Vol 26  階級と役職と色の関係                                            2008年9月6日

1ヶ月以上に及んだ「撮影強化月間」が終わりました。

横須賀、呉、佐世保、そして地元の大分と、ほぼ毎週末ごとに撮影に出かけました。
おかげで顔や腕は日焼けで真っ黒体重は2キロ減り、夏の賞与でそこそこ貯まっていた貯金はあっという間に激減してしまいました(苦笑)

この間に撮影した画像は約8500枚!サイトにアップするどころか、1枚1枚に目を通してアップする画像を選ぶ作業で目を回している状況です…。
既に一部アップした画像もありますが、まだほんの一部です。9月を「画像アップ強化月間」として頑張って作業しますので、艦艇ファンの皆さん、楽しみにしていてくださいね♪(自分で言うのも何ですが、ホントいい写真が撮れてます!)

さて、今回は「階級と役職と色の関係」というテーマです。
一見、不思議なテーマですが、皆さんは艦艇の一般公開で艦橋に上がった際、右舷側にある艦長席にカラフルなカバーが掛けられているのを見たことがあるかと思います。

←これは、護衛艦「いなづま」の艦長席です。

先月の撮影遠征で艦橋内を撮影していると、このカラフルな艦長席を見た見学者から、『お兄さん、どうして艦長の席はこんなに派手な色なの?』と尋ねられました。(しかも一度のみならず二度、三度そういう事がありました)

また、案内役の隊員さんに同じ質問をしている見学者も大勢いましたし、中には一緒に見学に来たお友達に『偉い人の席の色は赤青と決まっているんだ!』と、残念ながら間違った説明をしている方もいらっしゃいました。
そこで、おせっかいながらも、私HARUNAが階級と色の関係についてご説明させていただきます(笑)
海自では艦長や司令という役職、そしてその役職に就いている階級に応じて色が定められています。
私たちがよく目にするものでは艦長席のカバー双眼鏡のストラップなどがその色になっています。

上記の「いなづま」の赤青ツートンカラーの艦長席ですが、艦長の階級が二等海佐の場合、この色となります。

双眼鏡のストラップも、左の写真のように艦長席と同じ赤青のツートンカラーです。(とてもカッコいい!!)

この色、二佐専用の色という訳ではなく、掃海艇やミサイル艇など艦長・艇長が三等海佐や一等海尉の場合もこの赤青ツートンカラーとなります。
時折、雑誌等で『三佐以下の艦長の場合は青一色』という説明が見受けられますが、これは誤りです。

そういう意味では、この赤青ツートンカラーは二佐という階級というよりも艦長職に対して与えられた色と言えるでしょう。

一方、↓は同じ艦長席でもイージス護衛艦「こんごう」の艦長席です。

ご覧のとおり「いなづま」とは異なり、赤一色です。

「こんごう」の艦長は一等海佐です。つまり、艦長が一等海佐の場合、艦長席は赤一色となります。

艦長の上官である隊司令も一佐の配置ですが、隊司令が坐乗する艦では左舷側の司令席にも赤一色のカバーが掛けられます。

例えば、一佐が艦長を務める「こんごう」に隊司令が乗り込んで来たら、艦橋の右舷と左舷両側に赤い色の座席が存在することになります。

もちろん、双眼鏡のストラップも赤一色です。

艦艇で勤務する一佐と言えば、隊司令、艦長のほかに群司令部の首席幕僚がいます。通常、幕僚は緑色のストラップを付けるのですが、一佐である首席幕僚はこの赤いストラップを使用しています。

これらのことから、この赤色は赤青ツートンカラーとは異なり、一佐という固有の階級に与えられた色と言うことができます。
防衛大や一般大を出た幹部全員が昇進できる二佐とは異なり、一佐は厳しい競争をくぐり抜けた幹部のみが昇進する階級ですので、特別に固有の色が与えられていると考えられます。

ただ例外もあって、二佐が就く掃海隊司令やミサイル艇隊司令の司令席とストラップの色はこの赤色です。
この場合は、掃海隊司令・ミサイル艇隊司令という役職に対して赤色が与えられていることになります。

そして、↓の眩しいくらいに鮮やかな黄色の席は海将・海将補、いわゆる将官用の席です。

護衛艦隊旗艦(「さわかぜ」)の司令官席、そして第1〜4の各護衛隊群旗艦の群司令席が、この黄色の席です。

また、観艦式や展示訓練等で海上幕僚長地方総監といった普段は陸上で勤務している将官が艦艇に乗り込んで来た場合も、左舷の指揮官用の席は黄色となります。

黄色は将官という選りすぐられた幹部のみが辿り着く階級に与えられた特別な色なのです。
実際に、黄色一色に覆われた席を目の当たりにすると、「とても偉い人の席」という空気がビンビンに伝わってきます。

双眼鏡のストラップも黄色。とても鮮やかです!

制帽の桜葉模様やベタ金の階級章など、将官はとにかく金色に輝く眩しい存在です。黄色は金色に近い色合いであるため将官用の色に定められています。

また、黄色である理由はもうひとつあって、将官が乗った艦艇は出入港時に他の艦艇から敬礼を受けるのですが、その際、将官は遠くからでもその姿が識別できるよう、双眼鏡のストラップをよく目立つ色(=黄色)にしておく必要があるのです。

実際、艦橋のウイング部や艦橋上の露天甲板に立って敬礼を受ける将官は、この黄色いストラップを首から下げているお陰で、遠くからでもその存在をはっきりと認識することができます。

で、↓が副長以下、艦の幹部たちが付ける双眼鏡。ストラップの色は青色です。

大型艦の副長には二佐が配置されていますが、二佐であっても艦長でなければこの青色のストラップです。
このほか、海曹・海士用は白色司令部幕僚や隊付は緑色となっています。

さらに、黄色と赤のツートンカラーのストラップも存在します。
護衛艦隊の幕僚長掃海隊群の幕僚長の双眼鏡がこの黄赤でした。
これは、共に将官である護衛艦隊司令官と幕僚長を区別するため、幕僚長をはじめとして多くの一佐がいる掃海隊群司令部の中で幕僚長を区別するために用いられています。
これまでの話をまとめると、
黄色=将官 ○=一佐&隊司令職 ○=二佐以下の艦長職 ○=副長以下の幹部 ○=曹士
=幕僚・隊付 ○=将官または一佐で特に区別が必要な役職(護衛艦隊幕僚長&掃海隊群幕僚長)となります。

では、何故このように階級や役職で色が定められているかと言うと、艦艇の活動の場が海の上だからです。

海の上では気象条件が刻一刻と変化し、そこで艦艇が作戦や訓練、航海をするためには状況を素早く艦の責任者(艦長)に伝える必要があり、逆に艦長は己の決断を素早く副長以下の乗組員に伝え実行させなければなりません。
また海戦時には指揮官への報告のわずかな遅れが勝敗に直結します。

このため、司令・艦長といった指揮官や幕僚長をはじめとする重要幹部の所在を素早く把握し、命令や報告を迅速に伝達するために階級と役職で色が定められているのです。

この色の指定は将官や一佐、艦長職においては双眼鏡のストラップや座席だけではなく、ペン立て交通艇内の敷物、さらには士官室入り口の帽子掛けのネームプレートにまで適用されています。
このコラムをご覧になった皆さん、一般公開などで艦内に入ることがあったらぜひ注意して探してみてください。

ちなみに、私は二佐艦長の赤青ストラップがとても気に入っています。私のカメラにもあのストラップを付けたいくらいです。何処かで売っていないかなぁ…(笑)


 Vol 27 新型DDH「ひゅうが」の真の価値とは                                   2008年9月15日

前回、「今月は画像アップ強化月間」と宣言したこともあり、このところ頻繁に遠征で撮影した画像をアップしております。

このコーナーで艦艇ファンの皆さんの期待を煽ったからか、それとも検索サイトの順位が上がったのか、この一週間、訪問者数が急増しております。やはり閲覧数を上げるには頻繁な更新が近道なのだと実感しております。
昨日、「補給艦ましゅう型」をアップしましたが、今後は「むらさめ型」「たかなみ型」「はつゆき型」などファンの間でも高い人気を誇る艦艇のアップが続きます。乞うご期待!!

そんな艦艇ファンが、今もっとも関心を寄せている新型DDH「ひゅうが」が今回のテーマです。

関心の高さはこのサイトへのアクセスにも表れており、この1ヶ月間の訪問者の約3分の1が『護衛艦ひゅうが』『ひゅうがの画像』『DDH181』など、「ひゅうが」に関するワードを検索してアクセスしてきています。
それに伴って、わずか10枚の画像、しかも造船所で艤装中の泊まり絵しかない「護衛艦ひゅうが型画像集」が、このサイトのアクセス1のページとなっています。

7月下旬から公試運転が始まり、「ひゅうが」に対する艦船ファンの関心が異様に高まっていることを受けて、艦船雑誌も相次いで「ひゅうが」に絡めた特集を組んでいます。

『Jシップス』(左)は、ずばり「日米の空母」。

今月末に横須賀に配備される米原子力空母「ジョージ・ワシントン」の紹介をはじめ、太平洋戦争における日米空母対決の解説、各国海軍の空母保有状況の分析といった記事が掲載されています。

「ひゅうが」について書かれた記事の中には、『DDHとはいえ内容は立派なヘリ空母』『「ひゅうが」の運用経験を基に将来は固定翼機を運用する軽空母の建造も考えられる』となどいった一節があり、日本の空母を保有を喜び、今後さらなる本格空母の誕生に期待を寄せている空気がひしひしと伝わってきます。

一方、『世界の艦船』(右)は、「海上自衛隊の艦隊航空」という特集内容です。
公試運転中の「ひゅうが」の姿が巻頭カラー特集で取り上げられているほか、海自の対潜ヘリ運用の歴史やヘリ搭載護衛艦・対潜ヘリの発達史、DDHの航空艤装の解説など硬派な艦艇雑誌らしい記事が掲載されています。
驚いたのは、「ひゅうが」について解説・分析する記事のタイトルで『軽空母ひゅうが』と言い切っている点です。

確かに「ひゅうが」は分類上は護衛艦ですが、全通甲板を持つ船体形状砲を持たない兵装対潜ヘリコプター3機(最大10機程度)を搭載してその運用と指揮・通信に特化した性能は紛れもなく「ヘリコプター空母」と言えるでしょう。
そして私自身、「ひゅうが」の誕生は海自さらには日本にとって非常に有益であると考えています。(入れ替わりで「はるな」が退役するのが残念ですが…笑)

だからといって、「ひゅうが」の誕生を「ついに海自が空母を保有した!」と単純に喜ぶのには違和感を感じます。

海自が「ひゅうが」を保有する意義、「ひゅうが」の存在価値は「ヘリ空母」であるという点ではないと私は考えます。

「ひゅうが」は老朽化した護衛艦「はるな」の代替として計画・建造されました。
約40年前、海自は全通甲板を持つヘリ空母の建造を目論んだものの実現には至らず、代わりに船体後半分を飛行甲板としたDDH「はるな」を就役させました。
その「はるな」の代替として「ひゅうが」が建造されたという事実だけをみれば、海自はヘリ空母保有という40年来の夢を実現させたことになります。

ただ、「ひゅうが」の誕生は、DDH「はるな」の代替艦をヘリ空母にしたという単純な図式では語れません。
国家財政が厳しいこのご時世に約1000億円もの高価な艦艇が建造された背景には、我が国を取り巻く「新たな脅威」に対応するための新しいタイプの護衛艦が必要になったという防衛上の事情があります。

2004年に発表された現在の防衛計画大綱は、防衛力で対処すべき新たな脅威として@弾道ミサイルの迎撃、Aゲリラ・特殊部隊による攻撃への対応、B島嶼部に対する侵略への対応、C武装工作船への対処、D大規模・特殊災害への対応を挙げています。

現在の海自の護衛艦は基本的に対潜水艦作戦とシーレーン防衛を目的に整備されており、上記の「新たな脅威」に十分に対応できないことが予想される為、新タイプの護衛艦=「ひゅうが」の整備と至った訳です。

そして「ひゅうが」の船型は、上記A〜Dの脅威に対処するために必要な装備を盛り込んだ結果であると私は考えます。

すなわち―
対潜ヘリだけではなく大型の輸送ヘリを運用できる能力
ヘリの格納・整備だけではなく戦闘部隊(海自特別警備隊・陸自部隊等)の輸送や災害救援物資を大量搭載可能な広いスペース
乗艦してきた戦闘部隊の作戦指揮を強力にバックアップする優れた通信機能と司令部施設
被災者の避難と救護、さらには自治体の災害対策本部も設置可能な設備 ―等々     

これらの機能を盛り込んで設計した結果、「ひゅうが」は全通甲板や巨大な格納庫を持つ空母型になったのです。

つまり、「ひゅうが」は最初から空母を建造するという目的で設計されたフネではないのです。

「ひゅうが」は空母と言うよりも、多目的護衛艦指揮・通信艦というべき性格のフネであり、米海軍のブルーリッジ型に近いタイプのフネだと思います。
そして「ひゅうが」の価値・存在意義は、ゲリラや工作船、大規模災害など私たち日本国民に忍び寄る得体の知れぬ脅威に対して強力に対処することができる本当の意味での『護衛艦』が誕生したことにあると私は考えます。

とは言うものの、米・英・仏のみならずインドやタイ、ブラジルまでもが空母を保有し(この三国は英・仏の中古購入)、さらには中国が空母建造を画策している昨今のシーパワーの実情の中では、海自内部に「ひゅうが」(=ヘリ空母・軽空母)の保有で「海自もこれでやっと一流海軍になれた」という空気があるもの確かでしょう。

来年3月の就役前後には、新聞・テレビ・雑誌、さらには配備が予定されている横須賀の観光業界などが空母・空母とお祭り騒ぎする様子が目に浮かびます。
それはそれで国民が海上防衛に目を向けるきっかけになれば良いと思いますが、中国・韓国等の周辺諸国が日本の軍事大国化に懸念を表明し(実際はマスコミが懸念を表明させている)、朝○新聞などに『日本の空母保有に懸念の声』『生かされぬ先の大戦の反省』などという見出しや記事が紙面を踊るのではないかと心配しております(苦笑)

防衛担当記者諸君、「ひゅうが」の記事を書く前にこのコラムに目を通したまえ!(笑)


 Vol 28 美しい国の美しい名をした自衛艦                                     2008年9月28日

春は、あけぼの。 やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
(春は、あけぼのの頃がよい。だんだんに白くなっていく山際が、少し明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいているのがよい)

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山

(いつの間にか、春が過ぎ去り、夏が訪れたようですね。天の香具山では、白い衣がはためいていますもの)

上は日本の古典文学の代表作「枕草子」の最も有名な一節、そして下は日本最古の歌集である「万葉集」の中で私が最も好きな歌(作者は持統天皇)です。
どちらも日本人の心の原風景というか、日本の国の美しさを見事に言い表した文・歌ではないでしょうか。

「枕草子」「万葉集」をはじめとする古典文学にみられるように、日本人は古来から季節や気象現象、風光明媚な山や海・景色に風流と趣を感じてきた民族です。

そしてそんな美しい国・日本を守る自衛艦たちも、まるで「枕草子」や「万葉集」から抜き出したかのような美しい名前を持っています。

上の「枕草子」の一節には、そのものズバリ「あけぼの」という護衛艦の名が含まれています。

その下の『春すぎて〜』の歌には「香具山」という山が登場します。この山から名を取った自衛艦はないものの、大型の護衛艦には「比叡山」「愛宕山」「足柄山」など古典文学ではおなじみの山の名が付けられています。


自衛艦の名前は、海上幕僚監部の担当者が起案し防衛大臣が決裁します。そして艦の命名基準は下の表のようになっています。
種別 命名基準 艦名例 種別 命名基準 艦名例
護衛艦 気象・山岳・河川・地方の名 あけぼの あたご とね 海洋観測艦 海浜・浦の名 すま・にちなん
潜水艦 海象(潮)・瑞祥動物の名 くろしお そうりゅう 音響測定艦 海湾の名 ひびき はりま
掃海艦 島の名 やえやま みやじま 砕氷艦 山・氷河の名 しらせ
掃海艇 敷設艦 岬の名 むろと
掃海母艦 海峡・水道の名 うらが ぶんご 潜水艦救難艦 城の名 ちはや ちよだ
ミサイル艇 鳥の名 はやぶさ わかたか 潜水艦救難母艦
輸送艦 半島の名 おおすみ くにさき 試験艦 文化に関する地名 あすか くりはま
練習艦 神宮の名 かしま 補給艦 湖の名 ましゅう はまな
訓練支援艦 峡谷の名 くろべ てんりゅう 特務艇 風光明媚な地名 はしだて

こうして改めて命名基準を眺めてみると、海自艦艇がいかに美しい名を纏っているかが実感できますね。

しかも、それぞれの艦種に与えられた名前が、とてもよく似合っていると思いませんか?
護衛艦に与えられている「あけぼの」や「さわかぜ」「たかなみ」などといった気象現象の名は、海上を高速で軽快に駆け抜ける護衛艦のイメージにぴったりですし、大型護衛艦(DDH・イージス艦)に付けられている「ひえい」や「あたご」といった山の名は、艦が洋上にどっしりと浮かぶ姿と重なります。

さらに、小型の掃海艇は海に浮かぶ島の名、各種装備の試験を行う試験艦には文明・文化に関する地名といったふうに艦の特徴がとても上手に命名基準に反映されています。
中でも私が関心したのが湖の名を付けることになっている補給艦で、艦隊に真水を補給するその姿が、真水を湛え川を通して海に水を絶え間なく流している湖の姿と重なるということで補給艦=湖の名になったということです。お見事!!

自衛艦は軍艦であり、極論すれば「戦争のための兵器」です。
兵器に気象現象や山、名所旧跡等の風流で趣のある名を与えているのは、さすが『春はあけぼの〜』の国民性というべき現象でしょう。
当然、諸外国の海軍ではこんなことはありません。

アメリカ海軍を例にみると、先日横須賀に配備された空母「ジョージ・ワシントン」は、初代大統領であるジョージ・ワシントンからの命名ですし、イージス駆逐艦「アレイ・バーグ」は有名な海軍軍人の名、空母「カール・ビンソン」は海軍の予算拡大に功績のあった議員の名前です。
これを日本に例えるなら「護衛艦伊藤博文」「護衛艦山本五十六」「護衛艦中曽根康弘」といった感じになります。
うわぁ〜すげえ変な感じ…。こんな護衛艦はいやだわ(苦笑)

しかしながら、アメリカ海軍には空母や巡洋艦、駆逐艦等に人名を付けたフネが多数ありますし、フランス海軍の空母「シャルル・ドゴール」、韓国海軍の駆逐艦「世宋大王」といったふうに人名の艦名は世界では割と一般的です。

一方、日本では旧海軍時代を含めても、人名を冠した艦艇は存在しません。艦艇に人名を付ける風習がないのです。(砕氷艦「しらせ」は日本人で初めて南極探検を行った白瀬陸軍中尉からの命名と思われがちですが、実際は白瀬中尉が発見した白瀬氷原からの命名です)
艦艇は兵器とはいえ、ミサイルや大砲、爆弾のような危険な雰囲気は一切なく、港に停泊している姿や洋上を航行する姿はとても美しく、時には周囲の風景に溶け込んでいます。そんな風景と一体化した美しい艦艇の姿を目の当たりにすると、「美しい国・日本」を守るフネには人名や勇ましい名前は似合わないと実感します。

ちなみに、私が海自艦艇で最も秀逸な艦名だと感じているフネは何かというと…。

音響測定艦「ひびき」です。

音響測定艦は海湾の名前から命名することになっており、「ひびき」は関門海峡の北西に広がる響灘からの命名です。
この響灘と音響を意味する「響き(ひびき)」をかけた艦名はお見事というほかありません。

この「ひびき」のほか、最近では「あたご」「そうりゅう」「ひゅうが」など旧海軍との繋がりを彷彿とさせる一方で、とてもセンスを感じる艦の命名が続いています。海幕の担当者に座布団三枚を贈呈したいと思います。(笑)
つい最近、ある雑誌で著名な軍事評論家である岡○い○く氏が、「人名を冠した艦名は世界標準であり、今後は海自にも『とうごう』や『なぐも』、『ひでよし』といった艦名があってもいいんじゃないか」といったことを書いているのを読みました。もし本気で言っているとしたら軍事評論家としての見識を疑わざるを得ません。何考えてんだか…(苦笑)


 Vol 29 決して失敗作ではない「きり」型護衛艦の凄さ                             2008年10月7日

昨日、新コンテンツとしてブログを開設しました。(タイトルは『晴天なれども波高し!』)

ブログでは、このコーナーで書くほどの事ではないものの、日々の生活の中で気になった海自の話題(海自以外の話題も)やサイト運営の裏話などを書き綴っていこうかと考えております。
新聞に例えると、この「出港用意!」は解説・社説、ブログは社会面のベタ記事みたいなイメージです。よろしければブログの方もご覧になってくださいませ♪

さて、暦は早や10月。
私のパソコン机の前の壁に貼っているカレンダー(柴田光雄氏の『群青08』)、10月は護衛艦「はまぎり」のとても美しい写真が使われています。
ということで、今回は「きり」型護衛艦がテーマです。

「きり」型は護衛艦隊の中核を担っている艦なのですが、海自艦艇史に名を刻む「ゆき」型とVLS(垂直発射装置)等の新機軸を盛り込んだ「むらさめ」型に挟まれ、今ひとつ目立たない地味な存在となってしまっています。

加えて、ヘリコプター格納庫が巨大な垂直平面を晒しているのをはじめとする設計上の数々の問題点が指摘され、大絶賛を浴びた「ゆき」型とは対照的に「失敗作」のレッテルを貼られてしまっている感があります。

そのためか艦船ファンの人気も今ひとつで、このサイトにおいても「きり」型のページ閲覧数は、「ゆき」型や「むらさめ」型に遠く及びません。
私は「きり」型が「失敗作」だとは思いません。それどころか、海自艦艇史に名を刻む傑作艦だと思っています。

「きり」型護衛艦は、「ゆき」型の改良型汎用護衛艦として1988年から1991年までの4年間に8隻が建造されました。
「ゆき」型がわずか3000tの船体に重武装と航空艤装を詰め込んだ結果、設計段階からトップヘビー気味となり、加えて後日装備した兵装や上部構造物の鋼鉄化によってトップヘビーに拍車がかかってしまったことから、船体を拡大して余裕のある兵装配置とトップヘビーの解消(=低重心化)を実現させたのが「きり」型です。

現在、「あさぎり」「やまぎり」「うみぎり」が呉に、「ゆうぎり」「はまぎり」「せとぎり」が大湊「あまぎり」が舞鶴「さわぎり」が佐世保に配備されています。
このうち1番艦の「あさぎり」と2番艦の「やまぎり」は練習艦に種別変更されています。

「きり」型はとても特徴のあるスタイルをしています。
鋭く尖った艦首、低く抑えられた艦橋、2本のマストに2本の煙突、そしてそびえ立つ巨大なヘリコプター格納庫。
海自護衛艦史上、これほどまでに特徴的な外観をした艦は例がありません。その姿は遥か水平線の彼方からでもすぐに「きり」型だと識別できるほどです。

このスタイルは「ゆき」型の運用実績や反省点を考慮した結果採用されたものですが、艦艇ファンの間ではこの特異な外観に賛否両論が巻き起こり、軍事評論家からは「設計ミス」「失敗作」と言われるなど、まるで踏んだり蹴ったりです。

「きり」型の評価を下げているのが、左の写真にある巨大な格納庫と格納庫の上に立つ後部マストです。

格納庫は特に右舷側で広大な平面が垂直にそそり立っており、これがレーダー対策上の致命的な欠点だと言われています。
しかしながら、「きり」型が設計された1984年当時はステルス性という概念は無きに等しい状況でしたので、格納庫の容量を重視したこの設計は止むを得ないと思います。

一方、後部マストは後部煙突からの熱煙がマスト上の機器に悪影響を及ぼし、マスト本体が熱で焼け焦げたこともあったそうです。
ただ、マストと煙突の問題はこのフネに限ったことではなく、「きり」型でもその後しっかりと対策が施されています。

このほか、「マストの形状がステルス的に問題がある」とか「竜骨の強度が足りない」(本当なのか?)とか色々と言われていますが、例えそのような問題点を抱えているとしても、それを補って余りあるほどの利点が「きり」型にはあります。

記者時代に取材でお世話になった幹部の方が約2年間、「きり」型の後期艦(5〜8番艦)の艦長をしていたのですが、その幹部は「きり」型について「とても扱いやすくていいフネだった」と言っていました。
その証言をもとに「きり」型の優秀性をご紹介します。

まず特筆すべきなのは、艦の安定性です。
トップヘビーだった「ゆき」型の反省を踏まえて徹底した低重心化を図った設計なので安定性は抜群。高速回頭時には良好な復元性をみせ、また荒波が押し寄せる大時化(しけ)の海も難なく乗り切ることができるということです。

次に挙げるのは航行性能です。
機関は「ゆき」型のCOGOG推進からCOGAG推進へと進化、排水量は「ゆき」型から500t大きくなった程度なのに機関出力は9000馬力アップの54000馬力を誇ります。
つまり、艦のサイズに不釣合いな程の高出力を持ち、加えて凌波性能が高いクリッパー型艦首を持つことから、最高速力は公称では「ゆき」型と同じ30ノットですが、実は32ノットを出すことも可能な護衛艦隊一の俊足ランナーなのです。


「設計ミス」との指摘の標的となった巨大な格納庫は広くて作業がしやすく、ヘリコプターも場合によっては2機搭載することが可能です。

後部煙突からの熱煙で焼け焦げた後部マストですが、各種レーダーを備え付けた前部マストから離れた後部マストにESM(電波探知装置)を置くという理想的な配置により、レーダーとESMの電波干渉がない優れた電子戦能力を持つに至りました。

マニアの間で「低くてカッコ悪い」と言われた艦橋ですが、横幅があることから、航海や見張り時の視界の良さに繋がり、出入港時には作業指示を伝えやすいという利点があります。
兵装は「ゆき」型とほぼ同じで目新しいものはありませんが、揚鎖機や揚艇機、艦内の空調システムは新式のものが採用され、「はまぎり」以降の後期艦では初めて科員用に2段ベッドが導入されるなど、「きり」型は乗組員の居住性や作業能率を改善するための新機軸が多数導入されているフネなのです。

どぉ〜です。ここまで読んでみると、もはや「きり」型は「失敗作」でも「設計ミス」でもなく、海自艦艇史に名を刻む傑作艦であるということがお分かりいただけたと思います。(自分でも執筆しながら驚きました…笑)

ここまで述べてきた素晴らしい性能に加え、「きり」型には他の艦にはない美しさも備えていると思います。
鋭く尖った艦首から艦尾に向かって流れるように伸びる船体ラインは美しいの一言に尽きますし、重心の低いシルエットは獲物を狙うライオンのような精悍な雰囲気を感じさせます。

最後に…、このコーナーでしょっちゅう言っている事ですが…今回も言わせていただきます。
「きり」型護衛艦の艦長になりたい! そして艦橋で「出港用意!」と叫んでみたいっ!!  失礼しました…。


 Vol 30 伝統墨守?時代錯誤?海自の美しくも悲しき体質                          2008年10月19日

またしても海上自衛隊でとても残念な不祥事が起きてしまいました。

江田島にある第1術科学校で、特別警備隊(SBU)の隊員を養成する課程に所属していた三等海曹(25)が、1人で15人を相手にする異常な格闘訓練中に頭を強打し死亡していたことが明らかになったのです。
しかも、海自は事故発生当初に「隊員は1対1の格闘訓練中に死亡した」と発表し、事実を隠蔽していました。

イージス護衛艦「あたご」の漁船衝突事故や護衛艦「さわゆき」の放火をはじめとして、この1年間だけでも海自では不祥事が相次いでいます。そしてその最中に起きた今回の隊員死亡事故、新聞・テレビはお得意の海自叩きをヒートアップさせ、「海自は暴力集団」と言わんばかりの報道ぶりです。

その中のひとつ、朝日新聞においては、「1対15の格闘訓練は離脱者へのリンチ」「旧軍以来の暴力体質が浮き彫りとなった」「特殊部隊という密室性が隊員を暴徒化させた」「特別警備隊の訓練を情報公開しろ」などといった論調で、相次ぐ不祥事と合わせて「海自は組織全体がたるんで壊れている」「このような組織で国防は大丈夫か」と結論付けています。

今回、海自は訓練で隊員を死亡させるという最も許されない事態を起こしてしまっているのですから、新聞・テレビに叩かれるのは仕方がないと思いますし、私も新聞・テレビの論調同様、「海自は組織に重大な問題を抱えている」と考えています。

しかしながら、今の新聞・テレビの記者は海上自衛隊という組織を分かっていません。ですから結局は「組織がたるんでいる」とか「旧軍以来の暴力体質」という程度のありきたりの問題点しか指摘できていないのです。

海上自衛隊という組織が抱える問題点は「たるんでいる」「暴力体質」などという生易しいものではなく、もっと根深く厄介な問題を孕んでいるのです。

今回の事故ですが、1人で15人を相手に格闘するというのは一般的な感覚からすれば異常な訓練であり、どう見ても集団暴行です。しかしながら、それに関与した隊員や教官は暴行とは思っていなかったと思います。
そこが大問題です。
 
事故が起きたのは特別警備隊の隊員を養成する課程の訓練でした。
海上自衛隊の特別警備隊というのは、1999年3月に起きた能登半島沖不審船事件を教訓に設立された部隊で、ヘリや艦船から不審船に乗り移り、その船内で敵を制圧する一種の特殊部隊です。
 特殊部隊ですから、特別警備隊の詳細は全く明らかにされておらず、日本で最も海自に理解がある地元自治体の江田島町でさえも、部隊設立の際には極端に情報が少ないことに驚き、海自に抗議をしたほどです。

そしてその訓練内容も秘密のベールに隠されています。

私が知る限りにおいては、特別警備隊の訓練は一般人からみたら異常としか思えないようなことばかりです。
差し障りのない範囲で訓練の一部を明らかにしますが、「数日間ほとんど飲まず食わず眠らずの状態で戦闘」「何十キロもある丸太を抱えてマラソン」といったような肉体と精神を極限状態まで追い詰める訓練や、「両手両足を縛られたままプールに投げ込まれる」「手足を拘束された状態で敵と闘う」といったような極めて不利な状況において敵と闘う訓練などが代表的です。

「凄い」とか「過酷」を通り越して、マゾの集まりとしか思えないような部隊が特別警備隊なのです。
ですから「1人で15人を相手に闘う」というのは、特別警備隊においては普通の訓練だったのかもしれません。
 
このような特殊部隊の特有の隊風に加えて、海自には帝国海軍以来の厳しい伝統があります。
とりわけ「教育=殴ってでも蹴ってでも徹底的に教え込む」という伝統があり、海自の教育機関では教官による殴る・叩くの指導が当たり前のものとなっています。
ただ、この「暴力的な指導」はいわゆる「愛のムチ」であって、教える側(教官)は指導で手を上げる代わりに最後まで責任を持って生徒を一人前に育て上げるという、今の学校教育が失くした美風であると私は思います。

そしてもうひとつ、海自の教育が厳しいのは、陸地を遠く離れた海の上での艦内生活という過酷な勤務に耐える精神的な支えを築くという意味もあります。ここでいう精神的な支えとは、困難にぶち当たった時に「あの厳しい教育訓練を乗り越えたのだから大丈夫」という強さです。
なぜこの強さが必要なのか。乗組員全員が力を合わせることで最大の戦闘力を発揮する艦艇においては、たった一人でさえも勤務に耐え切れずくじけることは許されないからです。

これらのことを踏まえて今回の事故を分析してみると、問題の「1対15の格闘訓練」は、特別警備隊の訓練についていけず他の部隊に異動する隊員に対して一種のセレモニーとして行われた可能性が高いです。
ただその「セレモニー」は、新聞・テレビが報じている「落伍者を懲らしめる見せしめ」というよりは、「15人と闘うという過酷な訓練を乗り越えた」という経験をさせて、ともすれば「落伍者」「出戻り」といったレッテルが貼られがちな異動先の部隊で胸を張って勤務ができるようにしてあげたかったのだと私は考えます。

「なんて都合のいい解釈を…」とお思いになる方もいるかもしれませんが、海上自衛隊とは良い意味でも悪い意味でも、かくも教育熱心でおせっかいな組織なのです。(私は記者時代、常々このことを感じてきました)

今回の事故が悲劇的であるのは、教育的配慮から実施された悪意のない真剣な訓練で隊員が死亡し、結果的には単なる集団暴行事件となってしまった点です。
若い隊員が死亡するという最悪な事態が起きてしまっている現実を鑑みると、残念ながらその伝統と配慮(1対15の格闘訓練)は一般社会の感覚からは大きくズレていると言わざるをえません。

さらに残念なのは、訓練中に隊員が危険な状態に陥る前に教官らがストップをかけなかったことです。
そう、今の海自には隊内の常識が一般社会の非常識となってしまう前にブレーキをかける人間がいないのです。 


洋の東西を問わず、海軍という組織は陸地を遠く離れて洋上という陸上の常識が通用しない世界で生きているために、一般社会とは隔絶した独特の世界と価値観を持ってしまう傾向があります。

それは海自も同様で、加えて、帝国海軍から脈々と受け継ぐ伝統と戦後に米海軍から取り入れた文化が混じり合った「Japanease Navy World」というべき独特の文化があります。

このところ海自で事故や不祥事が続出しているのは、この海自文化と日本の社会との間に大きな隔たりが生じてきている表れではないでしょうか。
朝日新聞は海自の組織はたるみ、崩壊していると論じていましたが、これは誤りです。むしろ、組織は引き締まり正常に機能しているからこそ不祥事は発生してしまっているのです。

すなわち、それは、一般社会と隔絶された世界で黙々と任務に邁進する一方で、伝統と文化を愚直で頑なにまで守ろうとする組織の姿であり、それが社会常識から逸脱しそうになってもブレーキが効かない組織の姿でもあります。
その結果…、
その独特の社会・価値観についていけない隊員が不祥事を起こし、愛情を込めたつもりの教育や訓練が結果的に単なる暴行事件になってしまっているのです。

伝統墨守か、それとも時代錯誤なのか?「21世紀の日本海軍」は、己の中に極めて厄介で攻略の糸口さえ容易につかめない難敵を抱えているのです。

今回は最後までため息が出そうな内容になってしまいました。次回は明るく楽しいテーマにします(苦笑)