Vol 51 海上自衛隊とAKB48の共通点 2011年1月16日 |
今回の「出港用意!」には、かなり強引な論理の展開と管理人の妄想が含まれていることを予めお断りしておきます(笑) 今年のお正月休みは小雪が舞うほどの寒さだったので外出はせず、年末に購入したDVDを見て過ごしておりました。 ←これがそのDVD。昨年人気が沸騰し、今や国民的アイドルとなったAKB48です。 実は私、AKB48のファンなのです。 このDVDは7月に東京・代々木第一体育館で開催されたコンサートの模様が収録されているのですが、AKBのメンバーが歌い・踊る様子を見ていて私はあることに気付きました。 AKB48と海上自衛隊には多くの共通点がある。そして、この共通点が私をAKB48に猛烈に萌えさせているのだと…。 「シーズンオフの暇さで管理人がおかしくなっちゃった…」とお思いになるかも知れませんが、本当に考えれば考えるほどAKB48と海自はよく似ているのです。その共通点についてこれからお話いたします。 HPのご覧の方の中にはAKB48をご存知ない方もいらっしゃると思いますので、まずはAKB48についてご説明します。 AKB48とは放送作家の秋元康氏がプロデュースするアイドルグループで、48人の正規メンバーと2軍的役割の研究生24人で構成されています。正規メンバーは16人づつのチームA、チームK、チームBに分かれており、東京・秋葉原にある専用劇場でA・K・Bいずれかのチームがほぼ毎日公演を行っています。【AKB48の公式HP】 私がAKB48のファンになったのは発足して間もない2006年の夏頃です。当時は一部のアイドルファンのみが知るマニアックなアキバ系アイドルでしたので、公演のチケットも簡単に入手でき、出張で上京した際にはしばしば秋葉原の劇場に彼女たちのパフォーマンスを見に行っていました。今やテレビや雑誌でAKBを見ない日はないほどの凄まじい人気ぶりで、公演のチケットも極めて入手困難なプラチナチケットと化しています。(昔からのファンとしては公演を気軽に見に行けない状況になったのは残念ですが…) そんなAKB48のどこに海自との共通点があるのか…。 私はAKBのメンバーが48人全員、もしくは10人程度の集団で歌い・踊っている様子が艦隊に見えてしまったのです。一糸乱れないほど美しく動きが揃った振り付け、センターポジションに立つ子を起点に変幻自在に繰り出されるフォーメーション、これらは観艦式で見た美しい艦隊運動そのものであると感じたのです。そう、AKB48は私にとっては艦隊なのです(笑) AKB48はルックスも性格も、そして得意とする能力も様々な美少女の集団です。凄まじいほどの人気を誇る子もいれば全然人気のない子もいます。芸術的な歌唱力や踊り・パフォーマンスを繰り出す子もいれば、そうでない子もいます。アイドルなのに芸人並みに面白い子がいたり、ピアノ演奏が上手な音大生がいたりします。 一方、海自の艦隊、とりわけ水上艦実力部隊である護衛艦隊も個性的な護衛艦の集団です。空母のような形をした「ひゅうが」型や航空巡洋艦のような「しらね」型、イージス艦である「こんごう」型・「あたご」型、汎用護衛艦は「なみ」「あめ」「きり」「ゆき」の4タイプが顔を揃えています。「ひゅうが」のように常に注目を浴びマニアの人気も高い艦もあれば、「きり」型のように悲しいくらい人気のない艦もあります。対潜作戦が得意な艦があれば、大陸から飛来する弾道ミサイルを迎撃可能な艦もあります。艦艇史に名を刻むエポックメイキングな艦もあれば、失敗作とさえ言われる艦もあります。 あら不思議、AKB48と護衛艦隊はそっくりではありませんか…!(笑) 「その強引なこじ付けは何だぁ!」とのツッコミが聞こえてきそうですが、共通点はこれだけではありません。まだまだあります。 AKBのメンバーは16人づつ3つのチームに分かれていますが、各チームにそれぞれのカラーがあります。 一番最初に発足したチームAは、AKBの顔というべき高い人気を誇るメンバーが多く揃っており、お嬢様的で洗練されたチームというカラーがあります。3つの中で一番人気のチームでもあります。2番目に結成されたチームKは、チームAへの対抗心からか体育会的なノリのチームで、メンバーには実力者が多くパワフルなステージを展開します。最も新しいチームBは末っ子的な存在で常に3番手、顔ぶれも数人を除いては長く在籍している割には人気が出ない子や研究生からの昇格者が占めています。ただ、平均年齢が3チームで最も若いため、王道のアイドル路線とともに新たな形のパフォーマンスにも積極的に挑戦しています。 ここまで読んで勘のいい海自マニアの方ならお気づきになったと思います。このチームカラーは護衛艦隊を構成する護衛隊群のカラーにそのままあてはまってしまうのです。2008年3月に大改編が実施されるまで、護衛隊群は次のようなカラーで形容されていました。それは、広報の1群、訓練の2群、文書の3群、休養の4群というものです。 最新鋭艦がまっ先に配備され、横須賀に所在するために頻繁にマスコミにも取り上げられて注目度・人気ともにずば抜けていた1護群は、まさにチームAと同じ存在です。 2護群は1護群ほどの注目度も人気もありませんが、基本性能の把握が終わった3番艦・4番艦を擁して猛訓練に明け暮れ、艦隊一の実力部隊となりました。地味ながらも実力者揃い、これはまさにチームKです。 最後に編成された4護群に配備されるのは旧式艦ばかり(大改編前数年は2護群並みの充実ぶりでしたが)。戦力は1群、2群に遠く及ばず、全く注目されない存在でした。しかし歴史の浅さを逆手にとって柔軟な作戦や新機軸のフォーメーション展開するしなやかな部隊でした。末っ子のハンデを負いながらも果敢に挑戦するけなげな姿はチームBと通じます。 そして集団の中で個々が奮闘するという点でも両者は共通します。 AKBのメンバーたちはチームの中で、さらには3チーム合わせて48人という大所帯の中でキラリと光る存在になるべく日々歌や踊りの練習に励んでいます。護衛艦も年度優秀艦になることを目標に遥か洋上で黙々と訓練にいそしみ、練度向上に励んでいます。集団の中における個の自己鍛錬、逆に言えば、個の実力向上で集団が爆発的な力を発揮する、この点でもAKB48と護衛艦隊はまったく同じなのです。 ここまで来ると、HPをご覧の皆様も「確かに似ている」とお思いになっていただけると思います。しかし、もうひとつ忘れてはならない大きな共通点があります。それは、AKB48も海自も過酷な環境のもとで懸命に頑張っている点です。 AKB人気が去年あれほどまでに高まったのは、厳しい競争状態に置かれた美少女たちの懸命に頑張る姿が広く国民の共感を呼んだためだと私は考えています。 AKB48はサラリーマン社会もびっくりの徹底した実力社会・競争社会で、シングル曲を歌うメンバーやテレビに出演するメンバー、いわゆる選抜組は実力と人気で決められています。仮に今高い人気を誇って選抜入りしていても、自己鍛錬を怠ってしまえばいつ何時選抜組から外されるか分かりません。まさに一寸先は闇の世界なのです。 AKBでは年に一回、「総選挙」という名のファンによる人気投票を実施しています。そこではあからさまに1位から40位(40位以下は圏外)までメンバーの順位づけが行われます。その順位は選抜組を選ぶ参考資料となるなど、江田島兵学校のハンモックナンバーの如く1年間の活動を左右します。そんな過酷な事をしたかと思えば、順位をご破算にして選抜組をメンバーによるじゃんけんで決めたりと、メンバーにはこれでもかというほど次々と試練が与えられます。そのたびにメンバーたちは不安の淵に立たされ、時には涙を流すのですが、それでも夢に向かって懸命に奮闘する姿に私は胸を打たれ、エールを送らずにはいられないのです。 一方、護衛艦隊をはじめとする海上自衛隊ですが、政治家は国防に対する確固たる見識がなく(特に今の民主党政権は最悪)、国民の海上防衛に対する理解は低く、マスコミは無知であら捜しばかりするというこの上なく最悪な環境の下に置かれています。さらに国際貢献や海賊対策など海外での過酷な任務が次々と付与されるのに予算・装備・人員は年々削減されるという、秋元氏のAKBいじめ(?)に匹敵する逆境状態です。それでも海自の隊員たちは「日本の海は我々が守る」という使命感のもと懸命に頑張っています。この姿に心を打たれた私は海自を応援し、一人でも多くの人に海上防衛の重要性を理解してもらおうとこのHPを運営しています。 もうお分かりですね。私が海自を応援する気持ちとAKB48に萌える気持ちは、まったく同じ性質のものなのです。 艦艇や船舶は「彼女」という代名詞が使われるように女の子に例えられますが、これを前提条件として論点を整理すると、AKB48=個性豊かな美少女(護衛艦)の集団=護衛艦隊、AKB48=過酷な条件の下で女の子(艦艇)が懸命に奮闘する=海上自衛隊という公式が成り立ちます。こんな事を書いていて気付いたのですが、要するに私は美しい女の子(=艦艇)の集団が好きで、一生懸命頑張っている女の子(=艦艇)が好きなようです(笑) このように共通点の多いAKB48と海上自衛隊ですが、願わくば海自がAKB48のように広く国民から愛される存在となって欲しいものです。そのために私は今年も、海自とAKB48を強力に応援していきたいと考えております。 長々と私がAKB48に萌える理由=海自との共通点について記してきましたが、両者の間には驚くべき共通点があと2点あります。 AKBの正規メンバーは48人ですが、現在護衛艦隊に所属する護衛艦の数は48隻、年末に策定された次期防衛大綱でも48隻が護衛艦の定数として定められました。AKBも護衛艦隊も女の子の数は同じなのです。 そしてもう1点。 私はハンドルネームで「HARUNA」を名乗っているように護衛艦「はるな」が最も好きな艦艇ですが、AKBのメンバーでは小嶋陽菜(こじまはるな)の大ファンです。つまり、私は海自でもAKBでも「はるな」が大好きなのです(笑) |
Vol 52 青春時代を共に過ごした「やまゆき」「まつゆき」 2011年2月23日 |
春は人事異動の季節ですが、海上自衛隊の艦艇にとっても春は“人事異動”が行われる時期です。とりわけ今年は退役や就役、転籍など、例年になく多くの艦艇が“異動”することになっています。 私にとって最も悲しいのはDDH「ひえい」の退役です。帝国海軍の高速戦艦の名を受け継ぐとともに、重厚かつ華麗な比類なきスタイルを誇る護衛艦が姿を消すことは、海自マニアにとってこの上ない悲しい出来事と言っても過言ではないでしょう。 その「ひえい」が自衛艦旗を降ろす日、同じ呉基地から一隻の護衛艦が転籍のため横須賀に向けて出港することになっています。その艦の名は「やまゆき」。実は、私にとって「やまゆき」の転籍は「ひえい」の退役と同じくらい寂しく辛い“異動”なのです。 なぜ私が「やまゆき」の転籍を悲しむのか。その理由は、「やまゆき」が私の青春時代を共に過ごした艦だからです。 「やまゆき」は去年の春に舞鶴に転籍した「まつゆき」とともに、私の青春時代を語る際に欠かすことができない存在なのです。 話は私が大学生だった1980年代後半にまでさかのぼります。 高校の担任教諭に騙されて(?)防衛大学進学を断念した私は、「横須賀の防大がだめなら呉に近い広島の大学」という動機で広島市内にある大学に進学しました。進学の動機が動機なので、暇さえあれば原付バイクに乗って呉に行き、アレイからすこじまから呉基地内に停泊する艦艇を眺めていました。(当時は日曜日の艦艇公開は行われていなかった) 今でこそDDH「ひえい」や「さざなみ」「いなづま」などの最新鋭護衛艦、「おおすみ」型輸送艦といった戦略的重要艦を擁する呉基地ですが、当時は老朽化した小型護衛艦や古式蒼然とした補助艦艇ばかりが所属するそれはそれは寂しい基地でした。 救難艦「ふしみ」や護衛艦「くまの」「よしの」「のしろ」、訓練支援艦「あづま」、練習艦「かとり」、掃海母艦「はやせ」等がいたのを覚えています。 艦艇の数はそこそこあったものの、雑誌「丸」や「世界の艦船」で紹介されるような最新鋭艦はほとんど見当たらず、いるのは老朽艦ばかり。おまけに呉には護衛隊群の司令部もありませんでした。 かつて「東洋一の軍港」と呼ばれ、戦艦大和を生み出すなど帝国海軍の中心的軍港だった呉ですが、戦後に海上自衛隊となってからのあまりの凋落ぶりに、何とも言えない悔しさと寂しさを感じたのを今でも鮮明に覚えています。 そんなうらぶれた当時の呉基地で唯一の最新鋭護衛艦が、「はつゆき」型8番艦の「やまゆき」と、同9番艦の「まつゆき」でした。 当時この2隻は第44護衛隊を編成し、佐世保に司令部を置く第2護衛隊群に所属していました。最新鋭DD「ゆき」型の後期艦、しかも精強で有名な第2護衛隊群の所属ということで、この2隻は呉基地の中でとんでもなく眩しい存在でした。 「ゆき」型が旧式化した今では想像つかないとは思いますが、この2隻の眩しさといったら今の最新鋭DD「なみ」型の比ではありませんでした。例えるなら、「ゆき」型ばかりの中に「あきづき」(現在艤装中の方)がいるような、それくらい衝撃的な存在でした(笑) 護衛艦隊の中核艦なので訓練等で出港して呉にいないことも多かったものの、私は呉基地に行くと真っ先に「やまゆき」と「まつゆき」を探し、両艦が停泊していればアレイからすこじまのベンチに座って長い時間眺めていました。ある意味、私の大学時代最も仲の良かった女の子は「やまゆき」と「まつゆき」だったのかもしれません(笑) 呉基地へ行って「やまゆき」と「まつゆき」を眺めることは、サークルよりも合コンよりも楽しい、私の大学時代の最大の愉しみでした♪ その後の改編で第44護衛隊は第2護衛隊→第8護衛隊と名を変え、所属も2護群から4護群に変わりましたが、「やまゆき」と「まつゆき」は呉に居続けました。その頃は既に次世代の「きり」型が就役していましたが、呉には「きり」型が長らく配備されなかったこともあり、2隻は依然として呉の最新鋭護衛艦でした。 その後、第8護衛隊は佐世保から転籍して来た「せとゆき」を加えて「ゆき」型三姉妹による編成となりましたが、横須賀や佐世保の三姉妹と違って呉は艦番号が連続した(DD129・DD130・DD131)三姉妹となり、8護隊はその点でも非常に魅力的な編成でした。 2000年代に入ってすぐ、呉にも最新鋭DD「むらさめ」型が配備されるようになりました(「いなづま」「さみだれ」「あけぼの」)。この頃には「ゆき」型は二世代古い艦となり旧式化してきたため、三姉妹は順次8護隊から呉地方隊の第22護衛隊に編成替えとなりました。護衛艦隊の所属艦が地方隊に編成替えになる場合は他基地への転籍となる場合も多いのですが、奇跡的に「やまゆき」「まつゆき」「せとゆき」は転籍せず、そのまま呉地方隊に移りました。 22護隊は現在の第12護衛隊となり、去年3月に「まつゆき」が舞鶴に転籍したことで呉の三姉妹は終焉を迎えました。 私は91年の春に大学を卒業後、数年間は広島で勤務していましたが、転勤で広島を離れ、さらには転職によって地元の大分に戻ったため、学生時代のように気軽に呉に足を運べるような環境ではなくなりました。 それでも現在に至るまで年に数回は呉基地を訪れていますが、「やまゆき」と「まつゆき」が停泊していると、久しぶりに大学時代の親友に会ったようなとても懐かしい気持ちになるのでした。 「さざなみ」や「あけぼの」などの最新鋭DDがいても、私の目はまずは「やまゆき」と「まつゆき」を探すのです。そして久しぶりに再会を果たした時、両艦は「お互い歳をとったね」とか「優秀な後輩(=最新鋭艦)が入って来たので目立たない存在になっちゃったよ」などと私に語りかけてくるような気がしました。歳を重ねるごとに学生時代を懐かしむ気持ちが強くなると、それに比例して両艦への愛着が深まりました。 (←の画像は約20年前に撮影した私と「やまゆき」「まつゆき」の3ショット) 以上、延々と私と「やまゆき」「まつゆき」の関係について記してきましたが、このように「やまゆき」と「まつゆき」については思い入れが強かっただけに、「できれば両艦とも退役まで呉にいて欲しい」と願っておりました。しかしながら、去年3月に「まつゆき」が舞鶴へ転籍になってしまったので、「せめて『やまゆき』だけでも呉一筋でいて欲しい」と強く強く願っていました。しかし、その願いも叶わず、「やまゆき」は3月16日に横須賀に転籍してしまうのです…(涙) 「別に退役する訳ではないのにどうしてそんなに悲しむの?」と疑問に思われるかもしれませんが、私にとって「やまゆき」と「まつゆき」の両方が呉からいなくなってしまうことは一つの時代の終焉というか、青春時代が遠い昔の事になってしまうような思いがするのです。まさに「青春時代は遠くになりにけり」の心境にさせられるのです。 来月16日以降に呉に行っても、そこには学生時代を共に過ごした親友がいない。その事が私をたまらなく悲しくさせているのです。 でも、確かに両艦とも退役する訳ではないので、今後も横須賀や舞鶴で再会することは間違いありません。特に私は仕事や私用で上京する機会が多いので、横須賀へ転籍する「やまゆき」とは呉時代よりも会う回数が増えるのではないかと思われます。 横須賀で再会した時、「やまゆき」は私に何と語りかけてくるのでしょうか?恐らく「新しい勤務地でも頑張っているよ!」と言ってくれるのだと思います。 80年代後半、呉基地で同じ時間を過ごした親友として「やまゆき」の新たな人生に心からエールを送りたいと思います。そして私自身、新たな勤務地で奮闘する「やまゆき」と「まつゆき」からパワーをもらって仕事に恋愛(?)にHP運営に頑張りたいと思います。 「やまゆき」、楽しい青春の思い出をありがとう!新しい勤務地・横須賀でも頑張れ!! |
Vol 53 昨今の海上自衛隊人気について考える 2012年9月8日 |
超久しぶりの「出港用意!」の執筆です。↑の「Vol52」が去年2月の執筆なので、何と、1年半ぶりの新作ということになります(苦笑) 最近は仕事の関係でかつて盛んに執筆していた頃のようにはHP更新に時間が割けなくなったことや、遠征レポートの掲載を優先していること、さらに1日に400〜500人(トップページに来ない人を含めると約1000人)もの人が当HPを訪れていて、このコーナーで下手なことを書くとたちまちご批判のメールが殺到するという事情もあり、新作の執筆が滞っておりました。 しかしながら今回、久しぶりに新作を発表させていただきます。 というのも、大阪のKさんをはじめ遠征先でお会いしたマニアの方々から「出港用意!の新作を楽しみにしています」とか、「もう新作を発表しないのですか?ぜひ書いてください」などと、このコーナーに期待する声が多く寄せられましたので、舞鶴や佐世保の遠征レポートを差し置いて新作を執筆した次第です。 さて、そんな久しぶりの新作のテーマは、「昨今の海上自衛隊人気について考える」です。 ここ数年、各地で開催される艦艇公開や体験航海といった艦艇イベントには非常に大勢の人が訪れ、応募が殺到する体験航海の乗艦券は入手困難なプラチナチケットと化しています。今年の夏、私は地元・大分のほか、八代・浜田・晴海・舞鶴・佐世保で行われたイベントに足を運んだのですが、あまりの人の多さに絶句させられることもしばしばでした。艦艇公開では艦橋や甲板上に撮影ができないほど見学者が溢れかえる、公開開始前から舷門の前には長蛇の列ができる、体験航海では乗艦券を持っていない人がキャンセル待ちの受付に押し寄せる…などなど。艦艇イベントに多くの人が来場するのはここ数年来の傾向とはいえ、年を追うごとに押し寄せる人の数が増えているように感じます。本来、イベントに大勢の人が来場するのはマニアとして嬉しいはずなのですが、異常とさえ言える去年〜今年の人の多さは嬉しさを通り越して戸惑いすら感じてしまいます。 艦艇イベントに大勢の人が押し寄せるようになったのがいつ頃からなのか定かではありませんが、私が学生・新社会人だった20〜25年前のイベントにはほとんど人がいませんでした。人がいても、その数は今とは比べものにならないくらい少なかったです。 ←の画像は1990年代初頭に呉市の川原石埠頭で実施された艦艇公開の様子です。公開艦は当時最新鋭の「きり」型DD後期艦・「はまぎり」「せとぎり」「うみぎり」で、この3艦は第1護衛隊群第48護衛隊(横須賀)を編成していました。 岸壁に少なからぬ人がいますが、この人たちは艦の後方で接岸している帆船「日本丸」に見学に行く人と、見学を終えて駐車場に戻る人たちで、途中にある3隻の「きり」型DDを無視して通り過ぎています。「きり」型は3隻とも公開中であるにも関わらず、前甲板上や艦橋ウイング部には全く人影が見当たりません。この艦艇公開は今の時代に置き換えると「あきづき」型が3隻揃って一般公開をしているようなもので、最新鋭DDが公開されているのに甲板上に見学者が一人もいないという状況は今の時代では考えられません。 ただ、この時代の公開は人が少ないので、艦橋のみならず艦内の色んな場所を見学できるというメリットもありました。 いったい何が原因で、閑古鳥が鳴いていた艦艇イベントが行楽地に負けず劣らずの「集客力」を持つようになったのでしょう? 第一の要因は、海自が国民に認められたためだと思われます。1991年のペルシャ湾掃海派遣以降、国際貢献の名のもとに海自は頻繁に海外に出るようになりました。最近ではテロ対策におけるインド洋での給油活動や、現在も継続中のソマリア沖アデン湾での海賊対処行動がこれにあたりますし、外国で大災害が発生した際には救援物資を届けたりもしました。こういった行動は新聞やテレビの報道でも取り上げられ、それらの報道を通して国民の間に海自を評価し、その存在を認める空気が醸成されていったと考えられます。さらに決定打となったのは去年3月に我が国を襲った東日本大震災で、被災地にいち早く駆け付け懸命の救援活動を行う自衛隊の姿は広く国民に感銘を与え、「自衛隊は国民の味方」「自衛隊は国民を救うために存在している」という事を大多数の国民が気付き・実感しました。そのことが大勢の国民を艦艇イベントに向かわせているのです。 ↑の要因については、軍事研究家など多方面で同様な趣旨が指摘されていて、昨今の海自人気の大きな要因であることは間違いないでしょう。ただ、あの異常なまでの人気には他の要因もあると私は考えます。 そこで第二の要因として挙げるのが、海自艦艇がカッコ良くなったという点です。「いきなり考察のレベルが下がった」とか「それってマニア的な視点では」と言うことなかれ。海自は「海軍」であり艦で活動する組織なので、艦の威容というのは国民の心を捉えるか否かに大きな影響を及ぼします。艦の一般公開では、見学者が「うわぁ〜大きなフネだなぁ〜♪」と言いながら嬉々として写真を撮っている光景をよく目にします。恐らく、この見学者は今後も海自に興味を持ち続け、次に近隣で艦艇公開が実施される際には高い確率で足を運ぶでしょう。この事がとても重要なのです。 私が中高生・大学生だった1980年代、海自艦艇は小さくてしょぼい艦ばかり、一般の国民が見て感動するとか海自に興味を抱く契機になるという次元ではありませんでした。(私が「ゆき」型に衝撃を受けたように、当時でも艦を見て感動し、興味を抱いた人はいたとは思いますが…) 私が防衛大進学を諦めた理由も担任の教諭に「文系では出世できない」と騙されたことに加え、「ゆき」型以外に心惹かれる艦がなく、小さくてカッコ悪い艦ばかりの海自に今ひとつ魅力を感じなかったという面も否めません。つまり、当時の海自艦艇では祖父や父の影響で海軍や艦艇に興味を持っていた私でさえも惹きつけることはできなかったのです。ましてや普通の少年や国民だったらなおさらです。見た目に美しく、大きく、力強く、さらに高性能であることが一目でビンビンに伝わる現在の護衛艦・自衛艦の威容が多くの国民の心を捉え、海自人気に一役買っているのは間違いないでしょう。 さらに第三の要因。それはインターネットとデジカメの普及です。 海自のイベントに大勢の人が来場するようになったのは、ちょうどインターネットが普及する時期と重なります。80年代や90年代半ば頃までは、海自や艦艇について知ろうと思えば、「世界の艦船」のような数少ない艦艇雑誌を買うか、海自について書かれた単行本や専門書を買う必要がありました。それがインターネットの普及で手軽に海自に関する知識を得ることができたり、艦艇の美しい画像を見ることができるようになったのです。 艦を見学したり体験航海に参加した人はその艦をでデジカメで撮影、やがてその画像をHPやブログによってネット上に公開することになります。そして、それを見た人が海自に興味を抱きイベントに足を運ぶ…といったようにインターネットによって海自ファンが拡大再生産される循環が起きているのです。 以上述べてきた三つの要因を総合すると次のような図式が見えてきました。 海自艦艇が海外派遣や災害派遣で活躍し、国民が海自の頑張りを評価する→海自とはどんな組織か、どんな艦があるのかと興味を持ちインターネットで調べる→HPやブログに掲載された艦艇の画像に心惹かれる→夏の艦艇イベントに行く。美しくカッコいい姿の艦を目の当たりにして感動し、艦をデジカメで撮影する→その画像をブログ等でネット上で公開する→それを見た人が海自や艦艇に興味を持つ→イベントに行く… 先に述べた海自ファンを拡大再生産する循環が確かに出来上がっているようです。昨今の海自の異常なほどの人気は、この図式である程度説明がつくのではないかと考えております。そして当HPがその循環の中で、海自ファンを拡大させる一助になっていることを願ってやみません。 最後に気になることをひとつ。艦艇イベントに来場している人(特に女性)の中には、ドラマ・映画で人気の「海猿」=海上保安庁と勘違いしている人が結構いるような気がします。艦の甲板上で案内役の隊員さんに「海猿はどこにいますか?」と尋ねている人を何度か見かけてしまいました(苦笑) 勘違いでも、これをきっかけに海自ファンになってくれればいいのですが…(笑) |
Vol 54 22DDH「いずも」の進水に思う 2013年8月13日 |
久しぶりに執筆する「出港用意!」。本来ならば、先月末に行われた舞鶴地方隊展示訓練のレポートを書かなくてはならないのですが、今月6日に22DDH「いずも」が進水したのに際して、色々と思うところがあるので、舞鶴のレポートを差し置いて筆を走らせた次第です。つまり、22DDH「いずも」について言っておきたい事があるのです。かなり長い文ですが、ぜひお読みください。 その「言っておきたい事」とは、「いずも」という艦の本質についてです。 22DDH「いずも」は、航空母艦を思わせる艦容とその大きさにより、進水式直後は新聞・テレビが「海自史上最大の『空母型』護衛艦が進水」と大々的に報じたほか、「海自はヘリ搭載の護衛艦と主張しているが、戦闘機を搭載すれば憲法に抵触する攻撃型空母に変身する」などと、、まるで海自が憲法に抵触しない姑息な手段で空母を保有しようとしているような論調があったり、「『空母型』護衛艦に中国が警戒感抱く」などと、ご丁寧にも中国の反応まで報じる始末でした。 一方で艦艇マニアの方は、“空母保有熱望者”や“大艦巨砲主義者”らがネット上で大騒ぎ。「ついに攻撃型空母が完成した!」とか「ヘリコプターだけではなく固定翼戦闘機を運用すべき」とか、「観艦式でF35が発艦するのを見てみたい!」「もっと大きな空母を建造すべきだ」などと、22DDH「いずも」を“空母”としてとして捉え、我が国の“空母保有”に喜びを爆発させ、より一層の空母建造を求める声が多数挙がっていました。海自のFaceBookに寄せられたコメント見てください…。 あれだけの大きな艦艇が進水したのです、一部のマニアの方々が狂喜乱舞する気持ちは艦船マニアの一人としてよく分かります。私も当HPの掲示板に投稿された進水直後の「いずも」画像を見て心が躍りました。しかしながら、22DDH「いずも」を空母と捉えることにはものすごい違和感を感じます。とはいえ、マニアが「いずも」を見て「空母だ!」と言ってはしゃぐのはカワイイものです。問題なのは、新聞・テレビが「いずも」の建造経緯や特色・用途などを全く理解せず、その形にのみ目を奪われて「海自が護衛艦と偽って空母を建造している」といった論調で報道していたことです。これは、海上自衛隊さらには我が国の海上防衛について国民に誤った認識を与える行為であり、断じて許せません。と同時に、記事を書いた記者たちのあまりの知識の無さ・見識の低さに呆れかえるというか、失笑を禁じえません。昨今の防衛省詰めの記者のレベルってあの程度なのでしょうか? 新聞・テレビ、そして狂喜乱舞する一部のマニアに当てはまるのは、「いずも」という艦の本質が分かっていないという点です。 では、22DDH「いずも」の本質とは何か?それは、「いずも」は空母ではなく護衛艦だということです。正確に言えば「多様化した任務に対応できるよう様々な設備を盛り込み、加えて逼迫した国家財政により艦の建造費に限りがあるなかで一隻でマルチに使える艦を模索して設計した結果、空母のような形になってしまった護衛艦」なのです。 「いずも」は全長248m、基準排水量は1万9500tで、前タイプの「ひゅうが」型同様、全通甲板を有し右舷前方にアイランド(艦橋)を設けた艦用は確かに空母そっくりです。旧海軍の正規空母にもひけを取らない堂々とした体躯で、その大きさは「蒼龍」「飛龍」を凌駕し、軍縮条約の影響を受けずに設計された大型空母「翔鶴」「瑞鶴」に匹敵します。 とはいえ、繰り返しになりますが「いずも」は護衛艦なのです。その事は「いずも」に求められている役割を理解すれば一目瞭然です。 では、「いずも」の役割とは何か?「いずも」は老朽化したDDH「しらね」の置き換えとして予算要求された艦ですので、第一の役割はヘリコプターを使った潜水艦掃討作戦ということになります。護衛艦隊はシーレーン防衛を第一の目的としている艦隊ですので、「いずも」は「しらね」型DDH同様、シーレーンを脅かす潜水艦を発見し撃破する護衛隊群の核となります。艦の大きさの割にはヘリコプターの常用機数が3機なのは、「しらね」型DDHの後釜だからです。ただ、障害物のない広いヘリ甲板により対潜ヘリコプターの運用は格段に自由度が増すことでしょう。 次に対潜作戦と並ぶ、いやそれ以上に重視されているともいえる役割が災害派遣です。東日本大震災の際にDDH「ひゅうが」が被災地で洋上救難拠点として、ヘリコプターによる救難物資の輸送や救助・捜索、医療等での被災者支援にあたったのは記憶に新しいところです。この際、海自機だけでなく米軍のヘリも「ひゅうが」を拠点に活動し、その際、広い全通甲板はヘリの同時離着艦など余裕のあるヘリコプター運用を可能とさせました。また巨大な格納庫はヘリの収容・整備だけでなく物資の搭載にも寄与するするなど、「ひゅうが」は空母型であることで災害支援に大きな威力を発揮しました。「ひゅうが」型の拡大型である「いずも」は船体の大型化により、ヘリ甲板・格納庫が大きく拡がったほか、35人が入院できる医療施設、災害支援を指揮する統合部隊司令部や自治体による災害本部が置かれる多目的ルーム、450人もの被災者を収容することができる外来者用居住区など災害支援に寄与する設備が、いずれも「ひゅうが」型より拡充されて設置されます。この観点から観ると、「いずも」はDDHと輸送艦と病院船の機能を併せ持った災害支援艦というべき性格が濃い艦であり、空母という攻撃的艦艇とは真逆の性格の艦とさえ言うことができます。ただ、上記のような災害支援に大きな威力を発揮する諸設備は空母型の船体であるからこそ可能になっており、新聞・テレビの報道のように艦の形だけでその性格を判断するのは大間違いであると声を大にして言わせていただきます。 もうひとつ、最近俄かに注目視されているのは離島防衛です。中国が厚顔無恥にも尖閣諸島の領有権を主張し、民間船や警備船が接続水域や領海に侵入する事案が状態化している昨今、尖閣諸島をめぐって中国と武力衝突が起こる恐れさえあります。中国軍が尖閣諸島を奪取するために押し寄せて来た場合、または尖閣諸島が中国に武力で占拠された場合、我が国の一部である尖閣を護ったり取り戻すのは「いずも」「いせ」「ひゅうが」を中心とした防衛部隊となります。その際には米軍との共同作戦になると考えられますが、災害派遣時同様、広い全通甲板はヘリのスムーズな発着艦や米軍機の飛来に威力を発揮し、格納庫や艦内設備は陸上自衛隊員や車両・物資の運搬に大いに役立つものと考えられます。 潜水艦掃討・災害派遣・離島防衛という、現状考えられる「いずも」の任務三本柱を記しましたが、「いずも」はこれ以外にも様々な任務に対応可能な艦であり、繰り返しになりますが、そのマルチプレイヤーとしての能力は空母艦型なればこそなのです。汎用護衛艦やイージス艦のような、いわゆる従来型の艦艇の形ではマルチプレイヤーとはなり得ないのです。海自は決して空母を作りたくて「いずも」をあのような形にした訳ではないのです。「いずも」を見て「空母だ!」と騒いでいる新聞・テレビの記者や一部のマニアの方々は、この点を知っておいて欲しいと思います。 空母型をした「いずも」と「ひゅうが」型の誕生の背景においてあまり知られていない事があります。それは、両タイプのDDHは国家財政逼迫による防衛予算不足、ひいては海自における艦艇不足の副産物であるという点です。 防衛予算が右肩上がりで、毎年2〜3隻の護衛艦が建造されていた20〜30年前とは異なり、現在は毎年1隻程度の建造がやっとの状況、しかも前防衛大綱により護衛艦は48隻まで減らされました。海外派遣など新たな任務も加わって、海自の艦艇不足、とりわけ護衛艦の不足は深刻な状況となっています。財政の逼迫は今後も続き、かつ今後護衛艦の増加が望めない状況において海自がとった策が「数の不足を質で補う」というものです。その「質」にあたるのが「ひゅうが」型と「いずも」なのです。先に「いずも」がマルチプレイヤーだと述べましたが、財政難と艦艇不足によりマルチに使わなければならないという実情もあるのです。そして、一隻を様々な用途に使うためには、艦の形をマルチに使える形(=空母艦型)にする必要があったのです。 護衛艦の不足は艦の運用だけでなく、部隊の指揮や訓練の統裁といった分野においても影を落としました。護衛艦削減のあおりで護衛艦隊旗艦は姿を消し、護衛隊群の直轄旗艦もなくなりました。両旗艦の消滅により、海自は「護衛艦隊司令官は何に乗って訓練を統裁するのか?」「群司令部はどの艦に乗って群を指揮するのか?」という問題に直面しました。司令官用に座乗艦を仕立てようにも艦に余裕がありません。40人を超える護衛隊群司令部が司令部施設のない汎用護衛艦に乗り込んだり、司令部施設が備わった艦でも群司令部と隊司令部が同時に乗り合わせようものなら、幕僚たちには悲惨な住環境が待ち受けています。 この問題を解決するのが「いずも」と「ひゅうが」型です。両タイプが空母型なればこそ艦内容積に余裕があり、様々な施設が設けられている事も先に述べましたが、指揮官用の私室や司令部公室、幕僚の事務室や私室、FTC(司令部作戦室)といった司令部用の施設も充実し、特に私室は指揮官用・幕僚用ともに余裕のある数となっています。これにより、護衛艦隊司令官は専用艦がなくても、訓練参加艦のひとつである「ひゅうが」型か「いずも」に乗って訓練を統裁することができますし、護衛隊群司令も専用の旗艦がなくても「ひゅうが」型や「いずも」から群を指揮することができます。さらに群司令部と隊司令部が同じ艦に乗ることも可能になります。実際、既に就役している「ひゅうが」型の2隻(「ひゅうが」「いせ」)はこのような使われ方をしており、さらに「ひゅうが」が配備されている1護群と「いせ」が配備されている4護群では、群司令部と隊司令部が「ひゅうが」「いせ」に同乗し、隊司令が隷下の護衛隊4隻の指揮を執る一方で、同じ艦から群司令が護衛隊群全体(8隻)の指揮を執るという新しい指揮の形が試みられています。 長々と「いずも」の本質と建造の背景について記してきましたが、「いずも」そして「ひゅうが」型は空母ではなく、“多目的艦”と言うべき性格の艦であるという事がお分かりいただけたと思います。そして、その誕生の背景には財政難に起因する艦艇不足があり、新聞・テレビが騒ぐ“攻撃的空母”などという威勢のいいものではなく、護衛艦の不足を何とか補おうとするための苦肉の策(艦)であり、そんな艦を「空母だ!」と言って騒いだり喜んだりするのはいかに滑稽かということもお分かりになったでしょう。当HPをご覧のマニアの皆様には、このような「いずも」の本質を理解しつつ1年半後の就役を楽しみに待っていただけたらと思います。 最後に、「いずも」という艦名について。最初に艦名を知った際には全くの予想外の名前だったので驚きましたが、次の瞬間、「うわ〜、そう来たかぁ〜!」と、思わず唸ってしまいました。 先代にあたる旧海軍の「出雲」は日本海海戦でも活躍した装甲巡洋艦で、老朽化により太平洋戦争中は呉で練習艦として使用されていましたが、大戦前の日中戦争時には第三艦隊(支那方面艦隊)の旗艦として上海に進出、当時の中華民国に海から睨みを利かす艦でした。そんな謂れを持つ艦名だけに、進水時に中国が異常な程の警戒感を示したと考えられますが、中国の警戒や反発を恐れずにこの艦名を選んだ海自に私は頼もしさを感じます。私には「いずも」という艦名は、尖閣諸島をめぐる中国の横暴や太平洋をも視野に海洋進出を目論む中国海軍に対して、「ヘタな真似は許さんぞ!」という海自の確固たる意志の表明と思えるのです。ある意味、「ながと」(長門)や「やまと」(大和)と名付けるよりも刺激的な艦名なのかもしれませんね…。 |
Vol 55 2014年の始めに思うこと 2014年1月4日 |
改めまして、新年明けましておめでとうございます。 この年末年始は久しぶりにまとまった休暇が取れたので、散らかり放題だった部屋を江田島の幹部候補生学校の如く徹底的に清掃&整理整頓するとともに、撮り貯めた画像を整理しHPにアップしております。ある意味、非常に充実した正月休みとなっております。このコラムをご覧の皆様はいかがお過ごしでしょうか? さて、当HPは2008年1月1日に“就役”いたしました。よって先日、2014年1月1日で就役満6年を迎え、7年目に突入しました。「よく6年も続いたなぁ〜」というのが率直な感想です。就役から7年目というのは護衛艦ならまだまだ新鋭艦の部類に入りますが、艦船関連のHPやブログだけでも星の数ほど存在し、スクラップ&ビルドも激しいネット界において6年間続いているHPは既に古参の域に入ります。我ながら「大したもんだ」と思わずにいられません。開設した当初は、まさかこんなに続くとは思ってもみませんでした(笑) 開設から1年間は1日に50人も訪問すれば御の字だった訪問者数(カウンターが回るトップページ以外の流入・流出を含む)は、現在、シーズンオフで1日約1000人、6月〜9月のシーズン時では約2000人にまで達し、その種別も艦艇ファンの皆様のみならず海自隊員、防衛省・防衛大学校等の自衛隊関係機関、省庁・自治体、大学、防衛関連産業、報道機関など多岐に渡っていて、非常に多くの方々にご覧になっていただいております。当HPが6年間も続いたのも、これら閲覧者の皆様方のご支援のお蔭であります。日ごろのご愛顧に対し、心から御礼申し上げます。 当HPは2014年も海上自衛隊を応援するとともに、閲覧者の皆様に楽しみ・役立てていただき、かつ海自と海上防衛について学んでいただけるサイトを目指して奮戦していく所存ですが、一年の始めに際し、海自を取り巻く現状についての認識と今後のHP運営についての方向性についてお話させていただこうと思います。 我が愛する海上自衛隊ですが、現在、恐らく1952(昭和27)年の発足以来最もその存在が重要視され、国民の注目と期待を集めていると言っても過言ではありません。 その第一の要因は、近年、海洋進出の野望をむき出しにしている“傍若無人の大国”・中国が尖閣諸島の領有を巡って我が国に牙を剥き、昨年は尖閣諸島周辺の海域に民間船、監視船さらには艦艇を頻繁に往来させたほか、上空には民間機に加え無人偵察機までも飛行させ、我が国に揺さぶりをかけてきました。極めつけは11月に尖閣上空を含んだ防空識別圏を一方的に設定、それに対し日米が反発を示すと空母「遼寧」を中核とした空母艦隊を南シナ海方面に派遣するなどやりたい放題、我が国とは一触即発の状態に突入したのです。 中国の行動は許されるものではなく、私も新聞やテレビでニュースに接しては怒り心頭に達していたのですが、考えようによっては「中国はありがたいことをしてくれた」とさえ言えるのです。 それは、同じ漢字を使う国であるが故に何となく中国に親近感を感じていた多くの日本国民に、実は中国は日本の平和と安全を脅かす国であること、そして、その脅威は海からやって来るものであり、防衛の中でもとりわけ海上防衛が非常に重要であるという点を気づかせてくれたことです。 ”ありがたいこと”は国民の気づきだけにとどまりません。日本国政府も海上防衛、とりわけ島嶼部防衛強化の観点から、ここ20年あまり削減の一途を辿っていた護衛艦の数を増加させることを新防衛計画大綱で決定。現状の47隻から新イージス艦2隻と新導入の沿岸警備型護衛艦を含めて54隻まで増強されることになりました。また、民主党政権時代の前大綱で示された潜水艦22隻体制も引き続き明記されました。 「国民に海上防衛の重要性を知ってもらうこと」、そして「海自艦艇の増強」の2点は、当HPが開設以来声を大にして訴え続けてきた事であり、中国の傍若無人な振る舞いによってそれがある程度実現してしまったことは、まさに“中国さまさま”の感があります。言い方を代えると、中国は様々な手段を使って我が国に揺さぶりをかけたつもりが、却って日本国民の防衛意識を高め、さらには護衛艦の増強をはじめとする防衛力の強化を招いてしまった=己の首を絞めてしまったのです。私はそのように考えています。 第二の要因は、オンラインゲーム「艦これ」の爆発的ヒットです。「艦これ」とは、大和や長門・赤城など、帝国海軍の艦艇を擬人化した「艦娘(かんむす)」を育成し、艦隊を編成して戦う艦隊育成型シミュレーションゲームです。去年4月のリリース以降口コミで人気が広がり、現在登録ユーザー数は130万人を突破。あまりの人気ぶりにサーバーの増設が間に合わず新規ユーザーがプレイできない状況が続くなど、ブラウザゲームとしては異例の大ヒットとなっています。この「艦これ」のヒット伴って、ゲームマニアや美少女キャラ萌えの人、さらにプレイはしていなくとも「艦これ」の大ヒットという現象を知った人が、艦艇ひいては海自に関心を抱くという二次現象が発生しました。中国脅威論の高まりや災害派遣・海外派遣任務等で海自が国民に評価され、ここ数年艦艇イベントには多くの人が訪れていますが、「艦これ」のヒットはこの状況に拍車を掛けました。昨年夏の大型イベント(舞鶴&呉地方隊展示訓練)の乗艦券の抽選倍率が異常なほど跳ね上がりプラチナチケット化した背景には、「艦これ」のヒットがあったのは間違いありません。 上記の“硬軟両面”からの要因によって海上自衛隊人気・艦艇人気が飛躍的に高まっている訳ですけど、それは言い換えれば海自初心者・艦艇初心者が爆発的に増えたことを意味します。今年実施される各地の艦艇イベントには昨年を上回るほどの多くの見学者が押し寄せるでしょうし、体験航海や展示訓練の乗艦券を入手するのはより一層困難となることでしょう。 一マニアとして勝手な事を言わせてもらえば、艦艇にあまりに多くの人が乗艦すると撮影の妨げになって困るし、抽選倍率が高まったために乗艦券が当たらず、券の入手に苦労することは正直勘弁してほしいという思いがない訳ではありません。しかし、趣味の分野で言われる格言に「古くからのコアなマニアが新規に入ってくるファンを排除すればその趣味は廃れる」というものがあるように、私たち“コアマニア”が新規ファンを拒絶する事は海自、ひいては国家のためになりません。さらに、海自や艦艇に関心を持つ人が増えることは当HP開設の目的でもありますから、これを否定することは己の活動を否定することにも繋がります。 これらの事を勘案すると、当HPが今後進むべき方向性が見えてきます。それは、海自初心者・艦艇初心者の啓発&教育です。 「啓発」や「教育」などと偉そうな事を言って申し訳ないのですが、要は新たに海自と艦艇に興味を持った方々に色々と知ってもらうお手伝いをさせていただくということです。現在はネット社会であり、興味を持った分野の事を知りたいと思ったら、大多数の方々がネットを利用します。海自初心者の方々もネットで検索をかけ、かなりの高い確率で当HPをご覧になると思います。その際に“海自と海上防衛について理解を深める教材たる存在”でありたいと思っております。 私は艦艇マニア・ファンは、単に艦を知るだけでなく、艦が所属する海上自衛という組織、さらには我が国の海上防衛の現状や重要性にまで理解する必要があるという点で、鉄道マニアやカーマニア等と決定的に違うと考えております。 この観点から、当HPでは艦艇の美しさや格好良さを伝える「ギャラリー」だけでなく、海自を知ってもらうためのコンテンツも用意しているほか、遠征レポートにおいても単に事実の報告だけでなく、海自や海上防衛に関する記述も極力盛り込む方針で執筆しています。今後もこの路線を踏襲・強化する方針であり、その一環としてこの「出港用意!」で海上防衛の重要性を訴えるとともに、新たなコンテンツも用意することも考えております。 「教育」という観点で言えば、艦艇初心者に対するマナー教育も喫緊の課題だと考えております。 初心者なので仕方がないのですが、昨年夏の艦艇公開や体験航海では、艦に乗る場合には控えるべき行動を平気で行っている人がいたり、隊員さんに対して失礼な態度で接する人がいたり、果ては熱中症で倒れて隊員さんに多大な迷惑をかけている人がいたりと、眉をひそめざるを得ない光景を多々目にしました。私たちが乗る艦艇は電車のようなお客さんを乗せる乗り物ではなく、国の防衛に携わっている“海軍の軍艦”なのです。よって、様々な注意事項や禁止事項、“軍人”である隊員さんに接する際のマナーが存在し、事前にそれを知っておく必要があるのです。注意事項や禁止事項を無視して艦に損害を与えたり、見学者が怪我をするような事態が発生すれば、海自はその対応に追われて中国の脅威に立ち向かうどころの話ではなくなってしまうので、この初心者教育にも新たなコンテンツを導入するなどして取り組んでいきたいと考えております。 最後は、海自入隊を志望する若者に正しい情報を提供するとともに、より一層海への憧れと海上防衛への志を強くしてもらうHPにしたいと考えております。 私が防大進学を目指しながら土壇場でそれを諦めたのは、今から約30年前にはインターネットなどは無く、海自に関する情報を得ることが非常に難しかったことが要因のひとつでした。当HPの掲示板の常連さんで、DDH「しらね」の射撃員として任務に就いている「もびうす」さんや、防衛大学校入試に合格し今春入学する「函館の少年」さんのように、当HPの閲覧者から海自に入隊したり防大に進学する人が現れています。30年前に私が経験した悲劇を繰り返さないために、そして第二・第三の「もびうす」さん・「函館の少年」さんを輩出すべく内容の強化・充実を図っていきたいと考えております。そう、目指すは「海自入隊志望者の松下村塾」です(笑) 以上、長々と海自を取り巻く現状に対する認識の一端と今年(今後)のHP運営方針について述べてきました。 ここに記した方針は今年だけではなく、今後数年間のHP運営の方針であり、その意味では防衛計画大綱ならぬ“HP運営大綱”であると考えております。上記の方針がすべて実現すべく頑張る所存ではありますが、なにぶん本来のお仕事(本職)も抱えておりますので、その状況次第では昨年と同様に更新さえままならなく事態に陥る恐れもあります。その際は「何やってんだ!」などと苦言を呈することなく、気長にしばらくの間お待ちいただければ幸いです。 2014年も「J−NAVY World」をよろしくお願いいたします。 |