呉の復興を消費で応援!(2018年8月 呉遠征)

「消費で復興を応援」をテーマに豪雨1ヶ月後にあたる8月4~6日で呉に遠征しました。
艦艇を撮影し海自カレーを食べ歩いた遠征の模様と呉観光の現状をレポートします。


う~ん、ここで止まってしまったか…。覚悟していたとはいえ、それまで高速で疾走していた愛車が渋滞に嵌り、ノロノロ走行と停止を繰り返す状況は、あまり気持ちの良いものではありません。いま私がいるのは、山陽道を高屋JCTで分岐して呉市阿賀に至る東広島呉道路(通称:東呉道)の郷原IC手前の地点です。郷原ICから阿賀出口までの距離は約11㎞、つまり11㎞の渋滞です…。普段は山陽道から広島都市高速を経由して広島呉道路を利用していたのですが、広島呉道路は豪雨で寸断され不通となっています。

西日本豪雨で甚大な被害に見舞われた呉市ですが、自粛ムードと交通網の寸断によって観光客が激減し、観光施設や飲食店が苦境に立たされているとのこと。そこで、私は観光客として飲食や買い物といった消費で復興を応援しようと呉に向かっているのです。

渋滞を乗り越えて無事、呉に到着!さっそく海自カレーに舌鼓♫ 宿泊するホテルの近くにある二つのお店をハシゴします。
最初はDD「さざなみ」のカレー瀬戸内屋台「五十六」というお店が提供しています。ご覧のとおり大きなコロッケが載っているのが特徴です。スパイシーな香りがしますが、そこまで辛くありません。こちらも具のジャガイモは素揚げしていて、コロッケと共にサクサクの食感を楽しめます。コロッケはポテトコロッケで、ルーとの相性がいいので、ルーにどっぷり浸して食べることをお勧めします。

土曜日の夜ですが、店内にいる客は私と1組のカップルのみ。雰囲気がいいお店なので、豪雨の前だったら恐らく満席近いお客さんで賑わっていたと思われます。いきなり呉の実情を突き付けられたような気がしました。よし、滞在中はいっぱいお金を使うぞ!

初日2件目のカレーは潜水艦「けんりゅう」です。なんと、提供しているのは「りゅう」という名前のうどん店です。呉の海自カレーには多彩な飲食店が参加していますが、うどん屋さんというのはかなり珍しく、ユニークです。地元では人気のうどん店のようです。

カレー自体もとてもユニーク、呉海自カレーで唯一のシーフードカレーなのです。スパイシーな香りに交じって魚介の香りが鼻孔をくすぐります。一口食べると真っ先に魚介の旨味が口内に広がります。具は肉や野菜が一切なく、イカホタテアサリなどが入っていて、これまでに食べた海自カレーとは味の方向性が全く異なります。器も艦艇を模した独特のお皿に盛られており、お店、器、味というすべての面で他の海自カレーとは一線を画す孤高のカレーといえるでしょう。一度食べたら強烈な記憶が残るカレーです。

お腹がいっぱいになったところで、宿泊先のホテルに戻ってお風呂に入ります。呉への観光を考えている方々の中には交通手段とともに水道を心配している人も多いと思いますが、ご覧のとおり、ちゃんと蛇口から水が出ます。もちろん飲用もOKです。お風呂に浸かって、暑さで噴出した汗と渋滞で滲み出た脂汗を落としました。

呉には大きな川がないので、水道水は広島市から送水管で送られているのですが、その送水管に土砂が流れ込んだために、市中心部は豪雨発生から1週間~10日程度の断水を余儀なくされました。今回私が宿泊するホテルも断水により1週間程度休業し、水道水の供給が再開されてた後も、水に少し土の匂いが残るなど影響が出たということです。ただ、現在は供給・水質ともに問題なく、豪雨前と同じように飲用もお風呂も大丈夫な状態に戻っています。

翌朝、まずは呉中央桟橋へ行きます。ここから見る呉は豪雨被害を全く感じさせないいつも通りの風景です。江田島への渡航や湾内の撮影でよく利用するフェリー「古鷹」も停泊しています。豪雨の直後、ニュースやSNSで濁流に呑まれた呉市中心部の様子を知って衝撃を受けたのですが、いま私の目の前に広がる呉は以前と変わらぬ呉であることに言いようのない嬉しさを感じます。

中心部には日常が戻っているとはいっても、天応安浦といった郊外の地区では未だに家屋が土砂に埋まったままで、また水道等のライフラインも復旧しておらず、住民は大変な困難に直面しています。その事に思いを馳せると胸が痛み、一日も早い復旧を願わずにはいられません。昭和20年7月の呉空襲、9月の枕崎台風での甚大な被害から立ち上がった呉市民の底力に期待します!

いつもの風景と唯一異なる点は、フェリーに多くの乗客が乗っていること。JR呉線が不通となっていることから、多くのJR利用者が広島行きの代替輸送手段としてフェリーを利用しているようです。現在、石崎汽船瀬戸内海汽船の2社が、呉と広島の間にフェリーと高速船を運航させています。←のフェリーは石崎汽船の旭洋丸で、広島港から約45分の航海を経て呉に到着したところです。

呉-広島間のフェリーは、両市間を結ぶ交通機関としては目立たない存在でしたが、豪雨で呉線が不通となって以降、呉と広島を結ぶ大動脈・命綱のような役割を担っています。私は今回、車で呉に入りましたが、公共交通機関を利用する場合は、広島駅から広島港へ行き、そこから呉行きのフェリーに乗るのが最も簡単で確実な呉行きの方法となります。ぜひフェリーに乗って呉へ!

呉中央桟橋から遊覧船に乗って艦艇を撮影します。乗客の数は、ご覧のような少なさです。「2018年4月 呉遠征」のレポに掲載した遊覧船の画像(11枚目)と比べると、いかに少ないかが分かります。
呉に行く前に撮影仲間であるM井氏から「先週乗った時には乗客が3人だった」との衝撃的な証言を聞いていたので心配していたのですが、ともかく3人よりは多いので、僅かながらも観光客が戻りつつあるのではないかと感じました。少しホッとしました…。

客が少ないと自由に撮影位置を変えることができるし、客が写り込むこともないし、何よりもSNS映え目当ての‟にわかファン”がいないのでとても快適!すぐそばで撮影していた出雲市から訪れていたマニアさんともお友達になれましたし、十数年前のほのぼのとした艦船撮影の現場が戻ってきたようで嬉しかったです♪

遊覧船はJMU(旧IHI)のエリアを通過して、艦艇が並ぶ呉基地のエリアに入りました。最初に現れたのはDD「さみだれ」です。
呉基地の艦にしては珍しく出船の状態で停泊していますが、実はこの場所はギリギリJMUのエリアで、「さみだれ」は年に1回の年次検査のためにJMU入りしているのです。JMUの大きなクレーンを背景に撮影したので、「呉軍港で束の間の休息をとる艦艇」という雰囲気が満載のいい一枚になりました。
これも自由に動ける恩恵です。

「さみだれ」の相方である「いなづま」は、きょう広島港で一般公開を実施するために早朝に出港、その姿はありません。「いなづま」「さみだれ」が姉妹揃って呉に配備されて早や16年最新鋭DD2隻配備の知らせに嬉しくなって呉に駆け付けたのが昨日の事のように思い出されます。50歳目前になると光陰矢の如しです…。

輸送艦「おおすみ」です。こちらも就役がつい最近のように感じますが、就役は1998年なので既に艦齢が20年に達しています
海自艦で初めて空母艦型を採用した艦ですが、就役前後に左翼メディアによって「事実上の空母だ!」「憲法9条に違反する艦」と騒がれたのは何だったのでしょうか?
いま思い返しても馬鹿馬鹿しい…

この「おおすみ」をはじめとする呉所属艦は、豪雨直後の断水時に市民にお風呂を提供する入浴支援を行ったのですが、この「おおすみ」と妹の「しもきた」は来訪がやや困難な島嶼部の住民をLCACで艦まで運んでお風呂を提供しました。まさに「おおすみ」型輸送艦の本領発揮と言ったところです。この種の艦は、とりわけ災害支援で力を発揮しますねぇ。20年前に「憲法違反」と騒いだ方々はどのような心境でこの活躍をご覧になっているのでしょうか?

DDH「かが」も在泊しています。呉所属艦の中で最大の艦であり、この遊覧船クルーズの目玉的な存在でもあるので、乗船客は皆さん、コンデジやスマホを片手に懸命に「かが」を撮影しています。豪雨前だったら「加賀さ~ん!会いにきたよー♡」などと言っている現実と虚構を混同しまくった艦これファンがいたりするのですが、今はそんな連中もいないのでとても快適です(笑)

失礼を承知で言わせていただくと、「かが」や「いずも」を見て騒いでいるうちは初心者で、マニア歴何十年の猛者たちはもっとマニアックな艦に心をときめかせるのです。例えば補給艦とか潜水艦救難艦とか海洋観測艦とか…。ちなみに最も私の心を躍らせるのは「とわだ」型補給艦です。残念ながら「とわだ」は出港しているようで、桟橋にはその姿がありません。あぁ、残念…。

潜水艦もかなりの数が在泊しています。その中の「おやしお」型潜水艦で珍しい光景を目にしました。乗組員が真水で船体を洗浄しています。この艦(艦名不詳)は本日早朝に帰投したのですが、潜航中に船体に付着した塩分を洗い落としているのです。このように潜水艦は帰港すると真っ先に乗組員が船体の洗浄を行います。

「そうりゅう」型とは異なり、「おやしお」型は船体に吸音タイルが貼られていないため、太陽光に照らされて船体が鈍く光っています。この船体の質感、まさに“鉄のクジラ”といった雰囲気です。シャチのような精悍な印象を持つ「そうりゅう」型も素敵ですが、私はクジラのような「おやしお」型の方が好きです。ちなみにサブマリーナの間でも、「おやしお」型は居住性の良さから人気が高いようです。「おやしお」型は11隻のうち6隻が呉の所属、うち2隻が練習艦です。

遊覧船での撮影を終えて、少し早いですが昼食にします。言うまでもなく海自カレーです!1911(明治44)年創業の老舗ホテル・呉森沢ホテル訓練支援艦「くろべ」のカレーをいただきます♫ それにしても1911年の創業ってすごいですねぇ。去年105歳で亡くなった医師の日野原重明先生が生まれた年ですよ!ということは、20年7月の呉大空襲も経験している訳で、もしかしたら周作さんとすずさんもお食事で訪れていたかもしれません(笑)

カレーですが煮込み系で、やや辛めの濃厚な味わいです。一見したところ具はニンジンしか入ってないようですが、実は肉も野菜も煮込まれてルーの中に溶け込んでいるのです。なので、一口食べるとしっかりと肉と野菜の味がします。ホテルのカレーらしくデザートにカラメルプリンが付きますが、これがかなりの美味でした!

カレーを食べ終えて再び呉中央桟橋があるエリアへ。大和ミュージアム前の広場は人影が全くありません。この場所がこれほど閑散としているのは初めて見る光景です。豪雨前までは、休日のこの場所は大勢の観光客がいて、大変賑わっていたのですが…。
報道によると、大和ミュージアムの入場者数は豪雨後に昨年比で8割減少したとのこと。昨年比8割ではなく
8割減です!凄まじい減少ぷりです。この数字に呉観光の苦境が如実に表れています。

夏休み中という一番の書き入れ時にこの状態では観光施設や飲食店は本当に苦しいと思います。繰り返しになりますが、皆様、ぜひ呉にお越しください!観光客が訪れることが復興に繋がります。
広場に置かれた看板が気になります。「企画展 戦艦『長門』と日本海軍」と記されているではないですか!これは見に行かないと…

「企画展 戦艦『長門』と日本海軍」は、戦艦「長門」の生涯を多角的に紹介することで日本海軍の歴史、さらには当時の日本の歩みを知ってもらおうと企画されました。会場には戦艦「長門」の生涯を紹介するパネルや様々な史料が展示されていて、艦船ファンのみならず歴史に興味のある方なら心躍ること間違いなしの内容です。

手前にある絵が目を引きますが、これは昭和13年の海軍記念日を広報するポスターです。帝国海軍の艦艇は太平洋で米海軍と戦っていたイメージが強いのですが、昭和15年以前はいわゆる平時で、現在と同じように艦艇公開展示訓練が行われるなど、海軍は国民と近しい関係にありました。展示史料の中には艦を見学した人に配布する案内文書(現在のパンフレットに相当)もあり、来場者の注目を集めていました。
※撮影OKの展示物のみ掲載しています。

こちらは「長門」の長官公室を再現したエリアです。長官公室ってこのような雰囲気だったんですねぇ…。ここで歴代の連合艦隊司令長官が、参謀長作戦参謀といった大勢の幕僚たちと会議や食事をしていたのかと想像すると思わず胸が熱くなります。
長官公室は重要な来客者・来賓を迎えた際の応接室でもあり、また司令長官交代行事等の儀礼の会場でもあったので、格調高い意匠が施された部屋になっていたということです。

公室での昼食は軍楽隊の音楽演奏付きで、スープ・料理・デザートと変わるごとに曲目も変えていたとのこと。なんて優雅な事でしょう。
海自艦艇でもDDHやイージス艦には司令公室という部屋があります。同じく群司令と幕僚たちが会議や食事をする部屋で、艦内で最も豪華な部屋ではありますが、この長官公室にはかないません。

個人的に心に突き刺さったのがこの展示。戦艦「陸奥」の装甲鈑それを固定していたボルトです。これは柱島沖で爆沈した「陸奥」から戦後(昭和46年)に引き揚げられたものです。装甲鈑の厚みがエグいです。「長門」「陸奥」はこんなに厚い装甲鈑で身を固めていたのですね。それを留めるボルトもゴツいのなんのって…「長門」クラスの巨大戦艦ともなると何もかもスケールが桁違いです。

「長門」「陸奥」の装甲は水直防御にVC甲鈑水平防御と水中防御にNVNC甲鈑が使われていて、これらは呉海軍工廠製鋼部で研究・開発が進められました。呉海軍工廠が誇る当時の最高技術のひとつといえます。「陸奥」から引き揚げられた鋼材は、戦後に生産された鉄が含有するコバルト60を含まないことから、「陸奥鉄」の名で研究所等の環境放射能遮蔽材として重用されています。

写真撮影が不可だったので掲載していませんが、会場には終戦時の「長門」にあった軍艦旗大将旗中将旗も展示されていて、その迫力に圧倒され、同時に旗に刻まれた歴史に思いを馳せました。この企画展は来年1月20日まで開催されています。ぜひご覧になってください!今ならゆっくりと展示を見ることができますよ

素晴らしい企画展だったので、館内のグッズショップでパンフレットを購入しました。「長門」の解説本として極めて史料価値の高い充実した内容のパンフレットです。一緒に呉のお土産としていま最も注目されているセーラーショルダーバッグも買っちゃいました♪ 水兵の制服をモチーフにしたバッグで、とても可愛らしいです。これを女の子が肩から下げている姿はカワイイを通り越して萌えすら感じますが、50歳目前の男はこれをどう使ったらいいのでしょうか…?

大和ミュージアムを見学したらなら、次は鉄のくじら館(海自呉史料館)も訪れないといけないですね。全国に3ヵ所ある海自直営の史料館のひとつで、主に潜水艦と掃海に関する史料を展示しています。建物の前に展示されている退役潜水艦「あきしお」は、今や呉のランドマークと言っても過言ではありません。

鉄のくじら館と大和ミュージアムは呉を代表する観光施設ですが、両館はセットで見学する人が多いので、大和ミュージアムの来館者が8割減っているとすれば、鉄のくじら館も来館者が8割減っていると考えられます。ここは入場無料で営利目的の施設ではありませんが、館内にはグッズショップ喫茶コーナーもあるので、見学をした後に買い物をして少しでも応援したいと思います。ここのグッズショップは部隊帽の品揃えが充実しているので楽しみです。

予想通り、館内は見学者の姿はまばらです。想像以上に深刻な状況だな…。こちらも入場者8割減と言っても過言ではなさそうです。何度も見学している当館ですが、今は人も少なくてゆっくりできるいい機会なので、改めて展示史料をつぶさに見て回りました。
いま私がいるのは3階の潜水艦のフロア、階下の2階が掃海のフロア、1階には受付とグッズショップ・喫茶スペースがあり、屋外展示の「あきしお」艦内へは、この3階から入ることができます。

呉には12隻の潜水艦が在籍し、加えて「潜水艦乗りのふるさと」と呼ばれる潜水艦教育訓練隊もあります。また掃海部隊は第3掃海隊第101掃海隊があり、潜水艦・掃海ともに呉とは非常にゆかりが深い職種です。その意味では、潜水艦と掃海に焦点を当てた当館は、呉にある史料館にふさわしい内容だと思います。

潜水艦フロアで心ときめいた展示がこちら。去年2月に退役した練習潜水艦「あさしお」の艦名板です。前回訪問した際にはこの展示はなかったので、「あさしお」退役後に設置されたのでしょう。
背後には退役前の「あさしお」が大湊を訪れた際に撮影された画像が飾られています。雪を纏った「あさしお」もなかなか素敵です。

「あさしお」は「はるしお」型潜水艦の7番艦(最終艦)として、1997年3月に就役、僅か3年後の2000年3月に練習潜水艦に種別変更されました。サブマリーナの養成とともに潜水艦用最先端技術のテストベッドの役割も担い、「そうりゅう」型が搭載しているスターリングエンジン(AIP機関)は、「あさしお」で試験で良好な成績を収めたことで制式採用されました。スターリングエンジン搭載にあたり艦尾が9m延長され、長大な涙滴型の船体が美しい艦でした。

展示史料の見学を終えて1階へ、お目当てのグッズショップです♫ ご覧のとおり棚に部隊帽がズラリ…呉所属の艦艇と呉所在の部隊の帽子が大量に並んでいます。何度来ても心が躍ります!目移りしてどの帽子を買うか迷ってしまいますが、それが楽しい!あの艦、あの部隊の帽子はこんなデザインなのかと見るだけでも十分楽しめます。部隊帽だけでなくTシャツ・バッグ・クリアファイル・タオル・キーホルダー・カレーなど、置いている商品は超多彩、グッズを買うためだけに来館する人も多いようです。私もその一人ですが…。

私は今回、補給艦「とわだ」の帽子輸送艦「しもきた」のバスタオル海自カレーを8パック購入しました。とりわけ、あまり出回っていない「とわだ」の帽子が買えたのはラッキーでした♪
※撮影禁止の表示がありますが、商品の帽子を被っての記念撮影禁止の表示です。

さて、おやつの時間です。おやつももちろん海自カレーです(笑)
大和ミュージアムの隣(=鉄のくじら館の道路向かい)にあるシーサイドカフェ「BEACON」で、DD「さみだれ」のカレーを食べます。
このカレー、呉の海自カレーで唯一、ライスではなくナンに付けて食べる方式です。カレーはやや辛口、もっちりとした食感のナンとよく合います。肉の旨味がよく出たお味ですが、牛肉・豚肉・鶏肉の3種類のお肉を使っているとのこと。とても贅沢なカレーです。

ところで、この「さみだれ」カレーのようなナン方式のカレーを食べる際、皆さんはどのようにして食べていますか?普通はナンをちぎってカレーに付けて食べるのでしょうけど、私は最初にナンを口に含んで、次にスプーンでカレーを口の中に入れて、口の中でナンと混ぜて食べるのですが…この食べ方って、変ですかねぇ?

おやつでお腹を満たしたので、カロリー消費のために呉駅付近まで散歩してみます。ここは呉駅のすぐ東側に位置する堺川踏切です。頻繁に電車が行き交っていたこの踏切ですが、約1ヶ月ものあいだ電車が通らないことから線路が赤く錆び、まるで廃線のような雰囲気を醸し出しています。線路って僅か1ヶ月でこれほどまでに錆びてしまうものなんですね…(涙) 一日も早い復旧を祈ります。

線路に並行して赤錆びた鉄橋(矢印)がありますが、これは呉駅から呉海軍工廠へと延びていた引き込み線の跡です。戦後の開発や道路拡張等によって、現在、引き込み線の痕跡はこの鉄橋のみとなっています。映画「この世界の片隅に」の中でも、周作さんとすずさんが下士官兵集会所の前付近で待ち合わせをするシーンで、この引き込み線を走る列車が描かれています。

JR呉駅です。列車の往来が途絶えために用を成さなくなった改札口は、代行輸送のバスに関する情報を載せた掲示板で塞がれています。列車が来ないので駅構内は豪雨前と比べれば閑散としているのですが、それでも代替輸送を使って広島や三原方面へ行く方法を駅員さんに尋ねている人が結構います。

豪雨被害によって全線で運休を余儀なくされた呉線ですが、海田市-坂間が今月2日に運転を再開しました。しかし、路線の大部分を占める坂-三原間はまだしばらくの間、運休が続きます。JR西日本も懸命の復旧作業を続けており、その結果、坂-呉-広間は9月中広-三原間は来年1月中の運転再開が予定されています。
列車の往来が復活し、呉駅のホームに宇宙戦艦ヤマトの発車メロディーが鳴り響く日が来るのは、まだ少し先のようです。

酷暑の中で撮影し続けたので、体力回復のためホテルでお昼寝し、午後6時過ぎに三たび呉中央桟橋に向かいました。今回初めて夕暮れ時に港内を巡る遊覧船の「夕呉(ゆうぐれ)クルーズ」に乗船するのです。「夕呉クルーズ」は日没の少し前の時刻に出港することになっていて、本日の出港時刻は午後6時45分です。

嗚呼、なんて美しい夕焼けの風景でしょう…。山の稜線に沈もうとしている太陽、茜色に染まった空、太陽が反射する海面、そしてシルエット状に姿が浮かび上がるクレーン、呉の夕焼けは美しい!
この風景を目にすることができただけでも「夕呉クルーズ」に乗船した価値がありました。この風景を見ていると、呉が豪雨に見舞われて大きな被害が出たことが嘘のようです。と同時に、呉を照らす太陽が復興に向けたパワーを送ってくれているようにも見えます。

夕陽を背景にして「おおすみ」を撮影しました。シルエット状に浮かび上がるその姿は、昼間とは違った艦の表情を見せてくれます。
日没前の撮影はもっと暗くて、艦を綺麗に撮れないのではと思っていたのですが、シャッター速度に注意すれば、とても素敵な雰囲気の艦を撮影できることが分かりました。今後も呉に遠征した際には昼間だけでなく、この「夕呉クルーズ」を利用したいと思います。

海上自衛官がよく「艦から見る美しい夕焼けに心が癒される」と言いますが、まさにこの光景が心が癒される景色だと思います。
艦に勤務すれば、あるいは呉基地に勤務すれば毎日この美しい景色を見ることができるのです。この景色に心を打たれた若者たちよ、ぜひとも海上自衛隊の門を叩きたまえ!もし私が20歳の若者だったら、この景色に魅せられて地本へ直行するでしょう
(笑)

「さみだれ」も夕陽を浴びて佇んでいます。太陽とは反対側(順光)の位置にあるので、「おおすみ」のようにシルエット状にはなりませんが、艦全体がほんのり赤く染まった美人さんになりました。私にはこの「さみだれ」が、頬を赤く染めた女の子のように見えます(妄想)

それにしても、遊覧船が艦に近づき過ぎぃ!横須賀・佐世保・舞鶴にも軍港をめぐる観光遊覧船がありますが、呉の遊覧船が最も艦の至近距離まで近づきます。運航会社が多くの海自OBを雇用しているとはいえ、よくぞこれほどまで艦の至近距離を航行することを許可したものです。素晴らしいぞ!呉総監部!!この遊覧船といい、海自カレーといい、呉は海自と行政・企業が手を携えて呉を盛り上げようとする姿勢が素晴らしいです。私が5大基地の中で呉を最も愛するのは、この点も理由のひとつです。

日没時刻が近づきました。本日の日没は午後7時10分です。
午後5時に国旗を降ろす陸自・空自とは異なり、海自は日没時刻に自衛艦旗を降ろします。したがって、降下の時刻は毎日異なります。日没5分前になると、各艦の自衛艦旗の前には艦に残っている乗組員が整列し、日没時刻を待ちます。そして日没時刻になると、「じか~ん!」というアナウンスとともにラッパ譜「君が代」が吹奏され、ゆっくりと自衛艦旗が降ろされます。とても荘厳なひとときです。

↑の「ちはや」は自衛艦旗を降ろす直前の様子。当直海曹当直海士が旗を下げる紐を手にして立ち、その後ろに号令をかける当直士官が立っています。「夕呉クルーズ」は夕暮れの景色だけでなく、自衛艦旗降下の様子を見ることができるのも魅力です。運が良ければ、哀愁に満ちた音色の巡検ラッパも聞くことができます。

「夕呉クルーズ」での撮影を終えて夕食です。もうお分かりですね、海自カレーです(笑)訪れたのは中通2丁目にある「一磋」という和食屋さん。ここでいただくのは潜水艦「もちしお」のカレー、ご覧のように、半熟の目玉焼きが載った特徴的なカレーです。お味は美味しいのですが甘くもなく辛くもなく、ややパンチに欠ける感じ…。しかし、その印象は誤りでした。スプーンで目玉焼きを砕いてルーに混ぜて食べると、とても美味しくなります。ルーと半熟卵が口内で見事なまでの味のハーモニーを奏でます♫ 面白いカレーです。

和食屋さんなので、同じ海軍由来の料理である肉じゃがを一緒に注文しました。この肉じゃががカレーに負けず劣らず美味しい!
「もちしお」カレーはご飯の量がやや少なめなので、カレーと一緒に肉じゃがを注文すると、ちょうどいい具合に満腹になります。

翌日、帰宅の途に就く前に立ち寄ったのが中通3丁目にある「たまや」、丼と串揚げのお店です。ここでいただくのは呉海自カレーに参加している三つの陸上部隊のひとつ、呉教育隊のカレーです。ルーの中に離れ小島のように浮かぶライス、加えてルーの中を泳いでいるような素揚げのナスとピーマン、ユニークかつ可愛らしい盛り付けのカレーですね。食べるのが勿体ないくらいです…。

ややサラッとしたルーは肉と野菜が丁寧に煮込まれた味、カリカリ食感のナスとピーマンがルーの風味にさらなる旨味を加えてくれます。挽き肉もたくさん入っているのもGood!呉教育隊に入隊した新隊員たちは、金曜日にこのカレーを食べて訓練と座学を頑張っているのですね。「たまや」は3年続けて教育隊カレーを提供しているとのこと。お店の教育隊・新隊員への愛情がうかがえます。

「たまや」の店内は、呉教育隊で新隊員が訓練や競技会で奮闘する姿を捉えた写真が多数飾られていいます。
また、呉地方総監・池海将をはじめとする海自隊員もこのお店を利用しているようで、来店した隊員が寄付(?)した艦艇や部隊の帽子が数多く飾られています。海自推しのお店というより海自直営のお店といった雰囲気海自ファンなら一度は訪れておくべきお店です。次回の遠征時には、カレーと一緒に串揚げも食べてみようと思ってます。

ご主人と「たまや」を経営する空たまみさんにお話を聞いたところ、豪雨後は来店客、特に観光で県外から訪れるお客さんが激減したそうです。「やはり、JR呉線の不通が大きく響いている」と空さん。一方で、「当店をはじめ呉の飲食店は元気に営業しているので、ぜひ呉にお越しください!」とおしゃっていました。

2泊3日に渡る呉遠征が終わりました。呉に観光(正確には撮影)で訪れて様々な消費をすることで呉の復興を応援しようと企画した今回の遠征、私ひとりでは微力ですが、これが何百人、何千人、何万人ともなれば呉の復興が早まることは間違いありません。当HPの閲覧者様も、夏の旅行先にぜひ呉をお選び願います。

呉に行く交通手段ですが、東呉道は朝夕のラッシュ時を除けば渋滞に遭わずに走れますし、広島港からのフェリー・高速船なら、瀬戸内の多島美を楽しみながら極めてスムーズに呉に着きます。実際に遠征してみて、交通面を心配する必要はないと感じました。
ちなみに呉における私の消費金額ですが、ホテル宿泊費・海自カレー等の飲食代・グッズ購入代・大和ミュージアム入場料・ガソリン代・駐車場代・書籍代など合計5万6214円でした。

豪雨を乗り越え呉市内の観光施設や飲食店は元気に営業中!観光客の来訪を心から待ち望んでいます。