舞鶴教育隊 入隊式

舞鶴総監部・教育隊のご厚意により4月7日に挙行された入隊式に参列・取材することができました。
国防の志に燃える若者たちの溌剌とした姿と旧海軍の雰囲気が残る舞鶴教育隊をレポートします。

久しぶりに舞鶴に遠征しました!最後に舞鶴を訪れたのが2014年7月の展示訓練の時だったので、実に2年9ヶ月ぶりの訪問です。
私が舞鶴に遠征するのは、5月のGWか7月の展示訓練(またはサマーフェスタ)の時がほとんどですが、まだ少し肌寒いこの時期、しかも平日に遠征するのは、単に舞鶴在泊の艦艇を撮影するためではなく、実はある目的があってのことなのです。

現在、時刻は午前8時30分。これからここ東舞鶴駅前からタクシーに乗って目的地へと向かいます。舞鶴遠征時には東舞鶴駅からタクシーに乗って艦艇が停泊する北吸岸壁へと向かうことが度々ありますが、今回私が乗るタクシーは北吸岸壁とは逆の方向に向かってひた走ります。東舞鶴駅からタクシーに乗って走ること約10分、私が辿り着いた海自のとある部隊とは…

到着した場所は舞鶴教育隊です。今回、舞鶴教育隊と舞鶴地方総監部の特別な計らいによって、本日挙行される新隊員の入隊式に参列・取材させていただくのです。舞鶴教育隊は過去の遠征時に正門の前を通り過ぎたり、遊覧船の船上から施設を撮影したことはありますが、敷地内に入るのは初めての経験となります。否が応にも胸が高鳴ります!

正門を少し入った場所でタクシーを降りた私、今だに身体から記者の匂いを発しているのか、案内役の隊員さんから「N○Kの方ですね。こちらにどうぞ」と、報道受付に案内されそうになりました
(苦笑) 私が到着した同じタイミングで、新隊員の保護者らも自家用車やタクシーで続々と教育隊に到着しています。保護者の方々にとっても今日は胸が高鳴る一日なのではないでしょうか。

到着後すぐに入隊式が行われる体育館に案内されました。式の開始までまだ1時間以上あるので来賓や保護者は入場していないのですが、新隊員が所定の場所に着席して最後の立て付け(=予行練習)を行っていました。着隊後に何度も立て付けを行っていると思われますが、それでも指導役の隊員から「まだ声が小さいぞ!」「動きを揃えろ!」などと指導が飛んでいました。

新隊員は先月29日と31日に着隊し、今日まで新隊員になるための準備を進めてきましたが、この僅かな期間においても「共同生活になじめない」「これまでの生活リズムと違い過ぎる」などといった理由で10人程度が辞めていったとのこと。つまり、ここにいる新隊員は「カルチャーショック」「娑婆との決別」という最初の大きな関門を乗り越えた立派な若者たちと言えるでしょう。

式開始30分前になると保護者が入場し、さらに音楽隊儀仗隊も所定の位置でスタンバイします。この間、音楽隊は行進曲「軍艦」など数曲を演奏、入隊式開始に向けて雰囲気を盛り上げます。
儀仗隊の指揮官にご注目!女性の幹部(3尉)です。凛とした立ち姿クールに儀仗隊員を指揮する様子に目が釘付けになりました。“男社会”の自衛隊で女性隊員の活躍の場が広がることはとてもいいことですし、新たな時代の幕開けをも感じます。

壇上に国旗自衛艦旗が掲揚されていますが、このような会場に出入りする際には、民間人といえども出入口で立ち止まり、旗に一礼してから入場・出場すべきだと私は考えます。このHPを閲覧する皆様は、もし屋内で挙行される海自の式典に出席する際には、国旗・自衛艦旗に敬意を示されますようお願い申し上げます。

式開始5分前、来賓と舞鶴地方総監をお迎えするために新隊員は起立して回れ右を行い、体育館の入口に正対します。
大半の新隊員が高校を卒業して数週間しか経っていないのに、皆が凛々しく引き締まった表情をしています。「これが国防の志に燃える若者の顔なのか…」。私よりも遥か年下の新隊員ですが、頼もしさに加え自分にはない“男気”を感じずにはいられません。

今年入隊する新隊員は、一般曹候補生第10期の98人と自衛官候補生第13期の164人の合計262人です。若年層人口の減少と、それに伴う他業種・他官庁との人材の奪い合いといった要因により、以前に比べると入隊者数は減っているということです。数は減っても、この年齢で国防の世界に身を投じることを選択した新隊員たちは、紛れもなく“国の宝”と呼ぶべき人材だと私は思います。

パッパカパッパッパ~♪ 午前10時ちょうど、「気を付け」ラッパの吹奏とともに舞鶴地方総監・菊地海将が入場しました。
菊地海将は防大28期生で、第4航空群司令・呉総監部幕僚長・海幕総務部長などを歴任し、おととし12月から舞鶴地方総監を務めています。左胸にウイングマーク(航空徽章)が輝くパイロットで、長身かつ若々しいその容姿は、まさに“空の海上自衛官”であり、同じ男の私から見ても憧れてしまうほどの格好良さです。

総監の後方に立っているのは、舞鶴教育隊の“校長先生”である司令・深谷1佐です。今回、この深谷1佐のご厚意とご尽力によって私の入隊式への参列・取材が実現しました。左胸にドルフィンマークを付ける潜水艦乗りであると同時に、連絡幹部として二度の米海軍司令部勤務経験がある国際派幹部でもあります。

儀仗隊指揮官の「捧げぇ~銃!」の号令により、舞鶴地方総監・菊池海将に対して栄誉礼を実施。音楽隊が演奏する「栄誉礼冠譜」「祖国」に合わせて、約30秒間敬礼が行われます。海将は中将に相当するので、「冠譜」の演奏回数は3回となります。

菊地海将の左後方いるのは副官(2尉)と舞鶴地方隊先任伍長(海曹長)です。副官は簡単に言えば秘書で、上着に白色の飾緒を吊るし、左手にアタッシュケースを持っているのが特徴です。白色の副官飾緒は帝国海軍以来の伝統ですが、同じ飾緒でも参謀(幕僚)が吊るす金色の参謀飾緒は海自では採用されなかったのに対し(一部例外あり)、副官飾緒は戦後も脈々と受け継がれてきました。これは、仕える上官と周囲の隊員に副官であることを素早く認識してもらう必要があるためと思われます。

式典は初めに国歌を斉唱し、続いて舞鶴地方総監・菊地海将によって任命と教育入隊命令の伝達が行われます。任命は一般曹候補生に対しては海上自衛官(2士)への任命、自衛官候補生に対しては自衛官候補生への任命となります。
「2等海士に任命する。舞鶴教育隊に教育入隊を命ずる」。
「自衛官候補生を命ずる。舞鶴教育隊に教育入隊を命ずる」。
この瞬間、一般曹候補生過程の98人は2等海士、自衛官候補生過程の164人は自衛官候補生となったのです。

一般曹候補生の中には陸自(陸士長)からの“転職者”が1名いて、この新隊員に対しては別個に任命が伝達されました。
「陸士長○○○○、海士長に任命する。(以下同文)」。
海士になっても陸での経験はきっと生きると思います。頑張ってください!

任命と教育隊入隊命令を受けて、過程ごとに宣誓を行います。
一般曹候補生は徳田佳宏さん(21)が代表で、徳田さんの「宣誓!」という言葉に続いて全員で宣誓文を読み上げます。

私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います

式で最も重要な儀式とあって、全員が声を限りに宣誓文を読み上げます。20歳前後の若者が「事に臨んでは危険を顧みず」と宣誓する姿に感動を受ける一方で、彼らに深い尊敬の念を抱きました。

続いて自衛官候補生が宣誓。代表の芝先達也さん(21)の「宣誓!」という言葉に続いて全員で宣誓文を読み上げますが、自衛官候補生はまだこの段階ではあくまでも候補生であって自衛官ではないので、宣誓文の内容も一般曹候補生のものとは異なります
私は、自衛官候補生たる名誉と責任を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、知識をかん養し、政治的活動に関与せず、専心自衛官として必要な知識及び技能の習得に励むことを誓います

自衛官候補生は3ヶ月間の基礎教育訓練を経て2等海士に任命されます。2010年10月までは3等海士という階級を与えられていました。一方、2等海士に任命された一般曹候補生は、教育隊修了後に部隊勤務を経て2年9ヶ月後に3等海曹に昇任します。

宣誓の後は各部門のトップによる式辞・訓示・激励の言葉が続きます。最初は校長先生 教育隊司令・深谷1佐が式辞を述べます。
諸君の入隊を舞鶴教育隊を挙げて歓迎する。諸君に要望するのは『諦めるな』ということ。これから行われる教育訓練は決して楽なものではないが、それは諸君をふるい落とすためのものではなく、諸君らを一人残らず一人前の海上自衛官にするためのものである。苦しい時は分隊長・班長・教官・苦楽を共にする同期が必ず支えになるであろう。決して諦めないという気持ちを持ち、己の限界にチャレンジしてもらいたい

「ふるい落とす教育ではない」「一人残らず一人前にする」など教育隊の愛情に満ちた方針が伝わってくる式辞です。現代日本においてこのような愛ある教育を行うのは自衛隊だけではないでしょうか?

続いて、舞鶴地方総監・菊地海将が訓示を述べます。総監は中国の力を背景とした現状変更の試みや北朝鮮のミサイル開発など、我が国への脅威を指摘したうえで、次のように訓示しました。
海上自衛隊は海上防衛のため日々部隊の精強性・即応性の向上に努めなければならない。近いうちにその一端を担う諸官には、謙虚さを忘れず多くの事を教官から学んで欲しい。時には教育に疑問を感じることがあっても、まずは謙虚に学ぶことで見えてくるものがある。そして同期の絆を大切にせよ。共に艱難辛苦を乗り越えた同期は一生涯の財産である

また、総監は臨席する保護者に対して次のように述べました。
国防を志したご子息は『国の宝』であります。しかしまだ原石であり、これから我々が全力で磨きをかけて参ります

最後は舞鶴地方隊先任伍長・坪倉海曹長による激励です。
坪倉海曹長は舞鶴地方隊に在籍する海曹・海士のトップであり、海自に12人しかいない三ツ星の先任伍長章を装着する一人です。
坪倉曹長自身、三十数年前に入隊式を経験した身であることから、訓示ではなく激励の言葉という形式になっています。自身の経験を振り返りながら、新隊員に次のような言葉を贈りました。

私が新隊員の時は配置に早く慣れようと無理を重ね、休日明けは気分が晴れず、不安な気持ちのまま勤務していました。しかし、先輩や同期に相談したり話しをすることでそれを解消することができました。生き生きと仕事に取り組む分隊長・分隊士・班長らの姿勢を学び、オンとオフのメリハリが効いた充実した教育隊生活・部隊勤務を送って欲しいと思います

最後は、新隊員が元気に海上自衛隊歌「海をゆく」を斉唱します。

明け空告げる海をゆく 歓喜沸き立つ朝ぼらけ
備え堅めて高らかに 今ぞ新たな日は昇る
おお堂々の海上自衛隊 海を守るわれら ~♪

黒潮薫る旗風に 映える使命の若桜
熱い力の意気燃えて 凌ぐ波濤は虹と咲く
おお精鋭の海上自衛隊 海を守るわれら ~♪

絆に結ぶ伝統の 誇り支えるこの山河
永久の平和を祈りつつ 祖国の明日を担うため
おお栄光の海上自衛隊 海を守るわれら ~♪  

入隊式が終了、新隊員たちは笑顔でホッと一息…という訳にはいきません。各過程の分隊ごとに整列し、整列が完了するや否や隊舎の方向に向かって全力で駆け出します。入隊式に引き続いて次なる“儀式”が隊舎の前で行われるからです。
敷地内の桜がほぼ満開に咲きほこる下、セーラー服を纏った新隊員たちが三列で全力疾走する姿は、まさに“若さ漲る海軍の若者たち”と形容すべき光景。取材に来ていた新聞の中には、式典ではなくこの全力疾走の様子を紙面に掲載した社もありました。

走る新隊員を撮影しながら、1915(大正4)年に佐世保海兵団に五等水兵として入隊した私の祖父も、式典終了後にこんな風に、同期の仲間たちと一緒に全力疾走をしていたのだろうと思いを馳せました。目の前に102年前の祖父の姿がはっきりと見えました。

入隊式の第二幕は分隊編成式です。一般曹候補生・自衛官候補生ともに分隊ごとに整列、分隊付きの教官(海曹)・分隊士(幹部)・分隊長(幹部)の順に中央の壇上に立ち、階級・氏名・担当を申告したあと新隊員たちに激を飛ばします
7~8人いる教官たちの激は「一緒に頑張ろう!」という穏やかなものから「お前らの辞書から『やらない』という文字を消せ!」「仲間を見捨てるな!」という命令調のもの、画像に写っている教官に至っては「覚悟しろ!」という脅し(?)まで多種多様。激を飛ばされた新隊員は敬礼しながら「よろしくお願いします!」と答えます。

↑の画像の教官は、体形や顔の形、口髭をたくわえた風貌、そして鋭い眼光と、戦艦「陸奥」乗り組み時代の祖父にそっくりです。祖父も「陸奥」の機関科員にこんな風に指導をしていたのでしょうね。

壇上に上がる教官と分隊士は、最初に分隊長に敬礼してから登壇、下壇後も分隊長に敬礼を行ったのち隊列に戻ります。私がいま撮影を行っている分隊は自衛官候補生の分隊のひとつなのですがこの分隊では3尉の幹部が分隊長を務めています。分隊士も3尉ですが、言うまでもなく同じ3尉でも分隊長の方が先任です。

分隊長は新隊員の父親的存在と言われますが、学校に例えるなら学年主任といったところでしょうか。分隊士・教官たちを統率し、新隊員を一人前の海上自衛官に育てていくという職務は、とても大変だとは思いますが、非常にやり甲斐のある配置ではないでしょうか。新隊員が最初に身近に接する幹部なのですから、曹士出身の幹部の中から優秀かつ人間的にも優れた人が充てられています。また教官は、舞鶴在籍の海曹の中から選りすぐられた人材が集められていると思われます。

一方、こちらは一般曹候補生の分隊の編成式です。
あっ、儀仗隊指揮官を務めていた女性幹部ではありませんか!この分隊の分隊士だったようです。なんて凛々しいお姿でしょう…。
3尉ではありますが、年齢と左胸の記念章の数から、部内出身の幹部のようです。この年齢で部内から幹部に昇進し、しかも教官配置に就いているということは、相当優秀な人であるのは間違いありません。優秀であれば性別・学歴・特技に関係なく登用する…自衛隊という組織の最も素晴らしい点だと思います。民間企業だとそうはいきません。特に私が勤めるような中小企業では…。

海自でも年々女性の活躍の場が広がっていますが、女性の新隊員教育は横須賀でのみ行われています。しかし、海曹昇任予定者を対象にした教育は舞鶴でも行われることになりました。

編成式が終了、このあと新隊員たちはさっそく授業を受けたり、作業を行ったりするのですが、15分間だけ自由時間が与えられました。教官が「15分後に作業服に着替えて集合!それまで家族と存分に名残を惜しめ!」という不思議な命令を伝えると、保護者らからどっと笑いが起きました。さすが海軍、ユーモアを散りばめてきます(笑)

新隊員たちはそれぞれ家族や関係者のもとに駆け寄り、凛々しいセーラー服姿を自慢したり、満開の桜の下で記念撮影を行うなど、短い時間ながらも思い思いに“名残を惜しんで”います。
う~ん、とても感動的な光景だなぁ…。残念ながら私には子供はいませんが、もし息子がいたら海自に入隊させたいと思わせる光景です。そうだ!弟に息子が2人いるではないか!しかも長男は中学生。こうなったら甥っ子を入隊させようと決意したのでした
(笑)

家族らと過ごす自由時間はあっという間に終了、新隊員たちは次の行動に移るため隊舎内に向かって全力で走ります。
走る彼らの後方には数人の教官が追走していて、「コラァ!ノロノロ走ってんじゃねえよ!」「自分の事だけ考えて行動するな!常に周りを見んかい!」などと、早くも鬼軍曹モード全開です。

着隊から入隊式までは優しかった教官たちが、式が終わった途端に鬼軍曹化するのは、帝国海軍以来脈々と続く伝統でもあります。
もはや“伝統美”、“世界一の予定調和”とすら言えるこの光景ですが、教官たちは言葉は厳しいながらも「新隊員が可愛くて仕方ない」といった気持ちを持っているのが私には分かります。新隊員たちは教官が怖くて毎日が辛いと思うでしょうが、愛に満ちた素晴らしい教育を受けていることを誇りに思って頑張って欲しいです。

入隊のセレモニーが全て終わったので、舞鶴教育隊の本部を訪問します。この重厚感漂う建物が教育隊本部庁舎で、元々は1939(昭和14)年に建設された舞鶴海兵団の本部庁舎だった建物です。実は、舞鶴教育隊は舞鶴海兵団の跡地をそのまま転用して現在に至っており、本部庁舎をはじめとして、そこかしこに帝国海軍・舞鶴海兵団の雰囲気が色濃く残っています。

海兵団の広大な敷地をそのまま転用したため各種教育を効率的に実施できることから、舞鶴は横須賀・呉・佐世保に先駆けて教育隊(当時の呼称は練習隊)が設置されました。それは、海上警備隊が発足して間もない1952(昭和27)年8月で、編成された舞鶴練習隊は舞鶴地方隊の隷下部隊に編入されました。そして5年後の1957(昭和32)年に、現在の舞鶴教育隊に改称されました。

本部庁舎2階にある司令室に深谷1佐を訪ねました。私の大学の先輩(学部も同じ)であるとともに、当HPの閲覧者様でもある深谷1佐ですが、鹿児島地方協力本部長だった一昨年7月にイベント会場でご挨拶させていただいたのを縁に、交流が続いております。そして今回、総監部等の関係各所に調整をしていただいた結果、入隊式に参列することができました。心から御礼申し上げます。

深谷1佐は広島の某大学を卒業したあと幹部候補生学校に入校、卒業後は潜水艦幹部の道を歩みます。海幕勤務や潜水艦「さちしお」艦長、米海軍太平洋艦隊司令部勤務、第1潜水隊司令、鹿児島地方協力本部長等の要職を経て、去年3月に舞鶴教育隊司令に着任しました。“本流”とも言える防大卒の幹部をも凌駕する経歴は、大学の後輩として我が事のように嬉しく、誇りに思います

深谷1佐に色々とお話を伺っている間にも、司令室には予定の打ち合わせや決裁、教官の着任申告など、絶え間なく人が訪れます。
↑の光景は、新隊員の入隊に合わせて本日付で護衛艦「あたご」から期間限定で教官に着任した海曹の申告の様子です。
ちょうど今、「あたご」「ひゅうが」「あさぎり」がJMU舞鶴事業所に入渠していて非稼働状態にあることから、この期間にこれら3艦の優秀な乗組員を教官として教育隊に招へいしているようです。

教育隊の指導方針や教官としての心構え、新隊員への接し方などを説明する司令は本当に校長先生のようです。司令と私の母校は、戦前の高等師範学校の流れを汲む大学で、卒業生の多くが教職に就きます。自衛官の道を選んだ司令が、卒業30年後に舞鶴の地で“校長先生”になっていることに、不思議な運命を感じます。

司令室に隣接する応接室で記念撮影をしました。実はこの部屋、舞鶴海兵団時代はお正月や天長節といった一年の節目の日に、海兵団長をはじめとする幹部が礼装に身を包んで集合し、御真影(天皇陛下と皇后様の御写真)を奉拝した非常に重要かつ神聖な部屋だったのです。私の後方に位置する床の間のようなスペースが御真影を安置・保管していた場所になります。

舞鶴海兵団で特筆すべきなのは、キスカ島の撤退作戦を指揮した木村少将や、米国の戦史家が「最高の名将」と評価する二水戦司令官・田中少将が団長を務めていること。木村・田中両少将もこの部屋で御真影を奉拝し、現在の司令室で執務にあたっていたのです。深谷司令は「木村少将や田中少将と同じ部屋で働くことはとても光栄であり、気持ちも引き締まります」

司令室をあとにし、帰路に就く前に敷地内を巡ります。敷地内の舞鶴湾に近い場所からは、対岸のJMUで修理を受けているDDH「ひゅうが」の姿が見えます。2015年3月に横須賀から舞鶴に転籍した「ひゅうが」ですが、転籍から2年余りが経過し、すっかり舞鶴の風景に溶け込んでいます。今や舞鶴艦隊の顔とも言える存在です。

この「ひゅうが」の現在の艦長は矢野1佐。「長崎地区研修 補給艦『おうみ』見学」のレポートでご紹介した当時の「おうみ」艦長です。奇しくも矢野艦長は深谷司令と同期であり、しかも幹部候補生学校では同じ分隊に所属していたとのこと。「当時から明るくて活発な男でしたよ」と矢野艦長との思い出を話してくれた深谷司令、お互いに教育隊司令・DDH艦長という重職に就いても「おれ、お前」で語り合える同期の絆って素晴らしいと感じました。

きょう入隊した新隊員も舞鶴教育隊で苦楽を共にした同期の仲間とは、たとえ勤務地が遠く離れても、年月が経ってCPOや先任伍長に就いたとしても、「おれ、お前」で呼び合い・語り合う関係が続くのだと思いますし、ぜひそうなって欲しいと切に思います。

新隊員の溌剌とした姿を楽しみにして参列した入隊式ですが、それもさることながら、厳しくも愛に満ちた教官の姿、司令以下教育隊の全員が新隊員を一人残らず立派な海上自衛官に育てるという熱い想いを抱いていることに深い感銘を受けました。
教育訓練は厳しく、教官は鬼のように怖いでしょうが、新隊員は舞鶴教育隊という最高の環境で素晴らしい教育を受けることを“人生の財産”と理解し、同期と切磋琢磨して欲しいと思います。3ヶ月後、逞しく成長した新隊員たちにぜひ会いたいです。

満開の桜が咲き誇る舞鶴に集った新隊員、教育隊が原石を磨くが如く一人前の“水兵”に育て上げます。