阪神基地隊サマーフェスタ2016


2016年夏の遠征第1弾として阪神基地隊(神戸市)でのサマーフェスタに参加しました。
あいにくの雨模様の中、落胆と歓喜が交錯したフェスタの一部始終をレポ―トします。

どんよりと曇った梅雨空の下、私は神戸市東灘区にある阪神基地隊にいます。きょう(7月9日)と明日(10日)の2日間、阪神基地隊ではサマーフェスタ2016(phase1)が開催されるのです。

ソマリア沖海賊対処の常態化
や中国の野心的海洋進出に伴う尖閣諸島周辺海域の警備等により、今年の海自は“平時”とは言えない状況となっており、それに伴って今夏のイベントは展示訓練・体験航海の中止規模の大幅な縮小といった過去に例を見ない寂しいものとなっています。そんな中、私は2016年夏の遠征第1弾に、この阪神基地隊サマーフェスタを選びました。それは、このイベントが今夏のイベントの中でも参加艦艇の数が多く、しかもその中に珍しいマニアックな艦が含まれているためです。
残念な天候ですが、心を躍らせながら公開艦へと向かいます。
阪神基地隊のHPによると艦艇が5隻在泊しているとのこと。しかしながら敷地内を見回しても3隻しかいません。「訓練等の都合で変更になったのかな?」と思いつつ最初の公開艦へ。DD「うみぎり」DE「とね」、共に呉を拠点とする第12護衛隊の艦です。残念ながら本日は「うみぎり」は公開を実施しておらず(公開は明日)、海側に目刺しで係留されている「とね」が公開艦のようです。

「うみぎり」「とね」ともに私とは“親密な艦”ですが、特に「うみぎり」は思い出深い記憶があります。「うみぎり」は就役から約15年間、横須賀を母港としていましたが、私が初めて横須賀を訪れた際に吉倉桟橋のヴェルニー公園に最も近い場所に泊まっていたのが「うみぎり」でした。当時は第1護衛隊群を構成する最新鋭艦で、その姿がとても眩しく見えたのを今でも鮮明に覚えています。
ルンルン気分(死語?)で「とね」艦上に足を踏み入れたのですが、驚くべきことに公開は上甲板のみ。艦橋すら公開されていません。基地の週末公開ならいざ知らず、「サマーフェスタ」と銘打った年1度のイベントで艦艇の公開範囲が上甲板のみとは前代未聞です。
「海自はこれほどまでに忙しく、余裕がないのか…」。あまりの事態に呆然と立ち尽くす私、その横を「見て見て!これミサイル?」などとお花畑なテンションの女の子たちが通り過ぎていきます(苦笑)

「とね」には何度も乗艦し、艦橋も艦内も見学・撮影したことがあります。とはいえ、艦の中は何度足を踏み入れても心が躍りますし、以前は気付かなかった新たな発見もあったりします。そんな楽しみを求めてはるばる神戸まで遠征したのですが…台風で展示訓練が中止となった一昨年といい、私にとって神戸は鬼門なのでしょうか?
公開が上甲板のみ、しかも何度も乗ったことがある艦となれば見学・撮影はあっという間に終わってしまいます。開門と同時に大勢の見学者が「とね」に押し寄せましたが、艦の滞在時間は短く、艦橋前の前甲板は既に閑散としています。見学者を見送る乗組員も申し訳なさそうな表情をしているように見えます。

私がこれほどまでに悲嘆に暮れるのは、艦内に入れなかった無念さだけが原因ではありません。海自の行く末に不安を感じるからです。確かに以前とは格段に忙しくなったとはいえ、“非常時”ではありません。にも関わらず艦内公開もできないほど多忙な状況に、これまでの海上防衛力の整備が間違っていたのではと思えてならないからです。あまりに余裕のない“海軍”が果たして非常時に実力を発揮できるのか…そう考えると暗澹たる気持ちになります。
私が尊敬する帝国海軍の軍人・井上成美大将は、日中戦争の影響で兵学校生徒の夏休みが大幅短縮された際、「海軍はまだ平時なのになぜ夏休みを短縮するのか?そんな余裕のない海軍でどうする!」と怒り、海軍の余裕のなさに将来の不安を感じたという逸話が残っています。その余裕のない帝国海軍がのちにどのような末路を辿ったかはご存知のとおりですが、いまの私の心境は、まさにこの時の井上大将と同じ心境なのです

何の収穫も得られぬまま私は「とね」をあとにします。とはいえ、せっかく神戸にまで遠征したのですから、いつまでも暗い気持ちのままでいる訳にはいきません。このフェスの目玉であり、今回の遠征目的でもあるもう一隻の公開艦に期待するしかありません。このフェスの目玉艦とは…おぉ、素敵な姿が見えるではありませんか…♪
その目玉艦とは、補給艦「ときわ」です♪
「ときわ」は「とわだ」型補給艦の2番艦で、1990年3月に就役しました。全長167m基準排水量8150tという大型艦で、行動中の艦艇に洋上で燃料・弾薬・糧食・物資・真水などを補給する事を任務としている艦です。艦名は山口県宇部市にある常盤湖に由来しています。先ほどの「うみぎり」「とね」とは異なり、母港は横須賀です。

海自マニアを長年やっている私、ピカピカの新鋭艦よりも古い艦、護衛艦よりも特務艦艇に魅力を感じるようになってしまったのですが、この「ときわ」はまさに古い特務艦です。私の高度にマニアック化してしまったマニア心をくすぐりまくります。いま「ときわ」を目の前にして、「いずも」や「あきづき」といった新鋭護衛艦を撮影するよりも心が踊っていると言っても過言ではありません(笑)
ただ、「ときわ」は午前中は入隊希望者(高校生・大学生)を対象にした特別公開を実施しているようで、一般には公開されていません。一般公開は午後1時からなので、とりあえず午前中は様々な角度から外観を撮っておこうと思ったのですが、撮影をはじめてすぐに少し前から降り始めていた雨が急に激しくなりました

撮影は不可能と判断した私、敷地内に設置されているテントの中に退避します。出店している露天でお茶とフードを購入し、少し早い昼食を摂りながら雨やどりをしていると、旧知のマニア仲間であるM井さんが私を見つけてテント内にやってきました。私は大分から、M井さんは東京から遠征して来ているのに、「とね」の公開は上甲板のみだわ大雨は降るわで、まさに踏んだり蹴ったりの状況。二人でため息をつきながら「ときわ」の公開開始時刻を待ちます。
テントの中でM井さんはこう言います。「これで『ときわ』の公開が上甲板のみだったら最悪ですね」。それはまさに、いま私が最も恐れていることにほかなりません。もしそうなれば、私はこの神戸遠征が無駄足だったと激しく後悔することでしょう。艦内を公開して欲しいという強い願いから、次のような言葉が私の口を衝きます。
「もし艦内を公開してくれたら、この夏は「ときわ」を全力で推すわ。部隊帽を買って今年の夏の遠征でずっと被り続けるよ!」

そんな事を話しているうちに時間は過ぎ去り、公開開始30分前の午後12時30分頃から乗艦待ちの列が形成されはじめました。私もM井さんも並ぶのは好きではないのですが、はやる気持ちを抑えられずに列に加わることにしました。もはや都市部の艦艇公開では、乗艦待ちの列が当たり前になった感すらあります
午後1時、「ときわ」の公開が始まりました。まずは上甲板にある各種補給用設備を撮影します。この最も艦橋寄りにある補給用ポスト(柱)と周囲の設備は、5番(右舷側)・6番(左舷側)ステーションで、燃料・航空燃料・真水(液体補給品)の補給を担当します。
ポストには数多くの蛇管が備え付けられているのに注目。艦艇用と航空用の燃料に加えて真水も扱うので、艦艇用燃料のみを扱う1番・2番ステーションと比べると、多くの蛇管があります。

ステルス性を全く考慮していない垂直にそそり立つ艦橋構造物が素敵です♪最上段の窓の部分は艦橋で、その下の窓の部分は補給管制室です。通常の艦なら船体内にある科員居住区科員食堂も、補給艦においては艦橋構造物内に設けられています。船体内は大部分が物資の積載スペースに充てられているためです。
艦首に近い場所から艦橋方向を望みます。手前の補給用ポストは1番(右舷)・2番(左舷)ステーションです。1番・2番は艦艇用燃料のみを扱うため、先ほどの5番・6番よりも補給用蛇管の数が少ない点にご注目。ポストの上部が外側に張り出している部分には、蛇管を受給艦に送るワイヤーを展開するための装備が設置されており、蛇管はこの部分からワイヤーに吊るされる形で格納されています。

補給ステーションの構造・設備は前タイプの「さがみ」で確立され、「とわだ」型も「さがみ」を踏襲しています。一方で、燃料の積載方法やドライカーゴ(物資)の格納・運搬方法は大きく変更され、補給艦としての完成度を高めています。最新型の「ましゅう」型が「とわだ」型の拡大型であることを鑑みると、「とわだ」型は海自における補給艦のスタンダードを確立した艦と言えるでしょう。
こちらは艦の前部甲板中央部にある第3(右舷)・第4(左舷)ステーションです。ここは弾薬や糧食等の物資(ドライカーゴ)を扱うステーションで、燃料や真水といった液体補給品を扱わないのでポストには蛇管がありません。代わりに物資を艦内から揚げるためのエレベーターや、物資を受給艦と繋がるワイヤーに取り付けるためのクレーンなどが備えられています。第1・第2・第5・第6とは設備も雰囲気も全く異なるステーションとなっています。

手前の筒状の構造物は補給作業の指揮や設備の操作を行う指揮所で、各ステーションに設けられています。この指揮所の外側の壁面には自ステーションが何の補給を担当するかを示すマーキングが施されていたのですが、きょうの「ときわ」は全ての指揮所の壁面からマーキングが消えています。これは何故でしょう?
あれっ!掃海艇がいる!! 小型であるが故に岸壁からは全く見えないため気付かなかったのですが、掃海管制艇(元掃海艇)の「まえじま」(左)と「くめじま」(右)が目刺しで停泊していたのです。阪神基地隊のHPが「艦艇5隻が集結!」と謳っていた残りの2隻は、この「まえじま」と「くめじま」だったのです。

この2隻、今は遠隔操縦自航式掃海具(SAM)を操作する掃海管制艇として、残り僅かとなった人生を送っています。この2隻で掃海隊群第101掃海隊を編成しており、を母港としています。
掃海管制艇に変更される前、「まえじま」は舞鶴の第44掃海隊に所属しており、舞鶴遠征の際にはよく顔を合わせた艇です。一方「くめじま」は、ここ阪神基地隊をベースとする第42掃海隊に所属していました。つまり、今回の寄港は“久しぶりの里帰り”なのです。
補給用スペースに充てられている前部甲板を通り抜けると、見学順路を示すプレートの矢印は「↑」となっています。艦橋構造物側面に設けられている細くて急なラッタルを登って上に行くようです。ということは、艦橋を公開するのか…?心を躍らせながらラッタルを登れる所まで登ったらそこは艦橋露天部でした。あれ?

露天部からは今しがた私が撮影した補給用スペース(前部甲板)を一望することができます。もう何が何なのかよく分からなくなるほどの様々な設備があり、艦艇というよりは臨海コンビナートという方がぴったりな光景です。でも、この混沌とした雰囲気が高度にマニアック化した私のマニア心にはどストライクで突き刺さります補給艦、す・て・き…♡ 初めて補給艦に乗った見学者にはこの光景は衝撃的だったようで、皆さん一様に驚きの声を挙げていました。
艦尾方向に目を移すと、最初に乗艦した「うみぎり」「とね」が見えます。おや?「うみぎり」のヘリ甲板に対潜ヘリが出されて、周りには見学者がいるではないですか。私が乗った際にはヘリ甲板は全くの無人だったのですが…。どうやら、急きょヘリコプターの公開を始めたようです。もしかしたら「とね」が上甲板しか公開しておらず、私のように艦上で落胆する人が多数いたために、「うみぎり」の艦長が急きょ公開を始めたのかもしれません。実際、「うみぎり」艦長・城二佐は甲板上で見学者の様子を見守っておられました。

対岸には数隻のフェリーが泊まっていますが、あの場所は六甲アイランドフェリーターミナルです。太陽を模した意匠を纏ったフェリーは「フェリーさんふらわあ」で、私の家の近くの西大分港と六甲アイランドを約12時間で結んでいます。私も利用したことがあります!
私の心配は杞憂に終わりました。艦橋が公開されています
同時に 、この夏は「ときわ」を全力で推すことも決定しました(笑)
白い天井、天井と床から延びる伝声管、クラシックなデザインの操舵装置などなど、古い艦の魅力がことごとく詰まった光景です。また、艦橋構造物が直線的なデザインのため、艦橋は新鋭護衛艦とは比べものにならないくらい広々としていて撮影が捗ります。

古い艦とはいっても「ときわ」の就役は1990年3月、私が大学4年生になるのを前に就活の準備を進めていた頃で、つい最近の事のように思えるのですが…。で、「ときわ」を語るうえで忘れてはならないのが、就役1年後の1991年4月にペルシャ湾掃海派遣部隊の一員となったこと。掃海母艦「はやせ」と4隻の掃海艇がペルシャ湾で掃海作業を行うのを、「ときわ」は補給面で支えた功労者なのです。
右舷側の艦長席には艦長が二佐であることを示す「赤青」のカバーが掛かっています。補給艦の艦長は一佐職なのですが、三段階ある一佐職でも最初の(一)であることから、一佐昇任が近い二佐が充てられることが多々あります。かつては補給艦に二佐の幹部が艦長に充てられてもほぼ在任中に一佐に昇任していたのですが、昨今は一佐の幹部が不足しているのか、二佐のまま艦長職を終える事例も多くなっています。この現象は、同じ一佐職の輸送艦ミサイル護衛艦においても頻繁にみられるようになりました。

同じ「とわだ」型で見ると、「とわだ」「ときわ」は二佐の艦長、「はまな」は一佐の艦長となっています。「はまな」の加藤艦長は就任時は二佐でしたが、7月1日付の昇任人事で一佐に昇任しています。一方、「ましゅう」型の2隻はいずれも一佐が艦長を務めています。
艦長席の後方で見学者に説明をしている幹部(一尉)がいます。
「おや?どこかでお見かけした人だなぁ…」と思ってよく見ると、3年前に博多港での「あきづき」公開の際にお会いした航海長(当時)ではありませんか!「あの…実は私…」と話しかけた瞬間、「あっ!大分のマニアさん!」と、すぐに私の事を思い出してくれました。

この幹部とは2010年の伊勢湾マリンフェスタ試験艦「くりはま」でお会いし、その3年後の2013年に博多港の「あきづき」でお会いしています。そして今年(2016年)の夏は「ときわ」と、3年ごとに艦上でお会いするという奇跡が起きてしまっています。
「ときわ」では艦の№3にあたる船務長を務めており、補給作戦の立案と調整を担当しているほか、当直士官出入港時の曳船指揮官なども併せて担当しているということです。
右舷側のウイング部に出てみました、「とわだ」型のウイングはご覧のように護衛艦とは比べものにならないくらい広くなっています。船務長によると、これは補給作業を監督するためだけでなく、操艦用の視界を確保するために、ウイングを外側に大きく張させているとのこと。確かに護衛艦と同じ広さのウイングでは目の前に補給用ポストが位置することになり、操艦は不可能でしょう。

ウイングがこれだけ外に張り出していても、補給用ポストによって視界はかなり遮られます。ましてや艦橋はなおさらで、船務長によると艦橋からの視界は約40%が補給用ポストで遮られており、操艦が非常に難しいということです。また燃料や物資を満載した際は艦が重くなり、加速しないわ止まらないわで大変とのこと。操艦においては補給艦特有の苦労が多々あるようです。
船務長に「また3年後に何処かの艦でお会いしましょう」とお別れの挨拶をして、艦橋をあとにします。艦橋構造物内のラッタルを下っていると、途中の階で人柄の良さそうな海士君が、「奥の司令室も公開してますよ」と、とても素敵な事を言うではありませんか!
狭い通路内をダッシュするほどの勢いで奥へ進むと、確かに司令室のドアが開いています。おぉ、これが司令の部屋か…

外側で見学するだけでなく室内にも入れます。さっそく司令気分でソファーに座ってみます…かなり堅めの座り心地です。部屋の壁面が木目調になっているのにご注目!実際は木が張られているわけではなく、壁面に木目をプリントしているだけなのですが、艦艇とは思えぬ豪華さと温かみがあります。このような壁のデザインも補給艦という非戦闘艦ならではの特徴と言えるでしょう。
ソファーがある部屋は、いわば司令公室で、その奥に司令のプライベートスペースである私室があります。私室には執務机ベッドが備え付けられています。艦内に二つしかない個室のうちのひとつです(もうひとつは艦長室)。私室にがあるのも個室の特権です。

先に引用した井上成美大将には私室のベッドに纏わる逸話があります。比叡艦長だった頃、従兵(お世話係の水兵)が「艦長室のベッドの寝心地はどんな感じだろう?」と思って試しに寝てみたところ、不覚にもそのまま眠り込んでしまい、目が覚めたら隣に井上艦長が寝ていたというものです。従兵を叱り飛ばさなかった井上艦長は立派ですが、従兵は心臓が止まる思いだったでしょう。司令のベッドを見ていたらこの逸話を思い出し、私もこのベッドに試しに寝てみたくなりました(笑) もちろん、実行はできませんでした。
私室には浴室もあります。ここには浴槽のほかトイレと洗濯機が設置されています。専用の洗濯機があるのも指揮官の特権です。
浴槽は科員浴室にあるのと同じ材質・構造ですが、当然ながら大きさはやや小さ目です。小さ目とはいえ、数人が一緒に入浴する科員浴室とは違い、この浴槽は司令一人が入るのですから艦においてこれ以上の贅沢はありません浴槽に一人で浸かれることが、指揮官の最大の特権といっても過言ではないでしょう(笑)

ちなみに、浴槽のお湯は停泊中は真水航海中は海水が使用されます。シャワーは常時真水が出ます。真水の湯に浸かることは、乗組員にとっては停泊中の楽しみのひとつなのですが、中には「海水の湯でなければ風呂に入った気がしない!」と豪語する猛者もいらしゃいます。海水は真水よりも温まりが格段にいいそうです。
司令室の入口横には歴代の第一海上補給隊司令の名前を記したプレートが掲げられています。6代目に当たる現在の司令は柏原正俊一佐「くらま」「かしま」艦長第2護衛隊司令を歴任し、当HPのレポートにも何度か登場したことがあるお馴染みの幹部です。

歴代の司令のお名前を見ると…初代の外村一佐阪神基地隊副長「とわだ」艦長を務めた“補給艦のプロ”的な幹部、2代目の向井一佐DD「あけぼの」初代艦長、3代目の五島一佐ソマリア沖海賊対処部隊の初代指揮官、4代目の中村一佐特別警備隊長第7護衛隊司令を歴任、5代目の在原一佐第2護衛隊司令掃海隊群幕僚長を歴任した幹部です。なかなかに凄い幹部が司令を務めています。これは第一海上補給隊と補給艦が艦隊においていかに重要な存在かを表していると言えるでしょう。
艦橋構造物を出て後部甲板へ、ここはヘリコプター離発着用の甲板となっています。補給用物資を空輸するために設けられていますが、「ましゅう」型のように格納庫を兼ねた物資保管庫はありません。物資輸送用の大型ヘリ・MH-53Eの離発着が可能です。
前方に煙突がありますが、ステルス性とは無縁な垂直かつ丸みを帯びたデザインなのにご注目。クラシックなデザインですが、昨今の随所が尖りまくった新鋭艦よりも今の私にはグッときます。

甲板上の青いテントはグッズ売り場で、「ときわ」グッズを求めて大勢の見学者が並んでいます。この売り場、当初は設けられていなかったのですが、部隊帽を収集しているM井さんが先任伍長にお願いしたのを機に、急きょ売り場が出来ました。M井さん恐るべし!おっと、「ときわ」を推すために私も帽子を買わなければ…。
見学・撮影を終えて「ときわ」を下艦しました。一時は無駄足に終わるかに思えた今回の神戸遠征ですが、「ときわ」のお蔭で実り多い遠征となりました。実は「ときわ」は行動中にたまたま阪神基地隊に寄港したところ、隊から「イベントをするので艦を公開して欲しい」との要請を受けて、急きょ公開を実施することになったそうです。

急な公開にも関わらず、甲板上の補給用施設だけでなく艦橋、さらには司令室まで公開してくれた「ときわ」には感謝の気持ちでいっぱいです。乗組員の皆様、ありがとうございました!感謝の気持ちを込めて、この夏は「ときわ」の帽子を被り続けます
「ときわ」で船務長になっておられたK一尉に3年ぶりにお会いできたのも嬉しかったです。私が神戸遠征を決めたのは、K一尉に再会するために見えない糸に引き寄せられたのかもしれません。

落胆から始まった神戸遠征は、「ときわ」における充実の一般公開と奇跡的な再会で心は晴れ晴れ…♪