのです♪
自衛艦旗がある甲板は上甲板より一段低く、また上甲板の一段上にヘリ甲板があります。後ろから見るとまさに段々畑のような構造になっており、これが昔ながらの駆逐艦といった雰囲気満載でマニア心をくすぐられます。

ちなみにGW中は雲ひとつない見事な快晴。風にはためく真紅の自衛艦旗が青い空と蒼い海に映えてとても綺麗です。
ミサイル艇「はやぶさ」「うみたか」です。
舞鶴では各艦が右舷を岸壁側に向けて停泊しているのに、このミサイル艇だけは左舷を岸壁に向けて停泊しています。何か理由があるのでしょうかねぇ…?

ミサイル艇は航空自衛隊のF15Jに相当する海のスクランブラーで、機関も緊急出港ができるよう30分程度で出港可能な始動状態にすることができます。
機関は石川島播磨重工業製のLM500-G07ガスタービンエンジン(5400馬力)を3基搭載しており、このエンジンに接続されたウォータージェット推進機が船体を40ノットもの猛烈な速度にまで押し進めます。
ここからは北吸岸壁にあるおぉっ!な施設をご紹介。

最初は第3護衛隊群司令部の入り口です。
見学者のお手洗いとして開放されている建物があったのですが、実はそこは群司令部や護衛隊の事務所が入居している建物でした。無断潜入して撮影した訳ではありませんよ!

扉の横に司令部の看板、扉の上には3護群のシンボルマークが掲げられていました。さらに扉の脇には兜の置物が…。兜の意味が良く分かりませんが、何となく素敵です。
精強な部隊の司令部(=本陣)ということで兜なのでしょうね。
こちらは3護群司令部の隣にある第3護衛隊の事務所

護衛隊の場合は司令部とは呼ばないのですが、隊司令と隊付、隊付海曹が執務する小規模な事務所があります。

第3護衛隊には「しらね」「あたご」「まきなみ」「せとぎり」が所属しており、扉に所属艦の写真が飾られていました。
また扉の脇にはガラスケースがあり、中には艦船模型が飾られていました。群司令部は兜の置物なのに第3護衛隊は艦船模型、すごい落差です(笑)
この事務所の向かい側には第7護衛隊第14護衛隊の事務所があります。
北吸岸壁には駐輪場があって、各艦ごとに駐輪するスペースが定められています。
画像は護衛艦「あたご」用の駐輪スペースで、艦長と副長には専用の駐輪位置がありました。

副長は艦に出勤しているようで自転車が置かれていましたが、艦長のスペースには自転車はありません。
私は迷うことなく乗ってきた貸し自転車を艦長のスペースに停めました。ささやかながら「あたご」艦長の気分を味わいました。

最新鋭イージス艦の艦長でも通勤は自転車なのですね。何だか意外ですよね。
北吸岸壁の門を入ってすぐ右手に錨のオブジェがあります。
1995年に退役したミサイル護衛艦「あまつかぜ」の主鎖です。
「あまつかぜ」は1965(昭和40)年に就役した海自初の対空誘導弾搭載護衛艦(DDG)で、当時の最新技術が惜しみなく投入された艦隊の虎の子でした。
30年もの間、護衛隊群の防空を担ってきましたが、「みょうこう」の就役と入れ替わる形で退役、対艦ミサイルの標的艦となり若狭湾沖で沈没しました。

艦艇の数は横須賀や呉に及ばないものの、最新鋭イージス艦、巨大な補給艦、ミサイル艇など超個性的な面々が集う舞鶴北吸岸壁に、皆さんぜひ足をお運びください。

幸運にも「あたご」に乗艦し、駐輪場で艦長気分。「過去」を乗り越えての活躍を改めて願いました。