Vol 6  悲劇の海                                                     2008年2月19日

「海上自衛隊の護衛艦が漁船と衝突」

午前6時、テレビニュースで流れたこの衝撃的なニュースに私はベッドから飛び起きました。

―衝突した護衛艦は去年3月に就役したばかりの最新鋭イージス護衛艦「あたご」―、
―衝突により漁船は真っ二つ、乗っていた二人の漁師は海中に投げ出されて行方不明―、
 
テレビから次々ともたらされるニュースに、私は衝撃を通り越して目まいさえも感じました。
 「絶対に起きてはいけない事が起きてしまった…」

言うまでもなく、海上自衛隊の艦艇は海上防衛のため、つまりは海から迫り来る「脅威」から国民を守るために存在するのです。しかし、今回の事態はその艦艇が国民(=二人の漁師)に対して脅威になってしまったわけですから、いかなる申し開きもできません(涙) 
しかもその艦艇というのが1450億円もの巨費を投じて建造し、今や日本の最大の脅威となった空からのミサイル攻撃に対する「備えの切り札」と期待されていた最新鋭イージス護衛艦「あたご」という事が、皮肉というか悲劇というか…言葉がありません…(泣)

「あたご」はハワイ沖での迎撃ミサイル発射実験を終えて母港の舞鶴基地に帰投する途中で、横須賀基地に寄港するための針路をとっていました。一方、漁船には漁師の父子二人が乗っていて、事故現場となった海域でマグロはえ縄漁でエサとして使うサバを釣っていたとのことです。
 
現場の房総半島野島崎沖は霧の出やすい海域として船舶関係者には有名な場所らしいのですが、事故発生当時は霧は発生しておらず視界は良好、波の高さも0.5メートル程度だったということで、事故を誘発するような悪天候ではなかったようです。
 
では、なぜ「あたご」は漁船と衝突したのか?

夕方から夜にかけて放送された各放送局のニュースの論調は、「衝突回避義務があった「あたご」が回避を怠った」もしくは「回避行動が遅れた」、「怠慢な見張りにより漁船を発見できなかった」などなど、まるで「あたご」を犯罪者扱いです。

「あたご」だけが悪いと、そんな簡単に言い切れるものでしょうか…?テレビの報道姿勢に疑問を感じます。

「あたご」に過失はなかったと言っている訳ではありません。
私も記者時代に多くの海難事故を取材してきましたが、その経験上、今回のような船同士の衝突といった海難事故においてはそれぞれに事故の原因行動があり、しかもそれはひとつではなく複合的な原因が絡まり合って発生すると言いたいのです。約20年前の潜水艦「なだしお」と遊漁船の衝突事故でも、双方に過失ありとして艦長と船長両方に裁判所から禁固刑(執行猶予付き)が言い渡されています(但し、「なだしお」の方がより過失が重いとされた)。

海難事故は道路上での自動車同士の事故とは異なり、同じ船でも大きさや形状・性能があまりにもかけ離れている者同士が事故を起こす場合が多いので、双方の言い分が180度異なってしまうことが多々あります。が、そうであっても自動車事故のように、過失責任が「100対0」となることはあり得ないというのが私の考えです。
 
事故原因をここで特定することはできませんが、考えられる事故の要素をいくつか挙げてみると…
   
・事故が発生した午前4時過ぎ、海上においては夜明け前の最も見通しの効かない時間帯だった。
      →「あたご」監視員の漁船発見が遅れた。同様に漁船も「あたご」に気づくのが遅れた可能性がある。
・漁船が小型かつFRP製だったため、「あたご」の対水上レーダーに漁船の姿は映らなかった可能性がある。
・「あたご」が衝突の直前まで前方の不審な光が漁船だと気づかなかったように、漁船は海上衝突予防法で定められている灯火を正しく灯していなかった可能性がある。
・「あたご」は左前方に不審な光を視認した時点で、速やかに減速するなどの先を見越した措置を講じなかった。
・ハワイと日本の間を定期的に往復する船舶はないので、漁船は今回「あたご」が現れた方角からよもや大型の護衛艦が近づいてきているとは思わなかった。

これらの要素が(これ以外にもあると思いますが)複雑に絡み合って事故につながったのではないでしょうか?

だからと言って「あたご」は無罪放免というわけではありません。
先にも述べたように、国民を守るべき護衛艦が二人の国民の生命を危機にさらしてしまったのですから、艦長以下乗組員の方々は海上保安庁の聴取において可能な限りの情報を提供し、事故の全容解明に協力する必要があります。そして事故を招いた過失や原因について徹底的に分析し、このような事故が二度と起こらないよう海自全体で艦艇の安全航行について真剣に考え直さなければならないと思います。国民の信頼なしには海上防衛も何もあったものではないのですから…。

この文を執筆している時点で、漁師お二方の安否の情報は入ってきていません。海自・海保とも徹夜で救難活動を実施するとのこと。無事の発見を心から願ってやみません。

ここで終わろうと思ったのですが、元記者として取材にあたっている記者や番組に出演しているキャスターの方々に一言言わせていただきます。

普段からもう少し海上自衛隊について勉強しておきましょう!

ニュースの中で数々の妙な表現やコメントが見受けられました。

・「最新のイージス艦がどうして小型の漁船を避けることができないのか?」
       
→小型の漁船だからです。大型船ならいち早く発見して回避しています。
        それに「最新」だから避けられるというものでもありません。艦齢30を超える「はるな」でも同じです。

・「100個もの目標を同時に探知できるレーダーが何故漁船を発見できないのか」
          
→100個の目標を探知するのは対空レーダーです。漁船を探知するのは対水上レーダーです。
・「なぜ乗組員が300人もいて見張りが数人しかいないのか?」
          
→乗組員全員が航海科の隊員ではありません
・「『あたご』はイージス艦5番艦」
          
→5隻目のイージス艦であって「こんごう」型5番艦ではありません。
・「なぜ衝突の直前に後進したのか!(さも間違った行動と言わんばかりの口調で)」
          
→ブレーキの付いていない船舶においては後進が急ブレーキに相当するのです
・アナウンサー「元自衛艦隊司令官(もとじえいかんたいしれいかん)」を「もとじえいかん
(ここで切る)たいしれいかん」とコメント。
         
→自衛隊を学ぶ以前に日本語を学び直す必要があるのでは…。

 Vol 7  続・悲劇の海〜真実を解明してこそ教訓は得られるのではないのか               2008年2月24日   

護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故から5日が経ちました。

残念ながら、漁協や海保などの懸命の捜索にも関わらず、行方不明となっている漁師の父子は依然発見されておりません。そして、事故発生時の状況や事故の原因と考えられる様々な事柄が徐々に明らかになってきています。

 非常に残念ですが、「あたご」に重大な過失があったことは否めません…。

前回、夜明け前の暗い海域で漁船の発見が遅れたことが事故原因のひとつではないかと述べましたが、その後の海上保安庁の調査によって以下の重大な過失が明らかになりました。

@「あたご」は衝突12分前には漁船の存在に気付いていたが、それを見張員が当直士官らに報告していなかった。
A衝突1分前まで自動操舵を続けていた。衝突の危機が迫ってようやく手動操舵に切り替え、全速後進をかけた。
B水上レーダーには漁船群が映っていた。しかし当直交代の際、電測員の間でそれが引き継がれなかった。

これらのことから、今回の事故は、当初から予想されていた
「あたご」の漁船発見の遅れ→回避行動の遅れ→衝突  という図式が決定的となってきたようです。

@〜Bは、いづれも船舶の運航においては重大かつ致命的なミスであり、何故このようなミスが二重・三重にも積み重なってしまったのか、事故当時の「あたご」の当直体制に疑問を感じずにはいられません…。
船舶銀座の浦賀水道が目前に迫っており、当直員は全員が緊張して配置に就いていたはずです。それとも、横須賀入港を前に気が緩み、その緊張感さえも失っていたのでしょうか…?あるいは「漁船の方が避けてくれる」という先入観があったのでしょうか…?

それでも私は「あたご」だけに過失があったとは思いません。
前回も述べましたが、過去の事例をみても、船舶の衝突において過失割合が「100対0」ということはあり得ないのです。

行方不明となっている漁師のご親族の方々のご心痛はお察しいたします。
が、ここは敢えて言わせていただきます。漁船側に全く過失はなかったのでしょうか?

衝突までの「あたご」の行動には数々の疑問を感じますが、同様に衝突までの「清徳丸」の行動ならびに衝突後の僚船の証言にも疑問を感じる点があります。

報道では「あたご」には漁船を回避する義務があり、その回避行動が遅れたことに非難が集中しています。確かに海上衝突予防法第十五条に他の動力船を右舷側に見る船(今回の場合は「あたご」)に回避義務があると規定されています。しかしながら、「あたご」が上記@〜Bの理由により回避行動が遅れ直進し続けているなら、なぜ「あたご」よりはるかに操船の小回りの効く「清徳丸」は衝突1分前(距離にして100メートル)という状況になるまで回避行動をとらなかったのでしょうか?海上衝突予防法の第十七条には次のような規定があります。
 
進路保持船(今回の場合は清徳丸)は、避航船と間近に接近したため、避航船の動作のみでは避航船との衝突を避けることができないと認める場合は、衝突を避けるための最前の協力動作をとらなければならない。

船舶の航行の原則は第十五条と第十七条が、
つまり「右側通行」と「操船が容易な船舶が、操船の困難な船舶の進路を避ける」が二大原則なのです。

知り合いの漁師や小型船所有者に取材をしたところ、船舶の航行においては「右側通行」は大原則としてあるものの、実際には小型船は大型船に近づかないようにする、つまり、大型船を認めた段階で進路保持船・避航船の関係といった事は置いておいて、大型船の動向を注視しその進路を避けているのが実情なのだそうです。

今回の事故に当てはめると、実情はいかにあれ、まずは「あたご」に回避義務があります。発見の遅れもしくは危険度の欠如によって「あたご」が回避措置をとらず直進した事は大いに責められるべき事です。が、同時に「清徳丸」もレーダーに「あたご」が映った時から「あたご」が回避行動をとるかどうかを注視し、回避行動の兆候が見られない場合は早い段階で針路変更しなければならなかったはずです。
実際に、「清徳丸」の前を航行していた2隻の僚船は針路を変えて「あたご」を避けています。報道では、この際「あたご」まで3500mの距離まで接近して非常に危険だったと報じられていますが、大型貨物船やタンカーならいざ知らず、十数トンの漁船であれば十分余裕のある距離での回避だったと思います。そして僚船の一連の回避行動は無線で「清徳丸」にも伝わっていたはずです。なのに何故「清徳丸」は「あたご」に100メートルの距離まで接近してしまったのか?

「あたご」の過失は大いに責められるべき事であり、その真相解明と原因追及は徹底的に行われなければなりませんが、同時に「清徳丸」の行動についても吟味し、小型船舶の航行に潜んでいる問題点や危険性を浮き彫りにしなければ、今回の事故は「多額の血税を注いだ最新鋭のイージス護衛艦が罪のない二人の国民を蹂躙した」という単なる悲しい出来事で終わってしまいます。

「あたご」「清徳丸」両方の行動を検証し事故の真相を解明してこそ、今回のような悲劇を繰り返さないための教訓を得られるのではないでしょうか。


行方不明になっている漁師の関係者に対して非情・非礼とも受け取れる事を私が敢えて発言するのは、新聞・テレビの海自への非難一辺倒の報道が事故の真相を深い霧の中に葬ってしまうのではないかという危惧があるからです。

連日洪水の如く流されているニュースは海上衝突予防法第十五条による「あたご」の回避義務ばかりに焦点をあてており、船舶航行のもうひとつの原則である「操船の容易な船舶が操船の困難な船舶の進路を避ける」という視点からの検証が決定的に欠如しています
テレビのニュースに至っては、行方不明になっている漁師の方の美談を大々的に取り上げたり、石破防衛大臣の漁師の親族への訪問が途中発生した交通事故により到着が遅れたことなど、事故の本筋とは関係ないことまで大きく扱い「海上自衛隊はけしからん」の大合唱。「自衛隊の落度は一方的な取材で構わないから徹底的に叩け」「お涙頂戴の美談で視聴率を稼げ」というテレビ報道の最も悪しき一面が顔を覗かせています。そこには事故の真相を解明するというジャーナリズム精神は微塵も感じられません。

今回の事故を取材している報道関係者の方々へ申し上げます。

今のような報道を続けている限り事故の真相は見えてきません。そしてそこからは何の教訓も得られません。
教訓を得られなければ今回のような悲劇は繰り返されてしまう恐れがあります。
つまり、著しく冷静さを欠いた海上自衛隊叩きの報道(特にテレビ)が、結果的に将来多くの漁師の方々を衝突事故の危険性にさらしてしまうことに気付くべきです。


 Vol 8  HARUNAと縁の深い艦艇たち                                         2008年3月1日

イージス護衛艦「あたご」と漁船の衝突事故をめぐる報道ですが、防衛省の対応の不手際とか石破大臣の辞任問題とかに関心が移ってしまっています。前回私が危惧したとおり、衝突の真相解明や船舶の航行に潜む危険性の検証はそっちそけです。この事から分かるとおり、報道機関(特にテレビ)は自衛隊の不祥事は徹底的に叩くというのがスタンスなのです。しかも、より辛辣な批判記事を書く記者ほど良い記者だというおかしな風潮さえあります。今、本当に報じなければならない事は何なのでしょうか?かつて報道に携わっていた者として疑問と怒りを禁じえません…。

「あたご」の事については、今後も折に触れて意見を述べていこうと思います。ただ、論じれば論じるほど報道機関に対する怒りがこみ上げてくるので少々疲れてしまいますが…(苦笑)

さて、前々回、前回とかなり重いテーマと内容だったので、今回は軽いテイストのテーマでいきたいと思います。
題して「私、HARUNAと縁の深い艦艇たち」です。ホント、どーでもいい感じのテーマでしょ(笑)。
ただ、長年海自ファンを続けていると不思議な縁で繋がっているフネや忘れられない思い出の舞台になったフネ、艦名が妙に気になるフネが結構あるんです!

私にとって最も縁を感じ、その行動が気になり、活躍が我が事のように嬉しくなってしまう艦艇があります。

そのフネとは、輸送艦「くにさき」です。

何を隠そう、私の出身地は「くにさき」の命名元である国東(くにさき)半島、大分県国東市なのです。実家は丸い形の国東半島のほぼ中央部にあり、私は大学に進学するまでの18年間そこで過ごしました。ちなみに通学した高校は大分県立国東高等学校でした。

国東半島は鎌倉〜室町時代にかけて「六郷満山」という仏教文化が花開いたことで有名であり、全国的にも名の知れた名刹や石仏があります。
が、「日本の秘境100選」に選ばれるほど恐ろしく山深い場所であり、「人間よりも石仏の数が多い」と言われるほど過疎化が進行、大分県民からは「陸の孤島」と揶揄される始末です…。

そんな地方のマイナー(?)な半島の名前が、「おおすみ」「しもきた」に続く「おおすみ型輸送艦」の3番艦の名前になると聞いた時にはとても驚きました。(人生最大の驚きだったかも知れません)

「おおすみ型輸送艦」と言えば、海自でも最大級の大きさを誇り、輸送任務のみならず災害派遣や国際貢献をも視野に入れた「新しい時代の海上自衛隊」を象徴する艦艇です。期待の大きさを表すかのように、1番艦と2番艦には日本の南と北に位置するとても有名な半島の名前が付けられています。そしてその3番艦が「くにさき」です。なぜ「くにさき」なの?前の2隻との落差が大き過ぎませんか…?就役から5年が過ぎた今でも不思議です。

でも、国内外の災害派遣などで活躍する「くにさき」の姿が報じられるたびに、同じ国東出身の友人が活躍しているように感じられ嬉しい気分になりますし、呉港で沖合いに碇泊している姿を見ると、久しぶりに高校の同級生に会うような懐かしい気分にもなります。 頑張れ「くにさき」!!

続いては、私が「海自で最も姿が美しい」と公言しております「むらさめ型」の8番艦「あけぼの」です。

「あけぼの」ですが、大学進学のため私が18年間過ごした大分県の国東(くにさき)を離れて次に住んだのが広島市東区曙(あけぼの)町という場所でした。
バス停、店の看板、マンションの名前など至る所にある「あけぼの」の文字に囲まれて私は大学生生活の第一歩を踏み出しました。

私が住んでいたのは築30年以上の風呂なしアパートで、目の前は24時間ひっきりなしに車が走る幹線道路、隣は24時間営業のファミリーレストラン、そして頭上は新幹線の高架という騒音だらけの環境で、お世辞にも快適とは言えませんでしたが、初めての都会での一人暮らし、そして友人と夜を明かして大騒ぎした事など、とても思い出深い場所でした。

時代はバブル真っ盛り
ということもあり、私が住んでいたアパートはいわゆる「地上げ」に遭ったようで、私は居住わずか10ヶ月で「あけぼの」からの総員退艦(=立ち退き)を余儀なくされました(いきなり「2週間以内に引っ越せ」という手紙が来たのには驚きました)。


次は「あけぼの」のすぐ下の妹、「ありあけ」(「むらさめ型」9番艦)です。

これまでの流れから、「曙(あけぼの)町を立ち退きになって次に住んだのが有明(ありあけ)町だろ!」と思う人が多いと思いますが、残念ながら違います(笑)

小学生の頃、私が最初に作った艦船模型(ウォーターラインシリーズ)が駆逐艦「有明」だったのです。
今考えるとすごく渋いチョイスです(笑)。人気どころの戦艦や巡洋艦ではなくなぜ駆逐艦?しかも、旧海軍の駆逐艦の中でも「稀にみる失敗作」とされる初春型の「有明」をなぜ…?
当時、ウォーターラインの駆逐艦は価格が250円でした(安っ!)。で、小学生の私はお小遣いも少なく、さらに初めての艦船模型で失敗する可能性も大ということで、一番安い駆逐艦を適当に選んだ記憶があります。
かくして私の不安は的中し、実物と同様「有明」は組み立て・塗装とも散々な出来でしたが、記念すべき製作1号艦ということで、高校を卒業するまでの長きに渡って私の部屋に飾られていました。
その後、私は艦船模型にはまり、ひいてはそれが海軍ファン・海自ファンへと繋がっていった訳ですから、「有明」は私を艦船の世界へと誘った張本人と言えます。それだけに、この艦名が復活した時にはとても嬉しかったです♪

初めて繋がりということで、次は護衛艦「しまかぜ」です。

このフネ、私が初めて足を踏み入れた海自艦艇なのです。

大学生だった1990年頃だったと思いますが、「しまかぜ」が呉に寄港し一般公開をしていました。当時の私は海自への興味は今ひとつでしたが、乗艦して艦艇の生の空気を肌で感じ、現存しない旧海軍の艦艇よりも、いつでも見ることができる現用艦の魅力にハマってしまいました。
ちなみに、私は「しまかぜ」を「はたかぜ型」の2番艦とは知らず、高校時代に雑誌で見た「はたかぜ」が隣に停泊していたので、「しまかぜ」の甲板から「はたかぜ」ばかり写真を撮っていました。同型艦と気付いたのは艦を降りてからでした(笑)

このほかにも、とても美味しいシーフードカレーをご馳走してもらった掃海母艦「ぶんご」、放送記者時代にニュース番組内で艦内から生中継をした護衛艦「おおよど」など、思い出深いフネは尽きませんが、長くなるので今回はこの辺で終わります。「ぶんご」と「おおよど」の事については近いうちにこのコーナーで取り上げたいと思っています。

どうでもいい事を長々と書いてきましたが、誰でもひとつやふたつは思い出深いフネや艦名が気になるフネがあると思います。そんな艦艇を拾い上げてみるのも海自ファンの楽しみのひとつではないでしょうか。みなさんも是非お試しを!


 Vol 9 「海の男の艦隊勤務」は風前の灯火!?                                   2008年3月7日

イージス護衛艦「あたご」の衝突事故に関する報道ですが、テレビでは完全に影を潜めてしまいました。

事故直後のあの洪水のような報道は何だったのでしょうか?
結局は海上自衛隊を一方的に悪者にしたニュースで視聴率を取りに行っただけのことです(最初から分かっていましたけどね)。『ロス事件の三浦元容疑者の再逮捕』といった、より視聴率が稼げる事件が起これば、まるで事故なんてなかったかのように「あたご」の事なんてそっちのけです。その姿勢には、報道を通して事故の真相を伝え、事故の再発を防ごうというジャーナリズム精神は皆無です。所詮、在京キー局の記者は防衛省詰めの記者でさえ階級章を判読できない人が沢山いましたので、今回の事故について公正かつ真相に迫る記事を望んだところで無理な注文なのかも知れません…。

一方、新聞では扱いは小さくなっているものの継続的な報道を続けている社もあります。
事故発生直後の報道においても、テレビよりは公平なスタンス(不十分ではありますが)で記事を書いていましたし、それなりの専門知識を持った記者が記事を書いているように見受けられました。
こちらも残念ながら事故の真相に迫る記事は見当たりませんが、事故から時間が経ち冷静さを取り戻したこともあり、これまでとは異なる視点から事故と防衛省・海上自衛隊を検証する記事を見かけるようになりました。

中でも毎日新聞(3月2日付朝刊)の「不祥事続発・海自の体質 『唯我独尊、世間知らず』 乗船嫌われ人材難に」という記事には考えさせられました。
この記事は、「あたご」の衝突事故だけではなく、「しらね」の炎上やインド洋での給油活動における航海日誌誤廃棄など海上自衛隊で不祥事が続発するのは組織が構造的な問題を抱えているという記事でした。

簡単に要約すると…。
 @海自は旧海軍の伝統を重んじる一方で、引き継いだエリート意識が鼻につき外部社会への配慮が足りない。
 A陸・空と比較にならないほど幹部と曹士の上下関係が存在。それに伴い幹部(特に艦艇)は極端に仕事量が多い。
 B幹部が忙しすぎて余裕がないことから命令が徹底されず、組織のモラルハザードが起きている。
 C幹部・曹士とも艦艇勤務は著しく不人気で、優秀な人材を確保できず、さらに指揮官は隊員を甘やかさざるを得ない。
 D社会から遮断された大海原で活動するため、組織に密室性が生まれ世間知らずの体質が醸成された。

空自幹部の「今のままの海自では有事は戦えない」というコメントを載せるなど、読者を惹きつけるためにやや誇張したコメントや表現が目に付く記事でしたが、私も海自の一連の不祥事は組織が抱える問題が噴出したと考えていただけに心に響きました。

特に気になるのはCの「艦艇勤務の著しい不人気」です。
上記の毎日新聞では、・海曹からの部内選抜試験で幹部になるのを敬遠してわざと回答を間違うとか、・厳しい訓練をすると隊員がすぐ辞めるので指揮官は目をつむって甘やかすといった実情を紹介し、このような人材難と隊員の能力低下が「あたご」衝突事故の背景にあるのではないかというニュアンスを伝えています。

そこまで人気ないのか、艦艇勤務!!
軍歌『月月火水木金金』で「海の男の艦隊勤務」と歌われれ、海の防人の憧れの配置とされた艦隊勤務も今はもう昔話なのでしょうか?

艦艇勤務の不人気、さらには海自全体の不人気については、私もかつて取材で聞かされたことがあります。

艦長や副長といったベテラン幹部、地方連絡部の募集責任者、さらには幹候校を出たばかりの若手幹部、みなさんが口を揃えて言っていました。「若い人はフネに乗りたがらないんですよ〜」
その時聞いた話ですが、防衛大の進路選択の際、最も人気があるのは航空自衛隊で、海自は希望者がダントツで少ないとのことです。

確かに15年間に及ぶ取材の中で「空自(陸自)希望だったのに海自に振り分けられた」という幹部の方には会ったことがありますが、「海自に行きたかったのに空自(陸自)に回された」という話は聞いたことがありません。
さらに海自の中でも新隊員が最も希望するのは航空部隊の基地勤務、続いて総監部等の地上勤務、艦艇勤務を希望する人はとても少ないとのことです。「海の男の陸上勤務」というのが実状のようです(苦笑)。

かつて若手幹部(むらさめ型護衛艦の応急長でした)が話してくれたのですが、艦艇勤務が敬遠されるのは数ヶ月も家に戻れない長期の航海があり、しかもその間プライバシーもない狭い艦内で生活しなければならないためで、空自や海自航空基地の人気が高いのは毎日家から出勤できるからなのだそうです。その幹部は私と同様フネが好きで海自に入隊した方でしたので、その表情は少々寂しげでした…。

核家族化が進み、自宅に専用のテレビやPCを備えた個室がある環境で育った若者ですから、プライバシーのない艦隊勤務を避けたがるのは仕方がないのかも知れません。
しかし、この状況を放っておけば少子化の中、ますます優秀な隊員の確保が困難となり、再び艦艇が事故を起こすだけではなく、ハイテク兵器を搭載した艦艇そのもの動かすことができなくなってしまう恐れさえあります。
防衛省と海自は、若者の憧れの対象になるような艦艇勤務の魅力化に真剣に取り組む必要がありそうです。

ちなみに、私にとって艦艇勤務は小学生の頃から40歳を目前にした今日まで、ずっと憧れの的なのですが…。
もし神様が「ひとつだけ願いを叶えて叶えてやる」と言ってきたら、私は迷わず「護衛艦の艦長にして!」と答えます。
副長でも、いや…航海長でもいいか。それが無理ならせめてイベントの「一日艦長」でも構いません。そして体験航海の出港前に艦橋で「出港用意!!」と号令を掛けてみたいです…(このコラムのタイトルは実はこの願望からきています)。

私のような若者ばかりなら日本の海上防衛は安泰なのでしょうが…(笑)。


 Vol 10 嗚呼、憧れの艦長職                                               2008年3月22日

前回、艦艇勤務を希望する隊員が減っており、「海の男の艦隊勤務」は昔話になってしまっていると書きました。

その数日後、二等海士の女性隊員とお話をする機会がありました。
彼女は高校卒業後、民間企業で働いていたのですが、「国際貢献ができる仕事がしたい」と一念発起して海上自衛隊に入隊したとのことでした。教育隊での厳しい訓練を乗り越えて、現在は総監部の人事課でデスクワークをしていますが、「ゆくゆくは艦艇に乗組みたい」と希望を語ってくれました。

海上自衛隊、まだまだ大丈夫です!

最近では練習艦や補給艦、訓練支援艦などに女性隊員が勤務しており、女性の艦艇勤務も珍しくなくなってきました。きっと、彼女も数年後に艦艇の乗組みとなり、国際貢献や海上防衛の最前線に立つのではないかと思います。是非ともそうなって欲しいと願わずにはいられません。

今回のテーマは艦艇に勤務する幹部の憧れ、さらには私のような艦艇マニアの憧れでもある艦長についてです。
「艦長」。なんて素敵な響きでしょう!前回も書きましたが、もし神様が「願いをひとつだけ叶えてやる」と言ってきたら、私は迷わず「護衛艦の艦長にして!」と答えます。お金も名誉も要りません。あの美しき海自艦艇を己の号令一下、意のままに操ってみたいのです。「出航用意!舫放てっ!!」と叫んでみたいのです。

艦長職の魅力とは何か。
何千トンもの巨体が艦長の号令一つで動き出し、さらに艦長の指示で艦の速力や進路を変える。数々のハイテク艦載兵器の使用も意のまま、外国の港に寄港すれば一国の代表としての待遇を受ける。これら何物にも代えられない優越感こそが艦長職の魅力ではないでしょうか。

その一方で、艦の唯一の責任者として艦のすべての行動の責任を一身に背負う立場でもあります。イージス護衛艦「あたご」と漁船の衝突事故で、事故当時繰艦していたのは当直士官の水雷長でしたが、艦長の舩渡一佐が批判の矢面に立たされているのも「あたご」の責任者である艦長なればこそなのです。(舩渡一佐は記者会見で「艦を指揮していたのは自分であり、事故の責任は自分にある」と話していました。とても立派な艦長としての姿だと思います)

同じ指揮官でも陸自の連隊長などとは異なり、艦長にはすべての権限が集中しています。艦の行動について主要幹部が話し合うといったことはなく、艦長が決断し、それを副長以下の乗組員が黙々と実行するのが艦のしきたりです。これは海自だけではなく全世界の海軍、さらには民間の商船においても同じです。
これは、条件が刻々と変化する洋上において航海や訓練、さらには戦闘行動を行うためには悠長な判断は許されず、即断しそれを素早く実行することが必要だからです。それだけに艦長の性格が艦にもろに反映するとも言われています。

艦長の階級ですが、DDHやミサイル護衛艦(イージス艦)、補給艦などの大型艦は一等海佐、それ以外は二等海佐が配置されます。(掃海艇やミサイル艇、補助艦艇は三佐や一尉が艦長・艇長に就いています)
艦の最高責任者であり唯一の指揮官である艦長には、様々な特権が用意されています。
全員が立ったまま業務を行う艦橋において、艦長には専用席が設けられています。右舷側にある椅子が艦長席です。

←これが艦長席。
艦長が二佐の場合は赤と青のツートンカラーのシート、一佐の場合は赤のカバーが掛けられます。

一方、左舷側の席は隊司令や群司令ら部隊指揮官の席となっています。この指揮官席は上級指揮官が坐乗すれば、下位の指揮官は席を明け渡しますが、艦長はたとえ海幕長や防衛大臣が乗り込んできても席を明け渡したりはしません。
さらに艦内には執務室と私室、専用の浴室を備えた艦長室が用意されます。艦内の個室は艦長室のみです。(司令座乗の場合は司令にも個室)

このように艦長は、常に素早く最良の判断が下せるように破格の特別扱いを受けるのです。
この待遇は、海自(海軍)にとって艦艇は戦闘の基本単位であることから、その責任者たる艦長への敬意の表れでもあります。(海自を含め世界中の海軍は艦長をとても大事にする風習があります)

幹部候補生学校を卒業して幹部となり、事故なく経歴と経験を重ねてゆけば、早ければ30代の後半に二佐となり最初の艦長職が回ってくるようです(飛行科・補給科・技術幹部を除く)。2〜3隻の艦長を務める人が大半ですが、中には5回も経験する強者もおられます。私の知っているある幹部は、地方隊所属の小型護衛艦を振り出しに護衛艦隊所属の汎用護衛艦×2回→群旗艦のDDH→補給艦といったふうに、出世魚の如く小型艦からから大型艦へと渡り歩きました。

一方で、司令官や群司令といった将官の方々の経歴を見ると、小型艦の艦長を1回経験しただけの方がほとんどです。おそらく、昇進が早過ぎるのと海幕など中央での陸上勤務が長くなってしまうからだと思われます。
もし私が幹部だったら、ベタ金の肩章を付ける将官も素敵ですが、将官になれなくても5隻もの艦で艦長を経験する方がいいなと思ってしまいます。

先にも述べましたが、艦長は艦の一切の行動の責任を負わなければならない身であり、その責務の重さからくるプレッシャーは大変なものだろうと思います。しかし、艦長の指揮統率能力が優れていれば艦が精強となり、ひいては艦隊、海自全体が精強となる訳ですから、艦長職にある幹部の方々には是非とも頑張っていただきたいと思います。私もこのサイトを通して応援しております。 くれぐれも漁船を蹴散らして沈めたりしないようお願いします…(笑)