2015自衛隊観艦式 ~事前公開2・出港編

事前公開1から3日後の10月15日、DE「とね」に乗艦して事前公開2に参加しました。
船越からの出港の模様と観閲・同付属部隊による隊列制形の模様をお伝えします。

事前公開1の感動と興奮も冷めやらぬ10月15日、私は再び早朝から横須賀・船越にいます。船越・長浦一帯が朝焼けに染まるなか、本日実施の事前公開2に参加すべく、海自基地の開門を待っているのです。3日前と同様、私は午前6時を少し過ぎた頃に到着したのですが、開門待ちの列は3日前以上の長さのものが既に出来上がっていて、3日前よりさらに十数メートル後方での待機です。

程なく大型観光バスが次々と到着、中から大勢の人が降りてきて、一気に開門待ちの列を長く伸ばしていきます。バスで来たのは自衛隊協力団体の方々で、抽選による公募乗艦券は非常に数が限られている一方で、このような団体には大量に乗艦券が配布されていることを窺い知ることができました。乗艦券の入手に苦労した身としては非常に複雑な心境にさせられます。

開門後、事前公開1のレポでご紹介した手荷物検査を経て船越岸壁へ。本日乗艦する艦はDE「とね」です。
3日前に乗艦した掃海母艦「ぶんご」の後方に停泊しているのですが、「しらゆき」「てんりゅう」と一緒に目刺しで泊まっているために、岸壁からはその姿は見えません。今は呉を母港とする「しらゆき」ですが、護衛艦時代は横須賀の艦で、この場所に亡き「はつゆき」「さわゆき」と共に停泊してたのが懐かしく思い出されます。

当初は、本番日と2回の事前公開いずれの乗艦券も入手できなかった私ですが、本日の事前公開2については、当HP掲示板の常連・「すーさん」が、当初参加予定だったお仲間の都合が悪くなったということで、私に乗艦券を融通してくれました。乗艦を前にして、まずは「すーさん」に心から御礼申し上げます

3日前の「ぶんご」と異なり、「とね」は観閲付属部隊の艦で出港時刻も「ぶんご」より35分遅いので、岸壁に到着してもすぐには乗艦とはならず、受付テントで列を作って待たなければなりません。

乗艦開始まで30分近く待っていたのですが、列の先頭にいる男女の集団の一人(女性)が、艦を前にして心が躍るためか、大きな声で機関銃のように喋り続けるのでうるさくてかないません。しかも、その内容が「自衛官と合コンして期待外れだった」とか「自衛官と付き合っていて基地では顔パス」とかいう下世話なもので、騒々しさに不愉快さまで加わって、待っている時間が苦痛でなりませんでした。
観艦式参加で心が躍るのは理解できますが、乗艦者や隊員・事務官ら大勢の人がいるのですから、周囲が不快になるような大騒ぎは控えるべきです。さらに会話の内容も慎重を期すべきです。

拷問のような待ち時間が終わり乗艦開始。狙っていた左舷最後方ではありませんが、ほぼ希望どおりの右舷側の後方部分を確保することができました。ほっと一安心…。
乗艦券を融通してくれた「すーさん」もお仲間と一緒に乗艦すると聞いていたので、お礼を申し上げるべく携帯に連絡。すると、すぐ目の前の人の携帯が鳴るではありませんか。何と、私がいる場所から艦首方向に1m足らずの位置にいる集団が「すーさん」とお仲間でした。「すーさん」には乗艦券のお礼に加え、日ごろ掲示板に情報や画像を投稿していただいていることについてもお礼を言いました。

さて、この「とね」には何人の乗艦者が乗るのでしょうか?絶対数は「ぶんご」より少ないとは思うのですが、艦が小さく上甲板も狭いために混雑具合は「とね」の方が激しいような気がします

午前8時、自衛艦旗掲揚の時間です。艦尾には艦旗を掲揚する様子を写真やビデオに撮影しようとする人たちで、ご覧のような人だかりが出来上がりました。声を大にして言いたいのは、これはアトラクションではないということ。乗組員は艦旗に敬礼しながら国を愛する気持ちを再確認し、心を研ぎ澄ます神聖なる儀式なのです。

一般の人にとっては艦旗掲揚は珍しい光景で、それを撮影したい気持ちはよく分かります。実際、私もそうですから…。しかし、撮影している誰もが艦旗に敬意を払わないという現状に、私は鬱憤やる方ない気持ちになります。私は必ず途中で撮影を止めて掲揚される艦旗に向かって姿勢を正していますが、他の方々も同様にするか、または撮影終了後に旗竿に翻る自衛艦旗に一礼するかして敬意を払っていただきたいと強く思います。

出港時の舫作業のため、艦の後方部分にいる乗艦者は、いったん艦の中央部分への退避を余儀なくされます。小さな艦で上甲板の面積もそれほど広くないので、満員電車名並みのすし詰め状態の中で出港と作業終了を待ちます。
すると、高らかな出港ラッパの音が耳に飛び込んできました。一足早く「あぶくま」が出港するのです。せっかくのシャッターチャンスなのですが、周囲に退避中の乗艦者がいて一歩も身動きできません。乗艦者の隙間から「あぶくま」の一部を撮影するのがやっとです(涙)

海自という組織は早め早めに動くので、舫作業に伴う退避も作業が始まるかなり前から指示されます。そのため、退避状態が続くことに苛立った高齢の男性がとんでもない暴言を吐きました。「何ぐずぐずしている!それじゃあ戦争に行ったらすぐに殺られるぞ!」

すし詰め状態なので、周囲から色んな会話が聞こえてきます。高齢男性の暴言の次に聞こえてきたのは私と同年代の男性の会話。「タダで相模湾を遊覧クルーズできるのだから、これを利用しない手はないよね。お金がかからない良いレジャーですよ♪」。さらに若い女性の会話。「このフネが戦争に行ったら、『乗ったことある!』って友達に自慢しちゃお♪」
今日の乗艦者はどうしてこんなにひどい人ばかりなのでしょう?
それとも、昨今の海自人気で艦に殺到する人々の多くは、実はこの程度の考えしか持っていないのでしょうか?海自や海上防衛について学ぼうなんて姿勢は端っからないのでしょうか?

「とね」が出港し「うらが」に後続しつつ浦賀水道に向かいますが、暴言と浅はかな会話の数々に私のテンションはダダ下がりです…

吉倉桟橋から出港してきた「むらさめ」が「ぶんご」の前方に占位しました。浦賀水道は「あぶくま」「むらさめ」「ぶんご」「とね」の順で通過するようです。現在、「とね」のすぐ後ろを航続している艦はありませんが、船越で一緒に目刺しで停泊していた「てんりゅう」と「しらゆき」が後を追ってくると思われます。きょうは平日であるためか、浦賀水道にいる遊漁船の数が3日前よりも圧倒的に少ないです。

出港前からテンション下がりまくりの私ですが、首と肩にカメラを提げて撮影をしているうちにだんだんと気持ちが盛り上がってきました。まさに“メンタルリセット”の状態です(笑)
ちなみに私、一般的なハイアマが使うキャノンやニコンではなく、ソニーのカメラを使っています。α77とその改良版であるα77Ⅱの2台で、本日はα77を望遠用、α77Ⅱを近距離用に使用します。

右舷側に三浦半島の東端・観音崎が見えます。そしてその観音崎には、浦賀水道航路を航行する船舶の安全を支えている二つの施設があります。画像左側の建築物は、日本最古の西洋式灯台として有名な観音埼灯台で、その灯火は19浬(約35km)先まで届きます。ある意味で我が国を代表する灯台で、この灯台を着工した11月1日は灯台記念日に指定されています。

一方、画像右側の建物は海上保安庁東京湾海上交通センターで、浦賀水道航路を航行するすべての船舶を管制しています。もちろん、いま私が乗っている「とね」をはじめとする観艦式参加各艦艇も、このセンターによる管制のもとで浦賀水道航路を航行しているのです。因みに、海保の海上交通センターは、この観音崎のほかに伊良湖水道や関門海峡など全国に7ヶ所あります。

3日前の事前公開1同様に良い天気です。しかも、事前公開1の時よりも波は穏やかで風もあまり強くありません。一見、撮影には絶好の条件のように思えますが、3日前の「ぶんご」艦上で海自OBという乗艦者から聞いたのですが、風が強い方が大気中のゴミや海上のモヤが吹き飛ばされて遠くまで視界が効くということです。事前公開1で富士山がくっきりと見え、艦艇も美しく撮影できたのは、実は猛烈に強く吹いていた風のお陰だったのです。

乗艦前に騒がしかった例の女性は、乗艦後も機関銃の如く喋りまくっています。「まったくもう…」と呆れかえる一方で、その良く通る声とバイタリティーに妙に感心したりもしました。自衛官になればその大きな声とはた迷惑な元気さを有効活用できると思うのですが…。乗組員さんから入隊申込用の書類をもらってこようかしら(笑)

「とね」の艦内スピーカーから「浦賀水道航路を抜けた」とのアナウンスが流れました。一列になって水道を航行していた各艦は、これから式に向けた隊列を形成します。事前公開1に乗った「ぶんご」は受閲部隊の艦でしたので、各艦は一列の隊列を制形しましたが、本日は観閲部隊と同付属部隊の艦で二列の隊列を制形していきます。3日前とは異なる隊列の制形シーンが見られるのです♪

実は、水道通過時に「とね」の直後を航行していたのは、横浜を出港した補給艦「ましゅう」でした。「ましゅう」は30分以上前に水道を通過した受閲部隊各艦に追いつくべく一気に増速、「とね」の左舷側を駆け抜けて行きました。これほどの大型艦が増速して海を駆け抜けるシーンはとてもダイナミック、補給艦とはいえ艦隊随伴用に高速航行できる能力をいかんなく見せ付けてくれました。

直前を航行している「うらが」が変針、「とね」とは別の進路をとって航行します。観閲部隊側は、観閲部隊と付属部隊がそれぞれ一列の隊列を形成し、全体で二列(複縦陣)の隊列となります。この「うらが」、艦名の由来は今しがた航行した浦賀水道です。一方、妹の「ぶんご」は旧国名の「豊後」のように思えますが、これも豊後水道から命名されています。つまり、横須賀を母港とする掃海母艦は浦賀水道、呉を母港とする掃海母艦は豊後水道という、各港に関係の深い水道がそれぞれの艦名になっているのです。

今観艦式において“カースト”の上位に位置する「うらが」ですが、乗艦者もそれほど多くなくスペースに余裕がある「うらが」を、狭く混雑する「とね」から見ていると嫉妬を感じ、黒澤明の有名な映画「天国と地獄」に登場する犯人のような気持ちになりました(笑)

「むらさめ」は行き脚を止めて、まるで何かを待っているようです。今観艦式で先導艦という大役を仰せつかっている「むらさめ」ですが、先導艦は観艦式におけるすべての艦隊運動の基準となる艦です。それだけに乗組員には大きなプレッシャーかかり、艦長の藤井二佐でさえも、「むらさめ」が先導艦に決まってからは日々緊張している様子だったとのこと。ベテラン艦長でさえも緊張を感じてしまう、それほど先導艦は重要かつ大切な役割なのです。

「むらさめ」が先導艦を務めるのは12年ぶり2回目(前回は2003年)で、それ以降、「いかづち」(2006年)、「いなづま」(2009年)、「ゆうだち」(2012年)、そして今回の「むらさめ」と、5回連続で「むらさめ」型DDが先導艦を務めています。「むらさめ」型は姉妹艦9隻を擁し、護衛艦隊の中核を担うだけに大役を仰せつかるのでしょう。

「むらさめ」の左舷後方から観閲艦「くらま」が姿を現しました。「むらさめ」は先導すべき観閲艦がやって来るのを待っていたのです。
「くらま」は浦賀水道航路通過後に観閲官が乗るヘリコプターを収容します。そのため、他の参加艦艇が辿る航路からやや外れた位置を航行しながら速力を上げ、風に立とうとしています。
ヘリの着艦時刻は11時20分、「くらま」は三浦半島南端の城ヶ島灯台から170度距離4.72マイルの地点で艦首を風上に向け、観閲官が乗る輸送ヘリMCH-101を着艦させることになっています。

「くらま」は2006年以来3回連続で観閲艦を務めています。その前は今年3月に退役した姉の「しらね」が10回連続で務めました。過去に観閲艦を務めた艦は「ゆきかぜ」「あきづき」「あまつかぜ」などがあり、「くらま」を含めても10隻しかない栄誉あるお役目なのです。

「くらま」では、ヘリ甲板にいた乗艦者を前方部分に退避させてヘリの収容準備が整っているようです。本日も予行練習なので観閲官である内閣総理大臣は乗艦しませんが、ヘリには内閣総理大臣役の防衛省職員が乗り込んでおり、着艦後は儀仗栄誉礼といった一連の行事が本番通りに行われます。したがって、マストには紫紺の内閣総理大臣旗も掲げられますが、旗を揚げるタイミングは、総理が乗ったヘリコプターの脚(左右どちらか)が甲板に付いた瞬間となっています。

ヘリが着艦できないほどの悪天もある訳ですが、その場合は観閲官は車で横須賀・吉倉桟橋までやって来て、そこで乗艦します。近年では2000年の観艦式が悪天候でヘリを飛ばせず、観閲官(当時の首相は森喜朗)は横須賀で観閲艦「しらね」に乗艦しました。

「くらま」がヘリを収容している間に、他の艦は隊列を制形します。観閲部隊、付属部隊それぞれが一列の隊列(単縦陣)を作っていくのですが、我が付属部隊は先頭艦である試験艦「あすか」の姿がなく、「あぶくま」が隊列の先頭にいます。「あすか」は木更津出港組なのでまだ後方を航行していると思われ、「あすか」を待っているためか、「あぶくま」「とね」ともにゆっくりとした速力で航行しています。

出港時や浦賀水道通過時には雲ひとつない快晴だった空が、この辺りから曇ってきました。雲かモヤが空を覆って太陽の光を遮っていて、青空が見えないのです。しかも、進行方向である西ほどその曇り具合がひどいように見えます。事前公開1ではこの辺りから富士山が見えてきたのですが、きょうは富士山はおろか陸地さえも見えません。曇りだと艦艇がキレイに撮れないんですよね…。

「とね」の後方には「くろべ」「こんごう」が続いています。「くろべ」は横浜、「こんごう」は木更津を出港し、浦賀水道通過後に速度を上げて、今しがた「とね」に追いついてきたのです。
「くろべ」は2003年以来12年ぶりの観艦式参加です。海自に2隻しかない訓練支援艦のうちの1隻ですが、相方の「てんりゅう」に比べてこの「くろべ」は格段に撮影機会に恵まれず、航行シーンをするのは今回が初めてです。長年にわたって艦艇撮影に携わっている私ですが、「くろべ」のように本格的な撮影をするのは初めてという艦が、実はまだ幾つかあったりします。

一方、「こんごう」は2009年以来6年ぶりの観艦式参加です。直前に北朝鮮が“花火大会”を実施する気配があったために参加が危ぶまれましたが、無事に参加となりました。あ~良かった!

「くろべ」の航行シーンを撮影するのは今回が初めてなので、ちょうど直後を航行していることもあり、撮って撮って撮りまくります。
一見、相方の「てんりゅう」とそっくりですが、「くろべ」の方が一回り小型です。同時に4機の標的機を管制でき、標的機はBQM-34J(ファイヤー・ビー)とチャカⅢ各4機搭載しています。

後部上甲板にチャカⅢが展示されているのが見えます。標的機はその後部上甲板から発射され、パゴタ状マスト4面に装備されているフェーズド・アレイ・レーダーで標的機を誘導・管制します。またこれとは別に、射撃結果評価用のレーダーも装備しています。
比較的新しい艦のようなイメージがありますが、既に艦齢が25年に達するベテラン艦です。前タイプ「あづま」が30年で退役しているので、「くろべ」にもそろそろ代艦の話が持ち上がりそうです。

「くろべ」の撮影に夢中になっていたら、かなりの速力で追い越しをかける艦の姿が…。「あすか」、ようやく到着です!我が「とね」、そして前方の「あぶくま」を一気に追い抜いて、付属部隊の隊列の先頭に出ました。付属部隊の隊列も完成まであと一息です。

パゴタ状のマストの後方部分に試験中のレーダーのアンテナが見えます。3日前の事前公開1の際には「あすか」を右舷側から見る形だったので、このアンテナは見えなかったのです。このアンテナは将来護衛艦用多機能レーダーで、文字通り将来建造する護衛艦に搭載する予定で開発しているレーダーです。一方、パゴタマスト前方2ヶ所とマストトップ部には潜望鏡探知レーダーが取り付けられていました。こちらは海面に顔を出す潜望鏡と低空目標の探知用ですが、外されているということは試験が終わったのでしょうか?

観閲部隊の隊列も徐々に出来上がっています。先導艦「むらさめ」、観閲艦「くらま」、随伴艦「ぶんご」の後方に、同じく随伴艦である「てんりゅう」「しらゆき」が追い付いてきました。
観閲部隊各艦の間隔は、先導艦と観閲艦の間が700ヤード、観閲艦・随伴艦の間隔は500ヤードです。

今回の観艦式における観閲部隊・付属部隊の艦艇数は合計13隻(観閲7隻+付属6隻)です。これは前回(2012年)よりも3隻、前々回(2009年)よりも4隻増加し、2006年観艦式の水準(計14隻)まで回復しています。海外派遣任務の増加等によって、過去2回の観艦式は参加艦艇数が少なかったのですが、観閲・同付属部隊に関してはまずますの隻数にまで回復していることを嬉しく感じます。ただ、2000年観艦式(17隻)と比べると、まだ少ないのですが…。

前方を航行する「ぶんご」まで500ヤードの距離まで詰めるべく、「てんりゅう」が駆け抜けて行きます。
先ほどご紹介した2隻の訓練支援艦のもう1隻=「くろべ」の相方です。見た目も「くろべ」そっくりなのですが、こちらは2000年の就役(艦齢15年)で、「くろべ」よりも11歳も若い艦です。11年も後に造られただけに、標的機を管制するレーダーが「くろべ」よりも高性能化しているほか、居住性の向上省力化などが施されており、船体も若干大型化(基準排水量4200t)しています。

帝国海軍の軽巡「天龍」と同じ艦名ですが、実は由来元が異なります。「天龍」が天竜川を由来としているのに対し、「てんりゅう」は天竜峡から名付けられています。訓練支援艦の命名基準は「峡谷の名を用いる」となっており、先の「くろべ」も黒部峡谷が由来です。

「てんりゅう」に後続するのは練習艦「しらゆき」です。海自艦随一の可愛らしい名を負うこの艦は、7番艦までが退役している「ゆき」型DDの一員ですが、なんとこの子は2番艦です。長女「はつゆき」が2010年に退役したのを皮切りに七女までが続々と退役するなか、次女の「しらゆき」は練習艦ながらも奇跡的に生き延びています

護衛艦隊の中核艦から地方隊艦、練習艦と役目を変え、勤務地も横須賀→大湊→横須賀→呉と移り変わるなど、ベテラン艦と呼ぶにふさわしい多彩な艦歴を有する名艦です。
現在、若い隊員を教育する任務に就いていますが、現役生活30年を超える艦が持つ有形無形の伝統は、この艦で学ぶ若者達に海軍魂を吹き込んでくれることでしょう。ただ、残念ながら今年度末の退役が予定されており、この観艦式は“最後の晴れ姿”となります。

観閲付属部隊の方では、殿艦である「きりしま」が到着、6隻から成る隊列が完成しました。イージス艦が2隻続いて航行する姿はとても勇壮で心が踊ります♪ しかも「こんごう」型の1番艦と2番艦の競演なのですから、心はもう“阿波踊り状態”です。踊る阿呆に見る阿呆♪♪
今回「とね」に乗艦するにあたって、このイージス艦の競演は撮影の重点目標のひとつでもあります。カメラが火を噴くのではないかと思うくらいにシャッターを切りまくります。

2隻のイージス艦の前を往く「くろべ」のマストにご注目!“レーダーのお化け”とも言うべきイージス艦よりも、訓練支援艦である「くろべ」の方が、マストに雑多なほど多数のアンテナが付いているのが笑えます。いかにも強そうな2隻のイージス艦に対し、「くろべ」は可愛いというか、癒し系的な緩い雰囲気すら感じます。それがいい!

観閲部隊に6隻目の艦が加わりました。潜水艦救難艦「ちはや」です。2000年に就役して以来、翌年(2001年)の観艦式に参加したのを皮切りに、以後すべての観艦式に参加しているという“超常連さん”です。同じ潜水艦救難用の艦でも、観艦式をはじめ滅多にイベントに姿を見せない「ちよだ」とは対照的です。
実は、私にとって「ちよだ」は本格的な撮影をしたことがない艦の1隻(乗艦したことすらない)なので、今回は「ちよだ」の参加を密かに願っていたのですが、やっぱり参加したのは「ちはや」でした(苦笑)

「ちはや」は「ちよだ」の拡大改良型ですが、実は艦種が違います。「ちはや」は潜水艦救難艦で、「ちよだ」は潜水艦救難母艦です。「ちはや」は潜水艦救難能力を向上させ、災害派遣能力も付与した代わりに、「ちよだ」が持つ潜水母艦的機能を縮小させています。

観閲部隊殿艦の「ちょうかい」が到着、観閲部隊も隊列を完成させました。観閲部隊・付属部隊ともにイージス艦が後方にいるのは、この直前に北朝鮮が“花火大会”を実施する気配を見せていたため、仮にその対処のためにイージス艦が出動しても観艦式への影響が小さくて済む観閲・付属部隊の後方に配置されたためです。

この「ちょうかい」、海自イージス艦シスターズの中では少し異色な存在です。「こんごう」型の他の3隻と「あたご」型の2隻、つまり「ちょうかい」以外のイージス艦が三菱重工長崎造船所で建造されたのに対し、「ちょうかい」はIHI東京工場で建造されました。
これはIHIでもミサイル護衛艦の建造技術を育成しようとの考えからですが、その後建造された2隻はいずれも三菱重工に発注されたことから、非三菱製イージスはこの1隻のみとなっています。

観閲部隊・観閲付属部隊ともに隊列が完成しました。出来上がった二本の隊列は800ヤードの間隔を保ちながら西へ向けて航行、一本の隊列となって東進して来る受閲艦艇部隊を迎え入れます。
3日前の事前公開1で隊列制形の模様をつぶさに見た受閲部隊を、きょうは逆の立場(観閲付属部隊)から見ることができるのですから、楽しみな気持ちもひとしおです♪ しかも、本日は事前公開1には参加していなかった外国艦6隻による祝賀航行も行われるのですから、心が躍ると同時にカメラを持つ手にも力が入ります。

時刻は午前11時50分、あと10分後には観閲式典が始まりますが、ここにきて空を雲(モヤ?)が完全に覆い尽くし、一面真っ白な世界となってしまいました。それに伴って海面は鉛色となり、艦艇たちもパッとしない色調に…。うわぁ~、このタイミングでこれか!(汗)

外国艦を含む27隻の艦艇が次々と反航し観閲を受ける光景はまさに勇壮無比…心躍る「式典編」に続く…