呉地方隊展示訓練 in 大阪湾 ~和歌山出港編

9月24、25日に大阪湾上にて実施された呉地方隊展示訓練の模様をレポートいたします。
初回は和歌山港を出港した「はたかぜ」から見た展示訓練、題して「和歌山出港編」です。

2011年夏の最後にして最大のイベントが3年ぶりに実施される呉地方隊の展示訓練です。3年前の前回は広島湾内でしたが、今回は大阪湾の淡路島沖海域で実施されます。訓練初日に私が乗艦するのは、和歌山港から出港するミサイル護衛艦「はたかぜ」です。

高校時代に雑誌「丸」の巻頭カラーで美しさに衝撃を受けた思い出の艦であるとともに、去年12月の別府入港時には艦側のご好意により特別に艦内を見学させてもらうなど、私とは非常に縁が深い艦です。艦齢が25年を越えて退役も囁かれはじめていますが、だからこそ健在な今の時期に乗艦することはとても意義深いと思います。この「はたかぜ」、今回の展示訓練では特別な役割を担います。

「はたかぜ」が出港する和歌山港ですが、周辺には住友金属工業和歌山製鉄所花王和歌山工場といった大きな工場が立地していて、まさに工業港といった雰囲気の港です。

一角には和歌山と徳島県の小松島を結ぶ南海フェリーの乗り場もあります。このフェリー、その名前から分かるように南海電鉄のグループ会社で、乗り場のすぐ近くには南海電鉄の和歌山港駅があります。終夜運航で1日8往復が設定されていて、約2時間で和歌山港と小松島港を結んでいます。「はたかぜ」は午後零時10分に出港予定ですが、はやる気持ちを抑えきれない私は午前10時から乗艦してしまったため、出港までの間、南海フェリーの出入港を撮影して暇をつぶしました(笑)

午後零時、予定より10分早く「はたかぜ」は岸壁を離れました。出港の舫作業は、呉港務隊阪神基地隊の隊員が行っていました。展示訓練を実施するために呉や神戸からわざわざ来ているのですねぇ。こういった裏方さんたちのお陰で私たちは展示訓練を楽しめるのだと改めて実感しました。岸壁で「はたかぜ」を見送る隊員さんたちに感謝しつつ和歌山港を出港しました。

初日の訓練は「2名様乗艦券」を入手することができたことから、当HPが相互リンクしている「S.A.S」の管理人・Kさんをお誘いして乗艦しました。Kさんは大阪人らしいとても面白い方で、そのユニークな話術で出港までの待ち時間を楽しく過ごせました♪

「はたかぜ」は一路、淡路島沖の展示訓練実施海域に向かって航行します。プログラムによると約1時間50分の行程です。

出港から約40分後、訓練支援艦「てんりゅう」が「はたかぜ」を追い抜いて行きました。「てんりゅう」は「はたかぜ」と同様に和歌山港から出港した艦で、受閲部隊の先頭艦を務めることから「はたかぜ」の前に出たのです。訓練支援艦という世界的にも例を見ない特殊な用途の艦ですが、航行する姿は護衛艦に負けず劣らずの優雅さと迫力です。
「てんりゅう」が航行している付近の海面が黄色を帯びた色となっていますが、これは数日前に和歌山県を襲った集中豪雨によって山間部から土砂が川を通して流れ出ているためです。

出港から約1時間30分後、一隻の潜水艦が「はたかぜ」の前に現れました。「おやしお」型7番艦「くろしお」です。8月の「佐世保シーサイドフェスタ」以来1ヶ月半ぶりの再会です。海自潜水艦史に燦然と輝く伝統ある艦名を引き継ぐこの艦は、最も私と縁のある潜水艦でもあります。「はたかぜ」艦上にいる私を見た「くろしお」が、「大阪まで来たの!?お好きねぇ…」と呟く声が聞こえました(笑)

日本近海を流れる代表的な海流で、日本海流とも呼ばれる黒潮が由来の「くろしお」は、潜水艦では非常に誉れ高き名前です。現在の「くろしお」は三代目にあたり、初代は米海軍の貸与により海自が初めて保有した潜水艦(米海軍名「ミンゴ」)でした。

「くろしお」と合流してほどなく、「はたかぜ」艦上では見学者に砲の周囲から離れるよう指示がありました。私を含めて後甲板にいた見学者は艦尾に近い一角に集められました。実は、「はたかぜ」は展示で主砲(5インチ砲)2門による空砲射撃を実施するのです。

空砲とはいえ、艦艇の射撃を間近に見ることができるのは貴重な体験です。実は、海自が所有する空砲射撃用の砲弾は73式5インチ速射砲用の物しかありません。つまり、この砲を装備する「しらね」型の2隻(しらね・くらま)と「はたかぜ」型の2隻(はたかぜ・しまかぜ)しか空砲射撃は行えないのです。大きな射撃音にそなえて、見学者には耳栓が配布されました。

午後1時40分、淡路島から出港した輸送艦「ゆら」、掃海艇「いえしま」「まきしま」を加えて、受閲艦艇部隊の隊列が整いました。訓練支援艦、掃海艇、小型輸送艦、そして潜水艦と呉地方隊の展示訓練らしいバラエティに富んだ顔ぶれです。

我が「はたかぜ」はこの隊列の最後尾に位置します。観閲部隊側から見ると最後の登場となる「はたかぜ」が、いきなり艦砲をぶっ放して驚かせてやろうという配慮なのでしょうか?(笑) 背後に見える陸地は淡路島です。去年の伊勢湾マリンフェスタや7月の舞鶴地方隊展示訓練(若狭湾)とは違い、かなり陸地から近い海域で実施されるようです。

午後2時ちょうどに展示訓練が始まりました。大阪と神戸から出港した艦艇による観閲部隊が受閲部隊がすれ違います。観閲艦である「いせ」を先頭に「きりしま」「いかづち」「せとゆき」「とね」「あすか」「げんかい」と続いています。「いせ」の艦橋露天部には呉地方総監の泉海将が立っており、受閲部隊を観閲する一方で各艦からの敬礼に答礼で応えます。

最新鋭DDHやイージス艦を含む豪華絢爛な隊列です。おととしの観艦式よりも充実しています(笑) 大阪・神戸出港組がすべて観閲部隊とは予想外でした…。つまり、和歌山・淡路島を出港した受閲部隊の艦艇に乗っていなければ、この勇壮な光景を目にすることができなかった訳です。「はたかぜ」に乗艦したことを心からラッキーと思いました♪

観閲部隊の先頭は観閲艦を務める「いせ」です。今年3月16日に就役した最新鋭DDHであり、今回の展示訓練の「目玉商品」です。

「いせ」はこの直前まで九州西方海域で習熟訓練を実施していました。当初は展示訓練に参加する予定はなかったのですが、呉地方総監・泉海将からのたっての要望を受け、訓練を早く切り上げて大阪湾に駆け付けてくれました。恐らく展示訓練の見学者のほとんどどが、この「いせ」を見ることを楽しみにしていたことでしょう。
展示訓練参加のために多大なる努力をして頂いた星山艦長をはじめとする「いせ」乗組員の方々に、心から感謝申し上げます

「いせ」が「はたかぜ」とすれ違おうとしたその時、「はたかぜ」の5インチ砲が白煙を噴きました
「51番砲、発射よ~い。てぇーっ!!」という号令一下、「パーン」という大きな砲撃音が大阪湾に響き渡りました。

見学者の皆さんは耳栓をし、さらに手で耳を塞いで砲撃音に耐えておられました…。殆どの方が艦砲射撃を見学するのは初めてのようで、砲撃音の凄まじさに驚いている様子でした
ちなみに私は耳栓を失くしてしまい、さらには撮影のため手で耳を塞ぐこともできなかったのですが、かつて取材で陸自の155ミリりゅう弾砲20門の一斉射撃を至近距離で見た経験があったことから、「はたかぜ」の艦砲に耳栓なしで耐えることができました。

「いせ」に後続して「きりしま」が「はたかぜ」とすれ違うのですが、空砲発射による白煙はご覧のように艦を霞ませてしまいます…。
空砲を撃つと、猛烈な白煙と一緒に焦げた紙くずが大量に飛散します。←の画像に黒く写っているのがその紙くずです。観閲部隊を撮影するために左舷の端にいた私は、この紙くずを大量に浴びる羽目になりました…(苦笑)

ご存知のとおり、「きりしま」は横須賀籍の艦ですが、おととしの護衛艦隊大改編で呉に司令部を置く第4護衛隊群の所属となりました。この事が、横須賀の艦なのに呉地方隊主催の展示訓練に参加した理由なのかもしれません。
明日(25日)の展示訓練で、私はこの「きりしま」に乗艦します。

「きりしま」「いかづち」に続いて「せとゆき」がやって来ました。おととしまで「やまゆき」「まつゆき」と共に「呉ゆき型三姉妹」を構成していましたが、二人の姉は他基地に転籍し、今は3隻の「あぶくま」型DEと一緒に瀬戸内の守りに就いています。

艦上はずずなりの見学者で溢れかえっています。「いせ」と同じ大阪・天保山埠頭を出港するということで、乗艦券の競争率も高かったようです。海自が艦艇運用にまだ余裕があった8年前、私の地元の小さなお祭りにこの「せとゆき」が来てくれました。体験航海も実施され、当時の艦長・中畑二佐(現在は将補、潜水艦隊幕僚長)と一緒に記念撮影をした思い出の艦です。

試験艦「あすか」です。「きりしま」同様この艦も横須賀籍の艦です。開発隊群所属艦艇用の各種装備品の実用化試験を担当する珍しい艦です。排水量が4000tを超える大型艦で、鋭く尖った艦首や特徴的な形状のマストなどマニア心をくすぐりまくる艦です。

この「あすか」が展示訓練に参加するのも想定外でしたが、こんな想定外なら大歓迎です(笑)
「あすか」は神戸市の阪神基地隊から出港しており、前日(23日)には一般公開も行われました。艦そのものが実験的な存在で、護衛艦では見ることができないユニークな装備や艤装が施された興味深い艦でした。詳細は後日アップ予定の艦艇公開編にて!

観閲部隊全8隻が通過し、続いて訓練展示が始まりました。最初に現れたのは遠隔操縦自航式掃海具(SAM)です。1998年に採用された掃海の新システムで、掃海管制艇からの無線遠隔操縦により無人で航行し掃海にあたります。

磁気機雷と音響機雷を処理するための装備を備えており、掃海艇が入れない水深が極めて浅い海面や、危険度が高い海域でも難なく掃海作業ができるという特徴があります。
スウェーデンで開発された装備品で、現在海自は4基のSAMを保有しています。有人での航行も可能で、この時は安全対策上の配慮で隊員が乗船していました。呉で係留中の姿を見た経験はありますが、航行しているSAMを見るのは初めてです。

後方からSAMを遠隔操作しているのが掃海管制艇です。この艇は「さくしま」で、元々は「はつしま」型掃海艇の最終艇(23番艇)です。旧式化に伴って掃海艇から種別変更されました。「さくしま」をはじめ歴代の掃海管制艇は、旧式化した掃海艇を改造したものばかりです。1隻の掃海管制艇で2隻のSAMを操作することができます。

この掃海管制艇2隻で編成する部隊が第101掃海隊です。終戦直後から続く海自屈指の伝統部隊で、元々は小型掃海艇で瀬戸内の入り江や浅海面の掃海を担当する部隊でした。SAMの採用に伴って現在の編成・任務の部隊に改変されました。現在の所属艇は「さくしま」「いえしま」です。

訓練展示の第2幕は航空機による展示飛行です。飛来したのは練習機T-5です。機首のプロペラや小型の機体、直線的な主翼という外観を有しているため、飛来している姿を遠くから見るとまるでゼロ戦が飛んでいるように見えました(笑)

T-5は対潜哨戒機のパイロットを養成するための初等練習機で、山口県の小月航空基地に約40機が配備されています。富士重工業が開発・製造した機種で、エンジンはレシプロではなくターボプロップを採用しています。小型機ではありますが対潜哨戒機のパイロットを養成する観点から、哨戒機と同じ並列座席となっています。小型で旋回性能も優れているので、操縦がとても楽しそうです。

T-5が大空を軽快に駆け抜けた後に飛来したのは、救難飛行艇US-2。大きい!そして遅い…全ての面でT-5とは対照的です(笑)
US-2は長年救難任務に携ってきたUS-1Aの後継機で、2007年に1号機が部隊配備されました。画像の4号機は去年2月に納入されたばかりの最新の機体です。

試作機であった1号機と2号機は白を基調とした塗装でしたが、量産機の3号機からご覧のような濃緑色の洋上迷彩となりました。この色を纏ったUS-2は、帝国海軍が世界に誇った飛行艇・二式大艇が時空を超えて甦ったかのように思えます。
ちみにUS-2を製造する新明和工業は、二式大艇を生み出した川西航空機の後身会社です。

US-2が飛び去ったあと艦隊は180度変針、大阪・神戸方面に向けた進路での航行となりました。艦隊は二列になり、我が「はたかぜ」「きりしま」を先頭に「せとゆき」「あすか」「げんかい」「てんりゅう」と続く隊列の最後尾に位置しています。

この隊列の左方には、「いせ」を先頭に「いかづち」「とね」「ゆら」と続く隊列が航行しています。
「いせ」や「きりしま」といった大型艦や「あすか」「てんりゅう」という特殊用途の艦を含む総勢12隻の艦艇が整然として航行する姿は、まさに大艦隊と呼ぶにふさわしい光景です。展示訓練というよりも観艦式とさえ呼べるほどの豪華な艦隊でした。

先ほど飛び去って行ったUS-2が、二列になって航行する艦隊の間の海面に着水します。失速して墜落するのではと思えるようなゆっくりとした速度で降下してきたUS-2は、まるで海面に滑り込むようにスムーズに着水しました。↑の画像はUS-2が着水した瞬間を捉えたものです。スムーズな着水とはいえ、着水の瞬間には大きな水しぶきが上がっていました。

US-2はUS-1Aと同様、波高3メートルの荒れた海面まで着水が可能です。荒れた海への着水を可能としている装備が搭載型波高計ですが、US-1Aの人力による波の観測・解析から、US-2ではコンピュータによる自動観測・解析となりました。

海面に着水したUS-2は数分間海面に静止していましたが、再び海面を滑走し離水しました。
US-2の飛行を見るのはおととしの観艦式に次いで2度目ですが、その時は海が荒れていたため着水は中止となりました。なので着水を見たのは今回が初めてだったのですが、海に降りる飛行機を目の当たりにして驚く一方で、このような特殊な飛行機を作ることができる我が国の技術力はすごいと実感しました。

ただ、飛行艇を製造する技術力も防衛省からの発注が無ければ宝の持ち腐れとなってしまいます。日本には武器輸出三原則があることからUS-2を輸出することはできませんが、製造元の新明和工業はUS-2を消防飛行艇に改造して輸出することを計画しています。

訓練展示の第3幕は艦隊運動です。我が「はたかぜ」が属する隊列の6隻は一斉に90度変針し、それまでの縦一列から横一列の隊形へと転換しました。6隻が寸分違わぬタイミングで変針する様子に、各艦の技量の高さを垣間見た気がしました。

6隻は横一列になって航行、画像は手前から「てんりゅう」「げんかい」「あすか」「せとゆき」「きりしま」の順となっています。この光景、上空から眺めたらさぞ壮観なことでしょうねぇ…。ああ、鳥になりたい…翼が欲しい…(笑)この時、各艦は一気に増速。マストの速力信号標を見ると原速(12ノット)を示しています。

横一列になった「きりしま」をはじめとする6隻ですが、左方を航行している「いせ」以下6隻の隊列が目前に迫ってきました。
このまま直進すれば衝突の恐れさえあるのでどうするのかと思っていたら、各艦は一斉に90度変針、しかもほぼ直角に曲がるような急激な進路変更でした。力づくで艦の進路をねじ曲げたと言ってもいいような大迫力の変針でした。

我が「はたかぜ」の前方を航行していた「てんりゅう」ですが、まるで走り屋の車が峠道のカーブでドリフト走行しているような雰囲気です(まさに頭文字Dの一場面ですな…笑)
「てんりゅう」の船体の傾きと海面の航跡から、いかに急激な進路変更だったかがお分かりになると思います。

「てんりゅう」と同じように急激な変針で進路を90度変えた各艦は、再び隊列を整えて縦一列となります。
この時速力は9ノットまで減速されていて、各艦がゆっくりと隊列を整える光景からは、先ほどの変針時の緊張感とはうって変わって緩やかな空気が漂っています。

この緩急自在の艦隊運動は海自の高い技量の表れであり、日夜厳しい訓練を重ねて技量を磨き・高めている証なのです。
艦艇や航空機による様々な展示は、見学者を楽しませるアトラクションであると同時に、日ごろ培った技量の披露の場でもあるのです。見学者の方々には素晴らしい展示を披露できるようになるまでの隊員の努力にまで思いを馳せて欲しいと思います。

訓練展示の最終幕は、対潜ヘリSH-60Kによるローパス(低空飛行)です。艦隊の前方から「バリバリ」というローター音を轟かせながらSH-60Kの3機編隊が接近してきました。

ローパスとは言いながらも飛行高度はかなり高いです。しかも、艦隊にあまり接近しないまま通り過ぎて行きました。あれれ…。
7月の舞鶴地方隊展示訓練で曲芸飛行のようなローパスを見てしまったからかもしれませんが、今回の展示はかなりの物足りなさを感じてしまいました。先に述べたように展示は技量を披露する場なので、この中途半端なローパスでパイロットは訓練終了後に大目玉を喰らうのではないかと心配になりました…。

すべての展示が終了した午後3時15分、各艦が帰港先に進路をとるため一斉に散開します。
「はたかぜ」は「てんりゅう」と共に和歌山港に戻るのですが、艦隊の進路が大阪・神戸方向だったため180度の変針となりました。

「あすか」や「きりしま」などの艦がみるみるうちに遠ざかっていくのを見ると一抹の寂しさを感じてしまいましたが、よくよく考えてみると、私は明日も展示訓練に参加するのです。寂しさを感じる必要はありませんでした…(苦笑)
訓練展示が終了したので艦が進路を変更し散開するのですが、この散開シーンも展示と言えるほどの素晴らしい光景です。

約1時間半をかけて「はたかぜ」は和歌山港の沖まで戻りました。
和歌山港を目前にしたその時、一隻の潜水艦が停泊しているのが見えました。展示訓練に参加していた「くろしお」です。阪神基地や大阪に入港せず和歌山湾内に停泊しているということは、元々紀伊半島沖か四国沖で行動していたと考えられます。

甲板上に乗組員の姿が見えますが、皆さん私服に着替えており、これから和歌山に上陸するようです。近くにある由良基地分遣隊から派遣された交通艇(YF)に乗り込んでいました。セイル上では艦長が「はたかぜ」に向かって手を振ってくれています。
また明日お会いするのを楽しみにしています♪

午後5時30分、「はたかぜ」は和歌山港に入港しました。約5時間半にわたる航海でしたが、晴天にも恵まれ、さらにKさんとの楽しい艦艇談義もあり、7月の若狭湾同様とても楽しい展示訓練となりました。前日の一般公開、そして本日と2日間存分に楽しんだのですが、同時に体力も激しく消耗してしまいました。明日(25日)の訓練に備えて夜の出撃は自粛しました…(笑)

今回の「はたかぜ」乗艦にあたり、当HPの愛読者である岡山県のS様から多大なるご協力とご配慮をいただきました。S様のご協力なしでは素晴らしい展示訓練を見学・撮影することはできなかった訳で、ここに改めて御礼申し上げます

「いせ」「きりしま」「せとゆき」「あすか」…晴天の大阪湾に集結した見事なまでの大艦隊に我を忘れた一日でした。