DDH「くらま」 最後の別府寄港


9月26〜27日の間、DDH「くらま」が別府に寄港し、生涯最後となる別府での一般公開を実施しました。

9月26日午後2時過ぎ、私は地元の別府港にいます。太陽の意匠を身に纏った「フェリーさんふらわあ」が停泊しているこの光景は、当HPではすっかりお馴染みの風景となりました。私はこのあと午後3時にこの埠頭に接岸する艦艇の入港シーンを撮影すべく、カメラを手にして今や遅しと待っているのです。

この別府港第3埠頭におけるイベントレポや艦艇公開時の画像には「フェリーさんふらわあ」が頻繁に写り込んでいますが、それはこのフェリーが夜に出港して早朝に到着する運航パターンになっており、日中はずっとこの埠頭に停泊しているためです。現在、「さんふらわあ・あいぼり」と「さんふらわあ・こばると」の2隻が就航しており、停泊している船は毎日交互に入れ変わります。ちなみに、本日停泊しているのは「さんふらわあ・あいぼり」の方です。
午後2時38分、待っていた艦が姿を現しました。そう、私が待っていたのは最後の従来型DDHにして、最後の蒸気タービン推進艦であるDDH「くらま」です。
現在「くらま」は来年3月の退役を前に、各地への“御礼巡業”とも言うべき国内巡航を行っており、鹿児島・宮崎に続いてこの別府にやって来たのです。「くらま」は退役の準備が始まる年末まで、全国各地の港を巡ることになっています。まさに“引退興行”です。

「くらま」は1981年3月に就役し、佐世保に配備されました。そして現在までの35年間もの長きに渡って一度の転籍も経験せず佐世保を母港にしています。35年間も母港が変わらないという艦歴は、自衛艦としては稀有な存在であり、母港がある佐世保、さらには九州の艦艇マニアに絶大な人気を誇る艦です。
「くらま」は変針して、埠頭に向かって航行します。既に甲板上では舫作業を担当する乗組員が整列を終えています。また民間の曳船も寄り添うように並走していて、「くらま」生涯最後の別府入港が始まろうとしています。カメラを構える手にも思わず力が入ります。

煙突の上にマストを構築するユニークなマック形状のマストが目を引きますが、このマック形状のマストも「くらま」が退役すると海自艦からは姿を消します。かつては「はるな」型や「たちかぜ」型、「たかつき」型などマック形状マストを有する艦は数多くありましたが、煙突から超高温の排気を出すガスタービン艦の普及により、このマスト形状を採用する艦がなくなりました。
仮にガスタービン艦にマック形状を採用したとすると、排気の熱によりマストが焼け焦げてしまうという悲惨な結果を招きます。
「くらま」が埠頭の至近距離まで近づき近づきました。排水量が5000tを超える艦艇が目の前に迫ってくるのはとても迫力を感じますが、「くらま」は背負い式に配置された主砲背の高い艦橋構造物といった艦容により、実際の排水量以上の迫力を感じます

この角度から見ると背負い式に配置された主砲がとても美しいですが、この主砲配置を有する艦も「くらま」が最後になります。
「くらま」は最後の従来型DDHであるだけでなく、蒸気タービン推進やマック形状マスト、背負い式主砲配置もこの「くらま」が最後の採用艦であることを鑑みると、「くらま」の退役は海自艦艇史の観点から見てもひとつの時代が終わる節目と言うことができます。
技術の進歩で古い技術・構造が消えていくのは世の常ですが、長年親しんできただけに一抹の寂しさを感じずにはいられません
「くらま」は接岸位置で停止、ここからは曳船が船体をゆっくりと埠頭に押していきます。「くらま」の舷側には船体保護用の防舷材が準備されています。埠頭側には、舫を受ける大分地本の隊員(陸自隊員)が数人待機していますが、彼らは艦や海には無縁の陸自隊員(しかも普通科=歩兵)であるにも関わらず、海自隊員にひけをとらない見事な舫作業を行います。しかもパワフル!

船体に入ったナックルラインが美しい艦容を際立たせています。ナックルライン自体は波浪が上甲板まで跳ね上がるのを防ぐためのものですが、「しらね」型DDHではヘリコプター甲板の横幅確保艦内容積の確保にも貢献しています。ナックルラインは「くらま」以降の艦でも採用されていますが、近年の新型艦では採用されておらず、近い将来の絶滅が心配される“絶滅危惧種”となっています。
「くらま」は接岸を終えました。なんと、時刻は午後3時ジャスト!
予定時刻ぴったりに接岸作業を終えるとはさすが海上自衛隊!
この時間ぴったりに物事を実施する姿勢は、帝国海軍以来脈々と続く美風と言えるでしょう。私も父に幼少の頃からこの美風を叩き込まれたお蔭で、時間にはかなり正確に行動する人間となっていることもあり、海自のこうした姿を見ると心に清々しさを感じます

「くらま」が接岸しているこの場所、普段は近隣の釣り好きオヤジがのんびりと釣り糸を垂れているのですが、艦艇が入港して来ると事態は一変、慌ただしく釣り道具を畳んで場所の移動を迫られます。“漁場”を荒らされた腹いせなのか、釣りオヤジの中には艦に向かって「税金泥棒!」などと罵る人もいて、私は撮影をしながら、そんなオヤジを海に蹴落としたくなる衝動に駆られます(笑)
翌日の午前10時から、ヘリ格納庫で入港歓迎式が執り行われました。なぜ、いつもの埠頭ではなくヘリ格納庫での実施なのかというと、上空には雨雲がたちこめていて、降雨が心配されたためです。
艦長の水田一佐と乗組員の代表30人が整列、別府市長(代理)や防衛関係団体の代表が歓迎の挨拶を行ったのに対し、水田艦長は35年間に幾度となく入港した別府への感謝の意を述べました。正直、まだ少し先と考えていた「くらま」の退役ですが、艦長の挨拶を聞いて、退役が目前に迫っていることを実感させられました。

母港が佐世保だけに、「くらま」には大分県出身者が数人乗り組んでおり、紹介されて盛んな拍手を浴びていました。大分県は陸自の駐屯地が三つもあることから、入隊希望者の大半が陸自を選ぶのですが、艦に大分県出身者がいると本当に嬉しくなりますね。
式典が行われているヘリ格納庫の中にベタ金の肩章が輝く将官がいました。「くらま」が所属する第2護衛隊群の司令・泉将補です。
ご覧のとおりとても笑顔が素敵な方でいらっしゃいます。どうして海自の将官の方々は、威張った所が全く無く、気さくで、笑顔が素敵な方々ばかりなのでしょう? 同じ男として憧れてしまいます…

泉将補は将官の中でも数少ない一般大(早大)の卒業で、しかも大学卒業後に数年間、民間企業で働いたのちに幹部候補生学校に入校して幹部になったという、ユニークな経歴をお持ちです。
ご本人は「そんな経歴でも何とかなるもんですねぇ…」などと冗談を飛ばされていましたが、入校後、さらには任官後に人の何倍も努力して勤務してきたと思われます。その意味でも、泉将補には憧れとともに尊敬の念を抱かずにはいられません。
群司令・艦長・市・防衛団体の代表が、対潜ヘリSH-60Jを背景にして記念撮影を行います。ミス別府の隣に座って、群司令も艦長も心なしか表情が緩んでいるように見えます(笑) というか、私自身、ミス別府のお嬢さんが近年稀にみる美人さんなので驚きました。

群司令と艦長の制帽にある帽章の色が違うのにご注目!これは制帽の種類の違いによるもので、群司令の制帽は帽章と庇(ひさし)の桜葉模様が金糸で作られた高級仕立て品で、艦長の制帽は帽章と桜葉模様がモールで作られた通常品です。(当HPの「階級章・徽章コーナー」でご確認ください)
見た目が華やかな高級仕立て品は将官が選ぶことが多く、佐官や尉官は通常品を選ぶ人が多いようです。もちろん、通常品を被る将官や高級仕立て品を被る佐官や尉官の方もいらっしゃいます。
格納庫のよく目立つ場所にスローガンが掲示されています。記されている文字は「その先へ〜三十六年の航跡」。これは「くらま」が退役した後、異動先の他艦・他部隊でも「くらま」の伝統と技術を引き継いでいきたい、退役を経験して「くらま」乗組員が成長して欲しいという決意と願いが込められたスローガンです。
後で艦内を見学した際に分かったのですが、このスローガン、艦内のさまざまな場所に掲示されています

現役最終年にスローガンやキャッチフレーズを掲示した艦はこれまでにもありましたが、退役後のその先までを見据えたスローガンは「くらま」が初めてではないでしょうか?「くらま」という艦な無くなったとしても、その魂は永遠に引き継いでいくという並々ならぬ決意が文字から伝わってきます。文字もなかなか味わいがあります。
今回、大分地本と「くらま」のご厚意により、カレーを喫食する機会をいただきました。大分地本様、「くらま」様、ありがとうございます!
科員食堂の入り口にあるセルフコーナーで、プレートにご飯と野菜、ゆで卵、フライを盛り付け、最後にカレーのルーをご飯にかけます。

ここ数年、テレビや雑誌で紹介されて大人気の海自カレーですが「航海中に曜日感覚を保つため金曜日にカレーを食べている」という説明は、少し不正確かなと思っています。カレーを食べるのは旧海軍以来の風習で、元々は停泊中の艦が、半ドンの土曜日に上陸する乗組員と艦に残って昼食を摂る乗組員の正確な人数把握が難しかったために、人数の増減に容易に対応できるカレーを土曜の昼食にしたのが始まりです。「曜日感覚を保つ」役割はあるとは思いますが、それが起源であるような説明は少し違うと思います。
ジャ〜ン!これが「くらまカレー」です♪ 盛り付けがあまり美しくないのはご勘弁を…。盛り付け時にカレーの香りを嗅いで、これは絶対に美味しいと確信した私、ご飯をプレートのご飯用区画からはみ出してしまうほどたくさん盛ってしまいました…(笑)

ご覧のとおり大きめのジャガイモとニンジンがゴロゴロと入っており、加えて牛肉もふんだんに入っています。お味はというと、かなりスパイシーな大人向けの味。加えて、牛肉の風味と大きめ野菜の歯ごたえが合わさって、知らず知らずのうちに食がすすみます。ちなみに私、一口食べた瞬間に思わず「美味しい〜!」と叫んでしまいました。そう、思わず叫びたくなるほどの美味しさなのです。
私はテンコ盛りだったのでお腹いっぱいになり、おかわりはしませんでしたが、喫食参加者の多くがおかわりをしていました
「くらま」の科員食堂はこんな感じ。位置はヘリ甲板の真下になります。さすがに大型艦の食堂だけあって、ざっと見たところ60人程度が食事できる座席があります。この広さは「ひゅうが」型DDHには負けますが、「こんごう」型DDGよりも広いように思えます。
この食堂の壁にも、ヘリ格納庫で見た「その先へ」のスローガンが掲示されています。しかも、こちらは立派な木彫りの看板です。

「くらま」の科員食堂には7年ほど前に足を踏み入れたことがあるのですが、その頃に比べて随分雰囲気が明るくなったような印象を抱きました。帰宅して2009年に撮影した画像と比べたら、床の色が大きく変わっていました。2009年は白と濃緑色の格子模様だったのですが、現在はほぼ全面薄いピンク色です。これは雰囲気が大きく変わるはずですねぇ。こちらの画像でご確認を!
カレーの喫食終了後、「くらま」の一般公開が行われていたので、私も「くらま」との別れを惜しむべく艦内を巡ります。言うまでもなく、この公開が「くらま」生涯最後の別府港での公開となります。
まずは背負い式に配置された主砲の後ろの方、52番砲です。かつては多くの艦が搭載していたこの73式5インチ単装速射砲ですが、今やこの艦を有するのは「くらま」と「はたかぜ」型DDGのみとなってしまいました。「くらま」が退役すると「はたかぜ」型DDG2隻のみとなってしまい、こちらも“絶滅危惧種”というべき装備品です。

観艦式で不可欠な祝砲射撃は、この5インチ砲でしか行えないので、この砲が“絶滅”してしまうと、祝砲射撃が展示できなくなるという由々しき問題が発生します。その“前兆”のように、2015年観艦式では「しまかぜ」1隻のみでの寂しい祝砲射撃となりました。
続いては艦橋構造物アスロック・ランチャーです。
この四角い形状の艦橋構造物ですが、これもかつては海自護衛艦のスタンダードでしたが、ステルス形状の普及により「あぶくま」型DEを最後に導入されなくなりました。かつては何の変哲もない形状と考えていましたが、ステルスデザイン全盛の今日においては、逆にシンプルな美しさと味わいを感じるようになりました。
背が高く感じるのは、指揮・通信能力向上のため前タイプの「はるな」型よりも階層を一層増やした(3層→4層)ためです。

アスロック・ランチャーは性能が優秀であるが故に、海自だけでなく世界各国の海軍で採用されているベストセラー機です(米国製)。現在はVLS(垂直発射方式)に移行していますが、この発射機を装備した海自艦は多く、しばらくは“絶滅”の心配はありません。
艦橋に上がりました。案の定、見学者で大混雑しています…(涙)
平日昼間の一般公開だというのに、この人の多さは何でしょうか?
まあ、“残り少ない命”にも関わらず多くの人に見学してもらって、「くらま」はさぞ喜んでいることでしょうね。

スクエアな艦橋スペース、白い天井、天井から延びる伝声管、クラシックな操舵装置などなど、「くらま」の艦橋には旧式艦の魅力が凝縮されています。趣向が高度にマニアック化してしまった私は、新鋭艦よりも古い艦の艦橋に立つ方が感激と興奮を覚えます
できることなら大学時代(約30年前)の呉にタイムスリップし、「ふしみ」「あづま」「かしま」「よしの」「くまの」といった艦に乗って、存分に撮影をしてみたいです。とはいうものの、当時の私は「呉はボロ艦ばっかり!」と嘆いていたのですが…。勝手なものですね(笑)
航海指揮官の立ち位置から艦長席方向を撮影。艦長席にお子さんを抱いたお母さんが座っている光景は、何だか心が和みます…。
艦橋構造物が非ステルスのデザインなので、窓ガラスがある艦橋前面の直線部分が長く、実際の面積以上に艦橋が広く感じます。

かつて、退役間近の「ひえい」や「しらね」の艦橋に上がった際、艦橋内の機器や床がピカピカに磨き上げられていたことに感銘を受けましたが、その例に漏れず「くらま」の艦橋も美しく磨きあげられています自衛艦旗を降ろす瞬間まで美しい姿を保ち続けるという海自の精神に、いつもながら心を打たれます。こういった美風は、我々民間人も見習うべきではないでしょうか。
磨き上げられた機器も、新鋭艦の美しさとは異なる気がします。言うなれば、35年もの歴史が刻まれた美しさだと私は思います。
艦長席です。最後の艦長(現艦長)である水田一佐を含めて、これまでに22人の艦長がこのイスに座ってきました。就役後長らく「しらね」「くらま」は海自最大の護衛艦にして艦隊の中枢艦だっただけに、この艦長席はマニアは言うに及ばず、艦長を目指す若い幹部たちにとっても憧れのイスだったに違いありません。
私にとっても艦長席は憧れの象徴のようなもので、退役後はこのイスを譲渡していただきたい…それが無理なら座席カバーを、それも無理ならせめて赤い座布団だけでも譲っていただきたいです(笑)

前艦長の遠藤一佐は、来年3月に「くらま」と入れ替わりで就役するDDH「かが」の艤装員長(初代艦長)に就いています。「くらま」の艦長を「かが」の艤装員長に据える人事は、「かが」に「くらま」の伝統を受け継がせる狙いもあると思われます。まさに「その先へ」です。
操舵装置と操舵輪です。6月の大湊遠征で北洋館にDE「ゆうばり」の操舵輪が展示されていたのを鑑み、この「くらま」の操舵輪も退役後に何処かに展示されるのではないかと思い、現役時の姿を写真に収めておきました。近い時期に「あの時撮影した操舵輪だ!」と思いながら展示されたこの操舵輪を眺める日が来るかもしれません。

操舵輪主錨は艦艇の最も象徴的な装備品ということで、艦が退役後もこの二つだけは保存されて、退役艦の現役時の功績を称え、在りし日を偲ぶモニュメントとなることが多々あります。
“奇跡の駆逐艦”と呼ばれた「雪風」は、終戦後に台湾に譲渡され、解体後の1971年に錨と操舵輪が返還されました。以前、私の父は江田島にある「雪風」の錨を見て、「あの雪風か!」と驚き、その功績と数奇な運命に思いを馳せて涙していたのを覚えています。
左舷側艦橋ウイングから艦首方向を望んだ画です。主砲が2基連なるこの光景は、もう2度と見ることができない貴重な光景です。
5インチ単装速射砲の背面の形状がよく分かりますが、ほぼ同じ場所から同じ方向を撮影した新造時の写真(雑誌「丸スペシャル」1982年4月号)を見ると、面白いことに、砲塔の細部が現在とは異なり、また52番砲を囲む手摺も形状が違います。就役から35年もの間に数多くの修理や改装を経ていることから、「くらま」は年代によって微妙に姿を変えており、このような変化を探して楽しむことができるのもベテラン艦の魅力と言えるでしょう。

主砲2基を前甲板に集中配置して後甲板を箱型格納庫と航空甲板に充てる艤装は、まさに旧海軍の軽巡「大淀」です。初めて「くらま」を見て「『大淀』そっくり!」と感じたのを今も鮮明に覚えています。
その軽巡「大淀」を彷彿とさせる箱型格納庫の内部です。
もちろん搭載するのは水上偵察機ではなく対潜ヘリコプターで、画像に写っているスペースに2機を縦列で格納し、写っていない右側のスペースに1機を格納、最大搭載機数は3機です。
搭載する機種は、新造時はHSS-2Bでしたが、1990年代前半にSH-60Jに変わり、2005年頃からはSH-60Kも搭載されるようになりました。ちなみに本日搭載している1機はSH-60Jです。

かつては広大に感じられたこの格納庫ですが、新型DDH「いずも」「ひゅうが」「いせ」の格納庫を見てしまった現在は、とても狭く窮屈に感じてしまいます。限られた排水量と船体サイズの中で最大限のスペースを確保した格納庫ですが、ここに3機を格納して整備作業を行うのは、さぞかし苦労が多かったのではないかと推察します。
格納庫の一角に「護衛艦くらま 三十五年の歴史」と題して写真が展示されています。この写真は「くらま」の進水式を撮影した一枚で、時は1979(昭和54)年9月20日、場所は東京・豊洲にあったIHI東京工場です。この造船所では同じくDDHの「ひえい」「しらね」も建造されており、写真の「くらま」の右方向にある艤装岸壁では、半年後に引渡しを控えた「しらね」が最終的な工事を行っています。

引渡し(就役)は1981年3月27日で、就役と同時に佐世保に配備されました。「くらま」というと第2護衛隊群旗艦というイメージが強いですが、2護群の旗艦になったのは就役から3年後で、就役直後は「はるな」と共に2護群隷下の第52護衛隊を構成していました。この護衛隊、現在に当てはめると「かが」と「ひゅうが」で隊を構成しているようなもので、恐ろしく強力な護衛隊だったといえます。
写真の中には、観艦式において栄誉ある観閲艦を務めた際の一枚もあります。右は安倍首相が観閲官を務めた2006年観艦式、左は野田首相の己の所業を棚に上げまくった訓示に神様が怒り、凄まじい荒天となった2012年観艦式の一コマです。
この2枚の写真の間には、同じく観閲艦を務めた2009年の写真があってもおかしくはないのですが…。2009年観艦式の直後、佐世保へ帰投中だった「くらま」は、関門海峡で韓国の貨物船に衝突され艦首が大破・炎上してしまいました。私の勝手な推測ですが、その事故のために2009年は展示されていないのかもしれません。

観閲艦を3度も務めた一方で、関門海峡での衝突事故や就役直後にボイラー爆発事故を経験するなど、「くらま」の生涯は栄光と苦難両方を経験した中身の濃い36年間だったといえるでしょう。
今回の別府寄港から半年後には、「くらま」は自衛艦旗を降ろして36年間に及んだその生涯を終えます。「くらま」の退役は単に1隻の護衛艦が現役を退いたというだけでなく、「従来型DDHの全艦退役」「蒸気タービン推進艦の全艦退役」「マック搭載艦の全艦退役」など様々な意味を持ち、海自艦艇史における大きな節目となります。

36年もの長きに渡って海上防衛の第一線で奮闘したことに心から敬意を表するとともに、中学生だった私が50歳目前のオジさんになるまでの間、多くの思い出を与えてくれたことに感謝申し上げます。
「くらま」退役後、佐世保に「いせ」が呉から転籍し、呉には「かが」が配備されます。「くらま」の後任となる「いせ」、「くらま」前艦長が初代艦長となる「かが」には、「くらま」の良き伝統を受け継いでいただきたいと思います。ありがとう!「くらま」さようなら!「くらま」

佐世保一筋36年間…精強・2護群を率いた「くらま」は退役しますが、良き伝統は「その先へ」と続くでしょう。