佐伯港 第1海上補給隊 集合

7月14日、佐伯港に海上自衛隊が保有するすべての補給艦(5隻)が寄港しました。
海上自衛隊史上初めてとなる補給艦隊の集結と一般公開の模様をお伝えします。

―佐伯港で補給艦「とわだ」と「ましゅう」が公開される― 
先週、この衝撃的な情報が佐伯市在住の閲覧者から寄せられました。佐伯市の広報紙の片隅に小さく載っていたとのこと。補給艦の公開というマニア垂涎のイベントが平日にひっそりと行われるなんて…。佐伯、恐るべし!

当日は午前8時半頃、佐伯港女島埠頭に到着。「とわだ」「ましゅう」が接岸していました。「ましゅう」大きいです!「とわだ」でさえも小さく見えてしまいます。埠頭には大量の木材が積まれていてとても邪魔なのですが、実は佐伯港は木材の輸出港なのです。仕方がないというか佐伯らしいというか…(苦笑)

佐伯に入港していたのは2隻だけではありませんでした。沖合いには3隻の補給艦が停泊しているではありませんか!!合計5隻、これは海自が保有する補給艦全隻にあたります。補給艦は横須賀(ときわ)・呉(とわだ)・佐世保(おうみ・はまな)・舞鶴(ましゅう)といったように4つの基地に分散配備されていて、しかも単独行動が基本だというのに…なぜ佐伯に集まっているのでしょう?

港内にひしめく大型の補給艦たち…まさに補給艦隊と言えるほどの壮観な光景でした。岸壁からすぐ近くの場所に「ときわ」が停泊していました。1991年のペルシャ湾派遣にも参加した武勲艦です。

補給艦「おうみ」です。「ましゅう」型の2番艦で5隻の中では最も新しい補給艦です。補給艦の艦名は湖の名前から付けるのですが、「おうみ湖なんて湖はないぞぉ」と思われるかも知れませんね。「おうみ」は国内最大の湖である琵琶湖の古名「淡海(おうみ)」から名づけられています。かなり苦しい解釈というか…海幕の命名担当者もいい名前がなくて困ったんでしょうねぇ…(笑)

↓の画像と見比べると、ステルス性を考慮した艦型すっきりまとめられた前甲板の補給施設など「ましゅう」型と「とわだ」型のデザインの違いが良く分かります。

補給艦「はまな」です。「とわだ」型の3番艦ですが、2番艦の「ときわ」と同じ年度に建造されました。(就役は17日遅い)
1番艦「とわだ」とは計画年度に3年の開きがあるため、「ときわ」と「はまな」は居住施設など細部が改良されており、排水量もわずかに増加しています。

埠頭に接岸したのは2隻で、あとの3隻は湾内に停泊しているのは、埠頭に5隻もの大型艦を係留するスペースがないこともありますが、最大の原因はタグボート代金の節減だと考えられます。業者に依頼してタグボートで接岸と離岸をしてもらうと、1隻につき20万~30万円程度かかるということです。

せっかく補給艦隊が勢揃いしているのに天気は雨。それも猛烈な豪雨。この日、佐伯市のある大分県南部地方には大雨警報が発令されていたほどです。↑の4枚の画像を撮影した直後、雨が激しくなり湾内はたちまち霧に煙ってしまいました。「とわだ」もデリックポストの上部が霧でかすんでいます。

豪雨により岸壁では至る所に水たまりができて、歩くのにも一苦労でした。雨に祟られまくった去年の悪夢の再来か!? 「とわだ」は今年2月の呉基地での公開以来2回目の乗艦です。同じ補給艦に2度も乗るなんて…「とわだ」と私はご縁がありますね。

見学者は乗艦後、まずは科員食堂に通されました。ここに見学者が10人程度揃ったところで乗組員が艦内を案内するツアー形式での見学でした。2月の見学では科員食堂は公開されていなかったので、これはラッキーです。待ち時間の間、撮影させていただきました。

「とわだ」は8000トンを超える大型艦ですが、乗組員は140人と少ないので、食堂もあまり広くありません。護衛艦などでは科員食堂は船体内部にあるのが一般的ですが、補給艦は船体内を物資の保管スペースが占めているため、科員食堂は艦橋構造物内にあります。

「とわだ」には5隻の補給艦が所属する第1海上補給隊の司令、伊達一佐が乗艦しているため、艦橋の左舷側の席には赤いカバーが掛けられていました。

かつて補給艦は各艦が護衛艦隊直轄で、補給艦を統べる部隊はありませんでした。しかし海外派遣任務が常態化し、練度の管理や補給作業手順の統一、補給艦同士の情報共有などが必要となったため、2006年4月に第1海上補給隊が新編されました。
隊の事務所は横須賀に置かれており、司令はそこに勤務する傍ら、年間120日程度はいずれかの補給艦に乗艦し、海上で訓練の統裁や艦の指導にあたっています。

「とわだ」の艦長席。2月の時は赤青二色のカバーでしたが、今回は赤一色のカバーでした。橋向艦長が7月1日付で一佐に昇任したのに伴ってカバーの色も変わったのです。
艦長の橋向一佐は「とわだ」が3隻目の艦長職で、かつては護衛艦「いしかり」「はるさめ」の艦長を務めたベテラン艦長です。「はるさめ」艦長時には補給艦の護衛役としてインド洋補給活動に参加した経験を持っています。

補給艦の艦長は過去に2~3隻艦長職を経験したベテランが配置されますが、その理由のひとつには補給の受け方が下手な艦を指導する役割もあるからだそうです。

大雨により補給用設備がひしめく前部甲板の公開は中止となってしまいました。「とわだ」の前甲板は2月に思う存分見学したので別に構わないのですが…。
艦橋の見学の後、すぐさま「ましゅう」へ移動。もしかして「ましゅう」も前甲板の見学が中止なのでは…。不安が胸をよぎりました。

「ましゅう」は5月のGWに舞鶴に遠征した際、北吸岸壁に係留されている姿を存分に撮影したのですが、わずか2ヶ月ほどで再会となりました。「ましゅう」も私とは縁があるようです。逆に「おうみ」と「はまな」は縁がないというか、撮影の機会に恵まれないんですよねぇ…。

「ましゅう」に乗艦、舷門付近から艦首方向を望んだところ。
補給艦は艦橋構造物が船体の幅いっぱいにあるので、艦橋構造物直下の上甲板はトンネルのようになっています。

このトンネルを抜けた先が補給設備がある前甲板なのですが、「ましゅう」でも前甲板の公開は中止されていました。不安が的中してしまいました…。私は雨に濡れようが全然平気なのですが、他の見学者さらには案内役の乗組員はそうはいかないのでしょうね。見学がツアー方式でなければ良かったのですが…(涙)

「ましゅう」の艦橋構造物内です。夏服の幹部が立っている扉を抜けると↑の画像を撮影した場所に出ます。艦の大きさに比例して艦内も余裕がある造りとなっています。通路や梯子は護衛艦のそれよりも幅が広く、画像を撮影した場所はロビーのような広いスペースがひろがっています。

このような造りになっているのは、ひとつには「ましゅう」型が災害派遣を視野に入れた艦ということもあります。
充実した医療設備や手術用設備を備えており、災害派遣時には病院船としての運用が想定されているのです。いわば現代版の「氷川丸」なのです。一般公開では医療用施設も公開して「病院船」でもあることをもっとPRすべきだと思うのですが…。

「ましゅう」の艦橋です。「ましゅう」型の艦橋構造物は7層あるため、梯子を6回昇らなければ艦橋にたどり着きません。私は全然平気なのですが、一般の見学者、特に高齢者は途中で息が切れて動けなくなる人が続出でした。

艦橋内はかなりのスペースがあるのですが、様々な機器が置かれているためあまり広さを感じません。航海用レーダー速力指示器操舵装置といった機器は、「ひゅうが」や「あたご」型など、2000年以降に就役した艦と同じ最新式のものが備えられています。
伝声管なんてどこにもありません(笑)

「ましゅう」の艦長席です。海自最大の艦艇で、帝国海軍の戦艦や空母にも匹敵する大きさの艦なので、艦長はもちろん一佐です。
現在の艦長は品川一佐。先代の砕氷艦「しらせ」最後の艦長として有名な方です。「しらせ」が退役した2ヵ月後の2008年9月から「ましゅう」の艦長を務めています。

2番艦「おうみ」の艦長は横田一佐で、この方はパイロットを目指して空自の航空学生となったものの適性試験で不適格となったことから二士として陸自に入隊。勤務の傍ら勉学に励み防衛大に合格、その後海自幹部になったというユニークな経歴を持っています。

艦橋から見た「ましゅう」の前甲板です。大雨のため前甲板の公開が中止となってしまったので、艦橋から観察してみました。確かに色々な設備があるのですが、意外にもスッキリとした印象があります。「とわだ」型の方が遥かにごちゃごちゃしています。

よく見ると、補給用の設備は上甲板よりも一段高くなった場所にあるのが分かります。つまり目に見える設備はほんの一部で、設備の大部分は一段高くなっている部分の内側にあるのです。つまり設備に覆いを被せたような構造になっているのです。デリックポストの形状も「とわだ」型と異なりますが、前部への視界を確保するため横に伸びるバーがなくなりました。

艦橋から降りる途中に幹部の居住区を通りました。
↑の画像は幹部の休憩室兼食堂兼会議室である士官室の前の通路です。鏡の横に入口があります。

在室している幹部の方々の制帽が掛けられていますが、二段目の一番奥には女性用の制帽が掛かっています。
近年、艦艇に乗り組む女性隊員の数が飛躍的に増えていますが、「ましゅう」にも幹部・曹士合わせて14人の女性隊員が勤務しています。もちろん男性隊員立入厳禁の女性隊員用の居住区も設けられています。2番艦「おうみ」は「ましゅう」よりも女性用の居住区が広いことから19人の女性隊員が勤務しています。

珍しく幹部の私室が公開されていました。ただ、この部屋は現在使用されておらず、臨時の乗艦者があった際に使用する予備部屋です。なので各分隊の冷蔵庫が置かれていたりとほとんど物置状態でした(笑)

司令や艦長には個室が与えられていますが、副長以下の幹部は2人で一部屋を利用します。棚と一体化したデスクと二段ベッドが置かれています。かつて艦艇においては幹部の私室といえども薄暗くて狭いのが普通でしたが、「ましゅう」は大型艦ということもあり、とても広くて清潔感あふれる部屋でした。

一見、体育館かと見間違えそうなこの巨大な空間は「ましゅう」のヘリ格納庫です。「ましゅう」型ではヘリコプターによる補給能力の向上を図ろうと、補給艦としては初めてヘリ格納庫が備えられました。「とわだ」型まではヘリ甲板しか備えていません。

輸送用ヘリコプターMH-53Eの運用を想定しているためご覧のような巨大な格納庫となりました。
ただ固有のヘリコプターを搭載している訳ではないので、普段はガランとした巨大な空間が広がっています。長期航海の際には乗組員の艦上体育や倉庫としても活用できそうですけどね。何から何まで「ましゅう」はスケールが大きいなぁ…。

実は私、隊司令の伊達一佐のお話を聞く機会に恵まれました。司令によると、今回初めて第1海上補給隊としての訓練を九州近海で実施し、終了後に佐伯に寄港したとのことでした。補給艦が全隻揃って行動するのは海自史上初めてということです。

インド洋派遣が終了したことから、司令としては全艦揃っての訓練を実施したいと考えていたところ、ちょうどこの時期、どの艦もドック入りせず稼動状態であったため訓練を行ったとのことです。「全艦が顔を揃えて一緒に訓練できたことで個々の補給艦の練度が飛躍的に向上した」。そう語る伊達一佐の表情からは、初の訓練がとても充実したものだったことが窺えました。

全ての補給艦が勢ぞろいし初めて訓練を実施。飛躍的に向上した練度が護衛艦隊の活動を支えます。