Vol 31  不祥事発生!正しいマスコミ対処法                                   2008年11月7日

前回のコラムで「次回は明るいテーマにします」と言いましたが、今回も少々暗い内容となりそうです…。

江田島の第1術科学校で特別警備隊員養成課程所属の三等海曹(25)が訓練中に死亡した事故では、前回このコーナーで述べたとおり海上自衛隊という組織が抱えている非常に難しい問題点が浮き彫りとなりました。
と同時に、この事故における海自(正確には呉地方総監部)の報道発表ぶりを見ていたら、海自という組織がさらにもうひとつ大きな問題を抱えていると感じずにはいられませんでした。

その問題点とは… 海上自衛隊はマスコミ対応が致命的に下手  ということです。
今回は元記者であるHARUNAがその経験を基に、海自のマスコミ対応の問題点と不祥事が発生した際の正しいマスコミ対応についてお送りします。

隊員死亡事故は9月に発生しました。この時、海自(呉地方総監部)は「通常訓練における死亡事故」と報道発表し、15人を相手に格闘訓練をしていたことを隠しました。

そして先月、恐らく広島の地元新聞が事故の真相をスクープしたのではないかと思いますが、報道で異常な格闘訓練中の死亡事故であることが明らかになると、海自は「15人相手の訓練を隠していた訳ではない。記者会見で人数を聞かれなかったので言わなかっただけ」と釈明しました。

最悪です。絵に描いたような最低のマスコミ対応です。
ここで問題なのは、なんと言っても事故の真相を隠したことです。

不祥事が発生した際には隠してはいけません。記者会見で包み隠さず全てを明らかにしましょう。
不祥事そのものを隠蔽するのはもってのほか、都合のいい部分だけ発表して都合の悪い部分を隠すのもいけません。
一時的に隠すことはできても必ずいつかはバレます。記者(特に新聞記者)は、役所・警察・自衛隊等の公的機関が隠している不祥事に対して物凄い嗅覚で嗅ぎつけてきます。侮ってはなりません。

私の経験ですが、取材対象が記者に知られたくない何かを隠している時はすぐに分かりました。役所や企業が不祥事を隠していた場合、広報担当者のいる部屋に足を一歩踏み込んだだけで「何かあるな」と感じていました。いつもと空気が違うのです。言い換えれば、老練の記者の感覚や嗅覚とはそれほどまでにも鋭いのです。

バレた不祥事は隠していたが故にニュース価値が高まり、必要以上に大きく扱われてしまいます。
例えば、ある新聞社の記者に隠していた不祥事が知られたとします。その不祥事はスクープ記事として翌朝の新聞に大々的に掲載されます。他社が掴んでいないスクープですから、記事の扱いや掲載スペース・見出しは通常の3〜5割増となってしまうのです。そして大見出し踊る紙面に載った記事は超批判的な論調なのは言うまでもありません。

こうなると、さらなる悲劇が訪れます。
スクープ記事で不祥事が明らかになったあとに開かれる記者会見は、まさに地獄絵図です。
スクープを許した記者たちは、夜も明けきらぬ早朝からデスクや先輩記者から死ねと言わんばかりにこっぴどく叱られます。その後に会見に出席するので会見場は記者たちの殺気に満ち、スクープされた恨みを晴らさんと辛辣な質問を浴びせかけてきます。そして、そこから生まれる記事は批判的なだけではなく超攻撃的な論調となります。

隊員死亡の事故における海自(呉地方総監部)のマスコミ対応は、まさにこのパターンだったのです。
しかも、「15人相手の格闘訓練」を隠していたことを追及されると、「聞かれなかったので答えなかった」と記者に責任転嫁してしまいました。まさに火に油を注ぐ行為です。『海自に国防は任せられない』『旧軍以来の暴力体質』等の辛辣な記事が紙面を踊ったのも頷けます。

海自は事件の真相を隠し、そのことを責任転嫁したことで必要以上にマスコミの集中砲火を浴びたのです。事故発生時に全てを明らかにしていればあれほどまでに叩かれることはなかったかもしれません。

気になるのは、海自は過去にも重大不祥事を隠蔽したものの発覚し、関係者が処分されたことが多々ある点です。

1999年2月には舞鶴基地に停泊していた護衛艦「はるな」が20ミリ機関砲の実弾二発を誤って山林に撃ち込み、護衛艦隊司令部がこれを5ヶ月間にわたって隠蔽。発覚により当時の護衛艦隊司令官が依願退職に追い込まれる事態に至りました。

また去年10月には、2003年にインド洋で給油活動に従事した補給艦「ときわ」の米艦船への給油量が誤っていることを気付きながら隠し続けていたことが明らかになりました。この隠蔽は国会で野党議員から徹底的に追及されることになりました。

これらから感じるのは、海自には不祥事が起きた際にそれを隠そうとする体質があるのではないかということです。
基本的に軍組織とは閉鎖的な世界であり、情報を積極的に外部に発信するものではありませんが、とりわけ海軍(海自)は活動の場が社会から隔絶された海の上ですのでその傾向が強いのかもしれません。

しかしながら、同じ自衛隊でも陸上自衛隊のマスコミ対応は海自とは随分違います。
陸自は不祥事が発生したら直ちに記者会見を開き、そこで全てを明らかにします。私の記者時代、陸自も様々な不祥事を起こしましたが、不祥事そのものを隠蔽したり、都合の悪いことを隠していたという記憶がありません。

ただ、演習場で弾の薬きょうを1個失くしたとか、飛行中のヘリコプターから懐中電灯を山林に落としたといった些細な不祥事でさえも仰々しく会見を開き、事の詳細を懇切丁寧に説明してくれます。さらに会見時にその薬きょうや懐中電灯を捜索中だった場合、発見されれば早朝だろうが深夜だろうが記者個人の携帯に連絡してくるサービス(?)ぶりです。

少々やり過ぎ感はあるものの、不祥事を包み隠さず明らかにし、さらには積極的に記者に情報を提供する。陸自のマスコミ対応は、隠蔽し・責任転嫁した呉地方総監部の対応とはあまりにも対照的です。
そして陸自の懇切丁寧なマスコミ対応は、記事の論調にも影響を及ぼします。
不祥事を起こしたのですからある程度は批判され叩かれるのですが、その論調は割と穏やかな批判でとどまります。
記者も人間です。包み隠さず不祥事を明らかにする姿勢を心の底では評価しているのです。たとえその時は激しい批判記事を書いたとしても、別の機会で明るい話題やお手柄話を記事にしてあげようと考える記者は多いです。

つまり… 不祥事を包み隠さず明らかにすることは、最も有効かつ強力なマスコミ対策なのです。

海自は陸自のマスコミ対応を見習うべきです。と同時に、記者と良好な関係を築くにはどうすればよいか、公正・中立な記事を書いてもらうためにはどうすればよいかを日ごろからよく考えておく必要があると思います。

マスコミ対策や記者との関係構築にお困りの機関・部隊がありましたらご連絡ください。元記者のHARUNAが全国何処へでも駆けつけてマスコミ対策の出前授業をさせていただきます(本気です!)
次回こそ明るくて楽しい話題にしますね…(苦笑)


 Vol 32 15年前…イージス艦との最初の出会い                                 2008年11月30日

弾道ミサイル防衛整備の一環としてMD艦に改修されたイージス護衛艦「ちょうかい」ですが、今月20日にハワイ沖で実施されたSM3発射試験で、残念ながら標的ミサイルの撃墜に失敗してしまいました。

今回の試験は、事前に標的ミサイルの発射時間が知らされないなど昨年(「こんごう」が参加)より実戦的な形式で実施され、「ちょうかい」は標的の探知・識別・追尾そしてSM3の発射と誘導という全ての段階を順調にこなしたものの、標的には命中しなかったということです。

一部報道では、「日本のミサイル防衛に暗雲が立ち込めた」とか「何十億という巨額の試験費用が無駄になった」といった論調も見受けられましたが、私は一度の試験失敗ぐらいで日本のミサイル防衛が揺らぐとは思いません。今後、日米間で原因の分析が進められるということですが、今回の失敗からは命中精度を高めるための多くの教訓が得られるのではないかと期待しております。

今や我が国のミサイル防衛計画の主力として期待される「こんごう」型イージス護衛艦ですが、元々は艦隊を航空機や対艦ミサイルの攻撃から守る艦隊防空艦として整備されました。
1番艦「こんごう」は今から15年前の1993年3月に就役、当時は艦船雑誌等で「海自に画期的な防空システム(=イージスシステム)を備えた艦が就役する」「旧海軍の高雄型重巡を彷彿とさせる巨大な艦橋を持つ大型艦の誕生」といった具合に大きく騒がれました。その騒がれぶりは現在の「ひゅうが」の比ではありませんでした。

「こんごう」就役から約1ヶ月後、呉で護衛艦隊の集合訓練が実施され、それに新鋭の「こんごう」も参加すると聞いて当時24歳だった私は車を飛ばして呉に行きました。
実は、その時に撮影した写真のフィルムを紛失していたのですが、先日奇跡的にそのフィルムが見つかりました。
保存状態が悪かったためフィルムはかなり劣化していたようで、現像した写真は変な色味になっているのですが、そこには多くの隊員やマニアが注目するなか「こんごう」が入港する様子や、15年前の少し懐かしい艦艇たちが写っていました。

←左の写真は、呉港の水平線上に姿を現した「こんごう」(丸線内)。私がイージス艦を初めて目にした瞬間です。

足が震えるくらい猛烈に感動しました!

遠目でもはっきりと分かる特徴的なシルエット、とりわけ巨大な艦橋を持つその姿に、帝国海軍の重巡「愛宕」「高雄」が海の底から蘇って来たかのような不思議な感覚を覚えました。

ちなみに、丸線のすぐ右に停泊している艦は2000年3月に退役した潜水艦救難艦「ふしみ」、写真左端の艦は当時の護衛艦隊の主力の「ゆき」型、また右端には「たかつき」「あまつかぜ」という懐かしいフネたちが写っています(分かりづらいですが…)

私が立っていた岸壁ではすぐそばで当時の最新鋭護衛艦である「はまぎり」「せとぎり」「うみぎり」が停泊していました。

「こんごう」が水平線上に現れると、たくさんの乗組員が双眼鏡を手に上甲板やヘリ甲板に出てきて「こんごう」を眺めていたのが面白かったです。

この3艦は就役からまだ2〜3年しか経っていない最新鋭艦で、3艦で第1護衛隊群第48護衛隊(横須賀)を形成していました。
当時はまだ「むらさめ」型は就役しておらず、第48護衛隊は護衛艦隊で最も新しい艦が揃った花形部隊でした。
「きり」型が最も輝いていた時期ですね。

「こんごう」は、多くの艦が沖留めや桟橋で目刺し係留されている中、当時のメイン桟橋の中央に単艦で係留されました。
今では考えられないほどのお客様扱いです。

左に見える艦は当時の護衛艦隊旗艦「むらくも」で、「むらくも」の甲板でも乗組員が興味深そうに「こんごう」を眺めています。

「こんごう」就役からまだ1ヶ月程度なので、配備先の佐世保以外のフネの乗組員たちにとっては初めて目にするイージス艦だった訳ですね。もちろん、一般人の前に公式に姿を現すのもこの時が初めてで、写真には写っていませんが私の周りには大勢の人たちが「こんごう」を眺めていました。
この年の護衛艦隊集合訓練は、さながらイージス護衛艦「こんごう」のお披露目舞台といった雰囲気でした。

春の心地よい陽射しの下、私は長い時間「こんごう」を眺めていた記憶があります。
「海自にすごいフネが現れたなぁ」「このイージス艦が3隻、4隻と揃った時には護衛艦隊はすごい陣容になるなぁ」「こんなフネの艦長になりたいなぁ」などと思いを巡らす一方で、私は「こんごう」さらには後に続いて建造される同型艦が、艦隊防空という任務にとどまらず、我が国の国防において非常に重要な役割を担うようなるのではないかという予感のようなものを感じました。

その時から15年…、大陸間弾道ミサイルによる日本本土攻撃という新たな脅威に対し、我が国は「こんごう」型イージス護衛艦を「ミサイルから国民を守る盾」に選びました。
「こんごう」「ちょうかい」に続いて来年には「みょうこう」、さ来年には「きりしま」がMD艦に改修される予定です。そして万が一、我が国に向かって弾道ミサイルが飛来してきた場合、それを迎撃するこの4艦はまさに日本国民の命運を握る存在となるのです。

艦隊防空のみならず、今や日本本土の防空までも任されてしまった「こんごう」型ですが、「こんごう」「きりしま」「みょうこう」「ちょうかい」の4隻が仏教の四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)の如く、ミサイル攻撃から日本を守る四天王となって欲しいものです。

頑張れ!「こんごう」「きりしま」「みょうこう」「ちょうかい」!!
ミサイル防衛でお忙しくなるとは思いますが、来年も夏の体験航海で大分に来てくださいね(笑)


 Vol 33 九州・佐伯に「前方展開」〜多用途支援艦「げんかい」                        2008年12月7日

前回は今や日本本土を弾道ミサイルから守る盾となった「こんごう」型イージス護衛艦についてお送りしましたが、今回登場するのは、ある意味「こんごう」型とは対極の位置にいる艦艇です。

その艦艇とは、多用途支援艦「げんかい」です。

このフネには200個以上の対空目標を同時探知するようなイージスシステムも、弾道ミサイルを撃墜するSM3もありません。
というか…武器らしい武器は一切搭載していません(笑)
でもイージス艦同様、海自には欠かせないフネなのです。

「げんかい」は、所属は呉地方隊ですが、艦隊の重要訓練海域である四国沖にほど近い大分県佐伯(佐伯基地分遣隊)に「前方展開」されています。
私にとっては、地元大分に配備されている唯一の海自艦艇ということでとても親しみを感じているフネです。
今回は、HARUNAの「地元のフネ」である「げんかい」についての特集です。

この「げんかい」、「ひうち」型多用途支援艦の4番艦として今年2月に就役、1番艦「ひうち」と入れ替わりで佐伯基地分遣隊に配備されました。
主な任務は水上標的(曳航式&自走式)を用いての艦艇の水上射撃訓練・魚雷発射訓練の支援のほか、航路警戒救難故障で航行不能となった艦の曳航など艦種名どおり多用途にわたっています。
特に水上艦艇への訓練支援では標的の曳航や遠隔操作、さらには着弾観測までこなすなど大忙し。実践的かつ効果的な訓練の実施にはなくてはならない存在なのです。(そういう意味ではミニ訓練支援艦とも言えますね)

「げんかい」と5番艦「えんしゅう」(横須賀に配備)は、1〜3番艦の建造から約9年の歳月を経て建造されたため、随所に改良点が盛り込まれた改「ひうち」型と言うべきフネとなっています。

最も大きな改良点は、両舷の艦橋と煙突の間に設置された減揺水槽です(写真矢印の部分)。
「ひうち」型は、船体長の割に上部構造物に高さがあるために波浪時の揺れが激しく、その対策として設けられました。

この装備の詳細は分かりませんが、恐らく艦の動揺モーメントと正反対の動揺モーメントを水槽内の液体に発生させて揺れを打ち消す仕組みではないかと考えられます。

この減揺水槽、そんなに大きな装置ではないのですが、これにより「げんかい」と「えんしゅう」は1〜3番艦とは随分と異なる雰囲気の外観を持つに至りました。(ゴツイ感じになったなぁ)
さらに「げんかい」と「えんしゅう」は、潜水艦への訓練支援能力が強化されました。
「げんかい」が「ひうち」に代わって佐伯に配備され、「えんしゅう」が2番艦「すおう」に代わって横須賀に配備されたのはこのためです。(「ひうち」は舞鶴、「すおう」は大湊へ転籍しました)

「げんかい」の艦内をご案内します。まずは艦橋です。
今年2月に就役したばかりとあって艦内はとてもキレイ。艦橋の装備も最新のものが並んでいます。
写真右の手前の席は操舵員席。舵輪は輪型ではなく飛行機の操縦桿のような形のものが採用されています。


左の写真は艦橋後部にある自走式標的の管制室。この部屋から標的を遠隔操作して水上艦の訓練を支援します。
「げんかい」にはCICはないのですが、この部屋が実質的に「げんかい」のCICと言えます。
右は機関室。「げんかい」はディーゼル推進で最大出力は5000馬力です。


次は士官室(写真左)と医務室(右)。
士官室は艦長、運用長兼副長、船務長兼補給長、機関長、航海長、掌運用士の幹部6人で使用しています。
医務室はさすがに護衛艦のものより狭いですが、このクラスの艦にしては充実している印象でした。




続いては一般隊員の憩いの場である科員食堂(写真左)と、一日の疲れを癒す浴場(右)です。
科員食堂にはジュースやアイスの販売機もあって、張り詰めた空気の艦内にあって和やかな雰囲気の場所です。
真水の製造能力が優れているため、浴場ではシャワーだけではなく浴槽のお湯も真水が使われているとのことです。



大分県内に配備されている唯一の海自艦艇・多用途支援艦「げんかい」についてご紹介・ご説明しましたが、可愛らしくどこか愛嬌のある外観とは対照的に、艦内は最新装備が揃った立派な「軍艦」です
1000トンに満たない小柄な艦艇ですが、地元に配備されているのはとても心強いものがあります。艦隊への支援活動のみならず、災害時には私たち大分県民のために活躍してくれることでしょう

頑張れ!「げんかい」!!(このところこのパターンが続いているなぁ…苦笑)

ところで、今回の「げんかい」の画像は、先月29〜30日に西大分港で実施された体験航海にて撮影したものです。
燃料費高騰により各地でこの種のイベントの中止が検討されているなか、実施に踏み切った大分地方協力本部と「げんかい」ならびに呉警備隊に心から感謝いたします。

大分地方協力本部様、来年の夏も絶対に体験航海をお願いします!またイージス艦を呼んでください(笑)


 Vol 34 1年間の運営で分かった当サイトの特徴                                2008年12月31日

早いもので2008年もきょう1日のみとなってしまいました。(ホントあっという間でした…)
そして明日1月1日は2009年の始まりの日であると同時に、「J−NAVY World」開設満一年の記念日でもあります。

サイトの制作と運営に関しては全くの素人であった私が、一年間運営を続けることができたのはプチ奇跡です(笑)
正直、去年の今頃はサイトを始めてもすぐに飽きたり、更新の煩わしさが嫌になって投げ出してしまうのではないかと思っておりました。でも、こんな拙いサイトでも毎日のように訪問してくれる方がいたり、励ましやお褒めのメールをいただいたりしたことで、なんとか一年間続けることができました。サイトを訪れてくれた海自ファン・艦船マニアの方々に心から感謝申し上げます。ありがとうございました!!

今年最後の「出港用意!」は、1年間運営して分かったこのサイトの特徴についてお送りします。

私がこのサイトを開設する前に気になっていたことは、「サイトをアップしたら毎日どれくらいアクセスがあるのだろう?」「どんな人が訪れるのだろう?」ということでした。

今このコラムを執筆している時点(12月31日正午)で総アクセス数は1万1100。1日の訪問者数は4月頃までは10〜20人程度、夏頃には若干増えて30〜40人、今では45〜65人程度の方が訪れてくれています。
総アクセスが1万の大台を超えたことは素直に嬉しいですね♪

1日の訪問者数は100人を目標にしていただけに、少々残念な気がしないでもありません。しかしながら、検索サイトで直接「コラム」等のページに入り、そのまま退出する未カウントの訪問者もかなりの数います。(私のサイトはトップページを訪れないとカウンターが回らないのです)
これらの訪問者を含めると現時点で1日平均90〜100人の訪問があり、こちらもまずまずの結果ではないかと思っております。(海自に特化したコアなサイトにこれだけのアクセスがあるのは案外凄いのかもしれません…笑)

で、どんな人がこのサイトを訪れているのか?
アクセス解析ではもちろん個人の特定はできませんが、アクセスしてきたドメイン名が分かります。アクセス元が個人で契約しているプロバイダ経由なのか、または官公庁や企業などが独自に設置したサーバー経由なのかが分かりますので、訪問者のおおまかな傾向を掴むことができます。
この1年間で私のサイトに最も多くアクセスした訪問者ってどんな人だと思いますか?

防衛省です。

休日を除いてほぼ毎日、早朝から夕方まで頻繁に閲覧していただいております。
長時間だらだらとHPを見ているほど防衛省の人たちは暇ではないでしょうから、恐らく仕事上の参考にしてくれているのではないかと考えられます。とても光栄で嬉しいのですが、ただ単に監視されているだけかもしれません(笑)
元記者ということで一般人が知らない防衛機密を知っていて、それをサイトでバラすのではないかと…。ですから「おやしお」型潜水艦の最大潜航深度といった機密事項をこのコーナーで書こうものなら、すぐさま警務隊から出頭要請が来る恐れがあります(笑)

次いで多いのが防衛産業に関わる企業の方々。こちらも仕事の参考にしていただいている可能性が高いのですが、業界の性格上、個人的にも海自や艦艇に興味がある人が多いのかもしれませんね。
防衛省にしろ防衛関連企業にしろ、ある意味で海自や艦艇に対してプロ・玄人の方々ですので、このような方に閲覧していただいているのはサイトのクオリティが認められたようでとても嬉しいです♪

このほか大学(進路選びの参考かな?)や地方自治体(港湾入港手続きの参考?)からのアクセスも多く、海自が不祥事を起こすと某国営放送をはじめとしてテレビ局や新聞社からのアクセスが急増します。
特別警備隊での死亡事故の際には、私がかつて勤めていた新聞社からアクセスがあったのには笑ってしまいました。

最も嬉しいのは現職の海上自衛官の方々に閲覧してもらえていることです。
アクセス解析では閲覧者が海上自衛官かどうかは当然分からないのですが、ちょくちょくメールが届くので分かりました。
メールの内容も感想や激励、お褒めの言葉のほか、誤った記述に対しての指摘、さらには貴重な体験談やウラ話、情報提供などとても興味深いものばかりで、このような方々の為にもサイトを充実させねばとの意を強くしました。メールを送ってくれた海上自衛官の皆様、本当にありがとうございました!

私のサイトは、大きく分けて「艦艇ギャラリー」「階級章・徽章」「コラム・出港用意」の3つのコーナーがあるのですが、最もアクセスが多いのは「階級章・徽章」、次いで「出港用意!」「艦艇ギャラリー」の順となっています。

私が最も力を入れ、3つのコーナーの中でも質量ともに最も充実している「艦艇ギャラリー」が最下位なのは、少々複雑な気分です(苦笑)

日によっては閲覧されたページの7割から8割が「階級章・徽章」のコーナーで、「ギャラリー」の閲覧はごくわずかいうこともあります。
海自の階級章や徽章はとてもカッコいいので、艦艇に関心はなくても階級章には興味を持つ人が多いのでしょうね。
もうひとつの要因としては検索サイトにおける表示順位が関係していると考えられます。
艦艇の画像を公開しているサイトはネット上に星の数ほどありますので、検索結果で上位に表示されるのは非常に難しい=アクセスが飛躍的に伸びることもないというのが実情のようです。
一方、階級章や徽章を紹介するサイトは非常に稀(=競争相手が少ない)ので上位に表示され、それが高いアクセス数に繋がっているようです。ですから、「海上自衛隊 階級章」という検索ワードでアクセスしてくる人が非常に多く、ほかにも「海自 徽章」「水上艦艇徽章」「一等海佐」「防衛記念章」など階級章・徽章に関する用語が訪問者の検索ワード全体の7割近くを占めています。逆に「ギャラリー」はブックマークによる常連さんの訪問が大多数を占めています
これらのことから、「階級章」で検索して私のサイトに初めて訪問する艦艇の画像や超オタクな内容のコラムがあることを知る常連さんになり「ギャラリー」や「出港用意」も閲覧するというパターンができているようにも見受けられます。

私が予想していた以上にアクセスがあるのがこの「出港用意!」のコーナーです。
当初は、海自と艦艇への思い入れが強いだけの拙い文章を誰が読むのかと心配しておりましたが、新作をアップした翌日には階級章より多いアクセスがあり、内容についても反響のメールが届きます。なかにはこの「出港用意!」だけを見ている方もいて、トップページに来たものの「出港用意!」が更新されていないことを知るやすぐさま立ち去ってしまう方が結構いるのです。こんな拙い文章を楽しみにしていただいて本当に感謝感激です。
仕事が忙しくなったり、取材や事実確認に手間取ったりすると執筆のペースがガクンと落ちてしまいますが、来年は今年よりさらにコアな内容で、今年以上の本数を執筆したいと考えております。

続いては、「艦艇ギャラリー」のコーナーについてです。
日によってアクセス数が乱高下するものの、熱心な常連さんに訪問していただいていております。

アクセス一番人気は「護衛艦ひゅうが型」。
造船所で艤装中の泊まり絵が10枚あるだけなのに突出したアクセス数を誇っています。初の「軽空母」ということで海自ファンにとどまらず関心が高いようです。
二位は「護衛艦こんごう型」。さすがイージス艦、人気は不動です。
三位は「護衛艦むらさめ型」。あの芸術的なステルスデザインと流れるような船体のラインが人気なのでしょうね。
以上、アクセス解析を基に当サイトの特徴を説明してきました。いかがでしたか?
最後に来年の抱負について。
先にも記しましたが、このコラムを今年以上のペースで執筆したいと考えております。また「階級章・徽章」のコーナーが高いアクセスを誇ることから、このコーナーに正月明けにも新たなコンテンツを加える予定です。その中にはレアなアイテムも含まれる予定ですので乞う期待!!

撮影では、3月に護衛艦「はるな」が退役となりますので、退役直前の「はるな」の勇姿を撮影するために再び舞鶴に遠征することを計画しております。さらにはGWにはまだ一度も訪れたことがない北方艦隊の拠点・大湊への遠征も予定しております。さらに来年度は護衛艦「ひゅうが」、潜水艦「そうりゅう」という超注目の新型艦船も就役しますので、この2艦の美しい姿を写真に収めたいと思っております。

いずれにしろ来年は今年以上に、遠征・撮影・コラム執筆・画像更新に追われる忙しい(=楽しい)一年になりそうです(お金もたくさん使いそうです…笑) 来年も「J−NAVY World」をよろしくお願いします。
それでは皆様、良いお年を!

 Vol 35 2009年の海自展望〜存在意義と真価が問われる年                         2009年1月15日

少々遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。

年末の前回にも記しましたが、今年は去年以上のペースでこのコラムを執筆したいと考えております。
また艦艇撮影ですが、未踏の大湊への遠征舞鶴再遠征を計画しておりますし、まとまった休みが取れれば横須賀・呉・佐世保の各基地に精力的に足を運びたいと考えております。(部長、今年も存分に休暇を取らせていただきます!笑)

さて、2009年一回目の「出港用意!」は今年の海上自衛隊を、私HARUNAの視点から展望してみたいと思います。

考えてみると、去年は2月に起きた「あたご」の漁船衝突特別警備隊での隊員死亡といった重大事故の発生のほか、護衛艦隊と航空集団の大改編などまさに激動の年だったと思います。

今年は、重大な事故や不祥事が起きないのは言うまでもなく、去年の不祥事発生を受けて立案された組織改革の指針(「抜本的改革の実行上の指針」=昨年12月24日海幕長通達)が着実に実行され、海自が精強でなおかつ隊員にとって働きやすい組織になることを切に願っております。

しかしながら、今年も海上自衛隊が進む航路上には大きな荒波が待ち受けているような気がしてなりません。
これは何も「今年も事故や不祥事が立て続けに起こる」と言っている訳ではありません。(と言いつつ、いきなり鹿児島湾で潜水艦「おやしお」が警戒船との接触事故を起こしていますが…)
ここで私が言う「大きな荒波」とは海自を苦しめ続けている敵のことです。
その敵とは何か?
テポドンミサイルを日本本土に向けていると言われている北朝鮮でもなく、急速に増強した海軍力を背景に西太平洋の覇権を虎視眈々と狙っている中国でもありません。

2009年における海上自衛隊の最大の敵、それは国民の海上防衛と海自に対する無理解だと私は考えます。
この問題は今に始まったことではことではありませんが、この無理解が昨年そして今年と海自をのっぴきならない状況に追い込んでいるという気がしてならないのです。

そのひとつの象徴的な例が、昨年末から政府内で検討されているソマリア沖への海自艦艇の派遣です。
これは、海上輸送の要衝で年間2万隻の船舶が航行しているソマリア沖海域に出没する海賊対策のために海自の艦艇を派遣するというものです。
この海域を航行する船舶の46%が日本関係の貨物を運んでいることや、日本を除くG8の各国が艦艇を派遣していること、さらには海運業界からの強い要望を受けて海自派遣が検討されることになったもので、マスコミでも産経・読売という自衛隊の海外活動に寛容な社に加え経済紙の日経新聞までもが、派遣を強く求める論調を展開しています。

しかしながら、私は海自艦艇のソマリア沖派遣には大反対です!
船舶が危険にさらされている海運関係者のご苦労は理解します。また、このままでは国際的な責任が果たせないという政府の立場もよく分かります。
でも、毎年のように予算・人員・装備を減らされ、加えてインド洋での補給活動という実任務を背負っている今の海上自衛隊にソマリア沖に艦艇を派遣するような余裕はありません。

海自の実情を知らず、いや知ろうともせず、「国際貢献だ!」「艦艇の派遣だ!」と叫ぶのはいかがなものでしょうか。


帝国海軍の伝統を受け継ぐ海自では、たとえどんなに困難な任務であろうとお国(=政府)の決定に従い、黙々と任務達成に向けて努力するという美風があります。
ですから、ソマリア沖派遣が決定すれば海自は人員・艦艇・業務計画等を必死にやりくりして任務を遂行することでしょう。

しかし、それが海洋国家・日本を守る「海軍」の本当の姿でしょうか?
いくら国際貢献が大切とはいえ、その遂行のためにただでさえ少ない人員と艦艇を割かれ、戦力がガタ落ちした艦隊で日々の海上防衛や訓練に窮々とするようでは本末転倒と言わざるを得ません。

我が国の海上防衛を脅かすもの、それは大陸の危険な国々ではなく「(政府を含めた)国民の認識の低さ・無理解」であるという事がお分かりでしょう。
残念なことに、海自はここ十数年この無理解という「内なる敵」に苦しめられ続けているのです。その結果、海自は去年頃から組織が正常に機能しない危険水域に入ったと私は感じています。

日本は四方を海に囲まれた海洋国家であるにも関わらず、海上防衛を担う海自の人員・装備は削減の一途にあります。
海上防衛の重要性を理解しない政治家・官僚たちが予算削減を進めてきたからです。

1980年代は増員が認められないまま艦艇の建造を進めた結果、艦艇乗組員の定員割れが慢性的となりましたが、90年代半ば以降は、防衛関連予算の削減を目論む財務省に「日本を海上から侵攻する脅威が遠のいた」というもっともらしい大義名分を押し付けられて、防衛大綱が改訂されるたびに艦艇・航空機・人員の削減が盛り込まれてきました。
現在、主力兵力である護衛艦は47隻。2000年と比べ7隻の減少、1991年からは15隻も削減されています。
その一方で、インド洋での補給活動や弾道ミサイルへの対処、国際貢献活動など過去にはなかった多くの実任務が課せられるようになりました。艦艇・人員の不足は明らかです。

昨年3月に護衛艦隊の大規模な改編が実施されましたが、この改編も相次ぐ削減でギリギリの数にある艦艇を適切に修理、練成し、効率的に任務にあたらせることを目的とした苦肉の策でした。
地域性や各艦の母港を全く無視したようなあの不思議な護衛隊群の編成は、見方を変えれば、あのようないびつな編成にしなければ部隊の練度を維持できないほど護衛艦の運用は切迫しているのです。

さらに、人材面でも海自は深刻な状況にあります。

先にも述べた80年代から続く慢性的な定員割れは、乗組員一人あたりの業務の著しい増大を招きました。乗組員は日常業務に追われて疲弊するだけではなく、本来、自己研鑽や指導・教育に充てられる時間をも失い、ひいてはそれが艦艇乗組員組織の注意力とチェック機能の低下に繋がっています。
「あたご」が起こした事故の遠因はここにあると私は考えています。

さらに国民の海上防衛のへの無関心は、海上自衛官を志望する若者の減少を招き、入隊した若者の中には海上自衛官に必要な資質や価値観を持ち合わせないというミスマッチも誘発しています。
一方、現職の隊員は厳しくかつ膨大な業務を強いられる艦艇勤務に疲れ、加えて国民になかなか評価されない己の職務に誇りを持つことができず、それが不用意な行動や不祥事を招いているという実情もあるようです。

このように、政治家と官僚も含めた国民の海上防衛への無関心・認識の低さは、装備と人材の両面で海自を蝕んでおり、昨年立て続けに発生した事故や不祥事は、海上自衛隊という組織が危機的な状況にあるというシグナルなのかも知れません。

かといって、海上防衛は一日の中断も許されませんし、人員や艦艇が急に増える訳でもありませんから、海自は現状の装備と人員で2009年の活動をこなさなければなりません。
昨年失った国民の信頼を回復する一方で、海上防衛と海外での実任務で成果を挙げなければなりません。
そういう意味では、2009年は海上自衛隊にとって誕生以来最も苦しく、なおかつその存在意義と真価を問われる一年になるのではないでしょうか。頑張れ!負けるな!海上自衛隊!!

2年目を迎えた当サイトも、ひとりでも多くの方が海上防衛と海自に関心を持ってもらえるよう頑張ります!
有給休暇を取りまくり、私財(?)を投げ打って撮影と取材に駆け巡ります。