舞鶴地方隊展示訓練2014 〜「まつゆき」乗艦編


舞鶴地方隊展示訓練2日目は「まつゆき」に乗艦、暑さと格闘しつつ「しらね」の雄姿を撮影しました。

舞鶴地方隊展示訓練2日目、本日の乗艦場所は海上自衛隊舞鶴基地(北吸桟橋)です。
はやる気持ちを抑えられずに北吸桟橋の入口に着いたのが午前6時15分、開門時間までまだあと1時間半近くあります。もちろん乗艦者はまだ誰もいません。門を警備する隊員さんも、あまりにも早い私の到着に苦笑いしているようでした

開門時間までひたすら待つしかないのですが、午前6時半を過ぎた頃から上陸していた隊員が続々とこの門を通って艦に帰っていく光景を見ることができて退屈しませんでした。帰艦は一般社会における会社への出勤に相当します。午前7時前から出勤するなんて、自衛隊の朝は早いですねぇ。私の会社なんて午前9時でも社員の姿はまばらですが…(苦笑)
本日私が乗艦するのはDD「まつゆき」です。「ゆき」型DD9番艦で1986年3月に就役、今年で艦齢28年を迎えるベテラン艦です。
4年前に舞鶴に転籍するまで長らく呉を母港としており、広島で大学生活を送っていた私が最も応援していた艦でもあります。老朽艦が多かった当時の呉所属艦の中で、8番艦「やまゆき」とともに目がくらむほど眩しい存在でした。

月日は流れ、当時はピカピカの最新鋭艦も今やベテラン艦となり、「将来は社長か大臣か」と嘱望された大学生の私は、今や周囲が呆れるほどの海自オタクの中年となってしまいました…
きょう「まつゆき」に乗ることは、久しぶりに学生時代の友人のもとを訪ねるような気分です。もっとも、「まつゆき」は私がこれほどまでのマニアになるなんて思ってはなかったでしょうけど…(笑)
開門されても乗艦開始時間までしばらくの間、北吸桟橋内で待たねばなりません。ただ、ここは“軍港”、待っている間にも艦を動かすための様々な準備海軍ならではの儀式があって退屈はしません。私はこのような“軍港の雰囲気”“海軍的な空気”が大好きなので、待ち時間がまったく苦になりません

例えば、午前7時45分頃には各艦・各隊員の時計の時刻を揃える時計の整合が行われます。「時計を合わせる。よーい、てっー」。そして、午前8時には最も神聖な儀式である自衛艦旗の掲揚が行われます。父から海軍魂を叩きこまれた私にとっても艦旗の掲揚は神聖な儀式であり、掲揚シーンの撮影を素早く終えたのち艦旗に向かって正対するようにしています。民間人であっても艦旗の掲揚中は会話を慎み、艦旗に敬意を払うべきです。
自衛艦旗掲揚終了後に乗艦が始まりました。きのう「しらね」艦上から目を付けていたヘリ甲板左舷後方を撮影場所として確保しました。まずは上々の滑り出しです一番乗りした甲斐がありました…。

午前9時前頃から出港を支援する曳舟YTが近づいてきました。そして、甲板上では出港のための舫作業が行われます。
ヘリ甲板は上甲板より一段高い場所にあり舫作業は行われないのですが、私が確保した場所の近くで隊員さんが小旗がついたポールを持って立っています。この隊員さんは、舫をスクリューに巻き込まないように艦橋ウイング部にいる艦長ら操艦者に対して安全・危険を知らせています。
舫作業を含めた出入港時は艦を傷つける恐れが最も高い場面だけに、操艦は原則として艦長が行います。
午前9時15分、「まつゆき」は北吸桟橋を離れ、一路宮津湾の展示訓練海域へと向かいます。灼熱航海の始まりです
桟橋には3月に就役したばかりの最新鋭艦「ふゆづき」が停泊しています。残念ながら「ふゆづき」はここでお留守番です。今回の展示訓練では、この「ふゆづき」の躍動する姿を撮影することも目的でしたので、不参加というのは残念でなりません…。

帝国海軍の武勲駆逐艦「冬月」の名前を受け継いだ当艦ですが、三井造船玉野事業所が17年ぶりに建造した護衛艦とあって、起工から引渡し(就役)まで三井造船の職人たちが手塩にかけて造り上げた“箱入り娘”でもあります。先に就役した「あきづき」や「てるづき」よりも何となく優雅な雰囲気を漂わせているのは、そういった建造の経緯に起因するのでしょうか。
「まつゆき」は風光明媚な舞鶴湾を航行します。天気は見事なまでの快晴で、雲ひとつありません。ただ、この晴天が数時間後にヘリ甲板を超過酷な灼熱地獄としてしまうのですが…。

対潜ヘリコプター搭載能力を備えた護衛艦として登場時は大きな注目を集めた「ゆき」型DDですが、最新鋭DDと比べるとヘリコプター格納庫の小ささ・狭さは明白です。3000tの小さな船体に格納庫を詰め込んだのですから仕方がないのですが、この反省から次級の「きり」型では格納庫の拡大が図られました。
ところが、「きり」型の格納庫は巨大過ぎたうえに設計に無理があり、艦の様々な部分に悪影響を与えてしまいました。艦艇の設計って難しいですねぇ…。帝国海軍以来、艦艇の発達と進化は試行錯誤と失敗の繰り返しと言っても過言ではありません。
しばらくすると、左方向に舞鶴西港を出港した「しらね」が見えてきました。そう、本日の“第一攻撃目標”です。私にとって展示訓練2日目は、この「しらね」を撮影するための日なのです。
さぁ「しらね」ちゃんよ、素敵な姿をいっぱい撮ってあげるよ

よく見ると、「しらね」の後方にプレジャーボートがいるではありませんか。危険を顧みず、のこのこと「しらね」の後をつけています。閲覧者の皆様、これが海上交通の実情ですよ!昨日、「みょうこう」に異常接近した奴といい、どうしてこうもプレジャーボート所有者はマナーが悪いのでしょうか…(怒)
頭にきた私は、艦橋に駆け上がって「まつゆき」艦長に対艦ミサイル・ハープーンの発射を進言しようと思ったほどです。海自の“真の敵”は某国ではなく、プレジャーボートなのかもしれません。
「しらね」は「まつゆき」と合流、舞鶴湾を出て若狭湾へと入ります。後方に小さく写っているのが「しらね」です。
ちょうどいま「しらね」が航行している箇所が舞鶴湾の出口なのですが、非常に狭いことがお分かりいただけると思います。水道があれほどまでに狭いと航路もとても狭く、下手に航路を外れようものなら即座礁の危険に見舞われます。怖ぇー。

好天ゆえに強烈な日差しが甲板上に照りつけているのですが、シースパロー発射機を日除けにしてくつろいでいる乗艦者がいます。艦に対する空からの攻撃に備える対空ミサイル発射機と日陰で涼む乗艦者の組み合わせは、平和な時代の海軍を象徴する光景と言えます。なんだか心が和みます♪
ちなみに、私がいるヘリ甲板はこの頃から灼熱地獄の様相に…。
水道を通過後、「しらね」は「まつゆき」との距離を詰め、これからしばらくの間後続します。後続艦があるということは撮影する被写体があるということです。「しらね」を思う存分撮影する環境が整いました。よーし、撮るぞぉ!!

「しらね」の航行シーンを撮影するのはおととし10月の観艦式本番以来です。当日は私が乗る「はたかぜ」に「しらね」が後続していたのですが、あいにくの天候で海上には霧がかかっていたため航行する「しらね」を綺麗に撮ることができませんでした。今回は見事なまでの晴天、観艦式のリベンジといきましょう!
で、「しらね」の姿を撮りまくったが故に画像の枚数は膨大な数に達し(数千枚のレベルです)、このレポを書くのにベストショットを探すのにも四苦八苦という状況に陥ってしまいました…。
甲板上は灼熱地獄、ほとんどの人はヘリ格納庫もしくは艦内に退避しています。ご覧のように用意されたパイプ椅子に座っている人もごく僅かです。というか、椅子に座ろうにもシートの部分が熱くなっていて座れたものではありません。

昨日も暑かったのですが、今日の暑さは過去のイベントでも経験したことのない最強・最悪の暑さです。
直射日光があまりに強烈すぎて、私のカメラの1台が突如、「内部温度上昇」という警告を出したままフリーズしてしまいました。また、甲板に跳ねかえった紫外線が私の目を直撃し充血、訓練終了後に眼科で「眼の表面細胞が傷ついている」との診断を受けたほどです。機械にも人体にもダメージを与えるほどの殺人的な暑さだったことがお分かりいただけると思います。
灼熱の甲板で脱水症状になろうものなら死にます。なので、私は何度か科員食堂に降りて麦茶を飲んだりアイスを買ったりしたのですが、途中の艦内・艦外にこんな張り紙が…。「まつゆき」乗組員がデザインした艦これ非公認艦娘「まつゆき」です(笑)
艦これの「天龍」を思わせる好戦的な表情、艤装は腕に76ミリ速射砲とヘリ甲板、脚に短魚雷発射管、背中にはガスタービン艦特有の太い煙突とハープーン発射機を背負っています。まさに娘になった護衛艦「まつゆき」ですホント、よくやるわ…。

この事を知り合いの海自隊員に話したら、「『まつゆき』も変わったなぁ…」と苦笑い。その隊員によると、呉在籍時の「まつゆき」は“浮かぶ教育隊”と言われるほど規律の厳しい艦だったとか。舞鶴に転籍し乗組員が入れ替わると艦の気風も変わるのですねぇ。
時刻は午前11時55分、「ましゅう」以下5隻の艦隊と合流するために「まつゆき」は右に大きく変針、「しらね」も続きます。こうして見ると、進路を大きく変える時の艦艇ってかなり傾いているのですねぇ。乗っているとそれほど傾いている感覚はありませんが…。

艦が傾いても通常は復元力で元に戻りますが、小型の船体に重武装を盛り込み過ぎると「トップヘビー」と呼ばれる状態になり、傾斜に対して復元力が不足して艦がひっくり返ってしまいます。
帝国海軍は軍縮条約によって艦の保有量を制限されたたために昭和初期にトップヘビーの艦を大量に造ってしまいました。水雷艇「友鶴」が荒天の海を航行中に転覆した事故は有名ですが、空母「龍驤」なんて、公試運転中に飛行甲板のエレベーターホールから水平線が見えるほど傾いたというから驚きです。
「ましゅう」「ひうち」「はやぶさ」「うみたか」「ほたか」(海保)が合流、「しらね」に後続します。DDHに補給艦、支援艦、ミサイル艇という異色の顔ぶれですが、訓練等では行動を共にすることのない艦が同じ隊列を形成するのはイベントならではの光景です。
「ましゅう」は「しらね」の後ろを航行しているにも関わらず、「しらね」と大きさがあまり変わらないように見えます。
遠近法さえも狂わせてしまう「ましゅう」の大きさって…
(驚)

前日の模様をレポした「しらね」編の画像と比べていただきたいのですが、この日は晴天にも関わらず展示訓練実施海域にはモヤがかかっていて、空も海も青さが今ひとつです。
艦艇はその塗装によって空と海に溶け込むのですが、モヤは溶け込み具合に拍車をかけるので、撮影者泣かせの存在です。
合流が完了、これから隊列を整えて観閲部隊を迎えます。
「しらね」は海自史上最多の観艦式観閲艦担当回数を誇るだけに、後続艦を従えての航行は堂々としたものがあります

背負い式に配置された2基の主砲とマック方式のマスト、船体後部に設置された箱型のへり格納庫など、「しらね」型DDHの特徴がよく分かります。なかでも、マック方式のマストが「しらね」の外観をひときわ精悍なものとしています。
マック方式とは煙突とマストを一体化させた形状で、現在海自では「しらね」型に見られるのみです。前タイプのDDH「はるな」型もマック方式を採用していましたが、「しらね」型ではアンテナや電子機器が増えたためにマストを2本にしました。「しらね」型が2本煙突なのは、マストが2本必要だったことに起因しています。
時刻は午後12時15分、「まつゆき」艦上に美しい登舷礼が形成されました。舞鶴地方総監・井上海将が座乗する観閲艦「みょうこう」は、5分後に「まつゆき」と擦れ違います。
登舷礼がなぜ相手の艦に対して最大の敬意を表することになるかというと、乗組員を甲板に整列させることにより、艦内で砲弾装填などの戦闘を企図した行動をしていないことを示した行動が起源になってるからです。ちなみに、帆船では乗組員を帆を張るための桁に整列させ、登墻礼と呼ばれています。

登舷礼が実施されている間、乗艦者は規制線のロープの内側から見学します。夏休みということもあり、乗艦者の中には小学生の姿も目立ちます。この児童たちが今日の展示訓練を見たことをきっかけに、将来海上自衛隊を志すことを願ってやみません
午後12時20分、観閲艦「みょうこう」がやって来ました。
「まつゆき」艦橋上にいる航海科員のラッパの吹奏に合わせて、舞鶴地方総監・井上海将に対して敬礼を行います。

この艦艇同士の敬礼ですが、日常においても自衛艦が近距離で反航する場合や出入港時等に行われています。ただし登舷礼は実施せず、司令や艦長・艦の幹部が艦橋ウイング部に出て、ラッパ吹奏に合わせて敬礼を行います。
その場合に問題になるのが、どちらが先任かという点。簡単に言えば、自分と相手どちらが立場が上で、先に敬礼しなければならないのはどっちかという点です。そのため、自衛艦の艦橋には指揮官・艦長の階級や幹候校の期数を記した名簿が必ず置かれています。かつては一覧表を壁に貼っている艦もありました。
「みょうこう」の艦橋露天部には舞鶴地方総監・井上海将が立ち、各艦からの敬礼に対して答礼を行います。
井上海将ですが、この2か月半後には横須賀地方総監にご栄転になりました。海将昇任後最初に舞鶴地方総監に着任し、その後横須賀地方総監に栄転するパターンは将官の王道コースのひとつであり、近年では第27代海上幕僚長2代目統合幕僚長を務めた斎藤海将もこのコースを辿っています。

井上海将の横に、黄色い将官用双眼鏡ストラップを纏ったネクタイ姿の民間人がいます。この時は誰かは分からなかったのですが、帰宅後に調べてみたら多々見舞鶴市長であることが分かりました。舞鶴総監部が市長という重職を尊重して将官用ストラップを用意したことに、細やかな気遣い・心くばりを感じます。
観閲を受ける「しらね」「ましゅう」です。両艦とも登舷礼を実施しています。受閲部隊は9ノットの速力で500ヤード(455m)の距離を保ちながら航行しています。
船舶は地上を走る自動車のようにブレーキで速度や間隔を微調整することができませんので、大きさも性能も大きく異なる艦艇が等間隔を保ちながら航行する技術は、一見なんでもないように思えますが、実は非常に高い技量を必要とします

こういった航行は日常の訓練でも頻繁に行われていますが、着任したばかりの航海長や幹部だと艦をピタリと付けることができず隊列をはみ出すことも多々あるとのこと。その際には、司令や艦長から指導を受けるのですが、艦橋内で部下である曹士がいる前で叱責を受けるので、かなりのプレシャーだということです。
「まつゆき」は観閲終了後に左に大きく回頭進路を180度変えて「みょうこう」「はまぎり」に後続します。
変針の途中で、観閲艦「みょうこう」と「しらね」以下の受閲部隊を一枚の画像に収めることできました。ちょうどいま、「みょうこう」と「しらね」が擦れ違っており、観閲を受けている最中です。

艦艇が航行している海面にご注目!まるで水たまりかプールのような穏やかさです。私が通っているスポーツジムのプールの方が、この海よりも水面が波立っているような気がします(笑)
私は波穏やかで透明度も高い夏の若狭湾が大好きなのですが、といっても、ここは気象条件の厳しい日本海側、大陸から季節風が吹き荒れる冬は猛烈に時化るのでしょうね。美しい海に浮かぶ美しい艦艇たち…艦艇マニアで良かったと感じる瞬間です。
「しらね」も観閲を受けたのち左回頭、私が乗る「まつゆき」に後続します。回頭中の「しらね」がこれまたなんとも美しい!その姿を一瞬たりとも逃すまいと、夢中でカメラのシャッターを切りました。

私が思うに、「しらね」のスタイルが精悍さはマック形式のマストが大きな効果を発揮しています。細い煙突の上に立つマストは、複雑な形状のラティスマストと太い煙突を有する昨今の護衛艦にはないシンプルな美しさを醸し出しています。
マック形式の採用は「くらま」で終わっていますが、これは艦の機関がガスタービンに変わったためです。ガスタービンは超高温の排気を出すために、煙突上にマストを立てようものならたちまち焼け焦げてしまうのです。つまり、マック方式は蒸気タービン艦用の艤装方式なのです。数年後の「くらま」の退役で絶滅します。
観閲が終了して訓練展示が始まりました。まずは飛行展示から。舞鶴航空基地に所在する第23航空隊所属の対潜ヘリSH-60Kが3機飛来して来ました。さらに、このあとP-3Cが飛来します。

SH-60Kは、米国・シコルスキーエアクラフト社製のSH-60Jを三菱重工と防衛省が海自の実情・任務に合わせて改造開発した機体で、2005年に採用されました。初号機納入から約10年が経ち、今ではすっかり海自対潜哨戒ヘリの中核を担っています。
見た目はSH-60Jとよく似ていますが(私にはそう見える)、まったく別の機体と言っていいほど性能は一新されています。
60Jと素早く簡単に見分ける方法は、メインローター(=回転翼)の先端がカギ型に折れ曲がっているのが60K、ほぼまっすぐなのが60Jです。←のSH-60Kのローター先端にご注目。
飛行展示に続いて、左舷側では対潜ヘリからの水中処分員の降下が、右舷側では潜水艦の浮上航行が行われます。(「しらね」編でお伝えしたので省略させていただきます)
潜水艦を追い越したあと各艦は再び左に大きく回頭、帰路を辿りながら展示が続きます。回頭する「しらね」を撮影していたらうまい具合に潜水艦をフレームインさせることができました。かなり珍しい“潜水艦ハンタ”ーと潜水艦のツーショットです(笑)

「ひゅうが」型や「いずも」型は多目的艦としての性格が強まっていますが、「しらね」型と前タイプの「はるな」型は、純粋な“潜水艦ハンター”として企画・建造されました。その起源は、第1次・第2次防衛力整備計画で立案されたものの断念に追い込まれた対潜ヘリコプター母艦(CVH=対潜空母)にまで遡ります。
今回の左回頭はドンピシャの順光、お蔭で回頭中の「しらね」の美しい姿を存分に撮影することができました♪

先に説明したマック形式のマストと並んで「しらね」型を美しく見せている要素は、船体のほぼ全長に渡って入っているナックルラインです。ナックルラインそのものは、波浪が上甲板まで打ち上がってくるのを防ぐためのものですが、「しらね」型ではこれを採用することによって、限られた排水量の中でヘリコプター甲板の横幅を確保し、なおかつ司令部用施設を設けるのに必要な艦内容積を増やすことに成功しています。
このナックルライン、護衛艦では「はたかぜ」型DDG「きり」型DDでも採用されていますが、その後は採用されていません。近い将来“絶滅危惧種”になる恐れがあります。
回頭が終了し、各艦は一路舞鶴へ進路を取ります。
増速して白波を蹴立てて航行する「しらね」が、これまた美しい!最新鋭DDHの「ひゅうが」「いせ」「いずも」では醸し出すことができない美しさと力強さが「しらね」型にはあります

艦艇マニアの中には、「しらね」という艦名の響きの美しさに魅了されている人が多いのではないでしょうか。かく言う私もその一人ですが、「しらね」は当初「こんごう」になるはずでした。
ところが、就役当時の防衛庁長官だった金丸信氏が、「自分の地元の山の名前を付けろ!」とワガママをこいたために「しらね」になったという逸話があります。政治家の我田引水的なとんでもない話ですが、結果、「しらね」「くらま」という美しい響きを持つ艦名が付けられたのですから、”金丸氏の功績は大”とも言えます。
「しらね」の後方から猛スピードで迫ってくる物体、もうお分かりですね、ミサイル艇「はやぶさ」「うみたか」です。
12ノットで航行する「しらね」が艦首にほとんど白波を立てずに航行しているのに対し、40ノット以上の高速で航行するミサイル艇がいかに猛烈な白波を蹴立てるかがお分かりになると思います。
←の画像、ミサイル艇の凄まじいスピードに「しらね」が圧倒されているというか、ドン引きしているように私には見えます(笑)

こうして見ると、「しらね」のマスト上にある四角い三次元レーダーの巨大さが目立ちます。このレーダー、正式な名前をOPS-12といい、日本電気(NEC)製です。「しらね」型用に開発された対空捜索レーダーで、国産初の三次元レーダーでもあります。傾いて見えるのは、垂直面に対して18度傾斜させているからです。
2隻のミサイル艇はあっという間に「しらね」を追い越し、金属音を響かせながら「まつゆき」の横を駆け抜けて行きました。
何度見てもミサイル艇の高速航行には心が躍ります♪
2隻はこのあと反転し、もう一度艦隊を追い抜く際にIRデコイを発射したのですが、誠に残念ながら撮影に失敗しました(涙) カメラが高性能化しても撮影技術が拙いとダメですねぇ…。

ミサイル艇の艇長ですが、砲雷長など艦の3の役職を務める幹部が次の異動で艇長に就くことが多いようです。私ごとですが、体験航海や展示訓練で知り合った幹部が、その後ミサイル艇の艇長になって再会することが多々あります。
ミサイル艇は任務・運用等が通常の艦艇とは異なる特殊なフネなので、ミサイル艇隊司令は必ず艇長経験者から選ばれます
「しらね」編では省略しましたが、実はミサイル艇の後にも高速で航行してくる舟艇がありました。特別機動船SB-25です。
これは艦艇というよりも超高性能のゴムボートで、なんと、ミサイル艇をも上回る50ノットで走ることができます。恐るべし!

先ほど実施されていた対潜ヘリからの降下展示に参加していた船で、実際にヘリから降下したと思われるダイバー姿の隊員も乗っています。皆さん、海自では珍しく屈強な体をしておりますがとても陽気で、「まつゆき」の傍を駆け抜けて行く際には、乗艦者に笑顔で手を振ってくださいました。まさに心優しき強者たちです。
強者たちが着ている作業服には、昨年採用された洋上迷彩が施されています。陸自と同じ陸上用迷彩よりも、こちらの方が“海軍らしさ”を感じます。実際、見事に背景の海に溶け込んでいます。
いよいよラスト、「しらね」による祝砲発射の時間です。
「しらね」は射撃する位置にスタンバイするために増速、「まつゆき」「はまぎり」を抜いて前に出ます。←は、増速して我が「まつゆき」を追い抜こうとしている「しらね」です。2基の主砲は既に射撃用の仰角と向きになっています。おそらく52番砲の砲塔内では、もびうすさんが懸命に射撃の準備をしているに違いありません。

先ほどから言及しているマック形状のマストがよく分かります。第1煙突上のマストには三次元レーダーのほかに対水上レーダー(OSP-28)等が備え付けられています。一方、第2煙突上にある白いドームは、対空ミサイル・シースパロー用の射撃指揮装置(FCS-2-12)です。射撃指揮装置は、当初はWM-25が装備されていましたが、近年の改装で現在のものに換装されています。
いよいよ祝砲発射か!「まつゆき」艦上にいる大勢の乗艦者たちは、カメラを構えて今か今かと発射を待ちます。
その時、「まつゆき」の艦内スピーカーからアナウンスが…。
「祝砲発射10分前ぇ〜」 ん、10分前?変だな…。
私の周りにいた人たちは、「なんだ、まだそんなに先なのか…」と構えていたカメラをいったん降ろしはじめました。

しかし変です。10分も先の射撃をアナウンスするはずがありません。何かの間違いだろうと思ってカメラのファインダーを覗いていたその時、2門の主砲から白煙が立ちのぼりました。
実は先のアナウンスは「発射1分前」だったのですが、隊員の滑舌が悪くて「1分」が「10分」に聞こえてしまったのです。私の周囲では「撮り損ねたぁ!」という悲鳴があちこちであがっていました。
展示訓練は終了、敦賀港へ向かう「はまぎり」が艦隊を離脱したあと、各艦は一路舞鶴を目指します
「まつゆき」は艦隊の最後方=殿艦なので後続艦はありません。というか、灼熱甲板での長時間撮影で私は心身ともに限界状態、仮に後続艦がいても撮影はできなかったことでしょう。私も歳をとったせいか、今年の展示訓練の暑さは相当堪えました…。

帰路に就いたこと、そして相変わらずの灼熱状態なので乗艦者の多くが艦内に入っていて甲板上は人はまばらです。ただ日陰は心地良いのか、シースパロー発射機の下にはくつろいでいる人がいます。空から飛来するミサイルから艦を守るシースパローですが今は空から降り注ぐ日差しから乗艦者を守っています
発射機の蓋が開いていて、展示用のダミーが見えていますね。
舞鶴湾に入り、舞鶴西港へ戻る「しらね」とはここでお別れです。
来年3月の退役までまだ8ヶ月あるとはいえ、「しらね」が元気に航行する姿を見るのはこれが最後になるかもしれません。

振り返れば、私が「しらね」の存在を知ったのは小学校6年生の時でした。当時、小さくて弱そうな艦しかなかった海上自衛隊において、「はるな」「ひえい」とともに旧海軍の巡洋艦を思わせる力強い姿に魅了され、雑誌「丸」の巻頭グラフを食い入るように眺めたことをつい昨日の事のように思い出します。
それから三十有余年、常に海上防衛の第一線に立ち続け、なおかつ“海自の顔”として雑誌等のメディア登場し続けた名艦の退役は、ひとつの時代が終焉を迎えることにほかなりません。
残り僅かな現役生活で有終の美を飾っていただきたいものです。
舞鶴基地まであと僅かな地点まで来た時、ちょうど海自の燃料貯蔵施設がある辺りで、補給艦「ましゅう」が停泊していました。
「ましゅう」は観閲終了後は反転して「まつゆき」や「しらね」に後続することはなく、そのまま姿を消していたのですが、訓練展示が行われている間に一足先に舞鶴に戻っていたようです。

来年春(2015年3月)の「しらね」退役に伴って、後任として横須賀から「ひゅうが」が舞鶴に転籍してきます。現在、北吸桟橋の最も東側のスペースを定位置としている「ましゅう」ですが、「ひゅうが」転籍後は定位置を「ひゅうが」に譲り、「ましゅう」は基本的にご覧のような沖留めになるということです。
もちろん、艦艇が出払っている時は接岸できるでしょうけど、「ましゅう」の乗組員は少し不便な生活を余儀なくされそうです。
海自舞鶴基地に戻ってきました。北吸桟橋の対岸にある舞鶴海軍工廠 造船所には「あたご」がいます。今回の展示訓練で姿が見えなかったのは、造船所に入渠していたためです。恐らく、年に1度の年次検査を受けているものと思われます。
甲板上の主砲に注目、造船所で検査・修理を受けている艦は、砲の仰角を水平にして現在稼働状態にないことを示します。

「あたご」がいる造船所ですが、以前はユニバーサル造船と紹介したと思いますが、現在はジャパンマリンユナイテッド(JMU)舞鶴事業所となっています。去年(2013年)1月1日にユニバーサル造船とIHIマリンユナイテッドが合併してできた会社です。
「いせ」「ひゅうが」を生んだ横浜の造船所や戦艦「大和」を生んだ呉の造船所は、この舞鶴の造船所と同じ会社になりました。
午後3時30分、「まつゆき」は北吸桟橋に接岸しました。2014年の舞鶴地方隊展示訓練はこれにて終了です。
展示訓練実施海域は少しモヤが出ていたものの、2日目の本日も晴天に恵まれて艦艇、特に「しらね」の雄姿を存分に撮影することができました。退役が迫った「しらね」の雄姿を撮影するというミッションは見事に成功したと言っても過言ではないでしょう。
HPの閲覧者様に「しらね」の雄姿をお見せするのが楽しみです♪

27年前から付き合いがある“旧友”の「まつゆき」に乗れたことも幸運でした。数多くの思い出があるこの“旧友”と、こうして新たな思い出を作ることができたのも嬉しい限りです。「お互い歳をとったけど、まだまだ若い者に負けずに頑張ろう!」。「まつゆき」の活躍を祈りつつ、蝉の声がこだまする北吸をあとにしました。

夏真っ盛りの若狭湾で躍動した「しらね」の雄姿は、多くの艦艇ファンの心に深く刻み込まれようです。