Welcome Aboard!!
当ホームページ管理人のHARUNAです。
このたびは海上自衛隊応援サイト「J−NAVY World」に乗艦いただき誠にありがとうございます。

このホームページは管理人が撮影した海自艦艇の画像を公開しているほか、撮影活動のレポート、海自の制服や階級章・徽章等の紹介、海自の様々な事象をテーマにしたコラムで構成されており、より多くの方々に海上自衛隊を知ってもらうことを目的としております。

日本は四方を海に囲まれた海洋国家であるにも関わらず、国民の海上防衛に対する認識は低いと言わざるを得ず、一方で海上自衛隊は活動の場が遥か洋上であることから、陸自や空自と比べて国民に今ひとつ理解してもらえないという実情があります。

海上自衛隊は単なる海上兵力、自衛隊組織というだけではありません。旧日本海軍から脈々と続く伝統や文化が至る所に息づき、それらは現代日本が失いつつある美風とも言えるものです。
また洋上に浮かぶ艦艇たちは戦闘艦とは思えぬほど美しく、その姿は華道と同様、日本人の美意識の象徴とも言えるでしょう。

当ホームページでは、このような「現代版の日本海軍」である海上自衛隊を様々な角度からで紹介することで、国民の海自さらには海上防衛への理解の一助になることができればと考えております。
「J−NAVY World」へのご支援・ご声援をよろしくお願いします。


ハンドル名  HARUNA…管理人が海自艦艇の中で最も好きな「はるな」型護衛艦に因んでいます。
1番艦「はるな」は2009年3月に退役しましたが、その功績を称えるためにハンドル名にしました。
出身 大分県某市(数多くの寺院と石仏が点在する風光明媚な地です)。 現在は大分市内に在住。
経歴 1968(昭和43)年10月…大分県の海と山が美しい小さな町に生まれる。
祖父は戦艦「比叡」や「陸奥」に乗り組んだ経験を持つ帝国海軍の下士官。父は海軍軍人(=祖父)の教育を受けた「昭和の軍国少年」で、今は米内光政と山本五十六を心から尊敬する帝国海軍マニア。

小学生〜中学生の頃…父から帝国海軍式の教育=江田島教育を受けて育つ。
毛布の端は1ミリたりともずらさずに畳む、掃除は同じ箇所を3回磨き、庭には花びら一枚落ちているのを許さないなど、整理整頓と掃除は特にうるさく躾けられる。さらに学習態度や身なり、箸の動かし方まで常に細かな指導が入り、少しでも落ち度があると鉄拳制裁が飛んでくる。これらの事柄をはじめとして、父の江田島教育のエピソードは数々ある。一方、祖父からは海軍時代の武勇伝や思い出話をあれこれ聞かされる。

小学5年生頃…父の書斎にある海軍関係の本を読んでいるうちに帝国海軍に興味を持つようになる。
同時に艦船模型(1/700WLシリーズ)の製作にのめり込みはじめる。ちなみに最初に作った模型は、祖父が乗り組んでいた「比叡」でも「陸奥」でもなく、何故か駆逐艦「有明」。
通っていた小学校で黒板に軍艦の絵を書いたり、尊敬する人物を山本五十六などと答えたために教師から軍国少年として危険視される。

1980(昭和56)年…中学1年生だったこの年、東宝映画「連合艦隊」が公開される。
戦艦「大和」、空母「瑞鶴」のカッコよさ、そして悲劇的な最期に胸を打たれる。戦艦大好き、空母大好きの大艦巨砲主義の中学生となる。
通っていた中学校で、友人と『栗田、なぜ反転する!レイテはあっちだ!!』などと連合艦隊ごっこをしたため教師から危険人物扱いされる。

1984(昭和59)年…高校に進学。この年の春、愛読していた雑誌「丸」の巻頭カラーページに就役したばかりの護衛艦「さわゆき」の姿が掲載され、その美しさに衝撃を受ける。中学生時代から芽生えていた海自への興味が深まり、「ゆき」型護衛艦の艦長になるべく防衛大への進学を志す。

1986(昭和61)年…高校3年の秋、進路指導で担任教師から「文系では護衛艦の艦長にはなれない」と言われ、泣く泣く防衛大受験を諦める。実際は艦長職に文系・理系は関係なく、単に教師が教え子を自衛隊に行かせるのを嫌がっただけだった。(当時は自衛隊を忌み嫌う教師が多かった)

1987(昭和62)年…横須賀の防衛大が駄目だった代わりに、呉に近い広島市内の大学に進学。
4年間、暇さえあればスクーターで呉基地へ行き「からすこじま」から護衛艦や潜水艦を眺めて過ごす。アルバイトで稼いだお金でWLシリーズを大人買いし、高校時代に中断していた模型製作に再び没頭する。

1991(平成3)年…大学を卒業して某新聞社に入社。学生時代を過ごした広島で記者生活をスタート。
入社直後の4月下旬にペルシャ湾への掃海艇派遣が行われ、呉基地での取材を通して海上自衛隊と海上防衛にさらなる興味を抱くようになる。

1992(平成4)年…ペルシャ湾掃海派遣の取材経験を買われ自衛隊担当記者に。以後11年間、勤務地を変えながらも一貫して海上自衛隊と陸上自衛隊の取材活動に取り組む。

2004(平成16)年3月…一身上の都合にて記者を辞める。

2007(平成19)年8月…趣味で撮影した艦艇の写真を友人に褒められてネット上で公開することを考えるようになる。同じ頃、海上自衛隊を広く理解してもらうために記者時代に得た知識を役立てたいと思うようになり、ホームページ製作に着手する。

2008(平成20)年1月1日…海上自衛隊応援サイト「J−NAVY World」を公開開始。現在に至る。

撮影機材 【本体】
・ソニーα77 ・ソニーα77U   (退役)・ソニーα700 ・ソニーα100 ・コニカミノルタ αSWEETDIGITAL
【レンズ】
・ソニー カール・ツァイス Vario-Sonnar T*DT 16-80mm F3.5-4.5 ZA
・ソニー 75−300mm F4.5-5.6 G SSM
・シグマ 17-70mm F2.8-4.5MACRO


ここからはサイトについての説明です。

タイトル名に
ついて
昭和20年8月の終戦で姿を消した日本海軍は、6年後に海上警備隊(海上自衛隊の前身)として復活します。海上警備隊発足に際して集められた元海軍軍人らは「また国がネイビー(NAVY)を始めるらしい」「新しいネイビーを作ろう」という文句に誘われて再結集しました。このことから、自衛艦旗やラッパ譜をはじめとして海上自衛隊には帝国海軍から受け継がれた文化や作法が数多く存在し、3自衛隊の中で唯一旧軍と連続した関係の組織となっています。海上自衛隊自身が「帝国海軍の末裔」を自認しているほどです。

当HPでは、海上自衛隊はネイビー文化という糸で日本海軍と繋がった組織であるという認識から「現代版の日本海軍」であると考えています。ですからタイトル名では海上自衛隊の略称「JMSDF」ではなく「J−NAVY」(Japanease Navy)という代名詞を使用しています。
「J−NAVY World」というタイトル名には「現代版の日本海軍」「21世紀の帝国海軍」である海上自衛隊の様々な話題が詰まったホームページにしたいという想いを込めました。と同時に、日本海軍との繋がりや連続性・共通性も紹介するホームページになればとも考えております。
注意事項 このHPは海上自衛隊マニアのHARUNAが個人で運営しているものであって、防衛省ならびに海上自衛隊とは直接的関係は一切ありません。
当HP内では海上自衛隊への批評や提言が掲載されていますが、それは管理人の個人的な意見・見解であることを予めご了承願います。
当HP内で掲載されている画像は、すべて管理人のHARUNAが撮影したものです。よってその著作権は管理人にあります。無断での商用利用や無断転載、画像掲示板への投稿は禁止します。
リンクに
ついて
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