2019年度遠洋練習航海 帰国行事

10月24日、「かしま」「いなづま」から成る練習艦隊が150日間に及ぶ遠洋練習航海から帰国しました。
横須賀で開催された帰国行事の模様と、それぞれの赴任先へ旅立つ実習幹部の姿をご紹介します。


超大型の台風19号の襲来によって全日程が中止となった観艦式から10日あまり、私は再び横須賀の地を訪れています。
本日1024日は150日間に渡る遠洋練習航海を終えた練習艦隊が、ここ横須賀に戻ってくる日です。そう、当HPの門下生であるT君が帰国するのです!T君と実習幹部たちに7ヵ月ぶりに会えることに心を躍らせながら午前740分に横須賀に到着、なんと、予想に反して既に艦隊が逸見岸壁に接岸しているではありませんか!えぇ~っ!!

旗艦「かしま」は既に接岸を終えており、随伴艦の「いなづま」が「かしま」に横付けしようとしています。昨年までは来賓や家族が逸見岸壁で待ち受ける中を艦隊が入港してきたと聞いていたので、私は午前9時半頃の入港と予想していたのですが…。
「かしま」「いなづま」が入港するシーンの撮影を目論んでいたものの、辛うじて「いなづま」の接舷シーンが撮れたにとどまりました…
(涙)なぜこんなに早く入港してしまったのでしょう?日本に接近しつつある台風21の影響でしょうか…?

パカパパ~ パカパパ~ パカパッパ パッパパ~♪
落胆した気持ちで「いなづま」の接岸を眺めていたら、突如として出港ラッパの音色が耳に飛び込んできました。補給艦「ときわ」が出港します。何度も公言していますが、私のオタク心を最も揺さぶる艦が「とわだ」型補給艦(とわだ・ときわ・はまな)です。なので、期せずして遭遇した「ときわ」の出港シーンに心が躍り、ついさっきまで落ち込んでいた気持ちが再浮上したのでした。これは「帰国行事に向けてテンションを上げよ!」という神様のお示しなのかもしれません。T君が無事に帰国するのです、落胆などしてはいられません!


「ときわ」ですが、不思議なことに私が横須賀で朝の撮影を行う際にはほぼ毎回午前8時前後に出港しています。単なる偶然なのか、はたまた何か理由があるのか?私には午前8時の出港が補給艦の行動パターンのひとつのような気がします。


いつもは艦艇の出入港を狙うマニアが屯するヴェルニー公園ですが、今日は少し風景が違います。スーツを着た年配の男性やよそ行きの格好をした女性らが多くいて、スマホやコンデジで逸見岸壁に接岸した練習艦隊を撮影しています。間違いなく、これから帰国行事に臨席する実習幹部の親御さんたちと思われます。厳しい訓練を行いながら太平洋を150日間かけて航海した我が子が無事に戻ってきたのですから、親御さんたちは一刻も早く会いたいのだと思いますが、その溢れる想いが親御さんたちの足をこの公園に向けさせたのでしょう。皆さん、もうすぐ息子さん・娘さんにお会いできますよ!

一方で、練習艦隊の入港シーンを撮影にきたマニアもちらほらいるのですが、年配のおっさんマニアが「2時間も早く入港しやがって、何をしているんだ!撮り損ねたじゃねぇか!」と大きな声でわめいています。私も入港シーンを狙っていたので悔しい気持ちは分かりますが、大きな声で文句を言う姿には嫌悪感しかありません。海自はあなたの撮影に合わせて行動する訳ではありませんよ!昨今、海自の人気が高まるに連れこういう情けないマニアが増えて、最近の撮影は気分が悪くなることが多くなりました。

午前8時、ラッパ譜「君が代」の吹奏に合わせて自衛艦旗が掲揚されます。「かしま」の後甲板に集合した実習幹部と乗組員が、ゆっくりと掲揚される自衛艦旗に敬礼を行います。敬礼する姿がかなり様になってきた実習幹部たちですが、人によって手の角度がまちまちなのはご愛嬌といったところでしょうか…(笑) 一方、一段高い所にいる当直士官の敬礼する姿のなんて美しいこと!実習幹部たちも今後勤務していく中で磨きをかけられ、あのように美しい敬礼をすることができる幹部になっていくことでしょう。

江田島の幹部候補生学校、そして練習艦隊において毎朝同期全員で自衛艦旗に敬礼してきた実習幹部ですが、同期全員で艦旗に敬礼するのはこれが最後です。T君をはじめ実習幹部の皆さんは、いまどのような気持ちで艦旗に敬礼しているのでしょうか…?

自衛艦旗掲揚シーンを撮影後、横須賀総監部の正門で受付けを済ませて帰国行事の会場である逸見岸壁へ。今回私はT君の「家族」として行事に招待されました。入場してすぐに「これから午前9時半ごろまで面会時間とします」とのアナウンスが…、岸壁もしくは「かしま」艦内で家族は実習幹部と面会することができるようです。アナウンスを聞いて会場にいた家族の大半が、帰国した我が子に会うために「かしま」に乗艦していきました。一方、私はというと、T君には函館からお父上が来訪する予定なのと、近隣の席の親御さんたちの荷物番を引き受けたことから「かしま」には乗艦せず、岸壁でお留守番です。聞くと「かしま」の艦内をあちこち見学できるようですが、今回はマニア心を一旦捨てて、親御さんたちが息子・娘さんに久しぶりに会うことに協力すべきと考えました。

そんな中、面会に向かう一組の家族から声を掛けられました。「いつもHPを拝見しております」
えぇ~っ!なぜ私が管理人と分かったのでしょう!?またしても妙なオーラを発していたのかと不安になったのですが、私が隣席の家族と話している内容から管理人と気付いたとのこと。そのご家族は3月の艦上レセプションで出会ったYさんのご両親で、息子が海自に入ったのを機に私のHPで海自について学んでいたというのです。レポートで息子さんを紹介したことへのお礼の言葉までいただきました。いえいえ、お礼を言うべきなのは私の方ですから…
(汗) 嬉しいなぁ…HPを運営していることが報われた気がしました。

岸壁でお留守番といっても決して退屈な訳ではありません。岸壁の至る所で、「かしま」「いなづま」艦上で、実習幹部が家族と久しぶりに面会しており、その姿を見るだけで何だか心が和むというか、幸せな気分になるのです♪♪
岸壁で親御さんと久しぶりの再会を果たした実習幹部、艦上で家族と記念撮影をする実習幹部、家族に艦を案内する実習幹部…久しぶりの再会を喜ぶ実習幹部とご家族の姿は本当にいいですね!遠洋航海で逞しく成長した我が子の姿を眺める親御さんがとても嬉しそうな表情をしているのが印象的でした。実習幹部たちは既に相当な親孝行をしています
それに比べて私ときたら…。

この光景を見て東宝映画「連合艦隊」(1981年公開)の中で、海軍兵学校を恩賜で卒業した息子(中井貴一)を出迎えた父親(財津一郎)が、広島弁で「立派になりんさって、嬉しいのう…」と呟きながら喜びを溢れさせるシーンを思い出しました。時代は変われども、我が子の逞しい成長ぶりを喜ぶ親の姿は変わらないようです

岸壁で佇む私の姿を見つけたのか、T君が岸壁まで降りてきてくれました。3月の艦上レセプション(神戸)以来、7ヵ月ぶりの再会です。
「ただいま帰国しました」と颯爽と敬礼するT君、前回に会った時よりも逞しく精悍な‟海軍士官”に成長しています。そんな姿を見た私、嬉しくて嬉しくて涙が溢れそうになりました。気分はまさに映画「連合艦隊」の財津一郎です。そしてこの嬉しい気持ちは、いま岸壁や艦内で面会している実習幹部の親御さん全員が抱いていることでしょう。いや、親なので私の何倍、何十倍の感激でしょう。

横須賀到着直前に実習幹部ひとりひとりに対して要員と最初の赴任先が発表されますが、T君は希望通り艦艇要員となりました。そして記念すべき最初の赴任先は大湊です。大湊を母港とするとある艦で通信士(=航海士)を務めます。これから数年は1年ごとに配置が変わり、主要な三つの配置を(通信士・機関士・水雷士)を順番に経験することになります。T君、頑張って!!


思い起こせば、T君と初めて会ったのはこの逸見岸壁でした。2010年8月のヨコスカサマーフェスタ、完成したばかりのこの岸壁で吉倉桟橋に停泊している砕氷艦「しらせ」を撮影している私に、「HPの管理人さんですよね?」と声を掛けてきたのが当時中学1年生のT君でした。私の顔を知らないT君が声を掛けてきたのは奇跡ですし、その9年後に同じ場所で遠洋練習航海から帰国したT君を出迎えることもすごい巡り合わせというか、まさに奇跡です。さらに、その奇跡を演出した「しらせ」が9年前と同じ場所に停泊しています

なに?この出来過ぎなシチュエーションは!?逸見岸壁と「しらせ」が9年前と現在を、そして私とT君を結びつける運命の糸を紡いでいたのです。『過去は未来に繋がり、現在は過去の上に成り立っている』。 私とT君の物語は、実は神様によって9年前のこの場所で既に仕組まれていたのだと感じました。そして今日が更なる未来に繋がっていくことも…その未来が楽しみでなりません。


帰国行事の開始は午前10時30分ですが、開始時刻が近づくにつれて将官や元海幕長らOBが続々と会場に姿を見せはじめます。
当HP内の「資料室」に「海将・海将補 氏名一覧」を掲載しているくらいなので、実は私は“将官マニア”でもあります。輝くベタ金の階級章を袖に付けた将官たちが次から次へと来場する姿に心が躍りました♪♪ その一部をご紹介…。

(左上)護衛艦隊司令官・湯浅海将。5年前の帰国行事を晴海埠頭で撮影しましたが、その時の練習艦隊司令官でした。
(右上)自衛隊中央病院副院長・佐藤海将。海自医官の最高位に位置する人。胸にはレアな潜水医官徽章が輝きます。
(左下)自衛艦隊司令官・糟井海将。さすがは‟連合艦隊司令長官”、敬礼する姿も堂々としていて大物感が漂います。
(右下)大阪のオモロイお兄さん、もとい、統幕防衛計画部副部長・福田将補。あの面白トークがまた聞きたいです。


将官たちが続々と来場するなか、ひときわ長身で若々しい雰囲気の将官が姿を現しました。この8月に同期(防大32期・88幹候)の一選抜で海将に昇任し、補給本部長に就いた伊藤海将です。私が最も尊敬申し上げる海自幹部であることは既に何度も述べておりますが、第7護衛隊司令時代に「きりさめ」「ありあけ」を率いて私の地元・別府に来航したのを機に交流が続いております。
伊藤海将の姿を見て思い出したのですが、別府港で伊藤海将(当時1佐)に出会ったのは2010年7月下旬で、この岸壁でT君と出会う1週間前でした。いま改めて振り返ると、伊藤海将とT君に出会った「2010年の夏」は、私のその後の人生に大きな影響を与える転換点だったことが分かります。人生は振り返った時に転換点に気付くといいますが、私にとってはそれが「2010年の夏」だったのです。


伊藤海将に後ろにいる2尉の幹部は補給本部長の副官(秘書)です。副官は制服に白い飾緒を付けているのが特徴で、この姿は帝国海軍以来の伝統でもあります。同じ飾緒でも金色の参謀飾緒は海自では採用されなかったのに対し(例外あり)、白色の副官飾緒はしっかりと引き継がれている点は面白いところです。恐らく、一目で副官と識別する必要があるからだと考えられます。

来場する将官の殿(しんがり)は海上幕僚長・山村海将です。ベタ金+三本線の階級章が眩し過ぎます!会場はかなり強い風が吹いているので顎紐を降ろして制帽を被っていますが、何だかその姿が可愛らしく感じてしまいます。癒し系の海幕長ですね(笑)

山村海将は今年3月に海上幕僚副長から海上幕僚長に就任しました。次期海幕長の最右翼と考えられていた当時の自衛艦隊司令官ではなく山村海将が海幕長に就いたことに少々意外な感じがしたのですが、今日の山村海将の姿を見ていると、時代の変化とともに海幕長に求められる資質が若干変わってきたのかなと感じました。その意味では、山村海将は時代が求めた新たな形の海幕長であり、今後はこの系譜の海将が海幕長に就いていくのだと考えられます。威厳と柔らかさを兼ね備えた山村海将、素敵です!


行事開始20分前の午前10時10分、実習幹部たちが「かしま」から降りてきました。これから所定の位置まで行進して整列するのです。
お分かりだとは思いますが、列の先頭付近にいる1佐や2佐の幹部は実習幹部ではありません。先頭の1佐の幹部は練習艦隊司令部の首席幕僚・小宮1佐、その後を7人の幕僚が続いていて、9人目からが実習幹部です。午前8時の自衛艦旗掲揚に続き、同期全員で行進・整列するのはこれが最後となります。実習幹部それぞれが様々な想いを抱いていることでしょう。

実習幹部たちの晴れ姿を収めようと、横須賀総監部の広報班員がカメラを手に精力的に動き回っています。ニコン製の結構いいカメラを使っているようです。近いうちに横須賀総監部のHPで写真が公開されるでしょうから、楽しみに待ちたいと思います。


実習幹部の整列が完了すると練習艦隊司令官・梶元将補が岸壁に降り立ちました。定位置に就く前に来場している自衛艦隊司令官と護衛艦隊司令官に敬礼、両司令官は素敵な笑顔で答礼しています。海の武人たちの素敵な一コマです♪ 湯浅海将の隣にいる佐藤海将(中央病院副院長)と乾海将(幹部学校長)が答礼をしていないのは、練習艦隊とは指揮命令系統が異なるためでしょうか?

後列には掃海隊群司令の白根将補のお顔も見えますが、梶元司令官と伊藤海将・白根将補は防大以来の同期生です。恐らく伊藤海将と白根将補は、練習艦隊を指揮して無事に帰国した同期の梶本司令官を出迎えるために来場したと思われます。年月を経て将官になっても延々と続く同期の絆…素晴らしいです。帰国した実習幹部たちもこの同期の絆をいつまでも大切にして欲しいです。

梶元司令官が定位置に立ち整列が完了しました。あとは防衛省からの主賓の到着を待つばかり。静まり返った会場にはピーンと張り詰めた空気が漂います。式典前のこの雰囲気、嫌いではありません。イスに座っている私も思わず背筋が伸びてしまいます。

練習艦隊の出国・帰国行事ですが、ここ横須賀基地内の逸見岸壁で実施されるようになったのは3~4年ほど前からで、それまでは東京の晴海埠頭で実施されていました。会場が晴海から横須賀に移ったのは晴海一帯で進められているオリンピック関連施設の建設工事のためですが、東京オリンピック終了後の2021年度練習艦隊の出国・帰国行事は何処で実施されるのか気になります。ちなみに晴海埠頭を使うようになったのは90年代中盤からで、それまでは長浦の市営桟橋(最近海自の施設になった場所)で行っていました。

パッパカパッパッパ~♪ 午前10時30分、会場に「気を付け」のラッパが響き渡りました。山本ともひろ防衛副大臣の到着です。栄誉礼(残念ながら私の位置からは見えなかった)のあと、海幕長ら陸海空の高官と副大臣旗を引き連れて堂々の会場入りです。

山本副大臣は比例南関東ブロック選出の衆議院議員で、当選回数は4回。京都大学大学院を修了後に松下政経塾に入塾、米ジョージタウン大学での客員研究員を経て2005年に衆院選で初当選しています。落選による浪人時代もありましたが着実に当選回数を重ね、安全保障に関する豊富な知識と高い見識を買われて、9月の内閣改造で2度目の防衛副大臣を拝命しました。一方、Twitterにおいて防衛に関する話題を積極的に発信するとともに、マニアからのツィートにもこまめに返信するなど、軍事マニアや若い世代に高い人気を誇る政治家でもあります。いわゆる国防族議員ですが、こういった政治家が副大臣に就くのはとても良い事だと思います。


帰国行事の最初は梶元司令官から山本副大臣への帰国報告です。「日本国練習艦隊司令官・梶元大介以下実習幹部188名を含む総員577名、環太平洋方面令和元年度遠洋練習航海を終え、ただいま帰国しました」

幹候校の卒業時、一般幹部候補生課程の卒業生=実習幹部は190人でした。司令官の報告では188人とのことですから2人減っています。聞くところによると、訓練中にケガをして途中の寄港先から帰国した人がいたそうです。150日間にも及ぶ遠洋練習航海から無事に帰国すること自体、なかなか大変であることを改めて思い知らされました。ケガを負った実習幹部の早期回復をお祈りいたします


帰国報告を受けて山本副大臣が訓示を行います。こういった式典での高官の訓示といえば、事務方が用意した型式通りの無味乾燥した訓示が多いのですが、山本副大臣は一味違いました。事務方の用意した訓示文は持たず、自分の言葉で語り始めました。

「防衛副大臣の山本です。梶元司令官から約半年間に渡って太平洋を1周して、無事に帰国した旨の報告を受けました。梶元司令官からすれば、まだ一人前ではない諸君らの操艦によって太平洋を回ることは若干不安もあったとは思いますが、その任を見事に果たして無事に帰国したことを大変嬉しく思います。
こののち皆さんは一人前の船乗りとして幹部として現場で任にあたることになります。現在、自衛隊は日本だけではなく世界で活躍し、世界の平和に貢献しています。私が副大臣を仰せつかった際に全く見ず知らずの方からお手紙をいただきました。アデン湾で民間の船に乗っている方からの手紙でした。『不安を抱いていたけれども、海上自衛隊の護衛艦がエスコートしてくれて大変心強く、安心して航海ができた。ぜひ現場の隊員に感謝の意を伝えて欲しい』という内容でした。私がその方に会うことはありませんし、アデン湾で活動する自衛官も会うことはないでしょう。皆さんも今後現場で職務に精励されると、全く会うこともない、知りもしない人たちが皆さんの仕事で勇気をもらったり、感謝の気持ちを抱いてくれることがあります。これは実は当たり前のようで当たり前ではありません。世の中は仕事をすることが当たり前で、一般的な大人は仕事をしても誰からも褒められることはありません。しかし、自衛隊の仕事は全く見ず知らずの人から『ありがとう』という感謝の言葉を貰うことがあります。その事はそれだけ立派な仕事をしている、褒められる仕事をしているということであります。そういった役割が皆さんに求められるし、その役割を果たさなければなりません。練習艦隊で研鑽を積んだ皆さんの特技をしっかりと生かして、国民の期待に沿うよう職務に精励されることを期待し私の訓示とさせていただきます」。

自らの経験談を自分の言葉で語った素晴らしい訓示です。一言一言がじわじわと心に染み入りました

副大臣に続いて、山村海幕長が訓示を述べます。こちらは台本ありのようです。とはいえ、“海軍”らしい素敵な訓示でした。

「本日ここに約5ヵ月間の遠洋練習航海を終え帰国した梶元司令官以下隊員諸君の元気溢れる姿に接し、海上幕僚長として喜びにたえない。今回、11か国13寄港地における練習航海を無事完遂できたことは梶元司令官の卓越した指揮統率のもと全隊員が一致団結した賜物であり、諸君の清々とした行動が訪問国との友好親善に寄与したものと確信する。
実習幹部諸君、諸君らは訓練に励みながらも夕陽に映える広大な太平洋に心奪われ、時には牙を剥き荒れ狂う海の厳しさを体験したことだろう。また日本人移民120周年となるペルーなどを訪問して国際親善に貢献し、初寄港となるパラオなどではかつての激戦地を巡り、戦争の歴史と日本人としての自分を再認識したことだろう。出国の際に私が要望したことは、海を知り、強い精神とリーダーシップ、そして同期の絆を育むことであった。いま諸君らの自信に満ち溢れた顔を目の当たりにし、それが達成されたことを確信している。本日からそれぞれ部隊勤務へと旅立つことになる。海上自衛隊の全ての活動の基本が海の上であることを念頭に置き、遠洋航海で学んだことを生かし、溌溂と楽しく勤務してもらいたい。次に練習艦隊の乗員諸君、長期にわたり将来の海上自衛隊を担う人材の育成という任務に尽力した姿は、若き実習幹部たちの良き手本である。実習幹部にとって将来を踏み出す第一歩となる重要な任務に携わったことを誇りとし、今後の任務に邁進することを期待する。
ご家族の皆様におかれましては、ご主人、ご令室、ご子息、ご息女の無事のご帰国を心からお祝い申し上げます。最後に、練習艦隊総員の無事の帰国を海上自衛隊を代表して歓迎し、訓示とする。お疲れ様!」。

梶元司令官と「かしま」「いなづま」両艦長に花束が贈呈されました。ここが神戸ならプレゼンターとしてコウベリーズのお嬢さんたちが登場するのでしょうけど、ここは横須賀ということで青いチェック柄の衣装を着たお嬢さんたちは現れません(笑)

ここで花束を渡すプレゼンターは結構高齢なおじ様たち。いったい誰なのかと思いながら眺めていたら、第29代海上幕僚長を務めた赤星慶治さん(在任期間:2008年3月~2010年7月)のお顔が見えました。ということは、海幕長またはそれに準じる高官のOBと思われます。皆さん、かなりのお歳を召しておられますが年齢を感じさせない溌溂さがあります。若い時に海自で鍛えられた賜物でしょう。


帰国行事が終了し山本副大臣が会場から退出…のはずだったのですが、副大臣は退出する方向とは逆の方向に歩きだし、私や実習幹部のご家族がいる席の前まで歩み寄ってきました。そして、ご家族に向かって挨拶を述べました

「ご家族の皆様、おはようございます。防衛副大臣の山本でございます。きょうはお出迎えに来ていただき、本当にありがとうございます。現在、自衛隊は31000人体制で(台風19号被害への)災害派遣を続けておりますけれども、皆様のご家族である隊員も今後いろんな役割を担ってくれると思います。ご家族の皆様にとってみますとご不安もあろうかと思いますが、我々防衛省・自衛隊は隊員がしっかりと働くことができる環境を作ってまいりたいと思っておりますので、引き続き防衛省・自衛隊にご協力とご理解をいただければと思います。よろしくお願いします」。

副大臣ご本人によると、この挨拶は当初の予定にはなかったのですが、せっかくご家族が臨席しているので来場していただいたお礼と、今後の自衛隊へのご理解を賜りたく挨拶を行ったとのことです。ご家族への配慮を滲ませた挨拶は私の心に響くものがありましたが、ご家族の皆様も同じように感じたのか、挨拶終了時には大きな拍手が沸き起こりました

山本副大臣の退出で帰国行事は終了。梶元司令官のもとには伊藤海将や白根将補をはじめとする将官やOB、知人らが次々と訪れて無事の帰国を称えていました。知人の中には記念撮影をお願いする人も…。梶元司令官は無事に遠洋航海から帰国し、帰国行事もつつがなく終えた安堵感からか、とびっきりの笑顔で賛辞や記念撮影の依頼に応えていました。本当に素敵な笑顔ですね!

旗艦「かしま」はこのあとドッグ入りして、来年度の遠洋練習航海に向けたオーバーホールを実施します。それに合わせて11~12月に練習艦隊司令官と艦長が交代します。練習艦隊司令官と「かしま」艦長は1年交代の配置ですので、梶元司令官・高梨艦長ともに交代となります。次に誰が司令官に就くのか?そして梶元司令官の次の配置はどこなのか?発令を注目して待ちたいと思います。


帰国行事終了から20分後、行進曲「軍艦」が流れるなか、乗組員や幕僚らに見送られながら実習幹部が「かしま」を下艦します
実習幹部は後甲板から舷門に向かって上甲板を敬礼しながら行進、乗組員や幕僚らにお礼とお別れの言葉を述べます。「お世話になりました!」「ありがとうございました!」「部隊でも頑張れよ!」「元気でな!」といった挨拶が甲板上で交わされ、映画「愛と青春の旅立ち」(1983年公開)のラストシーンに勝るとも劣らない感動的な別れの光景が繰り広げられています。


ちなみにBGMとして流れている行進曲「軍艦」ですが、帰国行事終了とともに横須賀音楽隊が帰隊してしまったので、艦内スピーカーからCD音源が流れています。勇ましい「軍艦」が流れているせいか、感動的ではありますが別れに湿っぽさはありません。

舷門から後甲板まで続く実習幹部の列は壮観であり、海軍らしい別れの一コマでもあります。ただ、舷門付近では挨拶に時間がかかるために行進の列は度々停止を余儀なくされ、同じ場所で足踏みしなければなりません。敬礼をしながらの足踏みは結構大変そう。しかも、乗組員に「お世話になりました!」と挨拶をしたものの、同じ場所で足踏みというのは少々バツが悪そうです(笑)

よく見ると、実習幹部の制服の左胸には防衛記念章が装着されています。全員に「第18号」が授与されたようです。現時点では一つだけですが、年月を経て様々な職務を遂行するに従って記念章も数が増え、制服の左胸を彩ることになります。

舷門の前では梶元司令官と高梨艦長が実習幹部の挨拶を受けます。中でも梶元司令官は実習幹部の敬礼に答礼した後、両手で握手を交わして実習幹部の旅立ちを見送っています。握手には航海での健闘を称え、今後の勤務への激励の意味が込められているのでしょう。司令官と若き海軍士官の無言の握手、言葉を交わす以上に司令官の気持ちが伝わっているのは間違いありません。

帰国行事終了後に素敵な笑顔を見せていた司令官ですが、非常に厳しい表情で実習幹部と握手を交わしています。実習幹部に今後の部隊勤務の厳しさを伝えるために敢えて笑顔を封印していると思ったのですが…司令官の目を見ると真っ赤に腫れています
もしかして司令官、泣いてる…!?そう、司令官が厳しい表情なのは、懸命に涙をこらえているためだったのです。なまじ笑顔で握手なぞしようものなら涙が溢れてしまう、かといって立場上涙は流せない…その結果がこの表情なのです。司令官にとって今日旅立つ190人の実習幹部は我が子のように可愛かったということでしょう。懸命に涙をこらえる司令官の姿にお人柄を垣間見ました

司令官と握手を交わしたあと、実習幹部は舷梯を下って「かしま」から降ります。岸壁で撮影していると次から次へと実習幹部が降りて来るので、3月の艦上レセプションで知り合った実習幹部がいないかと注意深く見ていたのですが、見覚えのある顔は見つけられませんでした。さすがに190人の中から数人を見つけ出すのは無理だったようですが、一方で、150日間にも及ぶ遠洋航海で鍛えられ、別人のように逞しく精悍な顔つきになっていたので、目の前を通っても私が気付かなかっただけかもしれません。

横須賀到着の直前、実習幹部には今後の勤務における基本カテゴリーである要員(職域)が伝えられています。希望通りの要員になった人もいれば、希望が叶わなかった人もいることでしょう。表情がやや曇り気味で「かしま」から降りてくる実習幹部は、もしかしたら希望が叶わなかった人かもしれません。しかし、海自は非常に公平な組織で、どんな職域であろうとも頑張って勤務すれば必ず評価され、大きな仕事を任せてくれます。あまり目立たない職域にいても、頑張れば海幕長にだってなれるのです。ですから、希望通りの要員に就けなかった実習幹部は落ち込むことなく頑張って欲しいです。海上自衛隊に無駄な配置はひとつもないのですから…

実習幹部は「かしま」の舷梯を下る前に、艦尾で翻る自衛艦旗に向かって敬礼を行います。敬礼する姿もすっかり板につき、何処からどう見ても海上自衛隊の幹部です。150日間の航海における実習幹部の心身ともに著しい成長には目を見張るものがあります。

「鉄は熱いうちに打て」ではありませんが、人間は若い時分のある期間、心身の限界にまで迫る厳しい教育を受けるべきであると改めて感じました。私の父が少年期の私に言っていた言葉=「男は海軍に入らないと一人前になれない」が、あながち誇張ではないことを帰国した実習幹部たちが証明しています。これはもう2人の甥っ子を海自に入隊させるしかありません!

T君はやや緊張した面持ちで「かしま」から降りてきました(左)。自分の乗る艦と配置が決まって、その職責の重さをひしひしと感じているのかもしれません。この3時間後にはJR横須賀駅から鉄路で‟北の基地”へと向かうT君、まだ赴任先での住居が決まっていないので当面の間は艦内で居住し、勤務の合間に家探しをするということです。住む場所も決まっていないのに帰国して即座に任地へ着任、それが帝国海軍以来の伝統とはいえ、その伝統を継承するのはなかなか大変なようです

3月に知り合った実習幹部の中で、唯一顔が分かったのがSさんです(右)。艦上レセプションではこれから始まる練習航海に対し不安そうな表情を覗かせていましたが、7ヵ月ぶりに会った彼女の表情には一点の曇りもなく、自信に満ちた表情をしています。「艦長になることが夢」と話していた彼女、艦長への長い道のりが「かしま」を降りたこの瞬間から始まったのです。残念ながら赴任先をお伺いすることができませんでしたが、近い将来、艦艇公開などで何処かの艦の上でお会いできる日を楽しみに待ちたいと思います。

「かしま」の艦橋ウイング部では、乗組員が信号旗「UW」を掲げて実習幹部を見送っています。一般的には出港する船舶に対して「ご安航を祈る」という意を伝える信号旗ですが、さしずめ各部隊へと旅立つ実習幹部に対しては「これから始まる幹部としての勤務が上手くいきますように」との意が込められていると思われます。乗組員たちの温かい心遣いに心が和みます。

練習航海を実施しながら世界を巡る「かしま」には、曹士も選りすぐられた優秀な隊員が乗り組んでいます。実習幹部より階級は下とはいえ、いざ航海においては“海自隊員の先輩”として、その働きぶりは良き手本となったことでしょう。「立派な幹部になって、いつか俺たちの上官になる日を楽しみにしているぜ!」。私には、ウイング部で見送る隊員の表情がそう言っているように見えます。


「帽振れ!!」 。「かしま」から降りて順次岸壁に整列していた実習幹部は、最後の一人が列に加わると、号令を合図に帽振れで「かしま」乗組員と司令部幕僚らに別れを告げます。指導に対するお礼の気持ちが込められた実習幹部の帽振れ、今後の勤務への激励が込められた乗組員の帽振れ…数多くの別れの帽振れを見てきた私ですが、この帽振れに最も心を揺さぶられました

海上自衛隊は何事もスパッと済ませるというか、ある事象をいつまでも引きずらない組織ですが、この帽振れによる別れの儀式も、いつまでも別れの感傷的な気持ちを引きずらないというか、「これにてお別れ!」という区切りを可視的に具現化した海軍らしいお別れといえます。送る側、送られる側が感謝と激励の気持ちを込めながら帽子を振る姿は、まさに様式美といえる美しい光景です。


十数秒間の帽振れのあと、実習幹部は「かしま」に向かって一礼(=15度の敬礼)をします。「動」の帽振れから「静」の一礼へ、この「動」から「静」への切り替えが美しい! まさに様式美です。一礼する実習幹部の姿からは指導に対するお礼と部隊勤務への並々ならぬ決意が滲み出ていて、覚悟を決めて合戦場に赴く武士のような雰囲気すら感じさせます。この瞬間、私の涙腺は大崩壊…(涙)

一方、「かしま」艦上の乗組員ですが、一礼に笑顔で応える人、礼を返す人、まだ帽振れを続けている人など、各自がそれぞれのスタイルで見送りをしているのが面白いです。練習航海中は厳しく口うるさい指導を行なった乗組員ですが、厳しい振る舞いはあくまで職務上の姿であり、本当は後輩思いの心優しい方々であることが、実習幹部を見送る姿から伝わってきました。
江田島の鬼と同じですね…

実習幹部を艦上から見送る梶元司令官ですが、相変わらず厳しい表情…悲しさと寂しさを必死に堪えているように見えます。艦上を行進する実習幹部に満面の笑みで答礼していた高梨艦長も寂しそうな表情をしているのですから、実習幹部の巣立ちは司令官・艦長にとっては嬉しいと同時に何とも言えない寂しさを感じるのでしょう。かく言う私も、幹候校卒業式から神戸での艦上レセプション、そして帰国行事に至るまで今年度の実習幹部を何度も取材して交流も持ったため、赴任で散りじりになる事に寂しさを感じます。

司令官と艦長は実習幹部が旅立つ姿に、若き日の自分を重ね合わせているのかもしれません。25~30年もの時が流れれば、これから旅立つ実習幹部も艦長・司令官として見送る側に回るのですが、その時には今日の事を思い出して欲しいです。

帰国行事・見送りが終了したので実習幹部は真っすぐにそれぞれの赴任先へ…と言いたいところですが、手ぶらで、しかも制服姿で移動する訳にはいきません。なので、実習幹部はいったん「かしま」に戻って身支度を整えます

程なくして実習幹部たちが大きな段ボール箱を抱えて降りてきました。赴任先へ向かうにあたって持ち運ぶことができない私物を宅配業者に発送依頼するためです。実習幹部が抱える段ボール箱には「カンガルー引越便」の文字が、今年度運搬を担当するのは西濃運輸のようです。海自幹部は1~2年おきに異動があり、とりわけ3尉・2尉の間は様々な配置を経験させる意味合いからほぼ毎年異動があります。実習幹部たちは今後30数年間に渡る勤務の中で、数えきれないほど段ボール箱を抱えることになります


岸壁には実習幹部の家族がまだ残っていて記念撮影などをしているのですが、その中を実習幹部が大きな段ボール箱を抱えて往来します。岸壁の一角に多数の段ボール箱が積みあがった頃、西濃運輸のトラックが3台入ってきました。段ボール箱を抱えた実習幹部、いまだ興奮冷めやらぬ家族、そして西濃運輸のトラック…目の前にカオスな光景が広がっています(笑)

段ボール箱の送り先ですが、T君のようにまだ赴任先での住居が決まっていない人が大半なので、とりあえず実家に送る人が多いとのこと。住居が決まって一段落ついたら、実家から赴任先の住居に送ってもらうそうです。
お父様、お母様、ご協力お願いします!

私物を搬出し身支度を整えたら、実習幹部はいよいよ赴任先へ旅立ちます。午後2時頃には横須賀駅にキャリーバックを抱えたスーツ姿の実習幹部が多数いました。恐らく大湊や舞鶴、呉、佐世保等へ向かうのでしょう。皆さん、道中お気を付けて!
一方、横須賀の艦や部隊に配属となった場合は長距離移動はありません。横須賀在泊中の艦に赴任する実習幹部の中には、さっそく今夜に歓迎会を催される人もいるとのこと。艦や部隊も実習幹部の着任をとても楽しみにしているようです。

実習幹部は遠洋練習航海からの帰国をもって正式に幹部となりました。これから数年間は毎年のように配置が変わり、様々な仕事を覚えるための「修練の期間」となりますが、目標としていた海自幹部になった喜びを忘れずに頑張って欲しいと切に思います。そして今後撮影や取材で元気に活躍する姿にお目にかかれることを願い、またその日が来ることを楽しみにしています。

遠洋航海で見違えるほど逞しく成長した実習幹部たち、彼ら彼女らの奮闘が我が国の平和と安定に繋がります。