2014年度遠洋練習航海 帰国行事

10月24日、東京・晴海埠頭に練習艦隊が半年間に渡る遠洋練習航海から帰国しました。
帰国行事に加え、艦隊と共に帰国した英霊に対する慰霊祭の模様をお伝えいたします。

佐伯港での第1護衛隊群集合から5日後、興奮もいまだ冷めやらぬまま私は再びカメラを手にして海を睨んでいます。ただ場所はのどかな佐伯湾ではなく、多数の高層ビル群を望む東京・晴海埠頭です。間もなくこの場所に、遠洋練習航海に出ていた旗艦「かしま」以下3隻の練習艦隊が戻って来るのです。10月も下旬に入っているのに遠征を続ける私、大阪湾での呉地方隊展示訓練が中止になった悔しさ・無念さが、この時期にまで私を艦艇撮影に駆り立てているのです。

艦隊が戻ってくる方角にはレインボーブリッジがあります。艦隊はこの橋の下をくぐって晴海埠頭に接岸します。ここ晴海埠頭は、レインボーブリッジや高層ビル群などの都会的な風景を背景に艦艇を撮影できる貴重な撮影ポイントでもあります。

艦隊は午前9時に入港とのこと。ということは、午前8時頃には最初に接岸する艦=旗艦「かしま」が姿を現すと考えられるので、私は午前7時に晴海埠頭に到着しました。
多くの場合、艦の入港時間とは接岸が終了する時刻を指します。私は入港シーンを撮影するする場合、入港時刻と入港する艦の数から艦が姿を現すおおよその時間を割り出し、それから40分~1時間前には撮影ポジションに陣取るようにしています。
海自艦は午前8時とか9時の入港が多いので、入港シーンを撮ろうとすると、早起き&早朝からの移動が不可欠となります。

埠頭には、早朝にも関わらず艦隊の姿を姿を待つ人の姿があります。その格好からマニアというよりも実習幹部の家族のようです。もちろん、私の周囲にはマニアの方々もいましたが…。

午前8時1分、旗艦「かしま」が姿を現しました。午前8時には1隻目が姿を見せるという私の推測は見事なまでに当たりました♪
同時に、客船ターミナルのテラスにはマニアが持つカメラのシャッター音が響き渡ります。それはさながら、敵艦隊に対し「撃ち方はじめ!」の号令で一斉に砲門が火を噴く光景のようでした。

左側に見えている樹木が茂っている島のように見える場所は、一帯の地名の由来になった台場です。台場はペリー来航に脅威を感じた幕府が江戸湾の防衛のために建設した海上砲台で、第一~第七と御殿山の合計8つが建設されました。画像に写っているのは嘉永7(1854)年に完成した第六台場です。
江戸末期の海上防衛施設の近くにある晴海埠頭から毎年練習艦隊が出港・帰国する事に、何か歴史的な因縁を感じます。

旗艦「かしま」はレインボーブリッジの下を通過、脇に民間のタグボート2隻が寄り添います。
ここで耳を疑うような言葉が耳に…。私のそばで撮影をしていたマニア(女性)が、「タグボート邪魔!」「構図を作りにくい半端な場所にいやがって」と口走ったのです。とんでもないバカです。

過去にも撮影中に「タグボートがいるので写真が台無しだ」とか「タグボートあっちいけ!」とか言う人がいましたが、タグ(曳船)がいるからこそ艦艇は無事に埠頭・岸壁に接岸できるのです。それにタグは仕事をしているのであり、マニアの撮影に配慮する必要なんて一切ありません。そんな事も分からずに己の都合だけでタグボートを侮辱する人に、私は激しい怒りを感じます。
タグボートを愛せない人にマニアを名乗る資格はありません。


「かしま」が晴海埠頭に近づいてきました。乾舷が高い威風堂々とした佇まいは、帝国海軍が遠洋練習航海用に建造した練習巡洋艦「香取」型を彷彿とさせます。
ちなみに「香取」型は昭和15年から16年にかけて3隻が建造され、艦名は「香取」「鹿島」「香椎」でした。海自の歴代練習艦の名は「かとり」「かしま」。ここにも旧海軍と海自の関係性を垣間見ることができます。ということは、「かしま」の代艦は「かしい」になるのか…?

旧海軍・海自ともに練習艦が威風堂々としているのは、諸外国を巡る外交的な役割を持つ艦ということと、航海に不慣れな候補生・実習幹部のために外洋での航海で安定するための船体形状(幅が広く乾舷が高い)を採用しているためです。「かしま」の排水量は4050tですが、排水量以上の大きさと迫力を感じます。

「かしま」艦橋露天部には練習艦隊司令官・湯浅海将補とその幕僚たちがいます。少し見にくいですが、黄色い双眼鏡ストラップを首から下げているのが湯浅司令官です。そして、司令官がいる場所からから一段低い露天部に実習幹部たちが集合しています。5ヶ月ぶりに見る東京の景色は、実習幹部たちの目にどのように映っているでしょうか?海外の15ヶ所の都市を訪れた後ですから、同じ東京でも出港前とは見え方や印象が随分違うように感じているのではないでしょうか。

艦橋構造物の前に張り出している部分は特別公室で、国家元首級の来賓をお迎えできるよう、それはもう立派で格調高い内装と調度品がしつらわれています。特別公室の上部に棒状の物が飛び出ているのにご注目。練習艦特有の装備・礼砲です。

艦隊は晴海埠頭の最も奥の部分に接岸するため、晴海運河を遡ります。よって、「かしま」は私の目の前を通り過ぎて行きました。

「かしま」の背後の陸地には工事用のクレーンが林立していますが、その場所は現在築地にある東京都中央卸売市場(築地市場)の移転予定地です。2015年度末に竣工・移転の予定です。移転予定地のさらに後方には多数のビルが林立しています。都内で最も開発・再開発が盛んな地域とはいえ、急激にビルが増えていく様はただただ驚くばかりです。
2009年度遠洋練習航海の出港式のレポに同じ方角を写した画像がありますが、当時この方角にははほとんどビルが見あたらず、あまりの変貌ぶりに言葉を失わざるを得ません。十数年前まで近くにIHI東京工場があったことすら信じられないほどです。

「かしま」に続いて「あさぎり」が戻って来ました。「あさぎり」の遠洋練習航海参加は2011年以来3年ぶり3回目ですが、前回は練習艦(TV3516)としての参加でしたので、護衛艦としての参加は初参加の2008年以来となります。

海自は1957年の遠洋練習航海開始以来、毎年必ず航海に護衛艦を参加させています。遠洋練習航海に護衛艦を参加させるのは、長期の航海によって艦の練度向上を図ることと、実習幹部に海上防衛の最前線に立つ艦の雰囲気を味わってもらうなどといった目的があります。現在の練習艦2隻+護衛艦1隻という編成は2002年度以降で、その前は練習艦1隻+護衛艦1~2隻という編成でした。専用練習艦がない時代(1969年まで)は護衛艦を3~5隻参加させていました。

一方、「かしま」は晴海埠頭に「出船」で接岸すべく、タグボートの力を変えて180度向きを変えます。掃海艇やミサイル艇など一部を除いて海自艦は自力で向きを変えることはできないので、タグの支援は必要不可欠なのです。
先ほどのマニアさん、この場面でも「タグボートが邪魔」と言いますか?


背後に見える橋は晴海大橋で、都心と豊洲・有明地区を結ぶ橋として2006年に完成しました。この橋によって大型の艦船は晴海埠頭より奥へは運河を航行できなくなりました。
この橋より少し奥に2002年3月までIHI東京工場があり、検査・整備に向かう艦や同工場で建造され公試を行う新造艦が、この晴海運河を頻繁に航行していました。IHI東京工場最後の建造船は「むらさめ」型DD8番艦「あけぼの」です。

「あさぎり」が近づいて来ました。5月のGWに舞鶴に遠征した際に、今回の遠航に参加するため舞鶴を出港する「あさぎり」を撮影しました。あれから5ヶ月あまり…春うららかだった季節が晩秋にさしかかるほどの長期間航海に出ていたことに、「船乗りという職業は本当に大変だなぁ」と感じずにはいられませんでした。

ただ、知り合いの海自隊員に言わせると、練習艦隊は頻繁に寄港地に入港するので長期間の航海でも楽とのこと。その隊員は「さざなみ」乗組員時代に、訓練で潜水艦を探し求めて2ヶ月半無寄港で太平洋上を航行し続けたそうで、その時には体力的・精神的にもかなりきつかったということです。そう考えると、「海自に入っていれば…」などと妄想する私も、実際に入隊していたら長期間の航海に耐えられずすぐに辞めていた可能性が大です。

埠頭では実習幹部のご家族らが小旗を振って「かしま」を迎えています。ご家族にとっては、長期航海で鍛錬されて逞しく成長した息子さんや娘さんに会うのが楽しみで仕方がないことでしょう。それにしても海自(というか自衛隊全体)は家族を大切にします。各種学校の入校式と卒業式、遠航や海外派遣の出港・帰国式典には家族を呼びますし、防大や教育隊では、休暇には帰省して親孝行するようしつこく在校生に説きます。“国を守る第一歩は親に孝養を尽くすこと”という考えが根底にあるのかもしれません

こうして見ると、「かしま」の乾舷が異様に高いことが良く分かります。乾舷が高い理由は先に説明した通りですが、加えて、「かしま」は前タイプの「かとり」よりも艦橋構造物が一層分低くなっているので、余計に乾舷が高く見えてしまうのです。

殿艦・「せとゆき」がレインボーブリッジの下まで戻ってきました。
しかしながら、タグボートが「かしま」の接岸を支援しているため、「せとゆき」は橋の下で行き脚を止めてタグの到着を待ちます。

「かしま」の支援を終えたタグボートは、大急ぎで「せとゆき」のもとへ向かいます。←のシーンは、タグが「すみません!お待たせして…(汗)と言いながら「せとゆき」のもとに大急ぎで駆け付けているいるように見えますねぇ。何とも微笑ましい光景です…タグボートがいるからこそ撮影できる素敵な画もあるのです
ちなみに、このタグボートの名前は「おおい」。「おおい」だからといって、改装すれば酸素魚雷を40門搭載できるようになったりはしません(笑) 船名の由来は大井川からではなく、この近くにある大井町から取ったと考えられます。

「おおい」を伴って「せとゆき」が入港して来ました。
「せとゆき」の遠洋練習航海参加は1995年以来19年ぶり2回目旗艦「かしま」が就役後初めて出る遠洋練習航海にお供しました。この年の航程は世界一周だったのですが、「かしま」にとって「せとゆき」は緊張の初遠航をサポートしてくれた頼りになる姉御なのかもしれません。そして19年の時を経て、今年その姉御と再び遠航に出たことになります。黄金コンビ復活といったところでしょうか。

「せとゆき」艦長は、昨年3月の就任時に話題となった東良子二佐で、女性が遠航部隊で艦長を務めるのは海自史上初となります。「かしま」が史上初めて女性実習幹部を乗せて遠航に出た時の相棒である「せとゆき」が、再び遠航に参加する際に艦長が女性ということに、不思議な運命の巡り合わせを感じます。

「かしま」「あさぎり」は既に接岸を済ませています。少し見にくいですが、「かしま」の後ろにはタグによって艦の向きを変えながら「あさぎり」に横付けしようとしている「せとゆき」がいます。現在の時刻は午前8時54分。「せとゆき」は横付け後に若干の作業が続くでしょうが、3隻の入港・接岸完了がほぼ午前9時という見事なまでに定刻ぴったりの到着です。さすが海上自衛隊!

埠頭では式典の準備が進められています。式典も近くで撮影したいのですが、関係者・実習幹部の家族・慰霊祭参加者以外は会場に入れないので、客船ターミナルのテラスから望遠レンズで式典の模様を撮影します。あるルートを使えば会場に入ることもできたのですが、己の趣味のために関係者でもないのに厳粛な式典会場に入ることは控えるべきだと判断しました。

式典準備の打ち合わせをする幹部たち、そして、その近くを歩いている幹部たち、皆さん袖に4本の金線が付いています。そう、艦隊では雲の上の存在で輝いて見える一佐が、ここではまるで石ころ(例えが悪くて申し訳ありません)のように大勢いるのです。
この場所にいるのは主に海幕勤務の幹部の皆様で、実際に海幕に行けば、各課の課長職や班長職に就いている方を中心に一佐が大勢いらっしゃいます。

旧海軍に関する様々な著書がある元海軍中佐の吉田俊雄氏は、その著書の中で、「少将といえば艦隊では神様だが赤レンガでは若造扱い」と述べています。一佐がインフレ状態の晴海埠頭の光景を見て、吉田氏の著書のこの一節が私の脳裏をよぎりました。
ここには大勢いますが、一佐に昇進するのはかなりの狭き門です。

式典開始1時間前の午前9時半頃になると、取材を行う報道関係者が続々と訪れるようになりました。
新聞や雑誌の記者とカメラマン、在京テレビ局の取材クルー(記者・カメラ・アシスタント)らに混じって、独特の雰囲気を放つカメラマンが現れました。あっ、あの顔は…『不肖、宮島』こと宮島茂樹さんではありませんか!お姿を見れて何だか嬉しいぞ♪

左肩に脚立を背負っている方が宮島氏、宮島氏の前にいる幹部と女性が海幕広報の報道受付担当者です。海幕広報のお二人は、埠頭の入口で報道受付けをしていたのですが、宮島氏が現れると宮島氏に駆け寄り、他の報道関係者には見せなかった丁寧な挨拶をしたあと受付けを行いました。海幕広報にここまでさせるとは…宮島氏がいかに凄い人かを改めて思い知りました

時を同じくして、“海幕の偉い人たち”を乗せた黒塗りの公用車が続々と会場入りします。ダッシュボードに桜星のプレートを掲げているので乗っている人の階級が分かり、ひいてはどの役職の幹部がやって来たのかが分かります。

最初は二つ星のプレートを掲げた公用車が次々とやって来ました。乗っているのは海将補、ということは海幕各部の部長です。
そして午前10時前には四つ星のプレートを掲げた公用車が(←の画像)…乗っているのは海上幕僚長です。後部座席の窓が空いていて海幕長の武居海将の姿が見えたのですが、海幕長の袖章が眩しいくらいに光っていました
実はこの5分後に、同じく四つ星のプレートを掲げた公用車が来ました。もう一人の“海軍大将”・河野統合幕僚長です。

午前10時少し前に儀仗隊音楽隊が入場して来ました。式典が間もなく始まるという雰囲気が高まります。
会場内に献花台が設けられているのにご注目。まず午前10時半から約40分間、艦隊と共に帰国した英霊の遺骨引渡し・供養祭が執り行われ、その後に練習艦隊の帰国式典が行われます。今年の式典は、遺骨引渡し・慰霊祭が厚生労働省の主催、練習艦隊の帰国行事が防衛省の主催という二部構成となっています。

献花台に花が供えられていますが、供えた人の名前を記した札を見ると安倍首相塩崎厚労大臣岸田外務大臣らの名前が記されています。私が今年の練習艦隊帰国行事に遠征した理由には、艦隊と共に英霊が戻って来るのを海自・海軍を研究する者の一人としてお迎えしなければならないと考えたからです。

式典開始15分前、午前10時15分に練習艦隊幕僚・各艦の幹部・実習幹部の入場が始まりました。練習艦隊の全乗組員は720人、うち実習幹部が170人です。実習幹部のうち女性は19人、タイ海軍からの留学生が1人います。ほとんどの実習幹部の階級は三尉ですが、大学院を出ている実習幹部は二尉からのスタートとなります。この練習艦隊には乗っていませんが、医官の実習幹部も二尉です。

実習幹部は防大卒一般大卒がいますが、従来はその割合がほぼ半々だったのですが、昨今の海自人気の高まりから、この数年で一般大卒の割合が防大卒を上回るようになっています。大学生にとって海自幹部は就職先として非常に魅力的に映っていると言えます。う~ん、時代は変わった…。

実習幹部らの整列が完了、遠くから見ても一糸乱れぬ見事な整列です。続いて練習艦隊司令官各艦の艦長が入場します。
司令官の湯浅海将補は50歳で、昨年12月に第2護衛隊群司令から練習艦隊司令官に異動しました。

海自の将来を担う幹部を錬成するとともに、諸外国を巡って使節団的な役割を担う練習艦隊の司令官は、海自の中でも屈指の重要配置です。歴代の海幕長や自衛艦隊司令官には練習艦隊司令官経験者が多数を占めているほどです。とりわけ、湯浅司令官のような海幕補任課長→護衛隊群司令→練習艦隊司令官という経歴は典型的なエリートコースで、恐らく湯浅司令官は12月に海幕の部長職に異動となり、その後海将に昇任すると考えられます。7~8年後には海幕長になっているかもしれません。

乗組員・実習幹部の整列終了後、「かしま」から白木の箱を抱えた乗組員が埠頭に降りてきました。太平洋戦争の激戦地・ガナルカナルで戦死した英霊のご遺骨です。練習艦隊先任伍長を先導役に、各艦の先任伍長と乗組員計10人が連れ帰ったご遺骨を祖国に降り立たせました。

艦隊は9月19日にガダルカナル島のホニアラに寄港、その際に政府が実施する遺骨収集事業でこの1年間に収集された137人分のご遺骨を受領し、本日70年ぶりの帰国を実現させたのです。
これまでは飛行機の貨物室に乗せての空輸だったのですが、今回初めて海自艦艇による遺骨の帰還が実現しました。南洋の島で命を散らした英霊ですが、艦隊で堂々と祖国に帰国したことが何よりの供養になったのではないでしょうか

祖国に帰還したご遺骨に対して練習艦隊の儀仗隊が捧げ銃を実施、続いて1分間の黙祷が行われました。「黙祷!」の号令とともに、私も撮影の手を止めて日本国のために命を捧げた英霊のご冥福をお祈りさせていただきました安らかにお眠りください…。

続いて、「海ゆかば」の演奏が流れるなか、ご遺骨が乗組員から厚生労働省の職員に引き渡されました。練習艦隊としてはこれで“任務”が完了したことになります。「海ゆかば」が流れて埠頭が厳かな空気に包まれる中、私の近くにいるオヤジが、突然「海ゆかば」を歌い始めました。それは英霊の冥福を祈るというよりも、己が「海ゆかば」の歌詞を知っていることを自慢したいような歌い方で、不愉快極まりないものでした。厳粛な式典の最中であることをわきまえろ!(怒)

献花が始まりました。今回のご遺骨の帰国にあたって、遺族ら70人がこの会場に招かれています。遺族による献花に続いて、厚生労働副大臣、防衛政務官、統合幕僚長、海上幕僚の順に献花が行われました。←の画像は武居海幕長の献花シーンです。

激戦地だったガナルカナル島にはまだ多数のご遺骨が眠っています。死したのちも70年もの長い間祖国に戻れない戦死者のご無念を思うと、今回の練習艦隊のように、毎年自衛艦に乗せて祖国に戻らせてあげて欲しいと願わずにはいられません。飛行機の貨物室に入れての空輸は、あまりにも不憫ではないでしょうか。政府関係者の善処を切に望みます
今年度の実習幹部はご遺骨の帰還任務に携わって、我が国の平和と繁栄が尊い命と引き換えである事を実感したことでしょう。

慰霊祭終了後、引き続いて練習艦隊の帰国式典が執り行われました。湯浅司令官が原田防衛政務官に帰国を報告します。
「練習艦隊総員720名ただいま帰還。人員、武器異常なし!」

このあと政務官が挨拶をしたのですが、何と言ったのか覚えていません (苦笑) 記憶に残っていないということは…その程度の挨拶でした。
原田政務官は比例近畿ブロック選出の衆議院議員で当選2回、経歴を拝見すると党(自民)の国防部会長代理を務めた経験があり、全く畑違いのポストに就いた訳ではなさそうです。
国会開会中につき、防衛大臣は多忙で式典に出席できないのだと思われますが、実習幹部が晴れて一人立ちする節目の日なので、政務官ではなくせめて副大臣に出席して欲しかったです。私の隣で式典を見ていた人も、「政務官か…」と呟いていました。

武居海上幕僚長が実習幹部に対して訓示を述べます。
「諸君が今回の遠洋練習航海で培った知識と技能を活かして、配属先の部隊で活躍することを切に期待する」。

武居海幕長は10日前の10月14日に海幕長に就任したばかりで、海自の公式行事に海幕長として参加するのは、恐らく今日が最初ではないかと思われます。光輝く袖章が眩しいぜ…。
実は私、12年ほど前に武居海幕長が第1護衛隊司令の職に在った時にお会いした事があり、その時から「この人は将来、海幕長になるだろうなぁ…」と思っていました。司令職のあと、海幕装備体系課長・海幕管理部副部長・統幕指揮通信システム部長・呉幕僚長・海幕防衛部長・大湊総監・海幕副長・横須賀総監と、まさに海幕長へ直行する経歴を歩みました。

式典の最中に気になる光景が…。クロネコヤマトの大型トラックが埠頭に入って来たのです。一瞬、「宅急便のお兄さんが道を間違えて進入してきたのか?」と思ったのですが、ちゃんと海自隊員が誘導しているではありませんか。ということは海自がクロネコヤマトを呼んだということになります。なぜ?Why?

考えられるのは、この晴海埠頭から任地に赴く実習幹部の荷物を受け取りに来たということ。万事において迅速・スマートを好む海自ですから、埠頭から直で赴任先の艦や部隊に荷物を送り、実習幹部は身軽な状態で艦隊を降りて任地に向かう算段なのだと思われます。考えてみれば自衛隊は頻繁に異動があり、特に幹部は1~2年おきに必ず異動があります。ヤマト運輸をはじめとする運送業界にとって自衛隊は巨大なお得意様と言えます。

式典終了後、実習幹部は退艦準備のために一旦「かしま」に戻ります。艦に戻る実習幹部には、式が終わった安堵感がそこはかとなく漂っているようでした。そんな実習幹部の姿を、宮島氏が柵にへばり付きながら撮影している様子にご注目!宮島氏はどのカメラマンよりも精力的に会場を動き回って撮影をしていました。さすがです!

実習幹部は、パイロット要員などを除いて本日ただちに配属部隊・任地に向かいます。若い幹部が即日赴任するのは帝国海軍以来の慣習です。旧海軍の時代は、異動する士官が懇ろな仲になった女性と別れを惜しむことができるように日付が変わる直前に呉や佐世保を出発する列車がありました。“別れの行事”の後にこの列車に乗れば即日赴任したとみなされていました。

実習幹部はいったん艦に戻りましたが、約20分後に乗組員による登舷礼で見送られながら艦を降り、約半年間に渡ってお世話になった練習艦隊に別れを告げました
実習幹部たちにとって練習艦隊は艦隊ではありますが、洋上の学校第二の幹部候補生学校というべき場所であり、時に厳しく、時に優しく指導してくれた乗組員との別れは、さまざまな想いが胸に込み上げてくるのではないでしょうか。

練習艦隊でお世話になった司令官・幕僚・乗組員の期待に応えるべく、実習幹部たちには赴任先の部隊で頑張って欲しいと思います。そして一人の艦艇マニアとしては、いつの日か、立派な幹部となった実習幹部の皆様と艦艇公開や体験航海等でお会いできることを心から楽しみにしております

半年間の遠洋練習航海で培った技量と今日の感動を糧にして、実習幹部たちよ大きく羽ばたけ!