Vol 56 海自の“真の敵”は新聞・テレビの低レベルな報道だ! 2014年1月31日 |
広島県大竹市の阿多田島沖で発生した輸送艦「おおすみ」と遊漁船の衝突事故から15日あまりが過ぎました。発生時にあれだけ“海自バッシング”がさく裂した新聞・テレビの事故関連報道はすっかり沈静化し、今や事故が遠い過去のものとなってしまったかのような錯覚さえ覚えます。2008年に発生した「あたご」と漁船の衝突事故の際には、かなり長期間に渡って事故関連報道(=海自バッシング)が繰り広げられましたが、今回はそれとは対照的に、事故発生時の洪水のような報道が潮が引くようになりを潜めたといった雰囲気です。 この報道の沈静化の理由は、海保が事故発生時の「おおすみ」と遊漁船の航路の把握に手間取り、事故原因がいまだにはっきりしないことに加え、遊漁船から救助された二人の釣り客の証言が食い違い、かつ証言が非常に曖昧で不自然であること、さらに事故の状況が判明するに連れて、遊漁船側の過失と考えられる事実が出てきたため― と考えられます。事故発生時の一方的な海自バッシングの報道には腹腸が煮えくりかえるほどの怒りを覚えましたが、遊漁船側に不利な事象が出てきて海自を叩けなくなった途端に報道を控えるその姿勢に、再び腹腸が煮えくりかえる怒りを感じます。 今回の「おおすみ」衝突事故における新聞・テレビの報道姿勢に、海自マニアとしてはもちろんですが、かつて報道に携わった記者の一人として大いなる疑問と怒りを感じます。今回の「出港用意!」は、「おおすみ」事故をめぐる報道に正面きって異を唱えさせていただきます。そう、これは新聞・テレビへの宣戦布告です! まずは事故の概要から。 1月15日午前8時ごろ、呉基地を出港し岡山県玉野市の三井造船玉野事業所に向かっていた輸送艦「おおすみ」(艦長:田中久行二佐)と、釣り客を乗せて広島市を出港した遊漁船「とびうお」が、大竹市阿多田島沖の瀬戸内海で衝突。「とびうお」は転覆し、乗っていた船長と釣り客3人が海に投げ出されました。釣り客2人は無事だったものの、船長と釣り客1人が搬送先の病院で亡くなりました。 事故当日のテレビ報道、そして翌日の新聞紙面は、「おおすみ」に全面的に非があるとする論調で溢れ返りました。 テレビニュースの中で最もひどかったのは、テレビ朝日の「報道ステーション」です。ここは「あたご」事故の際と同様に今回も最低・最悪の報道を繰り広げました。冒頭に「おおすみ」を「ヘリ空母」と紹介したのを皮切りに、海自のダイバーを海保と言うなど基本的な事実さえ正確に伝えることができないていたらくぶり、さらに「『おおすみ』が三井造船に向かったのはオスプレイ搭載のための改装工事のため」と見事なまでの誤報をぶちかまし、「事故は安倍政権の防衛力強化とオスプレイ導入が招いた」という、とんでもなく飛躍した論調を披露してくれました。ニュースの最後には艦船にはまるで素人のコメンテーターが「海自の見張り不足が原因」と断言、加えて「あたご」事故の反省を生かさず事故を繰り返したとも。まだ海保の調査が始まったばかりなのに、しかも艦船については素人のくせしてこの言いざまは一体なんなのでしょうか?「あたご」事故の時もそうでしたが、「報道ステーション」の報道には怒りを通り越して呆れてしまいました。誤った内容を平気で流し、事実を捻じ曲げ、問題を歪曲化し、最後に「全面的に海自が悪い」と根拠もなく断言する。もはや、バカとしか言いようがありません。この「報道ステーション」は論外であるとしても、他のテレビニュースも「おおすみ」に非があるとする論調は似たり寄ったりだったようです。 一方、新聞では各社一面トップで「海自艦と衝突 釣り船転覆」という大見出しとともに事故の一報(事故本記)を伝えるとともに、社会面では「凍える海 不意の衝突」「小型船側『直前に汽笛鳴る」「『大丈夫か』島民ら救出」(朝日)、「穏やかな海 突如警笛」「自衛艦 再び重大事故」「漁港の4人 漂う男性を救助」(共同通信)、「必死でクーラーつかみ」「仲間との釣り暗転」(毎日)、「警笛5回 直後衝突」「傾く船に海水 救出男性『もうだめだ』」(読売)といった見出しとともに、救助された男性による証言や事故発生時の救助の模様(サイドネタ)を伝えています。 一面の本記は、その時点で判明している事故の概要を報じているだけなのですが、問題なのは社会面(サイドネタ)です。各社の見出しを見れば分かると思いますが、すべて事故に遭った遊漁船側の視点に立った記事と、海に投げ出された釣り客と船長を救助にあたった地元漁師の記事となっています。取材に応じた釣り客(救助された1人)の証言を基に、まるで遊漁船が被害者(「おおすみ」が加害者)で、「おおすみ」に蹂躙された被害者たる遊漁船の乗員を島民が一致団結して救助したといった雰囲気の紙面となっています。一般の人がこれらの記事を読めば、遊漁船=被害者、「おおすみ」=加害者という図式が頭の中に刷り込まれることは確実です。誰もが自衛隊の大型輸送艦が傍若無人に海を航行した挙句に遊漁船を蹴散らし、駆け付けた島民が懸命に救助にあたったと思い込むでしょう。しかし実際は、この時点で事故の原因は判明していないのですから、当然ながら「おおすみ」・遊漁船のどちらが被害者・加害者ということは分かりません。また、救助も島民だけでなく「おおすみ」乗組員も実施していて、島民が救助したのは1人で、残りの3人は「おおすみ」が救助したのです。しかし、紙面ではこういった点は全くの無視。なんかもう、海自と「おおすみ」を悪者にしたいという意図が紙面からひしひしと伝わってきます。 記者諸君は入社後の研修で、記事は双方の言い分を聞いて書くことと教わりませんでしたか?一方のみを取材し、一方のみの言い分だけを記事にしてはならないということは記者のイロハのイですよね…。なのに、「おおすみ」事故時の社会面は、完全に一方(遊漁船)の言い分のみを記事にしていますよね。私はそこが許せないのです。確かに「おおすみ」は取材が不可能で、呉地方総監部に取材をしても指揮系統が違うので情報が乏しかったとは思います。しかし、各社の社会面からは双方の言い分を掲載し、事故を多角的に報道・検証しようとする意識すら感じられません。感じるのは海自を叩きたいという意思のみです。新聞は“庶民の味方”なので自衛隊は無条件に叩いてもいいと思っているのですか?だとすれば勘違いも甚だしいと言わざるを得ません。 事故当日のテレビニュースで救助された釣り客・Tさんのインタビューを見ましたが、記者諸君はTさんの話を全面的に信頼したのですか?私が記者だったら信用しません。事故当時の状況を説明して必死に「『おおすみ』が悪い」と言っているのですが、言葉は不明瞭だし目は泳いでるし、何よりも話の内容に不自然さを多々感じました。私が取材記者だったら、インタビュー後にデスクに「そのまま記事には(放送は)できませんよ!」と報告するレベルです。こんな危うい証言を何の疑問も持たずに掲載(放送)する姿勢には呆れかえるばかりです。案の定、その後に証言を行ったもう一人の釣り客と証言が食い違い、事故原因の解明を困難にする一因となってしまったではありませんか。自衛隊絡みの事故なら危うい証言でも平気で掲載(放送)する、その姿勢が許せません。 「あたご」事故の時もそうでしたが、今回の「おおすみ」をめぐる報道で感じるのは、記者が海上交通のことを知らずに記事を書いているという点です。ニュースを見るたび、そして新聞を読むたびに、「もう少し勉強しろよ!」と感じずにはいられません。海上における交通は陸上とは全く違うことを理解していないから、「大きなフネである『おおすみ』が遊漁船を避けるべき」と断じたり、事故の本質を見誤って「なぜ発見が遅れたか」とか「なぜもっと早く止まらなかったのか」「なぜもっと早く避けなかったのか」という枝ばかりを見て森を見ない報道になっているのです。このことは即ち、事故の本質を見誤り、事故報道の最大の目的である原因究明・再発防止とは乖離した内容の報道になってしまっていることを意味します。 基本的知識が欠如している最たる例は、「『おおすみ』の方が大きくてが高性能なのだから、遊漁船と衝突したのは『おおすみ』の過失」という論調です。「おおすみ」は大型輸送艦なので、物資積載・輸送能力は遊漁船とは比較になりません。当たり前ですが…。しかし、一隻の船として見た場合、舵の効きの速さや加速・制動の迅速さといった運動性能は遊漁船の方が遥かに高性能なのです。一般的に、船舶は大きくなるほど舵が効くまでに時間がかかり、制動(簡単に言うとブレーキ)もすぐにはかかりません。つまり、素早く曲がったり減速したりはできないのです。そんな事も知らないから「『おおすみ』に過失」などと報道してしまうのです。 海はどこでも移動が可能なように見えますが、実際には水深や漁場の関係で大型船が通る航路は限られています。大型船がその航路を外れ、無秩序な航行をすると浅瀬や岩礁で座礁したり、操業中の漁船の群れに突っ込んだり、さらには反航する船の航路(道路で言えば対向車線)にはみ出すなどして、重大事故を引き起こす原因となります。海自艦の場合は、航海前に航海長が航路・速力・変針点などを入念に設定した航海計画を作成、艦長の承認を受けたのち、その計画に沿った航海を行います。一方、小型船は喫水も浅く船体も小さいので、よほど変な海域でない限り自由に航行することができます。 先に述べた運動性能の違い、そして航行可能な海域の違いを踏まえて、大型船(「おおすみ」)と小型船(遊漁船)のあるべき航行を説明すると、運動性能に劣り航路も限られている大型船(「おおすみ」)は事前の計画に沿って決められた航路を航行し、小回りが利き運動性能も高い小型船(遊漁船)は大型船(「おおすみ」)から離れた海域(=大型船の航路から離れた海域)を航行します。小型船(遊漁船)の進路が大型船(「おおすみ」)と交叉する場合は、大型船(「おおすみ」)の動きをよく観察して、余裕がある十分な距離を確保して前方を通り抜けるか、大型船(おおすみ」)が通過した後に通り抜けるのが正しい在り方です。一方、大型船(「おおすみ」)は定めた航路を航行しながら付近の小型船の動向を注視し、異常接近してきた場合や、進路が交叉して衝突の恐れがある場合は、まずは汽笛で小型船(遊漁船)に注意喚起と回避行動を促し、それでも危険が迫った場合や小型船(遊漁船)に回避の意志がないようなら自ら回避行動をとります。海上衝突防止法には船の位置関係によって回避する船の決まりはありますが、それ以上に、小型船が大型船に近寄らず、両船が接近したり進路が交叉する場合、舵の効きが早く、急加速・急制動が可能な小型船が大型船を避けるというのが海上交通の実際なのです。 ここまで指摘すると、眼鏡の曇った記者諸君も今回の事故における問題の本質が分かったのではないでしょうか? 「なぜ避けきれなかったのか?」「発見が遅れたのでは?」などという問題は枝葉に過ぎず、本当に問題なのは、遊漁船が「おおすみ」と衝突するほどの至近距離を航行していた事です。衝突時の状況や事故原因はまだ完全に解明されていませんが、今のところ有力なのは、遊漁船が「おおすみ」の至近距離を同方向に航行、追い越したのち「おおすみ」の進路前方に出て減速もしくは停止、そのため後ろを航行していた「おおすみ」が避けきれず衝突したという説です。これはもう遊漁船の過失以外の何物でもありません。小型船(遊漁船)が大型船(「おおすみ」)を至近距離で追い越して進路上に出るなど言語道断の動きです。しかも、あろうことか遊漁船は「おおすみ」の前に出る前に、「おおすみ」の周りを周回するような動きもしていたという指摘もあります。これを道路に置き換えて考えると分かりやすいです。 ―片側1車線の狭い道をダンプカーが走行していたら、安全な歩道ではなく車道を走ってきた自転車がダンプカーの真横や前後をちょろちょろ動いた挙句、ダンプカーの進路の前を走り始め、しかも突然速度を落とした…そんな自転車をダンプカーは避けきれなかった…しかもそのダンプカーはすぐには曲がらず止まることもできないダンプカーで、仮に自転車を避けたところで対向車線にはみ出して対向車と正面衝突する恐れもある― これでもダンプカー(「おおすみ」)が悪いと言えますか?どう考えても悪いのは自転車(遊漁船)の方ですよねぇ。 この遊漁船は釣り場に向かっていたはずですが、なぜ「おおすみ」の至近距離を航行したり、追い抜いて進路の前方に出たり、果ては艦の周囲を回ったりする必要があったのでしょうか?なぜ衝突するほどの至近距離にいたのでしょうか?非常に疑問です。そしてこの点を問題にせず、というか問題だとは気づかず、「おおすみ」だけに非があるかのような報道を展開する新聞・テレビに怒りを感じ、今の記者の能力の限界をも感じます。真に焦点を当てて検証すべき点は、衝突に至るまでの遊漁船の動きです。そのうえで、小型船が大型船の近くを航行することの危険性を広く国民に訴えるべきです。 体験航海や展示訓練で艦に乗った経験がある方はご存じだと思いますが、艦艇を珍しがって艦の至近距離を航行したり異常接近するする遊漁船やプレジャーボートが非常に多いです。私は今回の事故は、各地で見られるこのような小型船(遊漁船・プレジャーボート)の無定見な航行の実態が、事故という形で結実してしてしまったと私は考えています。そしてそれは、「あたご」事故の際に新聞・テレビがヒステリックな海自叩きに終始し、小型船が大型船の近くを航行することの危険性を報道しなかったことが、小型船が平気で艦艇に異常接近する現状を招き、さらには2人が亡くなるという今回の衝突事故を誘発したと考えています。「あたご」事故の際にこの「出港用意!」(Vol7)で予見したように、警鐘を鳴らす使命を放棄した異常なまでの海自バッシング報道が再び犠牲者を生んだのです。新聞・テレビはその責任を感じるべきであると考えます。加えて、今回の衝突事故でも見られた海自を叩く一方的な報道は国民の海上自衛隊、さらには海上防衛に対する認識を誤った方向に誘導するものであり、断じて許すことはできません。そのような報道を行う新聞・テレビは、私に言わせれば“国賊”です。海上自衛隊の“真の敵”は、尖閣諸島を狙い、さらには海洋進出の野心を隠そうとしない傍若無人の大国・中国ではなく、国賊的な報道を繰り広げる新聞・テレビなのかもしれません。 次回の「出港用意!」では、海自艦艇に異常接近する小型船の実情を世に問いたいと考えております。 |
Vol 57 海自艦に異常接近する小型船の実情 2014年2月11日 |
前回のVol56では、「おおすみ」と遊漁船の衝突事故発生時における新聞・テレビの報道に正面切って異を唱えましたが、今回は海自艦と小型船の衝突事故がいつ何時発生してもおかしくない憂慮すべき実情を広く世に問いたいと思います。 先月15日に発生した輸送艦「おおすみ」(艦長:田中久行二佐)と遊漁船「とびうお」の衝突事故ですが、私は事故の一報を耳にした時、「ついに来るべき時が来てしまった」との想いが頭をよぎりました。というのも、私は海自艦艇と小型船の衝突事故がそう遠くない時期に必ず起きるであろうと考えていたからです。残念ながらその予測は的中してしまったのですが、なぜそのような予見を抱いていたのかというと、ここ数年、海自艦に異常な至近距離にまで接近する小型船や、海自艦の直前直後を横切る漁船が非常に多いからです。この事は、海自の展示訓練や体験航海に参加したことがある方ならよくご存知の事ではありますが、一般の国民はそのような実情を知らず、海自艦と小型船が衝突したと聞けば、巨大な海自艦が縦横無尽・傍若無人に海を航行し、小型船を蹴散らしたと想像する人が多いようです。ところが、実際には巨大な海自艦が海上を縦横無尽に走り回る小型船にびくびくしながら航行し、まるで自爆テロ船のように突っ込んでくる漁船を避けるために右往左往しているというのが実情なのです。 「そんなのウソだぁ〜」とか「小型船がそんな危ないことをするはずがない!」とお思いの方々、これからそれらの動かぬ証拠をお示しいたしますので瞠目してご覧ください。これが海上交通の実情です。 ↓に掲載する4枚の画像は、2011年9月に大阪湾で実施された呉地方隊展示訓練で撮影したものです。私はイージス艦「きりしま」に乗艦し、艦尾に近い上甲板から後続する艦艇を撮影していたのですが、「きりしま」の直後を航行するDD「いかづち」にまるでご馳走にハエがたかるかのように次々と小型船が接近し、「いかづち」は右往左往しながら緊張の航海を強いられました。この際、小型船が海自艦に異常接近する典型的な4つのパターンを見ることができましたので教材としてご紹介します。 @航行中の海自艦を珍しがって小型船が接近してくるケース 小型船が海自艦に異常接近する最もポピュラーなパターンです。後方または斜め後方から高速で艦に近づき、艦を眺めるためかしばらくの間並走、ひどい場合は艦の回りを周回することもあります。 小型船が突如として現れ、高速で予測不能な動きをし、さらに舷側すれすれまで接近するという点で最も厄介かつ危険なケースです。 小型船の中でもマリンレジャーを楽しむクルーザーや釣り客を乗せた遊漁船がこのような動きを見せることが多いようです。私はクルーザーがこのような異常接近している場面を目の当たりにすると、羨ましさも相まって即刻パープーンで撃沈してやりたくなります。 マリンレジャーを楽しむのは結構なことですが、そのために海を護っている海自に迷惑をかけるとは本末転倒もいいところです。 A航行中の海自艦の直前・直後を小型船が横切るケース こちらも割と頻繁に見受けられるパターンです。主に漁船や遊漁船が、まだ艦との距離に余裕があると思っているのか、それとも己の船の動力性能に自信があるのかは分かりませんが、艦が航行している直前を横切って行きます。ひどい船になると、艦を眺めたり写真を撮るために艦の正面でスピードを緩めることさえあります。 艦にとっては小型船が前方にいて姿ははっきりと認識できるものの、小型船が停止したり、減速が間に合わずに衝突しようものなら、鋭く尖った艦首が小型船の船体を真っ二つに切断する最悪な結末となるだけに、こちらも非常に厄介かつ危険な状況です。 「いかづち」に後続する試験艦「あすか」は遥か後方にいます。この漁船は少し待って、「いかづち」通過後に安全に横切るべきです。 B航行中の海自艦の進路と小型船の進路が交叉するケース 海自艦と小型船の場合に限らず、海上における船舶同士の衝突事故で原因の大きな割合を占めるのがこのケースです。 ←の状況を解説すると、当初は停止して漁を行っていた漁船が、突如「いかづち」の進路に向かって航行を開始。漁船が「いかづち」を避ける気配すら見せないため、「いかづち」が海上衝突予防法が定める回避義務が生じる位置にいることもあって、慌てて回避しているのです。漁船が急に動き出したことから「いかづち」の回避動作が遅れ、あわや衝突かと肝を冷やすほどの距離で回避しました。 「いかづち」から発生する引き波によって漁船が大きく傾いている点にご注目!この場合、衝突を回避できても艦からの引き波で小型船が転覆する恐れもあり、事故発生の危険性が高まります。 C航行中の海自艦をめがけて小型船が突っ込んでくるケース こちらはBと同じく進路が交叉するケースですが、Bよりも小型船の動きが極めて悪質なものとなっています。 漁船が左斜め前方から「いかづち」に向かって航行、両者は衝突が確実な位置関係にありました。問題なことに、漁船は早い段階から進路が交叉するのを認識しながら、減速せず進路も変えずに一直線に「いかづち」に突っ込んできたのです。一方、「いかづち」は漁船の動きを察知して早めに回避動作をとり、大きく右に進路を変えました。 この場合、小回りと素早い加減速が可能な漁船が艦を避けるべきなのは言うまでもありませんが、海上衝突予防法に照らしてみても回避義務があるのは漁船の方なのです。にも関わらずこの実情…。皆さん、おかしいとは思いませんか? 以上、2011年に実施された大阪湾での呉地方隊展示訓練の航行シーンを教材として、小型船が海自艦に異常接近する実情をご覧いただきました。小型船に異常接近されて右往左往する「いかづち」の姿は、皆さんの目にはどのように映りましたでしょうか?「小型船は海自艦に近づくような危ない真似はしない」と考えていた方々も認識を改めていただけたことでしょう。 艦隊が航行したのが大阪湾という交通量の多い海域だったこともあって、上記の四つのケースを立て続けに目の当たりにすることができたのですが、「おおすみ」と遊漁船が衝突した大竹市沖の海域を含めた国内の船舶交通が多い海域では、海自艦に対しこのような小型船の異常接近が日常茶飯事に繰り返されていると言っても過言ではないでしょう。 小型船の種類別に異常接近の仕方を類別すると、海上クルーズを楽しむクルーザーはほぼ100%が@の動きを見せます。釣り客を乗せた遊漁船は釣りポイントに向かうという目的がある一方で、乗船した釣り客を楽しませる必要性から@とAのケースに該当する動きを見せます。漁船は一刻も早く漁場に着きたいという思いがあるためか、または自分たちの漁場では他の船舶に進路を譲る必要がないと考えているためか、ABCの「進路を変えない」「止まらない」という動きに当てはまります。 Cなんて非常にレアなケースだとは思いますが、このような悪意に満ちた動きをする漁船がいることも偽らざる事実なのです。大阪をはじめとする関西地域は国内でも最も反自衛隊意識が高い地域なので、海自を困らせようとして漁船がこのような行動をとるのかなとも考えました。Cの画像ですが、私の目には― 漁船が「どや、漁船やで。ここままだとぶつかるでぇ〜。どないしはります〜ぅ。衝突したら新聞・テレビに叩かれまっせ〜」とドヤ顔で突っ込んでくるのを、「いかづち」が冷や汗をかきながら慌てて逃げている― というふうに映ります。と同時に、何とも言えない怒りとやるせない想いを感じます。 ところで、小型船が傍若無人に走り回る大阪湾を航行中、私が乗る「きりしま」の艦橋はどんな状況だったかというと…艦長が自ら双眼鏡を手にして接近する小型船を確認、ジャイロコンパスの前に立つ航海長に操艦の指示を出していました。中央にいる赤い双眼鏡ストラップを付けた幹部が艦長の豊住一佐(当時)です。ちなみに、豊住一佐は海自で一、二を争う操艦の腕前を持つと言われています。 艦橋には見張り員からの「目標A(アルファ)、なお接近しまーす!」とか、「目標B(ブラボー)、停止しましたー!」といった報告の声が響き渡っていました。この時、「きりしま」の艦橋では艦長と航海要員以外に、手空きの幹部や曹士が双眼鏡を手に艦橋内やウイング・露天部に立ち、懸命の見張りを行っていたのです。 このように、狭水道や船舶の往来が激しい海域では艦の乗組員が必死に見張りをしながら慎重に航海を行っているのです。 「おおすみ」と遊漁船の衝突事故発生時、新聞・テレビは盛んに「おおすみ」の見張り不足が原因だと言っていましたが、船舶の往来が多い海域では大阪湾での「きりしま」のように、艦長をはじめとする乗組員が懸命かつ細心の見張りを実施しながら艦を走らせているのです。記者やキャスター・素人コメンテーターは、そんな状況も知らないくせして安直に「見張り不足が原因」などとは言わないで欲しいと思います。ろくに取材せず、よく調べもしないで記事を書いたり、コメントを電波に乗せる姿勢を改めるべきです。 最後に、大竹市沖で「おおすみ」と衝突した遊漁船ですが、私が考えるに、釣りのポイントに向かう途中で自分たちの進路の近くを「おおすみ」が航行しているのに気づき、接近する必要もないのに釣り客を楽しませるためにスピードを上げて「おおすみ」に近づいたのではないでしょうか。接近後の遊漁船の動きはまだ判明していませんが、T.「おおすみ」の至近距離に近づいて引き波に煽られて転覆した、U.「おおすみ」に近づき過ぎた際に慌ててしまい操船を誤って「おおすみ」に衝突した、V.「おおすみ」の前方に出て急減速したため避けきれなかった「おおすみ」に後ろから衝突された、のいずれかではないかと私は考えています。上記のケースで言えば@とAに該当するような動きをとったのではないかと考えられます。そして、その事から導き出される結論があります。それは…遊漁船が不用意に「おおすみ」に近づかなければ、あの衝突事故は起こらなかったという事です。 事故発生時、新聞・テレビは盛んに「『おおすみ』の発見が遅れた」だの「『おおすみ』の回避措置が遅かった」だのと非難しましたが、事故の根本的な原因と過失は遊漁船が不用意に「おおすみ」に近づいたこと、この一点に集約されます。前回(Vol56)でも述べましたが、新聞・テレビは衝突に至るまでの遊漁船の動きを検証し、小型船が大型船の至近距離を航行することの危険性を国民に知らせるべきです。そう、今回の悲劇を再び繰り返さないためにも…。 そして、私から小型船の所有者にお願いです。航行中に海自艦艇を発見したからといって安易に接近するのは厳に控えてください。確かに海上を航行する海自艦の姿は勇壮で心躍る物がありますが、それで乗客やご自身が怪我をしたり命を失ってしまっては元も子もありません。さらに漁業従事者にもお願いさせていただきます。急いで漁場に着きたいと気持ちがはやるのかもしれませんが、どうか海自艦と進路が交叉していたら自船の方が減速したり進路を変えたりして、海自艦をそのまま航行させてあげてください。漁に皆さんの生活が懸かっているのは分かりますが、その漁を行えるのは海自が海を護り平和を守ってくれているお蔭という事にまで想いを馳せていただきたいと思います。 海自艦艇が船舶の中で一番偉いなどとは言いません。しかし、我が国の国民は海上防衛に奮闘する海自艦艇(=軍艦)にもっと敬意を払うべきであると私は常々考えています。諸外国では反航する大型船はマストに掲げた国旗を半分降ろして軍艦に敬意を示します。また、小型船は軍艦に近づかず、進路を譲って敬意を示します。我が国ではこの軍艦に敬意を払うという慣習がまったくありません。なのでこれまで延々と述べてきたような小型船の異常接近が起きてしまうのです。どうか良識ある国民の皆様は、日本という国を愛すると同時に、その象徴である国旗、さらには国を海から守る軍艦(=海自艦艇)を大切に思い、敬意を払っていただきたいと思います。この事は愛国者だけの特殊な慣習ではなく、国際的にはごく一般的な国民の常識なのですから…。 |
Vol 58 なぜいま安保法制と集団的自衛権を議論するのか 2015年7月26日 |
久しぶりの「出港用意!」の執筆です。今回は今国会で審議中であり、現在国民の間でも賛否をめぐって様々な声が上がっている安保関連法制と集団的自衛権についてです。当HPは旧海軍・海自に倣って政治不介入の方針をとっており、政治的な発言は控えるようにしておりますが、安保法制に関する国会の議論が些細な事象に終始していることや、野党(特に民主党)が「戦争をする国にする法案」だとか「徴兵制の復活に繋がる」とかあまりに低レベルな発言を繰り返し、加えて新聞・テレビが野党の稚拙な発言を擁護するかのような反安保法案・反安倍政権の論調を展開しており、このままでは国民に「いまなぜ安保関連法案を審議し集団的自衛権を議論しなければならないか」を理解してもらえないのではないかと憂慮し、筆を執った次第です。野党が低レベルなのは今回に限ったことではありませんので仕方がないにしても、新聞・テレビのあの報道姿勢には大いなる疑問を感じます。なぜ国民に法案審議と集団的自衛権議論の背景にある国際情勢や日米関係の現状、法案が成立した際のメリットとデメリットを提示し、各々が判断する材料を提供しようとはしないのでしょうか?己の論調を押し付けるのではなく、判断の材料を国民に提示することが、この場合の新聞・テレビの役目ではないでしょうか。 今回、安保関連法案と集団的自衛権をご説明するにあたって、安全保障学の観点からアプローチを試みたいと思います。安全保障学とは、防衛大学校の国際関係学科で研究され、同科の学生が学んでいる“戦争を防止し、平和を構築・維持することを探求する学問”です。実はこの安全保障学の見地から眺めると、今回の安保関連法案の目的とその背景が良く見えてくるのです。と同時に、「徴兵制の復活」をはじめとする野党の発言がいかに愚かであるかもよく分かります。 今回の法案の最大の目的は日米関係(=日米同盟)の強化です。法案にはPKOを想定したものも含まれていますが、先日、アメリカに出張した統合幕僚長・河野海将が記者会見で語ったように、法案の最大の目的は日米関係の強化であることは間違いありません。では、なぜいま日米関係の強化が必要なのか?即ちこの答えが“なぜいま安保関連法案と集団的自衛権を議論しなければならないか”の答えとなります。 まずは、日米安全保障条約から話を進めていきます。その内容について皆様は、「日本国とアメリカ合衆国の安全保障のため、日本にアメリカ軍が駐留することなどを定めた二国間条約」という事をご存知だと思います。この条約は安全保障学的には「日米同盟」であり、特定の国家もしくは国家群の脅威に対する共同防衛を目的に結集した集団が武力攻撃を抑制し対処するための相互協力を行う「集団防衛モデル」に属する国際安全保障体制のひとつです。 この「日米同盟」、通常の同盟には見られない特異な特徴を有しています。同盟においては、参加国が相互に領土の防衛を約束し合うのが普通ですが、日米同盟はそうはなっていません。新安保条約は米国の日本防衛義務を規定していますが、その逆=日本が米国を防衛する義務は規定していません。それに伴って、米国は日本国内に基地を置いて軍を駐留することを認められているのに対して、日本は米国内に基地を設けることはできません。このように日米同盟は片務的な同盟関係であり、歴史上に数多く生まれてきた同盟の中でも極めて稀な存在となっています。この関係は一見、米国だけが相手国(日本)の防衛を義務付けられていて、日本は米国の義務に“ただ乗り”しているように見えますが、日米両政府はこの関係に利益を見出し、60年以上もの長きに渡って継続しています。日本は在日米軍の駐留経費の大半を負担することになったものの、米軍に防衛を委ねることで自国による備え(防衛力)を軽量・軽装備にとどめて、その分の国力を経済発展に注ぎ込むことが可能となりました。一方、米国は第二次大戦後に生起した冷戦構造において、ソ連の喉元に位置する日本に米軍基地を置くという計り知れないほどの戦略的価値を手にしたほか、日本が軽軍備で経済的発展を遂げれば、それだけソ連(共産主義)の防波堤としての存在価値を高めるという意義もありました。 このように両国政府とって大きな利益があるために、日米同盟は日本有事の際の日米協力についてはある程度研究されたものの、日本以外の極東地域で有事が発生した場合の対応(極東有事)や、法案で具体例とされている自衛隊と共同行動中の米軍が攻撃を受けた場合の対応・日本にとって有事に近い状況で米軍は行動しているものの日本にはまだ直接的な攻撃がない段階での対応=集団的自衛権の行使は長い間封印されてきました。日本は集団的自衛権を国際法上有しているが憲法上これを行使できないという解釈が現在まで続いています。 こんな状態でも日米関係は問題なかったのですが、冷戦の終結という転機が訪れます。ソ連という大国が消滅したために、日米同盟の意義が分かりにくくなってしまいます。日本においては、基地問題をはじめとする“負担”に対する不満が高まり(特に沖縄)、米国が同盟によって一方的に利益を得ていると考えられるようになりました。対して、米国でも日本に基地を置くことの戦略的価値を見出しにくくなり、“日本が同盟によって軍事的保護にただ乗りしているという認識”が広まるようになります。つまり、冷戦終結以降、日米同盟は依然として強固ではあるものの、その土台には細かなひび割れが多数入っているという状況になっているのです。 長々と日米同盟の現状を述べてきましたが(我ながら長いと思います…)、どうしても集団的自衛権を論じる上で背景として知っておいていただきたいので記しました。上記のような日米同盟の現状に安倍首相は危機感を抱いたのだと思います。その危機感を安全保障学の観点で説明しますと、同盟には二つの負の側面があります。それは、同盟国の戦争に巻き込まれることで、単独でいるよりも戦争する可能性が高くなること(戦争の危険性の増大)と、同盟国の戦争に巻き込まれる可能性を低下させようと同盟国と異なる歩調をとれば、逆にいざと言うときに同盟国から見捨てられる可能性が高まることから、同盟国と歩調を合わせなければならないこと(行動の自由の制限)です。同盟政策において、この「戦争に巻き込まれることの不安」と「見捨てられる不安」の板挟みになることを「同盟のジレンマ」と言います。私は、安保法制と集団的自衛権について喧々諤々の議論を行っている日本は、いままさにこの「同盟のジレンマ」に陥っている状況であり、安倍首相は、このうちの「見捨てられる不安」の方に並々ならぬ危機感を抱いて安保法制と集団的自衛権の審議に着手したと考えられます。 先に述べたように日米同盟は、通常は相互に領土と国益を保全し合う「人と人との協力」とは異なり「人と物の協力」(非対称の双務性)となっています。これは日本が戦争に巻き込まれる可能性を低下させるための形態なのですが、それが故に、日本は「いざというときに米国は本当に守ってくれるのか」という不安を同盟の構造上有しているのです。加えて近年、日本の周辺は北朝鮮が挑発的・破滅的な行動を繰り返し、覇権国への野望を丸出しにする中国は積極的に海洋進出を図る一方で、尖閣諸島の領有権問題を巡って日本に揺さぶりをかけています。まさにいま抑止力として、万が一の有事の際の強力な力としてその真価が問われる日米同盟が、その構造と冷戦終結後の世界情勢の変化によって正常に機能するのかが怪しくなっているのです。しかも、幸か不幸か、日米同盟は成立以来60年余り、正常に機能するかどうかの“テスト”を経ていないのです。「集団的自衛権を封印したままではアメリカに守ってもらえないのではないか」。安倍首相の危機感はまさにこれであり、いま集団的自衛権を論議しなければならない答えはこれなのです。 ただ安倍政権は集団的自衛権を行使してやみくもに戦争に突っ走ろうとしている訳ではありません。集団的自衛権を禁じているが故に同盟を根底から揺るがしたり、同盟が正常に機能しなくなるような事態を避けたいのです。例えば、法案の具体例もなっていますが、日本が直接的な攻撃を受けていない段階で、公海上にいる米軍艦船が攻撃を受けた場合、米軍と行動を共にしていた海自艦船が反撃するという行為は現在のままでは不可能です。このような事態が実際に起きれば、米国民は「アメリカ人が目の前で犠牲になっているのに同盟国である日本が眺めているだけで手を出さないのは何事か!こんな国は同盟国ではない」と思うでしょう。こうなると日米同盟なんて絵に描いた餅でしかありません。同盟の根幹を揺るがすようなこのような事態は何としても避けなければなりません。集団的自衛権行使について憲法違反か否かの議論がされていますが、上記の場合においては、私は同盟国のアメリカが攻撃を受ければ同盟国の日本も国益を害されますので自国の利益を守るための個別自衛権の行使として米軍を助けることが可能であり、決して憲法違反ではないと考えます。ましてや日本周辺で紛争が発生して日米共同で行動している場合は、米軍が攻撃を受けることは日本が攻撃を受けたことに等しいので個別自衛権の行使となります。 集団的自衛権について日本人は「戦争への第一歩となる危険な権利」と認識していますが、国際的には目の前で攻撃を受けた仲間を助けるという「義務」で、このことは日本を除く世界の常識となっています。今回の安保関連法案にPKO活動時における駆け付け警護が盛り込まれているのはこのことに由来します。PKOにおいて目の前で攻撃を受ける仲間の国を助けなければ日本は国際社会からの大きな非難にさらされることになり、ひいては自国の安全保障に多大な悪影響が発生します。安倍首相の言う「もはや一国だけでは平和を維持できない」という発言の裏には、このような国際社会の現状があるのです。 安保関連法案を野党や新聞・テレビ、さらには一部の学者やプロ市民の皆さんは「戦争法案」とよび、日本が戦争するための法案だと叫びます。これは大きな誤りで、戦争を防ぐための法案、抑止力のための法案だと私は考えます。現状、我が国に有事をもたらす可能性が高い国は中国です。この中国に対し日米同盟が強固であり、日本有事の際には同盟が間違いなくそして完全に機能して日米一丸となって事にあたるという現実を見せつけることが有事=戦争を防ぐ大きな力となります。個別的な事象で言えば、尖閣諸島をめぐる中国側の動きを牽制し、日本が島の領有権を守ることができるのです。逆に日本が法案を通すことができず日米同盟が揺らげば、その逆の事態に至ることは容易に想像がつきます。実はここ数年の中国の我が国における威圧的な姿勢と尖閣諸島領有をめぐって様々な示威行為を行うのは、先に述べたような日米同盟の揺らぎを見透かしての態度なのです。「日本と尖閣をめぐって事を構えてもアメリカは出てこないのではないか」と考えるからこそ、あのような示威行為を繰り返すのです。と同時に、有事の際に日米同盟が機能するのか、日米の同盟関係は現状では強固なのか否かを測り分析しているのは間違いありません。このように同盟(日米同盟)の揺らぎは即、野望をむき出しにする国(中国)に付け入る余地を与えてしまうのです。これは、安全保障学で言う「パワーの空白域」に近い状況となり、紛争や戦争が生起しやすい環境となるのです。安保関連法案の成立、とりわけ集団的自衛権行使を認めることで日本が戦争に巻き込まれる可能性は否定できません。しかし、上に記したように、安保関連法案が成立せず集団的自衛権も認められない=日米同盟の弱体化という事態の方が、より日本が戦争に巻き込まれる可能性が高いと私は考えます。この場合、日米同盟は正常に機能するかどうかは疑わしい訳ですから、同じ戦争でも日米同盟が強固で一丸となって立ち向かった際よりもより多くの日本人が犠牲となる可能性が高くなります。安保関連法案を「戦争法案だ!」「戦争反対!」というのは一見平和主義者のように見えるかもしれませんが、戦争を避けようとして逆に戦争の危険性が高まるという「非軍事のパラドックス」に陥ってしまう恐れが大です。安易に「平和!」と叫ぶことが、逆により大きな戦禍と犠牲を生むことは、ドイツの暴走を食い止められずに第二次大戦を生起させてしまったイギリス・フランスの失敗をはじめとする歴史がそれを証明しています。 以上のことから私は安保関連法案には賛成で、集団的自衛権の行使はやむを得ないと考えます。この考えを閲覧者の皆様に押し付けるつもりはありませんが、このコラムをお読みになったのを機に安保法案と集団的自衛権について熟考し、安全保障を学んだり、安全保障について自分なりの考えを持つ契機となれば嬉しいです。 最後に、民主党・辻本議員に物申します。「祖父を戦争で亡くしたので戦争はアカン!」と涙ながらにパフォーマンスしていましたが、戦争で身内を亡くしたのはあなただけではありません。私の父は兄のように慕っていた親戚筋の人を戦争で亡くしました。その人は予科練を卒業したものの既に乗る飛行機はなくフィリピンで陸戦隊員として戦い戦死しました。戦後70年たった今でも父は墓前で涙を流します。そんな父でも安保法案に賛成し「日米同盟を強固にして中国に対峙しなければならない」と言います。辻本さん、戦死した人のために戦争は繰り返してはいけないと言いますが、憲法9条を盲目的に信仰して「平和を!」と叫ぶだけでは平和は実現しません。国を守るという覚悟もなく、国を守るための努力と苦労を怠って日本を危機に晒すことの方が、命と引き換えに今の平和と繁栄をもたらしてくれた英霊の方々を冒涜する行為だと私は考えます。 |
Vol 59 中国の脅威を直視し必要な措置を講じる時だ! 2015年8月8日 |
今回も前回に続いて日本の安全保障問題について執筆します。 前回「現状で日本に有事(戦争)をもたらす可能性が高い国は中国」と記しました。ところが、私の周囲には「中国が有事をもたらすって本当か?」「お行儀は悪いけど仲の良い隣国ではないか」という「中国脅威論」を信じられないという人が結構いたりします。どうも日本人は「同じ漢字を使っている」とか「幼少の頃より中華料理に親しんでいる」とかいう理由で、中国に対して何となく親近感を抱いており、さらにその中国が脅威をもたらすことを信じたくないという人が割と多いように私には思えます。しかしながら、そのような根拠なき親近感は冷徹な国際社会においてはまったく無意味なものであり、国際社会の現状を見誤る原因にすらなってしまいます。平和を維持する第一歩は国際社会の現状を直視することです。よって本稿では中国の脅威の現状と、安全保障学の観点からみた中国の脅威について述べてみます。 日本国民の大多数の人は今すぐに中国との間に有事が起こるとは思ってはいないと思います。しかし、私はこの数年間「日本と中国は一触即発の状態で、いつ武力衝突が起きてもおかしくはない」という危機感を抱いています。それは、東シナ海において中国海軍が活発に活動し、それを監視する海自との間にいつ何時偶発的な武力衝突が発生しかねない状況だからです。日本近海(東シナ海)における中国海軍の活動は、実は30年近く前から行われているのですが、それがこの5年〜10年の間に規模・内容・回数ともに飛躍的に拡大しています。 我が国近海における中国海軍の活動は、大まかに3パターンに分けられます。第一は水上艦艇が南西諸島周辺の海域を航行することです。沖縄本島〜石垣島間の海域や与那国島周辺海域を単艦もしくは数隻で航行したり、場合によっては艦隊規模の数の艦が航行します。これらの艦は公海上を航行するだけでなく、中には領海に隣接する接続水域を通過することすらあります。この行動は艦が訓練等で太平洋上に向かう(太平洋上から戻る)途中であることが多いのですが、単に行き帰りの航行というだけではなく航行に必要なデータの採取や経験の蓄積といった訓練的な要素が強いほか、これらの海域を頻繁に航行することで中国艦が自由に航行できる海域であることを国際社会にアピールする狙いもあると考えられます。 第二は調査船による海洋調査です。領海外ぎりぎりの海域を超低速で航行しながら海底地形や海水の塩分濃度、変温層の分布などを調査しています。恐らく、一時的には領海に侵入して調査を行っている可能性すらあります。これらの調査の目的は、日本周辺海域で潜水艦を活動させるためのデータ収集です。潜水艦は海中で所構わずに動けるわけではなく、海中の複雑な地形によりその航路は限られています。地形を調査することではじめて、潜水艦は通常航行の航路に加え、バイパスや高速道路的な航路を設定して自由自在に行動できるのです。また塩分濃度や変温層の分布は潜水艦のソーナー能力に影響を及ぼすことから、これを把握することで自軍に有利な潜水艦作戦を立案できます。 第三は潜水艦による領海内潜航です。海洋調査で収集したデータを基に潜水艦は領海内に侵入し、データの確認とさらなるデータ収集を行っていると思われます。と同時に海自水上艦艇や潜水艦の動向を監視している可能性もあります。過去に海自艦艇が訓練中に国籍不明の潜水艦を探知したり、火災を起こした中国潜水艦が領海内に突如浮上したことがありましたが、これらは領海内潜航の何よりの証拠であり、氷山の一角と言えるものです。 さらに、近年ではこの三つに尖閣諸島周辺海域における領海侵入等の示威行為もあり、まさに東シナ海の南西諸島周辺海域は中国海軍が“うようよしている状態”なのです。東シナ海では尖閣諸島周辺での示威行為に注目が集まっていますが、実は中国海軍の活発な活動の方が憂慮すべき問題だと私は考えています。 中国海軍のこれらの行動に対し、海自は佐世保所属艦だけでなく全基地から護衛艦を東シナ海に派遣して監視を行っているほか、空からも第5航空群(那覇)所属のP-3Cが監視飛行を行っています。護衛艦とP-3Cは監視を行うことで領海への侵入を阻止するとともに、日本国として領海と国土を守る意志を示しているのですが、その粘り強い監視の姿勢は中国にとってはとても厄介らしく、時として海自艦に対して武力衝突一歩手前の挑発を行います。記憶に新しいところでは2013年1月にDD「ゆうだち」に中国海軍フリゲート艦が射撃管制用レーダーを照射したほか、同年2月にはDD「おおなみ」搭載の対潜ヘリに射撃管制用レーダーが照射されました。またそれ以前には、DD「すずなみ」の超至近距離まで中国艦搭載ヘリが異常接近したこともありました。 これら中国艦の挑発行為は今後も行われる可能性があり、海自艦と中国艦とで偶発的な武力衝突がいつ起きてもおかしくない状況なのです。これらの事はあまり報道されないので中国脅威論に異を唱える人がいるのでしょうが、実際には海自は東シナ海上で中国の脅威と日々対峙しているのです。 中国海軍のこのような活発な活動は、今後30年程度を目標に米海軍に匹敵する外洋海軍に変革することを目指しているためで、それに必要な第一列島線(沖縄〜台湾〜フィリピン〜ボルネオ)、さらには第二列島線(小笠原〜グアム・サイパン〜ニューギニア)までの制海権の確保を目指しているのです。 では次に、安全保障学の理論に当てはめながら中国の脅威を考えてみます。安全保障学では世界の国を『現状維持国』と『現状変更国』の2種類に分類します。『現状維持国』とは現時点の国際関係の状態を維持しようとする国で、軍事力を抑止と抵抗(防衛)用に機能させて国家間に争いが起きないよう努力します。対立や問題の解決は外交が主体です。一方『現状変更国』は、国際社会における自国の立場に不満を持っており、その立場を力によって変更したいと考える国です。外交交渉で成果が出ないなら武力行使(戦争)も辞さないという姿勢を持ち、保有する軍事力で「力による現状変更」を目指します。日本や米国、多くの欧州諸国は『現状維持国』です。現時点における『現状変更国』の最たる存在は中国で、南シナ海の島嶼部や尖閣諸島の領有権をめぐる周辺諸国との衝突や、手前味噌な防空識別圏の設定などは、まさに「力による現状変更」そのものです。その『現状変更国』が『現状維持国』に追いつき追い越そうとする移行期に世界は不安定になり、戦争が生起しやすいとされています(パワー・トランジション理論)。折しも数年前、中国は日本を抜いて世界第二位の経済大国に躍り出ました。これは今まさに上記の『変更国』が『維持国』に追いつき追い越そうとする移行期にあてはまります。学問的な理論上の話ではありますが、日本と中国はいま有事(戦争)が起きやすい危険な時期であると言えます。 もうひとつ私が重要視している理論をご紹介します。「デモクラティック・ピース」という理論で、民主主義国同士は戦争をしないという理論です。民主主義国は主権が国民にあるために、指導者が戦争に踏み切ろうにも煩雑かつ多数の手続きを踏む必要があり、仮に戦局が不利に傾こうものならたちまち支持率を落とし政権の座からも追われる可能性があることから、そのような国同士の戦争は非常に起こりにくいのです。裏を返せば、戦争が発生する際には『民主主義国』対『非民主主義国』(共産主義国)となる可能性が高いということにもなります。世界最大の共産主義国は中国です。この国の体制である一党独裁は、党と指導者に対する民衆の不満が高まると、そのはけ口を外に求めて武力行為(戦争)に及ぶという性質があります。これを「転嫁理論」といいます。 「パワー・トランジション」「デモクラティック・ピース」そして「転嫁理論」という三つの安全保障学の理論により、日本・中国を含む東アジアはいま世界で最も戦争の危機が高まっている地域といえるでしょう。先に述べた中国海軍の活発な海洋進出という実情と、安全保障学の理論によって導かれる戦争の危機を勘案して、私は日本と中国は一触即発の状態にあると考えているのです。 「東シナ海の実情」と「理論」の両面から中国の脅威が明らかになったところで、その脅威に対して日本は何をすべきか―それはまさにvol57で述べた日米同盟の強化であり、それに必要な集団的自衛権行使を認めることです。強固な日米同盟は中国の脅威に対する大きな抑止力となるのです。これを身近な例に置き換えると、治安の悪い地域(東アジア)に自宅(日本)があり強盗(中国)から狙われているので、自宅の戸締り(自衛隊)を厳重にする一方で、押し入った際には警察(米軍)が速攻で駆け付ける(=日米同盟の発動)ことをアピールして強盗に入ることを諦めさせる(=抑止)ということになります。これって至極当然のことですよねぇ。「自衛隊はいらない」「米軍はアメリカに帰れ」「集団的自衛権反対」という人々は、上記の例に照らし合わせれば、“家に鍵をかけず、警察も呼ばずに強盗に蹂躙されてもいい”ということになります。 日本国民が集団的自衛権を認めず安保法案が否決されれば、日米同盟は大きく揺らぎ、中国の脅威に対する抑止力は低下します。その事を一番喜ぶのは中国であるということは、賢明な閲覧者の皆様ならもうお分かりでしょう。同時に「日本国民は国を守る意志も覚悟もない」「日本と事を構えてもアメリカは出てこない」と解釈されて、中国はますます尖閣諸島を含む東シナ海での活動を活発化させ、海自艦艇への挑発行為もエスカレートするでしょう。そうなると否応なしに中国との間に有事(戦争)が生起する可能性が高まります。同盟の欠点でもある「戦争に巻き込まれる危険」を避けようとして安保法案や集団的自衛権を葬ったことが逆に戦争の危険性を高めてしまう―これはまさに「非軍事のパラドックス」ではありませんか。いま私たち国民に求められているのは、安易に「戦争反対!」「平和憲法遵守を!」と叫ぶことではなく、中国の脅威を直視し、その脅威に対する備え(自衛隊)と抑止力(日米同盟)を強固なものとすることです。加えて、「日本国民は先の大戦で命を捧げた英霊がもたらしてくれた平和と繁栄を、時として武器を手にしてでも断固として守る」という強い意志と覚悟を示す必要があるのではないでしょうか。 |
Vol 60 なぜ私は海上自衛隊に入隊しなかったのか 2016年5月18日 |
本業の合間にレポートの執筆と画像の掲載で手いっぱいで、このコラム「出港用意!」に全く手が回っていないのが実情なのですが、当HP閲覧者の皆様からたびたび「『出港用意!』の新作、楽しみにしています♪」との声をいただきますので、久しぶりに一作品書かせていただきます。今回のテーマは、「なぜ私は海上自衛隊に入隊しなかったのか」です。 閲覧者の皆様の多くは、「管理人はこれほどまでに海軍や艦船が好きなのに、なぜ海自に入らなかったのだろう?」との疑問をお持ちではないかと推察いたします。実際にイベントでお会いした閲覧者様に尋ねられたこともありますし、何よりも私の“海軍オタクぶり”を目の当たりにした海自隊員や地本(地方協力本部)隊員たちも口を揃えて、「そんなに艦(フネ)が好きならどうして入らなかったの?」(護衛隊司令・一佐)、「うちの若手幹部よりもよっぽど幹部らしい」(潜水艦副長・二佐)、「入隊していれば今ごろ司令か艦長でしたよ」(地本広報室長・陸自一尉)などなど、こんな奴が民間人でいるのが不思議と言わんばかりの声が寄せられます。特に自衛隊員がそのように言うのは、帝国海軍軍人だった祖父から海軍式教育を施された父が、私にも幼少の頃から海軍式の教育としつけを仕込んだために、私が単に海軍好き・艦好きというだけでなく、所作や思考がかなり軍人(自衛官)的であるという点も要因だと考えられます。逆に会社ではその点が災いして、一部の同僚や後輩から「アイツは軍人だ」と茶化されることも…。 振り返ってみると、私は人生の進路選択を目前にした高校生時代には「海軍に入りたい!」「海軍士官になりたい!」と真剣に考えておりました。しかし、実際はその選択をしなかったわけですが、その原因と理由をいま改めて考えてみると、当時の海上自衛隊が置かれていた状況や社会情勢に色濃く影響されており、加えて、私が海軍を愛し、海軍を良く知っていたことが、逆に海軍(海自)を選ばないという皮肉な結果に繋がっていたことにも気付きました。これからその事についてお記ししたいと思います。 高校生時代、私は大分県の田舎にある公立高校で国立大学を目指して勉強に励んでおりました。この高校、田舎にあるものの当時は大分市内の有名校にもひけをとらない進学率と国立大学合格者数を誇る進学校で、田舎の伝統ある進学校にありがちな学習指導・生活指導両面で非常に厳しい教育を行う学校でした。その教育とは、この平成の時代に行おうものならたちまち大問題となり、新聞・テレビで糾弾されるような内容であり、入学直後に私は「何だここは?江田島の兵学校か?」と思ったほどです。卒業後に防衛大学校に進学した私の同級生(現在一佐で、九州の普通科連隊で連隊長を務めています)が、「防大の方が高校より楽だわ♪」と言っていたほどですから、私が通っていた高校がいかに過酷な教育を行っていたかがお分かりいただけると思います。 そんな高校ではありますが、幼少期から海軍式教育を受けていた私には性に合っていたようで、苦しみながらも順調に成績は向上し、3年生の春頃には旧帝国大学や旧官立大学という国立難関大に合格可能なレベルに達しました。一方で、私には国立大学とは別にもうひとつの志望校がありました。防衛大学校です。勉強の合間に海軍関係の本を読み漁っていた私は、父に施された海軍教育の影響もあって、当然のように「海軍士官になりたい!」と思うようになりました。特に雑誌「丸」の巻頭カラー特集で「ゆき」型護衛艦(「さわゆき」)の美しさに感銘を受けて「『ゆき』型の艦長になりたい!」と強く思ったことで、私の中で防衛大が国立大学と並ぶ志望校となったのです。旧帝大並みの偏差値が必要な今の防大からは信じられないとは思いますが、当時の防大の偏差値は今ほど高くなく、国立大志望者が滑り止めとして受験することも多々ありました。ですから、3年生春時点で国立難関校への合格が見えていた私にとっては防大は合格圏内であり、その後の模擬試験の志望校判定でも毎回「A」判定(合格可能性80%以上)が出ていました。そう、この頃は私の目の前に海軍士官(=海自幹部)への道が大きく開けていたのです。 その“前途洋々な状況”が、冬を迎えようとする頃に実施された進路指導によって、大きな転機を迎えます。その進路指導において、実は国立大学よりも防衛大が第一志望であると伝えた私に対して、担任の教師が国立大を第一志望にするように全力で説得を行ったのです。これも今では信じられない光景でしょうけど、当時の高校教師は生徒が自衛隊入隊や防大進学の意思を示すと、それに反対し、他の進路を選択するよう説得するというのは割とよくある事でした。当時は反自衛隊の旗を掲げる社会党の勢力が強く、教師はそんな社会党を支える労組(高教組)の構成員であるわけですから、自校生徒の自衛隊入りに反対するのは当然とも言えます。さらに、これも今では考えられませんが、当時は防大の合格者が出ても、その高校の進学実績的にはまったく評価されませんでした。伝統ある進学校としては、国立難関大に合格する可能性が高い生徒を防大に進学させたくないという思いがあった可能性が高いです。ただ、防大は国立大との併願が可能です。先に述べたように、当時は国立大受験者が滑り止めとして受験していたほどですから。ですから私も防大と国立大を併願して、仮に国立大に合格したとしても防大を進学先に選べば良かったのです。なのに私は防大の受験すら諦めてしまいます。それは担任教師のある一言がきっかけでした。 「海上自衛隊は理系の世界だ。大砲を撃ったりミサイルを撃ったりするには物理(理系)の素養が必要であり、文系の君は役に立たない。経理・補給分野ならともかく、護衛艦の艦長にはなれない」。 結論から言えば、この教師の言葉はまったくの誤りです。海自に文系・理系による職種制限はなく、文系の護衛艦艦長も多数います。確かに三佐までは術科の責任者(砲雷長・砲術長・水雷長・航海長など)に就くことが多いので理系的な世界ですが、艦長職や司令職に就く二佐以上にはマネジメントとか管理とか国際関係等の文系的な素養が必要になるのです。ただ、これらのことは海自マニアになった後に知ったことで、当時の私には知る由もありません。仮にこの教師の言葉が真実だったとしても、今の私ならば「経理・補給の幹部でも全然OK」と思えるのですが、「艦長になりたい」という一直線な想いを抱いていた当時の私は「艦長になれないなら海自幹部になっても意味がない」と思ってしまったのです。バカ、バカ、バカっ!当時の私。そして、なまじ海軍に詳しかったために私はこの教諭の言葉を本気で信じてしまったのです。 担任教師に言われるまでもなく、江田島の兵学校が理系の学校という事は知っていましたし、実際に昭和初期の兵学校の試験問題を入手して何点取れるか挑戦したこともありました。この数学を中心とした試験問題が恐ろしく難解で文系の私は手も足も出ず、戦前・戦後の違いはあれど本当に私の同年代の生徒が挑んだ入試問題なのかと驚いたことを今も鮮明に覚えています。この経験が文系では海軍士官(海自幹部)として役立たないという認識に繋がります。 ちょうどその頃の首相は中曽根首相だったのですが、帝国海軍には短期現役士官制度というものがあり、中曽根首相(東大法学部卒)が大学卒業後の太平洋戦争時に、この制度によって主計(経理・補給)士官を務めていたことを知り、私の中で文系の士官=主計士官という構図が出来上がります。 さらにとどめを刺したのが阿川弘之の小説「軍艦長門の生涯」の一場面です。物語の最終盤、レイテ沖海戦から帰投した戦艦「長門」は燃料不足により警備艦(=洋上砲台)として横須賀の岸壁に係留されたままとなります。そしてもう出撃することのなくなった「長門」からは、次々と若手士官が他の部隊へ転出していきます。そんな折、航海士として学徒出陣で入隊した文系の予備士官が着任します。艦長の渋谷大佐は、三角関数を多用するなど最も理系的な職域である航海科に文系の予備士官が着任したことに絶句し、「『長門』も日本ももうダメだ…」と感じるシーンがあるのです。このシーンは、私がこの物語の中で最も印象深く感じた場面だったのですが、この印象が私の中に「艦隊勤務に文系は不可」という認識を植え付けるのに大きな役割を果たしてしまったのです。 担任教師は私の防大進学を阻むために、特に深い考えはなくあの言葉を発したのかもしれませんが、その一言が私の頭の中で触媒となって上記のような様々な海軍知識の化学反応を誘発し、私の中に「俺は文系だから海軍(海自)に入っても艦長になれない」という思い込みを形づくってしまったのです。 防大受験を断念するにあたっては間接的な原因もありました。それは、当時の自衛隊をめぐる社会情勢と自衛隊の実情です。 これも今となっては信じられないと思いますが、当時(1986年)において自衛隊に入隊することはものすごく後ろめたさを感じる行動というか、例えるなら世間から反社会的な組織に入るような受け止められ方をされるような状況でした。入隊はおろか、軍事雑誌を愛読していることですら奇異な目で見られ、「戦争好きの危ない奴」だと言われるような時代でした。ですから、いくら海軍好き・艦船好きの私でも、そのような当時の空気に抗えなかったのです。言い換えれば、周囲の奇異な視線や冷たい視線に耐えてでも自衛隊の幹部になってやるという熱意がなかったということにもなります。そのくらいの試練に立ち向かう勇気がなかった時点で、当時の私は国防を預かる自衛隊幹部になるには不適格だったということになります。 もうひとつの間接的原因は当時の海自の状況です。先に述べた「知識があったが故に防大受験を断念した」という点と重なるのですが、当時の海自は今とは比べものにならないくらい“貧弱な海軍”でした。この「貧弱な」という表現は正しくはないとは思いますが、ただ当時の私にはそう思えてなりませんでした。ご存知のように帝国海軍には、世界最高の技術を結集させて造り上げた戦艦「大和」「武蔵」をはじめとして、私の祖父が乗り組んでいた戦艦「陸奥」と姉の「長門」、真珠湾を攻撃した空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」、ミッドウエー後に各地で奮闘した空母「翔鶴」「瑞鶴」、精悍で強そうな佇まいの重巡洋艦、俊足で海の狼のような存在の駆逐艦などなど、本を通して知る帝国海軍には魅力的な艦艇が満ち溢れていました。そんな“昭和の大海軍”に心躍らせる高校生の私の眼には、当時の海自は“何とも貧弱な海軍”に映ってしまったのです。今でこそ「いずも」「ひゅうが」といった大型DDHやイージス艦、排水量が5000tに達する汎用護衛艦を擁する海自ですが、当時は「ゆき」型DDやDDH「しらね」型・「はるな」型以外の艦は弱々しい艦容(私にはそう見えた)をしており、そこに帝国海軍のような力強さを感じることはできませんでした。 加えて、米海軍そっくりの制服、平仮名の艦名、巡洋艦・駆逐艦ではなく「護衛艦」、少将・大佐ではなく「海将補」「一等海佐」という摩訶不思議な自衛隊用語の数々…“貧弱な”装備と相まって、高校生の私は海自が「帝国海軍の末裔組織」という認識を持つに至らず、“日本海軍に似た何か”という認識にとどまっていました。そしてその事が、防大受験断念の下地となった可能性は否定できません。いま思えば、高校生の私は「帝国海軍に入りたかった」「帝国海軍の士官になりたかった」のであり、その想いが「海自に入りたい」「海自幹部になりたい」という想いにまでは昇華していなかった可能性があります。 もし現在、防大進学(正確には入校)を目指している高校生が、進路指導で教師から私と同じ事を言われたとしても、惑わされることなく防大受験に臨むことでしょう。それは、インターネットや海自を紹介する書籍によって素早く正しい情報を入手することができるからです。また夏季を中心に各地で艦艇公開や体験航海・展示訓練が盛んに行われており、正しい情報を入手が入手できるだけでなく、隊員の生の声を聴き、息づく帝国海軍の伝統を感じ、艦艇の迫力ある姿を目の当たりにすることもできます。私が高校生だった頃にはインターネットはありませんでしたし、海自を詳しく紹介する本もありませんでした。艦艇公開等のイベントもごく僅かで、開催されていたとしても田舎の高校生には参加する手段もなければ、そのようなイベントがあることを知る術すらありませんでした。私が高校生だった頃に今のようにインターネット等の情報入手手段があったなら…そう思うこともしばしばです。 実は私がこのHPの運営を始めた理由のひとつに、海自を志す若者に正しい情報を提供し、私のように将来に悔いを残す進路選択をして欲しくないという点があります。幸いにも、このHPを見たことを契機に海自に入隊して艦艇勤務に就いている人や、防大や幹部候補生学校で将来の幹部となるべく勉学に励んでいる人がいます。このような若者たちには私の代わりに海上防衛の第一線に立って奮闘していただきたいと切に願うとともに、私はそのような若者を一人でも多く輩出するために、当HPが“海自志望者の松下村塾的な存在”となるよう、管理人として頑張りたいと思います。 |