八戸港 新DD「しらぬい」公開

2月末に就役したばかりの最新鋭DD「しらぬい」が公開されると聞き、6年ぶりに八戸に遠征しました
いまや貴重となった昔ながらのスタイルで実施された一般公開に心を躍らせた模様をお伝えします。


青森県八戸市にやって来ました!!これまた久しぶりの東北遠征です。東北は2016年6月の大湊遠征以来3年ぶり、八戸へは2013年9月のマリンフェスタ以来、実に6年ぶりとなります。随分と間隔が空いてしまいましたが、八戸への遠征は今回が通算3回目で、遥か1850km離れた場所に住む九州人が八戸を3度も訪問するのは、「かなり多い」という部類に入るのではないでしょうか…。

ホテルを併設した白一色の八戸駅も変わらぬ佇まいです。ただ、6年も経つと駅前の樹木が成長して若干大きくなったような気がします。さて、私がここ八戸を訪れたのは、2月末に就役したばかりのDD「しらぬい」の一般公開が実施されるためです。就役後に大湊に配備されたため私の地元・大分に来航する機会は当分なさそうなので、私の方から「しらぬい」の地元に‟迎撃”に出たのです。

一般公開は明日(6月29日)ですが、私が前日に八戸入りしたのは、あわよくば「しらぬい」の入港シーンを撮影しようと目論んだため。さっそく駅前でレンタカーを借りて、「しらぬい」が入港する八戸港八太郎4号埠頭へと向かいます。

なんだ、もういるじゃねぇか!!(苦笑) 私は「しらぬい」の入港は午後3時頃と予想していたのですが、八太郎4号埠頭に着いた午後2時過ぎには、まるでここが母港であるかのように「しらぬい」が接岸しているではありませんか。あぁ、遅かったか…(涙)

埠頭には明日に向けて既にテントが用意されているほか、乗組員が市街地に出るために利用するのか、タクシーが数台待機しています。「しらぬい」がいつ八戸に入港したのかは分かりませんが、既に落ち着き払ったこの雰囲気を鑑みると、もしかしたら訓練中の休養を兼ねて昨日か一昨日には入港していたのかもしれません。「しらぬい」さん、はじめまして
(ペコリ)
私の目論見をあっけなく粉砕した「しらぬい」さん、いたずら気な表情で「八戸へようこそ」と私に語り掛けているように見えます。

仕方がないので、余った時間で“陣地転換”しながら接岸中の「しらぬい」を撮影していきます。やや距離がありますが「しらぬい」を正面から捉えてみました。八太郎4号埠頭は長大な埠頭で、西半分は隣接する工場(三菱製紙)の専用埠頭となっているようです。
三菱製紙の貨物船と比べると、軍艦(しらぬい)の船体色がいかに目立たず、特に今日のような曇天の際には空や海の色と同化することがよく分かります。海自艦が纏っているあのネズミ色は塗装は、陸で言うことろの迷彩色に相当するのです。

手前の三菱製紙の貨物船は、私が呉遠征の際によく利用するスオーナダフェリーの主力船「ニューくにさき」とそっくりの形状をしています。恐らく造船会社が同じで、船倉を物資積載スペースにすれば貨物船、車両甲板にすればフェリーになるのだと思われます。

撮影ポイントを移動中に少々変わった場所を見つけました。駐車場のようにも見えるただ舗装されているだけの広大な敷地…しかもその舗装面ににはなだらかな傾斜がついています。私の記憶では以前ここは運動公園で、野球グラウンドや樹木が茂った緑地があったような覚えがあります。立てられている看板には「北沼港湾公園」という名称と「津波発生時、車両をグラウンド内に一時保管できます」と記されています。どうやら、かつてあった運動公園を取り壊し、高さをかさ上げしてこの一帯で稼働している業務用車両の避難所として再整備したようです。敷地に傾斜がついているのも納得です。津波警報が出たら周辺の工場で稼働中の車両をここに避難させ、従業員はさらに高い場所に逃げるという仕組みになっているのでしょう。東日本大震災の教訓から生まれた施設といえます。

さらに気になるのは右手にある背の高い構造物。頂部には数多くの照明が取り付けられているので何らかの照明用施設?もしかして北沼港湾公園用の照明なのか?ただ、車両避難用の施設にこのような大掛かりな照明が数基も必要とも思えないし…。

構造物の正体を気にしつつも、北沼港湾公園近くの岸壁から「しらぬい」の撮影を続行します。「しらぬい」は最新型DD「あさひ」型の2番艦で、今年2月27日に就役しました。艦名の「しらぬい」(不知火)は、旧暦の7月に有明海や八代海に突如出現する不思議な火のことで、帝国海軍の駆逐艦(東雲型4番艦・陽炎型2番艦)を含めると本艦で三代目となります。1番艦が「あさひ」だったことから2番艦は「はつひ」であろうとの大方の予想を裏切って「しらぬい」と命名された時には、椅子から転げ落ちるほど驚きました

こうして見ると、前型式「あきづき」型によく似た艦容をしていますが、レーダー(FCS‐3の改良型=OPY‐1)のアンテナを艦橋構造物に集中配置したことから、「あきづき」型よりも艦橋構造物(特に上部)が大型化しています。私にはこの姿が、巨大で奇抜な髪形によって独特な存在感を放った女優の塩沢とき(2007年死去)のように見えて仕方がありません(笑) 塩沢ときをご存じない方は検索を。

撮影した画像をチェックしていたら頭上から強烈な爆音が…驚いて見上げると哨戒機P‐3Cが私の直上を低空飛行しているではありませんか!!そ、そうだ!八戸は海自航空部隊の北の拠点だった!私は艦艇を撮影するために八戸に遠征していますが、八戸には海自の航空基地(八戸航空基地)があり第2航空群が所在しています。いわば、八戸は「航空基地の街」なのです。

海自の主な基地といえば、横須賀・呉・佐世保・舞鶴・大湊という「軍港」が思い浮かびますが、航空部隊の視点で考えると、主要基地とは八戸のほか厚木岩国鹿屋那覇館山大村ということになります。もし私が航空機マニアだったら、もっと頻繁にこの八戸に遠征していたのかもしれません。この機体、時刻を考慮すると北方海域への哨戒任務を終えて帰投したものと思われます。

私の頭上を通過したP‐3Cは、先ほどから存在が気になっていた構造物の上をローパスして基地へ着陸していきました。そうか、あの照明塔のような構造物は滑走路への誘導灯だったんだ…納得。八戸航空基地は八戸港を見下ろす高台に位置していていることから、あのような場所にあのような高さの誘導灯があった訳なのです。それにしても低空飛行で通過するP‐3Cは圧倒的な迫力でした。このあとも何機か帰投する機体があるのではと思い岸壁で待ってみたのですが…帰投したのはこの1機だけでした。残念!

第2航空群は群司令部、第2航空隊、第2整備補給隊、八戸航空基地隊で構成されていて、哨戒機P‐3Cを20機擁して北日本周辺の海域を空から監視・警戒しています。また気象庁への業務支援として、昭和35年から冬季に北海道近海の海氷観測を実施しています。「しらぬい」を撮影しに来たのにすっかりP‐3Cに魅了されてしまいました。9月の航空祭に遠征しようかなぁ…。

「しらぬい」を撮影し終え、帰投するP-3Cもないので宿泊先のホテルに向かうことにします。途中、今後の遠征時の参考になればと思い、レンタカーで八戸港一帯を巡ってみました。その時に立ち寄った場所のひとつ、八戸港フェリーターミナルです。カーナビを使った場合、「八戸港」と入力すると、カーナビはかなりの高確率でこの場所に案内しようとするのでご注意を!

川崎近海汽船が運航する苫小牧航路が1日に4便あるほか、同じく川崎近海汽船が運航する室蘭-宮古航路が週に6便寄港します。


翌日、満を持して一般公開が実施される八太郎4号埠頭へ。そこには「しらぬい ようこそ八戸港へ」と記された大きな看板が。よく見ると八戸市のマークが入っているので、市は「しらぬい」を歓迎するためにわざわざこの看板を製作したようです。力入ってるなぁ…。

この八太郎4号埠頭に足を踏み入れるのは2011年7月の遠征以来となります。この時は第3護衛隊に所属する「あたご」「まきなみ」「せとぎり」という3隻が入港し、初日に一般公開が、2日目に体験航海が実施されました。当時の主力艦が3隻も、しかも一般公開と体験航海の二本立てというイベントは、今では考えられないほど豪華かつ充実した内容です。あぁ、あの頃は良かった…。

一方、ここ数年は任務増大に伴う艦艇不足で艦艇イベントは縮小の一途を辿っており、地方のイベントは護衛艦1隻を招聘するのに四苦八苦という有様。まだ護衛艦が1隻でも来航すればマシな方で、特務艦艇・支援艦艇すら招聘できずに支援船YDT(水中処分母船)まで各地で駆り出される始末。この状況、主力艦がことごとく沈んでしまった昭和20年頃の帝国海軍を見ているようです。

昨今の艦艇ブームによって殺人的な数の来場者が押し寄せる一方で、隊員の確保に頭を痛める海自当局はその両方を一挙に解決すべく「募集対象者のみを対象にした特別公開」という方式を編み出し、あっという間にそれが定着。いまや私のようなおじさんマニアは、艦に乗っても上甲板を一周することしかできません。そんななか、今回の八戸港は「しらぬい」という大注目の最新鋭艦が来航、しかも特別公開が無いという情報を掴んだことから、飛行機と東北新幹線を乗り継いで1850kmの距離を遠征した次第です。


一般公開の開始は午前9時からですが、ご多分に漏れず公開開始直前には乗艦待ちの列が発生しています。並ぶのはあまり好きではないのですが私も列の一員に加わります。現在時刻は午前8時50分、つまり開始10分前なのですが先頭からそんなに離れていないこの位置でOKなのです。これが都市部ならこの時点で300~400mにも達する長大な列が形成され、乗艦待ち時間が1~2時間程度にまで達していることでしょう。やっぱり東北はいいわ!もしかして東北地方はマニアにとっては「最後の楽園」なのかもしれません。

艦名が「しらぬい」だけに、DDH「かが」公開時のように多数の艦これグッズを身に纏った現実と虚構の区別がつかないオタク連中が押し寄せるのではないかと心配しましたが、ここに並んでいる人を見る限りそのような人はいないようです。素晴らしいぞ、八戸!

おや?2佐の幹部がいるぞ…(矢印)。その幹部は乗艦開始待ちの列を嬉しそうな表情で眺めたり、打ち合わせをしている乗組員に気軽に話しかけたりと‟とても気さくなオヤジさん”といった雰囲気です。でも、よくよく考えると、今この岸壁において2佐の幹部といえばどう考えても「しらぬい」の艦長としか考えられません。目を凝らして右胸の名札を見たところ「しらぬい艦長」の文字が…そう、この方が「しらぬい」初代艦長の高須賀2佐です。高須賀2佐は防大33期生、以前お世話になった齋藤将補(現海幕防衛部長)と同期です。まさにベテランの船乗りであり、「しらぬい」の初代艦長(=艤装員長)に充てられたのもその経験を買われたのだと推測されます。

それにしても、列を眺めている時の高須賀艦長は本当に嬉しそうな表情でした。手塩にかけて作り上げた「しらぬい」を多くの人に見てもらうことは、初代艦長としてこの上ない喜びなのでしょうね。そういえば、かつてDDH「いせ」の初代艦長を務めた星山1佐も「艤装から関わった『いせ』は我が子のように可愛い」とおしゃっていました。高須賀艦長にとって「しらぬい」は“自慢の娘”なのでしょう。

「しらぬい」乗艦後、一気呵成に艦橋へ。やっぱり一般公開はこうじゃなくっちゃ!(笑)
「あさひ」型DDの艦橋は初めての見学ですが、一見したところ前型式「あきづき」型の艦橋とよく似ています。ただ、細かい点をよく見ると航海用機器やディスプレイ等が最新の機器に替わっていて、「あきづき」型よりも5年以上も後に企画・設計された艦であることを実感します。「あきづき」型の艦橋に足を踏み入れた際に感じた窮屈さは、この「あさひ」型では感じません。私の感覚的な印象なので曖昧ではあるのですが、もしかしたら「あきづき」型よりも艦橋の面積が幾分広くなっているのかもしれません。

黒く塗られた天井部分は昨今の海自艦のスタンダードですが、天井が黒いためか、はたまた照明を点けていないためか、なんだか妙に暗いです。なので艦橋内部を撮影しようにも光が足りず、勢いシャッタースピードが遅くなるのでブレさせずに撮影するのに一苦労しました。撮影する立場から言えば、現状では「ゆき」「きり」型DD等の古参艦のみとなった白い天井の方がいいです。


ジャイロコンパスの前から右舷の艦長席方向を撮影。今年2月末に就役したばかりなので当然ではありますが、何もかもが新しくピッカピカです。高度にマニアック化した私は古参艦にしか萌えを感じない身体になってしまっていますが、全てが新しくて美しい就役直後の艦の雰囲気もいいですねぇ…。6年前に愛車BRZが納車された時に感じた嬉しさを思い出しました♪

新車、もとい新型艦には心が躍りますが、この「あさひ」型DDが今後3番艦、4番艦と就役していくかと言えば、それは否です。「しらぬい」の就役によって護衛隊群に「むらさめ」型以降の「第二世代汎用護衛艦」が揃ったため、DDの建造はいったん休止となります。今後は地域配備護衛隊に所属する旧式DDやDEの置き換えと増勢を実現すべく、新艦種FFMが順次建造され、就役します
よくよく考えると、第一世代(「ゆき」「きり」型)は9年間で20隻が揃ったのに対し、第二世代は20隻揃えるのに実に23年もの歳月を要しています。艦が大型化し建造費も跳ね上がったとはいえ、やはり防衛予算削減のあおりを食らったと見るべきでしょう。

艦橋ウイングから艦首方向を望みます。こうして見ると「しらぬい」の船体幅が非常に広く、とても汎用護衛艦とは思えない体格です。
この光景だけだとイージスDDGだと言っても信じてしまう人もいることでしょう。「ゆき」型から始まった汎用護衛艦は三十数年の年月を経てここまで大型化したと言うことができます。甲板上に記された歩行帯ですが、白線の内側には滑り止めが施されているものの、他艦で見られるような塗り分けは行われておらず、一見すると甲板に線を引いただけのように見える点に新たなトレンドを感じます。

「しらぬい」が接岸している八太郎埠頭が非常に長大な埠頭であることが分かります。東北地方屈指の工業港である八戸港には、このクラスの埠頭が広範囲に点在しています。さらに岸壁を見下ろす高台上に、管制塔や格納庫など八戸航空基地の施設が見えます
(矢印)。昨日、私の直上を通過した哨戒機P‐3Cが着陸したのがあの場所です。今日も離着陸がないか期待してしまいます…。

艦橋構造物ないの士官居住区の一角に艦歴歴代艦長を記すプレートが、さらにその横には艦の三役(艦長・副長・先任伍長)の顔写真が掲示されています。「しらぬい」は2月末に就役したばかりですので、艦歴には「第3護衛隊群 第7護衛隊に編入」の文字のみ、歴代艦長には高須賀2佐の名前しかありませんが、今後このプレートにどのような艦歴が記され、歴代艦長にどなたの名前が刻まれていくのか、非常に楽しみです。3月に幹候校を卒業したT君の名前が20年後ぐらいに刻まれるかもしれません

艦の三役を紹介する顔写真に写真が5枚あるのは、3護群司令の石巻将補
(上段右)と7護隊司令の清水1佐(上段左)の写真も合わせて掲示しているためです。かつては私より遥か年長者が務めるというイメージだった指揮官ですが、今や隊司令はおろか群司令までもが私よりも年下となってしまいました。石巻将補は私より1歳下、清水1佐に至っては5歳年下です。近い将来、艦隊司令官や地方総監、さらには海幕長までもが「私より年下」という時代が来るのは間違いありません。あな、恐ろしや…。

艦橋構造物内から出て上甲板を巡ります。甲板上から見上げる「しらぬい」の艦橋構造物はとてもグラマラスで迫力があります。こちらもぱっと見は「あきづき」型とそっくりですが、取り付けられているレーダーは「あきづき」型のFCS‐3AからOPY‐1に代わっています。OPY‐1はFCS‐3の僚艦防空能力を省いたバージョンで、大きい方のアンテナが捜索・追尾・砲管制用、小さい方がESSM(艦対空ミサイル)管制用です。この角度では見えませんが、OPY‐1の一層上には潜望鏡探知レーダー(OPS‐48)のアンテナがあります。

艦橋前方にCIWSが設置されているのも「あきづき」型と同じですが、こちらは対水上射撃が可能なブロック1Bとなっています。前型式のブロック1Aも「あきづき」型をはじめまだ多くの艦に搭載されていますが、今後順次換装されることになっています。


「しらぬい」の主砲=127ミリ単装砲(Mk.45 mod.4)です。射程は約37000m発射速度は毎分約20発です。他社製品(OTOメラーラ)よりも速射性ではやや劣りますが射撃精度が高く、対地射撃に適していると言われています。現在研究が進められている離島奪還作戦時には有力な艦砲となりそうです。海自艦での採用は「あたご」型からで、その後は「あきづき」型・「あさひ」型・「まや」型でも搭載され、海自艦砲の新たなスタンダードになっています。建造が始まった3900t護衛艦(FFM)にも装備されることになっています。

側面に扉が付いていますが、砲塔内は自動装填により無人化されています。扉はメンテナンス時に砲塔内に入るためのものです。


三連装短魚雷発射管(HOS‐303)です。艦橋構造物内の第1甲板上、右舷と左舷に1基づつ装備されています。Mk46mod5魚雷97式および12式魚雷を発射することができます。発射時には45度旋回させて発射口を海に向け、高圧空気の力を利用して魚雷を打ち出します。発射された魚雷は自力で敵潜水艦を捜索して攻撃します。魚雷発射管と言っても、帝国海軍の軽巡や駆逐艦のように敵の水上艦艇を攻撃するためのものではありません。あくまで攻撃対象は潜水艦です。もちろん、次発装填機能もありません。

最新鋭艦「しらぬい」に装備されてはいますが、この発射管自体の歴史は古く、海自では1966(昭和41)年に1番艦が就役した「やまぐも」型DDから採用されていて、その後に建造された全ての護衛艦に搭載されている対潜兵装の古典的かつ代表的な装備品です。

こちらは自走式デコイランチャー(MOD)です。右舷側に1基のみ装備されています。長い歴史を持つ三連装短魚雷発射管とは対照的に、MODは「あきづき」型から採用されたニューカマーの対潜兵装です。高圧空気で自走式デコイを発射、デコイは予め設定された深度・速力で自走しながら自艦航行音・魚雷探信音に対する疑似エコーを送信して敵魚雷を脅威外へ誘引します。

同じく敵魚雷への欺瞞装置として中部02甲板に投射型静止式ジャマー(FAJ)の発射機が備えられています。FAJは静止型の広域的な音響妨害装置で、海中に射出されたFAJは音を発することによって敵魚雷の音響センサーを妨害します。


船体中部にある後部煙突の横に対艦ミサイルの発射機が設置されています。帝国海軍の時代とは異なり、現代戦における水上艦同士の戦闘は射程内における艦砲の撃ち合いではなく、遥か遠距離からのミサイル攻撃へと様相を変えています。
本艦の対艦ミサイルは90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)で、かつて主力だったハープーンミサイルに代わって「むらさめ」型から採用された初の国産対艦ミサイルです。非常に高性能なミサイルで、掲示されている説明板によると、最大飛翔距離は「水平線の彼方、想像を絶するほど遠くへ飛びます」、最大飛翔速度は「目では追えない速度で飛びます」とのことです
(笑)

対艦ミサイル発射機より一段上の甲板に、先ほど紹介した投射型静止式ジャマー(FAJ)の発射機がチラ見えしているのにご注目!

ヘリコプターの格納庫です。基本的には対潜哨戒ヘリSH-60Kを1機搭載しますが、場合によっては2機搭載できるような広さになっています。ただ「あきづき」型とは異なり、ヘリ移送軌条は左舷側の1条のみで、着艦拘束装置(RAST)も1基のみ。これは何故なのでしょうか?格納庫入口横の壁面はヘリコプター用の給油装置(左)や万一の事故に備えた消火装置(右)が設置されています。

「しらぬい」は大湊を母港とする艦なので、対潜ヘリは基本的には大湊航空基地に所在する第25航空隊の機体が搭載されます。ちなみに、本日の「しらぬい」はヘリコプターを搭載しておりません。訓練を終えて一足早く大湊に帰したのでしょうか?


ヘリ格納庫の内部です。SH‐60Kを2機搭載できるだけの十分な広さがあります。これはもうDDの格納庫とは思えない広さ…かつて存在したDDH「はるな」型・「しらね」型の格納庫よりも広いような印象すら受けます。ヘリ移送用の軌条が延びているのは左舷側のみで、右舷側のスペースには軌条がないのが分かります。2機搭載の場合、どのようにして右舷側のスペースにヘリを運ぶのでしょうか?

格納庫内部は一般公開時にはお馴染みの結索教室
(左)防火服の試着体験(右)が行われています。説明役の乗組員の中には女性隊員もいらっしゃいます。「あさひ」型DDの乗組員数は約220人ですが、うち20人が女性(幹部を含む)となっています。私の知り合いの女性幹部(2尉)も、現在「あさひ」に乗り組んでいて、水雷士として日々奮闘しています。艦長目指して、頑張れ!

「しらぬい」を降りて、次に埠頭から外観を観察します。「しらぬい」の艦番号は「120」。第二世代DDの最終艦が「120」というキリ番号となったことに不思議な偶然を感じます。ちなみに、先代の艦番号「120」は「やまぐも」型5番艦の「あきぐも」でした。この「あきぐも」も31年間の生涯のうち18年ものあいだ大湊を母港としていて、その点でも「しらぬい」と「あきぐも」は共通点があります。

OPY-1のアンテナの上部に、甲板上からは見えなかった潜望鏡探知レーダーのアンテナがあるのが見えます。この潜望鏡探知レーダーは海自艦ではこの「しらぬい」が初導入した装備で、1番艦の「あさひ」ですら未装備という最新のレーダーです。その観点から考えると、「しらぬい」はエポックメイキングな艦であると同時に、現時点において海自艦の中で最強の対潜艦と言うことができます。

艦橋構造物を側面から見たアングルです。上甲板を覆うシールドを介して艦橋構造物が船体と一体化しているディテールがよく分かります。シールドをオープンさせて中から乗艦用の桟橋を降ろす機構は「あきづき」型と同じですが、なかなかにメカニカルな雰囲気を醸し出していて、本艦が新時代の艦であることを実感させます。桟橋の側面には艦名を記した幕が取り付けられており、そこに記されている艦のシンボルマークは命名元となった不知火を図案化しています。乗組員が被っている部隊帽にも不知火が描かれています。

艦橋構造物02甲板レベルの側面に二つの窓がありますが、この場所に艦長室があります。基本的に窓がない海自艦ですが、一部の例外を除いて艦長室には窓があります。まさに、自室に窓があるのは艦長の特権といえるでしょう。反対の左舷側には同じ構造・間取りの司令室があり、司令が座乗した際の居室となります。もちろん艦長室と同様に窓も設けられています。

船体中央付近から艦首方向を望みます。艦橋構造物の上部壁面に取り付けられているのが、後方を守備範囲とするOPY‐1のアンテナです。二つのアンテナを横に配置している前方用とは異なり、後方用は縦に並べた配置であることが分かります。艦橋構造物より後ろにある煙突等の構造物や対艦ミサイル等の兵装は、すべてこのアンテナに干渉しないよう配置されています。

OPY‐1アンテナの下に窓が二つありますが、これは後方確認用の窓です。この窓によって艦橋勤務者はウイング部に出なくても艦橋内から後方を直接視認できるようになりました。
「あきづき」型の艦橋構造物は本級とよく似ていますが、この窓はありません。

「しらぬい」公開の会場である八太郎埠頭ですが、陸自の装備品(地対艦誘導弾・自走架柱橋)の展示や海上保安庁の紹介ブース、パトカーの体験乗車が可能な青森県警の紹介ブースなどが並び、「平和と安全を守るお仕事フェスタ」のような状況となっています。

このパトカー、私が運転するレンタカーの後ろにピッタリくっ付いて八太郎埠頭までやって来ました。埠頭に到着するまでの間、私は青森県警にマークされるような事をしでかしたのかと内心ヒヤヒヤしたのですが、単に目的地が同じだけでした
(苦笑)
巡査さんに招かれて私も乗車を体験、スピード違反での検挙以外で初めてパトカーに乗りました
(笑) ベースがクラウンなので車内はとても広いです。大分県警のパトカーもクラウンですが、スピード違反時は動揺しているのか、こんなに広いとは感じませんでした…。

海上自衛隊も負けていません。青森地本の募集コーナーがあるにも関わらず、わざわざ大湊地方総監部が海上自衛官専用募集コーナーを出展しています。しかも、アンケートに答えた人に自衛隊グッズをプレゼントする特典付き。力の入れ具合が半端ないですが、それだけ海自の募集難が深刻であることの裏返しともいえます。「しらぬい」を見学して「カッコいい!」と感動したり、「日本の海を護るぞ!」との志を抱いた少年・少女たちよ、今すぐこの募集コーナーでアンケートに答え給え!
もちろん私はお約束の一言を。「私、50歳なんですが、入隊を希望します!」。担当者「お気持ちだけ有難くちょうだいします…」。

この募集コーナーの隣には八戸航空基地のPRブースがあり、隊員が9月の航空祭をPRするチラシを配っていました。昨日のP‐3Cの低空飛行にすっかり心を奪われてしまった私、もしかすると異例のシーズン2度目の八戸遠征があるかもしれません…


「しらぬい」の艦尾側からのバックショットです。レーダーのアンテナが艦橋構造物に集中配置されたことから、「あきづき」型とは異なりヘリ格納庫の上部がスッキリした形状となっています。艦尾には海自では初の採用となった艦名「しらぬい」の文字が誇らしげに記されていますが、偶然にも「ら」の文字が開閉扉の中にピッタリと納まっているのが何だか笑えます。

「しらぬい」は注目の最新鋭艦であるにも関わらず、大湊に配備されたことから九州在住の私にとっては撮影・乗艦は当面難しいと思われましたが、遥か八戸まで遠征した甲斐あって、様々な角度から撮影を楽しむことができ、艦橋も見学することができました。近年顕著な埠頭での移動範囲制限もなく、そして何よりも「しらぬいちゃんLOVE!」などと叫びそうな二次元ヲタがいないのは非常に快適でした。昔からのオールドマニアにとっては、間違いなく東北地方は‟最後の楽園”です。 ありがとう、八戸!頑張れ、「しらぬい」!

6年ぶりの八戸遠征は最新鋭艦「しらぬい」とP‐3Cの魅力に酔いしれた2日間…東北はマニアの「最後の楽園」だ!