Vol 21  艦艇広報は1個護衛隊群の戦力に匹敵!?                             2008年7月18日

久しぶりの更新です。

私の仕事が先月末から一年で最も忙しい時期に突入してしまい、知力と体力と激しく消耗する(笑)当コラムの執筆ができずにいました。
この忙しさは今週末で一区切りつきそうなのですが、残念ながらこの土日は休日出勤をしなければならず、博多湾で開催される「博多海防人まつり」の体験航海を泣く泣く断念しました(護衛艦「きりさめ」に乗る予定だったのに…)

しかしながら、7月末から8月末までの期間は体験航海や艦艇公開といった海自のイベントが各地で目白押しであり、私も26日に地元の体験航海に参加(護衛艦「しまかぜ」に乗艦します!)するのを皮切りに、横須賀のサマーフェスタ、佐世保のシーサイドフェスティバルなどなど、来月いっぱいまでほぼ毎週末ごとに各地のイベントに出かける予定です。

夏の日差しを浴びる艦艇の美しい姿を写真に収め、このサイトにアップするのが楽しみなのですが、一方でこの過密スケジュールに体力と財力を心配せずにはいられません(笑)

海自がこの時期に多くのイベントや艦艇広報を実施する最大の理由は、ズバリ、入隊希望者の確保です。

つまり、中学生高校生に海自の魅力を知ってもらい、進路選択の際に海上自衛隊への入隊を希望してもらおうという訳です。
ですから、体験航海や艦艇公開の会場の片隅には必ずと言っていいほど募集相談のコーナーがありますし、イベントの多くが地方協力本部の主催であるのもこの為です。
入隊希望者の確保という意味では、私のような40歳目前の艦船マニアは「招かざる客人」なのかも知れません(笑)

本来は入隊者の確保が目的の艦艇広報ですが、私はもうひとつ大きな役割があると考えています。
それは、国民の中に一人でも多くの海自ファンを作ることです。

海自は活動の主舞台が陸地から遠く離れた海の上ですから、陸自や空自と比べてその働きぶりが今ひとつ国民に知られていない気がします。
そしてその事は、自衛隊入隊希望者の海自敬遠新聞・テレビの悪意に満ちた報道などといった弊害を招いていると私は考えます。

海自側もその事は先刻承知のようで、近年の広報行事・広報体制は10年前とは比べものにならないほどの充実ぶりです

振り返れば、私の興味の対象が帝国海軍から海自に切り替わったのも大学生の時に行った呉の艦艇公開がきっかけでした。
その後、私は海自が意図するレベルを大きく逸脱した熱烈な海自ファンとなってしまった訳ですが、さすがに皆が皆、私のようになる事はないと思いますし、そうなる必要もないと思います。

ただ間違いなく言えることは、広報イベントの参加者の大半は、生の姿の海自を目の当たりにして大なり小なり感銘を受けるということです。
ある人は艦艇の美しさに、ある人は乗組員のテキパキとした働きぶりに、そしてある人は艦長のカッコ良さにと、心を打つシーンは人それぞれだと思います(ちなみに私は艦長の「出港用意!!」がシビれます)

そして、イベントで見た海自隊員の姿・印象は、そのまま海上自衛隊全体のイメージにつながります。
忙しい訓練の合間を縫ってイベントに駆けつけ、見学者を受け入れる艦艇側のご苦労はお察ししますが、一人でも多くの参加者が海自ファンとなるよう、乗組員の方々は細心の注意ともてなしの心を持って応対していただきたいと思います。

広報イベントで多くの海自ファンが生まれれば、つまり国民の多くが海自の味方になれば、ある部分は無理解が原因と考えられる昨今の海自に対する世間の風当たりも変わってくるのではないでしょうか。
そう言う意味では、艦艇の広報イベントは1個護衛隊、いや、1個護衛隊群の戦力に相当すると言っても過言ではないでしょう(根拠はありませんが…笑)

隊員の印象がそのまま海自全体のイメージにつながるという観点からすると、私には気になることがあります。
それは、呉地方総監部の広報係の隊員の印象が実に悪いということです。

呉基地では毎週日曜日に艦艇の一般公開が実施されていますが、今年の春頃から見学者の案内・引率をしている隊員が、見学者の間ですこぶる評判が悪いのです。

この隊員は長年潜水艦に乗組んできた海曹の方なのですが、とにかく言葉遣いが悪い。口調がきつく、しかも命令調。何も悪いことはしていないのに叱られている気分になります。
長年、機密の塊である潜水艦に乗っていた影響か「潜水艦を撮影するな」と声高に叫びます。水面に出ている部分に機密なんてないのに自意識過剰としか言いようがありません。

私がただならぬマニアと気付いたのか、「変なものを撮るな」「帰る前に画像を確認させろ」とまで言ってきたことがあります。
全く冗談ではありません。スマートな海自の隊員というよりも帝国陸軍の軍人みたいです。

この隊員の影響なのか、部下の隊員(海士)もまた口うるさく、艦艇を撮影しようと集合ポイントや見学者が歩く導線をほんの2〜3メートル外れようものなら「そこは立ち入り禁止区域です!」と叫びます。何それ?

例の海曹の性格が広報係全体に影響していると考えられるのですが、呉基地ではこれまで見学者側にも問題行動が多々あったようです。
「大和ミュージアム」や「てつのくじら館」のオープンで、呉の艦艇公開にはこれらの施設から多くの観光客が流れて来て、勝手に基地内を動き回る、広報担当艦ではないフネに立ち入る、艦艇内で何かのスイッチを押したため艦全体に警報が鳴り響くといったことが実際に起こったとのことです。

このような質の良くない見学者が押し寄せて来る訳ですから、広報係には「海自ファンをつくろう」というよりも「何も問題を起こさずに見学者を帰したい」という考えが強いのかもしれません。

しかしながら、このような悪質な見学者はごく一部であり、多くは真面目に海自を知りたい、艦艇を見学したいという人たちです。中には遠く関東や東北地方から来る人たちもいます。そのような見学者に上記のような応対をするとどうなるか…それはもうお分かりだと思います。

護衛艦から潜水艦、さらには訓練支援艦、音響測定艦といった特殊なフネをも擁する呉基地は、広報においても海自の中心的役割を担う基地だと私は考えます。ですから、「広報は1個護衛隊群の戦力に匹敵する」という意識を持ち、即刻、今のような応対を改めていただきたいと切に願います。

腹いせに「アレイからすこじま」から潜水艦を大量に撮影しました。近日中にアップしますのでお楽しみに(笑)


  Vol 22  MD艦「こんごう」を激撮せよ!                                    2008年7月28日 

連日、身を焦がすように暑い日が続いております。
まさに本格的な夏が到来したと思わせる今日このごろですが、前回お伝えしたように、この時期は各地で海自のイベントが目白押しで、艦船マニアにとっては一年で最も多忙かつ心躍る季節でもあります。

私も先週末から、体力と財力を惜しげもなく投入する撮影強化月間に突入しました。

真夏の海原に浮かぶ艦船の美しい姿を写真に収め、「艦艇ギャラリー」をより一層充実させたいと思っております。
考えてみれば、私のサイトは内容を充実させようと思えば各地(各基地)に撮影遠征しなければならない訳で、そういう意味では非常に高コストなサイトと言えるでしょう。(お金が貯まらない訳だ…笑)

撮影強化月間の第1弾は、いきなりクライマックスとさえ言える大物が相手です。
地元の大分港大在埠頭で開催された体験航海、マニアお客さんを乗せるためにやってきた艦艇は…。

イージス護衛艦「こんごう」護衛艦「しまかぜ」です。

すごいでしょ!
とても片田舎のイベントとは思えぬ超ド級の顔ぶれです。

今年各地で開催されるイベント(展示訓練を除く)で、これほどの大物が2隻も参加するものは全国広しと言えども他にありません。異例とも言える豪華絢爛ぶりです。

大分では毎年7月下旬に体験航海が開催されるのですが、大分地方協力本部が海自と太いパイプを持っていることもあり、毎年第一線級の大型艦がやって来ます。
去年は護衛艦「ゆうだち」と「まきなみ」が来ましたし、過去には「くらま」「さわかぜ」「あけぼの」「くにさき」等が来たほか、潜水艦「なだしお」や「はるしお」が来て体験航海の代わりに艦内を一般公開したこともありました。さらには司令官が坐乗した護衛艦隊旗艦「たちかぜ」が当時の第5護衛隊(「あまぎり」「うみぎり」)を率いて来航したこともありました。

そして今年…。なんと言っても最大のターゲットは「こんごう」です。
日本のイージス艦の記念すべき第1号艦であり、イージス艦の代名詞とも言える「こんごう」ですが、去年ミサイル防衛で運用するための改修を受け海自初の「MD艦」となりました。日本で唯一、我が国を目がけて飛来する弾道ミサイルをスタンダードSM3で撃ち落すことができるフネなのです。

「こんごう」が改修されるまで日本は弾道ミサイルによる攻撃に対して全くの無力、丸裸の状態でした。
つまり、弾道ミサイルへの迎撃能力を持つ「こんごう」は某国によるミサイル攻撃から日本を守る唯一の傘なのです。

そんなフネがよくぞ大分の体験航海に来てくれました!

せっかくの機会です。MD艦「こんごう」の美しいお姿と精強さを余すことなく伝えるべく写真を撮りまくって来ました。
天気も抜けるような青空が広がり、風光明媚な別府湾に浮かぶ「こんごう」の美しい姿を捉えることができました。艦艇写真家の柴田三雄氏の作品に負けないくらいの出来栄えです(笑)

その写真の一部をご紹介します。
まずは停泊中の姿、そして0800(午前8時)の自衛艦旗掲揚のシーンです。



0930(午前9時30分)、いよいよ別府湾に向けて出港です。


「しまかぜ」の前方を航行する「こんごう」(左)、途中から2隻で並走します。


「こんごう」艦橋上の1護群司令・河村海将補に敬礼(左)、その後「しまかぜ」が「こんごう」を追い抜きました。


「しまかぜ」の後方を航行する「こんごう」(左)、変針点にて面舵一杯!


1100(午前11時)、無事大在埠頭に戻って来ました。

ざっと時系列に体験航海における「こんごう」の勇姿をご紹介しましたが、これらは撮影した写真のほんの一部であり、まだまだ素敵なカットが沢山あります。近日中に「艦艇ギャラリー」にアップしますのでお楽しみに♪
ただ、「こんごう」だけで700枚近くも撮影してしまいました。写真を取捨選択するのが大変だぁ…(苦笑)

次回ですが、大在埠頭体験航海レポ第2弾として、護衛艦「しまかぜ」で出会った素敵な艦長さんについてお伝えします。


 Vol 23 ミサイル護衛艦を束ねる名艦長                                      2008年8月4日

夏真っ盛り、そして撮影強化期間真っ盛りの今日このごろです。

私、HARUNAは先週末、横須賀のサマーフェスタと佐世保のシーサイドフェスティバルに遠征してきました。
横須賀と佐世保のイベントを移動日なしでハシゴするという、今どきアイドル歌手の地方キャンペーンでもしないような強行日程でした。そのため連日の灼熱地獄と睡眠不足により熱中症のような状態になってしまい、本日は会社を早退してしまいました…。部長、ゴメンナサイ…。

これらのイベントのレポは次回にお送りするとして、今回は前回予告していたように護衛艦「しまかぜ」でお会いした艦長さんについてお伝えします。

先々週、地元大分で行われた体験航海。私が乗艦したのはイージス護衛艦「こんごう」ではなく「しまかぜ」の方でした。

つまり、大分地方協力本部に乗艦券を申し込む際に「しまかぜ」を希望した訳です。

なぜ「しまかぜ」を選んだかというと、海上を航行する「こんごう」を撮影するには並走する「しまかぜ」に乗る必要があったこと、そして「こんごう」よりも知名度が劣る「しまかぜ」の方が乗艦券を入手しやすいと考えたためです。(大分の体験航海は毎年3〜5倍という高い競争率での抽選となっており、乗艦券が入手しにくいことで有名です)
私の戦略は見事にハマリ、めでたく乗艦券を入手することができました。
考えてみれば、「しまかぜ」は今から約20年前に私が初めて足を踏み入れた海自艦艇であり、現用艦の魅力に目覚めるきっかけを与えてくれたフネでもあります。そういう意味では私とは深い縁、硬い絆で結ばれたフネなのかもしれませんね♪

出港1時間前の0830に乗艦、早速艦橋上の露天甲板に昇って撮影にとりかかりました。
この日は抜けるような青空が広がる好天で、気温もまだ9時前だというのに35度近くに達していました。私は10分もしないうちに汗だくになり、たまらず艦橋内に駆け込みました。
「しまかぜ」は艦長席の後方頭上にエアコンが設置されており(茶色い家庭用民生機が取り付けられています)、私はその下(=艦長席の真横)で冷たい風にあたって涼んでいました。

その時、艦橋内にいた隊員の間に緊張が走りました。一瞬ですが明らかに空気が変わりました。
「しまかぜ」艦長・藤村栄次2佐が艦橋に上がってきたのです。

その時私は…クーラーの下(=艦長席の真横)で涼んでおりました…(汗)

気付いた時には既に遅し、艦長席に歩み寄った藤村艦長は、その横にいた私を見るや敬礼し「おはようございます。ようこそいらっしゃいました」と声をかけたのです。

艦長から先に敬礼していただくなんて何と畏れ多いことでしょう。
私は慌てて姿勢を正し、10度の敬礼で答礼させていただきました。
「お邪魔しておりますっ!!」←まるで新品3尉のようなうわずった声でした(苦笑)

藤村艦長ですが、今年3月から「しまかぜ」の艦長を務めており、その前は護衛艦隊司令部の幕僚でした。
艦長勤務は「しまかぜ」が3隻目で、過去には護衛艦「せんだい」と「たかなみ」で艦長を務めています。

引き締まった筋肉質の体躯と日焼けした肌、そして鋭い眼光…私がこれまでお会いした艦長の中で最も「潮気」を感じました。まさに「海の男」「プロの船乗り」といった雰囲気です。
「たかなみ」艦長時代には『J‐Ships』という雑誌にインタビュー記事が掲載されたこともあり、私がその事について話すと嬉しそうに笑っておられました。
それがきっかけとなり、出港までの約40分間、私は藤村艦長と海自談義に花を咲かせました。
艦長職の魅力や乗組員の指導方針、「しまかぜ」の特徴、操艦の注意点などのほか、失敗談や最近の海自の不祥事に至るまで、時にはユーモアを交えながらざっくばらんにお話していただきました。

途中、艦橋で配置に就いている副長や航海長らから「出港30分前になりました!」「機関、人員異常なし!」といった報告を受けます。報告の度に藤村艦長は良く通る声で「了解!」と応え、出港の要領や注意点などについて明確な指示を与えておられました。
その様子を見て私は思いました。
もしかしたら藤村艦長は厳しい艦長なのかも知れない。しかし卓越した経験と指導力を持っており、この艦長に鍛えられる幹部や隊員はとても幸せだと。

0930、藤村艦長の「出港用意!!」の号令で「しまかぜ」は岸壁を離れました。

艦橋のウイングで様々な指示を出す艦長、その指示を受けて動き回る幹部たち、その動きは実にキビキビしていて無駄がありません。思ったとおり実に良く鍛えられています。

第1護衛隊群の年度優秀艦に選ばれるのではと思えるほど「しまかぜ」の乗組員はいい動きをしていました。

藤村艦長の指導方針は『チャレンジ、バックアップ』です。
「艦艇は乗組員のチームプレーがあってこそ動く。互いに助け合うことではじめて新たな挑戦ができる」との想いを込めた方針ということです。
『精強』とか『即応』といった指導方針を掲げる艦長が多い中、長年にわたる艦艇勤務の経験に基づいた藤村艦長の指導方針に、私は今の「しまかぜ」の強さの一端を垣間見た思いがします。

そんな藤村艦長ですが、艦が沖合いに出て操艦を航海長に託した後は、気軽に参加者と会話をしたり、並走する「こんごう」を夢中で撮影しまくっている私に「ここからいい写真が撮れますよ。でも海に落ちないでくださいね」と場所を譲ってくれたりと、サービス精神とユーモアたっぷりの心遣いをしていただきました。

元々は海上を航行する「こんごう」を撮影するのを目的に乗艦した「しまかぜ」でしたが、このような素晴らしい艦長にお会いできたので、「しまかぜ」を選んで本当に良かったと思います。

『勇将のもとに弱卒なし』
これからも「しまかぜ」は藤村艦長の統率と指導の下、厳しい任務と訓練に取り組んでいきます。そして我が国の海上防衛は、このような艦長と乗組員たちの努力によって支えられていると改めて実感しました。
頑張れ!藤村艦長。頑張れ!「しまかぜ」。

「こんごう」の写真もたくさん撮れたし、素晴らしい艦長にも出会えて、とてもいい体験航海でした。
このサイトをご覧の方々の地元にも「しまかぜ」が寄港して一般公開があるなら、是非とも藤村艦長と乗組員に会いに行ってみてください(笑)


 Vol 24 ヨコスカサマーフェスタにいた艦艇たち                                  2008年8月15日

お盆です。
ただ、私の勤めている会社はお盆休みなどなく、それどころか今年はお盆期間中が異様なほど忙しく、世間の夏休みムードとはかけ離れた生活が続いております。

その一方で、先週末も仕事で疲れた身体に鞭打って撮影遠征に出かけました。
どんなに疲れていても撮影当日は朝早く目が覚め、灼熱の炎天下での撮影においても全く疲れを感じません。つくづく「俺ってホントにフネ好きなのね♪」と実感しております。祖父(=帝国海軍の鬼兵曹)から受け継いだ海軍DNAが、私を海へ、基地へ、そして艦艇へと誘っているのでしょう(笑)

さて今回は、少々遅くなりましたが、今月2日に遠征した「ヨコスカサマーフェスタ」についてお送りします。

海自4大基地のうち、呉、佐世保、舞鶴は週末に基地内の岸壁に立ち入ることが可能で、艦艇を間近で撮影することができます。
さらには、広報担当艦に乗艦して見学することもできます。(場合によっては艦内も立ち入りOK)

一方、横須賀は他基地のような週末の艦艇広報がありません。
したがって艦艇を基地内の岸壁から至近距離で撮影することはできず、このサイトでも横須賀所属艦艇の画像は、高台や対岸の岸壁から望遠で撮影したものばかりとなっています。

横須賀は最新鋭艦に加え、ユニークな支援艦艇も多数所属しているだけに、手をこまねいている訳にはいきません。

そこで、年に数回ある基地の開放の中でも最も規模が大きく、イベントも満載の「サマーフェスタ」に遠征となった訳です。
この「サマーフェスタ」と同じ日には米海軍の基地開放花火大会も開催され、三笠公園周辺には多数の露店が出るなど、この日横須賀市はお祭りムード一色となります。

横須賀基地内を自由に闊歩し、横須賀所属艦艇を至近距離から思う存分撮影しまくる、想像しただけでも心躍ります♪
とりわけ「むらさめ」「はるさめ」「いかづち」「あすか」「にちなん」あたりがメインターゲットです。(「しらね」も撮りたいけど病院送りになっていますしね…笑)

8月2日0930、私HARUNAは横須賀地方総監部に到着、ゴツい門柱が立つ正門を抜け一目散に会場へ。
正門を過ぎたすぐの所には検査場があり、所持品の検査さらには金属探知検査(空港でゲートをくぐるあの検査です)がありました。もちろんテロを警戒してのことで、海を挟んで米海軍横須賀基地と隣接している横須賀基地ならではです。


うわっ!人めっちゃ多い!!

総監部構内の通路の両脇には食べ物や飲物、さらには海軍カレーや海自グッズを販売する露店が軒を連ねて大繁盛。そして通路には人・人・人。開門してからわずか30〜40分しか経っていないのにこの賑わい。さすがサマーフェスタ、さすが横須賀。

首から一眼レフカメラを下げている人も多くいます。
私のように海自・艦船のサイトをお持ちの方々も多数お越しになっているのでしょうね。

会場案内の看板でイベントと艦艇公開を確認。

この看板、会場の配置を色分けしていてとてもキレイで分かりやすいです。イルカのマークも可愛らしくてGoodです♪

そして、注目の公開艦艇は…「ひえい」「いなづま」「さざなみ」。
あれ…(真夏なのに身体が凍りつきました)

ヨコスカサマーフェスタなのに、なぜ呉のフネたちが一般公開しているのぉ!?
横須賀のフネたちは何処へ?(涙)

大勢の来訪者をかき分けながら急ぎ桟橋へ。

そして目に飛び込んできたフネたちの後ろ姿。
重厚な艦橋構造物そして巨大な格納庫を背負った独特の姿…「ひえい」です。その隣には「いなづま」と「さざなみ」が佇んでいます。

私を見つけた「ひえい」が語りかけてきました。(以下、妄想)
ひえい「あれっ、HARUNAくん。こんな所で何してんの?」
「何してんの?と聞きたいのはこっちの方だよ!」
ひえい「だって私たち、5月からずっとここにいるんだも〜ん!」
私「え〜っ!何それ!?」

乗組員から聞いたのですが、この3艦は5月のGW明けに呉を出港、以来この横須賀を拠点に訓練に励んでいるとのこと。この間、呉に戻ったのは7月20日の呉地方隊展示訓練の前後7日間程度だったということです。(「さざなみ」は6/24〜28で訪中していました)

どおりで先月呉に行った際、基地内がもぬけの殻だった訳だ。
(苦笑)

実はこの日、船越の岸壁には「はたかぜ」と「はまぎり」が停泊していました。
海外訓練に出ている「きりしま」と「さみだれ」、遠洋航海に参加している「うみぎり」を除く第4護衛隊群の全艦が横須賀に所在していたことになり、乗組員の証言どおり4護群が横須賀に集結して訓練を行っているのは間違いなさそうです。

でも、なぜ呉の4護群が横須賀を拠点に?
今年3月の護衛艦隊大改編で、4護群に所属する艦艇の母港は呉、横須賀、大湊の3ヶ所に分散してしまいました。去年までのように群の全艦が頻繁に集まることができなくなったので、横須賀に艦を集結させ、群全体で実施する今年度分の訓練を一気に消化しているのではないかと考えられます。そのため呉を出港している期間が長期化しているのではないでしょうか?(恐らく現時点では4護群が即応部隊または準即応部隊なのでしょう)

この事は4護群だけのことではなく、1・2・3護群においても同様だと思います。
実は、3月の大改編以降、呉や佐世保に撮影に行っても停泊している艦艇の数が去年と比べて少ないような気がしておりました。同時に、各艦が母港を出港してから帰港するまでのサイクルも長期化していると感じていたのですが、今回の4護群のように大改編で所属艦の母港が分散した影響なのかも知れません。

横須賀基地内で呉のフネたちを撮影する…
思ってもみなかった事態になってしまいましたが、せっかくの機会でもありますので3艦の美しいお姿を存分に撮影させていただきました。

結構いいアングルで撮影できますし、おまけに艦橋に立ち入ることもできました。このところ呉では「うるさい隊員」(Vol21参照)に撮影を阻まれることが多々あったので、これはこれで私には絶好の好機でした。

これらの写真も近日中にアップいたします。中でも「さざなみ」は超オススメの写真が撮れました。お楽しみに♪

隣の桟橋では潜水艦「やえしお」の艦内公開が行われていました。

こちらは事前に申し込みをしていた人のみへの公開でしたが、それでもピーク時には2時間近くも入艦待ちとなるほどの盛況ぶりでした。
艦内を見学した中・高生諸君、是非とも潜水艦乗りを志望したまえ!(笑)

横須賀所属の潜水艦は、普段は米海軍基地内にある岸壁に係留されているので、このようなアングルで至近距離から撮影できたのはラッキーでした。

撮影できた数少ない横須賀所属艦艇はこちら。
試験艦「くりはま」と多用途支援艦「えんしゅう」です。

小さくてとてもカワイイです(笑)
私は、こういった小型の支援艦艇も大好きなんです。

小型艦艇と言えば、横須賀は支援船も充実していてタグボートや油船、さらにはとても珍しい起重機船も撮影することができました。

横須賀基地も艦船マニアにとってのワンダーランドでした
「むらさめ」「はるさめ」など狙っていた横須賀所属艦艇の撮影は叶いませんでしたが、普段は立ち入ることができない横須賀基地内で存分に撮影を楽しむことができました♪
また、会場ではヘリコプターによる飛行救難訓練の展示やタグボートによる放水展示、水中処分隊による処分艇(超高速ゴムボート)の体験搭乗など多彩なイベントが目白押しで、こちらは撮影そっちのけで楽しめました。また来年も遠征してしまいそうです(笑)

初めて足を踏み入れた横須賀基地ですが、想像していた以上に広くてキレイでした。また厚生施設内にはコンビニ(ampm)があったり銀行のATMがあったりととても充実していました。さすが海上自衛隊最大の基地です。

くどいようですが、横須賀所属のフネが撮影できなかったのが心残りです。
よし!今月末にもう一度横須賀に遠征するぞ!! 部長、お休みいただきます(笑)


 Vol 25 退役艦艇のその後                                             2008年8月24日

お盆が過ぎ、あの殺人的な暑さが幾分和らぎはじめた今日このごろですが、私の夏はまだまだ終わりません。

今日は護衛艦「いそゆき」の体験航海で長崎へ行ってきました。
そして29〜30日は再び横須賀へ遠征します。言うまでもなく、前回(8月2日)の遠征で撮影し損なった横須賀所属艦艇を撮影するためです。満を持してのリベンジです。横須賀のフネたちが母港に戻っていることを神様に願わずにはいられません。
今の私の心境を例えるなら、1941年12月8日の真珠湾攻撃を前に『真珠湾に空母はいるのだろうか…』と心配していた山本五十六大将の心境と同じではないでしょうか(笑)

今回のテーマは退役艦艇です。
何故このテーマかというと、先月末から続く撮影遠征において、退役し今や巨大な鉄の塊となってしまったフネたちの姿を目の当たりにしました。長年にわたって海上防衛の任にあたった功績に敬意を表してここに記させていただきます。

まずは、7月30日に退役となった砕氷艦「しらせ」です。

この写真は退役3日後の姿で、ヨコスカサマーフェスタで大勢の艦艇ファンらで賑わう吉倉桟橋の一番奥の位置でひっそりと巨体を横たえていました。

退役直後なので、自衛艦旗を掲げていない点を除けば現役当時と何ら変わりはありません。艦長が「出港用意!」と号令をかければ今にも動き出しそうな雰囲気です。

しかし近くで見ると、氷を砕く艦首部分を中心に艦体が激しく痛んでいました。経年劣化もさることながら、南極への航海がいかに過酷な任務であるかを物語っているようでした。

「しらせ」の就役は1982(昭和57)年。当時私は中学2年生で、愛読していた雑誌「丸」の巻頭カラーページで大きく取り上げられていたのを覚えています。
前代の「ふじ」よりも二周り以上も大きな姿と、「しらせ」というまさに南極行きのフネにぴったりな名前に感銘を受け、『このフネなら「ふじ」のように氷原で立ち往生することはないな!』と頼もしさをも感じました。

あれから26年…中学2年生だった私は40歳目前、そして「しらせ」は退役。中学時代からの古い友人がいなくなってしまうような寂しさを感じてしまいます…。

歴代の砕氷艦は「宗谷」「ふじ」ともに展示保存されていますが、「しらせ」については、保存されるのか、それとも他の自衛艦同様解体されるのかは未定です。

買い取り先を公募していましたが、自衛艦の中でも屈指の大型艦であるため、展示保存には「宗谷」「ふじ」よりはるかに多額の費用がかかることが見込まれるため買い手が付かないのが実情のようです。

それでも最近になって、企業など7団体から買い取りの希望が寄せられているとのこと。是非とも何らかの形で保存が実現して欲しいものです。
続いては、かつて護衛艦隊の旗艦として三つ星の海将旗をマストに掲げていたミサイル護衛艦「たちかぜ」です。

ご覧のとおり、物凄い姿になっています。

艦体に書き込まれた無数の線は着弾測定線で、「たちかぜ」はミサイル発射実験の標的艦となっているのです。

艦艇の退役後の運命は3通りあって、1つ目は解体(大半の艦がこれです)、2つ目は「宗谷」「ふじ」のように展示保存(ごく稀)、そして3つ目が標的艦となり命と引き換えに貴重な実験データを提供するというものです。

近年では、初代ミサイル護衛艦の「あまつかぜ」が日本海で標的となって沈んでいます。
「たちかぜ」は去年の3月にイージス護衛艦「あたご」の就役と入れ替わる形で退役したのですが、その直後に標的艦となった異様な姿がネット上で流れ大きな衝撃を受けました。その後すぐに標的として最期を遂げたと思っていたのですが、ところがどっこい、退役から1年半近くが経った今でも健在でした。よくぞご無事で。

何らかの理由でミサイル実験が延期になっているのでしょう。
しかしながら早晩、「たちかぜ」は標的となり、ミサイルの命中で満身創痍となった身体に大量の海水を飲み込みながら海の藻屑となる運命なのです。

船越の岸壁に佇む「たちかぜ」の姿は、死装束をまとい座敷で切腹の時を待つ武士のような雰囲気です。

己を待ち受けている過酷な運命を受け入れ、なおかつ過去の輝かしい功績を汚さぬために最期の瞬間まで威厳を保ち続けている―私の目にはそう映りました。
横須賀から西へ遠く離れた佐世保の海には、「たちかぜ」の妹「あさかぜ」がいました。

こちらは、今年の3月にイージス護衛艦「あしがら」の就役と入れ替わって退役となりました。

塗装が剥がされているので、一見「たちかぜ」と同じように見えますが、「あさかぜ」は標的艦にはなっておらず、恐らく解体されるまでの間、一時的に佐世保湾内に係留されているものと考えられます。

左舷側には作業船が横付けされていましたので、もしかしたら解体前に行う何らかの作業が残っているのかも知れません。
「あさかぜ」も早晩、解体という形でこの世から完全に姿を消す運命にあります。
しかしながら、解体により発生した膨大な量の鉄や金属は再利用されますので、「あさかぜ」は姿を変えて私たちの社会や生活を支える新たな任務に就くとも言うことができます。


ちょうど1年前、私は立神桟橋で古いながらも整備の行き届いた美しい姿の「あさかぜ」を撮影しました。

そして今、塗装は剥がされ多くの兵装や装備品が取り外された痛々しい姿を目の当たりにして、退役した艦艇の宿命とはいえ寂しさを感じずにはいられませんでした。

しかし、この「あさかぜ」も「たちかぜ」同様、痛々しいだけではなく、威厳を保ちつつ静かに最期の時を待つ武士のような雰囲気でもありました。
考えてみると、私はこの夏の撮影遠征において、解体(「あさかぜ」)・展示保存(「しらせ」)・標的艦(「たちかぜ」)という三者三様の運命を辿ろうとしているフネたちと出会ったことになります。
これらのフネに共通しているのは、自衛艦旗を降ろし、乗組員の姿が消え、兵装や装備品が取り外されても現役時代と変わらぬ威厳とオーラを放ち続けていることです。
そしてそれはこの3艦に限ったことではありません。私がこれまで見てきた退役艦艇―「ゆきしお」「よしの」「くまの」「はやせ」「あきづき」―も同様でした。

これは、海上防衛という過酷な任務に長い間携わってきたフネだけが持つ「いぶし銀の輝き」と言えるかも知れません。
最新の戦闘システムや兵器を搭載した新鋭艦には決して持ち得ない輝きです。

新鋭艦が注目を浴びて就役する陰で、ひっそりと生涯を終える艦艇がいることを忘れてはならないと思います。

ところで、来年3月には、話題のヘリ空母DDH「ひゅうが」の就役と入れ替わりで「はるな」が退役します。
寂しいなぁ〜。何とか「はるな」を保存する方法はないでしょうか…?
いっそ、私が買い取ってしまおうか!海自さん、私の貯金で買える金額で売ってください!(ありえないでしょうが…)
もし買ったとしても置いておく場所がないなぁ。実家の池に浮かべることもできないし…(笑)