練習潜水艦「ふゆしお」 特別公開

4月25日に別府湾に停泊中の練習潜水艦「ふゆしお」に乗艦・見学することができました。
一般人には非常に乗艦困難な潜水艦の実態を機密に触れない範囲でレポートします。

4月25日の正午、私は日出町の大神漁港にいます。もちろん艦艇見学と撮影のためですが、いくら全国各地の港を訪れる私でも漁港というのは初めての経験です。
言うまでもなく、こんな小さな港に海自艦が入港してくるはずがありません。この港から別府湾に停泊中の艦艇に向かうのです。

今回の見学・撮影はオープンな物ではなく、自衛隊関係者・支援者に対して実施される特別公開です。私は日ごろから公私に渡ってお付き合いのある大分地方協力本部のご厚意で参加することができました。大分地方協力本部渉外広報室の皆様、心から御礼申し上げます!それにしても春本番を思わせる素晴らしい晴天です。海に浮かぶ艦の美しい画像を撮れそうで心が躍ります♪

今回特別公開が実施されるのは練習潜水艦「ふゆしお」です。涙滴型船体を持つ最後の潜水艦・「はるしお」型の6番艦で1995年3月に就役、2011年3月に練習潜水艦に種別変更されました。就役以来、一貫して呉を母港としています。

練習潜水艦に種別変更されたとはいえ、それは役割が変わっただけで、搭載兵器や艦内施設に改修は加えられておらず、艦自体は潜水艦時代と何ら変わっていません。護衛艦が練習艦に種別変更されると大規模な工事が施され、実習員講堂や女性用居住区が設けられるのとは対照的です。
↑の画像は漁港の防波堤から撮影したのですが、漁港らしく潜水艦と漁船が同じ一枚に収まっているのが笑えます。

交通船に乗って一路「ふゆしお」へ。交通船と言っても大分地本がチャーターした漁船ですけどね…(笑)
私が潜水艦に乗艦するのは、2002年7月に大分港大在埠頭に寄港した「はるしお」型1番艦「はるしお」に乗艦して以来、実に12年ぶりです。この時は取材で乗艦しました。
10年ほど前までは割と頻繁に潜水艦の報道取材が許可されていましたし、一般公開すら実施されていました。現在は一般公開は言うに及ばず報道取材さえも行われなくなり、公開のほとんどが高校生を対象にした“リクルート公開”となってしまいました。

この10年以内に海自ファンになった方々は、まず間違いなく潜水艦に乗艦したことがないと思われます。「今回のレポートは責任重大だぞ」という思いを胸に秘め「ふゆしお」へ向かいます。

交通船(=漁船)は右舷後方から「ふゆしお」に接近します。なんて美しい船体のラインでしょう!!私は海自潜水艦の中では「はるしお」型が最も好きなのですが、その最大の理由は涙滴型の美しい船体ラインです。特に後方のこの角度から見るスタイルは、息が止まるほどの美しさです♪快晴の空、そして紺碧の海に浮かぶ美しい船体の潜水艦…久しぶりに撮影した快心の一枚となりました。

潜水艦乗組員に与えられる潜水艦徽章にはシャチが描かれていますが、海に浮かぶ潜水艦の佇まいはシャチと言うよりもむしろクジラです。まさに“鋼鉄製のクジラ”という印象を受けました。
潜水艦は護衛艦と比べると遥かに小型なのですが、海に浮かぶ姿を間近に見ると、護衛艦をも凌駕する迫力を感じます。

交通船(=漁船)はゆっくりと「ふゆしお」の舷側に接近、乗組員から接舷用のロープを受け取ります。
「ふゆしお」の排水量は2450tですが、至近距離に近づくと排水量以上の大きさを感じます。海自の潜水艦は、船体が大きくなると海中で発見される可能性が高くなるとの観点から、排水量は3000t以内で設計されています。したがって、AIP機関を搭載した最新型の「そうりゅう」型でも排水量は2900tに収められています。

この「はるしお」型は涙滴型の完成形とも言える潜水艦で、前タイプ「ゆうしお」型と比べ水中での静粛性が格段に向上したほか、船体の大きさを抑えながらも数々の新機軸を導入した海自潜水艦史に名を刻む名艦です。しかし歳月の経過には勝てず、現役でいるのは「ふゆしお」「あさしお」の2隻のみとなってしまいました。

「ふゆしお」の艦上では、艦長の喜多村2佐が接舷作業を見守っています。私が潜水艦に乗艦するのは今回が5回目ですが、艦長に艦上に出迎えていただいたのは初めてです。感激だぁ!

喜多村艦長は43歳、今年4月に「ふゆしお」艦長に着任しました。練習潜水艦は実習員の教育・指導を担当するため艦長にも経験と指導力が求められることから新人艦長は充てられず、他艦の艦長が横滑りする特殊な配置となっています。喜多村艦長も3月まで「まきしお」の艦長を務めていました。
防大卒の幹部ではなく、商船界の幹部候補生学校・東京商船大の出身ですが、実習中に見た海自艦艇に憧れて入隊したとのことです。商船大出身とあって、とても気さくで物腰も柔らかく、まるで豪華客船の船長さんのような素敵な雰囲気の方でした。

交通船(=漁船)から「ふゆしお」への乗艦は、舷側に沿って架けられた縄ばしごを登ります。
この日の別府湾は非常に穏やかなのですが、停止した漁船は猛烈に揺れるので縄ばしごに足を掛けるのにも一苦労、加えて縄ばしごの足場が小さくてとても登りにくい!このような場合、水上艦なら水面すれすれまで降ろしたラッタル(桟橋)で簡単に上がれるのですが…いきなり潜水艦の大変さを実感してしまいました。

見事なまでに黒光りしている船体は鋼鉄製で、「そうりゅう」型のような吸音タイルは貼付されていません。外側(外殻)は普通の鋼鉄が使用されていますが、二重船殻構造の内側部分(内殻)は過酷な水圧にも耐えることができる特殊な鋼鉄が使用されています。
ちなみに、「ふゆしお」を建造したのは川崎重工神戸工場です。

喜多村艦長と乗組員に迎えられながら無事に「ふゆしお」に乗艦、私に続いて他の見学者も縄ばしごを登って来ました。
見学者の私以外の顔ぶれは、自衛隊協力者・防衛モニター・予備自衛官らで、総数は9人です。喜多村艦長が丁寧な敬礼で見学者を迎えている姿に注目!お人柄が滲み出ています。

停止した漁船が猛烈に揺れていたにも関わらず、「ふゆしお」は全く揺れていません。船体が大きいためでもありますが、最大の理由は艦底からアンカー(錨)を降ろしているためです。
潜水艦のアンカーは水上艦とは形状が大きく異なり円形をしています。その形状からマッシュルームアンカーとも呼ばれています。
「はるしお」型の幅は10mですが、実際に立てる部分の幅は2m程度。随分と狭いです。ここで作業を行うのは大変そうです。

艦上で作業を行う乗組員の中には腕章を付けた人がいます。腕章に記されている文字は「実習員」。そうです、潜水艦乗組員となるために「ふゆしお」で実習を行っている若い隊員です。練習潜水艦の第一の任務は、このような実習員への教育・指導です。

潜水艦乗組員(サブマリーナ)になるには、幹部・曹士とも水上艦に配置されたのち、適性検査をパスした者のみが呉の潜水艦教育訓練隊に入校。幹部は5ヶ月間、曹士は4ヶ月間の教育を受けたのちに練習潜水艦や潜水艦で実習に参加、実習期間は曹士で半年、幹部では1年に及びます。このような厳しい教育を乗り越えた暁に、潜水艦乗組員の証である潜水艦徽章(ドルフィンマーク)が与えられます。潜水艦徽章保持者は海自全隊員の僅か4%という“選ばれし者たち”なのです。

マンホールのように垂直に下に延びる入口を慎重に降りて艦内へ。最初に通されたのは士官室です。
残念ながら艦内は撮影禁止。なので、艦内の画像は海自呉史料館の展示物の画像で代用させていただきます。

士官室では喜多村艦長から、「ふゆしお」の概要や潜水艦の任務・特性について説明がありました。「潜水艦は一度潜ってしまうと行動の把握が極めて困難になります。その秘匿性こそが最大の武器であり、敵国にとっては脅威と重圧になるのです」
士官室は幹部の執務室兼休憩室兼食堂であると同時に、艦の応接室でもあります。「ふゆしお」ではテーブルの向きが画像とは異なり、船体に対し垂直となるよう(横向きに)設置されています。

士官室と通路を挟んで反対側には幹部の私室があります。3人用の幹部私室が2区画あります。
水上艦では幹部私室は2人部屋で、最近の護衛艦では十分な広さがあり、ベッドは二段です。しかし、潜水艦では幹部といえども三段ベッドで、部屋自体もかなり狭くなっています。3人が生活するには恐ろしく狭くて窮屈な広さしかありません。次タイプ「おやしお」型からは広さが若干改善され、ベッドも二段になっています。

潜水艦で個室があるのは艦長のみで、隊司令が座乗した場合はこの私室を使用します。つまり、1佐の司令でさえも三段ベッドで眠るのです。「ふゆしお」でも、第一士官私室の入口に使用者として第1練習潜水隊司令の名前が掲示されていました。幹部がこの状態なのですから、曹士の居住区はもちろん三段ベッドです。

士官室から艦首方向に少し進んだ場所に艦長室があります。言うまでもなく、艦内唯一の個室です。
←の艦長室は海自呉史料館で展示されている「あきしお」の物で、「ふゆしお」より一世代前の艦ですが、広さや構造はほとんど同じです。私以外の見学者の皆さんは、艦長室にも関わらずあまりに狭い事に驚きを禁じ得ない様子でした。

そんな見学者を前に喜多村艦長は、「最近の護衛艦の艦長室は広くてとても立派ですよねぇ。羨ましいですよ」と言って、見学者の笑いを誘っていました。さらに喜多村艦長は、「潜水艦乗組員であることの誇りがあれば、艦内の狭さも不自由な生活も気にならない」とも。艦長の言葉に潜水艦乗りのプライドと矜持を垣間見た気がしました。

「ふゆしお」艦内で唯一撮影できた画像がコレ。発令所で潜望鏡を覗いてご満悦の私です。
私のカメラは入口で預けて艦内に持ち込んでいないのですが、この画像は「ふゆしお」の備品のカメラで乗組員が撮影してくれました。
私の素顔は潜水艦の内部同様機密事項なのでお見せできませんが、とびっきりの満面の笑顔で写っております(笑)

私の右側にはレーダーや武器管制の機器が並び、左側には艦の深度や動作を制御する装置が置かれています。
左斜め前方には操舵手席があり、操縦桿のような舵が二つ並んでいます。一方の舵で潜舵と縦舵を操作し、もう一方の舵で横舵を操作します。最終艦「あさしお」が一人操舵のため、「ふゆしお」は海自に残る唯一の二人操舵の潜水艦となっています。

発令所を出て階段を降りて一層下の区画へ。そこは主に曹士用の区画で、CPO室居住区科員食堂などがあります。
この日が金曜日ということで、科員食堂には昼食に出されたカレーの香りが残っていました。「ふゆしおカレー」ってどんな物なんでしょうか?食べてみたかったです。

科員食堂には6人掛けのテーブルと4人掛けのテーブルが2個づつ設置されていて、一度に20人が食事できるようになっています。
食堂に隣接する調理室では2人の給養員が夕食の準備をしていました。「ふゆしお」には4人の給養員が配置されており、2人づつ2班に分かれて交代で約90人分の食事を作っています。潜水艦では6時間おきに4回の食事が提供されますが、最近では肥満防止の観点から夜食を止めて1日3回の艦が多くなっています。

科員食堂から艦首方向に移動すると潜水艦の艦内とは思えないくらい広い部屋に着きました。魚雷発射管室です
天井が非常に高く、前方には左右3本づつ魚雷発射管があり、通路を挟んだ両側に搭載している魚雷の保管棚があります。搭載している魚雷の数は機密らしいのですが、89式魚雷2本対艦用ハープーンミサイル1本が目視で確認できました。ちなみに、89式魚雷の価格は1本あたり約2億円ということです。

艦内で最も広いスペースなので、実習員はこの部屋を私室としており、空いている魚雷保管棚には実習員の私物と寝具が置かれていました。魚雷と一緒に生活するのはサブマリーナになるための登竜門であり、喜多村艦長をはじめとする「ふゆしお」の全乗組員は、実習員時代に魚雷との生活を経験しています。

約1時間の艦内見学を終えて再び艦の外へ出ました。迎えの交通船(=漁船)が来るまで、しばらくの間この場所で待ちます。
「ふゆしお」の艦尾方向を眺めると、艦上には様々な突起物があり、それらが水中抵抗とならないよう格納されていることが分かります。潜水艦という艦は非常に凝った造りをしているのです。

艦尾の先端にはスクリューがあるのですが、現在の「ふゆしお」には次タイプの新型潜水艦で採用予定のスクリューが取り付けられており、実用化に向けたデータの採取を行っています。練習潜水艦は実習員の教育・指導だけではなく、このような新型装備品の実用化試験を行うのも重要な任務となっています。水上艦における試験艦「あすか」の役割を担っているのです。

交通船(=漁船)が来るまでの間も、喜多村艦長は見学者に対して潜水艦についての説明をしてくれました。本当に親切と言うか、見学者に潜水艦の事をたくさん知って欲しいという熱意に溢れています。艦長、ありがとうございます!
←の画像は、艦長がセイル上に突き出ている潜望鏡や設置されているアンテナ類について説明をしている様子。さらに艦長は、水上航行中はセイル上に長時間座って航海を指揮・監督していることも説明し、「真冬は泣きたくなるくらい寒いですよ」と、職務における苦労の一端を明かしてくれました。

ちなみに、艦長が経験した最長潜航日数は45日間だそうで、それくらい長く潜っていると艦内の酸素が薄くなり、愛煙家の乗組員がタバコに点けた火がすぐに消えてしまったということです。

残念なことに迎えの交通船(=漁船)が到着してしまいました。名残惜しいのですが、「ふゆしお」を下艦して大神漁港に戻ります。
交通船(=漁船)が「ふゆしお」から離れる際、乗組員は帽振れ、喜多村艦長と案内役を務めた機関長は端正な敬礼で見送ってくれました。皆さん、本当にありがとうございました!!

潜水艦では機関長(3佐)は概ね№3の幹部です。№2は副長(3佐または2佐)ですが、潜水艦の副長は水上艦とは意味合いが異なります。護衛艦では艦長以外の最先任の幹部が副長を兼務(つまり誰でもOK)しますが、潜水艦では近い将来の艦長候補が「潜水艦○○副長」として発令され、航海長を兼務します。そして1年半程度をかけて艦長の資質があるかどうかを試されます。艦長ポストを手にできるか否かの非常にシビアな配置なのです。

交通船(=漁船)はゆっくりと「ふゆしお」を離れ、艦の前方へと回りこみます。シャッターチャンス、来たぁ!!
海面に近い位置から撮影すると、潜水艦は陸上から見るのとは全く異なる表情・佇まいであることを知りました。流麗かつ力強く、そして美しい…久しぶりに潜水艦に魅了されてしまいました。この角度から見ても涙滴型の船体はラインが美しいですねぇ。この流麗な船体を持つ潜水艦が、海自では2隻にまで減ってしまっていることが非常に残念でなりません…

「ふゆしお」が停泊しているこの海域(日出沖の別府湾)、ほとんどの方は知らないとは思いますが、終戦直前に旧帝国海軍の商船改造空母「海鷹」が呉から疎開、大分空襲の際に直撃弾を受けて沈没・擱座した場所として、知る人ぞ知る場所なのです。

交通船(=くどいようですが漁船)は、「ふゆしお」の前方に。海上に停泊中の潜水艦を真正面から見た姿なんて超貴重です!
一週間前に購入した新しいカメラ(α77)の連射機能(1秒間に12枚)をフル活用して撮影しまくりです。
船体前方にある突起物は逆探ソナーで、「はるしお」型から装備が始まりました。前タイプ「ゆうしお」型の艦が健在の時代には、この逆探ソナーの有無が外見上の大きな識別点となっていました。

セイルから横に伸びているのは潜舵で、潜航時に艦を上下に動かすための舵です。古い潜水艦では潜舵は艦首に取り付けられていましたが、艦首に設置しているソナーに雑音を及ぼすため、現在ではセイルに装着するのが主流となっています。この形式をセイル・プレーン方式と言います。

「ふゆしお」が次第に遠くになっていきます。ああ淋しい…(涙)私が淋しさを感じるのは、見学が終わったからだけではありません。実は、「ふゆしお」は今年度末(来年3月)で退役してしまうのです。この美しい姿を見ることができるのもあと僅かなのです。

「ふゆしお」が退役すると、残る「はるしお」型は「あさしお」1隻のみとなるのですが、「あさしお」はAIP機関の実用化実験用に改装を受けたため、就役時よりも全長が9m長くなっています。つまり、オリジナルの「はるしお」型は「ふゆしお」の退役を以って消滅してしまうのです。う~ん、残念だ…。潜水艦は潜航による水圧等で艦が傷みやすいことから、就役から概ね16年で退役することになっているのです。「ふゆしお」退役後は、「おやしお」が練習潜水艦に種別変更される予定です。

今回、なぜ「ふゆしお」が日出沖の別府湾に停泊していたかというと、日出町内にある回天神社で執り行われた慰霊祭に、艦長をはじめとする乗組員が参列したためです。
日出町大神地区には1945年4月25日に特攻兵器・回天の訓練基地が開設され、終戦直前まで別府湾で訓練が行われました。

回天神社は回天の舵や推進軸等の部品が御神器として祀られ、回天作戦で戦死した人たちを慰霊する神社として今日に及んでいます。そして毎年4月25日に慰霊祭が行われています。
日出町では回天基地の関連遺構が残る一帯を史跡公園化する計画で、先月その一角に回天の実物大模型がお目見えしました。
回天の実物大模型を前に、このような特攻兵器が二度と使われることがないよう願わずにはいられませんでした。

私が「ふゆしお」を降りてから約2時間後、「ふゆしお」は別府湾を離れて次の任務へと向かいました。

思えば今から25年近く前、広島湾で「はるしお」の流麗な涙滴型船体を目の当たりにして「何と美しい潜水艦なんだ!」と感銘を受け、以来新型が就役しても一貫して「はるしお」型ファンだった私。その私が絶滅寸前の状況で「はるしお」型潜水艦に乗艦できたことは、この名艦を後世に語り伝えるために神様が取材と撮影の機会を与えてくれたと思わずにはいられません。
退役まで10ヶ月あまり、「ふゆしお」には最後の最後までサブマリーナを目指す若い隊員をビシバシ鍛えて欲しいと思います。
頑張れ!「ふゆしお」!!有終の美を飾れ!

美しい涙滴型船体を持つ「はるしお」型も絶滅寸前…いかに新型が就役しようともこの流麗さにはかなわない。