舞鶴地方隊展示訓練2011 ~出港編

7月24日に若狭湾で実施された舞鶴地方隊の展示訓練を見学しました。2回に渡ってレポートします。
1回目は舞鶴基地を出港して若狭湾を航海、そして舞鶴地方総監による参加艦艇観閲の模様です。

4年ぶりの実施となる舞鶴地方隊の展示訓練は7月23日(土)と24日(日)の2日間実施されました。
私は24日の乗艦券を入手する事ができたのですが、前日の23日が仕事をどうしても休めませんでした。そこで、仕事終了後に最終の新幹線「のぞみ」(名古屋行き)に飛び乗って、午後11時に京都に到着。翌朝午前5時半に京都から普通列車(鈍行列車)を3本乗り継ぎ、約2時間半かけて東舞鶴駅にたどり着きました。

到着時刻は午前7時50分、乗艦開始時刻の8時20分に十分間に合いました。一週間前の八戸遠征に負けず劣らずの強行日程、艦を見るためならどんな苦痛な移動さえやってのけるマニアっぷりに我ながら笑ってしまいます…(笑)

東舞鶴駅から展示訓練用に臨時運行されていた京都交通のシャトルバスに乗って海自・北吸岸壁に到着しました。
乗艦時刻は午前8時20分から9時10分までの30分間です。この時点では乗艦開始までまだ20分あるのですが、すでに大勢の人が岸壁に詰め掛けていました。皆さん、これから始まる「艦艇ショー」に心を躍らせているといった様子です。もちろん、私の心もすでにこの時点で阿波踊り状態となっていました(笑)

岸壁にはちょうど一週間前に八戸港で乗艦・見学した「あたご」がいます。わずか一週間ぶりの再会に、「八戸に続いて舞鶴にも来たの!?」という「あたご」の驚く声が聞こえてくるようでした(笑)今回、「あたご」は舞鶴総監が座乗する旗艦の大役を担います。

私が乗る艦は「ちょうかい」です。「舞鶴地方隊の展示訓練なのに、なんで佐世保の『ちょうかい』やねん!?」というツッコミが聞こえてきそうですが(実際私もツッコミを入れた)、本来参加すべき舞鶴の「みょうこう」は対岸のユニバーサル造船舞鶴事業所でドック入りしており、そのため「ちょうかい」が代役を仰せつかったのだと思われます。

「ちょうかい」といえば、おととし夏の鹿児島港での体験航海で乗艦した艦です。つくづく私とは縁のある艦です。鹿児島での体験航海では、炎天下にも関わらず、当時の艦長・岩澤一佐が乗艦者全員に「お疲れ様でした!」と声を掛けていたのが印象的でした。

現在の「ちょうかい」艦長は大川一佐です。
私が乗艦した時、大川艦長は甲板上で見学者が乗艦する様子を見守っておられました。(写真中央の背を向けた幹部が大川艦長です)

イージス艦の艦長といえば、「百戦錬磨の海の男」というイメージを想像しますが、大川一佐はそのイメージとは異なります。長身・スマート、しかもイケメン。年齢は40代後半のはずですが、どう見ても30代前半にしか見えません。私が岸壁を歩いている際にすぐ横を大川一佐が歩いていたのですが、「こんな若い幹部がなぜ一佐の階級章を付けているの?」と疑問に思ったほどです。

「ちょうかい」乗艦後、すぐにスペースを確保。さらに甲板上にいる幹部の方から撮影に適しているのは右舷側か左舷側か等々、撮影に必要な情報を仕入れます。現代戦同様、艦艇撮影も情報を制する者が戦いを制するのです!

対岸の舞鶴海軍工廠 ユニバーサル造船を見ると、「しらね」がかなり大掛かりな検査を受けています。主砲こそ残っていますが、それ以外の兵装は取り外されているようです。艦艇は自動車と同様に定期的な検査が必要で、年に1回実施される年次検査と5年に1度実施される定期検査があります。年次検査は兵装や部品の点検・交換といった内容ですが、定期検査は艦を進水直後の状態にまで分解し徹底的なオーバーホールを行うもので、約5ヶ月もの期間を要します。

乗艦してから約40分後、午前9時半に曳船がやって来ました。「ちょうかい」の出港作業が始まります。
やって来たのはYT64YT72。海自曳船の中核を担う大型曳船で、260t型または一番船(YT58)の名前をとって58号型とも呼ばれています。約20隻が建造され、各地の海自基地で活躍中です。

海自艦艇に萌えまくる私ですが、その対象は曳船のような支援船にまで及んでおり、ついついカメラを向けて撮影してしまいます。撮影した画像を見ると、これら小型船が護衛艦に劣らぬ迫力と機能美を持っていて驚かされます。舞鶴の美しい風景の中で航行する曳船、まるで模型のジオラマのようで素敵です♪

舫作業が始まります。乗組員によるこの舫作業が、展示訓練の最初の見せ場であるとも言えます。大勢の見学者を前に乗組員の作業も気合が入っている様子でした。

艦艇の出港時には出入港部署が発令され、乗組員は各自、出入港時に割り当てられた配置に就きます。甲板上で舫作業を担当するのは第1分隊の隊員です。第1分隊は砲やミサイル、魚雷等を担当する砲雷科の隊員で構成する分隊なので、舫作業を担当している隊員は戦闘配置では砲やミサイル、魚雷を操作・制御する配置に就きます。
出入港時には舫作業、戦闘時には砲や魚雷を扱うという、乗組員の中でも最も「軍艦の乗組員」らしい集団が第1分隊です。

「ちょうかい」は北吸岸壁を離れ、若狭湾に向けて航行します。2隻の曳船は「あたご」に取り付き、これから出港作業が始まります。
「あたご」はこの展示訓練で、舞鶴地方総監・佐々木海将が座乗する舞鶴艦隊の旗艦という大役を担います。マスト上には三つ星の海将旗が掲げられ、艦橋露天部には黄色い双眼鏡ストラップを下げた佐々木海将が立っています。

嗚呼、何という晴れ姿…。「あたご」人生初の晴れ舞台です。一週間前の八戸港で実質的にイベント初参加を飾った「あたご」ですが今回は旗艦…事故以降の不遇な扱いに終止符が打たれたのは間違いないようです。

ユニバーサル造船の一角に「すずなみ」がいます。就役後初の定期検査をこの造船所で受けており、8月末に完工予定です。
この「すずなみ」、2006年2月の就役以来舞鶴を母港としてきましたが、実は3月に大湊に転籍しています。定期検査でユニバーサル造船に入渠したため今だに舞鶴にいますが、書類上は既に大湊の艦になっています。8月末に定期検査が終了すれば、5年半在籍した舞鶴を離れ新母港である大湊に旅立ちます。ああ、また親しみのある艦が遠くへ嫁いでしまう…

大湊は水深が浅いため大型艦の配備は不可能でしたが、去年の夏に浚渫工事を実施し水深を深くしました。私はその時点で「これは大物が転籍するな…」と思っていたのですが、まさか「まきなみ」「すずなみ」の2隻が転籍するとは予想外の驚きでした。

湾内には「あけぼの」が停泊しています。訓練の途中に寄港しているものと思われます。休養をとっているのでしょうけど、せっかく舞鶴にいるのだから展示訓練に参加して欲しかったです…。

「あけぼの」は去年の今頃は海外にいました。5月に呉を出港後、カナダ海軍の観艦式リムパックオーストラリア海軍との親善訓練と立て続けに重要な行事に参加しました。5ヶ月間もの長きに渡って一息もつけない状態が続いたためか、当時の艦長は帰国直後にくも膜下出血で倒れ、一ヵ月後に亡くなりました。任務増大にも関わらず艦艇が不足している海自の現状が浮き彫りとなった悲しい出来事だと私は考えています。
このような悲劇を繰り返さないためにも、政府は海自予算の増額、護衛艦の増強に務める必要があると強く思います。

私が乗る「ちょうかい」ですが、立派な一眼レフカメラを持った「いかにもな方々」が多数乗っています。さながらマニア専用船といった雰囲気です…。艦上で当HPと相互リンク関係にある「SAS」の管理人Kさんとそのお友達、九州のイベントでお会いするマニア仲間、当HPの愛読者の方など、たくさんの人に出会いました。航行中に炎天下の甲板上で過ごす時間も、出会ったマニアの方々との艦艇談義でとても楽しく過ごせました♪

不思議なことに、京都から舞鶴へ向かう電車で同じ車両に乗っていたマニア風の人がほぼ全員「ちょうかい」に乗っています。もしかしたら、「ちょうかい」は公募で乗艦券が当たった人が乗る艦なのかもしれません。

艦が若狭湾に差し掛かった頃、ゴムボートに乗って海上を爆走する黒装束の集団が近づいて来ました。
若狭湾を拠点に暗躍する海賊ではありません(笑)舞鶴水中処分隊の皆さんです。水中処分隊は、敷設された機雷や海中で見つかった不発弾を処理するのが任務の部隊で、横須賀・呉・佐世保・舞鶴・大湊の各警備隊と沖縄基地隊に設けられています。

水中処分隊に所属するのが水中処分員(EOD)です。彼らは卓越した体力と遊泳技術で水中を俊敏に行動し、機雷や不発弾を処理する水中のプロフェッショナルです。水中処分隊のみならず掃海用艦艇にも乗組み活動しています。東日本大震災では、水中での不明者の捜索・ご遺体の収容にも従事しました。

出港から約50分後の午前10時20分、「ちょうかい」は先行していた「ちくま」に追い付きました。
「あぶくま」型DEの5番艦である本艦は大湊を母港とする艦ですが、就役から約10年間は舞鶴の艦でした。今回の展示訓練への参加は、さながら「里帰り」といった感じでしょうか。

「ちくま」は北吸岸壁ではなく、商業港である舞鶴西港で見学者を乗せ出港しています。舞鶴西港からは「あまぎり」も出港しているのですが、後続しているはずの「あたご」と共に姿が見えません。「あまぎり」「あたご」両艦は観閲部隊であり、受閲部隊である「ちょうかい」「ちくま」とは反航しなければならないので、全く異なる航路を進んでいるものと思われます。

「ちょうかい」は「ちくま」を追い抜いて前に出ました。これからしばらくの間、この「ちくま」を後ろに見ながらの航海が続きます。
訓練展示が始まるまでの約2時間、「ちくま」は「ちょうかい」の後ろに続いて航行していました。

私は「ちょうかい」の後甲板にずっといてマニアの方々と艦艇談義に花を咲かせていたのですが、それでも後続する「ちくま」をちょくちょく撮影してしまうのです。ずっと後続しているだけなので構図が変わるわけではないのですが…。私にとって一番最後まで撮影する機会に恵まれなかった艦がこの「ちくま」です。今年5月のGWに横須賀でようやく出会い、撮影することができました。

こちらは「ちくま」と途中から合流して来たミサイル艇「はやぶさ」の航行シーン。しばらくの間、「ちょうかい」「ちくま」「はやぶさ」という単縦陣で若狭湾を航行していきました。
航行中は手持ち無沙汰だったとはいえ、今回の展示訓練では「ちくま」の画像が爆発的に多いです。艦艇の中で一番最後まで出会えず撮影する機会に恵まれなかった分、一気に撮影チャンスが巡ってきたといった感じです(笑) 艦と人の縁も不思議ですねぇ。

この日は猛烈に暑く、甲板上にいると丸焼きになりそうなくらいの灼熱地獄でしたが、天気は申し分ありません。美しい青い夏空に加え若狭湾の海面の美しいこと!!まさにマリンブルーの海です。

美しい若狭湾を眺めていたら、海面上に小さな航跡が引かれているのに気付きました。明らかに潜望鏡です。展示訓練を行う舞鶴艦隊を狙う某国の潜水艦の可能性が大です。
私の周りにいる人たちは気付いていません。「ちょうかい」の乗組員でさえも誰も気付いていないかもしれません。

「急いで艦長に知らせねば!」と思ったその時、艦内スピーカーから「本艦の左前方に潜水艦が潜航しています。いま潜望鏡が見えてま~す♪」とのアナウンスが。なぁ~んだ、これも展示だったのか…(苦笑)それにしても潜水艦が潜航した状態で登場するとは驚きました。潜望鏡が海面に突き出ている様子なんて滅多に目にする機会はありませんからね。さて、この潜水艦は?答えは次編で…。

潜望鏡が我が海自潜水艦の物と分かってホッとしたのも束の間、左舷後方から近づいて来る艦隊の姿が見えました。艦長に「敵艦見ユ」と報告せねばと思ったのですが、よく見ると先頭の艦はとても見覚えのある艦容です。
「あれれ、『ひうち』じゃないか…」。そう、近づいて来たのはかつて私の地元・大分(佐伯基地分遣隊)に配備されていた多用途支援艦「ひうち」です。その後方には掃海艇「まえじま」輸送艦「のと」、さらには海保の巡視船「ほたか」が続いています。

これらの艦船は「ちょうかい」よりもかなり早い時間に舞鶴を出港し、若狭湾の海面警戒を実施したのち受閲部隊に合流してきたのです。どれも小型ながらもユニークで魅力的な顔ぶれです。

正午ちょうどに私が敵艦と誤認(?)した「ひうち」をはじめとする4隻が、我が「ちょうかい」をはじめとする受閲部隊と合流します。
小型艦ばかりとはいえ、艦艇が合流するシーンは迫力満点。まさに訓練展示の見せ場の一つです。しかも夏空の下、マリンブルーの凪いだ海面上で繰り広げられる合流シーンは、息を飲むほどの美しさです。痺れました…。

合流シーンを撮影しようと、「ちょうかい」に乗艦している皆様が艦尾部分や艦後方左舷部分に大集結。無数のシャッター音が艦上を響き渡っていました。あまりにたくさんの人が左舷側に集中したので、艦がひっくり返ってしまうのではと心配してしまうほどでした。

合流が終了して陣形が整いました。「ちょうかい」「ちくま」「ひうち」「はやぶさ」「まえじま」「のと」「ほたか」という単縦陣です。これで受閲艦艇部隊が揃ったことになります。
海外派遣をはじめとする任務の増加艦艇の数不足、さらには震災支援の余波が続くこの時期に、これだけの艦隊が組めるというのはなかなかのものです。よくぞこれだけ艦艇を揃えてくれました。舞鶴地方総監部の努力を称えたいと思います!

艦隊は徐々に速力を上げていきます。「ちくま」の速力信号標を見ると半速(9ノット)を表示しているのが分かります。
時刻は午後零時20分、いよいよ舞鶴地方総監による観閲の時が近づいてきました。

左舷前方から反航して来る艦隊の姿が…!!
もう敵艦などと見間違えることはありません(笑) 舞鶴地方総監が直率する観閲部隊の3隻です。

いよいよ舞鶴地方総監・佐々木海将による観閲が始まります。観閲開始時間は午後零時30分。受閲部隊旗艦の「ちょうかい」と観閲艦「あたご」が、ちょうど午後零時30分にすれ違うように航路と速力が予め調整されています。
ちなみに「ちょうかい」には受閲部隊指揮官が座乗していたのですが、指揮官は舞鶴に所在する第3護衛隊群司令・佐伯海将補でした。またオブザーバーなのか、護衛艦隊幕僚長の徳丸海将補も乗艦していました。観閲部隊の位置がもろに逆光なのが残念…。

観閲部隊の露払いである先導艦は「はまゆき」です。「ゆき」型DDの5番艦で、1983年の就役以来一貫して舞鶴を母港としています。今回の展示訓練ではだた一隻、福井県の敦賀港から出港して来ました。
福井県の応募・当選者が「はまゆき」に集められているのか、「ちょうかい」以上に大勢の乗艦者で埋め尽くされています。元々トップヘビー気味の艦だけに、これだけの数の乗艦者が艦上にいると今にも転覆しそうな雰囲気です(苦笑)

同じ「ゆき」型の「みねゆき」「まつゆき」とともに第14護衛隊を編成しています。観閲部隊の先導艦を務めるとあって、この日「はまゆき」には第14護衛隊司令が座乗しています。

午後零時30分ジャスト!観閲艦「あたご」が「ちょうかい」とすれ違います。「ちょうかい」から高らかに敬礼ラッパが吹奏され、少し間をあけて「あたご」から答礼の敬礼ラッパが吹奏されました。「あたご」艦橋露天部には舞鶴地方総監・佐々木海将が立ち、受閲部隊各艦を観閲するとともに、各艦からの敬礼に対して答礼を行います。

2008年2月に漁船との衝突事故を起こした「あたご」ですが、海保による事故調査のため横須賀に1ヶ月以上も係留され、その間は上陸が禁止されるなど、当時の乗組員は塗炭の苦しみを味わいました。それだけに、この日旗艦を務める「あたご」の晴れ姿は、事故を経験した乗組員・元乗組員にとっては万感胸に迫るものがあるのではないでしょうか

観閲部隊最後は「あまぎり」です。「きり」型DD4番艦で1989年に就役、2003年から舞鶴を母港としています。同型艦の「ゆうぎり」、さらにはDDH「くらま」、イージス艦「あしがら」とともに第2護衛隊群第2護衛隊を編成しています。
こうして見ると低いシルエット、2本の煙突、2本のラティスマスト、巨大な格納庫といった極めて特徴的かつ個性的な艦容がよく分かります。個人的には、もっとマニアの方々に注目して欲しいと思っている艦です。

一週間前の八戸港では「せとぎり」に乗艦・撮影しました。「きり」型の隠れファンとしては、今年の夏は「きり」型の艦と出会い、撮影できるのがとても嬉しいです♪

舞鶴地方総監による観閲が終了。観閲を終えた艦が左に180度回頭して観閲部隊に後続します。我が「ちょうかい」も大きく転舵します。航跡と船体の傾きから、いかに大きく回頭しているかがお分かりいただけると思います。少ししっかりと踏ん張っていないと転んでしまいそうなほど「ちょうかい」は傾いています。おととしの観艦式、さらに去年の伊勢湾マリンフェスタでも感じたのですが、艦隊の回頭シーンはまるで絵巻物のように勇壮かつ美しいものがあります。

大戦中、帝国海軍の艦艇が米軍機から急降下爆撃や雷撃といった攻撃を受けた際の回避行動では、艦がこんな風に傾いたのかなぁ…などと想像してしまいました。

回頭中の「ちょうかい」からは右に観閲部隊左に受閲部隊が見えます。
何て素敵な光景でしょう…。日本男子に生まれたことを誇りに感じる瞬間です(笑) 我が「ちょうかい」は画像右端の「あまぎり」に後続しようとしています。そして画面左端の「ちくま」は、これから左に転舵しようとしています。まさに若狭湾で繰り広げられる勇壮な艦艇絵巻。この光景を上空から見たらさぞ素敵でしょうねぇ…。

私はもう既にお腹いっぱいの状態なのですが、これは訓練展示のほんの序章にしか過ぎませんでした。このあとマニア心を痺れさせまくる展示が続き、舞鶴艦隊が美しい若狭湾上を華麗かつ勇ましく躍動したのでした。

ミサイル艇が爆走し、対潜ヘリが超低空を駆け抜ける…見所満載の訓練展示編に続く…