西方総監部研修 補給艦「おうみ」見学

陸自西部方面総監部が主催する研修会に参加し、佐世保基地に在籍する補給艦「おうみ」を見学しました。
海外派遣をはじめとする護衛艦の長期行動を支える巨大補給艦の注目すべき特徴と設備をご紹介します。

今回私が参加した研修会は2泊3日の日程で長崎地区に所在する陸自と海自の部隊を見学する内容で、2日目の午後に佐世保基地に停泊中の補給艦「おうみ」に乗艦・見学しました。「おうみ」は「ましゅう」型補給艦の2番艦で2005年3月に就役、艦齢はまだ10年で海自補給艦5隻の中で最も新しい艦です。就役以来、佐世保を母港としていますが、私にとっては最も撮影機会に恵まれていない艦だけに、今回の研修・見学はまさに絶好の機会といえます。西方総監部に感謝です!

ちなみに「おうみ」以外の部隊見学は、陸自相浦駐屯地・竹松駐屯地・大村駐屯地・海自大村航空基地・佐世保セイルタワーで、総監部が主催するだけに、どの部隊も部隊長自らが講師を担当するなど、非常に充実した内容の研修でした。

移動用バスを降りて「おうみ」に乗艦します。桟橋から艦内に通じるラッタルを登っていると「おうみ」の巨体が目の前に迫ってきます。舷側なんてそそり立つ壁のようで、いきなり「おうみ」の巨大な船体に圧倒されます。さすが巨大補給艦!

「ましゅう」型補給艦は基準排水量1万3500tで、今年3月にDDH「いずも」が就役するまでは海自最大の艦艇でした。補給艦という性質上、艦内に大量の物資を積載することから満載排水量は2万5000tに達しており、「いずも」に負けず劣らずの巨大な艦です。
「いずも」がDDHにとどまらない多目的艦であるのと同様に、「ましゅう」型も補給艦とは別の“知られざる顔”を持っています。今回の見学では、その顔に迫ることが最大の目的でもあります。「おうみ」が持つもう一つ顔とは…レポート後半で明らかになります。

乗艦して最初に案内されたのは科員食堂です。ここで海自名物の金曜カレーを喫食…という訳ではなく、「おうみ」についてのブリーフィングを受けるのです。科員食堂はどの艦艇でも最大の艦内スペースであるため、大勢の人が集まるブリーフィングや会議の会場として使われることが多々あります。

科員食堂というと、海自艦艇では船体内部の第2甲板あたりに位置するのが常ですが、補給艦では船体内の大部分を物資搭載スペースとその関連施設に充てているため、この「おうみ」でも艦橋構造物内の1階部分(第1甲板)にあります。
テーブル等の調度品は、一見何気なく置かれているようにも見えますが、比較的新しい艦だけに、配食台やテーブルは乗組員の動線を考慮して合理的に配置されています。

ブリーフィングを行うのは艦長の矢野1佐です。
「おうみ」の概要や特徴・任務等を分かり易く説明していただきました。外部からのお客様や見学者に対する艦長ブリーフィングをこれまで何度も見てきましたが、皆さん一様にお話や説明が上手なのには驚かされます。このような話の上手さやプレゼン能力はビジネスの世界でも不可欠なスキルなので、民間人の私もこのスキルを身に付けたいと切に思っています。

艦長が説明上手なのは、何度も来客を迎えているだけではなく、幕僚・科長時代に乗組員に対して様々な説明・伝達を行ってきたこと、さらには幹部候補生時代の5分間講話まで含めて長い期間に渡って磨き抜かれてきた能力といえます。
艦長ら指揮官の格好良さは、このような話の上手さも大きな要素といえるでしょう。

矢野艦長と記念撮影。向かって右端が矢野艦長、中央が私(顔面は機密事項なのでご了承を)、左端が今回の研修を企画していただいた西部方面総監部広報室長の大塚1佐です。矢野艦長は、今年1月に海上訓練指導隊群首席幕僚から「おうみ」艦長に就任しました。過去にはDDG「はたかぜ」DE「ゆうばり」(2010年退役)の艦長を経験しています。

なかでも「ゆうばり」艦長時代には、財政破綻した夕張市に乗組員から集めた募金を寄付し、その贈呈式の模様は新聞等で大きく報じられました。同じ名前のよしみで破綻した自治体に募金をするという粋な行動に私は感銘を受け、以来「いつかお会いしたい」と思い続けていました。それだけに、今回の「おうみ」見学は矢野艦長にお会いすることも大きな楽しみでした。

ブリーフィング終了後、副長の案内で艦内を見学して回ります。最初に訪れたのは艦橋構造物の5層目(04甲板)にある補給管制室。他の艦種では見ることができない補給艦特有の施設です。ここでは燃料・物資の補給作業の管制や、燃料補給時におけるポンプの起動操作や流量・圧力の調整等を行います。まさに“補給作業の管制塔”とも言うべき重要施設です。この管制室で指揮を執るのは機関長で、甲板上での作業責任者である運用長と連携を取りながら補給作業を実施します。

「ましゅう」型補給艦は1個護衛隊群(=護衛艦8隻)に燃料・航空燃料・糧食・真水・弾薬等を補給することを目的としており、燃料の搭載量は約1万tに達します。また真水の補給能力(搭載量1000t)は前タイプの「とわだ」型にはなく、本級から付与されました。

補給管制室から見た補給ステーションの全景です。4本立っている柱のような構造物は補給用ポストで、手前のポストがある場所が燃料・航空燃料・真水の補給を行う第5・第6ステーションで、艦首寄りのポストがある場所が燃料専用の第1・第2ステーションです。2基のクレーンが設置されている中央部分が物資・糧食用の第3・第4ステーションとなります。

補給用ポストの形状は従来の門型から横桁のないモノポール型に変更されており、視界が格段に良くなっています。また「とわだ」型では甲板上に露出していた油圧装置類が本級では第1甲板上の室内に搭載されたために、すっきりした外観となったことに加えて補給作業用のスペースも拡大しました。「とわだ」型のコンビナートのような補給ステーションも魅力的ではありますが…。

補給管制室の見学を終え、艦橋に向かう途中、部隊マークが描かれた張り紙がある扉を発見。張り紙に書かれている文字は「第1海上補給隊司令部事務室」。何と、いまこの「おうみ」には海自が所有する補給艦5隻を統べる第1海上補給隊司令とその幕僚たちが乗っているのです。これは珍しい!!

第1海上補給隊司令部は横須賀に所在しますが、補給艦は横須賀・呉・舞鶴に各1隻、佐世保に2隻が分散配置されており、司令は訓練指導のたびごとに各艦の母港に出張することを余儀なくされます
護衛隊所属艦の母港が集約化されつつある昨今においては、4ヶ所もの基地を飛び回って艦を指導しなければならない第1海上補給隊司令は、数ある海自の部隊指揮官の中でも最もハードな役職といえるでしょう。本当にご苦労様です。

艦橋構造物内のラッタルをひたすら登り続けて艦橋にたどり着きました。
ここに着くためには狭くて傾斜が急なラッタルを6回も登らなければなりません。見学者が殺到する昨今の一般公開で艦橋を公開しようものなら、お年寄り・子供を中心に途中で“遭難”する人が続出することでしょう
(笑)

艦橋構造物が大きく、加えて直線的なデザインであるために、ご覧のように艦橋は護衛艦とは比較にならないほど広々としています。イージス艦や「あきづき」型DDの狭い艦橋とは大違いで、移動も容易なので撮影が捗ります。
艦橋には案内役の副長に加えて艦長も同行し、色んな説明をしてくれました。左側にいる幹部が副長の森2佐で、大型艦である「おうみ」には船務長・機関長も2佐の幹部が務めています。

司令が座乗しているために左舷側の席には1佐用の赤いカバーが掛けられています。護衛艦とは違って司令が座乗する機会がそれほど多くない補給艦において、左舷側の席にカバーが掛かっているのはとても珍しい光景です。

第1海上補給隊は海自が保有する5隻の補給艦で構成する護衛艦隊直轄部隊で、海外派遣など高い練度が求められる任務が増えたことに伴い、補給艦の練度向上と練度管理を目的に2006年4月に新編されました。それまでは補給艦を統べる部隊はなく、各艦が護衛艦隊の直轄艦という扱いでした。5代目にあたる現在の司令は在原1佐で、今年4月から任に就いています。補給艦は操艦と補給作業双方に高い練度が求められるだけに、指導役の司令にはベテランの1佐が充てられます

こちらは右舷側の艦長席です。おや?ウイング側にもうひとつ席があるではありませんか!1佐用の赤いカバーも掛かっているし、いったい誰の席なのでしょう…?疑問に思って矢野艦長に尋ねたところ、ウイング側の席も艦長席とのこと。画像手前の席が通常の艦長席で、ウイング側の席は補給作業を監督する際に使用する艦長席なのです。

通常席では補給作業全体を見渡すことができないことから設置されたもので、通常席よりも着座位置がかなり高くなっています。実際に座ってみたところ、右舷側はもちろん左舷側の補給ステーションまでよく見渡せます。この監督席、就役当初から設置されていた訳ではなく、矢野艦長の前の艦長が設置したとのこと。恐らく、同型艦の「ましゅう」には設置されていないと思われます。

艦橋ウイング部に出てみました。広い!!ここは右舷側のウイングなのですが、ここだけでイージス艦の艦橋内部よりも広いのではと思える程です。なぜこんなに広いのかというと、補給作業を監視しやすいよう十分なスペースをとっているためで、天候によってはこの部分に天幕を張って、日差しや雨を避けます。

ウイング内には2基の6連装チャフ発射機が設置されています。左舷と右舷合計4基の発射機が「ましゅう」型唯一の兵装となります。建造時の計画では艦首部とヘリコプター管制室の上部に20ミリ機関砲CIWSが後日装備されることになっていましたが、「ましゅう」「おうみ」ともにいまだ設置には至っていません。
予算上の制約なのか、特務艦艇は「後日装備」とされている兵装が就役後ずっと装備されないままということが多々あります

ウイング部から立神桟橋に接岸中の艦艇群を望みます。
「おうみ」の桟橋反対側にはマストに海将補旗が翻るDDH「くらま」が接岸しています。「おうみ」の艦橋は高い位置にあるために、ご覧のように艦を見下ろす形になります。「くらま」のメインマスト中段あたり高さが、「おうみ」の艦橋に相当します。

港湾一帯とそこに停泊する艦艇たちを見渡していると非常に爽快な気分になるのですが、それは艦長も同じのようで、「どんなに偉い人が乗った艦でも見下ろすことになるのでとても気分がいいですよ」と、矢野艦長は笑っていました。
逆にこれだけ高さがある巨大な艦は操艦時には横風の影響をもろに受ける宿命にあり、「普段は操艦しやすい艦なのですが、強風にあおられると途端にじゃじゃ馬になります」と矢野艦長。

艦橋の見学を終えて補給ステーションの見学に移ります。残念なことに、かなり強い雨が降っているために補給ステーションの見学は中止…となるはずだったのですが、森副長が「雨に濡れてもいいなら少しだけご案内しますよ」というナイスな提案をしてくれました。参加者に異論があろうはずもなく、短縮版ではありますが、補給ステーションを見学することになりました。

いま私が立っているのは艦橋構造物直下の上甲板(第1甲板)で、奥の方が艦首部分になります。この何の変哲もなさそうな光景が、実は補給艦らしさを如実に表しています。通路部分にご注目!補給作業がしやすいように、かつ物資運搬用フォークリフトが通行しやすいように幅が広くとられています。また、他艦ではライン状になっている滑り止めが、ここではタイル状になっています。

強い雨もなんのその、第6補給ステーションにやって来ました。反対舷の第5補給ステーションと共に燃料・航空燃料・真水(液体補給品)の補給を担当しています。補給ポストからぶら下がっている黒いホースのような物は、補給時に使用する蛇管です。
最も艦首寄りの第1・第2ステーションも液体補給品を扱いますが、燃料専用のステーションであるため、備え付けられている蛇管の数はこの第6よりも少なくなっています

ポスト基部に描かれたカラフルなマーキングが目を引きますが、ここが燃料と航空燃料を扱うステーションであることを明示しています。このような派手な色遣いになっているのは、遠くからでもはっきりと視認できるようにしているためで、補給を受ける艦はこのマーキングを目印にして艦を適切な位置に付けます。

こちらは、第6ステーションから少し艦首方向に進んだ所にある第4補給ステーションです。反対舷にある第3ステーションとともに物資・糧食・弾薬等の固形補給品(ドライカーゴ)を扱います。
矢印部分が一層下の第2甲板にある荷扱所から補給品をステーションに揚げる昇降機(エレベーター)で、ここに揚げられた補給品は、さらにクレーン等でドライカーゴ用補給ポストにまで揚げられて受給艦に送られます。

このステーションの壁面にもマーキングが施されています。緑色のマークは糧食等を、画像右上端に少しだけ写っているオレンジ色のマークは弾薬を扱うことを明示しています。
このマーキングは「ましゅう」型だけではなく「とわだ」型3隻にも施されているので、公開があった際にはぜひご覧になってください。

上甲板から見た艦橋構造物です。下から見上げるとその巨大さを改めて実感します。先ほど「くらま」を見下ろした艦橋ウイングは遥か“上空”にあります。どおりで見晴らしがいいはずです。

艦橋構造物は7層にも及びます。第1甲板上に先ほどブリーフィングを受けた科員食堂調理室、2層目の01甲板に科員居住区、3層目(02甲板)に先任海曹室女性居住区・総合事務室、4層目(03甲板)に士官室士官私室、5層目(04甲板)に艦長室補給管制室・士官私室、6層目(05甲板)にCIC電信室が配置され、7層目(06甲板)が艦橋となっています。
先に述べたように、補給艦は船体内の大半のスペースを物資搭載と集積・運搬の施設に充てているため、他艦では船体内にある科員居住区や科員食堂が艦橋構造物内に配置されています。

艦尾方向に進み、だだっ広いヘリコプター甲板に着きました。
MH‐53E掃海・輸送ヘリコプター等の大型ヘリの発着艦を可能とするために十分な広さと強度を有しています。
補給艦がヘリを運用するのは、もちろん補給品の空輸のためで、矢印部分の昇降機で一層下の第2甲板から補給品が揚げられ、飛行甲板荷扱所で一時保管と空輸準備が施されたのち、輸送ヘリに補給品が積載されるという手順になっています。この昇降機ですが、補給品の運搬以外にもうひとつ大きな役割があります。その役割はのちほど判明いたします。少しだけお待ちを…。

湾内に大きな補給艦
(青矢印)の姿が見えます。姉の「ましゅう」(母港:舞鶴)が来航しているのです。司令も座乗している好機ということで、翌日から同型艦2隻で訓練を実施するとのことです。

ヘリ甲板に隣接する飛行甲板荷扱所です。一見、ヘリ格納庫のようにも見えますが、補給艦ではヘリの格納や整備を行わず、この場所は補給品の一時保管と空輸準備の場所です。そのため補給品運搬用のフォークリフトが配置されています。
見た目が格納庫にそっくりなのは、緊急避難的にヘリを格納しなければならない事態に備えて、ヘリ搭載艦の格納庫に準じた広さと構造にしているためです。でも、ここはあくまで荷扱所です。

ヘリ運用の利点は補給品の空輸ですが、もうひとつ大きな利点があります。それは災害発生時における病症者・患者の空輸です。そのために、このヘリ甲板と飛行甲板荷扱所の直下(第2甲板)には医療区画が設けられています。
そう、この一層下の甲板に「おうみ」の“別の顔”があるのです

第2甲板の艦尾寄り部分、ヘリ甲板直下に医療区画があります。この施設により、「ましゅう」型補給艦は“知られざる別の顔”を持つことになりました。もうお分かりですね。その“別の顔”とは、災害時における「病院船」(洋上病院)という役割です。

↑は入口を入ってすぐの場所に設けられた第1病室重篤患者用の病室で、診察用機器のほかベッド8床を備えています。
本級は自衛艦としては類をみない高度かつ充実した医療設備を有しており、長期行動中の艦隊で発生した病症者の治療に対応するほか、阪神大震災・東日本大震災級の大規模災害発生時には病院船としての能力を発揮できるよう設計されています。
一方、小規模な災害や大型艦が停泊・入港できない地域においては、特務艇「はしだて」が病院船の役割を務めます。

集中治療室です。同時に4人までを集中的に治療・看護することができます。この光景だけを見ていると、何処かの病院の集中治療室のようで、とても自衛艦の内部とは思えません。
私はかつてDDH「いせ」の医療区画を見学したことがありますが、集中治療室は有していたものの収容可能人数は1人のみでした。4人の患者を集中治療可能な本艦の医療施設がいかに充実しているかがお分かりいただけるでしょう。

壁面に見える扉にご注目!ヘリコプターで空輸されて来た患者は、ヘリ甲板左舷側に設置された昇降機
(3枚上の画像の黄色矢印部分)によってこの扉の近くに降ろされ、この扉から医療区画に素早く搬入されます。ヘリ甲板にある昇降機は補給品の運搬だけではなく、病症者の運搬という役目も課されているのです。

手術室です。これまた他艦の手術室とは比べものにならない広さで、設備も最新の機器が揃えられています。まさに「洋上病院」「浮かぶ医療機関」と呼ぶにふさわしい充実ぶりです。ただ、これほどまでに充実した設備を有していても医官が常時乗り組んでいるわけではなく、艦隊支援時や災害派遣時において必要に応じて自衛隊病院や医療部隊から派遣されてきます

艦艇の手術室というと、「太平洋の嵐」などの戦争映画において、軍医が白衣を血で染めながら戦闘で負傷した乗組員の処置を行うシーンを思い浮かべてしまいます。実は、艦艇では戦闘時の負傷者は医務室よりも上甲板近くに臨時で設けられる「戦時治療室」で処置を施すことが一般的です。では、海自艦ではどこに「戦時治療室」を設けるのか…その場所は士官室です。

レントゲン室です。私はこれまで医療区画にレントゲン室までを備えた艦を見たことがありません。これを備えているのは当「ましゅう」型補給艦だけではないでしょうか?今年3月に就役したDDH「いずも」も、本級と同様に「病院船」の役割を期待されていることから、もしかしたらレントゲン室を有しているかもしれません。
最近、原因不明の腰痛に悩まされている私、ここでレントゲン撮影をしてもらって原因を解明して欲しくなりました
(笑)

私の友人に病院でレントゲン技師をしている人がいますが、このレントゲン室を運用するにあたってはレントゲン技師の資格を持った隊員が乗り込んでくるのでしょうか?それとも医官か衛生員が資格を持っていて対応するのでしょうか?下艦後に疑問に思ったので副長に尋ねることができませんでした。気になるなぁ…。

レントゲン室の隣に歯科治療室があります。ここはもうどう見ても街の小さな歯医者さんです。今にも扉の向こうから白衣を着た歯科衛生士のお姉さんが出て来そうな雰囲気です(笑)

実は災害派遣時において、歯科治療室を有する艦は非常に重宝されます。というのも、どの海自艦も医務室を持っているので医官さえいれば治療レベルの差こそあれ、病気の治療は可能です。しかし歯科治療室を持つ艦はごく僅かなので、歯の治療が必要な患者を一手に引き受けることになります。東日本大震災では、派遣艦で唯一歯科治療室を有していたDDH「ひゅうが」が被災者の歯の治療に大車輪の活躍をしました。
現段階で歯科治療室を有する海自艦は、本級「ましゅう」型のほか「ひゅうが」型DDH、「いずも」型DDHとなっています。

入院患者用の病室です。ここは主に軽傷患者を収容する第2病室です。収容人数を増やすために、ベッドは2段になっています。
本級は海自艦最大の46床のベッドを有しており、その内訳は重傷者用8床(第1病室)、軽傷者用30床(第2病室)、女性用または隔離用の7床(第3病室)となっています。

ちなみに、他艦のベッド数はというと、同じく「病院船」の役割を期待されているDDH「いずも」が35床「ひゅうが」型DDHが8床「おおすみ」型輸送艦が6床となっています。
「おおすみ」型が就役した際(1998年)には、『充実した医療設備を有する艦』として大きな話題になりましたが、それから17年もの間に海自の“病院船機能”が飛躍的に充実・強化されたことが、各艦が有する病床数から窺うことができます。

こちらは第3病室です。主に女性用の病室として使用されますが、隔離が必要な患者が発生した際には隔離病室となります。
女性用の病室ということで、仕切り用のカーテンがピンク色になっているのが何とも微笑ましく感じます
(笑)

海自は専用の病院船を保有していませんが、米海軍はタンカーを改装した世界最大の病院船「マーシー」「コンフォート」を有しています。1000床の病床と12ヶ所の手術室を擁する、まさに“浮かぶ巨大病院”です。さすが米海軍、スケールが桁違いです。
病院船は建造だけでなく、その後の維持・管理にも多大なコストがかかることから、海自を含む多くの国の海軍では輸送艦や補給艦・揚陸艦などに病院船機能を付与する形で運用しています。旧帝国海軍も民間客船を徴用して病院船に充てていました

医療区画の見学を終え、続いては機関操縦室兼応急指揮所に訪れました。艦橋と並ぶ艦のもうひとつの心臓部であり、医療区画より1層下の第3甲板に位置しています。ここでは主機と補機の監視・制御、応急関連装備の監視、空調管理、電力管理など艦の営みに不可欠な業務を担っています。

就役から10年少々の新しい艦だけに制御盤はシンプルかつコンパクト。スイッチや計器類は最小限で、代わりに液晶パネルが多用されています。制御盤がシンプルなのはもうひとつ理由があって、本艦は大型化したにも関わらず乗組員は「とわだ」型とほぼ同じであることから、機関に関連する様々な装置が自動化・省力化されているのです。よって、制御・監視業務も少人数で行われています。

この部屋の責任者である機関長の席からの眺めです。機関長は自席から制御盤を見て、機関の操縦状況や応急に関する情報を把握することができます。前方の制御盤は、向かって右側が応急指揮、左側が機関操縦のエリアです。本艦ほどの大型艦になると、機関長にも2佐の幹部が充てられます。

「ましゅう」型は海自補給艦としては初めて主機にガスタービンを採用最高速力も24ノットと高速化が図られています。主機の最高出力は4万馬力で、補給用物資を満載していても航行能力を落とすことはありません。また水中放射雑音を低減するため、主機や減速機・補助ポンプ・発電機は防振支持構造となっています。
補給艦は艦隊に随伴して行動することから、艦隊の行動を妨げないよう相応の速力と水中雑音の低減を求められたためです。

続いては補給艦の中核施設ともいうべき補給用物資積載施設の見学です。いま私が立っている場所は第2甲板右舷側の補給通路で、左側に見える扉は糧食の冷凍・冷蔵庫です。この補給通路の先には荷扱所弾薬格納所があります。
床面にある溝のような物は、冷凍・冷蔵庫から搬出された糧食を荷扱所や補給ステーション行き昇降機まで運搬する「サイドフォーク」と呼ばれるフォークリフトの走行軌条です。ステーションへの昇降機はこの通路の先、弾薬格納所入口前にあります。

高い天井、冷蔵・冷凍庫の大きな扉、そして広い通路、補給艦ならではの艦内風景です。今さらですが、「補給艦に乗っているんだぁ~」という実感が湧いてきました。今は静かなこの通路も、補給作業時にはサイドフォークが往来して活気づくのでしょうね。

通路の艦尾方向最深部にサイドフォークが留置されています。
黄色いL字型の少し変わった形をしています。簡単に言えば糧食運搬用フォークリフトなのですが、荷役用のツメが側面にあるなど、通常のフォークリフトとは随分形状が異なります。軌条に沿って走行するため、運転ではアクセルとブレーキだけを使用し、ハンドルはありません。どんな音を発し、どれくらい速度が出るのでしょうか?ぜひ走行シーンを見たいものです。

この補給通路は右舷側ですが、左舷側にも同じ通路があり、サイドフォークも装備されています。第2甲板は左右両舷に通路がありその内側が糧食や弾薬の積載スペースとなっているのです。
一方、燃料等の液体補給品のタンクは第3甲板以下にあり、弾庫を保護するためにその周囲に配置されています。

冷凍・冷蔵庫は、空の場合は扉を開けて中を見学することが可能なのだそうですが、今回は数日前に糧食が積載されたとのことで、内部の見学はできませんでした。ああ残念…。
想像では大きな冷蔵庫のような内部を思い浮かべますが、実際は、糧食をボックス状のパレットに収納して格納・貯蔵しています。なので、冷蔵庫というよりは室温が低い倉庫(低温倉庫)と言った方が内部の実態に近いと思います。

糧食は受給艦の要求に応じて陸上で集荷してパレットにまとめます。パレットはクレーンと昇降機を使って補給通路に運び込まれ、サイドフォークが冷凍・冷蔵庫まで運搬して格納されます。
補給時はこの逆の手順で補給ステーションにパレットが揚げられ、受給艦に送られます。糧食はパレット単位で動くのです。

冷蔵・冷凍庫ではパレットの搬入・搬出作業が不可欠ですが、いちいち乗組員が手作業でパレットを出し入れしている訳ではありません。パレットは回転ラックに収納され、回転ラックと床面に設置されたベルトコンベアで所定の場所に格納、補給時には格納場所から出入口まで自動でパレットが運ばれます

↑は回転ラックの操作盤で、これを操作することで人力に頼ることなく素早く、そして正確に必要なパレットの出し入れができます。
先ほど、本艦は大きさの割に乗組員が少ないことを紹介しましたが、このような装置が自動化・省人化を実現させているのです。
結果として、艦がこれほどまでに大型化したにも関わらず、乗組員数は、「とわだ」型から5人の増加にとどまっています。この事は奇跡に近いほどの省力化が実現したことを意味しています。

見学を終えて「おうみ」から下艦します。矢野艦長に舷門でお見送りいただきました。本当に素敵な艦長さんです♪
一佐で、しかもこれほど大きな艦の艦長なら“ふんぞり返った態度”でもおかしくはないのですが、矢野艦長はそのような部分を微塵も感じさせません。明るくて気さくな艦長さんでした

司令官や司令・艦長クラスの海自幹部と接して感じるのは、指揮官なのに決して威張った態度がなく、明るくて気さくで人間的に魅力ある人が多いということです。これは、海自が指揮官として必要なリーダーシップの涵養だけではなく、部下が尊敬し、慕い、その幹部の下で働きたくなるような人間教育を実践している賜物だと私は考えています。業績向上のみを目的とした社員教育しか行わない民間企業は、大いに見習うべきです。

立神桟橋には、佐世保を母港とするもう一隻の補給艦・「はまな」が停泊しています。この艦も「おうみ」と同じくらい撮影機会に恵まれていない艦なので、このタイミングで撮影できるのはとても幸運です。佐世保での研修は収穫が多くて嬉しくなります♪

「はまな」は「とわだ」型補給艦の3番艦で、1990年3月に就役しました。「はまな」という艦名は補給艦としては二代目で、初代「はまな」は海自初の補給艦(正確には給油艦)として1962年に就役、2隻目の補給艦である「さがみ」が就役する1979年までの17年もの間、たった1隻で艦隊への給油・物資補給を担当し続けました。老朽化・旧式化により1987年に退役、その多大なる功績を称えて3年後に「とわだ」型3番艦の名前として復活しました。護衛艦でいえば「あきづき」に匹敵する栄誉ある艦名なのです。

佐世保基地での研修を終え、立神桟橋をあとにします。次の研修先は、佐世保市内にあるセイルタワー(海自佐世保史料館)です。
「おうみ」と同じ桟橋には、「くらま」のほか「あまぎり」「はるさめ」も停泊しています。佐世保基地の立神地区は、米海軍基地の中に“間借り”している状態であり、一般人は滅多に立ち入ることができないだけに、このように停泊艦を前方から眺める事は、とても貴重な体験です。楽しく充実した研修を企画していただいた陸自西部方面総監部に心から御礼申し上げます

艦隊の行動を陰で支える補給艦として活躍する一方で、災害時には被災者を救護する病院船となるべく万全の準備を整えている「おうみ」。矢野艦長のリーダーシップのもと、乗組員が一丸となって練度向上と任務遂行にあたることを心から期待しています。

病院船という「もうひとつの顔」を持つ巨大補給艦「おうみ」、その内部は興味深い装備や施設が目白押しでした。