「はまな」&輸送艇1号 公開

7月上旬の2週に渡って補給艦と輸送艇という心が躍る艦艇を見学・撮影しました。
古参ながら黙々と支援任務に就く艦の最新鋭護衛艦にはない魅力をお届けします。

夕陽に照らされるヴェルニー公園にいます。普段、横須賀で撮影する際には光線状態が良好な午前中からお昼頃にかけて訪れるので、夕暮れ時にこの公園を訪れるのは初めての経験です。
私がなぜこの時間にこの場所にいるかというと、明日、静岡県・清水港に寄港している艦を撮影するために横須賀で前泊していて、せっかくの機会なので夕闇に包まれる横須賀基地の艦艇を撮影しようとヴェルニー公園を訪れたという訳です。

時刻は午後6時半を過ぎていますが、まだ明るいので公園には多くの人がいて、艦艇の撮影や散歩など思い思いに時間を過ごしています。この時間になると日中の地獄のような暑さも和らぎ、沖合から吹いてくる潮風がとても心地良いです。さて、本日の横須賀基地ににはどの艦が在泊しているのかな…心が躍ります♪

逸見岸壁には輸送艦「おおすみ」が接岸しています。つい一週間前に呉で会った「おおすみ」が、まるで私を追いかけてきたかのように横須賀にいます。「いや~、またお会いしましたねぇ…」。「おおすみ」が苦笑いしながら私にそう語りかけているように見えます。
夕焼けの空を背景にして夕陽に照らされる「おおすみ」の姿は、昼間に見るのとは異なる表情をしていて、とても絵になる姿です。

「おおすみ」が逸見岸壁に接岸しているのは実は理由があって、海自には他基地所属の艦が寄港した際には、自基地の艦が岸壁や桟橋を空けて寄港艦を泊めさせる不文律があります。間違っても沖合に停泊させたりはしませんし、目刺し係留も極力避けます。
これに対し、岸壁や桟橋を空けてもらった寄港艦の艦長は、入港後すぐにお礼も兼ねて地方総監に寄港の挨拶を行います。

本日の日没は午後7時1分、ラッパ譜「君が代」の吹奏とともに自衛艦旗が降ろされます。日没時刻を過ぎると周囲はあっという間に夜の闇に包まれます。構造物や甲板上に設置された照明の明かりで、艦の姿が幻想的に浮かび上がっています。いい雰囲気なのですが、撮影技術が未熟なのか、はたまたカメラの性能が低いのか、美しく照らし出された艦を上手く撮影することができません(涙)

SNS上に夜間停泊する艦艇を撮影した画像をアップしている人が結構いますが、皆さんとても美しく艦を撮影しています。どうしたらあのように夜の艦を上手に撮影できるのか教えて欲しいです。私の周囲には、同じように「おおすみ」を撮影している人が数人います。しかも、夜間撮影にかなり慣れているよう。思わず、「どうすれば艦がキレイに撮れますか?」と聞いてみたくなりました。

翌朝、宿泊するホテルの窓から望む横須賀基地とヴェルニー公園です。部屋から横須賀に在泊する艦艇が見えるなんて、艦艇マニアにとってはこれ以上の贅沢はありません。少々お値段が高いホテルではありますが、窓からの景色を目の当たりにしてここに宿泊して良かったと心底思っています。何時間でも眺めていられます。

公園内にいるときはあまり感じませんでしたが、こうして見るとヴェルニー公園って敷地が結構複雑な形をしているんですねぇ。
おや?吉倉桟橋に停泊している艦艇の一隻から機関を試運転する煙が上がっています。カメラの望遠レンズで確認したところ、補給艦「ときわ」のようです。もしかしたら、午前8時に自衛艦旗を掲揚したら速攻で出港するのかもしれません。やや距離がありますが、望遠でばっちり出港シーンが撮れそうです。心が躍ります♪

午前8時ジャスト、各艦で一斉に自衛艦旗が掲揚されます。米軍基地内に岸壁を間借りしている第2潜水隊群の潜水艦でもラッパ譜「君が代」の吹奏に合わせて自衛艦旗が揚げられています。私がいるホテルに最も近い岸壁に「おやしお」型が2隻停泊中です。
部屋で目覚ましのコーヒーを飲みながら自衛艦旗掲揚の儀式を見るなんて、なんという贅沢!後で天罰が下りそうです…
(笑)

米軍基地内に岸壁を間借りしている横須賀の潜水艦ですが、海自は今後の潜水艦の増勢を見越して長浦地区にある元市営桟橋を横須賀市から取得して潜水艦用桟橋として整備しています。新桟橋には増勢分のみを泊めるのか、はたまた全ての潜水艦を丸ごと新桟橋に移して“間借り状態”を解消するのか、今後の動向が注目されます。全艦を新桟橋に集約した方が便利とは思いますが…。

午前8時15分、予想した通り補給艦「ときわ」が吉倉桟橋を離れました。ゆっくりとした速力で沖合へ向かう「ときわ」の姿を、部屋からバッチリ撮影することができました。嗚呼、何という幸せ…♫ 思い返すと、去年1月にDD「たかなみ」の体験航海に参加した際も、「ときわ」は自衛艦旗を揚げるや否や出港していきました。午前8時過ぎに出港するのは補給艦の行動の一種なのかもしれません。

「ときわ」の艦名の由来は山口県にある常盤湖ですが、私の地元・大分には「トキハ」(読み「ときわ」)という老舗デパートがあります。
私はここ数年、撮影時には「ときわ」の部隊帽を被って出かけているのですが、地元の港で撮影をしていると、「TOKIWA」と記された私の帽子を見た人に「トキハにお勤めの方ですか?」と尋ねられることが割と頻繁にあります
(苦笑) デパートの名前入り帽子って何やねん!

京急・横浜線・新幹線・東海道線を乗り継いで静岡市の清水駅にやって来ました。
目指す清水港はここからそう遠くなさそうなのですが、道が不案内なので駅前からタクシーで向かうことにします。「サッカーが盛んな街」「さくらももこさんの出身地」として有名な清水ですが、私にとっては大学の研究室の同級生M月君の出身地というイメージ。M月君は卒業後に清水に戻っているはずですが、彼はこの街で元気に暮らしているのでしょうか…。

久しぶりにM月君に連絡しようと考えたのですが、会っていると艦を撮影する時間がなくなるので断念。そう、私にとって優先すべきなのは同級生よりも艦艇なのです
(笑) M月君、ゴメン!
私の大学は広島に所在しますが、意外にも遠く離れた静岡県からの入学者が多く、研究室にもほぼ毎年静岡出身者がいました。

清水駅からタクシーに乗って約10分で清水港に到着、岸壁にははるばる大分から遠征してでも撮影したかった艦が接岸しています。その艦の名は…補給艦「はまな」です。「はまな」は私の推し艦である「とわだ」型補給艦の3番艦ですが、比較的撮影の機会に恵まれてきた「とわだ」「ときわ」とは異なり、何故かこれまで撮影機会に恵まれず、「私と縁が薄い艦」の序列筆頭に位置する存在なのです。私は「はまな」との疎遠な関係を改善すべく、長距離移動も厭わず清水まで追いかけてきたのです。

列に並んで公開の時刻を待っている間、私の後方にいた若い男女のグループが大声ではしゃぎまくり。「はまな」を前にして嬉しいのは分かりますが、とにかく騒々しい。本当に最近、ファンの質が下がったのを実感します。「そんなに艦が好きなら入隊しろ!」。

午後1時、公開開始の時刻になりました。「はまな」の艦内へは艦尾側から乗艦、まずは第2甲板にある補給用物資の積載区画を見て回ります。区画の両端を補給通路が通っており、通路の床には物資を昇降機まで運搬するサイドフォークの走行軌条が走っています。通路の最深部に停まっている黄色い物体がサイドフォークで、その手前に見える大きな扉が糧食の冷凍・冷蔵庫です。

この区画は、ある意味最も補給艦らしい雰囲気を漂わせている場所であり、冷凍・冷蔵庫の扉が閉まっているので、艦に補給する糧食が積載されていると考えられます。恐らく、補給任務の途中で清水に寄港したのでしょう。ちょうど3年前、佐世保で補給艦「おうみ」の艦内を見学したことがありますが、「おうみ」と比べると「はまな」は船体が小さい分、補給通路の幅も狭いように感じます。

こちらは同じく第2甲板にある物品の保管庫、ここだけ見ると補給艦の内部というよりは工場の倉庫といった雰囲気です。
あまり物品が置かれていませんが、所々に缶詰やカップラーメンが入った箱、寄港地での移動用自転車、脚立、工具など多種多様な物が置かれているので、糧食と弾薬以外の物資を積載する場所のようです。

保管庫に隣接する通路の床にはベルトコンベアーが設置されており、保管庫から出した物品を素早く補給ステーション行きのエレベーターに載せることができるようになっています。糧食や弾薬も前タイプの「さがみ」と比べると運搬が大幅に自動化されています。
今回の公開では、残念ながら糧食の冷凍・冷蔵庫弾薬庫は見ることができませんでしたが、補給艦大好きの私としては激しく興味をそそられます…いつの日かぜひ見学したいものです。

見学者で大渋滞するラッタルを昇って上甲板に出ました。補給艦の特徴でもある上甲板に所狭しと並ぶコンビナートのような補給用施設に心が躍ります♪ 平日にも関わらず多くの見学者が乗艦しているのですが、皆さんこの“コンビナート”に足を踏み入れて驚きの声をあげていました。そして、あちらこちらで記念撮影がさく裂…。さぞや、インスタ映えする写真が撮れたことでしょうね

「どうしてこうなった?」と疑問を感じるほどに混沌としたカオスな景色が広がる「とわだ」型補給艦の上甲板ですが、次タイプの「ましゅう」型ではいくつかの装置が艦内(第2甲板)に格納されたために幾分かはカオス状態が解消されています。まぁ、私にとってはこのカオスな景色にマニア心をくすぐられるのですが…。補給作業にあたる乗組員は作業スペースが狭くて大変でしょうけど。

嬉しいことに艦橋も公開されています♫ ただ艦橋内に見学者が殺到して満員電車のようなスシ詰め状態、艦橋の全体像を収める「引きの画」が撮れないのが残念…。 何とかならないものでしょうか…。
天井から延びる伝声管クラシックなデザインの操舵装置速力指示器など、古い艦の魅力に溢れる艦橋です。とりわけ、新しい艦では黒く塗られている天井が「とわだ」型では白いままなので、撮影においては艦橋内が明るく撮影できるので大変助かります。

古い艦とはいえ「はまな」の就役は1990年3月で、私が大学4年生になる直前の頃です。私にとってはつい最近なのですが…
この「はまな」と「ときわ」は、1番艦「とわだ」から3年の期間が空いて建造されたため、居住区の三段ベッドを二段にするなど居住性の向上が図られ、排水量も50tほど増加しています。

「はまな」の艦長は2佐なので右舷側にある艦長席は「赤青」です。本来は1佐の配置ですが、三段階ある1佐職の一番下(三)なので古参の2佐が充てられることが多くなっています。歴代艦長を調べてみると、現在の麻生2佐までの20人の艦長の中で2佐で配置された人が15人、うち4人が在任中に1佐に昇任しています。

艦長席の左側に黒いモニター(電子海図?)があるのですが、これは一昨年乗艦した「ときわ」にはありませんでした。一方、「とわだ」には同じ物があったのですが、筐体が全く異なる形状でした。
このような設備の有無や形状の違いを発見できる点が、就役から年月を重ねた古い艦の魅力なのです。私が「とわだ」型を推すのは、このような「ベテラン艦の味わい深さ」も要因の一つです。最近は味がある艦がめっきり減ってしまい、多少の寂しさを感じます。

艦橋の混雑具合がますます激化してきたので撮影を終え、艦橋を降りることにします。途中の一階下のフロア(03甲板)には、補給作業の司令塔ともいえる補給管制室があります。ここでは燃料・物資の補給作業の管制や、燃料補給時におけるポンプの起動操作流量・圧力の調整等を行い、まさに管制塔というべき施設です。

ここの責任者は機関長で、上甲板で作業を指揮する運用長と連携しながら補給作業を円滑に進めていきます。以前に「ましゅう」型2番艦「おうみ」の補給管制室も見学したことがあるのですが、補給用機器を制御する制御盤は当艦の方が筐体が大きく、スイッチ類も多いようです。恐らく「ましゅう」型は自動化・省力化が進んだため、制御盤も小さくかつシンプルになったと考えられます。艦橋同様、この補給管制室もクラシカルな雰囲気に満ちています

艦橋構造物の一番下の階に科員食堂があります。艦橋構造物内に食堂があるのが補給艦の特徴で、これは船体内の大部分を物資・糧食・燃料等の積載スペースに充てているためです。補給艦は基準排水量が8000tを超える大型艦ではありますが、乗組員の数は140人程度なので、科員食堂もあまり広くはありません。

呉の海自カレーにおいて、補給艦「とわだ」のカレーは私の中のランキングでトップを争うほどのお気に入りなのですが、この「はまな」のカレーはどのような味なのかとても気になります。海自カレーによる地域おこしは呉のみならず横須賀・舞鶴・大湊でも行われているので、ぜひとも佐世保でも飲食店で海自カレーを味わうことができるようになって欲しいものです。そして実現の暁には、真っ先に「はまな」カレーを提供するお店に駆け付けようと思います。

艦を降りて岸壁から「はまな」の特徴的な外観を撮影します。こうして見ると乾舷がとても高く感じられますが、これは前タイプ「さがみ」よりも補給用甲板(上甲板)が一層高くなったことに加え、第2甲板も波浪の影響を避けるためにクローズされたためです。
書籍やネットで「さがみ」の画像を見ると、「とわだ」型よりも乾舷が低く、とりわけ第2甲板は開放状態にあるため、海が時化た際には糧食や物資の運搬・補給には相当苦労したと思われます。

「さがみ」は1995年まで呉が母港だったので何度か停泊中の姿を見たことがあるのですが、補給作業の苦労を抜きにすれば、低い乾舷と尖った艦首を有する船体はスタイリッシュで格好良く、マニア受けする艦容をした艦でした。「さがみ」は2005年、新型補給艦「おうみ」の就役に伴って艦齢26年で退役しました。

艦橋構造物に最も近い補給ポストは、5番(右舷)・6番(左舷)ステーションで、ここでは艦艇用燃料航空燃料真水といった液体補給品を扱います。最も艦首寄りの1番・2番も液体補給品を扱いますが艦艇用燃料のみなので、航空燃料と真水も扱う5番・6番の補給ポストには多くの蛇管が備え付けられています

補給指揮所の壁面にはカラフルなマークが描かれていますが、これは艦艇用燃料と航空燃料・真水を扱うステーションであることを示していて、遠くからでもはっきりと視認できるよう派手な意匠となっています。このマーク、理由は分かりませんが「とわだ」と「ときわ」では消されていて、「はまな」にのみ残っているのです。このマークは補給艦の特徴でもあるので使用を継続して欲しいのですが、なぜ「とわだ」と「ときわ」では消されたのか非常に気になります。

「はまな」という艦名の元ネタは静岡県浜松市と湖西市にまたがる浜名湖で、その意味では今回の清水寄港は「お国入り」「里帰り」ということができます。縁が薄かった「はまな」を追いかけ、浜名湖がある静岡県でようやく乗艦できた今回の遠征は、単に母港の佐世保で乗艦・撮影するよりもとても思い出深いものとなりました。

ちなみに「はまな」という艦名は二代目で、初代は海自初の補給艦(当時の呼称は給油艦)として1962年に就役し、「とわだ」が就役する1987年まで25年間に渡って艦隊を陰から支え続けました。
その初代が退役してから3年後に就役した本艦で「はまな」の名前が復活し、現在に至っています。つまり、「はまな」という艦名は護衛艦における「あきづき」潜水艦における「おやしお」「くろしお」などと並んで、艦種を代表する栄光の艦名なのです。

清水遠征から1週間後、補給艦以上にマニアックな艦が地元・大分の津久見港に寄港したので見学と撮影に駆け付けました。その艦とは…輸送艇1号です。現時点における海自唯一のLCU型輸送艦艇で、1988年にこの1号が、92年に2号が就役しました。
2013年まで海自には小型の輸送艦として「ゆら」型がありましたが、「ゆら」型を小型化し、設備と性能を簡略化したのがこの輸送艇1号型です。1号は佐世保、2号は横須賀を母港としています。

2010年の伊勢湾フェスタで2号を撮影した経験がありますが、その時には目刺しで停泊している隣の艦からの撮影だったので、乗艦することはできませんでした。昨今の艦艇不足で期せずして広報に駆り出された感のある輸送艇1号型ですが、私にとってこの公開はとても有難く、貴重な撮影機会です。大分地本、ありがとう!

さっそく乗艦して艦内を見て回ります。まずは士官室です。とてもコンパクトで、テーブルも4人が座れば満杯になりますが、艇長を含めて幹部は3人しか乗っていないので、この広さでも十分なのです。ちなみに配置されている艇長以外の幹部は船務長機関長です。
奥の白い座布団が敷かれている場所が艇長の席。狭い士官室の中で座布団を一枚敷くというささやかな方法ですが、艇の責任者である艇長を別格扱いしていることに微笑ましさを感じます。

この士官室に隣接して幹部の私室があり、艇長は個室、船務長と機関長は相部屋(二人部屋)です。この艇の幹部用私室はこの2部屋のみで、仮に上官である佐世保警備隊司令が乗艦して航海に出ても部屋がありません。その場合はどう対応するのでしょうか? まぁ、司令が乗り込んで来ることは非常にレアケースですが…。

艦橋です。輸送艇1号型に乗艦するのは今回が初めてですから、艦橋に上がるのも初めての経験です…心が躍ります♪
小さな艇ですので艦橋もコンパクト、感覚的には掃海艇の艦橋より少し広いくらいといった感じですが、もしかしたら最新の「えのしま」型はここより広いかもしれません。広くないながらも、「軍艦の艦橋」という雰囲気はしっかりと漂っていて、撮影にも力がこもります。

右舷側の席は艇長席で、本艇の艇長は1尉ですから席の色は「赤青」です。「赤青」の席は2佐の艦長用ですが、3佐や1尉が艦長・艇長を務める場合も「赤青」となります。時々、雑誌で「3佐以下の艦長・艇長の席は青一色」との表記が見られますが、これは完全に誤りです。ちなみに艇長の岩村1尉は、曹士時代から輸送艦艇での勤務経験が豊富な輸送のエキスパートです。

本艇は艦齢が30年に及ぶ古い艇だけに艦橋内にある機器もクラシカル、でもそれがいいんです!味わい深いというか、船の操舵室に乗っているという感覚をビンビンに感じます。いい雰囲気です!就役の時期が1週間前に乗った補給艦「はまな」と同時期ということもあり、操舵装置(左)は同じ物が設置されています。操舵輪なんて涙が出るほど味わい深い趣ではありませんか♡

一方、速力指示器
(右)ですが、本艇には機関操縦室がないことから掃海艇と同様に艦橋にあるこの機器で直接機関を制御します。
本型式の主機はディーゼルで、三菱重工製のディーゼルエンジンを2基搭載し、それを2軸のスクリューで推進させます。最高出力は6000馬力で、最高速力は12ノット。前タイプ「ゆら」型より船体は小型化したにも関わらず、機関の出力は2倍になっています。

艦橋ウイングから見た積載スペースです。このスペースに車両物資人員を載せますが、戦車は載せることはできません。揚陸の際には海岸に擱座して、艦首のバウランプを開いて積載物を降ろします。展示用に今はバウランプを開いた状態になっています。
人員なら200人物資なら25tを積載できますが、本日は防舷材など幾つかの備品が載っているだけでガランとしています。

本艇は海岸に擱座するため艦底は平底になっていて、そのため海が少しでも時化ようものなら猛烈な揺れに見舞われます。「ゆら」型・「みうら」型・「あつみ」型など「おおすみ」型以前の輸送艦もみな平底だったので、航海で乗組員は大変な苦労を強いられました。
ただ、乗組員は海に慣れているだけまだマシで、輸送中の陸自隊員は船酔いで上陸前から“ほぼ全滅状態”だったとのことです。

積載スペースに降りました。小さな艇ですが、積載スペースに立つと想像以上の広さを感じます。「ゆら」型と遜色ない広さです。
前方に見えるのが先ほどまでいた艦橋で、その露天部には唯一の兵装である20mm機関砲が1基備え付けられています。本艇は小さくて可愛いらしい輸送艇ですが、この機関砲によって己が「軍艦」であることを強く主張しているように思えます。

眼前にある黄色い棒状の物は哨戒機P‐3Cの訓練用魚雷で、一般公開用に展示されているのかと思いきや、津久見寄港前に従事していた訓練支援任務で回収した訓練用魚雷を置いているだけとのことでした。このように、本型式は輸送任務だけでなく、訓練用備品の回収地方港への防舷材の運搬など、訓練支援艦・多用途支援艦にも相当する多岐多彩な任務に就いています。

積載スペースから再び艇内へ。ここは艇内で最も広い部屋と思われる科員食堂です。ただ、一番広いとはいえご覧のような慎ましやかな広さ、テーブルは1セットのみで、8人が座ると満席になります。本艇の乗組員は28人で、うち艇長と幹部を除く25人がこの食堂を利用するのですが、いくら乗組員の数が少ないとはいえ、一度に8人しか喫食できないのではゆっくり食事という訳にはいかなさそうです。外へ出る扉の横にあるイスは食事の順番待ち用でしょうか?

科員食堂は食事だけでなく会議を開いたり、消火訓練・応急訓練時の前線指揮所としても使用されるのですが、この程度の広さしかないと何かと不便な事が多いのではないかと推察されます。
一方で、「少人数の艦ほどメシが美味い」との格言もあることから食事は海自有数の美味しさという利点があるかもしれません。

科員食堂に隣接して科員居住区があります。「隣接」とは言っても両区画を隔てる壁はなく(部分的にはある)、食堂とは直結した形状になっています。加えて、室内には上甲板へ向かうのラッタルがあって、乗組員の頻繁な往来があります。食堂の喧騒や調理の匂い、さらにラッタルを昇降する足音…居住環境としては少々難ありと言わざるを得ません。乗組員の苦労が偲ばれます…。

寝台はもちろん三段ベッド、その僅かな空間が唯一のプライベートスペースなのですが、こうして見ると最上段は頭上スペースに余裕があって、中・下段よりも好条件といえます。乗組員の待遇改善の観点から多くの艦で二段ベッドが主流となるなか、三段ベッドと難ありの住環境の中で生活しながら訓練・任務に励む本艇の乗組員に頭が下がる思いがしました。
しかもこの艇、すごく揺れるし…。

艇内の見学を終えて岸壁へ、1号を艦尾側から撮影します。
一般的な艦艇とは異なり、本型式は艦尾に錨があります。艦尾にあるのは、停泊時だけでなくビーチング後に離礁する際にも使用するためで、艦尾近くの甲板上には、海底に固定した錨で艇を引っ張って離礁させるためのウインチも設置されています。錨は海底に深く食い込む形状になっているのですが、艦尾から突き出たその姿が動物のシッポのように見えて、何だかとてもカワイイです
(笑)

分遣隊がある佐伯に隣接する津久見ですが、毎年7月のこの時期に「みなと祭り」に合わせて艦艇が寄港します。近年はミサイル艇と掃海艇、そして今年の輸送艇と小型艦が続いていますが、かつては「ゆき」型DDが来航し、一般公開だけでなく体験航海も行われていました。私は16年前に「せとゆき」の体験航海に乗艦しました。

午後4時、輸送艇1号は母港・佐世保に向けて出港、約1週間に及ぶ任務と航海を終えて久しぶりに母港に戻ります。
ウイングにいる左から4人目の幹部が艇長の岩村1尉で、実は今回、艇長直々に艇内をご案内いただき見学と撮影を行いました。
カメラを手に岸壁に立つ私に岩村艇長が「では、出港します」と敬礼、私は「お気を付けて!」と返答、輸送艇1号が所属する佐世保警備隊の司令になったような気分を味わいました
(笑)

岸壁には地元のマニア仲間のHさん(♀)もいて、信号旗UWの小旗を振って輸送艇1号を見送っています。彼女は一応、カメラを持っていますが、撮影よりも見送りが主目的で、大分県内の港を艦艇が出港する際は必ずUW旗を振って見送っています。血眼になって撮影する人(私も)が多い昨今、彼女の姿勢は本当に素晴らしいです。

輸送艇1号の出港において、曳船による支援はありません。今回の出港では、後進をかけながら舵を大きく右に切り、思い切り艦尾を海側に滑らせます。その状態でさらに後進して岸壁から離れるのですが、艇の左舷側が岸壁に衝突してしまいます。それに備えて、艦首左舷側には3~4人の乗組員が配置され、岸壁に当たる箇所に防舷材を吊るして艦首が直接岸壁を擦るのを防いでいます。

ベテラン海曹が防舷材を吊るす位置を指示していますが、吊るす位置がズレているとたちまち艦首を傷付けてしまうので、輸送艇1号の出港はかなり緊迫した雰囲気に包まれます。加えて防舷材が岸壁を擦る「ガガガ」という音も緊迫の度合いを深めます。
「艦首を擦ることなく離岸してくれ…」。撮影しながら心の中で祈らずにはいられませんでした。
出港の度に艇長はヒヤヒヤでしょうね…。

輸送艇1号は艦首を擦ることなく無事に離岸、港内を後進していきます。いや~、良かった…。小さなフネですが、出港シーンは(別の意味で)迫力満点、貴重な体験と撮影になりました。こうして見ると、輸送艦艇というよりも上陸用舟艇といった雰囲気ですが、僅か490tという排水量にしては迫力を感じる艦容です。

1号型と「ゆら」型は離島や沿岸僻地への人員・物資輸送を目的に建造されましたが、「ゆら」型は2013年までに全艦が退役しておりビーチング可能な小型輸送艦艇は本型式のみとなっています。
1号型は艦齢が30年を超えているにも関わらず、代艦の計画はありません。ただ災害時を中心に、この種の艦艇のニーズは高いので、ぜひ代艦の建造を検討して欲しいと思います。2000年代初頭に1900tLSUの計画があったものの、立ち消えとなってしまいました。

岸壁からある程度離れた輸送艇1号は前進に転じ、速力を上げつつ港外へと進路をとります。津久見はセメントの街なので、1号の前方にはセメント工場の巨大なプラントが並び建っています。艦尾中央に錨があることから、艇名はかつての「しらね」型や「はるな」型と同じ側面後部に記されています。記されている艇名は、「1号」ではなく、LCU型輸送艇にちなんで「LC01」となっています。

7月の2週に渡って補給艦輸送艇というマニアックな艦を見学・撮影しましたが、私にとっては「あさひ」や「かが」といった最新鋭艦を撮るよりも遥かに心躍るイベントでした。特に「はまな」は長年十分に撮影できない“片想い状態”が続いていただけに、はるばる清水港まで追いかけて愛が成就したことがとても嬉しいです♪ 「縁の下の力持ち」と言うべき両艦艇の活躍をお祈りいたします。

マニア心を激しくくすぐりまくる補給艦「はまな」と輸送艇1号、2018年シーズンで最も心躍る2週間でした。