呉地方隊展示訓練 in 広島湾 ~荒天中止

2年ぶりの呉地方隊展示訓練は、予定された2日間とも荒天のため中止となりました。

嗚呼…なんということでしょう…(涙) 今年の呉地方隊の展示訓練は豪雨により中止となってしまいました…。
私は2日目(8月25日)の乗艦券を入手しており、初日の8月24日が豪雨で中止になったものの、「さすがに豪雨は2日間も続かないだろう」とタカをくくっておりました。

ところが、25日も広島地方は早朝から強い雨。私は広島市内で前泊していたのですが、始発電車で呉に向かおうにもJR呉線が雨で不通となり、艦に乗るどころか呉にたどり着けないという有様。急きょ路線バスに乗って呉へ向かい、予定より約3時間遅れの午前9時半にようやく呉基地に到着しました。しかし、そこで目にしたのは訓練中止を知らせる無情の看板…。

観艦式や展示訓練・体験航海が荒天で中止になった場合は、代替措置として艦の一般公開が実施されます。実は私、豪雨でストップしている呉線の電車の中で展示訓練の中止を知ったのですが、一般公開が実施されるとはいえ、あまりのショックと怒りで「呉に向かわずにこのまま大分に帰ってしまおう」とさえ考えました。ただ、私の経験上、荒天中止時の一般公開は、通常では公開されないような箇所が見学できる可能性が高いことから、気を取り直して呉に向かった次第です。

ということで、横殴りの雨の下ではありますが、雨合羽を着用して取材と撮影を開始です♪ まず最初に乗艦・見学するのは、今年度末で退役する予定のDD「はるゆき」です。

代替措置である今回の一般公開で公開を実施している艦は、この「はるゆき」のほか「ぶんご」「せとゆき」「あぶくま」の計4隻。いずれも展示訓練に参加する予定だった艦です。先に述べましたが、「はるゆき」は今年度末に退役する予定なので、今回の見学・撮影が最後の機会になるかもしれないと考え、脇目も振らずいの一番に乗艦しました。

まずは上甲板で撮影。この時ふと気付いたのですが、殆どの見学者が甲板上で傘を差しています。航海中は当然ですが、たとえ停泊中であっても艦に傘を持ち込むのは控えるべきです。というのは、狭い艦内においては傘は凶器となりうるのです。実際に私はこのあと艦内のラッタルを登っている際に、前にいた人の傘が額や胸に刺さって猛烈に痛い思いをしました。

艦橋構造物の出入口のすぐそばには、歴代艦長名と艦歴を記したプレートが飾られています。
さすがに就役して28年以上が経つ艦だけに、歴代艦長は24人にのぼっています。この中には、第6代艦長として前海幕長の杉本正彦氏(1992年8月~1993年8月)の名前もあります。

一方、艦歴を見ると、海外訓練への参加所属部隊の変遷等が、たくさん記されています。1985年3月に就役した「はるゆき」は1護群第43護衛隊に配属され、横須賀を母港としました。91年に4護群に配置換えとなり、95年に4護群の呉移転に伴って呉に転籍しました。さらに、2000年には佐世保地方隊第13護衛隊に配置換えとなり、母港も呉から佐世保に変更され、現在に至っています。

「はるゆき」の艦橋です。間もなく退役を迎える艦ではありますが、とても美しく整備されています。磨き抜かれた床が光っているのにご注目!退役直前の「ひえい」に乗った際にも感じたのですが、海自はどんなに古い艦でも、それが間もなく退役を迎える艦でも決して整備に手を抜いたりはしません。退役を迎える当日まで、汚れ・塵・錆ひとつ許さない徹底的な整備を行うのです。こういう美風は、私たちの日々の生活においても見習うべきだと思います。

撮影していると画像が妙に暗く写るので不審に思ったのですが、艦橋内をよく見ると天井が新鋭艦と同じ黒色に塗られています。「ゆき」型DDで天井が黒になっているの艦は初めて見ました。

さっそくレアな公開場所に行き当たりました。医務室です。
場所は上甲板から一段下の第一甲板レベル。この後に紹介する機関操縦室や科員食堂と同じレベルにあります。

医務室といっても診察・事務用の机手術台医療機器が数点あるのみで、ここでは本格的な治療や手術を行うことはできません。あくまで応急処置を施す場で、艦内で重篤者が発生した場合には、地上の医療施設か、DDH等の充実した医療施設を持つ艦に搬送することになります。また、「はるゆき」には海外派遣等の特別な場合を除いて医官は配置されず、通常は看護師資格を持つ衛生員長衛生員の2名が配置されているのみです。この日はその衛生員さん(海曹)が、見学者への対応と説明を担当していました。

続いては機関操縦室です。「ゆき」型は省力化や自動化が進む以前の艦なので、機関操縦盤の筐体は最新鋭艦のものよりも遥かに巨大で、数多くの計器やランプ・スイッチが並んでいます。まさに“軍艦の機関室”という雰囲気…。私はこの雰囲気が好きですよ♪

これだけ巨大かつ膨大な計器がある操縦盤ですが、機関科員が定員割れしていることから、たった一人で操作を担当することもあるそうです。かつては深刻だった護衛艦の定員割れは、今ではかなり改善されて充足率も上がっていると思いきや、やはりまだ旧地方隊(10番代護衛隊)の艦では人員が十分に配置されていないようです。早急な改善を切に望みます!!
画像には写っていませんが、右隣りには応急用監視盤、左隣りには電力監視盤があります。

艦内のオアシス・科員食堂です。
大雨とはいえ雨合羽を着ての撮影は大量の汗をかきますので、ここに用意された麦茶が本当に有難かったです。美味しかった♪

間もなく退役となる「はるゆき」ですが、この科員食堂は28年もの長きに渡って乗組員のお腹を満たして心身を癒してきたのですねぇ。もちろん、公開で訪れた方々も癒されたはずです。自衛艦旗を降ろす瞬間まで艦のオアシスであって欲しいと思います。
イスが赤色というのは珍しいですね。広島市に約8年間住んでいた私は、すぐに広島カープを連想してしまいました(笑) 艤装時の艦長は、もしかしてカープファンだったのではないでしょうか?

艦内の一角には表彰プレートを掲示するコーナーがあります。
28年間にも渡って第一線で活躍している艦なので、プレートは数多く、多岐に渡っているのですが、目を引くのは黒く輝く威厳のあるプレート。そう、年度優秀艦に輝いたことを示すプレートです。何と!「はるゆき」は昨年度の年度優秀艦だったのです。

さらに、近年では平成22年度(2010年度)にも年度優秀艦に輝いています。昨年度と2010年度ですが、「あきづき」(昨年度)と「ありあけ」(2010年度)という「はるゆき」と同じ佐世保籍の艦が、同時に年度優秀艦の栄誉を手にしています。佐世保の艦って本当に優秀なんですねぇ。すごい!!掲示板の横に見えているドアは幕僚事務室の入口です。この日は授乳室に充てられていました(笑)

続いて乗艦するのはDE「あぶくま」です。事故で損傷した「しまかぜ」に代わって急きょ展示訓練に参加することになった艦で、私はこの「あぶくま」に乗艦する予定でしたああ…残念~(涙)
3年前に舞鶴から呉に転籍となり、同型艦2隻と共に第12護衛隊を編成しています。就役以来20年以上も舞鶴に在籍し、私も舞鶴でこの「あぶくま」を何度も撮影した経験があるので、今だに呉にいる「あぶくま」を見ると妙な違和感を感じてしまいます。

就役が1989年の12月ですから艦齢は24年にも達しています。ついこの間就役したような感覚があるのですが、もう結構な“おばさん”です。同時に、私も齢を重ねたということになります…(苦笑) 意外にもこの「あぶくま」型、海自初のステルス艦なのです。

「あぶくま」の艦橋に上がりました。やけに室内が暗いなと思ったら、ここも天井が黒色です。このタイプも「ゆき」型同様、天井は白色なのですが、ドッグ入りの際に黒に塗り替えられたものと思われます。撮影するには白い天井の方が楽なのですが…。

DEという小型護衛艦であることから艦橋内は狭く、特に天井は異様なほど低いです。長身の乗組員だと頭が天井につかえるのではないかと心配になるほどの低さです。天井は低さに加えて黒く塗られているために妙な圧迫感すら感じます。この艦橋で長時間勤務するのは、なかなかの激務になりそうです。天井から延びる伝声管にご注目!ステルスという新技術を初導入している一方で、このような旧式装備も残っている…ハイテクとローテクが混在している点が「あぶくま」型の魅力でもあります。

機関操縦室です。「ゆき」型よりも時代が進んだ時期の艦だけに、操縦盤の筐体はかなり小さくなっています。しかし、まだ人力に負う部分も多いため、数多くの計器とスイッチが並んでいます。
「あぶくま」も先ほどの「はるゆき」同様、人員不足により操縦盤の操作にあたるのは一人だということです。

「あぶくま」型では、機関にCODOG方式が採用されています。この方式はディーゼル機関とガスタービン機関を組み合わせた方式で、低速・巡航時にはディーゼルを、高速時にはガスタービンを使用。航続距離と高速性・加速性の両立を実現しています。
省力化が進んだためか、「はるゆき」よりも船体は小さいにも関わらず、操縦室内ははるかに広くなっています。なので、応急監視盤は画像左奥のかなり離れた場所にあります。

科員食堂にやって来ました。ここも“オアシス感”が満載です。足を踏み入れた瞬間、不思議な心地良さを感じました。心地よさの要因はなんだろうと見回していたら、あることに気づきました。イス・床、さらに室内にある備品に至るまで、すべての物が青で統一されているのです。なので、視覚的に涼しさと癒しを感じるのです。かなりセンスのいい方が艤装時の艦長だったようです。

予定通り展示訓練が実施されていれば、私もこの科員食堂で冷たい麦茶をいただきながら休憩をとっていた筈ですが…(涙)
雨に濡れた傘を持った見学者が多数訪れているのに、床がまったく濡れていないことにご注目。濡れていないのは、乗組員さんがモップで懸命に拭いているからです。本当にご苦労様です。

「あぶくま」のレアな見学場所は、科員食堂と並ぶ癒しの場・科員浴室です。浴槽にはしっかりお湯が張られています。
艦内には浴室が3ヶ所あって、うち1つが幹部用2つが曹士用(科員浴室)となっています。現在、「あぶくま」には約90人の曹士が乗り組んでいるとのことなので、計算上では45人がこの浴室を使うことになります。浴室・浴槽ともにあまり広くはないので、利用が集中した際にはかなりの混雑が予想されます。

艦艇のお風呂は海水風呂と思いきや、実は停泊中や短い航海では真水が使われています。それらの場合は貯蔵した真水で足りるからです。しかし、長期航海となると貯蔵分では足りず、また造水装置を使用すると艦の燃費がガタ落ちすることから、真水の使用に制限がかかり、風呂のお湯も海水になります。

3隻目に乗艦するのは、練習艦「せとゆき」です。
元々は「ゆき」型DDの10番艦ですが、去年3月に練習艦に種別変更されました。種別変更の際に艦内の様々な補修と改造を施しており、先に乗艦した同じ「ゆき」型の「はるゆき」とどのような差異があるのか興味が尽きません。

「はるゆき」とほぼ同じアングルで撮影しているのですが、艦橋まわりの雰囲気がかなり異なることにお気づきでしょうか?
実は「ゆき」型DDは10番艦以降の3隻(「せとゆき」「あさゆき」「しまゆき」)は、それ以前の艦と艦橋露天部前面に設置された遮風壁の形状が異なるのです。1~9番艦の遮風壁は露天部の一部のみに設置されているのに対し、10番艦以降のそれは全面に設置されています。当HPのギャラリーでぜひご確認を!

「せとゆき」もまず最初に艦橋に上がりました。
11枚上にある「はるゆき」の艦橋の画像と比較してみてください。天井の色が異なっているのがお分かりになると思います。この白い天井が「ゆき」型DDの本来の天井なのです。天井が白いと艦橋内が明るくて撮影しやすいわ~♪

左側にあるイスには一佐用の赤いカバーが掛けられています。現在、「せとゆき」には第一練習隊司令が座乗しているようです。
一方、右側の艦長席付近には艦長である東良子二佐がいます(少し見にくいですが…)。3月に艦長を拝命した東二佐ですが、海自初の戦闘艦艇長として、「しまゆき」の大谷三穂二佐と共に大きな注目を浴びました。東二佐ですが、とても凛々しくて素敵な方でした。またしてもビビってしまいお話を伺えませんでした。

「せとゆき」の“レア見学場所”は、科員居住区です。新鋭艦の二段ベッドの居住区は割と頻繁に公開されますが、三段ベッドが並ぶ居住区を見学できるのは非常に貴重な機会です。居住区には、ご覧のような三段ベッドが15人分並んでいるほかテーブルやテレビ・冷蔵庫等がある休憩スペースが設けられています。「ゆき」型にはこのような居住区が艦内に6ヶ所あります。

乗組員にとっては唯一のプライベート空間ですが、さすがに三段ベッドだと狭いというか余裕がなくて、乗組員のご苦労が偲ばれます。ただ、この狭さに慣れてしまえば、これはこれで快適なのかもしれませんね…。ちなみに、科員居住区が二段ベッドとなるのは、先ほど乗艦した「あぶくま」型DEからです。

三段ベッドの一番下の段は、ご覧のような低さです。床からベッドまでの高さは20㎝程度、恐るべき低さです。この場所に身体を出入りさせるにはかなりのコツが要りそうです…(汗) ちなみに、ベッドは上段から先任順に使用します。ということは、最下段は入隊して間もない若い海士くんが使うことになります。一方、先任者は年を重ねて最上段までよじ登るのが大変だからといって、中段や下段を使うことはできません。そこは“海軍”だけあって、下位の者が上位の者を乗り越えてはいけないのです。

戦う船である軍艦において、この居住区や浴室・食堂といった施設は乗組員の生活の場だけに、見学していても人間の生活感や温かみを感じるというか、何だかほっこりしますねぇ。

乙女チックなイラストが貼られたこのドアは、女性乗組員居住区の入口です。艦長が男性の場合は、艦長であってもやすやすとは入ることができない禁断(?)の区画です。「せとゆき」が練習艦に種別変更されるにあたって新たに設けられました。
ちなみに、護衛艦時代のこの場所は予備の幹部用私室でした。

現在、「せとゆき」には幹部2名(艦長&航海長)・曹士12名の合計14名の女性自衛官が乗り組んでいますが、この区画は12人の曹士が使用しています。内部にはベッド休憩スペース浴室洗面所が設けられています。将来的な女性乗組員の増加に対応するため、18人まで収容できるように設計されています。
仮に女性が18人まで増えたなら、「せとゆき」乗組員の1割が女性ということになります。近い将来、そうなるのでしょうねぇ。

「せとゆき」の科員食堂です。イスの色は「はるゆき」の赤に対して、「せとゆき」はです。同じ「ゆき」型DDの食堂でも、イスの色が違うと随分と雰囲気が異なります。ふと気づいたのですが、食堂のテーブルとイスはピッカピカの新品です。乗組員さんに尋ねたら、「せとゆき」は種別変更に伴う改造工事の際に、艦内の様々な什器を新調したということです。

什器だけではありません。艦内の天井・壁は徹底的に補修と再塗装が施され、床もかなりの部分が張り替えられています。私は「せとゆき」には何度も乗艦していますが、今回の乗艦ではまるで別の艦に乗ったかのような印象を受けました。
最初に乗艦した「はるゆき」と比べても、「せとゆき」は天井や壁・床が美しくなっているために、艦内がとても明るいのです。

「せとゆき」の見学中に時刻は午前11時30分になりました。午前中の公開はこの時間をもって終了となります。
艦内から外に出ると、相変わらず強い雨が降り続いています。

まさか2日間予定された展示訓練が、両日とも豪雨で中止になるとは…。あれほど毎日晴天が続いていたのに、展示訓練の2日間に限って豪雨なのはどうしてなのでしょうか?私は考えました。この週末の前に起こった出来事を…そうだ、おとといの金曜日に呉地方総監が交代している。もしや、新しい総監が雨男?前任地から雨を連れて来てしまったのでは…?
もちろん、この豪雨は新総監のせいではないのですが、「どうしてこの日に限って豪雨なの?」という想いを、この日呉基地を訪れた殆どの人が抱いたに違いありません。

午前中の公開が終了したので、続いては遊覧船からの海上撮影です。交通費を払って呉まで遠征しているのです、公開が終わったからといってそう簡単には引き下がれません!(笑)

基地内の一角に多用途支援艦「げんかい」がいました。この艦は呉所属艦ではありますが、豊後水道を守備範囲とする大分県の佐伯基地分遣隊に前方配備されています。7月の舞鶴で抱腹絶倒のゆる~い展示を披露した「ひうち」の妹ではありますが、艦の動揺を抑える減揺水槽が新たに装備されているため、「ひうち」とは随分と趣が異なります。この「げんかい」、展示訓練が実施された際には展示海域の警戒にあたる予定だったと考えられます。

からすこじま埠頭(Aバース)には音響測定艦「ひびき」「はりま」が停泊しています。(画像は「はりま」)
1991年(「ひびき」)と92年(「はりま」)に就役し、ずっと呉を母港としている両艦ですが、DD「やまゆき」と「まつゆき」が転籍してしまった今日、呉在籍期間が2番目と3番目に長い艦になってしまいました。ちなみに、在籍が最も長い艦は補給艦「とわだ」です。

元々、冷戦下にソ連海軍潜水艦の情報収集を目的に企画・建造された艦で、ソ連崩壊後はやや出番が減った感がありましたが、中国海軍が海洋進出を目論む昨今、その存在価値と戦略的な価値が見直されています。恐らく、南シナ海方面に情報収集に出ているのでしょう、最近呉で見かける頻度がめっきり減りました

呉の遊覧船の素晴らしい点は、機密の塊である潜水艦を海上から至近距離で撮影できる点です。
この直線と曲線が融合した優美な船体を持つ潜水艦は、ご存知、最新鋭の「そうりゅう」型です。艦名は分かりませんが、“ある部分”の形状を見ると、2番艦「うんりゅう」4番艦「けんりゅう」であることが分かります。

これほどの至近距離だと、船体全体に貼られた吸音タイル一枚一枚の形状がよく分かります。タイルは全てが同じ形ではなく、設置される場所によって形状が異なります。このタイル、敷設工事に万全を期すため、全てのタイルの裏面に作業担当者の名前が刻まれています。万が一、剥離しようものなら担当者の名前がすぐに判明するのです。責任重大だ!

同じく「そうりゅう」型潜水艦です。“ある部分”の形状から、こちらは1番艦「そうりゅう」3番艦「はくりゅう」のようです。
後ろから見ると、このタイプの特徴であるX舵が際立って見えます。曲線と直線が融合した船体鈍い光沢を放つ吸音タイル、そして美しい角度で対面から突き出るX舵…「そうりゅう」型って本当に美しい潜水艦ですね♪

岸壁上に見える白いタンクは、「そうりゅう」型が搭載するAIP機関用の液体酸素タンクです。AIP機関は酸素を燃料とするので、母港にはこのような専用施設が必要なのです。タンクがある場所は元々は岸壁兼駐車場で、日曜日の艦艇公開の際には立ち入りも可能だったのですが、この施設ができたためか、一般人はまったく近づけなくなりました

今年3月に就役したばかりの新型敷設艦「むろと」です。前タイプも極めてユニークな形をしていましたが、新型もとても変わった形をしています。ただ、建造費抑制のために商船構造の船体を採用したために、前タイプとはまったく異なる艦容となりました。逆に、同様に建造費抑制を目的に商船構造を採用した海洋観測艦「しょうなん」に似ています。

「むろと」の後継艦の名前が「むろと」というのは、個人的には納得できません(笑) 敷設艦は岬の名前を艦名に採用するのですが、適当な岬の名前が見つからなかったのでしょうか?「あしずり」(足摺岬)とか「ふっつ」(富津岬)とか「ぶせな」(部瀬名岬)とかは駄目だったんでしょうか?(笑)

DE「とね」です。先ほど乗艦した「あぶくま」の同型艦で、「あぶくま」型DEの6番艦(最終艦)です。この「とね」は、当初は松山港出港組として展示訓練に参加する予定でしたが、訓練3日前に急きょ不参加が決まり、代わって「せんだい」が参加することになりました。
この「とね」の突然の不参加、「しまかぜ」の事故による不参加、さらには代理乗艦をめぐり不要な混乱を引き起こした乗艦券の記述…いま思えば、今回の展示訓練は始まる前からケチが付いていたという気がしてなりません…(涙)

「あぶくま」と相前後して佐世保から転籍してたきた「とね」ですが、「あぶくま」とは対照的に、呉にいる姿にまったく違和感を感じません。あくまで私の個人的な感覚ですが…。

遊覧船乗り場である呉中央桟橋のターミナル前には、広島県の観光キャンペーン看板が設置されています。
「おしい!広島県」。毒舌芸人・有吉弘行による自虐的なキャッチフレーズとPRビデオが大きな話題を呼んだのは記憶に新しいところです。元広島市民の私は、広島県出身の有吉くんが大好きです♪

このキャッチフレーズのように、今回の呉遠征は本当に「おしい!」ものとなってしまいました…
しかし、看板にはこうも書かれています。「おしいは、おいしいの、一歩手前」と。これを私に当てはめると、「今回の呉遠征は惜しくても次回の八戸遠征では大戦果」という意味になります。2週間後の八戸遠征での大戦果を期待しつつ広島をあとにしました。

豪雨でさすがの海自も艦を沖に出すことができず…失意に包まれての一般公開なれど艦に乗れば心は躍る。