平成29年 阪神基地隊年末行事

12月9日に開催された阪神基地隊の年末行事(餅つき大会)に参加しました。
500人もの関係者が出席した行事の模様と在泊していた艦艇をご紹介します。

12月9日午前10時、私は神戸市東灘区にある阪神基地隊にいます。阪神基地隊と言えば、過去に何度も夏のイベントで訪れていますが、年末も間近な冬の時期に遠征したのは、この時期の隊の恒例行事である年末行事(餅つき大会)に出席するためです。私はその年末行事に、隊のトップである阪神基地隊司令直々の招待によって出席することになったのです。嗚呼、何という光栄…♪

振り返ってみると、2017年シーズンは当HPを開設して以来最も取材・撮影活動が少ない一年でした。幸か不幸か、本職の方で昇進したため夏から秋にかけての時期は業務に忙殺され、加えて海自も弾道ミサイル警戒と尖閣警備等により夏のイベントが極端に少なかったためで、この神戸遠征は4月の舞鶴教育隊入隊式以来の久しぶりの取材・撮影となります。それだけに気合も十分です!

私を年末行事にご招待してくださった阪神基地隊司令・深谷1佐です。もうお分かりだと思いますが、4月に挙行された舞鶴教育隊入隊式のレポートでご紹介した当時の舞鶴教育隊司令です。舞鶴教育隊で“校長先生”の任にあった深谷一佐ですが、8月1日付で1等海佐が就く最高配置である阪神基地隊司令に着任しました。

既に何度か述べていますが、深谷1佐は私の大学の先輩(学部も同じ)にあたり、ちょうど入れ違いで卒業・入学したために在学中の面識はなかったものの、後輩として可愛いがっていただいております。“本流”である防大卒の幹部をも凌ぐ経歴と活躍ぶりは、我が事のように嬉しくかつ誇りに思っています。と同時に、深谷1佐の活躍ぶりを知って、現在母校で学ぶ後輩たちが人生を賭ける就職先として海自幹部を選択することを願ってやみません。

年末行事は午前11時30分スタートです。それまでに約1時間半もの時間があるので、阪神基地隊に在泊している艦艇を見学します。おぉ、佐世保からDDG「しまかぜ」が来航しています!某オンラインゲームの影響で海自屈指の人気者となった当艦ですが、ゲーム内のキャラクターとは対照的に、間もなく艦齢が30年に達する“お婆さん”です(1988年3月就役)。

思い起こせば1990年ごろ、当時まだ最新鋭艦だった「しまかぜ」が呉で一般公開を行ったものの見学者が誰も来ず、艦の前で乗組員が「お兄さん、最新鋭の本艦をぜひ見てよ!」と懸命に“客引き”をしていたことを鮮明に覚えています。あれから30年近い歳月が経ち、艦艇公開には入場規制がかかるほど見学者が殺到する昨今の状況に隔世の感を覚えます。
果たしてそれがいいのか、悪いのか…

「しまかぜ」に乗艦。前部甲板に設置されたミサイル発射機です。展示用に模擬のミサイルが装填されていますが、獰猛なサメを模したようなペイントが何とも愛嬌があって笑えます。この発射機、名をMK.13 mod.4といい、米国で開発された艦対空ミサイル発射機で、本艦ではスタンダードSM‐1ミサイルを運用します。

前世代の「あまつかぜ」と「たちかぜ」型DDGのミサイル発射機は後部甲板に設置されていましたが、ミサイル射界が後方に限られるため、本型では前部に発射機を設置し、「あまつかぜ」「たちかぜ」型(3隻)とペアを組むことで前後両方の射界確保を目指しました。したがって本型は同型艦4隻の建造が計画されましたが、DDGがイージスシステム搭載艦に移行することになったため、「はたかぜ」と「しまかぜ」の2隻の建造で打ち切りとなってしまいました。

「しまかぜ」艦上で第4護衛隊群司令・福田将補とお会いしました。実は私、1月に防衛省を訪問した際に、CTF151司令官に内定して事前打ち合わせで来庁していた福田将補とお会いし、ご挨拶させていただきました。その時以来の11ヶ月ぶりの再会です。
「4ヶ月間に渡る司令官の任務、お疲れ様でした」と労をねぎらうと、福田将補は「一時活動を潜めていた海賊が、再び活発に活動するようになって大変でした」と、任務にあたった感想を話してくださいました。福田将補は防大34期生、年齢は私と僅か1歳違い。海賊対処の司令官と海自マニア…随分人生に差が付いています
(笑)

福田将補は日本人2人目のCTF151司令官で、初代は私が尊敬申し上げる伊藤将補(
国家安全保障局審議官)でした。両人とも人格・見識ともに素晴らしく、まさに「男の私が憧れる男」です。

「しまかぜ」艦内です。上甲板から艦橋構造物に入ってすぐの場所です。ここからラッタルを昇って艦橋に上がりたかったのですが、残念ながら艦橋は自衛隊入隊希望者・入隊予定者を対象にした特別公開中だったので見学することはできませんでした…。

壁には艦名プレートと各級指揮官・艦三役(艦長・副長・先任伍長)の顔写真が掲示されています。今では艦内ですっかりお馴染みの光景ですが、顔写真が掲示されるようになったのは今から15年ほど前からで、それ以前はどの艦でも顔写真の掲示はありませんでした。顔写真の掲示は多分に米海軍の影響だと思われます。一番上は群司令の福田将補、二段目は第8護衛隊司令・大谷1佐、三段目中央は艦長の前久保1佐です。隊司令の大谷1佐は女性艦長として注目を集めた大谷2佐の旦那様でもあります。

おぉ、潜水艦もいるぞ!「しまかぜ」の後部甲板に足を踏み入れた途端、接岸している潜水艦の姿が目に飛び込んできました。
この特徴的なX舵は「そうりゅう」型潜水艦で、本艦は4番艦の「けんりゅう」(第3潜水隊所属・呉)です。この角度から眺めるとX舵は迫力満点、俊敏な運動能力を有する龍といった佇まいです。

AIP機関X舵といった新機軸を有し、またその艦名で登場時に大きな注目を浴びた「そうりゅう」型潜水艦ですが、早いもので8番艦までが就役し4隻が建造中です。11番艦と12番艦は水中持続力向上のためAIP機関を廃止し、代わりにリチウムイオン蓄電池が搭載されます。「そうりゅう」型はこの12番艦までで建造終了となり、次タイプ(3000t型)の建造に移行します。3000t型はほぼ同じ外見ですが、多くの次世代技術が盛り込まれる予定です。

「しまかぜ」を降り、「けんりゅう」の正面に回りました。船体に架かる桟橋の幕に記されているように、「けんりゅう」は漢字で書くと「剣龍」で、武力の象徴である剣のような「勇猛果敢な龍」という意味が込められています。個人的には、現在8隻ある同型艦のうちで最も力強い艦名だと思っています。他は力士みたいな艦名が多いし…(笑)

後部甲板上には高校生らしき人の姿が見えます。入隊希望者を対象にした艦内公開を行っているようです。現防衛大綱により22隻体制への増勢が進められている潜水艦部隊ですが、艦の増加に乗組員の養成が追い付いていないのが実情です。また要員確保も切実な問題で、超閉鎖的な空間で不自由な生活を強いられる潜水艦に、例え45%もの航海手当が付いたとしても若者に魅力を感じてもらえるかどうか、潜水艦関係者は強い危機感を抱いています

おや?「けんりゅう」が接岸している岸壁に袖に三本の金線が入った2佐の幹部がたくさんいます。ざっと数えて8人ほど。「けんりゅう」にこんな多くの2佐が乗っているはずはありません。不思議に思って名札を拝見すると、「くろしお」「まきしお」といった他潜水艦の艦長であり、さらに「せいりゅう」「しょうりゅう」という現在艤装中の艦の艤装員長(=艦長予定者)までいるではありませんか。これらの艦は現在神戸の造船所(三菱・川重)にあり、年末行事に参加するために造船所から駆け付けてきたとのことです。

艦長なのですから暖かい隊庁舎で待機してもいいのに、皆さん将来のサブマリーナを確保したい想いからか、寒風吹く岸壁で入隊希望者やその親、引率の教師らに潜水艦について説明をしていました。そんな艦長たちの姿に要員確保の切実さを実感しました。

こちらは阪神基地隊の隷下部隊であり、隊唯一の水上部隊である第42掃海隊「なおしま」と「つのしま」です。各地方隊に1個隊ないし2個隊配備されている掃海隊ですが、呉地方隊は呉ではなく、ここ阪神基地隊に掃海隊を置いています。主任務は大阪湾とその周辺部における機雷処分ですが、管内にある離島や沿岸僻地への災害派遣・物資輸送など様々な任務を背負っています。

主任務の機雷処分ですが、ここ数年ほどは管内で大戦中の機雷が発見されていないため処理実績はありませんが、数年内に大阪湾の埋め立てや開発が再び活発化するのに伴い機雷の発見も想定されることから、日々練度向上に励んでいるということです。
潜水艦乗りの深谷司令にとっては初めて指揮下に持つ水上部隊であり、「とても頼りにしている存在」と話していました。

午前11時20分、開会10分前になったので年末行事の会場へ。場所は隊庁舎北側(山側)にある体育館(イベント時に利用する売店がある建物)です。広い会場は既に大勢の出席者ですし詰めの状態。司令によると出席者は500人にものぼるとのこと。すごい人数!

この年末行事、副題に「餅つき大会」とあるように、元々は支援団体や地域の関係者を招いての小規模な餅つき大会でした。ところが年月が経過して隊も歴史を重ねるに連れて出席者も増加、今ではご覧のような年末の大規模イベントとなった次第です。
出席者は歴代司令をはじめ海自OBや水交会・隊友会会員、行政関係者、造船所等のメーカー関係者、保険会社等の隊に出入りする企業関係者、さらには私のような隊幹部の関係者など超多彩!この行事、出席者の名札を見るだけでも十分楽しめそうです

まず最初に、阪神基地隊司令・深谷1佐が挨拶を行います。4月の舞鶴教育隊入隊式では、教育隊司令として壇上から威厳に満ちた訓示を行った深谷司令ですが、今回はパーティーの主催者のようなソフトな雰囲気で壇上に立っています。司令は米海軍太平洋艦隊司令部米中央軍司令部で連絡官として勤務するなど海外勤務が長かっただけに、このような行事の挨拶はお手のものなのかもしれません。挨拶する姿に海外仕込みの端正さを感じます。

「隊員は海賊対処や警戒監視など日夜様々な任務に就いていますが、活躍の場が皆様の目が届かない海上だけに、このような場を通じて海上自衛隊への理解を深めていただければ幸いです。本日は護衛艦「しまかぜ」と潜水艦「けんりゅう」も寄港しています。この機会にぜひ『インスタ映え』する写真を撮っていだだければと思います」(要約)

会場はすし詰めの状態で、食事にありつこうにも人が多過ぎてテーブルに付くことすらままなりません。もとより、私はご馳走に興味はありません。カメラ片手に会場を巡回し、出席者の名札を眺めてまわります。他の出席者から見ると完全に怪しい奴です(笑)

私は各級指揮官や大型艦の艦長経験者のお名前は過去15年分くらいは概ね記憶しているのですが、出席者の中には元司令官や元群司令、元幹部学校長といった将官OBや、「はるな」「しらね」「むろと」等の艦長OBがいて、発見するたびに「おぉ!この人が〇〇さんか!」と心の中で歓喜の声を挙げていました。
まさに不審人物…出席者の中に、5年前の夏に地元でお会いした当時の4護群司令・大津将補がいらっしゃいました。以前お会いしたことを説明すると私を思い出してくださり、貴重なお話を伺うことができました。

500人もの関係者が出席する一大行事になっても、原点である餅つきは行われています。関係団体の代表や国会議員らが壇上に上がり、昔ながらの杵と臼を使って餅をつきます。杵が振り下ろされるたびに、会場からは「よいしょ!」と威勢の良い掛け声が挙がり、深谷司令も笑顔でその様子を見守っています。この壇上で餅をついているのは所謂VIPの方々なのですが、私もいつの日か法被を着て壇上で餅をつくような身分になりたいと思うのでした(笑

そういえば、このように杵と臼で餅をつく光景はイベント以外ではめっきり見なくなりました。私が幼少の頃(昭和40年代中後期)は、割と一般の家庭でも杵と臼を使って餅をついていた記憶があります。この餅つきは、杵を振る人と臼の餅を返す人の呼吸が合わないと大惨事になるんですよねぇ…懐かしい記憶が甦りました。

ご馳走には興味がないと言いましたが、実は私、楽しみにしていたフードがあります。今や人気ブランドと化した海自カレーです。この年末行事をネットで事前に調べたところ、艦・部隊のカレーが何種類か出されることを知り、ぜひとも食べねばと思っておりました!
カレー提供コーナーでは、「しまかぜ」と阪神基地隊の法被を着た隊員がテキパキとカレーを盛り付けています。どうやら「しまかぜカレー」「阪神基地隊カレー」が楽しめるようです♪♪

国民の誰もが大好きなカレーライスですが、一般の家庭で食されているカレーは、実は帝国海軍のカレーが戦後に元海軍軍人らによって家庭に広められたものです。インド伝来ではありません。海軍カレーの源はシチューを日本人向けに改変したもので、牛肉やジャガイモ・ニンジンなどシチューと具が同じなのはそのためです。

では、さっそくカレーをいただきましょう!まずは「しまかぜカレー」。ん?このカレー、甘くて美味しい!
カレーですから基本的には辛いのですが、その辛さに続いて心地良い甘さが口の中に広がります。甘いと言っても決して子供向けの甘さではなく、カレーの辛さを上品に引き立てる甘さです。これまでにどの艦でも味わったこのとない新境地のカレーです。と同時に、この味は何杯おかわりしても飽きを感じないでしょう。

盛り付け作業中の乗組員に尋ねたところ、隠し味としてフルーツをふんだんに投与しているとのこと。なるほど、フルーツの甘さなのか…。「こんごう」を筆頭に佐世保籍の艦のカレーはレベルが高いと言われていますが、この「しまかぜカレー」も例外ではありません。無骨な外観の「しまかぜ」ですが、カレーの味はとても上品です。

続いて「阪神基地隊カレー」。深谷司令をはじめ阪神基地隊勤務の隊員が毎週金曜日に食べているカレーです。ジャガイモが大きな塊で入っていることに加え、スパイシーな香りが鼻孔を刺激します。
では、いただきます…こちらは辛くて美味しい!
一口食べるとスパイシーな辛さと香りで口内が支配されます。少しピリッとくる辛さが病みつきになりそう…。これはご飯がすすむ!

阪神基地隊のスパイシーなカレーは、「しまかぜ」とは対極に位置するカレーといえます。今年のカレーは「辛い」「甘い」という対照的な2品を提供して、出席者に違いを楽しんでもらおうという趣旨が込められているのかもしれません。ちなみに、会場には別の場所に「けんりゅう」のカレーコーナーがあったのですが、存在に気付いた時には既に品切れでした。潜水艦のカレー、食べたかった…
(涙)

会場ではカレー以外にも、うどん天ぷら出席者がついた餅が提供されています。こちらはうどんコーナー。寒い時期だけに皆さん温まるフードをお望みのようで、うどんコーナーはカレーよりも長い列ができるほどの人気ぶりでした。ちなみに、うどんも天ぷらもとても美味しく、特に揚げたての天ぷらは最高でした。熱かったけど…

これらフードコーナーで調理にあたっているのは、阪神基地隊と第42掃海隊など隷下部隊の給養員たちです。美味しいうどんや天ぷらをテキパキと作りあげるその姿に、拍手を送りたい気持ちになりました。一方、給養員以外の隊員は会場を巡回しながらドリンクを配ったりゴミを回収したりと、これまたテキパキとした働きぶり。副長・川端1佐の指揮の下、基地隊の隊員たちはホスピタリティ精神を遺憾なく発揮していました。素晴らしいぞ、阪神基地隊!

会場出入口の横には、行事に出席している幹部の制帽が並べられています。庇に桜葉模様(通称:カレーライス)が付いた制帽がこれだけの数並んでいる光景は、なかなか壮観で心が躍ります。
どの制帽が誰の物かは分かりませんが、前列左端にある桜葉模様がひと際多い制帽が福田将補の物であることだけは確かです。

こうして見ると、同じ海自の制帽でも、帽章や桜葉模様の色が微妙に異なることがお分かりいただけると思います。これは材質による色の違いで、制帽には帽章と桜葉模様に金糸を使用した「高級仕立て品」とモールを使用した「通常品」の二種類があるのです。呉の制帽販売店に以前聞いた話では、高級仕立てを選ぶ幹部が圧倒的に多いということです。画像の制帽では後列一番手前と6番目、7番目、9番目が通常品、それ以外が高級仕立て品です。

主催者である深谷司令のもとには、開会直後から閉会直前まで様々な立場の出席者がひっきりなしに訪れ、挨拶を交わしたり、懇談したりしていました。行事終了後、深谷司令の手元には膨大な数の名刺が集まっていました。私なんて10人と名刺交換すると半分くらいは顔と名前が一致しません。というか、顔すら覚えていない場合も多々あります。深谷司令はどうなんでしょうか?

阪神基地隊は大阪湾と播磨灘、紀伊水道の警備を担当する部隊ですが、関西における海自の窓口的な役割も担っていることから、基地隊司令は地域と密接な関係を築いておく必要があります。この点が、同じく最古参の1佐が就く潜水隊群司令や教育航空群司令などとは大きく異なります。司令は前々配置が鹿児島地本本部長だっただけに、その経験が今に生きているということです。

4護群司令・福田将補もこの行事に出席しています。福田将補のCTF151司令官としての活躍を知っているためか、はたまた輝くベタ金の階級章に引き寄せられるのか、深谷司令同様に常に出席者に囲まれていました。防大34期生の一選抜(=トップ)で将補に昇進して群司令を務める超エリート幹部ですが、大阪出身で、防大生時代には落語研究会に所属していたこともあり、とても気さくで話も面白いおじさんお兄さんです。会ったらぜひ話しかけてみてください。

行事には基地隊隷下部隊の指揮官と先任伍長、先に紹介した潜水艦艦長、「しまかぜ」艦長らも出席していたのですが、常に出席者に囲まれており、近づくことすらままなりませんでした。そんな状況でも人が途切れたタイミングを見計らい、「くろしお」艦長・堀内2佐仮屋磁気測定所長・古池2佐からお話を伺うことができました。

「くろしお」艦長・堀内2佐は39歳という若い艦長で、精悍な雰囲気がとても素敵でした。「くろしお」は来年3月末まで入渠中で、堀内艦長は部隊復帰後の練度回復訓練に意欲を燃やしていました。「『くろしお』という名誉ある艦名に恥じぬよう頑張ります!」。
一方、仮屋磁気測定所長の古池2佐はとても温厚そうな方で、一見すると学者のような雰囲気をお持ちの方でした。測定所の役割艦艇が帯びる磁気について丁寧に説明していただきました。

現役幹部から聞く話はとても貴重で面白い!もっと多くの幹部に話を伺いたかったのですが、あっという間に終了時刻の午後1時になってしまいました。出席者全員で万歳を三唱して行事はお開きに。500人による万歳三唱はなかなかに壮観な光景です。
1時間30分があっという間でした。来年もぜひ出席したいです…

行事終了後、司令の執務室にお邪魔しました。とても広くて綺麗な部屋です。面積は、海幕の部長室よりも遥かに広いです。京阪神地区における海自の代表者という格式に応じた執務室と言えます
この部屋は隊本部庁舎の二階にあり、廊下を挟んで反対側には副長の部屋があります。庁舎は6階建てで、低層階には司令室・副長室のほか、基地隊各科のオフィスや第42掃海隊の事務所などがあり、上層階は独身曹士用の居住区となっています。

現在の庁舎は、1995年1月の阪神・淡路大震災で当時の庁舎が大被害を受けたことから今の場所に移転新築、97年12月に完成しました。旧庁舎は現在のヘリポートとテニスコートの境目あたりにあり、向きも南向きでした(現庁舎は東向き)。庁舎以外の建物と設備も同時に新築され、震災前とは全く異なる基地となりました。

司令室の入口横には歴代司令の氏名が掲示されています。現司令の深谷一佐は41代目で、歴代司令には現海幕長の村川海将(34代)をはじめ、古庄海幕長(28代)、高島潜水艦隊司令官(38代)らそうそうたる顔ぶれが名を連ねています。歴代司令の顔ぶれを見ても、阪神基地隊の部隊としての重要性が分かります。

基地隊司令は先々代までは海将補の配置で、護衛隊群司令・航空群司令・総監部幕僚長等の職にある海将補が異動してきていました。2015年に改編された海洋業務・対潜支援群の司令に海将補を充てたため、将官定数の関係から阪神基地隊司令は1佐の配置に変更されました。現在は1佐職の最高配置であり、前任の山崎1佐も退任前ではありますが海将補に昇任していることから、深谷司令も在任中に海将補に昇任する可能性があります。

司令執務室に隣接する応接室で記念撮影。背後の壁に懸かっているのは東郷平八郎元帥の肖像で、隣の「一死報国」の書も東郷元帥が揮毫したものです。応接室はとても広く、総監部の応接室かと見間違うほどの立派さです。単なる部隊ではなく京阪神地域と深い関わりを持つ故に、応接室も広く立派なのだと思われます。

8月の異動で舞鶴教育隊司令から基地隊司令に就いた深谷1佐ですが、教育隊司令が“校長先生”的な配置であったのに対し、基地隊司令は部隊指揮官であり、呉地方総監の名代であり、さらには地方協力本部長のような役割をも果たさねばなりません。それだけにその職責は非常に重いものがありますが、我が母校のOBとして、さらには今や初任幹部の半数を超えるまでになった一般大出身幹部の先任者として、ご活躍されることを願ってやみません。

司令室から眺める接岸中の「しまかぜ」です。基地隊司令でなければ見ることができない贅沢な眺めです。
手前の敷地内には明日開催されるウインターフェスタ用のテントが既にスタンバイされています。明日は基地内や「しまかぜ」艦上は大勢の市民やマニアらで賑わうことでしょう

阪神基地隊は広報やイベントにとても積極的で、艦艇不足により各地で広報・イベントが中止される昨今においても変わらぬその姿勢から、今や“海自ファンの聖地”との認識が広がっています。
広報に積極的な理由は、阪神・淡路大震災を経験して地域や市民とコミュニケーションを図る事の重要性を学んだことがあります。深谷司令も広報の重要性を理解しており、可能な限り広報行事を開催していくとのこと。今後も阪神基地隊から目が離せません!

阪神基地隊年末行事で多くの出会いと収穫あり。今シーズン不完全燃焼の鬱憤も吹き飛びました♪