舞鶴サマーフェスタ2012

7月27・28両日に東舞鶴と西舞鶴で開催された舞鶴サマーフェスタの模様をお伝えします。
灼熱の暑さでしたが晴天に恵まれてとても楽しかったです。しかし、最後に思わぬ事態が…

夏の遠征第4弾は日本海側の要衝・舞鶴です。この地で7月27・28両日に開催される舞鶴サマーフェスタに突撃(?)するのです。
去年のちょうど今頃は舞鶴地方隊の展示訓練があり、夏の日本海を駆け抜ける艦艇たちの姿を存分に撮影したのですが、今年は秋に観艦式が開催される関係で展示訓練は行われません。

しかし、私は去年見た夏の美しい日本海と、そこに浮かぶ艦艇の美しい姿を忘れずことができず、気が付けば舞鶴行きの電車に乗っていたのでした(笑)
春から夏にかけての舞鶴は、山は緑が眩しく海は青く輝いています。そんな風光明媚さに、私は惹かれているのかもしれません。

到着後、フェスタの会場である海自北吸岸壁には直行せず、まずは遊覧船から舞鶴在泊艦艇を撮影します。
当HPでも何度も紹介し、今や舞鶴を代表する観光資源となった「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」ですが、この日も私が乗り場に着いた時には、既に大勢の客が乗船して出港を待っていました。

遊覧船を所有する会社の社長でもある船長さんは、私の顔を見るなり、「あっ、大分から来はっているマニアの方ですね。いつもありがとぉーございますぅー」と京都弁で歓迎してくれました。完全に面が割れているようです(笑)遊覧船は4月から11月までの土日・祝日に、1日3便が運航されています。私はかつて1日に3便連続して乗船したことがあります。そりゃあ顔を覚えられるわなぁ…。

出港後、すぐに目に飛び込んで来たのはこの護衛艦。正確には元護衛艦です。この艦は今年3月に退役した「ゆき」型DD6番艦「はまゆき」です。嗚呼、なんて無残な姿に…(涙) ちょうど1年前の舞鶴地方隊展示訓練で、観閲艦の露払いである先導艦を務め、甲板上に溢れんばかりの乗艦者を乗せていた「はまゆき」ですが、いま私の目の前にいるのは人影が消えて単なる鉄の塊となってしまった「はまゆき」です。その余りの落差に涙をこらえきれませんでした…

ほとんどの装備品は取り外されていますが、「ゆき」型特有の艦尾構造をはじめとして艦の威容はなお保ち続けています。私は可能ならば持ち帰り、実家の庭の池に浮かべたいとさえ思いました。

遠くから見ても「はまゆき」は現役時代の威容を保っています。退役して死(=解体)を前にしても威容を保っているその姿は、切腹前に白い死装束を纏った武士のようにも見えます。最期の瞬間まで武士(護衛艦)であろうとするその佇まいに、余計に胸を締め付けられる思いがしました。

「ゆき」型DD1番艦の「はつゆき」に続く2番目の退役艦が5番艦の「はまゆき」だったことは、少々驚かされました。ただ、5番艦とはいえ就役が3・4番艦よりも数ヶ月早かったことや、長年舞鶴を母港としていたために船体が日本海の荒波にもまれて著しく老朽化していたことが、2番目の退役艦となった要因と考えられます。
私は退役艦艇の無残な姿を見るのが辛いので、退役後はさっさと解体して欲しいとさえ思っています。

遊覧船は舞鶴教育隊、舞鶴航空基地の沖合を通過して、ユニバーサル造船舞鶴事業所にやってきました。過去に舞鶴に遠征した際には必ずと言っていいほど検査中の艦艇がいたのですが、今回は造船所内の長大な岸壁には1隻の艦艇もいません。ただ、ドック内では3月に呉から舞鶴に転籍した「あさぎり」が大がかりな工事を受けています。おそらく5年に1度の定期検査中だと思われます。

ユニバーサル造船舞鶴事業所は、説明するまでもなく、かつての舞鶴海軍工廠で、国内に4ヶ所しかない自衛艦建造造船所の一角を担っています。また舞鶴在籍の艦艇は、基本的にはここで年次検査や定期検査を受けます。

ユニバーサル造船を通り抜け、海自北吸岸壁にやって来ました。まずは「ゆき」型DD3番艦「みねゆき」です。就役以来の相棒で、この岸壁では常に並んで停泊していた「はまゆき」が退役してしまって、なんだか淋しそうに見えます。この「みねゆき」も老朽化が進んでいることから、まだ正式にはアナウンスされていませんが、恐らく「あきづき」型3・4番艦の就役と入れ替わりで退役するものと考えられます。「みねゆき」の雄姿を見ることができるのもあと僅かなので、美しい舞鶴湾を航行する姿を写真に収めておきたいのですが…。

舞鶴に在籍する「ゆき」型DDはもう1隻、おととし呉から転籍した「まつゆき」がいるのですが、護衛艦隊代表として遠洋練習航海に随伴しているため姿は見えません。

「みねゆき」の前方には「あたご」が停泊しています。甲板上には見学者の姿が見えます。本日の広報担当艦のようです。就役直後の悲劇的な事故がいい意味で過去の物となって、ごく普通に公開が行われている光景を目にして本当に嬉しくなりました。

さらに嬉しいお知らせが!!
「あたご」は10月に実施される観艦式に参加、「ひゅうが」「ちょうかい」と共に観閲部隊の随伴艦の任に就く予定です。
ついに「あたご」が海自最大かつ最高の行事に堂々と姿を現すことができるようになったのです。観艦式では、幾多の苦難を乗り越えた晴れ姿をたくさんの写真に収めたいと思っています。おめでとう!「あたご」!!

あれっ!「すずなみ」がいる!?3週間前に島根県の浜田港で会った、というか、はるばる浜田まで追いかけた「すーちゃん」が、あろうことか舞鶴にいるなんて…。「すーちゃん」も「えへっ、また会っちゃいましたねぇ…」と苦笑いしているように見えます(笑)

「なみ」型DDは5隻いますが、横須賀の「たかなみ」「おおなみ」、呉の「さざなみ」よりも、大湊(舞鶴)の「すずなみ」に会う機会が圧倒的に多いです。遠方の基地をを母港としているのに何度も会うというのは、まさに相性の良さというものなんでしょうね♪♪
まぁ、「すーちゃん」なんて呼んでるくらいですから…。

浜田、そしてこの舞鶴で出会うということは、「すずなみ」は長期間に渡って母港・大湊を離れ、日本海側の海域で訓練を実施していたと思われます。舞鶴には休養のため寄港していたのでしょう。まさに“実家に里帰り状態”です。
就役から去年8月まで約5年半もの間舞鶴に在籍していただけに、北吸岸壁に停泊している姿はまったく違和感がありません
何だか今でも舞鶴所属の艦といった感覚すら覚えます。そんな感覚に襲われるほど、何度もこの遊覧船上から北吸岸壁で憩う「すずなみ」を撮影しているわけですね。

前甲板では作業服姿の乗組員が作業を行っており、さらにマスト上の対空レーダーも回転しています。もしかしたら、間もなく出港するのかもしれません。

遊覧船を降りた後、海自北吸岸壁に直行。灼熱の暑さにも関わらず大勢の人が詰めかけていました。
会場では艦艇公開手旗信号と結索の教室曳船による港内クルーズ、陸上自衛隊車両の展示などが行われていて、絵に描いたような艦艇イベントの光景が広がっています。今さら言うまでもありませんが、私はこの雰囲気が大好きなんです♪

今ではほとんど見かけなくなりましたが、かつては自衛隊がこういったイベントを実施すると、自称・平和団体の方々が「平和教育が5年分後退する」などと吠えながら抗議行動をしていたものです。大体、何を尺度に「5年分後退する」とか言っていたのでしょう? 今思い返してしてみると、ギャグとしか思えません。

艦艇公開ではミサイル艇「はやぶさ」が公開されていました。去年の舞鶴地方隊展示訓練で爆走し、私のハートを鷲掴みにしたあの「はやぶさ」です。これは見学しない訳にはいきません♪ 「はやぶさ」は、1999年に発生した能登半島沖不審船事件を機に整備された「はやぶさ」型ミサイル艇の記念すべき1番艇で、2002年3月に就役しました。艦艇発達史の観点から見ると、任務はやや異なりますが、1990年代初頭まで存在した魚雷艇の進化・発展型ということになります。

「はやぶさ」と5番艇「うみたか」で、第2ミサイル艇隊を編成しています。その激しい走りっぷりが魅力ですが、かのM.Hさんは「護衛艦隊がAKB48なら、ミサイル艇隊はももいろクローバーZだ!」と、力説しています。アイドル好きな方なら笑えると思います…(笑)

ももクロ、もとい、「はやぶさ」に乗艦。小さくてほぼ垂直にそそり立つラッタルを昇って艦橋へ。ブリッジと言うよりはコクピットと言った方が似合うミサイル艇の艦橋は、いつ見ても心が躍ります

艦橋にある機器・装備品は、昨年の夏に佐世保で乗艦した「しらたか」と同じですが、よく見ると頭上に備え付けられている計器やモニターの筐体が、「しらたか」では黒く塗装されているのに対し、この「はやぶさ」では塗装されていません。こういう細かな差異を見つけるのも、同型艦に乗る際の楽しみなんですよねぇ。少し分かりづらいのですが、「はやぶさ」をはじめ初期型の操舵輪は自動車のハンドルに似た円形だったはずですが、後期型と同じ操縦桿のような形状の物に取り換えられています。

「はやぶさ」を降りると、岸壁の東端の方が何やら騒がしいので駆け付けてみると、「すずなみ」が岸壁を離れようとしていました。やはり、先ほどの予想通り出港するようです。長らく母港を離れて日本海で訓練に励んでいる「すずなみ」ですがこの出港は母港・大湊への帰途なのか、それとも新たな訓練への出発なのでしょうか?

優雅なフォルムと艦名から来るイメージから「お嬢様」にも例えられる「すずなみ」ですが、マストに司令旗と信号旗を揚げて岸壁を離れる姿は、軍艦らしい力強さを感じます。「日本海と北方海域の警備は任せて!」と言っているよう。この感覚は周辺国に対しては一種の抑止力となるのではないか。そう考えると、海自が大湊に「すずなみ」と「まきなみ」を配置した理由が分かる気がします。

イベントの人気アトラクションである港内クルーズも出港します。
担当は曳船YT92、甲板上は大勢のマニアや家族連れらを乗せて鈴なりの状態です。YT92といえば、「すずなみ」と一緒に浜田港に寄港していた2隻の曳船のうちの1隻ではありませんか!「すずなみ」ともども舞鶴で3週間ぶりの再会、この子も私とは相性がいいのかもしれません(笑) 船体に備えられた防舷材代わりの古タイヤ、気になって数えてみたら44個ありました。

YT92は、いわゆる260t型曳船で、舞鶴にはこのタイプがYT64YT72YT92YT94の4隻が配備されています。舞鶴配備の支援船はこのほか、小型の曳船(YT)が2隻、油船(YO・YG)が3隻、水船(YW)が1隻、運貨船(YL)が2隻あります。

出港ラッシュは止まりません!「みねゆき」までもが、軽やかな出港ラッパを響かせながら岸壁を離れて行きます。広報担当艦ではないのに続々と人が乗艦していたので、「面会にしては人が多いなぁ」と思っていたのですが、応募・抽選で当選した人を対象に体験航海を実施していたのです。第14護衛隊司令の座乗を示す司令旗をはためかせながら出港する「みねゆき」は、「私もまだまだやれますよ!」と言っているかのように威風堂々とした姿です。

思いがけず訪れた「みねゆき」の航行シーンを撮影するチャンス。「願いが天に届いた」との思いを抱きながら、夢中でシャッターを切りました。私の周りには来場者がカメラを手にして集まっていて、岸壁はさながら、「みねゆき」撮影会のような状態となりました。

「みねゆき」は港内を抜けて舞鶴湾、さらに若狭湾へと向かいます。「ゆき」型DDを撮影するたびに思うことではありますが、「ゆき」型は後ろからの姿が本当に素敵です♪♪「みねゆき」が航行するすぐ後ろを舞鶴水中処分隊の隊員が乗ったゴムボートが伴走しています。去年の展示訓練の時もそうだったのですが、舞鶴水中処分隊の隊員はお茶目というかユニークで、イベントで出港する艦に伴走しては面白いパフォーマンスを繰り出して楽しませてくれます。

↑の画像、見方を一歩間違うと、ソマリア沖アデン湾で海賊が乗った不審船と対峙する護衛艦のように見えてしまいます(笑)
それはさておき、夏の体験航海らしい素敵な一枚になりました。

「みねゆき」が戻って来るまでの間、「あたご」に乗艦します。
と言っても見学が目的ではなく、戻って来る「みねゆき」を甲板上から撮影するためです。甲板上は岸壁よりも航行する艦に近く、なおかつ適度な高さがあるので撮影にはうってつけと考えた次第です。この1週間後に佐世保シーフェスで「ありあけ」の甲板上から「はるゆき」を撮影したのも、実はこの「あたご」での成功を踏まえたものだったのです。

「あたごさん、撮影台代わりにしてゴメンナサイ…」と後ろめたい気持ちを抱きつつ乗艦したのですが、この約2か月半後に「あたご」の甲板上から大規模な艦隊ショーを撮影することになるとは、この時は思ってもみませんでした。

出港から約1時間半後、「みねゆき」が戻って来ました!
美しい舞鶴の海と山を背景にたくさんの乗艦者を乗せて航行する「みねゆき」、まさにイメージ通りの構図です。とてもいい“遺影”を撮ることができたと言っては言い過ぎでしょうか…?近い将来、「みねゆき」が退役しても今回撮影した画像によって、当HP上で「みねゆき」の美しい姿を永遠に語り継いでいくことができる、そんな満足感に浸りました。

それにしても、舞鶴は景色が美しいなぁ~♪ この画像が撮影できただけでも、はるばる大分から舞鶴まで遠征した甲斐があったというものです。冬は大雪が降り、寒さも厳しい舞鶴ですが、春から夏にかけての景色の美しさは絶品です。私は“世界一美しい軍港”だと考えています。他国の軍港には行ったことはありませんが…。

翌28日、舞鶴サマーフェスタは会場を舞鶴西港に移して開催されます。舞鶴東港が海上自衛隊とフェリーの港であるのに対し、ここ西港は外航貿易港です。中国や韓国との国際貿易航路が開設されており、だだっ広い面積を有する岸壁巨大なガントリークレーンを備えた岸壁が広がっています。これまで東舞鶴しか知らなかった私にとっては、舞鶴のもう一つの顔を見た気がしました。

東港の一部である海自舞鶴基地から、ミサイル艇「うみたか」掃海艇「すがしま」が出張して来ています。どうやらこの2隻が公開されているようです。同じ舞鶴港とはいえ、東港とはまったく雰囲気が異なる西港に海自艦艇がいる姿はとても新鮮です。舞鶴ではない何処かの港で開催されているイベントのような趣さえあります。

会場では艦艇公開のほか、陸自と空自の装備品展示災害派遣用装備の展示、自衛隊の活動紹介コーナー、陸自による炊き出しコーナーなどがあります。昨日のフェスタが“海自舞鶴基地祭”とも言える雰囲気だったのに対し、こちらは“典型的な地方における自衛隊イベント”的な雰囲気です。こちらもいい雰囲気です♪

陸自の装備品は、精強で名を馳せる第7普通科連隊(福知山駐屯地所在)の物です。現参議院議員で、自衛隊イラク派遣の際に「ヒゲの隊長さん」として有名になった佐藤正久一佐が連隊長を務めていたこともあります。
空自の対空ミサイル・PAC3も展示されていますが、こちらは饗庭野分屯基地に所在する第4高射群第12高射隊の装備品です。

「うみたか」に乗艦します。舞鶴に在籍するミサイル艇2隻を両方とも見学できるなんて超ラッキーです!
「うみたか」は5番艇で、1番艇「はやぶさ」の就役から2年後の2004年3月に就役しました。建造乗船所は三菱重工下関造船所で、「はやぶさ」型6隻はすべて下関生まれです。

「うみたか」は漢字で書くと「海鷹」。こう書くとコアなマニアの方はお分かりだと思いますが、帝国海軍の商船改造空母「海鷹」と同じ艦名なのです。2番艇の「おおたか」空母「大鷹」と同じです。潜水艦「そうりゅう」(蒼龍)の就役で「帝国海軍の空母名が復活した」と一時期話題になりましたが、読み方は違うものの、「そうりゅう」に先駆けて空母名を復活させたのは、実はこの「うみたか」と「おおたか」だったのです。論理の展開が少し強引かな?

「うみたか」の艦橋です。昨日見た「はやぶさ」とまったく同じとはいえ心が躍ります♪♪
 「はやぶさ」同様、頭上の計器やモニターの筐体は黒く塗装されていません。「はやぶさ」は「しらたか」と建造時期が異なるので、違いがあるのも納得できるのですが、「うみたか」は「しらたか」と同じ造船所で、同じ時期に建造され、同じ日に就役しているのです。にも関わらず筐体の塗装に違いがあるのは、どんな理由があるのでしょう?

案内役の乗組員(海曹)の姿が見えますが、ミサイル艇では一人で何人分の仕事をこなす必要があるため海士は乗り組んでおらず乗組員の大部分が経験豊かな海曹で占められています。
「うみたか」には司令が座乗しているため、左舷側の席には司令用の赤いカバーが掛けられています。

その第2ミサイル艇隊司令を見つけました。「うみたか」の乗艦用ラッタルの近くにいて、見学で艇に乗る人たちを出迎えています。金線3本の肩章が眩しいくらいに輝いていますねぇ。
現在の司令は前久保二佐前日の27日に着任したばかりです。この舞鶴フェスタでの一般公開が、司令としての初仕事ということになりますね。これまで見てきた指揮官同様、長身でスマートで爽やか…、またしても己との違いに複雑な気分になりました(苦笑)

一方、艇長は古賀三佐。「一般公開」と記された看板の後ろにいる人です。「見覚えのある顔だなぁ…」と思ったのですが、おととし7月に補給艦「とわだ」が佐伯に寄港した際、艦内を案内してくれた副長でした。残念ながら、それを家に戻って思い出しました。

続いて見学するのは掃海艇「すがしま」です。12隻の同型艇を擁する「すがしま」型の1番艇で、1999年3月に就役しました。就役以来13年間に渡って横須賀地方隊第41掃海隊に所属していましたが今年3月に舞鶴に転籍、現在の所属は舞鶴地方隊第44掃海隊です。第44掃海隊には、この「すがしま」のほかに「まえじま」「とびしま」が所属しています。

「すがしま」型は、1991年に実施されたペルシャ湾掃海派遣の教訓を盛り込んで設計された初の掃海艇で、この型で海自の掃海艇は米海軍やNATO諸国のレベルに達しました。機雷処分具や探知機といった掃海能力航行性能居住性が前タイプの「うわじま」型よりも飛躍的に向上しています。

「すがしま」の艦橋です。至る所に木材が使われていて、護衛艦にはない暖かな雰囲気が漂います。
かつては、掃海艇にしては恐ろしく広いと感じた「すがしま」型の艦橋ですが、小型護衛艦並みの広さの艦橋を有する「ひらしま」型の登場によって、今ではさほど広いとは感じなくなりました。

奥の席は艇長席、手前の赤い席が司令席です。掃海艇の艇長は三佐もしくは一尉が務めます。一方、掃海隊司令は基本的には二佐が務めますが、場合によっては三佐が就く場合があります。二佐の司令は数年後に掃海母艦の艦長に就く場合がありますが、その際は司令時代の双眼鏡の赤ストラップと座席の赤カバーは、二佐艦長用の赤青となります。さらに一佐に進級した場合は再び赤となり、赤と赤青を行ったり来たりすることになります

「すがしま」の見学・撮影を終えたちょうどその頃、一隻の掃海艇が入港してきました。「すがしま」と共に第44掃海隊を編成する「まえじま」です。実は、この日は「まえじま」が体験航海を実施していて、午前の部を終えて入港しているシーンに出くわしたのです。

「まえじま」は「すがしま」型の前タイプ、「うわじま」型の4番艇で、1993年12月に就役しました。このタイプは、当時の海自掃海艇としては大幅な性能向上を遂げた艇でしたが、設計がペルシャ湾掃海派遣以前に行われており、米海軍や欧州各国の掃海艇よりも性能的に見劣りがしたため、建造は9隻で打ち切りとなりました。
老朽化により退役艇も出てきており、1番艇の「うわじま」と3番艇の「つきしま」が既に退役しています。

「まえじま」が入港する少し前から、体験航海・午後の部の募集が始まりました。先着順ということで、岸壁には長蛇の列。「まえじま」が入港作業を終える頃には、200人近くの人が並んでいました。何なんでしょう、この人気は!?最近、至る所で同じ事を言ってるな…。

見たところ、小学生くらいの子供さんが多いようです。少年・少女たちよ!体験航海に参加したからには海上自衛官を志したまえ!
この子供たちの中から、将来の司令官・幕僚長が誕生することを願わずにはいられません。ちなみに、現役の司令官・司令・艦長の中にも、子供のころ親に連れられて体験航海や一般公開に行ったという方が結構いるようです。

「まえじま」が午後の体験航海で出港するまで時間があったので、災害派遣用装備品の展示コーナーを覗いてみました。
これは、海自が保有する入浴支援セットです。陸自が災害派遣で使用する入浴支援セットが、野外で活動中の隊員用の物を転用しているのに対し、海自の物は災害派遣専用です。

「海自にもこんな装備があるんだぁ」と思いながら撮影していたら、突然カメラから「バキッ!」という変な音が…。オートフォーカスが動作しなくなり、マニュアルで焦点を合わせようとしてもレンズが動きません。どうやらレンズ内部のモーターが破損したようです。
このところ遠征続きで、カメラを酷使していたからなぁ…(涙)
ということで、舞鶴フェスタの撮影はここで終了。大分に戻って速攻で修理に出しました。ちなみに修理に3万5000円もかかりました…(涙)

美しい夏の舞鶴で開催された良い雰囲気のイベント。カメラが壊れるほど夢中で撮影してしまいました…。